あしたは   作:山石 悠

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第五歌 ちはやふる

千早振る 神のしるしと 頼むかな

 思ひもかけぬ けふのあふひを

藤原定頼 新後拾遺和歌集


 

 祭囃子と提灯に導かれながら、カランコロンと下駄が不器用な音を鳴らした。

 ズボンとは違って小さな歩幅を余儀なくされ、どうにも歩きにくい。僕の他に浴衣を着ている男性は周りにおらず、なんだか気恥ずかしさみたいなものを感じながら神社へと歩みを進めていた。

 

 今、袖を通しているこの浴衣は、今日お祖父ちゃんの家から届いたものだ。シンプルな紺の浴衣は僕の好みにかちりと嵌っていた。

 結局「せっかく貰ったなら着てる姿を送らないと」と母さんに言いくるめられて、その姿を恥ずかしいぐらい撮られたのが一時間ほど前のこと。

 

「うーん……」

 

 着せられた時のことを思い出して、母さんはいつも強引なんだよなと思わず口をとがらせる。

 

 そもそも、今日は祭りに来る予定なんてなかった。父さんは当直らしく家に帰ってこないし、母さんも仕事が残っている。

 いつもは「子供だけで夜に出るのは良くない」と言うから友達との約束もしていなかったのに、今日になっていきなり「せっかく浴衣があるんだから行ってきなさい。もう五年生だし大丈夫でしょ」とか言ってくるのだ。

 

「ふん」

 

 無理やり行かされたことについては思うところがあるけれど、こうして浴衣を着て夏祭りに足を運ぶこと自体はそんなに嫌ではなかった。浴衣も着慣れなさからくる違和感だけで、普段はしない格好をすること自体は目新しいさもあって楽しい。

 

 慣れない下駄の感触を確認するように歩いていけば、ようやく屋台の立ち並んでいる場所までたどり着いた。オレンジに染まった明かりに照らされて、いつもは人気のない神社も今日ばかりは多くの人が行きかっている。

 往来では僕より小さな子供達が家族と一緒に走り回っているのが見え、ぶつからないよう少し脇に寄った。

 

 縁日の空気は好きだ。

 特別な日というのもそうだけど、不思議な雰囲気があって何が起きても不思議じゃないような感じがする。いつも暮らしている町ではない、まるで知らない場所に迷い込んでしまったかのような感覚が妙に心をくすぐるのだ。

 

 鳥居に持たれかかりながら浴衣の様子を確かめる。ここまでしばらく歩いてきて、ようやく浴衣を着ている感覚に慣れてきたような気がする。

 

「誰かいるかな……」

 

 特に約束をしているわけでもないし会えるとも限らないけれど、誰かに会えたら一緒に回ってみるのもいいかもしれない。

 

 そう考えながら一歩を踏み出すと、神社の外の方から「うわぁ!」と歓声を上げる声が近づいてきた。つられてそちらに視線を向けると、目の前にはこちらへ全力疾走している男の子。

 

「うわっ!?」

「うぎゃっ!」

 

 止まれなかった男の子を正面から受け止めてよろめく。多分いつもなら踏みとどまれる程度の衝撃だったけれど、今日に限っては浴衣に下駄でバランスがとりにくかった。

 結局体勢を整え切れず、男の子を抱えたまま倒れこむ。男の子を抱えたままなので手もつけられず、腰を石畳に打ち付け痺れるような痛みが走った。

 

 じんと滲む痛みをこらえながら、薄目に周囲の様子を確認する。

 

「いてて……」

 

 体勢的には男の子を庇って下敷きになったような状態だった。とりあえず、男の子をゆっくり立たせてから、自分も立ち上がって土を払う。

 

「痛むところはない?」

「う、うん。大丈夫」

 

 パッと見たところ、少し土が付いている程度で怪我をしている様子はない。とりあえず無事だったので一安心。

 そして、少しだけ周囲を見渡してから男の子の方を見る。

 

「えっと……一人?」

「姉ちゃんと一緒に……」

 

 男の子の視線が、来ていた階段の下に向けられる。

 つられてそちらに目を向けると、見覚えのある姿がこちらに向かっていた。

 

「鉄男! 勝手に先にいっちゃダメだって…………坂上?」

「えっと……こんばんは、三ノ輪さん」

 

 僕がいるとは思わなかったのか、三ノ輪さんが困惑した表情で僕と男の子を見ている。

 というか、僕も困惑している。

 

「姉ちゃん知り合い?」

「友達だよ」

 

 二人が簡単に言葉を交わし、そこでようやく男の子が三ノ輪さんの弟だと理解した。

 自己紹介した方がいいのかなと思いつつ、少し屈んで弟さんと視線と目線を合わせる。

 

「初めまして、坂上三明です」

「はじめまして、三ノ輪鉄男です」

 

 さっきの元気のよさとは打って変わって、礼儀正しく頭を下げられる。やはり大赦に連なる名家ということもあり礼儀作法もしっかりしているだろう。

 

「それにしても、どうして坂上が鉄男と一緒に?」

「ちょっと鉢合わせみたいになっちゃって。怪我とかは多分ないんだけど……」

 

 ぶつかったことを微妙にぼかしつつ状況を説明すると、三ノ輪さんが鉄男君の方を見た。

 

「そうなの?」

「……走ってたらぶつかっちゃって」

 

 三ノ輪さんがこちらを見るけど、積極的に肯定することもできず曖昧に微笑むことしかできない。

 

「坂上、本当にごめん。鉄男も謝る!」

「ごめんなさい……」

「大丈夫だよ、気にしないで」

 

 少し着崩れてしまったのを直しながら返事をする。 

 着替える時に母さんから多少は聞いたし、ズレを戻す程度なら特に問題はないだろう。

 

「本当に? 怪我とかしてない?」

「全然。下駄だったからバランス取れなかっただけで、実際はそんなに勢いよくぶつかったわけじゃないから」

 

 見たところ浴衣は砂ぼこりが付いた程度で汚れたわけでもないようだし、僕自身も既に痛みは引いている。少し打ち身になっているかもしれないが、この程度なら気にするほどでもないだろう。

 軽くジャンプしながら大丈夫だとアピールして、僕は「それよりも」と話を変える。

 

「三ノ輪さん、親御さんは?」

「今日は二人だけ」

「お腹に赤ちゃんできたから、父ちゃんが心配してその面倒を見てるんだ」

 

 鉄男君が元気に補足してくれたので、チラリと三ノ輪さんの方に視線を向ける。

 

「そうなの?」

「まぁね。鉄男がいたら落ち着かないからって、お祭りに来たんだ」

 

 僕は一人っ子なので、なんだか不思議な感じがする。

 子供だけという話になっても、一人じゃないというのは羨ましい。

 

「坂上は?」

「うちも似たような感じだよ、仕事が忙しいからって。ただ、せっかくお祖父ちゃんちから浴衣が届いたから、着ていきなさいって言われて……」

「それで浴衣なんだ」

「そういうこと」

 

 どうやら理由はともかく状況は似ているらしい。

 

「せっかくなら、坂上も一緒に回る?」

「いいの?」

「いいよ!」

 

 尋ねると鉄男君も了承してくれた。初めて会った僕でも気兼ねなく受け入れてくれるから、きっといい子なんだと思う。ちょっと元気すぎるところは玉に瑕なのかもしれないけれど。

 

「じゃあ、どこから行こうか?」

「花火までは少し時間あるし、それまでは屋台を回ろうか」

「うん!」

 

 僕としては特に行きたい場所があるわけでもないので、三ノ輪さんや鉄男君の二人に任せることにする。三ノ輪さんの方も鉄男君の方を見ているので、鉄男君の好きなところに行くということでいいのだろう。

 

「三ノ輪さんはよく二人で出かけるの?」

「いや、あんまり。一人の方が多いかも。鉄男には留守番してもらってさ」

 

 やはり身重なお母さん一人だけというのは不安な部分があるということだろう。鉄男君を連れている姿はなんだか慣れている様子で、多分普段から家族のことを気遣っていることはなんとなく想像がついた。

 

 

 

 鉄男君の方針により、僕達は遊ぶような屋台を巡ることになった。

 

「おじちゃん、一回分お願い!」

「あいよ!」

 

 最初に来たのは一番近くにあった金魚すくい。

 

 鉄男君がポイを受け取り、水槽の前にしゃがみ込む。周囲には鉄男君と同じように水槽の中を虎視眈々と見つめている子や、恋人にいいところを見せようと張り切っているお兄さんがいるが、スペースにはまだ空きがあるようだった。

 僕はこういう時、いの一に飛び出しそうな隣の人に目を向けた。

 

「三ノ輪さんはやらないの?」

「うーん、どうしようかなぁ……」

 

 口調こそ迷っていそうだが、手がうずうずと動いているのに気づいた。

 先ほどのこともあって鉄男君を見てないといけない気持ちと、遊びたくてしょうがない気持ちがせめぎ合っているのかもしれない。

 

「ちなみに、坂上はどうするの?」

「僕は別にいいかな」

 

 すくえたところで持って帰れないし、上手くいくようにも思わない。

 楽しそうではあるが、見ているだけで充分だ。

 

「じゃあ、アタシも──」

「──ああっ!!」

 

 三ノ輪さんが何か言おうとしたのを遮るように鉄男君の声が響いた。

 慌てて視線を向けると、そこには破れたポイを持った鉄男君の姿があった。どうやらダメだったらしい。悲しさと悔しさを滲ませたまま、ポイを屋台のおじちゃんに渡して戻ってくる。

 

「……三ノ輪さん」

「何?」

 

 僕は三ノ輪さんに声をかけた。

 

「敵討ちしないとだね」

「……しょうがないなぁ!」

 

 三ノ輪さんは戻ってきた鉄男君の頭を撫でながら、いつもの自信に溢れた表情で「この銀さんに任せなさい!」と笑った。

 

 

 

「坂上もやったらよかったのにー」

 

 金魚すくいは、三ノ輪さんが10匹以上の金魚をすくったところで終了した。

 三ノ輪さんのところも金魚を飼う余裕もないだろうということで、僕達は全部の金魚をリリースして次の屋台を探している。

 

「そうそう。せっかくのお祭りなんだから、兄ちゃんも遊べばいいじゃん」

「僕はいいよ」

 

 三ノ輪さんがあれだけ大量の金魚をすくった後でやるのは、どうにも気後れする部分が大きかった。僕は絶対にあんなに金魚をすくえなかっただろう。

 

「つまんないじゃーん、一緒にやろー?」

 

 鉄男君が僕の袖を引く。

 まだ出会ってそんなに時間も経っていないというのに、気が付けばかなり懐いてもらっている。まあ、これは僕の人徳というよりは鉄男君の性格によるものが大きいのだろうけど。

 

 期待のこもった表情から逃げることができず、僕は曖昧な笑みを浮かべた。

 

「じゃあ、次のは一緒にやろうか」

「うん!!」

 

 根負けして頷けば満面の笑みが返ってくる。渋々といった様子だったにも関わらずこんなに嬉しそうにしてもらえるなら、了承したかいがあったというものだ。

 パッと袖から手が離れ、鉄男君が次の屋台を品定めし始めたところで、三ノ輪さんが静かに僕の方に寄ってきた。

 

「……坂上、無理してない?」

「ううん、全然」

 

 嘘ではない。

 

「なんだか僕にも弟ができたみたいで、ちょっとはしゃぎたい気分なのかも」

 

 寂しいというほどではないが、それでも確かに僕は一人で、ああやって誰かに何かを頼まれたことなんて一度もなかったから。

 こんな夏祭りを過ごせるだなんて、思っても見なかったから。

 

 だから、こんな特別(ハレ)な気持ちになるんだろう。

 

「じゃあ、また一緒に遊ぼう」

「……いいの?」

「もちろん。鉄男もきっと嬉しいだろうし」

 

 その言葉でまた一つ温かい気持ちになる。いつか、こんな普通()が訪れることがあるのかもしれない。

 それはきっと、今の僕には想像できないくらい素敵なことなんだろうと思う。

 

「ねぇ! 次はあれにしよう!」

「ん、どれ?」

 

 鉄男君が指差す先を見ると、今度は射的の屋台がある。

 

「よし、やろうか」

 

 射的なんてほとんどやった記憶なんてないけれど、本当にできるだろうか。

 

「お願いします」

 

 鉄男君と一緒にお金を出してコルクの弾丸をもらう。合計で8発分で、そのうちの一つをコルク銃に詰めた。

 

「えっと……」

「ここ引君だよ」

「へぇ」

 

 鉄男君が持っている銃の横にあるレバーを引いた。それに倣い、手元のレバーを引く。

 少し錆び付いているのか、ギリギリと金属の擦れる音をさせながらレバーが手元まで引かれカチャリと音がした。

 

 おもちゃではあるが、銃の撃ち方というのは前に小説で見かけた記憶がある。軍記モノで主人公が教官や先輩から教わっていた。

 それを思い出しながら、まずは景品の方に目を向けた。

 

「鉄男君はなんか欲しいのある?」

「うーん……あれ!」

 

 指の先にあるのは、おそらく目玉商品なのであろうラジコンだ。

 ラジコンの中では大きくないものの、景品の中ではかなりのサイズ感を誇っている。少なくともコルクの銃で落とすのは難しそうだった。

 

「兄ちゃんは?」

「僕は……」

 

 咄嗟に問いを返されて言葉に詰まる。どれにするか決めきれずに視線を彷徨わせ、そして適当に目についた風船ガムの詰め合わせを指さした。

 

「あんまりやったことないし、簡単そうなあれにするよ」

 

 落とす景品を決めると、銃を構えた。脇を閉めて、先端とレバーの近くにある凹凸で狙いを定める。目をしっかり見開いて、ゆっくりと照準を合わせた。

 上手くできてるかは分からないけど、基本は押さえていると思う。

 

 手がぶれないように深呼吸をして脱力。手の震えは緩やかになるが、今度は心臓の鼓動が加速する。

 

「────っ!」

 

 引き金を引いた感触はなかった。

 気が付いた時にはコルクが銃の先端を飛び出していた。

 

 瞬きをする前に弾丸は景品にぶつかり、揺れた。

 

「いけっ! 落ちろっ!」

「いけーっ!」

 

 鉄男君と三ノ輪さんの声が聞こえた。

 

 二人に視線を向けると、その表情は僕より必死で、ただ落ちることを祈っていた。

 

 だから、一瞬だけ惚けてしまっていた。

 

「あっ」

 

 視線を戻す。

 ふらついていた景品は、ゆっくりと──

 

 

 

「……よかったの?」

「いいんだよ」

 

 三ノ輪さんの問いかけに、笑顔で返事をした。

 

 たとえ僕が何も手に入れられなかったとしても、目の前で風船ガムを膨らませている鉄男君が嬉しそうならそれで充分だった。

 

「坂上って、優しいよね」

「そう?」

 

 三ノ輪さんが言えたことではない。

 

「普通なら、断られると思ってたんだ」

「そうなの?」

「やっぱり居心地悪いでしょ?」

「それはまあ、確かにそうかもしれないね」

 

 鉄男君がいい子でなければ確かにそうだったと思う。

 そこはやはり、人と人の相性の話で、彼はやはり三ノ輪さんの弟だった。

 

「そういえば、時間は大丈夫?」

「時間? 何の?」

「え、だって花火──」

 

 僕がそれを指摘する前に、縁日沿いにある木々や建物の向こうの空が色づいた。

 ほらね、と苦笑すると鉄男君が僕と三ノ輪さんの手を引いていた。

 

「二人とも! 花火始まっちゃったよ!」

「本当だね、急ごうか!」

「走るぞ!」

「え、危ないって」

「大丈夫、今度は一緒だもん!」

 

 三ノ輪さんが手を伸ばす。

 それの手を鉄男君がとって、さらに鉄男君が僕に手を伸ばした。

 

「今度はぶつからないよ」

「……ふふっ、そっか」

 

 自信に満ちた姉弟の顔に負け、その手を取る。

 

「走ろうか」

 

 一度だけ頷いて、僕達は色づく夜空に向かって走り出した。




今回は和歌も注釈もない、純粋な夏祭りを楽しむ子供達の話です。一年後のエピソードを書くのが楽しみな話でもあります。
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