Fate/immature children 作:waritom
湿ったステップを降りると、冬の風に襲われた。背後のバスはカヤが降りると直ぐに発進して、他の車のいない国道を走り抜けていく。その様子を眺めていたのは、ルスハイムへの感慨の気持ちが表れたのかも知れない。
ロットフェルト城での戦争が終わると、カヤは聖杯を掴み、そのまま偽りの草原に倒れ込んだ。カヤを助けたのは一度だけ会ったことのある、審判役という男だった。
ヘルマン・バール。何故か神父服をボロボロにした彼は、カヤに提案した。
『聖杯を僕にくれないか。その代わり、宮葉環の命を保証しよう』
カヤは既にキャスターの宝具を生身で受け、更に魔力を使い切っていた。対して目の前のヘルマンは服こそボロボロだが、身体に傷を負っているわけではなさそうだ。断るということは、カヤにとって危険な選択であった。
『とはいえ、聖杯の中の魔力は治療に使う。あまりの聖杯は君には不要だろう』
そもそも、カヤにとっては聖杯は環を救うためのもの。であれば、ヘルマンが環を救えるのであれば、もとより聖杯は不要だ。
カヤはヘルマンの提案を受けた。そして、環と共に教会で治癒を施され、ようやくこの地を出る決意を固めた。
なにもない国道から視線を外し、目の前の建物を見る。高いポールには各国の国旗が掲げられている。空港だ。平日の朝だからか、人の出入りも激しい。カヤの目の前を多くの人が行き交っている。
「カヤさん、どうしたんですか?」
その中で、カヤの目の前の人物が振り返った。短い髪に、少女を思わせる小さな体。今は眼鏡を掛けている。
「なんでもないわ」
環の容態は直ぐに回復した。ヘルマンの治癒の技が冴えているのか、聖杯の魔力が起こした奇跡なのかは分からない。しかし、カヤにとってはどうでもよかった。
環に連れられるようにして、空港の中に入る。大きな荷物を押す人混みをかき分けて、ターミナルにあるベンチに腰掛けた。
「まだ、空港のチェックインまで時間がありますね」
「意外とバスが早く着いたものね」
「それにして、カヤさん。本当に良かったのですか?」
環が心配そうにカヤの顔を覗き込んだ。カヤは微笑みで返答をするが、うまく笑顔を作れた自信がなかった。
……ダメね。ちょっと頭を冷やさないと。
思うや否や、ベンチから立ち上がる。
「朝ごはん、まだだったでしょう?売店で買ってくるわ」
環が何かを言いたそうにしているが、構わず歩き始めた。
構内には人が多い。カヤはわざと遠くの売店まで歩くことを決めた。歩きながら、決心を固めたかったのだ。
環を救った後、カヤは故郷に帰ることを躊躇っていた。友人を救うためにクーナウの家を裏切ったのだ。自分の行動に後悔はないし、何度繰り返しても、同じ選択をするだろう。きっと兄はカヤの行動を許すとは思う。しかし、合わせる顔がなかった。
行く宛を無くして消沈するカヤを、環が誘ったのだ。
『私の故郷に来ませんか?実家に帰るつもりはないんですけど、そろそろ恋しくなりまして。……ほら、異国の地で戦いの疲れを癒やしましょうよ。温泉とかいいですよ』
環も考えての提案ではなかった。故に、冗談半分の誘いに躊躇いなく頷いたカヤに、環が驚いていた。
それが、昨日の出来事。カヤが早業で飛行機を予約した。明日出ていく、と伝えられたヘルマンは驚くことも止めることもなく、了承した。心の底では、早く出ていって欲しかったのかも知れない。
しかし、これでいいのか。やはり、帰るべきではないか。一晩が明けると、急に臆病な考えがカヤを捕らえた。故に、今朝から気持ちが沈みがちになっているのだ。
売店の前に辿り着く。丁度、外へと続く扉の真横に設置されている。自動ドアがひっきりなしに開閉を繰り返すために、売店の周囲だけが嫌に寒かった。店員も厚手のコートを着ている。
「いかがします?」
女性の店員の尋ねられ、そこで何を買うべきか全く考えていないことに気が付いた。慌ててメニューを見る。しかし、その行為も直ぐに中断された。
原因は、声だ。
「カヤ!カヤじゃないか!」
背後の人混みから、唐突に自分の名を呼ぶ声がしたのだ。振り向くと、直ぐに声の主が分かった。
高い背にしっかりとした体躯。青年の体に、どこか幼さの残る顔つき。そして、カヤと同じく金の髪を持っている。
「カール兄さん!」
兄であり、クーナウ家の当主であるカールがいた。人混みを気にすることなくカヤに駆け寄ってくる。
「どうして、ここにいるの?」
息の荒い兄に対して、カヤは冷静に言った。カールは聖杯戦争に巻き込まれるのを避けるために故郷であるネフドルにいるはずだ。
「決まってるじゃないか!カヤが連絡を寄越さなくなったから、心配で居ても立ってもいられなかったんだ」
大声に周りの人がカールを見るが、構わずカヤを捲し立てる。
「本当に心配したんだ!君の身に良くないことが起こったんだろうって。それがどうして空港にいるんだ?戦争はどうなったんだ?」
カールの矢継ぎ早の質問に、カヤは答えを窮した。カールに連絡を怠ったのは不備としかいいようがない。戦争の趨勢についても、カヤが勝利したとは言い難い。そして何より、ロットフェルトとクーナウの関係もどういう結末を迎えたのか十全に理解できていないのだ。カヤが理解できていない以上、カールに説明することなどできるはずもない。
横目に店員を見ると、困ったように笑っている。カールとカヤは商売の邪魔でしか無い。
「ねえ、ちょっと向こうへ行かない?」
「その前に教えてくれ。ロットフェルトはどうなった?……いや、やはりいい。カヤの命を賭けるなんて間違っていたんだ。カヤ、僕も戦争に参加する。そして、ロットフェルトを討つ。始めからこうするべきだったんだ。 きっと父さんも母さんもご先祖も許してくれる。さあ、ルスハイムに行こう。いや、その前にカヤの英霊を教えてくれ。予定では英国のアサシンだったよね?紹介してくれると嬉しい」
カヤの声も聞かず、周りの注目も気にすることなく、カールは口を開き続ける。
いい兄だと思う。しかし唐突に、カヤはあらゆることが面倒になった。
「あの、どういう関係ですか?」
気の弱そうな店員が、邪魔とは言えずにカヤに声を掛ける。
「ごめんなさいね。耳の遠い兄なの」
店員は気の抜けたようにはあ、とだけ返した。意地の悪さの籠もったカヤの言葉に、カールが驚いた表情をする。
「兄さん。私、ちょっと旅行に行こうと思うの。悪いけど、暫く探さないで」
そして、カヤは身体に魔力を流し、その場からを駆け出した。人混みを掻い潜り、環の元へ急ぐ。
「カヤ!」
背後から兄の声がする。きっと追ってくるだろう。兄の愛おしさより、離れたい思いが勝る。カヤ・クーナウではなく、ただのカヤという人間として異国を歩いてみたい。
ベンチで座る環の前に、行きの十倍の速さで戻る。呼吸の荒いカヤの様子に環は驚いているようだった。
「環、私と行きましょう。場所はどこでもいいわ。暫く二人で世界を見たい」
言葉が、自然と紡がれる。魔術師としてではなく、クーナウの家の者としてでもなく、ただカヤという人間の欲することが言葉になった。
環が驚愕から微笑みに変わる。いつか見た、母のような笑みだ。
「ええ、もちろん。そのつもりでしたよ」
そして、環が手を差し出す。カヤは受け取り環をベンチから引き上げる。眼鏡の向こうにある黒い瞳が近づき、殊更に大きくなった。
カヤを呼ぶ声が近づく。カールが追ってきている。カヤは環の手を引いて、チェックインカウンターへ急ぐ。
「カヤさん?誰かに呼ばれてません?」
環の言葉にカヤは店員と同じ様に答えようとした。しかし、降って湧いたように冗談を思いつき、思わず口に出す。
「あれは私の使用人だ。んん?」