神ノ牙 -JINGA- 【ANOTHER END】 作:天野菊乃
何も無い白い空間に赤い鮮血が飛び散る。鎧が解除され、御影神牙は地面に投げ出された。
灰色のコートから左腕に掛けて溢れた血が、白い空間を穢していく。鎧越しではあれど、足を穿かれ、筋を切られたのだ。いくら常人よりも肉体が強い魔戒騎士と言えどそうなるのは必然だった。
全身に走る激痛に歯を食いしばり、横に落ちる魔戒剣を拾い上げて膝に力を入れながらゆっくりと立ち上がる。視界が激しく明滅して今にも意識を手放しそうだった。
そんな神牙を他所に、目の間に立つ銀髪の青年は己の右手を眺めながら呟いた。
「……なあ、そろそろ決めようか」
青年のその言葉に、神牙は不審そうに眉を顰める。
「何をだ!」
青年は大きく反り返り、そして嗤った。
「───俺とお前、どちらが残るかを」
「……俺は選ばれた」
何を言うんだ、と言わんばかりに魔戒剣の剣先を青年に向けると、青年はわざとらしくおどけてみせる。
指輪が着けられた左手で指差しながら、青年はまた嗤った。
「奇跡の力ってやつか?」
青年の気味の悪い笑い声に、眉間の皺が深くなるのを感じる。
なぜだろう。とてつもなく嫌な予感がする。
半年前に起きた惨劇が起きるような、そんな感覚に陥る。そこで、神牙は首を左右に振った。
「……いや」
───そんなはずは無い。なぜなら、自分は選ばれたのだから。
心の中で自分にそう言い聞かせると、頭の中を巡る恐ろしい可能性を捨てる。
青年はそんな自分のことは眼中に無い、と言わんばかりに話を続けた。
「───ならその力は誰が授けた?」
ここは俺の舞台だ。そう言わんばかりに演技紛いの台詞と立ち回りをする目の前の青年。顔も、声も、何もかもがうり二つであるため、そのような行動を取られるのは気味が悪い。
「神か?それとも、メシアか?」
黒い拵えの魔戒剣を
そして、男は言った。
「……違う。俺だ」
左手を広げ、真実の告白だと言わんばかりに青年は言い放つ。
神牙は青年が告げた真実に、真摯になって聞いた自分の馬鹿馬鹿しさに思わず鼻で笑ってしまう。それと同時に強く握りしめた魔戒剣の腕を下ろした。
「……何を言っている」
目の前の青年は姿こそ神牙と瓜二つではあるが、その正体は『陰我』と呼ばれる人間の心の闇に寄生する怪物、ホラーである。
そんなホラーが与えたものが、この奇跡の力の正体なんて有り得るはずがない。
ホラーを人間に戻しているのだから、ホラー側からしたらデメリットしかないと言うのに。しかし、神牙がそう言うのは青年からしたら想定内だったようで、青年は己の体を抱きながら気障ったらしく続ける。
「───ホラーは美味いんだよ。だが、魔戒騎士たちがすぐに消してしまう」
「……」
青年は刀身を撫でながら不敵なその表情を崩さない。依然として余裕の表情を浮かべたままだ。
「神牙。お前はいい餌を沢山残してくれたよ。わざわざ番犬所の目を欺いてまでな」
「……」
嫌な予感が確信へと変わりつつある。
再び頭の中を横切る最悪の可能性に、思わず喉を震わせた。
「……だから、何を言っている……!」
魔戒剣を振るい、今すぐ目の前の青年を斬ろうとするも、満身創痍の神牙が勝てるはずもない。鞘で頬を殴られ、二、三歩後ろによろめく。何とか昏倒だけは防いだが、それでも歓迎出来る状況ではない。
青年は舞台袖の幕が降りる時のように一礼すると、顔を上げた。
「───さあ。最高のショーの始まりだ!」
青年は宙にゆっくりと浮き上がると、白い空間に、青い霧を幾つも生み出した。何をしている、と訝しむもその青い霧はすぐに形を成した。
「……彼女は」
確か、
深い絶望と憎悪の中、ホラーに取り憑かれた少女。そして、神牙の右手を噛み、奇跡の力を創り出した少女でもあった。
そっと右手の傷跡を撫でながら、さらに映し出される光景に口を閉じた。
「……こいつら全員、見覚えがあるんじゃないか?」
そう。映し出された人間のすべてが───ホラーから人間に戻された者達であったのである。青年が取った行動に思考が追いつかないまま、その霧に映し出された光景を呆然と眺める。
「くくっ……」
青年は唇の片端を上げると、指を鳴らした。
「It’s show time」
───その瞬間、助けた人間達の行動が一瞬だけ止まった。
不審そうに眉を顰める神牙の視線が、無意識の内にその佳菜恵に向いていることに気づいた。
彼女の親友である敦美が、佳菜恵に近づいたその時だった。
「……なっ」
───異変は、起きた。
佳菜恵が、おぼつかない足取りで、敦美に噛み付こうとした。咄嗟のことに後退するもすぐに壁際まで追い込まれてしまう。
そして、そのままホラーへと姿を変えた佳菜恵に喰われた。
「……嘘だ。あの娘は人間のはず───」
ふと、周りに映し出された光景を見ると、佳菜恵のように助けた人間達が皆、ホラーに戻っていた。
心臓の鼓動が早くなり、額に脂汗が浮かぶ。
「 ───嘘じゃない。これがお前の助けた人間の今だ」
ホラーは段々と街にまでその足を伸ばし、様々な人間を喰らい始めた。
次々と映し出されるホラーになった人間達の行動。戦慄している神牙の目の前に、青年がゆっくりと地面に舞い戻ってきた。
だがそれでも、目を背けたくなるようなこの光景は消え去ることは無かった。
「───なぜだ!なぜホラーに戻る!?俺は選ばれた!俺は多くの人間を救ってきたんだッ!!」
それを言って、思い出した。魔戒騎士としては基礎中の基礎のこと。それは、『ホラーに取り憑かれた人間の末路』。ホラーになった人間は二度と元には戻れないことを。人間には戻れないことを。それもそうだ。ホラーになった時点で肉体が消滅してしまうのだから。こわばった表情で頭を振る。
それなら、自分のしてきたことは一体───
「はははは!神牙!これがお前の奇跡の力の正体だ」
神牙のしてきた行いをまるで嘲笑うかのように、青年は言う。
絶望的な事実に、頭の中で火花が散ったような衝撃が起こった。
頭がふらつき、目の前が霞む。
だがそれでもその現実に目を背けるしかなかった。たたらを踏みながら魔戒剣を出鱈目に振るう。
「違う!嘘だ!こんなはずはない!!」
青年は自分の唇をなぞりながら、神牙の右腕に視線を向け、その右腕に宿る力の正体を明かした。
「───お前の右腕は人間が憑依される一瞬前に戻していただけだ」
絶望的な事実に神牙の背筋が凍った。
───こんな予定ではなかった。
この力を使って多くの人間をホラーから人間に戻すはずだった。
それだと言うのにこの力の正体はただの瞞しだったのか。
「そして、俺の合図で再生が始まった」
頭を抑え、乱れる精神を何とか元に戻す。
多少はクールダウンしたその思考で、神牙は目の前の青年を睨めつけた。
神牙はその表情を崩さない。
「怖いねえ……すべてはお前が撒いた種だろう」
「黙れ!」
魔戒剣を振るい、青年を袈裟斬りにする。
しかし、それは無数の蝙蝠に分裂、神牙の目の前に再び現れると鳩尾に向けて容赦のない蹴りを放った。
気味の悪い音が自分の口から漏れる。神牙は充血した眼で剣を突き出す。しかし、こんなににも遅い太刀筋、目の前の青年に通用するはずもなかった。
青年は神牙の顎を蹴り飛ばすと、己の剣を撫でた。
「こんなににも愚かな姿を見せられるなんてな。お前の大切な弟も可哀想だ」
その言葉に意識が鮮明となり、後ろを振り向く。
いつの間にか結界の白い空間が晴れ、一部だけ透明になっていた。
その様子を見るに、どうやらホラーには戻っていないらしい。神牙は安心したように息を吐いた。
「……刀眞は、人間だ。ホラーには戻らない」
自己暗示のようなその言葉で自分を安心させる。すると、青年は剣先をこちらへと向ける。
「だったら───抱きしめてやれよ」
自分にかけた自己暗示が一瞬で消えていくのを体感する。
首を左右に振りながら、目の前の青年に懇願する。
「……やめろ。刀眞には何もするな」
唇に着いた血を拭いながら言うと、青年は厭らしく笑った。そのまま外に出ても、青年は何もすることは無かった。
止まっていた時間が動き出し、刀眞がこちらへと走ってくる。
刀眞の肩を掴み、後ろを振り向くと神牙と瓜二つの青年はどこにもいない。
「刀眞、大丈夫だ!刀眞は俺が守る!」
その言葉に刀眞は顔を歪めると、神牙が掴んだ手を振り払った。動揺する神牙を目の前に、刀眞は叫んだ。
「お前は魔戒騎士なんかじゃない!どうして楓紗を殺したんだ!!」
慌てて刀眞を宥めようとするも、刀眞は聞く耳を持たなかった。刀眞は訓練用の剣を振り上げ、神牙に容赦なく襲いかかって来る。
半年前のあの日も、こうだった。
父を斬ろうとする己の前に立ち塞がる刀眞。そして、今も耳の奥に残るあの言葉。
すべてが、ビデオプレーヤーで再生されるかのごとく、鮮明に蘇ってくる。
刀眞が剣を上段から振り下ろす。遅れて神牙もやれまいと魔戒剣で攻撃を防ぐ。全体重を乗せた一撃に僅かながら、左腕が痺れる。
高く澄んだ金属音が遺跡に鳴り響く。飛び散った大量の火花が白く焼き付いたままの視界に、次の攻撃の光が見える。
一切距離を取らず跳躍すると、神牙は刀眞を後ろから抱きしめた。
「刀眞、落ち着け。俺だ、神牙だ」
そう言い聞かせるも、刀眞は聞く耳を持たない。
「お前は……兄ちゃんなんかじゃ、ない!」
その腕をくぐり抜け、剣を弾くと刀眞を距離を取る。
そして、再び呪いの言葉を、口にした。
「お前はホラーだ!」
完全に蘇るあの日の記憶。
生暖かい母親の鮮血。
父親を斬った時の感覚。
「うぉおおお!」
刀眞は絶叫しながら走り、そして───ホラーになった。ホラーに、戻った。
「刀、眞……?」
震える声で、その名を呼ぶと刀眞だったホラーはこちらを睨み、叫ぶ。
『
魔戒語で刀眞はそう言い、自身の目と鼻の先にまでやってきた番犬所の魔戒騎士を切り裂き、捕食した。
思考が追いつかなくなり、神牙は慟哭する。
慟哭する神牙に、刀眞がこちらへと襲いかかって来る。
その直前で神牙は元の白い空間に戻された。
神牙の魔戒剣が手から滑り降ちる。頭を抱え、泣き呻く神牙の後ろに、青年の気配が再び生まれた。
「はははは!どうだ?これが現実だ!!」
青年は謳うように言う。
「右手の力が瞞しでも魔戒騎士にはやらなきゃいけない事があるだろう?」
───出来ない。
───俺には出来ない。一度だけではなく、二度までも。大事な、それに最後の血縁者を斬るなど。俺には到底───
───なら、ここで自決するしか───
神牙の五感が遠退いていく。
『───それでいいのか?』
目の前が真っ暗になり、絶望の海に投げ出されていた時だ。
神牙の頭の中に男の声が鳴り響いた。とても懐かしく、聞き覚えのある声だが、誰のものだっただろうか。よく、思い出せない。
『神牙。お前はそこまでの男だったのか?』
何を言うのか、と神牙は呟いた。
右腕に宿る奇跡の力は偽物だった。人も救えない。ホラーから人間には戻せない。そんな自分にどうしろと言うんだ。
『それでもお前は、魔戒騎士なのか?』
ホラーを人間に戻す奇跡の力なんてものに魅せられた時点で、もう魔戒騎士ではなかったのだ。父から受け継いだこの鎧はやはり、継ぐべきではなかったのかもしれない。
『そうだとしても。今のお前はやらなければいけない使命があるだろう』
使命、だと?罪を償って死ぬ事が使命なのか?
『目を覚ませ神牙!お前はなんだ!最高の魔戒騎士か!?それともホラーを人間に戻せる救世主か!?』
その言葉に、目前がクリアになっていく。
『否だ!お前は、魔戒騎士!その使命に則り、葛藤の中で私を斬った魔戒騎士だ!』
瞬間、神牙の世界が砕けた。
灰色の空に一筋の光が差し込んだような、気がした。
『魔戒騎士としての使命を果たせ!御影神牙!!』
意識が、浮かび上がる。
「……すべてはお前が招いたことだ。最高の魔戒騎士だと?ホラーを人間に戻す奇跡の力だと?」
絶望の中、消え失せていた五感が次第に戻ってくるのを感じた。覚束無い足を奮い立たせ、地面に落ちた魔戒剣を拾い上げる。
まだ寒気がする。これが夢なら覚めてくれ。だが、これは現実だ。
「お前は愚かだ。そうだな、ずっと昔に戦ったあの魔戒騎士の男なら───そんな力には見向きもしなかったはずだ」
誰のことを言っているのかは、神牙には分からない。ただ一つ、分かることといえば、この青年の言っていることは何一つ間違えていないということだ。皮肉にも、悪の方が正義のことをよく理解していたのだ。
魔戒剣を杖代わりにして立ち上がると、神牙はその鈍い光を放つ魔戒剣を睨んだ。
「……ああ、お前の、言う通りだ」
奇跡の力なんてそもそもなかった。
これは自分の未熟さが生んだ罰だったのかもしれない。その結果、何人もの敵を作り、多くを裏切り。自らの手で大切なものすら殺した。
もしあの時踏みとどまっていればと思うが、既に後の祭りだ。
「……俺は愚かだ。勝手に右腕の力に期待して、勝手に絶望して───お前に踊らされた哀れな道化だ」
右腕に魔戒剣を擦り付けると、思いっきり突き刺さした。赤黒い鮮血が白い地面を汚し、血溜まりを作っていく。青年が顔を顰め、何をしていると訊ねると神牙は右腕に突き刺した魔戒剣を抜いた。
呻き、痛む右手を開きながら、男の前に突き出す。
「この力は瞞しだ。だから、もうこれは要らない」
一人の魔戒騎士としての使命を全うする。ただ、それだけだ。神牙は、目の前で興味深そうに目を細める青年を睨む。
「それで、お前はどうするんだ?」
血の滴る魔戒剣を手でなぞり、天へと掲げる。
「───俺は御影神牙。最高の魔戒騎士でも、救世主でも無い。ただの魔戒騎士だ」
螺旋状に円を描き、左手を上げる。
「 ───今度こそ迷わない。すべてのホラーは俺が斬る!」
神牙を中心に纏わり着く漆黒の鎧。二本の角が生えた兜を被り、くぐもった声で叫ぶ。形が変わり、広くなった赤い魔戒剣を右腕に擦り付けると、銀色の火花が飛び散る。白い空間に鎧と剣が擦れる甲高い金属音が鳴り響いた。
青年は呆気にとられたような表情を一瞬して、すぐに狂気じみた表情を浮かべると、狂ったように嗤う。
「くくく、ふははははは!!」
垂れた前髪をかきあげ、黒い拵えの魔戒剣を構えると、青年は左手を徐ろに胸元に当てた。
「なら俺を斬ってみろよ───御影神牙!」
裂帛の気迫と共に、青年の姿が二本の角を生やした赤色の鬼神の身体へと変化する。
これが目の前の青年の真の姿。ホラーとしての姿である。
青年は勿体つけるように、左手の手の指を一本ずつ動かして拳を開く。
「来いよ、神牙ッ!」
神牙は白い地面を蹴り、下から剣を振り上げ。
「はぁあ!!」
青年もまた地面を蹴り、上から剣を振り下ろした。
「ふんっ!!」
剣と剣がぶつかり合い、眩い火花が散った。
【煌】へ続く