Fate/immature children   作:waritom

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第三章
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 チューリッヒから二時間ほど車を走らせたところに位置する都市ルスハイム。その郊外に広がる山間には世人の知らぬ湖がある。プラウレン湖。手付かずの自然に囲まれ、その湖はあるがままの美しさを保っている。湖面に映る景色は山々の色合いを儚く映し、幻想的な風景を与えるが、それを知るものは少ない。

 冬の朝日が湖を照らす頃。山々を作り上げる木々は葉を落とし、湖畔は乾いた寂しさで満ちていた。そこに点在する数少ない人工物がある。人が住まうための家々だ。大小あれど、美しき湖畔の神秘を壊さぬように建てられている。

 そのうちの一つ。寝起きしている小屋に無造作に捨て置かれたボートに乗り、女は湖を渡ろうとしている。美しく伸びた長い髪は、手入れを怠っているためか痛みが見て取れる。着飾れば相応に気品漂うであろうその相貌も、今は貼り付けられたような笑みがあるだけだ。常人であれば近づくことを躊躇われる様子だ。

 しかし、ハンナ・ロットフェルトは自己に関心を持たない。ただ今は朝霧の先にある我が家を目指す。ハンナにはボートの運転技術などは持っていないが、水流を操る魔術を修めている。その魔術でもってボートを目的地まで運んでいるのだ。この程度ができねば一人で家に帰れぬのだから当然である。

 十分程、漂うような速度で進み、屋敷の船着き場に着く。軽い足取りでボートから岸に降り立つと、その拍子にボートが船着き場から離れて流されていった。だが、ハンナは気にすることはない。

 焦点が合わぬ、虚ろな目が屋敷を捉える。この船着き場はロットフェルト家に赴くためだけの施設だ。そのため、予期せぬ来訪者があれば直ぐに家人に知れる。今もそうであった。

「何用でございましょうか。ハンナ様」

 かくしゃくとした調子で出迎えたのは使用人であるクリストフだ。まだ朝日が出て間もない時間であるというのに、ハンナの来訪を驚く素振りすらない。

 彼女は正当なこの家の住人である。来訪の是非を問われる立場にはない。家人が屋敷に帰るのは当然のこと。しかし、生涯に一度あるかないかというほどの異常事態が、この家を襲っている。

 聖杯戦争。万能の願望機たる聖杯を賭けて、七人の魔術師が殺し合う血に濡れた儀式。このロットフェルト家の住人達はその儀式の渦中にある。そのため、如何に血の繋がった家族であろうと屋敷の門を越えることは禁じられていた。

「ただいま帰ったわ」

 その事実を知った上で、ハンナ・ロットフェルトは当然といった口ぶりで帰郷を口にした。当たり前の様にクリストフの横を通り過ぎ、門を通り抜けようとする。

「当主の言いつけをお忘れですか」

 クリストフが振り返り詰問するような口調で言う。ハンナは門の前、後一歩のところでで立ち止まり、クリストフを見た。

「あなたこそ、何を言っているの?」

 ハンナは本心から言った。聖杯戦争で踏み入れることならず。だが、そんなことはどうでも良いくらいの事態が起こっているではないか。

「既に、聖杯戦争は終わっているじゃない」

 クリストフが眉をひそめる。ハンナの言葉が理解できていないということが、ありありと伝わった。ハンナは呆れた様子を隠すことなく嘆息する。

「テオが、テオが帰ってきたのよ。ロットフェルト家の当主としてこの屋敷に連れてこられた我が兄が、長き巡歴を終えてこの地に帰ってきたのよ。……もはや聖杯戦争の意味はないわ。お父様がテオの代わりを生み出すために起こしたこの戦争も、テオが帰還すれば不要でしょう」

 ハンナはテオの戦う様子を既に見ている。相手が誰であるのかは知らないが、剣士のようなサーヴァントがあっけなく轢き潰された。当主に相応しい戦い様に狂喜し、直ぐにバーサーカーを迎えにやったが、待てどもテオは現れなかった。一時は落胆したものの、テオにはテオの事情があるのだろうと思い直し、必ず会えるであろう場所で待つことにしたのだ。

 それが彼の帰る場所である、ここ、ロットフェルト城だ。

 ハンナはそれで終わりと、クリストフの様子を見ることもなく門を超えた。その刹那、ハンナの目の前に一羽の烏が降り立った。銀の瞳を持っている。ハンナはこの烏の正体を知っていた。ロットフェルト家の当主のみに使うことを許された銀の瞳の使い魔。

「あら、お父様」

「戻れ。狂った我が娘。例えテオが戻ってこようとも、聖杯戦争は継続する」

 烏がハンナの言葉に応じた。無論、この烏がハンナの父たるクサーヴァー・ロットフェルトではない。銀の瞳の烏はクサーヴァーの使い魔だ。この烏越しにハンナは父と会話をしている。

「そう。まだ続けるの。でも、テオが帰ってきたから、彼の部屋を掃除したいわ。とても疲れているだろうから。それに、きっと直ぐにテオは全てのマスターを排除して此処に来るだろうから」

 ハンナは烏に滔々と告げる。烏の向こうにいる父の顔色は見えないが、きっと納得しているだろう。

「ハンナ。お前もマスターであろう」

「そうね。そうよ」

「この戦いから降りる、ということか」

「ええ。誰との戦いも望まないわ。でも、テオのサーヴァントはいけない。あの女だけは良くない。あの女だけは殺しておかないと」

 そしてハンナはその場にしゃがみ込み、自分を見上げる烏を手に取った。

「テオは必ず此処に来る。何時かは知らない。でも全ての兄妹を殺して、此処に来るわ。そのとき、あの女を殺して、私は戦いを放棄する。だから、私はここでテオを待つの」

 ハンナの手が烏の首元にかかる。嘴から何かが呟かれているが、ハンナには聞こえない。銀の瞳をただ見つめ返す。喘ぐ様が滑稽だと思った。

「ねえ?だからいいでしょう?ちょっとだけ部屋の掃除をして、テオを待つだけ。もしかしたら、女を殺すときに汚すことになるかもしれないけど、直ぐに片付けるから」

 手に込める力が増す。生き物の苦悶の声が朝霧で満ちる港に響く。そして、一際甲高い声がすると、ハンナは力を抜き去る。その必要がなくなったからだ。

「ありがとう。お父様」

 留める者が居なくなった道を、ハンナは意気揚々と歩き出す。装飾に満ちた扉に手をかけたとき、思い出したようにクリストフに声をかけた。

「これ、捨てておいて」

 手に持った銀の瞳の烏を投げ渡す。空き缶を投げ捨てるような、そんな気楽さで。

「お腹を減らしているかもしれないわ。ご飯も用意したほうがいいかしら。ああ、早く帰って来て欲しいわ、テオ」

 

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