Fate/immature children 作:waritom
テオ・ロットフェルトの夢は、いつだって現実の残酷さを際立たせた。
母と妹と暖かい食卓を囲む夢。目覚めれば、生まれ故郷ですらないスイスの地で、血が繋がっていることのみが繋がりの人間達とテーブルを囲んだ。
妹と、ハンナと街へ出る夢。目覚めれば、陰鬱で満たされた魔術工房で生死を彷徨うような修練の日々が始まった。
すべてを捨て、独り異国を歩く夢。目覚めれば、ロンドンの鈍色の空と荒廃したような安宿がテオを迎えた。
いつだってテオは無力だった。望むものは儚く、ともすれば努力すら要せずに手に入れられるかもしれないもの。しかし、テオの周囲は否応なく全てを奪った。
夢は、いつでもその事実を突きつけてくる。
しかし、今日の夢は趣が異なる。
テオが船の上に立っている。見覚えのある朱い帆の船。多くの男達が乗り込み、テオに気概を示すように声を掛ける。誰もが精悍で、戦いに赴く戦士の顔をしていた。
戦いが始まる。海上で見つけた敵船に乗り込み、敵兵を斬り捨てる。テオは先駆けだった。誰よりも先に船首から敵船に飛び乗り、誰よりも果敢に戦った。
胸に宿っていたのは悲愴な決意。テオには故郷を同じくしているはずの敵兵が憎らしく、たまらなかったのだ。
……生かしてはおけない。
共に戦う戦士たちは、テオを囃す。それでも悲しみは拭い切れない。憎悪が消え去らない。そして、感情のままを殺し尽くし、運良く残った敵兵を母国に返す。
王に伝えろ、ジャンヌ・ド・ベルヴィルが会いに行く。
それを繰り返し、繰り返し、繰り返した。飽くほど繰り返し、それでも感情が身体を突き動かす。十年以上の月日が経っていた。既に、憎悪の対象たるフランス王は死んでいた。それでも続けた。
唐突に、終わりを迎えた。
賜りし朱い帆の船は沈み、数多居たはずの戦士たちも死んだ。しかしジャンヌは生きていた。息子と共に、簡素な小舟で漂流している。
もう幾日も海の上。消耗は激しく、息子達も長くはない。特に消耗が激しいギヨームがジャンヌの手を取り、何かを言う。
末期の言葉。息子は、ジャンヌを置いて先に死のうとしていた。
朦朧とする意識でジャンヌは彼の言葉を聞き取ろうとする。耳をギヨームの唇に寄せ、言葉の一つでさえ聞き落とさないように。しかし、彼の言葉は聞こえない。ギヨームが声にする前に力尽きたのかも知れない。ジャンヌの体力が限界を迎えたのかも知れない。
ジャンヌは五日間に及ぶ漂流の果てに、その生命を繋いだ。ギヨームは既に事切れていた。
此処に居たり、ジャンヌを蝕む悲しみと憎悪は消え去っていた。剣を取る気概も消え、いくら戦士が持て囃そうと聞く耳を持たなかった。
その心を占めるのは後悔。ギヨームの朧気な視線と、何かを伝えようと動く唇。決して誰も知りうることのないその言葉を、聞き取れなかった後悔だった。
「やっと起きたか。寝過ぎじゃねえのか」
安宿で目覚めると、ライダーが不機嫌そうにテオを覗き込んでいた。既に当世風の服に着替えており、いかにも手持ち無沙汰と言った風情だ。
……今の夢は一体。
思案して、テオは思い至る。あの夢に出ていたのは間違いなくライダーだ。船体を黒く塗られ、朱い帆を掲げた船。伝説とまで言われた勇猛ぶり。そして、子どもを失うことで幕を引く戦いの日々。
テオはライダーへ魔力を供給するためにパスを繋いでいる。パスは精神をつなぐことと等しい。そのため、相手の経験したことが夢としてテオに流れ込んだのだろう。
……それにしても、悲しい夢だ。
テオは予めライダーの史実を可能な限り調べている。先の夢はその史実をなぞるように展開し、彼女の戦いの終焉とともに目覚めた。
史実に無い点は一つ。ライダーの、ジャンヌ・ド・ベルヴィルの胸中だ。
目の前でテオに着替えを急かす女性のものとは思えない、深い悲しみと憎悪。その果に狂ったともいえる勇猛ぶり。
……なによりも、最後の光景。ライダーはギヨームの言葉を聞き取れなかった。
「なあ、ライダー」
思わずテオはライダーに声を掛ける。何か言わなくては。そう思ったのだ。しかし、言葉が出てこない。ライダーは既に死した身。励ましも意味はなさない。
「なんだよ。泣きそうな顔しやがって。人のことを呼んでおいて、無言ってことはないだろ」
何も言えないテオをライダーは苛立たしげに詰る。そして、何かに気が付いたようにはっとすると、片手で顔を覆い隠した。
「お前さ、まさか」
パスが繋がっていることは、ライダーも当然知っている。だから、目敏い彼女は自分のことをテオが夢に見たことに感づいたのだ。
「す、すまない。見た」
テオはそこに至り、ようやく言葉を形にする。ライダーは照れるような、呆れるような様子で大きく溜め息を吐いた。
「……恥ずかしいもんだ。アタシの人生ってのはひどい感情で塗りたくられるばかりでさ。そこに突き動かされるように何でもやったさ。血なまぐさい絵ばっかりだったろ」
ライダーがベッドの端に座る。重みでスプリングがテオの身体を揺らした。夢の中の黒と朱の船を思い出す。
「いや、そんなことはない」
テオには、そんな光景など気にもとめなかった。むしろ、気にかかるのは彼女の心象。ひどい感情と言うには、あまりにも深く底の見えない思いが印象に残っている。
「ライダー。お前は聖杯に、何を望むんだ」
テオとライダーは召喚時に約束をしている。テオの望みである妹ハンナを救うこと。そしてその後に聖杯を奪取する。しかし、その先にある聖杯に望む願いというのは聞いていなかった。
「気になるか?テオに迷惑はかからん願いだ」
テオも、何となく察しは付いている。その上で聞いたのは、夢に見たジャンヌと目の前のライダーの印象があまりにもかけ離れているためだ。
「わかったよ。マスターとしての問だ。答えよう。……アタシはこう見えても結構な歳でね。子どもも居た。血の気の多いやんちゃな息子は私の船に載せて、いっしょにフランス狩りをしてた。私に似て、なかなか筋が良かったよ。
だがね、私のミスで死んじまった。それも、長く苦しむ形でね。そこで思ったんだ。アタシは、自分の生き方に子供達を巻き込んじまったんじゃないかって」
ライダーの息子。ギヨーム。漂流の果てに絶命した。その光景をテオは知っている。
「だからよ。死んだ息子の言葉を知りたいんだ。あいつ、死に際に何か言いたそうにしてたからな。思わず聞き逃しちまったけど、拾ってやらないと可哀想だろ?」
ライダーはそういって寂しそうに笑みを作る。
「アタシの願いってのはこれだけ。誰にも迷惑を掛けない、小さな願いだ。だけど、死者の声ってのは聖杯でも使わない限り聞く方法はない。……譲るつもりはないさ」
万能の願望機を前に、母国からあらゆるものを奪った女海賊はあまりにも切ない願いを宿していた。テオにはライダーの願いを笑うことはできない。テオもまた、願望機を望まずに肉親の無事を望んでいるだけなのだから。
「……まったく、野暮ったい話しさせやがって。二度とこの話題を振るな。……あと、腹が立ったから飯と酒を買ってこい」
ライダーがテオから顔を背けて言った。彼女の深部に踏み入ったことを後ろめたく思ったので、テオは外に出る準備をする。
「酒は要らないだろ?」
「なんて吝嗇なマスターだ!傷ついた女を癒やすのに酒の一滴も渋るだなんて!」
ライダーが大仰に言う。
「そうじゃない。明日にはゲルトともに攻撃を仕掛けるんだ。飯はともかく、酒なんて飲んでる場合か」
「逆だ馬鹿。明日に大きな決戦を控える。だからこそ、最後のこの日に大いに酒を飲むんだ。そして、大いに語り、大いに笑うのさ。明日死んでも良いようにな。……これが、アタシの周りにいた男たちの美学だった。アイツラに囲まれていたから、アタシは十三年間なんて馬鹿みたいに長い月日、感情に押し潰されずに戦えたんだ」
夢の中、ライダーの周りにいた男達。戦士の精悍さと海賊の粗暴さが入り交じった彼ら。彼らに支えられていたから、ライダーは内面とは異なる、竹を割ったようなさっぱりとした性格になったのか。
「まあ、戦い初めのアタシはもっとこう、どろっとしてたがな。根暗じみているというか。……アタシがそれなりにさっぱりした状態で召喚されたのは、マスター、アンタがそうさせたのさ」
そう言って、ライダーがテオを指差す。そして、ハンガーラックにかけてある薄汚れたコートをテオに投げ渡した。
「アンタが妹を望むのではなく、この状況を作った親父を憎んでいたら、アタシは復讐者の側面が強く出て召喚されていただろう。もしかしたら、バーサーカーだったかもしれないな。今のアタシは海の男に混じって戦いに興じ、フランスの船をぶっ潰すことだけ考えていた頃のアタシだ。多分、血みどろの人生の中で今のアタシが一番折り合いが付いている」
そう言って、ライダーが自分のコートを羽織る。当たり前のように、彼女も付いてきてくれるようだ。同調するようにテオはコートを羽織り、宿から出た。ルスハイムの暖かい陽がテオとライダーを迎える。
「じゃあ、とりあえず酒屋だな。この時代のビールはうまい。買えるだけ買ってこようぜ」
苦笑いと共に、テオは頷く。ライダーの笑みが眩しかった。
今日の夢は、あながち悪い夢とは言い難いな、そんな馬鹿馬鹿しいことを考えていた。