Fate/immature children 作:waritom
テオ・ロットフェルトはルスハイムの郊外にある森にいた。薄汚れたコートを身に纏っているが、スイスの冬には些か薄着だろう。その風体は良く言えば生活難を超えて精進する苦学生で、悪く言えば住む宛の失った若い浮浪者だ。しかし、その相貌は決意に満ちている。淡い青の瞳は森の先、まだ見えぬ何かを見つめている。その様は苦難に喘ぐようにも、行く宛を失っているようにも見えない。薄汚れた身なりと、それを裏切るように炯々とたる眼光。そして、もう一つ彼を異色めいている要因がある。
テオの傍らに立つ、長身の女だ。男と同等の背丈だが、彼女の背がより高く見える。そう思わせるのは、彼女のあまりにも堂々とした立ち姿故。見る者を捉えて離さない美貌と、いたずらにそれを誇示しない気品。相反する特徴が調和した様はこの世ならざる高貴さを見る者に抱かせる。当世風の簡素な衣装を着ているが、それを気にかけさせない魅力が彼女にはあった。
仮に彼らを主従と考えるならば、男は女に従う者だと思われるだろう。事実は違う。痩せぎすの男が主であり、堂々たる女がそれに従うサーヴァントである。
「飲み過ぎちゃあいないかい?テオ」
「当然さ、ライダー」
ライダーと呼ばれた女の砕けた言葉に、テオは短く返す。テオを包む緊張が、長い言葉を選ばせなかった。
時は既に夜半を迎えようとしている。冬のヨーロッパの日の入りは早く、四時ごろには日が傾き始める。この日も例外ではない。勤め人もまだ帰らぬ程の時刻であるが、夕暮れの様相を呈していた。間もなく、日は落ちて夜が訪れる。
テオの緊張には明確な理由がある。今日が決戦の刻。ロットフェルト家に捕らわれている妹、ハンナ・ロットフェルトを助け出すときなのだ。目の前に広がる森を真っ直ぐ抜けると、直ぐに目的に繋がる長い一本道に出る。本来であれば、許された者のみが立ち入ることが叶う道。そこに至るための通行手形は、昨夜に用意されていた。それは協力関係にあるマスター、ゲルトによって届けられた。そして今は、テオの手に握りしめられている。
「今更だけど、その通行手形って奴は信用できるのかよ」
ライダーが訝しむように言った。彼女の持つ力を使えば、この程度の結界は難なく突破できる。テオは目立つ行動を避けるために、このような抜け道を頼った。ライダーには面白くないのだろう。
「俺は曲がりなりにも元ロットフェルト家の人間だ。流石に自分の家の礼装の真贋はわかるよ」
テオの手元の通行手形は名刺ほどの大きさの厚紙だ。そこには本来はロットフェルト家の窓口を務めるクリストフの名前が記されているはずだ。しかし今は文字が収束して矢印を成している。示す先は森の奥だ。
ゲルトとの約束は夜。彼の性格であれば、きっと日が落ちてすぐに行動するだろう。時間にしても何にしても、余分を好まないのは知っている。
「まだ、時間はあるな」
主従は並び、森を見ている。周囲には幾つか民家がある程度で、立ち尽くす彼らを不審に思う者もいない。
「ライダー、前から聞きたかったんだけどさ」
テオが沈黙を破るように唐突に、ライダーに声を掛けた。
「なんで、お前は俺にそんなに優しいんだ?」
ただ、沈黙を破るためだけの意味のない問いではなかった。これはずっとテオの胸の内にあった疑問。明らかにしたくとも、何故だか問うのは憚られた。
「唐突だな。いきなりどうした」
「いいだろう?これでも、緊張しているんだ」
テオはわざとどうでもいい風を装った。緊張しているのも本当だった。ライダーがテオの様子を見て、快活に笑う。
「情けないマスターだ。武者震いを恥じることはない。……何、形は多少異なれどアタシとアンタは同じ痛みを知っているのさ。愛しき人に会えぬ痛みさ。アタシはもうどうしようもない。本当に、どうしようもな」
ライダーが滔々と言う。愛しき人。それは彼女の死罪になった夫か。それとも末期の言葉を受け取れなかった息子か。
「けど、アンタは違うだろ?囚われているけど、会えるんだろ?……なら、会わせてやりたいじゃねえか。アタシの願いはその後で良い。こういうのは若い奴を優先してやらないとな」
そう言ってライダーがテオの背中を叩いた。この段に至って、テオは何故自分の元にこのサーヴァントが訪れたのか、その理由を知った気がした。
「ありがとう、ライダー」
「何だテオ。死ぬのか?」
死なねえよ。ライダーの口調が移ってしまったのが気まずい。それに気が付いたライダーが笑う。
そして、森を朱に染めた日が落ち切る。夕闇がただの闇へと姿を変えた。今までは人の営み時間。今からは魔術師の戦いの時間だ。
「じゃあ、行こうか」
森へ踏み入る。冬に静まる森の匂いがテオを迎える。枯れた草、朽ちた大木。踏みしめる感触が森の意思のようだ。近づくな。ここはまだ、ただの森。もしかしたら、テオの本心なのかもしれない。しかし、構わず進む。
そして、境界線を越える、微かだが、明確な感覚があった。通行手形を持つ者のみが知りうる感覚。幾日か前は車だったので感じなかったが、今ははっきりと受け取った。
目の前には道がある。左右を森で挟まれた長い一本道だ。所々の木が倒れており、道には大小の穴が幾つも空いている。見覚えがあった。これは、ライダーがランサーと戦闘をしたことによって生まれた傷。
「此処に出るのか。いやはや不思議な仕掛けだもんだ」
呑気に口を開くライダーにテオは言葉が掛けられなかった。既に此処は敵地。何時どこから襲われるかわからない。
「さてとじゃあ、やりますかね」
ライダーが戦闘状態に入る。テオの揃えた現代の服装から、彼女の本来の姿である海賊衣装に。
「ああ、行こう」
「あん?何やってるんだ、マスター」
ライダーの意思を感じ、歩みだそうとしたテオを不可解そうな言葉で押し留めた。
「なんて学ばないマスターだ!またもや騎兵に歩行をさせようというのか!ここは既に敵地。歩いて財を奪いに行く海賊がいるものか!」
そしてライダーの周囲に魔力が集中する。以前にも経験がある桁外れの神秘の凝縮。テオも魔力の喪失感を感じる。
「来い!我が誇りを取り戻すために!英国より授けられし相棒!」
ライダーの咆哮と共に、黒い帆船が地面より現れる。ありえない神秘の出現に、木々が揺れ山が俄に騒ぎ出す。ライダーに手を取られ、テオも共に船首に上がる。木々を越える巨大な帆船からは、目的地であるプラウレン湖が見えた。
「は、なるほど。異様な魔力はあいつだったか」
そしてライダーは懐の剣を抜き、そこを指す。ライダーがあいつといった存在。強化したテオの眼が捉えた。
テオ達が立つ一本道の最奥。森の終わりにして下る山道との境目。依然、テオと環が崖から飛び降りた付近に悠然と立つその戦士は。
身体に張り付くような黒い鎧。傍らには身の丈を優に超える長槍。肉食獣じみた視線が、テオとライダーを睨む。
ランサーが、湖までの道を阻むように道の中央に立っている。
「さあ、行こうかテオ。あいつを超えて、邪魔をする全てを超えて、お前の望む物を奪い取りに」
テオは黙って頷く。恐怖は既にない。緊張は飲み込んだ。戦う意思だけを身体に宿す。
帆船の帆が降りる。それが合図。ライダーが宝具の名を叫び、テオの戦いが始まった。
「叩き潰せ!『
朱き帆を掲げる黒い帆船が、地を砕き、森を進む。
黄昏時が夜に変わる瞬間を、ゲルト・エクハルトはプラウレン湖を眺めながら迎えた。ゲルトは湖畔沿いを歩いている。雪が降ればこの辺りも白で一面覆われ、言いようもない幻想風景になるだろう。
……それが見られないのは残念だ。
ゲルトが歩くのは既に戦場。敵対しているロットフェルト家の敷地である。しかしゲルトには周囲を警戒する素振りも、まして戦いに身が震えるような緊張も宿していない。ただ、自然体なままで、誰もいない湖の美しさを楽しんでいた。
伴うのは背の低い少年だ。この世のものではないような浮世離れした雰囲気を持つ。寒さを凌ぐために厚手のダッフルコートを着ている。サーヴァント、キャスター。ゲルトの召喚した英霊である。
「ゲルト」
キャスターがゲルトに声を掛ける。キャスターが指差している。その方向を見ると、ルスハイムに繋がる道が見えた。魔力の気配から、サーヴァントが実体化したのだろう。
推測は確信に変わる。木々が揺らめき、静かな湖畔がざわめき満ちた。ただならぬ神秘が具現化したのだ。ゲルトには覚えのある魔力の気配。廃教会跡で見たライダーの宝具だ。
テオ・ロットフェルトが約束を違えずにここに現れたのだ。
「ありがとう、キャスター。約束通り彼らも来たみたいだから、始めようか」
そしてゲルトはキャスターの手を引き、湖面に近づく。
「ここら辺にしようか」
透き通る湖面には、ただ微かに波があるだけだ。
そこにキャスターが近づくと、早口に呪文を唱えた。現代の魔術師ではありえない魔力の濃度。ともすれば数人がかりで行う大儀式をキャスターは数節の詠唱で実現する。
集積した魔力が奔流し、結果が現れる。
湖面には小さな舟と長い髪の老人が居た。見れば粗末な作りだが、込められている魔力は相当なものだ。
内心で驚嘆するゲルトを尻目に、キャスターは何でも無いように小舟に乗り込む。ゲルトも続くように乗り込んだ。
「渡し賃はいるかね」
「所詮皮だけだから、いらないよ」
老人が舟を漕ぎ出す。夜霧の中を進む様はキャスターの体験を沿うようで趣深いと内心で笑う。
ゲルトはテオがいるであろう方向を見る。サーヴァント同士が削り合う激しい魔力のぶつかり合いを感じる。きっと、ロイク・ロットフェルトが戦いを挑んでいるのだろう。
「頑張れよ。テオ・ロットフェルト」
ゲルトは誰にも聞こえないほど小さい声で、呟いた。