朱色の満月が辺りを照らしている。
ここは……?
遠くから聞こえる波の音に誘われるまま、僕はどこともつかない砂浜を一人歩いている。
ここがどこで、今が何時なのか分からない。
暫く歩いていると、ふと歌声が聞こえてきた。
「――――。――――♪ ~♪」
とても綺麗で、とても元気な、その歌声。
僕は何だか無性に気になって、声の方へと足を進める。
「ラ、ラ~♪ラララ♪」
少女は、そこにいた。
波打ち際、僅かにつま先を濡らしながら、その子は踊る様に歌い、謡う様に躍る。
その度に揺れる朱い髪。鮮血の様な朱い髪。
それと同じ色のワンピースが、風に撫でられて時折ふわりと膨らんでは舞った。
さざ波の音を聞きながら僕は飽きもせず女の子を眺めていた。
その歌は、その踊りは、何故だか僕をひどく懐かしい気持ちにさせる。
……あれ?
ところが、ふと気がつくと少女は僕を見詰めていた。
「どうかしたの?」
声を掛けるが少女はまだじぃっと僕を静かに見詰めている。
僕も何と無く少女を見詰め返している。
「力を欲しますか……?」
「え……」
僕は一瞬何を言われているのか分からなかった。
「力を欲しますか? 何のために……」
「生きるためかな。でも、ただ生きるだけじゃなくて楽しく生きるためだよ。そのために友達を……いや、仲間を守るんだ。一人だと生きていてもつまらないだろう。人は一人では生きていけないんだ」
「そうですか、仲間を……」
少女は考える様に俯いている。
「そう仲間を守るんだ。でもそれは他人のためじゃなくて、結局自分のためなんだ。自分がしたいからそうする。我ながら自己満足も甚だしいけどね」
僕は自分の言葉に苦笑しながらも納得している自分に驚いていた。
ああ、僕はなんて自分勝手な人間なんだろうか。
でも悪くない。
「だったら貴方に新たな力を授けてあげる。その自己満足を貫ける力をね」
人懐っこい笑み。少女は無邪気な笑みで僕の手を握った。
「受け取って……貴方の特性に合わせた
「ありがとう。でも力は所詮力だよ。使い手の心持ち次第で良くも悪くもなる」
「ええ、そうね。貴方ならこの力を正しく使えるでしょうね。この蹂躙乱舞を……」
「ああ」
朱色の満月の輝きが増して、辺り一面を朱く染め上げて行く。
朱い光に抱かれて、眼の前の光景が徐々に遠くぼやけていく。
夢の終わり、そんな言葉がふいに浮かんだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「うっ……知らない天井だ」
全身の痛みに呼び起こされて、僕は眼をさました。
いまいち状況が掴めず周囲を見渡すと、ここは保健室のベッドの様だ。
ぐはぁ!! 頭痛が酷い。全身が軋んでいる。
血が飲みたい。輸血パックではなくうら若き乙女の生き血が飲みたい。
神速を限界を超えて発動した影響で吸血衝動が抑えられない。
「気が付いた?」
カーテンが引かれて紫乃姉が心配そうな表情で僕を見詰めている。
「はい、これ飲んで……」
僕は手渡された輸血パックを奪って呷る様に飲み干した。
一先ず吸血衝動は何とか我慢できる範囲まで落ち着いた。
「身体に致命的な損傷はないけど、全身に軽い打撲や火傷があったわ。まあ、今の血液補充で直ったでしょうけどね」
「うん……傷はもう治ったよ」
僕は身体を確かめる様に触りながら答えた。
「もう、心配したんだからね。幾らISのサポートがあるからって明らかに神速の限界使用回数を突破していたみたいじゃない。頭痛は平気かな?」
紫乃姉は僕の頭を胸元で抱きしめながら訪ねてきた。
「うん。まだちょっと痛いけど、ましになったよ……心配掛けてごめん」
「本当よ。幾ら私達が夜の一族だと言っても人間には違いないんだから無茶すると死ぬのよ」
僕の頭に紫乃姉の涙が滴り落ちてくる。
「ごめんね、紫乃姉……」
僕は暫く抱きしめられるままにされていた。
「じゃあ、お姉ちゃんは後片付けがあるから生徒会室に戻るわね。刀也は暫く休んでなさい」
紫乃姉は僕の頬にキスをして保健室を出て行った。
「そんなところで隠れてないで入って来たら、一夏」
「いやぁ~姉弟のスキンシップを邪魔するのは忍びなくて……」
一夏は頬を掻きつつゆっくりとベッドサイドにやってきた。
「そういえば、結局試合はどうなったの? やっぱり無効試合になったの?」
「あっ、ああ……それは仕方ないだろう。あんな事があったんだからな」
「残念だったね……」
「そんな事よりお前無茶しすぎだろう!」
「はい?」
あれ? 僕怒られてるの? 何で?
「幾ら俺の護衛だからって最後のビームに飛び込んだのは駄目だろう! 夜の一族でも限界を超えるダメージを受ければ死ぬんだろう!」
あっ、これは怒ってるんじゃなくて心配してくれてるんだ。
「ありがとう、一夏」
「何でここでありがとうなんだよ!」
「だって僕の事心配してくれているんだよね?」
一夏は苦虫を噛み潰した様な表情をしながら頭を掻いている。
「あたりまえだろ! 刀也は俺の親友なんだからな!!」
一夏は背を向けながら叫ぶ様に言い放った。
「……じゃあ、俺は先に部屋に戻るぞ」
一夏は自分の台詞に照れたのか、こっちを向かずに逃げる様に保健室を出て行った。
「ふぁ~何か眠くなってきたな……」
疲労のせいだろうか。僕は引きずられる様に眠りに落ちて行く。
特に抵抗はしなかった。心地よく、ベッドに横たわった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「…………」
うん? 何だ? 人の気配を感じられる。それも、なんだか顔の近くに感じられる。誰だ?
「刀也……」
「鈴ちゃん?」
僕は無意識に鈴ちゃんを抱きしめた。
「ちょっ!!? ちょっと、刀也?」
ああ、良い匂いだ。美味しそうな血の匂い。うら若き乙女の生き血の匂い。
僕は寝惚けたまま、鈴ちゃんの首筋に牙を突きつけて血を啜った。
そして満足して首筋を舐めて傷口を塞いだ。
「はぁ~!!? いっ、嫌ぁ~!!」
鈴ちゃんは僕を突き飛ばして後ずさった。
その表情は恐怖で歪んでいる。
しまった。寝惚けていたとはいえ、最悪な事をしてしまった。
こうなったら覚悟を決めるしかない。
「ねえ、鈴ちゃん。僕の秘密を話すよ。それで決めて欲しい。僕と共に歩むのか、それとも忘れて別の道を歩むのか」
怖い。鈴ちゃんに嫌われるのが怖い。化け物と罵られる事が怖い。
でも僕は鈴ちゃんの同意なしに血を啜った。
嫌われても仕方ないよね。
鈴ちゃんは震えながらもゆっくりと首を縦に振った。
「僕……いや、月村家の人間は夜の一族と呼ばれている。所謂吸血鬼ってやつなんだよ。遺伝子障害の定着種で異常な跳躍力や鋭い聴覚視覚、並はずれた再生回復能力などの高性能な肉体を持っているけど、体内で生成される栄養価……得に鉄分のバランスが悪いため、完全栄養食である血を欲するんだ」
僕は一旦眼を瞑ってから鈴ちゃんの瞳を真っ直ぐに覗き込んだ。
「そうなんだ……吸血鬼なんだ」
鈴ちゃんは葛藤する様に僕を見詰め返している。
「ごめん、鈴ちゃん。同意もなしに血を啜ってしまって……許せないよね」
僕は耐えられなくなって鈴ちゃんから眼を離して俯いた。
鈴ちゃんがベッドサイドにゆっくりと近づいてきた。
僕はこれから殴られるであろうと身を固くした。
だが鈴ちゃんは徐に僕を頬を両手で掴んで顔を無理やり上向けた。
そしていきなりキスされてしまった。
「はむ、くちゅ、ごくん」
「ふぐっ、むぐぐ? ぷはぁ……」
鈴ちゃんは唇を離しても頬を掴んだまま僕の眼を艶っぽい瞳で覗き込んでいる。
「ありがとう、あたしに刀也の秘密を話してくれて嬉しかった。まあ、急に血を吸われたのはびっくりしたけどね」
「こっちこそありがとう。こんな僕を好きになってくれて……」
お互いに気まずくも甘酸っぱい空気が流れていた。
「そうだ。刀也の秘密も聞いたからあたしも隠し事はいけないわよね……あたしの両親離婚しちゃったんだ」
鈴ちゃんは話を変える様に語りだした。
「あたしが国に帰ったのも、そのせいなんだよね」
「そうだったんだ……」
「一応母さん方の親権なのよ。ほら、今ってどこでも女性の方が立場が上だし、待遇もいいしね。だから……」
ぱっと明るく喋ったかと思うと、また声のトーンが沈む。
「父さんとは一年会ってないの。多分、元気なんだと思うけど……」
僕は鈴ちゃんになんて声を掛けたらいいか分からなかった。鈴ちゃんの両親が離婚したという事実は、僕の心にも暗い影を落とした。
家族がバラバラになる。それは絶対にいいことじゃない。けど、そうせざるを得ないくらいの理由があったんだろうか。
気前の良い親父さんの顔を思い出す。活動的なおばさんの顔を思い出す。
でもそれは鈴ちゃんに訊ける事ではない。なによりつらいのは、鈴ちゃん自身なんだから。
「家族って、難しいよね」
家は両親と姉達共に仲がいい。鈴ちゃんの言葉の深さは実感が湧かないものだった。
「ねえ、鈴ちゃん」
「ん? なに?」
「今度どっか遊びに行こうか」
「えっ!? それってデー……」
「二人で何してるの?」
鈴ちゃんの言葉を遮る様に簪ちゃんの言葉が割って入った。
若干何時もより声のトーンが低い気がした。
「抜け駆けはしないって言ってたじゃない」
簪ちゃんは鈴ちゃんをジト目で睨んでいた。
「あははは……ごめん、ごめん。ちょっと魔が差したのよ」
「もういい……刀也くん大丈夫?どこか痛いところ無い?」
簪ちゃんは一転して僕心配そうに見詰めながら訊ねてきた。
「うん、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう、簪ちゃん」
僕は簪ちゃんの頭を撫でながら答えた。
「さてと、もう元気になったから部屋に戻ろうかな。二人ともお見舞いありがとうね」
「刀也とあたしの仲じゃない。これくらい当然よ」
鈴ちゃんは若干顔を赤く染めながら視線を外して答えた。
やっぱりキスした事を照れているのかな。
「どういたしまして……でも、やっぱり何かあったの?」
簪ちゃんは疑惑の眼を鈴ちゃんに向けている。
「やっ、やぁね。何もなかったわよ」
鈴ちゃんは冷や汗を流しながら答えている。
「まあ、いいけど……おやすみ、刀也くん」
「うん。おやすみ、簪ちゃん」
簪ちゃんは微笑みながら挨拶をして保健室を出て行った。
「じゃあ、あたしも行くわ。おやすみ、刀也」
「お休み、鈴ちゃん」
鈴ちゃんは足取りも軽く保健室を出て行った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
部屋で寛いでいると大きなノックが響いてきた。
《ドンドン!》
「はい、どちらさまで……」
一夏が扉を開くとむすっとした顔の箒さんが立っていた。
「いらっしゃい、箒さん。どうぞ、部屋に入ってよ」
「いやここでいい」
「そうか」
「そうだ」
「…………」
「…………」
「…………」
何やら思いつめた表情の箒さん。
まさか、告白でもしに来たのかな?
「……箒、用がないなら俺はもう寝るぞ」
「よっ、用ならある!!」
いきなりの大声に僕と一夏はびっくりしてしまう。
廊下でそんな大声出すと寮長の千冬さんに怒られるよ。
「らっ、来月の、学年個人トーナメントだが……わっ、私が優勝したら……」
箒さんは頬を紅潮させて言葉を続ける。
よほど恥ずかしいのか眼は一夏を見ていない。
「つっ、付き合ってもらう!」
箒さんはびしっと一夏を指差し宣言した。
「……はい?」
駄目だ。一夏はこれが告白だとは気付いていない。
宣戦布告だと思っているに違いない。
不憫な箒さん。でも告白するならもっとストレートにはっきりと言わないといけないよ。