第一歌 なにめでて
名にめでて 折れるばかりぞ 女郎花
我おちにきと 人にかたるな
僧正遍照 古今和歌集
この身は神に捧げない。
僕の人生は君に捧げるものだから。
病める時は薬となり、健やかなる時は花となろう。
だから――
――約束を守る、その時まで。
お出かけからの帰り道を歩いていると、ある植物が目についた。特に急ぐ理由もなかったので、歩道から少し外れて転ばないように河原の方に降りていく。
笹のように長い葉は反り気味に太陽の光を受け、先端には小ぶりな黄色の花が咲いている。周囲を少し見渡すと、蕾の状態のもあるようだった。
「えっと、これって確か……」
急いで暇つぶし用に持ってきていた図書室で借りた本を開いた。昨日の昼休みにこれと似た植物を見たような気がする。
「あ、そうそう。
秋の七草*1のひとつで、有名な植物らしい。七月のこの時期は旧暦の六月。来月には秋になるので、七草粥として食べれる時期なんじゃないだろうか。
「…………」
改めて女郎花を見つめ、ごくりと唾をのむ。
思い出すのは、小さい頃に食べた春の七草粥。お祖父ちゃんと探しに行って、お祖母ちゃんに作ってもらった記憶がある。もう少し探してみれば他の七草も見つかるかもしれない。
春の七草は食べられるわけだし、秋の七草だって食べられるだろう。
「試してみても、いいかな」
周囲をきょろきょろと見渡して人がいないかを確認し――
「……三ノ輪、さん?」
学校の方向から人が来ていることに気が付いた。見慣れたクラスメイトの顔だ。
向こうからやって来たクラスメイト――三ノ輪銀――も、僕のことに気が付いたらしく駆け足気味に河原を下りてきた。
「おーい、坂上。こんなとこで何してるの? 散歩?」
「う、うん。まあね」
三ノ輪さんの質問に返事をしながら立ち上がった。本には指を栞代わりにして閉じる。
「三ノ輪さんは家に帰る途中?」
「うん。家の手伝いしないとだし」
「家の手伝い? 偉いね」
「別に、そんなことないって。大したことしてるわけじゃないし」
三ノ輪さんが少し照れたように頭をかいた。
「それで?」
「え?」
そして、僕の手元を指す。
「それで何してたの?」
「えっと、これ……」
僕は本の表紙を見せた。
「『薬になる植物』?」
「うん、図書室で借りた本なんだ」
「そういうの、興味あるんだ?」
「これはたまたま借りてきた本だけどね」
神樹館の図書室は一人三冊まで借りられるようになっている。
僕はいつも、好きな小説を一冊、その時に気になった専門書を一冊か二冊借りてくるようにしている。この薬になる植物という本は気になった専門書の方。
「面白いの?」
「うん、割と」
ページを開いて、女郎花の紹介ページを見せる。
三ノ輪さんが正面から、僕の横に移動してくる。
「例えば、ここにある女郎花は秋の七草のひとつで、こんな感じの黄色い花を咲かせるんだって。効能はいろいろあるみたいだけど、熱がある時とか、腹痛の時とか、解毒作用なんていうのもあるんだってさ」
「へー。これ食べたらそうなるってこと?」
「いや、このままだと効果は薄いんじゃないかな? 今はほとんど花が咲いてないから普通の食事に向いてて、花が咲いてから抜いて天日干しで乾燥させるんだってさ」
乾燥させると、生薬“
「なるほどねー。坂上って、いろいろ知ってるね」
「これ全部、ここに書いてあることばっかりだよ」
そう。これは全部、本の受け売りでしかない。
別に僕が賢いわけじゃなくて、本がすごいだけ。僕はそれを読んで知ったかをしているに過ぎない。
「そんなことないって」
「え?」
三ノ輪さんは、僕の言葉を真っ向から否定した。
「少なくとも、アタシはこれを読んでも坂上みたいな説明できない。だから、こういう説明ができる坂上はすごい」
「そう、かな?」
「ああ、自信もっていいって」
三ノ輪さんは、それがさぞ当たり前のように言った。
僕と三ノ輪さんは同じクラスではあるものの、話をしたことはほとんどない。彼女はクラスでも人気者で、運動好きもありあちこちを走り回っているような印象だ。反対に、僕は日頃から図書室や教室の隅で静かに本を読んでいるだけ。
僕達は同じ場所にいるだけのクラスメイトで、友人とはいえない。
「なんて言うか、意外だった」
気が付けば、そんな言葉が口から出ていた。
「三ノ輪さんって、あんまりこういう話が好きじゃないかと思ってた」
「まあ、確かにアタシは勉強得意じゃないし」
三ノ輪さんは肯定しながら、こちらを指さした。
……僕?
「でも、坂上が楽しそうだったから」
「楽しそう?」
「うん。坂上が今の話を楽しそうにするから、アタシも楽しかったよ。本を読んで楽しいのかなって思うこともあったけど、坂上がこうして楽しそうにしてるから、その理由が少しだけ分かった気がする」
三ノ輪さんが、少し僕の方に近づいてきた。
「他には? 他にはどんな本を読んでるの?」
「今あるのは、和歌の本かな」
「……和歌?」
薬になる植物の本をしまって、代わりに『万葉集*2』を取り出した。
「まんばしゅう?」
「
「え!?」
適当にパラパラと本を開いて、適当な和歌を出してみた。
秋の花 種にあれど 色ごとに
見し明らむる 今日の貴さ
大伴家持
「……どういう意味?」
三ノ輪さんが首をかしげる。
その姿が妙におかしくて、僕は思わず笑ってしまいながらページの隅を指さした。
「『秋の花はいろいろ種類があるけれど、それらを一つずつ見て愛でることができる、今日は貴い日だ』って意味らしいよ。別のものについて例えている、とも書いてあるけれど、そのままでも素敵な意味だと思うんだ」
本から目を離し、周囲を伺う。
今は秋ではないけれど、様々な植物が花を咲かせたり、力強く葉を広げている姿を見ることはできる。普段は日常の中で見落としてしまっているものに気持ちを向け、こうして数千年にも渡って残る歌にしているのところが本当に素敵だと思う。
三ノ輪さんは僕につられて視線を外し、周囲の野草を見た。
「確かに、小さい頃は花の冠を作ったりしてたけど、今はそういうの全然だもん」
「勉強や習い事みたいに、いろんなことが増えていくから。きっと、中学生や高校生になったらもっと忙しくなって、今以上に見る機会が減るのかもね」
「アタシはお役目もあるしなぁ……」
「ああ」
そういえば、三ノ輪銀という女の子は、普通とは違う子だった。
彼女は神樹様*3に選ばれた少女だ。
それがどういうことを意味するのか僕には分からないけれど、とても名誉なことだとは聞いている。他にも何人かいるらしいけど、僕はどの人のこともよく知らない。
何をするのか、いつまでするのか、僕には知らないことばかり。でも、それを尋ねることもない。
だって、僕と彼女は友人ですらないから。
「……って、そうだ! 手伝いしなきゃいけないの忘れてた!」
「あ、ごめん、引き止めて」
「いいっていいって。いろいろ聞けて楽しかったし」
読んだ本の知識をついつい披露したくなって喋りすぎたかもしれない。悪い癖だ。用事があるなら、これは想定外の道草を食わせてしまっている。
三ノ輪さんは大丈夫と返事をしたけど、心の中は申し訳なさでいっぱいだった。
帰らないといけないのに、なんとなくどう分かれていいか分からなくて、僕達はお互いに少しだけ黙りこくった。
「あの、さ」
「うん」
沈黙を破ったのは三ノ輪さんだった。彼女の視線は、いつのまにか野草から僕の方に向いていた。
「また、こういう話をしてもらってもいい?」
「こういう話って?」
「その……植物のこととか、和歌のこととか。坂上が読んだ本の話」
「え?」
奇妙な提案をしてくるなと思った。
自分で言うと悲しくなってくるけど、こういう話をされるのが好きな人はあまりいない。お父さんもお母さんも、本の話をしてても「分からない」という感情を滲ませた曖昧な笑みを浮かべるし、クラスの人は話を聞こうともしてくれないだろう。
それくらい三ノ輪さんの提案は不思議だったし、なによりも――
「……いいの?」
「アタシが頼んでるんだから、いいに決まってるって」
――嬉しかった。
今まで誰も聞いてくれなかったのに、彼女だけはそれを聞きたいと言ってくれたから。それだけで僕には十分だった。
「じゃあ、悪いけどもう時間ないから行くから」
「う、うん……」
三ノ輪さんが少し走って行きながら、途中でこちらを振り向いて手を振った。思わず僕も振り返す。
心臓がドキドキと高鳴って、何か変な夢を見ていたんじゃないかという気持ちになってくる。
「…………」
坂上三明、神樹館小学校5年生。
どうやら僕は、自分が思っていたよりもはるかに単純な人間だったみたいだ。
週明け。
結局、僕と三ノ輪さんの関係はよく分からないままであることに気がついた。
友達になろうと言ったわけでもなく、あの時の言葉はその場限りの口約束みたいなものかもしれないことくらいは、人間関係に詳しくない僕ですら理解できていた。
「はい、そろそろ朝礼を始めますよ」
先生の言葉で、読みかけの本に栞を挟んで閉じた。
チラリと斜め前――三ノ輪さんの席――を見るが、そこには誰もいない。彼女は遅刻魔なのだ。
しかし、大幅に遅れることはないので、そろそろ彼女が教室に駆け込んで……
「はーい、セーフ!!」
「……アウトです」
「あいたっ」
先生が滑り込んできた彼女に対して冷静な答えを返した。いつも通りのやりとりにクラスから笑い声が漏れる。
先生が席に着くように指示をすると、彼女は通りがかるみんなに挨拶をしながら席に向かう。
そして、自分の席に着いてランドセルを置くと、くるりと僕の方を向いた。
「坂上、おはよう」
「お、おはよう」
声をかけられるとは思わず、どもったように返事をしてしまった。
周囲も、それまで挨拶もあまりしてこなかった僕と三ノ輪さんの関係の変化に驚きを隠せないでいた。
「ねぇ、銀ちゃん。坂上君とそんなに仲よかったの?」
「仲良くなったんだ、ついこの前ね。な、坂上」
そこでようやく、昨日のやりとりがただの口約束ではないことを理解した。
三ノ輪さんは、本当に僕と友達になろうとしていたんだ。
なら、僕の返事は一つしかなかった。
「そうだね、友達だ」
こうして僕は、三ノ輪銀と友人になった。
銀のことだけ考えて書くわすゆ組メインの日常です。小5から始まります。
作者をご存知の方がいらっしゃるなら、今度は和歌と植物だぞ、とだけ言っておきます。
あらすじの和歌は自作ですが、修辞法を正確に使用していない部分があります。どうしてもやりたかったこと故に許していただければ幸いです。
また、それ以外の和歌の解釈や薬学の知識について間違い等がありましたら、指摘していただけますと助かります。