ネイア・バラハの冒険~正義とは~ 作:kirishima13
帝都へと向かう幽霊船の上でハムスケは「くぅ……クズがあああ」と怒り狂ったモモンガによって魔法でトブの大森林に強制送還されることとなった。よほどマグロを食べたかったらしい。マグロというものを知らないネイアからすればよく分からないが、話を聞くとモモンガも本物は食べたことがないらしかった。ハムスケは「殿~!」と名残惜しそうな断末魔をあげて送還されていたのでその忠義が本物であればまた追いかけてくるかもしれないだろう。
そして、ついに帝都付近の丘へと幽霊船が接岸する。錨とタラップが下ろされ、ネイアが船長たちにお礼を言おうと振り返る。しかし、そこにはわがままを言っている骨がいた。
「ネイア、俺たちの旅はここまでのようだ。俺ここの家の子になる」
「何言ってるんですか!モモンガさん!?」
「ここでならば私は食事ができる!人間らしい生活ができるんだ!ネイア、本当の正義を探すという旅、がんばってくれ。応援しているぞ」
右手の指をサムズアップし、赤い眼光の片方が細まる。ウィンクでもしているつもりだろうか。この骨、本気で言ってるのであれば殴ってやりたい。一緒に世界を回りたいと言っていたくせに。見かねた船長がネイアに助け舟を出す。
「おいおい、いい加減にしろよ旦那。嫁さんが困ってんじゃねえか」
「よ、嫁さん!?」
「あ?違ったか?」
「ちちち違いますよ!っていうかモモンさんわがまま言ってないで早く行きましょうよ。帝都に行くんでしょう」
「だが、食べ物が……くっ……」
「また来ればいいじゃねえか旦那。あんたたちならいつでも歓迎するぜ」
「そうか……そうだな……キャプテン!絶対にまた来るから!海を汚すような奴が現れたら《伝言》で教えてくれ。俺が全力で排除してやるからな!」
「はははっ、そんなやつらは旦那に頼るまでもなく俺たちが許さねえよ。元気でな」
「ああ、キャプテンも」
アンデッド同士が「元気でな」と手を取り合ってる。モモンガとネイアは平野を離れると着けていた眼鏡を外す。名残惜しそうに何度も振り向くモモンガ。その先には、先ほどの海はなく、深い深い青い霧の中へと幽霊船が消えていくところであった。
船の上での出来事がまるで夢の中のように思える。しかし、彼らは実際に存在し、その信念に基づいて生きていた。そんな彼らに未だ未練があるのか、それとも彼らの食料に未練があるのか、何度も何度も離れ行く船へ伸ばそうとするモモンガの手をつかむと、帝都へ向けてネイアはその手を引くのであった。
♦
帝都アーウィンタール。帝国が誇る首都であるこの都市は活気にあふれていた。リ・エスティーゼも王都として立派なものであったが、建物だけは立派だがそこに暮らしている人々からは暗い影がにじみ出ていた。しかし、帝都はそれを感じさせない。道行く荷馬車には商品と思われる野菜や果物、原料や燃料となる木材なども山と積まれ、賑わいのある街並みの中を行き交っている。
ネイアの聞いた噂だと先代の皇帝が亡くなり、跡を継いだ現皇帝が非常に優秀だということだ。腐敗した政治を一掃するため血族を含む王侯貴族をも粛清した鮮血帝という恐ろしい二つ名を持っているが、これがその成果なのだろう。
ネイアとモモンガはワーカー御用達という宿に部屋を取ると、街に繰り出した。王都ではすぐに仕事を始めてしまったが、今回はモモンガの使い魔に頼るのではなく情報収集は自分たちで行うということになっている。
そして観光と情報収集を兼ねて二人は帝都の北市場に来ていた。宿の主人によるとここが一番活気にあふれた市場ということだ。魔法道具の取引が盛んのようであり、モモンガは冷気の出る箱などの生活道具に興味津々のようで色々と触っては店主を質問攻めにしている。子供のようにはしゃぐモモンガを横目にネイアは冒険に必要な道具を買っておこうと考える。
王都では強敵ばかりとの戦闘であったし、エ・ランテル解放時にもらった少なくない報酬もある。装備をよりよいものにしておくのは間違いではないだろう。魔法道具をいじりまくって店主を困らせてるモモンガは放置して、武器や防具を扱っている場所へと足を踏み入れた。
♦
その場所へ足を踏み入れた途端、ネイアは周りから強い視線を感じる。また自分の外見が原因かと思うが、ミラーシェードは外していない。じろじろ試すように蠢く視線を気にしながら、一つの店の商品に目が留まる。弓だ。それも魔法を付与されているらしく鈍く魔法の光を放っている。商品を見せてもらうため、店主に話しかけようとすると逆に店主から冷たい声をかけられる。
「冷やかしかい?」
「え?」
まだ買うとも買わないとも言っていないのにいきなり言われた言葉が頭に入ってこない。
「あの、冷やかしってどういうことですか。この弓を見せてほしいのですけど」
「あのなぁ、嬢ちゃん。あんた、そんな見ただけで超一級品って分かる弓を背負っておいて俺の店で買い物をするのかい?それにその腰の短剣やその被ってるやつもとてつもねえ一品だろ。それ以上の品なんてここにはねえよ。勘弁してくれ」
「え?え?」
ネイアは自分の背と腰に目をやり、モモンガからもらった武器を見る。確かに一級品とは分かってはいたが市場にこれ以上のものがないほどのものだったとは思わなかった。
「え、えーっと、じゃあ、どこへ行けばもっと良いものが手に入りますか?」
「ちょっとその短剣見せてくれるか?」
ネイアが腰の短剣を差し出すと、店主は震える手でその剣に魔法を発動した。
「《
魔法をかけた店主の顔が青ざめ、その頬に汗が垂れる。
「おいおい、こいつぁ……」
「どうしたんですか?」
「嬢ちゃん。これをどこで手に入れた?どこでこれ以上のものが手に入るかだって?これ以上のものっつったら皇帝陛下直下の魔術研究機関でも手に入るかどうかわかんねえよ。伝説級の武器だぞこいつぁ」
(伝説?これが?え?こ、こんなのポンとくれるとかモモンガさんって……)
すごいアイテムだとは思っていたが軽くくれたこともあり、それほどとは思っていなかった。改めて見ると商品として並んでいる品々よりその魔法の輝きは鋭いように見える。
「なぁ、それを売る気はないか?金は……100金貨……いや、200金貨でどうだ。いくら値が張っても手に入れたいだろう逸品だ。冒険者やワーカーならなおさらな」
冒険者やワーカーが欲しがる、ということは店主もその類なのだろう。ここは商人だけじゃなく冒険者等も自分たちに不要なものを売っていると聞く。しかし、モモンガにもらったものを無断で売るわけにはいかない。
改めてネイアは短剣をまじまじと見つめる。ブルークリスタルメタルと言う金属でできているらしい。魔法の輝きを放つ透き通った刃はあれだけ使ったにも関わらず刃こぼれの一つもない。ふと周りを見ると冒険者や商人といった人間たちが刀身を見つめて固まっていた。
(あ、これまずいやつだ)
これ以上この場にいても欲しいものを見つけることもできないだろう。それに何だか面倒ごとに巻き込まれそうだ。ネイアは武器防具などの並ぶその地区を離れるとモモンガを探して、来た道を戻るのであった。
♦
モモンガとネイアは買い物の後、買ったものの報告会も兼ねてカフェでお茶をしていた。モモンガは色々と魔法道具を買いあさってきたらしく、無限の背負い袋がいっぱいになるほど買った商品の説明をネイアにしてくれる。
(保存用の冷気魔法の出る箱に暑さを抑えるための冷風の出る羽車……モモンガさんアンデッドだからこういうのいらないよね……)
それを言ってやると、「要らなくても買ってしまう、それがコレクター心理というものだ」と笑っている。意味が分からない。そんな自慢話だか思い出話だかを聞き流しながらネイアはいつものアイスマキャティアを飲んでいた。するとモモンガもまたいつもの調子で飲み物のストローに口をつける。またか、とネイアは微笑む。まったく世話のやける骨だ。
「モモンさん。気を付けてくださいよ」
モモンガの前のグラスが空き、ネイアはハンカチを取り出すが、モモンガのヘルムからいつまで経っても飲み物が零れてこない。
「???」
「ふふんっ、飲み物が零れるかと思ったか?ふふふっ、グラスに入ってるから分からないと思うがこれはあの幽霊船から持ってきた飲み物なんだ。これで俺もしばらくは飲み食いが……」
こっそり幽霊船から譲ってもらってきていたらしい。自慢げに語るモモンガの後ろから店員の声がかかる。
「お客さま、飲み物の持ち込みはご遠慮くださいませんか」
「えっ……あ、はい。すみません……あの……彼女と同じものをください」
店員に怒られてペコペコしている。何をやっているんだか。飲み物が運ばれて来てモモンガが恨めしそうに飲めないそれを見つめてるのを多少同情しながら面白おかしく見ていたネイアだが、そこに突然怒号が響き渡る。
「この馬鹿が!この程度のお使いにどれだけ時間をかけてい・る・ん・で・す・か!」
一言ずつ区切って叫ぶ度に肉を打ち付けるような音をする。見ると、同じカフェの別の席についていた男が騒いでいた。切れ長の目に鈴の音を思わせる涼しい声、眉目秀麗という言葉が似あう美青年であるが、態度はまるでその逆だ。
男の足元には3人の女性が地面に膝をついて俯いている。非常に美しい女性たちだ。王国の黄金姫も美しかったが、この3人は背もスラリと高く、身にまとっているものはみすぼらしいがすらりと長い手足に透き通るような肌。人間離れした美しさがある。
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい」
女性が必死に頭を下げ謝っているが男は納得いかないようで、足を上げるとなんと土下座している女性の手を踏みつけた。
「~~~っ!」
ぐりぐりといたぶる様に踏みつけられながら女性は悲鳴を押し殺している。女性が何をやったのかは知らないがやりすぎだ。他の二人の女性も跪いたまま顔を伏せている。周りの客を見ると顔をしかめてはいるが誰も何も言わなかった。
(なんで!?なんで誰も助けようとしないの!?)
周りの人たちは何故か誰も動こうとしなかった。しかし、ネイアには見て見ぬふりをすることなどできない。圧倒的な強者が弱者をいたぶっているようにしか見えなかったからだ。考えるより先に口が出ていた。
「ちょっと!そこのあなた!何をしてるんですか!やめてください!女の人に手を上げるなんて!」
突然声をかけられた男はネイアの方を振り向き、訳が分からないといった様子で首を傾げている。
「あなたは?なんでそんなことを言うんです?」
「なんでって……困ってる人がいたら助けようとするのは当たり前でしょう!」
ネイアのその言葉にハッとしたようにモモンガと女性たちがネイアを見る。モモンガは「たっちさん……」と呟いているが何のことだろうか。対照的に周りの人間たちはバツが悪そうに目を伏せる。男は目を細めてほほ笑むとネイアの言葉に頷いた。
「あなたはとても優しい方ですね。それに勇気もある。私もあなたの意見には賛成です。困っている人がいたら私も手を差し伸べますよ。ですが、勘違いされてますね。私は奴隷の躾をしているだけですよ?」
「奴隷!?この国では人を奴隷にしてるんですか!?それも女の人を!」
「何をいってるですか。
ネイアはあらためて女性たちを見る。美しいその外見はどう見ても人間の女性にしか見えない。これで男だとでもいうのだろうか。
「どこがですか!どう見ても女の人でしょう」
「ああ、そういえば見苦しいので切り落としてしまいましたから分かりにくいかもしれませんね。こいつらは人間ではありません。エルフです」
女性たちをよく見ると耳の形が少し違った。もともと長かったものが途中から切り落とされているように見える。
「エルフ?エルフの耳にそんなことを……」
目の前のエルフたちへの扱いのあまりの痛々しさにネイアは言葉に詰まる。
「それにこいつらだって文句はないんですよ?ねぇ?」
そう言って男はエルフの豊満な胸の片方を握りしめると力いっぱい捻った。
「うっ……」
「まぁエルフの割には役に立ちますよ。使い捨てにするもよし、まぁ飽きるまでは夜に奉仕させていたぶるのもよし」
この男はエルフに夜の奉仕までさせていると言うのだろうか。
「許せない!」
ネイアが思わず立ちあがるとモモンガがその肩をつかんだ。
「待つんだ、ネイア」
「モモンガさん!止めるんですか!?」
「落ち着くんだ。私はワーカーチーム漆黒のモモンと言います。この国では奴隷制が認められているのですか?」
「ええ、エルフや亜人たちは奴隷として売り買いされていますよ。これらは私の所有物ということになるでしょうね」
「そうですか……。うちの連れが失礼しました。実は我々はこの国に来たばかりなのです」
「ところで漆黒というと、もしかして聖王国の冒険者?ワーカー?なぜこの国に?」
「ここがとてもいい国と聞いたものでね。あなたのお名前を伺っても?」
「私はワーカーチーム天武のエルヤー・ウズルス。今後お見知りおきを」
「モモンさん。そんなことよりエルフさんたちを……」
「ネイア。郷に入っては郷に従えだ。この国では奴隷制が認められているのであれば口を出せる問題ではないかもしれない」
「人間の奴隷は認められませんが、亜人は人間ではありません。気にする者もいますが、私に言わせれば人間以外などどうなろうと気にする必要はありませんよ」
「なるほど……ありがとう。くだらないことを聞いてしまったな」
「いえいえ、お気になさらず。女性がこのようなものを見るのに嫌悪感を抱くのはわかりますよ。それでは我々は退散するとしましょう。さあ、行きますよ」
そう言ってエルヤーはエルフたちを引き連れてカフェを去っていく。
(モモンガさんなんでそんな落ち着いていられるの。あなただって人間じゃないのに!それになんで周りの人たちはこれを見て見ぬふりしてられるの!)
モモンガの言っていることも分かる。奴隷制度はこの帝国が定めたものだ。それを否定するということはこの国の法に背くということ。ここで力づくで助けたとしても自分たちは犯罪者となってしまうだろう。今までのように法に背くものを相手にしていたのとは違う。
やるせなさに項垂れながらそれでもネイアは諦めきれずにエルヤーの後ろについていくエルフたちの後ろ姿に声をかけていた。
「助けてほしいですか?」
ネイアの声が聞こえていたのかいなかったのか、エルフの一人が声にならない声を出し唇を動かしていた気がした。「タスケテ」と。
♦
エルヤーたちが去り、モモンガはネイアの肩に乗せていた手をどける。
「モモンガさん……。私は……」
「わかっているネイア。だが、奴隷制はこの国が定めたこと。あのエルフたちをどうにかするには力ずくで奪うか、この国の制度自体を変える必要がある。後者は難しいだろうな。力ずくでというのであれば手を貸すが……」
モモンガは言葉を濁す。その場合この国から追われる立場になるだろう。
「何とかなりませんか……」
「あの場でどうこうはすることは難しかっただろう。それに何とか出来るか出来ないかを知るためにもこの国を知ることから始めようじゃないか」
「この国を知る?」
「ルールも知らずに勝負はできない。まずは依頼をこなしながらこの国に慣れよう。情報も自然と集まってくるだろう」
確かにモモンガの言うことは正論だ。法律で何をやってよくて何をやってはいけないのか知らなければ対応のしようもない。不承不承にネイアはモモンガの提案を受け入れる。そしてネイアは唇を噛みしめた、目の前で困っている人を助けられない自分の不甲斐なさが悔しくて。
♦
宿へと戻ったモモンガとネイア。宿の名は《歌う林檎亭》という。ワーカー御用達の宿だ。早速店主に依頼はないか確認する。するとモモンガたちが外に出ている間に店主が手を回したらしく、名指しの仕事がわんさかあるとのことであった。エ・ランテルを解放したワーカーチームということで帝国で名が売れており、その名を出した途端依頼が殺到したのだ。店主が嬉しそうに渡してくる依頼の束を二人で確認する。
「モモンさん、これって……」
「はぁー、またか。もう嫌になるな。どうせ政治的な話だろう」
依頼書をよく見ると貴族や大商人、さらにはこの国の皇帝直属の組織からの依頼まである。依頼料も法外でありどう見てもモモンガとネイアを取り込もうと企んでいるとしか思えない。あからさまなその依頼の数々にネイアは嫌気がさす。
「うーん……断っちゃいましょうか」
「だな。主人、そっちの横に分けてある依頼書はなんだ?」
「こいつは名指しじゃない依頼だが、そっちのやつほど条件のいいのはないぞ?」
「それを見せてくれ。これらは断らせてもらう」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。名指しの依頼だぞ」
ワーカーとして名誉この上ない名指しの依頼をあっさりと突き返され目を白黒させている。名指しの依頼を断るような者はいなかったし、その手数料も破格であったからだ。そんな店主のため息も気にせず、その目の前でモモンガとネイアは紙の束と格闘していた。モモンガは兜の上からモノクルをかけ、依頼書を確認している。一通り見終わった二人は同時に紙を突き出した。
「「これ!」」
モモンガの取り出した依頼書は『闘技場の出場者募集』の紙だ。相手は決まっているようでその挑戦者を募集しているらしい。一方ネイアの取り出した依頼書は『アゼルリシア山脈のドワーフ国の調査』の紙だ。ここ数年ドワーフ国からの行商人が途絶えているため調査をお願いしたいというものだ。
「ちょっとモモンガさん。なんで闘技場なんかで戦わなくちゃいけないんですか。見世物なんかになりたくないですよ」
「いやいや、ネイアそれは早計だ。王国ではたまたま敵が現れたが、人と戦う機会なんて今後はあまりないかもしれないぞ。強くなるにはうってつけの依頼だ」
「いやいや、モモンガさん。そんなことより冒険をしましょうよ。未知を既知へと変えるワクワクが好きなんじゃないですか」
「その依頼の依頼日を見てみろ。3年以上前だ。その間誰もその依頼を受けなかった。または誰も依頼をこなせなかったということだ。そんな危険な依頼の前に腕試しをするのも悪くないだろう」
二人の意見は真っ二つに分かれる。そしてしばらくするとモモンガが笑いだす。
「くくっ、ネイア。言うことに遠慮がなくなってきたな」
「ふふっ、モモンガさんの言うとおりにしてたら命がいくつあっても足りないってことがようやくわかってきましたからね」
頭をぶつけあってにらみ合う骨と凶眼。がっくりと項垂れた店主。どうしたものかと思っているとモモンガが一つの提案をしてきた。
「意見が分かれたときはコインで決める。これはかつての仲間たちとの取り決めなんだが、どうだ。コインで決めるというのは」
「コインで?どうやって決めるんです?」
「あの時はコインの多数決で決めていたが、今回は裏表で決めるか」
モモンガはそういうと見たこともないコインを取り出した。非常に精巧な絵が彫られており、このあたりの金貨より厚くずっと立派に見える。
「こちらが表でこちらが裏だ。さあ、どっちにする?」
「じゃあ……裏で」
ネイアが特に理由もなく決めるとモモンガが指輪を付け替え、そしてその赤い眼光が細まる。ネイアにはモモンガがニヤリと笑ったと分かった。モモンガはコインを弾くと小さい声で魔法を唱える。
「《
宙に舞ったコインが机におち、チャリーンと高い音を出した後くるくると回る。そしてやがて回転する力を失った。そして上になった面は「表」。
「よし、じゃあ俺の勝ちだな。いや、ついてるなー」
「ちょっと待って!待ってください!モモンガさん!今なんか魔法使いましたよね!?あ、さっきの指輪!あれでしょう!あれが魔法を使えるようになる指輪なんでしょう!」
「ふふふっ、魔法は使ってはいけないと決めていなかったからな」
「ずるい!」
「言っただろう?まずルールを確認することが大切だと」
(こ、この骨は……)
確かにルールを確認するのは大切だといういい教訓にはなったが悔しい。しかたなく諦めてふてくされたように依頼書をひったくるように確認する。そして挑戦者を募集している相手の名前を見るとネイアの目はそこに釘付けになった。
それをネイアの怒りのサインだと勘違いしたのかモモンガは弱気な声でネイアに話しかけてくる。
「いや、ネイア。悪かったって、ズルして。そんな怒るならネイアの方の依頼が先でも……」
「モモンさん!これ受けましょう!」
「はぁ!?なんで!?」
「挑戦者募集の相手……これを見てください。あと……ちょっとお願いしたいことがあります」
その依頼の依頼主はオスク。依頼内容は闘技場での剣闘への出場。大トリの挑戦者募集の相手には「武王」の名がある。そして第1試合にその名前はあった。「ワーカーチーム天武、代表エルヤー・ウズルス」の名が。
♦
「エルヤー!」「エルヤー!」「エルヤー!」
場内にエルヤーコールが起きている。バハルス帝国闘技場、そこでは興行主プロモーターたちによって剣闘試合が行われる。試合は対等とは限らず、亜人奴隷を魔獣に虐殺させる目的のものや、冒険者がチームで参加することすらあり、その人気は非常に高い。特に本日は久しぶりに闘技場最強の戦士、武王の試合が行われるとあり会場は高めの入場料にも関わらず満員御礼。雰囲気だけでも味わおうと外にまで人だかりができるほどだ。一般の市民だけでなく、一目で冒険者やワーカーと思われる客もいる。武王の対戦相手となる漆黒のモモンの実力を知ろうと思うものもいるのだろう。
ネイアは第1試合に申し込み、見合う実力かどうかの審査を受け無事対戦相手として認められた。それもネイア一人に対し相手はチーム全員だ。個人としては漆黒のモモンのチームメンバーであるネイアのほうが格上とみられたのだろう。しかしそれでもエルヤー・ウズルスはこの闘技場では圧倒的に人気のある出場者らしい。そしてその対戦相手が噂の漆黒の相棒となれば盛り上がらないわけがなかった。
対戦相手の登場を待ちながらネイアは考える。モモンガはルールを確認しておくことは重要だといっていた。そして相手の情報を得ておくことも大切だと。そのため、ネイアは事前に相手のことを調べている。
エルヤー・ウズルス。刀使いであり、その剣技だけで言えばオリハルコン級冒険者に単騎で勝てるのではないかと言われ、アダマンタイトにも匹敵するとか。法国の出身で法国の国是である人間至上主義に傾倒しており、エルフを奴隷として買っている。また、同じ宿に泊まったという者の話では性的虐待をしているだろう声を聴いたと言う証言もあった。聞けば聞くほど許せない相手ではある。
また、チームメンバーは魔法詠唱者3人という話だ。それぞれが攻撃、補助、回復とチームとしてのバランスがよく相手にするには非常に厄介な相手だ。
ネイアは頭の中で事前に考えておいた作戦を反芻する。まずは回復役を真っ先につぶしておくべきだろう。そして次は遠距離攻撃と補助魔法の使い手だ。彼らの支援を捌きながら凄腕の剣士と戦うなどさすがのネイアでもごめん被る。
だが、ネイアはこの後モモンガの助言を疎かにしていたことを思い知ることになる。
闘技場の格子をくぐって現れた対戦相手。それはエルヤー・ウズルス、そしてそのチームメンバーの魔法詠唱者たち。ネイアが真っ先に倒そうと作戦を練っていたその相手こそあの虐待されていたエルフたちであった。ワーカーチーム天武、それはエルヤーと奴隷のエルフたちにより構成されていたのだった。
♦
ネイアは相手のチームの構成は調べたものの、調べたのは能力だけでありその素性について抜け落ちていたのだ。エルフたちは奴隷として虐げられている労働や奉仕のための奴隷の弱い女性たちだと思い込んでいた。しかし、彼女たちは今、敵として自分の前に立っている。
ネイアが守りたいと思ったエルフ達。傷つけられ、迫害されているエルフを傷つけることなどネイアにはしたくはない。しかし、そのためにはネイアはエルフを傷つけずにエルヤーのみを倒さねばならない。そんなことが出来るのだろうか。
助けたいと思っている相手が敵となったことによる困惑の表情を弱気と見て取ったのかエルヤーがネイアに声をかける。
「まさかあなたが相手とは驚きましたよ。女性を相手に刀を振るうのは好きじゃありません。棄権するというのであれば認めますのでどうぞお早めに」
「まさか……そんなことはしない」
冷や汗を隠しつつ、ネイアはエルヤーに見せつけるように短剣を腰から引き抜く。ここからがモモンガと相談した駆け引きだ。その短剣の青い輝きを目にしたエルヤーの表情が一変した。
「ほぅ、それは……。とてつもない武器ですね。その手の短剣。あなたにはもったいない」
(来た!)
ネイアの予想通りエルヤーの目に欲望の色を見る。市場で聞いた限りこの武具は冒険者やワーカーであれば喉から手が出るほど価値のあるもの。それを賭けの対象として使う。これがモモンガにネイアがお願いしたことであった。
闘技場での試合は勝ち負けを賭けの対象とされている。観客は思い思いの相手に賭け、試合をより楽しむことができる。そして対戦者同士もお互いに金品を賭けて勝負をしても良いことになっていた。
「賭けをしませんか?」
「は?賭け?」
「あなたが勝ったらこの短剣を差し上げます」
この武器を賭けの対象にすればエルヤーは乗ってくる。この武器に匹敵するような魔法道具はめったにないほどの希少品だ。それを賭けの対象とする許可をネイアはモモンガから得ている。エルヤーは二つ返事でそれを受ける。
「それは素晴らしい。では私が負けたら何を差し上げればいいのですか?この刀ではそれに釣り合わない気がしますが」
(乗ってきたわね)
自分が負けるとはこれっぽっちも思っていないような口調だ。エルヤーに代案を考えさせる間を与えずにネイアは畳みかける。
「私が勝ったらそのエルフの女性達を解放してください。そして今後もうエルフの奴隷を買ったりしないと約束してください」
「はぁ?そんなことをしてあなたに何の得があるんです?」
エルヤーが心底不思議そうにしている。しかし、この男にはネイアのこの気持ちが分かるはずもない。
「分からないんですか?いえ、分からないんでしょうね」
人間至上主義の目の前の男に言っても分からないだろう。それともあの六腕の人たちのように改心するだろうか。どちらにしてもそれは勝ってからの話だ。
「まぁいいですよ。その短剣がいただけるのならね。私が負けるわけがないのでね」
絶対の自信を見せるエルヤーに、ネイアはミラーシェードを上げて、相手を見る。エルヤーの強さは自分と同じくらいだろうか。しかし、自分より弱く見えるとはいえ、エルフ達3人が付いている。油断は決してできない。
「そんなに睨まないでくださいよ。安心してください。私は女性には優しい男なんですよ。危ないと思ったらいつでも棄権を認めますからおっしゃってください。命までは奪いませんよ」
(その女性には人間以外は含まれていないんでしょう!そんなことを言われてもうれしくもなんともない!)
ネイアが短剣を抜いたように、エルヤーも刀を引き抜きそれぞれが構えをとった。それを準備が整った合図と受け取ったのか、闘技場の審判が声を高らかに開始の宣言を行った。
「第一試合 天武VSネイア・バラハ 試合開始!」
審判の合図とともにこの日最初の闘技が開始された。
♦
開始時はお互いにかなりの距離を置いている。
(先手必勝!)
開始の合図と同時にネイアは短剣をしまい、弓に矢を番えるとエルヤーに向かって解き放つ。剣術を得意とする相手なのだ、この開始直後の瞬間くらいしか弓を使う機会はないだろう。
ネイアの渾身の一矢がエルヤーへと向かい、蛇射の効果で跳ね上がる。しかし、そこで驚くべきことが起こった。エルヤーの体がぶれたかと思うと矢はその体を貫くことなく後方へと消えていったのだ。
(うそ!?どうやって避けたの!?)
ネイアは目を疑う。足を使って避けたというのであれば分かるが、足の動きは一切なかった。《領域》の範囲内であれば何が起こったか把握できたであろうが、エルヤーはその範囲外だ。
ネイアの動揺を見て取ったのか、エルヤーはニヤつきながら刀を持って突進してきた。ネイアは《領域》を発動させてエルヤーの動きを把握する。
「しゃあ!」
ネイアの間合いに入ってきたエルヤーは刀を振り下ろすがネイアは紙一重でそれを躱す。
(いける。《領域》で動きを見切りさえすれば……)
しかし、エルヤーも避けられたままでは終わらない。振り下ろされた刀は跳ね上がるようにネイアの体を切り裂こうと向きを変えた。観客席から歓声とも悲鳴ともとれる黄色い声が上がる。「ネイアが斬られる」、観客にそう思わせた刀はネイアに当たる直前で寸止めされていた。
「ふぅ……実力の違いを見せつけて降参させて差し上げようと思いましたが……」
そう言うエルヤーの寸止めさせた刀の先にはそこへ割り込むように構えられたネイアの短剣が差し込まれていた。
エルヤーはため息を一つつくと後ろに飛び退る。
「なるほど、私の対戦相手として不足はない、選ばれただけはあるということですか。では……またこっちから行きますよ!」
エルヤーが再びネイアの間合いに入る。だが、二度目なだけあり、《領域》によりエルヤーの刀の動きがよく分かった。
(この人の刀は一太刀では終わらない。流れがある……。隙のないように大振りをしてもそれを補う技を持っている。でも……)
踊るようにうまく立ちまわり刃を避け続けるネイアに会場からは喝さいが飛ぶ。それに気を取られたのかエルヤーの体の動きに些細な乱れが生じた。それを見逃すネイアではない。素早く刀を掻い潜るとエルヤーの腕を斬りつけた。刀を振るうにはつらいほどの傷だ。
「ぐぅっ。こ、この糞女が!」
(や、やった!?)
「女と思って油断しましたね。おい!回復魔法をよこせ!」
「は、はいぃ!」
怯えた声とともにエルフの一人から回復魔法が飛ぶ。ネイアの切り裂いた傷口は跡形もなく塞がる。
「なるほど。一対一の勝負ではないのはなぜかと思っていましたが、やはり私のほうが下だと思われていたのですね……。だったら本気を見せて上げましょう。降参するなら今のうちですよ。《能力向上》《能力超向上》。おい!お前ら支援魔法も寄越せ!」
ビクリとエルフ達が震えると、恐る恐るエルヤーに強化魔法をかけ始める。エルヤーの体が武技と支援魔法による輝きが増したように見え、一回り大きくさえ思える。ネイアはミラーシェードをずらしてそれを確認した。
(強い……武技と支援魔法でここまで変わるの……)
「さぁて、行きますよ!」
エルヤーが走り寄るがその速度も先ほどとはまったくの別物であった。《領域》を発動させているとは言え見切れないほどである。
(速い!)
一瞬でネイアの目の前まで接近すると中段から突きを繰り出す。《領域》により動きを読んで避けるが、そこへエルフ達から攻撃魔法が飛んで来る。さらに避けようとするがそこへ魔法が飛ぶ。エルフだ。
「《
大地から泥の触手がネイアの足に絡みつき移動を阻害する。さらに速度低下、筋力低下等の
「ぐっ」
(これが……魔法詠唱者のいるチームとの闘い!?)
エルフからの攻撃魔法は避けきれず体に受けるしかなかった。刀よりは攻撃力に劣るが、魔法の矢で撃たれた部分に激痛が走る。骨までは達していないだろうが相当なダメージだ。だが耐えられないほどではない。ネイアが泥の触手を切り裂くと反撃の刃をエルヤーに向ける。しかし、すでにそこにはエルヤーの姿はなかった。
「武技《縮地・改》」
エルヤーの使った武技は足を動かすことなく水平移動が出来ると言うものだ。全力で走っていたとしても垂直に曲がれる。最初に矢を避けたのもこの武技の発動であった。気づいた時には横にいたエルヤーに斬りつけられている。血が闘技場に舞い、観客席が盛り上がる。
「さぁ、どんどん行きますよ。さあ、あなたたちも包囲を狭めなさい」
エルヤーが刀による一撃必殺の斬撃とエルフ達からの支援攻撃。そこに付け入るスキはほとんどない。
(これがチームとの戦い……今までと全然違う)
今までは偶然や相手の油断により勝ってきたところがある。チームと言える動きで戦ったのはせいぜい双子の忍者くらいだ。しかし、魔法詠唱者を含んだ4人を同時に相手にするとここまで違うとは。しかも、エルヤーは強化魔法によりネイアよりはるかに格上の相手となっている。
「くっ、この……」
ネイアは耐えられずに弓をエルフの一人、移動阻害魔法を使っている女に向け、その足元に撃ち込んだ。当たれば命を失うかもしれないほどの威力だ。だが、当てるつもりはない。
「ひ、ひぃ」
女は怯えた表情で魔法を中断する。そしてネイアの間合いから離れるように移動し始める。
(支援が止まった?なら……)
ネイアがそう考え、エルヤーに向き直るとそこには誰もいなかった。エルヤーは眉間に皺を寄せると移動阻害魔法を中断したエルフのもとへ一瞬で詰め寄る。そして剣を持った腕で裏拳をその顔に叩き込んだ。
「何をやっているんですか!誰が魔法を止めていいといいました!」
「がはっ、はぁ……はぁ……でも……」
唇が切れたのか歯が折れたのか、エルフは口から血を垂らしながらネイアの撃った矢の刺さった地面を見つめる。
「お前は矢で射られようが剣で刺されようが言われたことをしていればいいんですよ!」
「は、はい……」
エルフはふらつきながら立ち上がると杖をネイアに向けて構える。ネイアは信じられなかった。その言動も仲間に向けて拳をふるうその理由も。そして試合中とは言え思わず声を上げてしまう。
「なんてことをするんですか!」
「ああ、すみませんね。でもこれは躾ですから仕方のないことなんです。あなたもエルフを奴隷にしたいのであれば覚えておくといいですよ。まぁ、あなたの怒っている理由もわかりますがね」
「あなたに私の何が分かるっていうんですか!」
「あなたは私に勝ってこのエルフたちが欲しいのでしょう?だから自分のものになる前に傷ついたり死んだりしてその価値がなくなるのが嫌なんですよね」
頷きながらネイアの思ってもいなかったことを理由として語るエルヤー。改めてネイアはこの男の価値観が自分と全く違うということを思い知る。何がこの男をそこまで歪めているのだろうか。ネイアはいつものように相手に問いかける。
「あなたにとって……正義とは何ですか」
「はぁ?何を突然。正義?正義ねぇ。そうですねぇ、私のことでしょうか?」
「は?」
「この私、エルヤー・ウズルス。この己自身が正義であり、私の進んだ足跡が正義の道となるのですよ」
その言葉にネイアはエルヤーの今まで言っていた言葉の意味が胸にストンと落ちる。この男は己のことのみを大切としているのだ。だから己の種族である人間以外を否定するのだ。まるで自己愛の塊だ。そしてそんな男に自分は負けようとしている。
「さて、あなたもエルフを傷つけたくないなどと言っていたら実力が出せませんよ!さあ、再開しましょう!」
再び始まる剣と魔法の応酬、肉体を強化された剣士、魔法攻撃による支援、斬りつけても回復魔法で即座に回復される。素早さを活かそうにも移動を阻害される。ギリギリで攻撃をさばき続けるが、ダメージが蓄積する。腕がしびれ、足も重くなってくる。
(敗北……)
その言葉がネイアの脳裏によぎる。遠くでモモンガが叫んでいる声が聞こえる。エルフを攻撃しろと言っているのだろう。ネイアの中の弱虫が囁く。
『エルフを殺したっていいじゃない』
(違う!そんなのは正義じゃない!)
『じゃあ棄権しちゃおうよ。棄権しちゃえば命までは奪わないって言ってたじゃない』
(嫌だ!負けたくない!ここで負けを認めてしまったら……)
『いいじゃない。本当の正義なんてなかったんだよ』
(負ける?ここで?いや、負けられない!絶対……絶対に負けたくない!)
「ネイア!もう気にするな!エルフたちから倒せ!後のことは気にするな!」
意識が朦朧とする中、モモンガの声がはっきりと聞こえた。《伝言》だろうか。確かにモモンガの言うことは正しい。ここは心を鬼にしてでもエルフたちから倒し、その後、エルヤーと対峙するべきだ。そのほうが遥かに楽に勝利へ近づけるだろう。
だが、エルフを亜人と貶め、自分の欲望を満たすために使い、そして最後は使い捨てるような人間に負けるわけにはいかない。自分の正義を見つけると決め、国を出た自分がこんなところで負けるわけにはいかない。攻撃を避けきれずボロボロになりながらネイアは強く思う。
(力が……力が欲しい。目の前のこの男を倒すだけの力が……)
強くそう想った。その時、ネイアの中に何かが芽生える。そしてその芽生えた何かがこの状況を打開する、そんな確信のもとに叫んだ。
「《能力向上》!」
「はぁ?何ですか?おかしくなってしまったんですか?武技は叫べば使えるというものではありませんよ」
「《能力超向上》!」
「本当に使える?私と同じ武技を!?なぜ最初から使わないのです」
「使えなかったからよ」
「はぁ?今覚えたとでも言うのですか!?」
肉体に力がみなぎる。確かに武技は発動したのだ。エルヤーの言を無視し、さらに感覚の鋭くなったネイアは《領域》による感覚に集中する。エルヤーの刀の動き、エルフ達の魔法の詠唱間隔に状況、それを一瞬のうちに把握する。
エルヤーの刀が空を切った。魔法も最小限の動きで紙一重で掻い潜る。そして弓をひき絞ると3本の矢を同時にエルフ達に解き放った。
「きゃあ!」
エルフ達が悲鳴を上げるが、矢はその足元ぎりぎりに突き刺さる。そして、エルフ達からの支援攻撃が一瞬止まった。
「どうしたのです!さっさと攻撃を続けなさい!殺されたいんですか?」
エルヤーからの怒号にエルフたちが詠唱を再開するが、その隙にネイアはエルヤーから距離を取る。そして地面を蹴ると弓を構えたまま宙を舞った。
「弓での攻撃など無駄なことを!そんなもの叩き落としてやります」
エルヤーは刀を構えて迎撃の体勢を整える。実際、身体強化をしたエルヤーであれば、ネイアの弓を落とすことは可能であろう。ネイアは弓を弾き絞るとエルヤーに向けて射った。
この矢の軌道は一度見ている。エルヤーは放たれた矢が目の前で跳ね上がったとしても対応できるよう全神経を集中する。しかし、弓は跳ね上がらなかった。ネイアが上下反転して射ったからだ。
矢は地面に刺さりそうなほど下へ下がったかと思うと次の瞬間、蛇の
痛みに悶絶するエルヤー。客席の女性たちからキャーと言う黄色い悲鳴が上がり、男たちは股間を押さえて震えあがる。
「お、お前たち……。回復魔法を……」
口から泡を飛ばしながらエルヤーが息も絶え絶えにエルフたちに命令を下す。しかし、誰一人動こうとするものはいなかった。その代わりにエルフたちは降参のサインとして両手を上げる。
「お、お前ら……。うっ……」
泡を吹きうずくまるエルヤー。降参の言葉も出せないそんな様子を見た審判が首を振る。
「勝者!ネイア・バラハ!」
「ネイア」「ネイア」「ネイア」
試合前はエルヤーコール一色だった場内がネイアコールに包まれる。満身創痍であるが、こうして勝利を祝してもらうのも悪くない。そう思い、ついミラーシェードを上げ客席に手を振り、ネイアは自分の行動を後悔した。
(しまった。また私の目を見てみんなに怖がられちゃう……)
会場が静まり返るのではと思い、急いでミラーシェードを下げようとするがそれは杞憂であった。会場のボルテージがさらに上がったのだ。静まるどころか闘技場の観客が腕を振り上げネイアの名を叫んでいる。
「「「ネイア!ネイア!ネイア!」」」
(うけてる!?え?え?そう言えば最近顔怖いとか言われてない……)
思えば幽霊船に乗ってからあたりか、あそこでは見る者の視点によって物の見方が変わるということを学んだ。
(とすると、ここ帝国では私の顔って怖くない?むしろ……)
闘技場の声援に応え手を振ると相手も笑顔のまま全力で振り返してくる。
(私ってここではイケてる!?)
♦
大トリとなる試合はモモンガの勝利で終わった。大剣とこん棒が火花を散らすその戦いは伝説と謳われてもおかしくないほどのものであった。モモンガはかなり手加減をしてたのだろうが、会場を盛り上げに盛り上げ、その戦いぶりで血沸き肉躍る熱戦として語り継がれることになるほどのものであった。
そんな最終試合を終え、ネイアとモモンガは帰路についていた。そして解放されたエルフ達は約束通りネイアたちが預かることとなった。そんなエルフたちを連れたネイアにモモンガは嬉しそうに語りかける。
「ネイア。君はタレントがないとか言っていたが、もしかしたらラーニングの才能があるんじゃないか?」
「ラーニング?」
「人の使った技を自分の技としてしまう特技だ。あのブレインとか言う者の武技も使えるようになった。そして今回は対戦相手の武技だ。ユグドラシルでもモンスターの技なんかを覚える職業があったなぁ」
懐かしそうに語るモモンガ。しかし、そんなことがあるのだろうか。しかし、そんなことが出来るのであれば色々と役に立つだろう。
「今まで見た技とか術を使おうと試してみてはどうだ?」
モモンガに言われて試しにやってみる。あのクレマン何とかが使っていた《疾風走破》を使おうとイメージをしてみる。しかし、発動はしなかった。あの変な足を開いた前傾姿勢だけさせられて恥ずかしい。見ているエルフたちも若干引いているように見える。被害妄想だろうか。
「何も起きなかったんですが」
「えっ、あっ、ごめん」
二人の間に沈黙が下りる。それが合図であったかのように今まで黙っていたエルフの一人が声を上げた。
「ありがとうございます。私たちご主人様に精一杯仕えさせていただきます」
「ありがとうございます」「ありがとうございます」
泣きながら地にひれ伏すエルフたち。エルフたちの耳は重傷扱いだったようでネイアの魔法《重傷治癒》により耳の長さは元通りになっていた。その時は嬉しさと感謝で泣きわめいて大変だったが、今もなお大変な状況である。
「ちょ、ちょっとやめてください!何をしているんですか!」
「私たちの新しいご主人様……なんですよね?」
エルフたちが尊敬と畏怖の籠った目でネイアを見上げている。興奮しているのかその頬は赤く染まっていた。
「ふむ、ネイア。君には支配者の才能もあったのか……指揮系スキルの取得も狙えるか?」
モモンガが訳の分からないことを言っている中、恐る恐るネイアを見上げるエルフたち。奴隷としての生活が長かったのだろう。恐怖と痛みで縛り付けられた精神はネイアの気持ちを理解してくれていなかったようだ。
「やめて!!」
つい大声で叫んでしまう。ネイアの叫びにエルフたちがびくりと震える。モモンガも「ご、ごめんっ」と震えているが今は無視だ。
「私はあなたたちのご主人じゃないです。私とあなたたちは対等な……種族は違うけど対等な人間とエルフです。どっちが上とか下とかそんなのないのよ!」
エルフたちを立たせるとその目を見て語り掛ける。自分はただ目の前の困ってる人を助けたかっただけ。ただそれだけなのだと。そして、エルフたちの目から恐れの感情が消えていく。そして代わりにさらに涙があふれ出した。
「ありがとう……。ありがとうございます。バラハ様……」
「様はいらないわ」
「バラハさー……ん」
そう言って泣きながら抱きついてくるエルフたち。豊満な胸がネイアのいろいろなところに当たる。
(くっ……大きい。美人だし、確かに胸も私より大きい。でも卑屈になっちゃだめよ……会場でも受けてたし私だって……)
自分より背が高く、青い瞳に整った顔の美人のエルフたちを羨ましく思いつつも、ネイアは会場の反応がよかったことで自分の心を慰める。これ以上そのことを考えていると嫉妬心まで芽生えてしまいそうだ。そう思い、ネイアは話題を変える。
「モモンガさん、何とかこの国の奴隷制度……無くならないでしょうか」
「そうだな……皇帝に直談判でもするか?エ・ランテルでも会いたいとか言ってたし。ああ、でもその前にもう一つの依頼をこなすことが先か……」
♦
もう一つの依頼。それはアゼルリシア山脈を調査し、ドワーフ国の状況を確認するというものだ。宿屋にエルフたちを預けると、モモンガとネイアは依頼主の下へと移動する。
依頼主はバハルス帝国の商業組合だ。ドワーフ製の道具は非常に精巧で出来が良く、帝国としては交易の再開をずっと願っているのだ。しかし、数年前よりその足がぱったりと止まった。そしてバハルス帝国にはドワーフ国の正確な場所を知るものはいなかったのだ。冒険者組合にも依頼を出したが危険すぎて引き受け手がない。そこでワーカーに調査をさせようというものであった。
商業組合に入ると受付嬢が案内をしてくれる。心なしか青ざめているようだ。恐る恐る奥の扉をノックし、中からどうぞという声が返る。若く、そして威厳と自信に満ちた男性の声だ。
モモンガとネイアが中に入るとそこにいたのは鎧を着た複数の男女、そして白髪で長いひげを生やした魔法詠唱者と思われる老人。そして一人だけ違った雰囲気の男がいた。サラサラの金色の髪、眉目秀麗の顔立ち、濃い紫で切れ長の瞳。そして何より見るだけで人を支配するようなオーラを放っているように思える。その男は誰もを魅了するような甘く優しげな声で二人を迎え入れた。
「やあ、よく来てくれたね。歓迎するよ」