ウィーヨー、ウィーヨー、とセミが空気を震わせる夕暮れに。
悠貴はいかにも和風然とした佇まいの庭に面した縁側に、西日を背にして腰かけていた。
ここは悠貴の家ではない。親戚の家でも、友達の家でもない。
それでは何故ここに座っていられるのかというと、悠貴はアイドルで、ここはドラマの撮影のためのセットだからだ。とはいえ、悠貴は関係者ではないのだが。
撮影はとうの昔に終わっていて、今はもう使われていないセットに、悠貴は無理を言ってあげてもらっている。
悠貴は湿気を多分に含んだ片田舎の空気を深く吸い込み、そしてゆっくり吐き出した。
やはり、思い出せない。
目を瞑って、再度深呼吸する。瞼の裏にぼんやりと映る、シルエットだけの"彼女"は、もやを纏った様に悠貴の脳内で形というものを伴わない。
先日人気を博したドラマは、最近流行りのルームシェアを田舎で二人の少女がやる、というものだった。
悠貴はそのドラマを一目見て、違和感を持った。
ルームシェアをする主人公たちは、三人だったのではないか?そう、ずっと考えながら最後まで見終え、やはり疑念は消えなかった。
悠貴自身も、この荒唐無稽な引っ掛かりが何によるものなのか理解してはいない。悠貴のプロデューサーも最初からこの脚本の主人公は二人だと言っていたし、実際放送されたドラマも、前宣伝の頃から、主人公は二人だ。
けれども、悠貴はその引っ掛かりを勘違いだと拭い去れない。デジャヴではないのかと何度も思い直したが、心のどこかが何かおかしいと警鐘を鳴らし続けているのだ。
主人公の二人は、悠貴と同じプロダクションのアイドルだ。順当にいけば、顔も思い出せない三人目も、アイドルなのだろう。
しかし、事務員に聞いてもここ最近に移籍したアイドルはいないらしい。理性的に考えるなら、どう見てもおかしいのは自分の方だ。
悠貴はあまり、幽霊とかその類を信じる方ではない。それでも悠貴をここまでさせるのには、一つ理由があった。
悠貴は隣に置いたスポーツバッグから、それを取り出し、夕陽にかざして眺める。
綺麗なたまご形ですべすべな小石だ。いつからかわからないが、悠貴のバッグに入っていたのだ。
誰かのイタズラだろうか、捨ててしまおうか、そう何度か考えたが、この石を握っているとどうしてかその三人目を思い出せそうな気がしてきて手放せないのだ。悠貴がわざわざここまで赴いたのも、この石あってこそなのかもしれない。
ここに、彼女はいたはずだ。小石を握ったまま胸にあて、ゆっくりと意識を集中する‥‥きっと思い出せるはず、そう信じて。
悠貴が目を開くと、飛び込んできたのは事務所近くの街並みと、少し浮足立った喧騒だった。
「‥‥あれっ? 私、どうして…?」
どうも前後の記憶があいまいだ。見慣れた景色だが、どうして今自分がここに居るのか、説明できなかった。
何故か浴衣を纏っていて、右手にはハンドバッグ。中には財布とスマホとハンドタオル―――あの小石が、失くなっていた。
「そうだ、小石―――、あっ、芳乃さんっ!」
芳乃?悠貴は口をついて出たその名前に、首をかしげた。
あっけなく思い出したその名前は、妙に馴染むようだった。もやがかったものが晴れるように、芳乃に関する記憶を取り戻す。
「芳乃さん…うん、そうだった。芳乃さんだっ」
姿も声も、しっかりと思い出せる。どうしてこんなに大事なことをつい先ほどまで忘れていたのだろう。
そうだ。今から、芳乃と近場で行われる花火大会に行くのだ。熱に浮かされている場合ではない。
約束の場所はそう遠くない。ここからバスで数十分だ。入れ違いにならないよう、念の為今から向かう旨のメールを送っておく。あまり携帯を見る人ではないので、気付いているかは怪しいが。
バスはすぐに来た。夕暮れが近いこともあって少し混んでいたが、無事に座ることが出来た。
到着する頃には何時だろうか、そう思い携帯を見ると、意外にも既に芳乃から返信が来ていた。どうやら同じく向かっている途中らしい。待ち合わせ場所を決めておいてくれた。
二人で主役を務めるドラマの撮影が忙しく、時間がとれるか心配だったが、プロデューサーに無理を言ってこの日を開けてもらったのだ。約束は十八時。何とか間に合うだろう。
手鏡で身なりを最終チェックしながら、悠貴は芳乃に会った時に話すことを考えていた。
人ごみの中で、芳乃は思ったよりも簡単に見つかった。
「ごめんなさいっ、待たせちゃいました?」
「いえー、さほどは待ってはおりませぬよー。打ち上げまで時間がありますゆえ、少し屋台で買い物をしてからにいたしませぬかー?」
「はいっ、そうしましょうっ!」
二人は他愛のない会話をしながら、屋台を巡る。一通り回り終えるころには、オレンジだった入道雲が藍色になっていた。
「悠貴さんー、わたくしは人混みで疲れてしまいましたー。花火は静かな所で見ませぬかー?」
「いいですよっ、…けど、どこかあてがあるんですか?」
「ええー。ここほど近くはありませぬが、きっと良き場所を知っていますゆえー」
芳乃は右手を差し出して、微笑む。さらさらの髪が、熱い風に揺らされた。
「人混みではぐれてしまいませぬよう、手をお繋ぎしてもー?」
「へっ、手を、ですか? いいですよっ」
「ではー」
悠貴が手を差し出すと、すぐに芳乃の手が触れる。暖かくて、柔らかかった。
細い指が絡む感覚に心奪われながら、手を引かれるとおりについてゆく。
会場から離れ、少し歩いた先。辿り着いたのは、悠貴もよく知った場所だった。
「ここって…収録の…」
「はいー。どらまの舞台ですー。少し無理を言って、貸していただきましたー」
ドラマの舞台として用意された純和風の家屋は、二人の浴衣にぴったりだった。縁側に移動し、腰かける。悠貴はこのセットがこのためにあった物のように感じた。
「さてー、そろそろでしょうかー?」
芳乃がそう言い終わるや否や、パラパラと開始を告げる三段雷が聞こえてきた。
「ワクワクしますねっ」
「ええー」
二人は頷き合う。暫くして、ドンッ、と重い音が空気を震わせ、胸を打った。
「わぁっ、始まりましたよっ!」
「そのようですなー。思った通り、丁度良い位置取りなのでしてー」
軒先と塀、庭木に囲まれて覗く空には、花火がぴったりと収まっていて、まるで絵画のような完璧な構図を見せていた。
色とりどりに散る光の玉が、まだ完全に夜に占められていない空を照らし返す。
天気にも恵まれ、ほどよい風も吹いている。悠貴は芳乃を誘ってよかったと心底思った。
「一緒に見られて、よかったですねっ、芳乃さんっ」
芳乃の方を向いてやっと、芳乃がこちらをじっと見ていることに気が付いた。光に照らされる芳乃の表情は、何故か神妙なものだった。
「ところで、悠貴さんー」
「はいっ、どうかしましたかっ?」
芳乃は慎重に言葉を選ぶように、ゆっくりと空を指さす。
「まだ、花火は鳴っておりましてー?」
何を言っているのだろうか?
空ではあれほど爆音が響き、深みを増して黒に近づく藍色に彩りを足しているのに。
「見えないんですかっ?肩車でもしますよ?」
「いえー、そういうことではありませぬー。では、質問を変えましょうー。神隠し、とはご存知でしてー?」
映画などでたまに見かけるあれのことだろうか。
「知っては、いますけどっ」
「むー、その様子ではよくは知らないようですなー」
困ったようにあたりを見回し、観念したようにため息。そして、じっとこちらを見つめて、口を開く。
「悠貴さんが見ている花火も、わたくし以外の人間も、全て、悠貴さんが見ているだけの幻覚なのでして」
「えっ‥‥‥?」
はっと胸をつかれたような感覚。悪寒が走り、次の瞬間には辺りはしんと静まり返っていた。体の芯に響いていた花火の音も、楽しげに騒ぐ蝉の歌も、最初からそこには無かったかのように、夜に溶けて消えてしまった。
「悠貴さんはわたくしを探して、ここまで来たのでしょうー?」
念押しするように、芳乃はそう尋ねる。表情は真剣そのものだった。半月に照らされ、白い艶やかな肌が陶器のような冷たさを帯びている。
「そなたは真実と違った世界を望み、それが神隠しとなりてわたくしを攫い、悠貴さんも此処に辿り着きましたー。言うなればここは、そなたの夢の世界のようなものなのでしてー」
夢の世界。その言葉に反して、とても残酷な響きをもって、悠貴の心に刺さる。
「それゆえ、元の世界に比べ、そなたの都合の良いように書き換わっている部分が存在しー、またー、わたくしはそれに対して干渉する権利をもちませぬー」
もう、夏の暑さも感じられない。世界が急速に情報量を失っていた。反して、自分の中で蓋をしていたものが、それを突き破って姿を現す。
確かに、その通りだ。心のどこかで、芳乃を探していたことも、ドラマで共演するのが自分たちではなかったことも、覚えていた。
最初は、羨ましいな。それだけだったのだ。
芳乃と、あと二人のアイドル。三人でルームシェアをする、そんな何て事のないドラマが、羨ましくて仕方が無かったのだ。
気付けば、その二人のアイドルと、うまく話せなくなっていた。自分がどういう顔をしているのかが気になって、何も言えなくなっていた。
そして、妬みへと変わっていた。自分の仕事なんて手につかなくなっていた。
芳乃を自分のほうに向けるためには、どうすればいいか。そればかりを考えていた。
それが、まさか、こんなことになるなんて。思ってもみなかった。そう言い訳して、夢を楽しもうとしていた自分が今は堪らなく憎かった。
「取りかえしのつかないようなことをしてしまって…本当に、ごめんなさいっ!」
そう泣きそうな声で頭を下げる悠貴に、芳乃は困ったような反応を返した。
「いえー。わたくしに謝るべきではありませぬー。実はー、わたくしもまた一つの過ちを犯してしまいましたゆえー」
芳乃の小さな手が慈しむように、頬に触れる。必然的に、目が合った。
「神隠しから抜け出し、元の世界に帰るにはー、神隠しであると気づく前に抜け出す必要があった、のでしてー」
「それは…」
もう帰ることは出来ない、そう口に出すのが怖くて、結局、二言目を紡いだのも、芳乃だ。
「わたくしは拝み屋の生まれゆえー、すぐに気付いてしまいましたー。そして悠貴さんに出会い、すぐに現状に気付いていないと悟りましたがー、わたくしは、そのまま帰す道を選び取ることが出来ませんでしたー」
無論、芳乃を責めることは出来ない。悠貴にもそんなつもりは毛頭なかった。
そんな選択を芳乃に押し付けて、自分は自分の作った幻想ではしゃいでいただけだったのだ。
「悠貴さん」
名前を呼ぶ芳乃の声は、幾度となく聴いてきた優しいそれで。
「わたくしは、少しうれしかったのですよ」
悠貴に想像もつかないことを、頬を少し赤らめながら、伝えた。
「わたくしは生来拝み屋として、他人の幸を願って参りましたー。それゆえわたくしの祈りではなく、わたくしを求めてくださった悠貴さんは、わたくしにとってかけがえのないものなのでしてー。悠貴さんはそれを醜い嫉妬と思っているやもしれませぬが、わたくしには初めて向けられた感情でー。それは、とても居心地の良いものでしたー」
芳乃は改めて悠貴の方へ向き直り、にこやかにお辞儀をする。
「だからこそ、もうしばらくだけ共に居たいという、わたくしのわがままを、どうか聞き入れてくださいませー」
悠貴は、彼女の胸の内に、彼女の言以外の感情があったのかを知らない。
彼女が悠貴を責めないためにとった、優しい嘘なのかもしれなかった。
けれど、涙は止まらない。
悠貴は赤子のように泣いた。ごめんなさいと何度も吐き出した。
それを全て芳乃は受け止め、大丈夫だと言い続けてくれた。迷惑をかけてばかりで、情けなくなってもっと泣いた。
二人の声は、空っぽになった世界に、どこまでも広がっていった。
「悠貴さんー? そろそろ起きてくださいませー?」
悠貴は体を揺すられ、目を覚ます。起こしてくれていたのは、芳乃だった。
「一緒に花火を見ていたまでは良かったのですがー、眠ってしまっていたようでー。せっかくなので起こさずに居ましたがー、花火大会も終わりー、そろそろプロデューサー殿がお迎えに来るようでしてー」
「へ…? 帰れなくて…神隠しで…あれっ…?」
「ふふふ、どうしたのですかー? 少し汗をかいているようですなー、悪い夢でも見たのでしてー?」
まずはこれでも飲んで落ち着いてくださいませー、と悠貴の好きなスポーツドリンクを渡される。一度に半分ほど飲み干すと、少しは混乱が収まってきた。
「夢…。何だか変な夢を見ちゃってたみたいですっ」
「そうでしたかー。恥ずかしながら、わたくしも花火に夢中でして、気付けずー」
「いえいえ、大丈夫ですよっ、こちらこそせっかく一緒なのに寝ちゃってて、ごめんなさいっ」
「それでは来年もー、またご一緒しませぬかー?」
「いいんですかっ?約束ですよっ」
「ええー、約束しましょうー」
そう笑い合っていると、丁度悠貴のプロデューサーが迎えに来た。忘れ物をしていないかショルダーバッグを確認してから、車に乗り込む。外はすっかり真っ暗で、汗をかいた浴衣は少し肌寒かった。
「今日は楽しかったですー。お誘いいただき、ありがとうございますー」
そう礼を言う芳乃は心底嬉しそうで。悠貴は今日の出来事をきっと忘れないだろうと、嬉しく思った。
fin.