Fate/immature children 作:waritom
カヤ・クーナウが自身の工房である廃墟に戻ると、既に環が帰っていた。この工房で唯一まともだと言えるソファに座っている。彼女のサーヴァントたるアーチャーは見当たらない。
「カヤさん。お帰りなさい」
何事もないように環はカヤを迎えるが、その雰囲気はどことなく沈んでいるように見えた。カヤはただいま、と奇妙な感覚を得ながらも返答する。
……こんな小屋で出迎えられるなんて思わなかったわ。
「それで、プラウレン湖までの道はどう?使えそうだった?」
カヤが環に依頼していたこと。それは環が聖杯戦争序盤に通ったとするルスハイム郊外からプラウレン湖に続く道がまだ入れるかどうか確かめることだ。
「時間がかかりましたけど、見つかりました。奥まで行っていないので分かりませんが多分大丈夫」
環はそう言って微笑む。それに微笑を返しながら、アサシンに念話で確認をとる。
(この子、本当のことを言ってる?)
(嘘はついていない。確かに名刺が示す道を探し当てていた。ふむ)
アサシンは宝具『
「それは良かった。明日はきっときつい戦いになる。山を越えるのは御免こうむりたかった」
カヤは本心から安堵を口にするが、環ははい、と小さく返すだけだ。何かあったのか、と疑問を口にしようとして、アサシンが念話で答えを言う。
(どうも、ミス宮葉は軽率な行動を恥じているようだ)
(どういうこと?)
(彼女の脇の荷物を見給え)
アサシンの言に従い、環の座るソファの足元を覗く。テーブルの下に、カヤが置いた覚えのない布の鞄があった。環があ、などと焦った声を出すが、構わずテーブルの上に置く。中を開くと思わずカヤは笑ってしまった。
「あの、えっとごめんなさい。私、昔から嫌なこととかあると、これに頼っちゃって」
中身はカヤにも馴染み深いものだ。むしろ、環の見た目でよく買えたと思う。瓶のに詰められた黄金色の液体。ビールだ。
「いいわよ、いいわよ。よく考えればこうやって互いを知るってことも必要だったのかもね」
「そんなわけないだろ」
カヤの笑い声に応じて、アーチャーが実体化する。柔らかい印象を与える彼だが、いまは怒り心頭という様子だ。
(ふむ。んん。どうやら我々が来る直前まで二人は喧嘩をしていたようだな。主にこの麦酒を巡って)
「カヤ。自分で言っていたじゃないか。明日は戦いの日。その前にこんな量の酒を飲むだなんて信じられない。万全で臨むべきだ」
「カヤさんに当たらないでください。先から言ってるじゃないですか。買っちゃっただけです。今日はもう飲みませんって」
今日はもう、という環の言葉にカヤは疑問を覚える。テーブルの上のビール瓶をいくつか改めると、一つ既に空になっている瓶があった。
「あら、もう飲んでるの」
「そうなんだよ、カヤ。信じられるかい?ただでさえ未熟で間に合わせのマスターであるのに、その上に酩酊状態にまで陥ろうというのさ。我がマスターは勝利を捨てたよ」
「まあ、落ち着き給え。んん。アーチャー、見たところミス宮葉はさほど酔ってはいないようだ」
アーチャーのあまりの喚き様に、思わずアサシンが口をはさむ。
……まあ、お酒くらい目くじらを立てることないわ。
アーチャーの言う通り、明日に差し障りがあると話にならない。しかし、カヤも環も明日には生死を掛けた戦いに臨むのだ。この程度の我儘を許さずに、わだかまりを残したくはない。
改めて隣に座る環を見ると、先程言い返していた元気もなくなり、落ち込んでいる。
「ダメですよね。私。つらくなるとすぐ他のことに逃げるんです。稼業もだめだし、仕事もうまくいかないし。……今だって本当は明日のことを考えなきゃいけないのに、ついこんなのに逃げちゃう」
そう言って環はビール瓶を指で突いた。かん、という小さい音がする。明日のプレッシャーのために神経過敏になっているのだと思った。
(アサシン。丁度いいから環の本音ってやつを聞いてみるわ)
(ほう。どうするのかね)
(簡単よ。……適当に止めてね)
訝しむアサシンを尻目に、カヤはテーブルのビール瓶を一つ取る。中身の入っているそれだ。鞄の奥にある栓抜きで栓を開けると、躊躇わずに口を付ける。
「カヤ!何を」
「カヤさん?」
アーチャー主従が驚愕を示す。口の中にはほのかな炭酸の刺激で満ちる。そして後を追うようにオレンジの様な果実の苦味が訪れた。瓶の半量ほどを飲み下す。久しぶりのアルコールの刺激に、思わず溜め息が漏れる。
聖杯戦争の本格的な準備を始めてから、アルコール類は一切取らなくなった。嫌いというわけではない。むしろこの複雑な味わいはカヤの好むところだ。
「久しぶりに飲んだけど、やっぱりいいわね。ビールって。チーズとかないの?」
カヤの様子を環が未だに驚くように見ている。怒るとでも思ったのだろうか。まさか、明日の緊張に、何かに縋りたいのはカヤも同じだ。何もなければ、自己暗示の魔術で早々と眠っていただろう。
そしてカヤは立ち尽くすサーヴァントに対して戦闘時と変わらぬ口調で言った。
「アサシン、アーチャー。使い魔らしく、つまみでも買ってきて」
カヤの狙いとしては、依然アサシンから頼まれたように環が既に何者かに操られている可能性がないか確かめることがあった。しかし、既に環の行動はアサシンによって一定期間監視しており、独りになった時間でも怪しい点は見られなかった。むしろ、環の行動を肯定して少しでも緊張を和らげたかったという思いが強い。
アサシン達が憎まれ口を叩きながら帰り、ビール瓶を開けてからはや一時間程。渋面を作っていたアーチャーでさえ、その場の空気に飲まれ酒を口にしていた。
『僕は飲まないと言っているだろう。何度も言わせるなよ』
『如何に環の言うことでもな。護衛失格だ』
『飲めないわけではない。飲まないのだ』
『カヤ!何故僕の前に盃を置く?』
『アサシン!何故注ぐ?』
目の前の盃を乾かさないなんて、なんて失礼なサーヴァントでしょう、という環の小さい声が最後のひと押しとなり、結局アーチャーは口をつけることになった。
その場は二つの島に分かれていた。自己嫌悪に陥ったアーチャーをアサシンが慰めすかし、不安に苛む環の口をカヤが穏やかに聞いていた。
「なんだって、私ばっかりがこんな目に。家を出てからも、ちゃんと仕事ができたことがない」
既にカヤは環の口から、彼女のこれまでの略歴のようなものを聞いている。
才能がなく、家業を継げなかったこと。
世継ぎを産む母体としてしか期待されなくなったこと。
勢いて飛び出して、魔術師の工房や遺跡から価値有る品を拝借する稼業に手を染めつつあること。
「もう、全然うまくいかないんです」
そして、それさえもうまく行かず、聖杯戦争に巻き込まれていること。
「きっと無事に帰れるわ。そのために、私達は手を組んだんじゃない」
「感謝しています。でも、それだけではダメなんです。私は、私が独りでも生きていけることを証明しないと」
カヤには環の置かれている状況がよくわかった。自分と似ている、いや近しい。カヤも魔術師であり割合一般的な感性の両親に育てられた。しかし、それは運が良かっただけだ。もし、カールの身に何かがあったら、カヤが次のクーナウの当主としての責を負うのだ。魔術の才能が見合わなければ、カヤとて次代の当主を産むことを期待される。
……要は、カール兄さんがいたから気楽な立場ってことよね。
だからこそ、他人事でない。弱さを吐露するこの少女はカヤにとってはあり得る未来のひとつなのだ。
「魔術師の家なんて、いいことないわよね」
ぽつりと、溢すように言う。そしてその言葉に自分が驚いていた。ただ励ますために、環の欲する言葉を選んだだけ。決して、本心ではない。カヤはクーナウの家に生まれたことに後悔はない。クーナウの家を続かせるため、この戦争に参加することになんの不満もない。
……絶対に、ない。
それなのに、何故自分からこんな言葉が溢れるのか。
環が、ええ、と答えた。カヤは唐突に頭を冷やしたくなった。
「ちょっと、外に出てくるわ」
「ここも外みたいなものじゃないですか」
「確かにそうだけど、気分の問題よ」
「戻ってきてくださいね」
「ええ、もちろん」
そして、工房を出る。既にルスハイムは闇に覆われており、見上げると月明かりが工房を照らしていた。月が大きく見える。山の清涼な空気が、火照る身体を静かに冷ましていく。思考が鮮明になっていくのを感じる。
……環があまりにも、ありのままだから。
環のような自分の心をあるがままに見せる魔術師は基本的に少ない。どこにいっても、如何に自分の得するか、優位な情報を引き出せるか、策謀している。魔術師の本拠地たるロンドンの時計塔は更に過激に謀略戦が繰り広げられているらしい。
皆が、自分の家や勢力を伸ばすのに躍起だ。その家に背を向けるなんて、今まで考えたこともなかった。もし、自分が父と母に子を産むためだけの存在だと宣言されたら、と考える。
……受け入れちゃうだろうな。
それが、クーナウの家のためなら。そのあり方が例え普通でなくても、カヤは飲み込む。それが魔術師の子の当たり前のあり方だからだ。
そういえば、環と同様に家に背を向けた人物がいた。テオ・ロットフェルト。彼は何故ロットフェルト家を出たのだろうか。ライダーとの戦闘を見ていると、魔術の才が乏しいようには見えない。環のように家から落伍者として扱われることもなかったろう。
……魔術の才を持ちながら、自分の家に恨みを持つ。
ゲルトと組むと分かっていなければ、カヤたちもテオと協力関係になりたいと考えていた。それはあくまで敵対する可能性が低いためであり、カヤの内心におけるテオの評価は良くない。才がありながら家の宿命に背を向け、あまつさえ牙を剥こうとする。
……一度、会って話がしてみたい。どんな考えをしているのか。
そんな思いを巡らせていると、次第に身体が冷えてきた。少しの間だけ外に出るつもりだったのでコートを忘れていたのだ。
環が待つ工房に戻ろうと身を翻す。そこにはアーチャーがいた。
「驚いた。居たのなら声を掛けてよ」
「すまない。環に気づかれたくなくて」
先程まで口うるさくしていた雰囲気は消え去り、そこには英霊としての真剣な眼差しの弓兵が居た。
「折り入って相談がある。環をこの戦争から離脱させたい」
戦争の離脱。アーチャーの言葉は酔いの覚めたばかりの頭には理解が難しい。
「どういうつもり?この場に及んで抜けられるとでも思っているの?」
「戦いを拒否するつもりはない。ただ、カヤ、君も分かっているだろう。環はこの戦いに向いた人間ではない。彼女の令呪を剥奪してこの戦争と関係を断ち切ってもらえないだろうか」
徐々に、この弓兵の言いたいことが分かってきた。しかし、根本的な疑問が尽きない。
「つまりアーチャー。貴方がマスターなしで戦うということ?サーヴァントとマスターの関係を分かっている?」
「理解しているとも。アーチャークラスには単独行動というスキルがある。これはマスターからの魔力供給無しで行動を可能にする。僕のランクなら二、三日は行動可能だ。戦闘には多少影響が出るけど」
……そのスキルは知らなかったな。
どの程度戦闘に影響があるのかはわからないが、カヤも環を戦闘に巻き込むのは気が引ける。環が全ての令呪をアーチャーのバックアップに使い、教会に保護されるのはどうか。アーチャーはその後消滅するだろうが、約束を反故にすることなく環の身を守ることができる。
そこで疑問が生じる。アーチャーの提案を飲んだ場合に生じる不可解な点。
「アーチャー、聖杯に用はないの?」
カヤの疑問に、アーチャーの顔が歪む。
「叶えたい願いは……ある。しかし、ここで環が無為に死なせてまで叶えたいわけではない。環とも、彼女の欲するものを勝ち取ってから、聖杯を狙いに行くと約束している」
苦渋に満ちた声でアーチャーが言う。つまり、彼は自分の願いを諦めてまで、環を救おうというのだ。
「忠臣ね。でも、当の本人はどうなのかしら?」
そしてカヤは背後、工房の方を見る。そこには環が立っている。その表情は怒りだ。
「アーチャー。何を勝手なことを」
「環。聞いてくれ。君がこの戦争で生命を掛ける必要はない。僕が必ずキャスターを」
「アーチャー!」
環の怒鳴り声が、アーチャーの弁解をかき消す。
「私は、ここで何も得ずには帰れない。そう言いましたよね。これが最後だと自分で決めました。例えキャスターを討伐できたとしても、その後がうまく行かなかったら、私は我儘を止めて宮葉の家に帰ります。例え、どれだけ屈辱的な立場に甘んじても」
アーチャーが押し黙る。カヤは環の事情を知るため、その思いが痛いほどわかった。
……自分の心臓を他人に握られて、どうしようもないとわかったとき。
無力で、ルスハイムに来るのは屈辱的な思いもした。環は今、その分水嶺に立っている。
「これで最後です。最後にします。だから、私の思うままにやらせてください」
カヤは見た。環の目には大粒の涙が浮かんでいることに。彼女の覚悟は本心で、目を逸したくなるほど悲痛だった。
環の思いをを感じ取ったのは、カヤだけではなかった。
「環。すまなかった。……僕は君の意思を軽んじていた」
「アーチャー。貴方は私の敵を討つために在ります。絶対に、忘れないでください」
環は謝ることもなく、アーチャーに言い切る。
「んん。ところでなのだが、ミス宮葉はそこまでして何を臨むのかね」
いつの間にかカヤの後ろに控えていたアサシンが、空気を読まずに言う。
「今、関係ないでしょ。それ」
「いいや。彼女の覚悟に私も心を打たれた。我々の利益に反しない限り、情報を提供しようではないか。んん」
アサシンの腹には打算があるのだろうが、それでもカヤはこの黒い男に関心した。
「私の目的は二つ。一つはキャスターを討つことです。私は今、キャスターの呪いに侵されています。進行はしていませんが、キャスターがいる限り死の危険がつきまといます」
アサシンの声に応えるように、環が凛と言う。そこには怯える少女は居なかった。
「それで?もう一つは?」
アサシンが急かす。きっと彼はこの情報は知っていたんだろう。
「ロットフェルト家当主が持つ聖遺物を奪います。これが私の最終目的。失敗すれば最後と決めた調達屋の仕事です」
そして、環が言う。彼女の狙っている聖遺物を。
「アーサー王伝説に謳われる騎士達が囲んだとされる円卓。伝説の円卓の欠片がロットフェルト家に存在します。それを私は奪います」