Ideal・Struggle~可能性を信じて~   作:アルバハソロ出来ないマン

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本編開始です


オリ主、迫真のニュータイプ特有の察知能力を魅せる。


第5話

「皆さん、初めまして!私は副担任の山田真耶です。それでは1年間、宜しくお願いしますね」

 

「――宜しくお願いします」

 

山田先生にそう挨拶をされ、目上の人が礼をしたのだから応えなければ無礼に当たると思い、誰も挨拶を返さない事に僅かばかりの困惑を隠しながら、俺の方が迷惑を掛けるだろうという意味を含めて、座ったままで申し訳ないがお辞儀を加えて返答とした。

 

俺だけしか返事が返ってこない事に更に違和感を感じて後ろを振り向きたい気持ちに襲われるが、SHRの最中に教壇から目を離すどころか身体ごと逸らさなければならないというのは山田先生に失礼だ。疑問を持ちながらも山田先生を一教師として扱っていると、山田先生は俺の挨拶に緊張感が少し解れたのか、先ほどよりも少し明るい声色でSHRの段取りを1つ進める。

 

「はい、挨拶ありがとうございます。じゃあ出席番号順に、自己紹介をお願いします!」

 

俺の出席番号はクラスの中間あたり。机の列で言えばど真ん中の最前列。教壇にやや隠れる形のこの席は、意外にも教師からの注目は薄い。灯台下暗しというやつだが、それは普通の学校においての場合に限り、IS学園では例外だ。そもそもIS学園に入学できるのはISを動かせる適正が高く、容姿端麗でかつ頭脳明晰な才女だけだ。この学園でいう頭が悪い生徒も一般高校に入学すれば上位30%以内の成績は簡単に維持できることだろう。話が逸れたが、つまるところ男の俺が入学しているのがおかしいのであって、俺がどの席に座っていようが関係なく目立つであろう。だからこの場において教壇の目の前に居る俺は、もっとも教師から目を掛けられやすいということだ。ありがたいことだ、解らない事があれば声を張り上げずとも、挙手をして質問をせずとも相談できる。狙って配置した訳ではないのだろうが、これは僥倖だと思う。

 

「じゃあ、続いて堺万掌くん、お願いします!」

 

「はい」

 

自分の席順に予想以上の喜びを感じていたところ、山田先生に順番が回ってきたことを伝えられ、俺はハキハキと間延びのない口調で返事をし、音を立てず椅子から立ち上がった。

 

「堺万掌です。土に世界の界で堺。一十百千万の万に、掌で万掌と書きます。両親から与えられたこの名前は、多くの人達と手を取り合い、親睦を深めることが出来るようにと付けられたものです。この名前に恥じぬ生き方をしたいと思っています。この学園での当面の目標は、多くの人と友達になり、急な入学だった為にISに関する知識が浅いのでそれを埋め合わせ、皆さんに迷惑を掛ける事のない様にすることです。最初は問題を起こすかもしれませんが、どうか1年間よろしくお願いします」

 

最前列である為、後ろへ身体を振り向けてから学友となるクラスメイトたちを見て、自分の名前とその由来を話し、当面の目標と迷惑を掛けるかもしれない旨を伝え、1年間の付き合いをお願いした。

 

俺の自己紹介が大層気に入ったのか、山田先生は嬉しそうに微笑んでから俺の後ろの人の名前を呼ぼうとした。が、その時教室の近未来的なスライドドアが開き、黒いスーツを着こなした女性教職員が入ってきた。というか千冬さんだった。

 

「すまない山田君、少し会議が長引いてな。遅れた」

 

「織斑先生、大丈夫ですよ」

 

「そうか。今は自己紹介の途中か?」

 

「はい。今、堺くんの自己紹介が終わった所でして」

 

「ふむ。続けて構わん、やれ」

 

名簿を片手に山田先生の隣に立ったのは千冬さんだった。公私をきっちりと分ける人だとは長い付き合いの中で知っていたが、公の顔をそこまで見る機会が無かった俺は、千冬さんの出来る女感に圧倒されていた。凛とした態度に裏付けされた自信を含んだ口調。見る人全てが気圧されるであろう、僅かばかりの眼光に少々震えていると、千冬さんから続行の指示が上がったのにも関わらず俺の後ろの席の人はピクリとも反応しない。

 

「――む?ああ、私が誰かという疑問の解決が先か。諸君、私が担任の織斑千冬だ。新人である君たちを1年で使い物になる操縦者に育て上げるのが私だ。私の言う事はよく聴き、よく理解しろ。出来ない者は出来るまで指導してやる。私の仕事は弱冠15歳を16歳まで鍛え抜く事に他ならない。逆らってもいいが、私の言う事は聞け。いいな」

 

出来ない者は出来るまで指導する、と言ったタイミングで千冬さんは俺を見た。口元こそ崩さなかったが、目の奥を僅かに笑わせていたので俺に向けて言った言葉なのだと理解した。俺は、顔に出ているかもしれないレベルで喜んだ。あの千冬さんに、世界最強のIS操縦者に直に指導を付けてもらえるのだ。出来る様になるまで指導してくれる。それをこの世界で望む人達が大勢いて、そのうちの大多数が叶わない絵空事のような光景が、ほんの一瞬でこのクラスに舞い降りた。千冬さん張り切ってるなぁ、と普段の千冬さんを知る身からすれば少し身内贔屓の様な物が見えなくもない、と思っていると千冬さんが顔を顰めた。怒らせてしまったか、と自分の口元に手を当てるが口元は薄い笑みを浮かべておらず、では千冬さんが何を見て不快そうな顔をしたかと疑問を抱く。

 

それはすぐに解消された。

 

「本物よ!本物の千冬様よ!」

 

「ずっとファンでした!」

 

「私、お姉さまに憧れてこの学園に来たんです!北九州から!」

 

「あの千冬様にご指導いただけるなんて、嬉しいです!」

 

「私、お姉様の為なら死ねます!」

 

怒号。怒号。怒号。

 

怒涛の歓喜の叫びに、喉を傷めるんじゃないかと思う程の声量。甲高い女子の声に思わず怯み、少し耳を抑えて丸くなっていると教壇に立つ千冬さんはかなり鬱陶しそうに、

 

「毎年これだけの馬鹿共が、まぁよくも集まるものだ。悪い意味で感心させられる。それとも何か?私のクラスにだけ集中させているのか?」

 

額に手をあてて首を力なく振ってそう言った。人気は買えないのだから多少は受け取っておくのもいいかと思ったがここまで騒がれては如何せん鬱陶しさが勝るのだろう。俺も連日多くの報道陣に詰め寄られ、一時は時の人扱いされ番組に出演してくれだの取材をだの何だのと自宅に押し掛けられた時は本当に困った物だ。両親の出勤にも気を遣わせてしまったようで、迷惑ばかり掛けているな、と自分の起こした数カ月前の惨状を振り返って、一人で沈み始めかけたので振り返る事を止めた。反省は必要だが、それによって気分を沈めていては意味がない。

 

そうして気分を切り替えた所で、数カ月前にも感じた眉間の辺りで放電現象が起こるような、バチ、と閃きにも似た錯覚を受けた。好奇心、憎悪、疑問。好奇心は多く向けられていた物であり特筆せずとも理解していたのでスルーしていたがその中に、薄らとした物ではあるが、確かな憎悪の感情と何かを聞きたがっている疑問の感情が俺に向けられたのを感じ取った。憎悪は誰のものかまだ分からないが――疑問を向けてくる人物の波長は、前にも、感じたことが............箒?――――......居るのか、ここに。

 

「よし、全員の挨拶が終わったな。これでSHRは終わりだ。諸君らには半月でISに関する基礎知識を覚えてもらう。その後実習だが、基本動作も半月で身体に沁み込ませろ。いいか」

 

「はい」

 

「――ほう、返事が出来たのは1人だけか?それならば私が教育すべき生徒は1人ということになるが、貴様らも私の生徒である。故に私はこの教室の生徒全員に物を教えねばならん。分かったなら返事をしろ」

 

『はい!』

 

千冬さんの発言に返事を返すが、返したのは俺だけだったらしく千冬さんが悪い顔をしてクラスを見渡しながら煽り、再度返事を乞うと、今度はクラス全体から返事が聞こえた。それに千冬さんは満足したらしく、一限目の授業の準備をし始める。それに呼応する形でクラス全体が一斉に教科書を用意する音で静かに騒がしくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「バンショー、1限目は大丈夫だった?」

 

「ああ。少し疑問に感じた部分もあったが、まだ触りの段階だったからか先生たちも少し授業を中断して、丁寧に説明してくれたおかげで助かったよ」

 

「あれ確かに初見だと分かり辛いもんね」

 

「ああ、どうもISと人間がパートナーだという話が俄かに信じられなくてな。機械とどう心を繋げろって言うんだ、と常々疑問に思っていたが、本職の人の話は説得力が違うと改めさせられたよ」

 

一限目が終わり、一夏がようやく終わったかという感じで腕を伸ばしながら俺の席にやってきて膝を落とし、机に顎を乗せて上目遣いになりながら俺の心配をしてきた。その心配を拭うために、疑問に思っていた点を反復して蒸し返し、山田先生や千冬さんが話してくれたISを身に纏ったことのある経験者の言葉を聴き、納得をしていた。クラスの中からも関心の声が上がっていたので、俺の質問は俺の為だけに答えたのではなく、毎年誰かしらが似た様な疑問を持っているのだろう、それに合わせて用意されたテンプレートな感じがしないでもない回答だったが、説得力は文章に記載されている物よりも効果大であったことは明白だ。

 

「でも彼氏彼女の関係とか、ぴったりとフィットするブラみたいな感じって言われてもちょっと困るよね」

 

「女性しか居ない環境だったからそういう返答になっただけじゃないか。仕方ないさ」

 

「顔赤くしてたくせに」

 

「いや、あれは......だな」

 

そう、例え話で急に下着の話になるのは勘弁願いたいものだった。俺もなるべく落ち着いた歳不相応の態度を見せてはいるがそれは虚勢に過ぎず、本質は年頃の男子高校生なのだ。つい最近、身近な女性が傍に居るまでは男子4人で屯して下ネタをぶちまけて笑い合っていた万年脳内花畑の猿だった男である。なるべく興味関心がないようには見せたかったものの、ムッツリだと思われたくなかったのも事実で、どこまでオープンであるべきか、どこまで隠すべきかと悩んでいたが現実は非常である。一瞬にして俺はそういう知識に一定の興味を持っていると把握されてしまった。

 

「この先そんな調子で持つの?私で慣れとく?」

 

「なっ、この、バカ!お前、もう少しだな――」

 

「分かってる、ちょっと冗談を言っただけ。―――――――...............本気にしても、いいのに

 

一夏は俺の身を案じてか、予想以上に気疲れした俺をリラックスさせようと悪巧みを思いついたのか、猫みたいな口をつくって静かに笑い、制服の襟を僅かに摘んでうなじを見せつけてくる。その光景に激しく動揺し、親しき中にも礼儀ありという言葉を引用して、女の体に慣れすぎている一夏を叱りつけようとしたが、それよりも先に一夏が舌をチラリと出して冗談だと訂正した。それが余りにも似合っていて、文句を言うに言い切れず、口で言葉を伝えるよりかは動揺が少なくなるだろうと考えて一夏の頭を乱雑に撫でまわした。その時に一夏が小さく何か言っていたが顔の熱を冷ます事に全力を注いでいた為に、それを聞く余裕はなかった。

 

「んぅ~......これだよぉ、これぇ」

 

「そんなにいい物でもないだろう。ただ雑にわしゃわしゃーっとやってるだけだぞ」

 

「まだ口調堅いよー。でも指先の動きがね、ちょうど良い感じなの」

 

「んん、そんなものか?」

 

「そうだよ」

 

ただ適当に頭を撫でているだけだというのに、一夏は目を細めて猫撫で声で俺の手付きを褒める。俺自身、何か気を付けてやっているというワケではなく、自分の髪を洗う時のような勢いでやっているだけなので、これがいいと言われては何が良いのかと聞き返すほかなかった。一夏は俺がまだ緊張していることを指摘しつつ、指の動きが好みだと答えた。指摘されたことに、咳払いを一つしてなるべく平常心を意識しつつ一夏の返答に疑問を抱くと、一夏は短く同意の言葉を述べた。

 

「――そろそろ、来るか」

 

「ふぇ?誰が?」

 

「......ちょっと、いいか」

 

一夏が気を利かせてくれたリラックスタイムの最中、俺たちに向けられる好奇心の視線の中で疑問を持ち続けていた箒と思わしき感覚の人物が、俺たちを囲んだまま牽制しあっている集団を抜けてやってくる感じを捉えた。

 

何気なく言っているが、ここ最近の俺はどうも変だ。ISに乗ってから、俺を見る存在の気配に敏感になったというか、他の人がどんな心で俺を見ているかが何となく分かるようになっていたのだ。千冬さんに相談してみたがISに乗ることでそんな症状が出た事は無く、後遺症のような物も無いと言われたものの、不安を拭えず専門医に掛かった所――元から持ち合わせていた先天性にも似た強い共感覚が、ISのハイパーセンサーを経て明確に知覚した事で他人の感情の波長を読み取り、あたかも自分の感情の様に受け取れるようになったのだろう、という憶測的診断をされた。医者も匙を投げたという物であり、ますます不安が強くなったが悪い影響は特に感じられず、下手に抑えようと意識すると悪化してしまう恐れがあるため、それが当然の状態であり、感じられて当然だと思う心理を構築しなさいと言われた。医者にそうまで言われては、そうするしかないと思い、抑える事なく常に感じ取り続けていたが.......まさか箒の波長まで分かるとは思わなかった。

 

「久しぶりだな、箒。ポニーテールは相変わらず、か」

 

「――!分かるのか、万掌。そういうお前は随分と背が伸びたな、声も低くなり凛々しくなった様に見える」

 

「あ、箒ってやっぱり――」

 

「ちょ――」

 

「――あの箒だったんだ!」

 

箒の方に顔を向け返事をすれば、6年前とは打って変わって成長した、幼馴染が居た。かつて、俺と一夏が通っていた剣術道場の娘にして、篠ノ之束の妹。本人はその事実を途轍もなく嫌っているが、まぁ仕方のない事だろう。束さんも束さんだ、アフターケアをせずに突如行方を晦ませ、妹の箒を大人たちの都合で振り回している。好感度も下がる所まで下がるというものだ。どこか剣呑そうな、白刃を思わせる鋭さを身に纏っていた箒だが、この6年の間でそれは更に研ぎ澄まされていた様だ。傍にいるだけでもやや気圧されるこの感じは箒の焦りと怒りが混じり合い、疲れ切っているが誰も信用できず、休むことさえままならない、といった様子だ。俺が箒との再会を言葉短めに祝えば、箒は気心知れた仲である俺に心を僅かに開いたのか、剣呑な雰囲気を僅かに潜めて、息を一つ零してから俺の身体的特徴の変化に戸惑いこそあれど、嬉しく思っている様だ。そして、その箒が一夏の知る箒であると分かった瞬間。俺は不味い、と思ったが既に一夏は言葉を発してしまった後だ。

 

一夏が俺の一音程度の発言で察してくれれば何とかなったのだが、既に対処は不可能。

 

「――まさか、貴様。いち......」

 

「ストップ、箒」

 

ぐ!?――!――!」

 

箒が気付いた瞬間、一夏がやっちゃった、と言わんばかりの表情で慌てて口を自分の手で押さえるが、それが逆に決め手になったようで探りを入れていた箒の表情が確信に変わり叫ぼうとしたところを、急いで俺が押さえて叫ばせない様にする。

 

「事情は、屋上で話す。誰にも聞かれたくはない」

 

「――」

 

返事をしようにも返事が出来ない、言いたげに箒が口を塞ぐ俺の手をペシペシと叩くので、退ける。

 

「ぷはっ......屋上だな、早く行くぞ」

 

「分かった。いやぁ、それにしてもお前がIS学園(ここ)に来てるなんてな。6年か?」

 

「――ああ、私も久々の再会で胸が躍っている。なぁ、一夏」

 

「うぇっ!?う、うん!」

 

箒に手早く済ませる旨を目線で伝え、敢えて少し大きめの声で久々の再会を祝っているムードを漂わせると、箒が棘のある含みを持って一夏を口撃した。一夏は急にやってきた殺人ライナーの剛速球トークに肝を冷やしながらなんとか相槌を打ち、俺たちの後を追いかけてくる。箒が先頭に立ち、不機嫌そうなオーラを隠す事なく周囲に漏らしながらズンズンと進んでいき、二歩遅れる形で俺がその後ろを付いて歩き、一夏が俺の手を取りつつ更に1歩遅れて追従する形となった。RPGかな?と、現実逃避気味にこれから訪れる当然の質問の返答をどうしようか悩んでいると、屋上へ続く道は存外に近かったようで、すぐに着いてしまった。

 

「で。――――どういうことだぁ万掌!!!なぜッ、んん......なぜ、一夏が女になっている......!」

 

屋上に着き、周囲に人が居ないこと確認して一呼吸置いた直後。耳が裂けんばかりの声量で箒が叫び、胸倉を掴んで持ち上げんばかりの勢いで締め上げてきた。しかし箒も怒りに呑まれ切っておらず、重要な部分は声を潜め、眉を吊り上げて睨みを利かせてくる。

 

「落ち着け、と言っても無理だろうな。分かるぞ、俺も酷く動揺した」

 

1年ほど前の、一夏が一夏ちゃんになり、俺に会いに来た日を思い返す。僅か1年前だが、あの時は随分と動揺したものだ。恥ずかしい事をいっぱい喋って黒歴史が数ページ追加されたものだと遠くを見ていると、箒はそんな事を聞きたいのではないと言わんばかりに掴んだままの胸倉を前後に激しく揺すり始めた。

 

「お前の同意など大した――ことではあるが、それ以上に!なぜ、んん、なぜ一夏が女になっているかについて、私は聞いているのだ......!」

 

「それについては」

 

「私......いや、俺が話すよ」

 

この話は、俺が伝えても意味はないだろうと思い、一夏にはまた辛い思いをさせてしまうが本人の口から伝えるべき話題であると判断し、一夏を指すと、一夏も察したのだろう、男の口調に意図的に戻して静かに話し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――そんな、ことが.......」

 

「うん、だから俺は――私になって、私は私のまま、女として生きていくことを決めました。最初はつらかったし、大変だったけど、万掌が支えてくれたから、気持ちは楽だったよ。変わったものはいっぱいあったけど、変わらない人も居てくれて。――色んな人に、助けられて、少しずつ変わっていって。そうして、今の私が、ここに居ます」

 

一夏は自分の胸に手をあて、目を閉じて、静かに微笑む。春風が髪を揺らし、桜の花弁が吹き上がり屋上に注ぐ。絵になる儚さを纏った華奢な少女が、今の一夏だ。箒には到底、受け入れ難い話かもしれないが、割り切るしかない。俺も、そうやって割り切って受け入れた身だからだ。だが、きっと俺と同じ様に割り切るために一悶着起こるだろうと察した。箒はそういう奴だ。納得できず、怒りに呑まれるかもしれない。今の雰囲気の箒なら、尚の事だろう。

 

「そんな......私は、私―――私、は......一体......どう、すれば」

 

「――箒」

 

「万、掌......」

 

呆然自失といった様子の箒は、屋上の落下防止柵を掴み、なんとか立ち上がったままの姿勢を維持していた。目は何処を見ているのか分からない程に虚ろで、影が射していた。俺が箒の名を呼べば、顔を力なく上げ、俺の名を呼び返し、手を伸ばしてきた。救いを求める様に。

 

「難しいと思うが、時間を掛けて、理解してあげてほしい。一夏も、悩んで......俺も、悩んだ。そして、俺と一夏は乗り越えた。だから箒も――――乗り越えてほしい」

 

伸ばされたその手に、一切触れる事無く。俺は箒の目を見て、自分の力で乗り越えろ、と突き放した。

 

「難しいなら、俺に言ってくれ。俺に出来る事なら、何でもしよう」

 

逃げ道を敢えて作らせて、俺は一夏の手を取って先に教室に戻る、と箒に告げてから屋上を後にする。あの箒なら、きっと用意した逃げ道に入ってくるはずだ。

 

「――ねぇ、万掌」

 

「どうした、一夏」

 

「......嫌な役やらせて、ごめんね」

 

「まだやると決まったワケじゃないだろ。箒も乗り越えられる。俺はそう信じてる」

 

「――そう、だね」

 

教室に戻るまでの廊下を歩いていると、一夏から謝罪を受けた。一夏も俺がやろうとしている事に気付いたのだろう、申し訳なさそうに眉を八の字に曲げて沈んでいる。それに対して俺は、箒が腐らず、乗り越えてくれる可能性を信じた。

 

一夏も、上辺だけは同意してくれた。

 

 

 

 

 

 


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