Fate/immature children   作:waritom

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 バーサーカーの脅威が消え去った森で、青年が一人佇んでいた。夜も森の清涼さを味わうわけでもなく、その表情は思いつめたものだ。

 ロイク・ロットフェルトは困惑していた。彼のサーヴァントであるランサーはアーチャーとの戦闘によって深手を負い、今は霊体化している。絶え間なく治癒魔術を施し続けているが、全快には時間を要するだろう。

 しかし、ロイクを惑わす原因はランサーのことではない。ロイクの眼の前にいる、一羽の烏だった。烏は低い場所からロイクを見上げ、繰り返し同じ言葉を伝える。

「ロイク様。クリストフです。旦那様に火急の危機が迫っております。どうかサーヴァントによるご助力をお願い致します」

 烏はロットフェルト家の使用人であるクリストフが遣わした使い魔だ。この使い魔を通じ、どこかにいるクリストフとロイクは会話をしている。

 使い魔を通じての遠隔通信は、珍しいことではない。しかし、このクリストフという、ロットフェルト家に長く忠義立てしてきた老紳士が、直接請願に訪れないことに疑問を持っていた。

「僕らは今、聖杯戦争の只中にある。その間のロットフェルト家の出入りは禁止されているのは、お前もよく知るところだろう。それに父に危機など訪れない」

 大家と呼ばれたこともあるロットフェルト家の当主が、そう簡単に危機に瀕するはずがない。ロイクはクサーヴァーが幾度も命を狙われる場面を見ている。どのような危機であっても、父の顔色を変えることすら叶わなかった。

「それどころではないのです。火急の危機とは、当主の身に危険が迫っているのです」

 老人の声に緊迫が纏われる。ロイクはクリストフのこの様な声を聞くのは初めてだった。

「キャスターと思われるサーヴァントが当主の間に踏み入ったのです。如何に当主と言えど、この度は危険という他ありませぬ」

 クリストフとて、クサーヴァーの魔術師としての経験を知っているはず。その彼がここまで食い下がるのであれば、応じる必要があるか。ロイクはあくまで『父の助けに参じた出来息子』を演じるために行動に移ろうとした。

 しかし、続くクリストフの言葉に考えを翻す。

「当主の刻印が灼き尽くされるやもしれません。これは、当主の命の問題ではなく、ロットフェルト家の宝が失われることを意味しております。ロイク様、そもそものこの戦争の意義が失われようとしているのです」

 並の魔術師など問題としない父も、英霊が相手となれば分が悪いだろう。命以上に守るべき魔術刻印が失われることも、有り得ないわけではない。

 ……ここで、ロットフェルトの魔術刻印を失えば。

 ロイクは左の手を見つめる。戦争当初にロイクは自身の手で長兄のアーベルトを殺めている。不可抗力ゆえの行動だと思っているが、左の手の感触な確かに死を覚えていた。兄を殺したことが無駄になる。いや、兄殺しの不名誉を無意味に被ることになる。

 ……いや、違う。

 ロイクはここで、胸に揺らぐものを感じた。ロイクにとってロットフェルトの魔術刻印は勝者としての証。それをみすみす失うということは、ロイクはこの戦争においてテオに優位を示す機会を意味する。

 この聖杯戦争はロイクにとってテオを打倒する唯一に近い好機だ。ここを逃せば、テオとロイクは一生交わることなく後の人生を歩むだろう。それはロイクに敗北者の消えぬ烙印を押すことに他ならない。

 ……それは、耐えられない。耐えられるはずがない!

 思いが決意に変わり、返事を待つ烏に答える。

「分かった。直ぐに令呪にてサーヴァントを当主の間に遣わせる」

 ロイクの言葉に烏が慇懃に礼を述べ、飛び立っていった。

「貴様、正気か」

 その烏が消えるのを待ち、ランサーが実体化する。アーチャーに負わされた傷は見た目には塞がっているが、まだ完治していない。しかし、傷が深いのはむしろランサーの精神の方だった。

「バーサーカーは消えたが、未だにサーヴァントは五騎残っている。この状態で益にもならぬことに令呪を費やすか」

 ランサーが苛立った様子で言う。令呪という首輪に嫌悪を示していたこの英霊は、一度の敗戦から考えを改めたらしい。

「令呪を使えば、あの弓兵や不死身の剣士に優位を作ることもできるのだぞ?何故此処で切る?」

「聞いた通りだランサー。今、令呪を使わなければ僕が戦いに望み意義が消える。そうなれば、如何に令呪が強大であろうと意味がない」

「馬鹿なことを。この戦いの果てにあるのは万能の願望機。意義などそこにしかなかろう」

 ランサーが愚か者を見る目でロイクに視線を送る。

 ……違う。欲しいは聖杯ではなく、テオを圧倒したという事実。

 胸に揺らめく炎が、槍兵の言葉に食って掛かるようにロイクをけしかける。しかし、食い下がればランサーとの関係にまたも傷が入るだろう。

 それでも、一言返さなくては気がすまなかった。

「理解が欲しいわけじゃない。ただ、僕が求めるのは完全な勝利だ。すべての期待に答え、僕は堂々と勝者となる」

「力もなく強欲を語るな」

 ロイクの言葉にランサーが嫌悪も隠そうとせずに吐き捨てる。

「やはり貴様は気に入らぬ。不愉快な隷属の代償、必ず払わされると思えよ、ロイク。令呪が消えた後、俺が一番にお前を殺そう」

 ランサーがロイクを睨む。獣の双眸に込められた殺意に、先の言葉が真実であると直感する。それでも、ロイクには頼る術はこの英霊しかない。

「……令呪を持って告げる。ランサー、父の元へ飛べ」

 

 命の消えた岩の渓谷は姿を消し、今は偽りの草原に姿を戻していた。そこに三つ合った存在は今は一つに減じている。

 ゲルト・エクハルトは自身の命と引き換えに、クサーヴァー・ロットフェルトの命を奪わんとした。ゲルトの身体だったものは既に灰と消えており、草原に跡一つ残していない。

 対して、もう一人の魔術師はそうではなかった。同じく炎に包まれた身体は痛ましい火傷に包まれているが、その傷は回復していっている。

 クサーヴァーは徐々に意識を取り戻していった。全身を灰に返すほどの炎をもってしても、クサーヴァー・ロットフェルトという魔術師を絶命するに至らなかった。

 ……エクハルトめ。

 クサーヴァー・ロットフェルトの身体が五体を取り戻し、草原に堂々と立つ。命を奪わんとした炎はしのぎ切ったが、身体の治癒に使用した魔力は甚大だった。

 クサーヴァーを支える自動治癒魔術は長年蓄積した体内の魔力を使用し、身体の傷を自動で治癒する。そこに、クサーヴァー自身の意思は介在しない。そのため、意識を失うほどの苦しみからでも、生還を果たすことができた。

 一方で体内の魔力が底を突いていることを知る。これは、彼の身体を支える治癒が既に機能しないことを意味する。

 ……流石は英霊といったところか。百を越える人生で、此処まで追い込まれることはなかった。

 月明かりに照らされる草原には、既にキャスターの姿はない。マスターであるゲルトが死に絶えた以上、かの英霊も消滅するのが定だ。

「貴様がロイクの父か」

 故に、この草原に自分以外の存在がいることに驚愕を隠せなかった。

 全身を覆う身に張り付くような黒い鎧。垂れ下がった前髪から覗く殺意に満ちた双眸が、その存在の異常さを物語っていた。

「ランサーか。いかにも、儂がロイクの父だ」

 それでも、クサーヴァーは悠然と答える。それはただ、クサーヴァーがランサーのマスターがロイクであることを知っているからだ。ロイクが自分に逆らうはずがない。大方、キャスターの存在に慌てたクリストフが遣わせたのだろう。

「我が主が貴様を救えと言うのだが、これはどういうことだ。ここにはキャスターがいると聞いたのだが」

「奴はマスターもろとも消滅した」

 クサーヴァーの反応にランサーが見るからに落胆の様子を表す。

「おいおいおいおい。無能もここまで来ると悲劇だ。笑うことすらできない。……貴様の子は貴様の身を案じ、俺をここに令呪で遣わせたのだぞ?その結果が既に死んだだと?」

「手間を掛けたな」

 詰るようなランサーにクサーヴァーは短く答えた。令呪まで使ったロイクに対する献身は微塵も感じてはいない。むしろランサーと同様に、当主の力を侮り、令呪を使ったロイクに侮蔑の感情を抱いた。

 ……やはり、臆病者の気質は変わらんか。

 嘆息を一つ漏らす。既にロットフェルトに連なるマスターはロイクのただ一人。ロイクが聖杯を勝ち取らなければ、名実ともにロットフェルトは終わる。

『エクハルトの魔術刻印は私の子に移している。エクハルトは、終わらない』

 ゲルトの末期の言葉を思い出す。一抹の思い出はあるが、クサーヴァーはゲルトを羨み、そして直ぐにその思いを消去した。

「ところで、当主殿」

 草原に立ち、苛立ちを顕にしていたランサーがこちらを向いている。その表情に宿るのは好奇心だ。

「貴様、身体を自動で治すのか」

 ランサーが見ていたのはクサーヴァーの身体だ。立つことは叶うとは言え、全身の火傷はまだ回復を要している。

「神秘濃き時代を生きた英霊殿には珍しくもなかろうよ」

「いいや、そうでもない。似たような者と剣を交えたことがあるだけだ」

 ランサーが言葉を終えると、跳ねるようにクサーヴァーの首を捕えた。万力に挟まれたように首が悲鳴を上げる。

 ……こいつ、何をやっている!

 脳内で疑問を抱くが、抗うための魔力がない。

「貴様の不死性、セイバーのサーヴァントと関係があるだろう。奴とパスが繋がったことでその不死性を得たか。いや、奴とは芸の趣が違うか」

 ランサーがクサーヴァーの喉を締め上げたまま、草原の端まで歩く。そしておもむろに懐から短剣を取り出すと、空間を裂いた。

 偽りの草原が消える。何の予兆も、余韻も残さず、クサーヴァーの作った結界は要を失い、ただの仄暗い工房に戻った。

「下らぬ。どこかにセイバーが潜んでいると思ったが、それもない」

 そしてランサーが工房の西に作られた窓を叩き割り、クサーヴァーの身を中空に差し出す。偽りではない月明かりに照らされる。地は闇に覆われ、視認することも敵わない。

「令呪を使い、セイバーを呼べ。さもなくば殺す」

 冬の風よりも冷たい声で、黒い獣が宣告した。しかし、クサーヴァーの左の手を見て、ランサーが直ぐに舌打ちをした。

「度し難い一族だ!ロットフェルトとという一族はな!既に全ての令呪を使い切っているとはな!」

 そしてクサーヴァーの身が中空に投げ出された。なけなしの魔力を可動し、生き残るための魔術を行使する。

 ……重力の操作を!

「させるかよ」

 ランサーの短剣が眉間に刺さる。その勢いのままクサーヴァーの首は折れ、意識が霧散した。

 

 窓から階下を眺めるランサーが一つの変化を感知した。地に落ちたクサーヴァーの身体は潰れた無花果の様に無様だった。周りの血が身体に戻らんと動いているのが、一層の不快感を煽る。

 その身体を、抱え上げる存在がいた。全身に渦を纏った騎士だ。その騎士も剣を持たず、片腕は無残に折れ曲がっている。

 ランサーは、階下の騎士を呼ぶ。

「やはりそいつがセイバーのマスターか!なあ、セイバー!マスターが死ねば貴様も永くはなかろう。……どうだ、一戦交えぬか。ただ消えるよりも、剣で倒れる名誉が望ましかろう」

 セイバーはランサーを一瞥し、夜に消えていった。ただ、静寂だけが残された。

「本当に、下らぬ戦いよ」

 黒い獣は工房の薄暗さを味わいながら、唾棄するように溢した。

 


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