リリスパ PHOENIX   作:ファルメール

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第11話 子守唄(ララバイ)は静かに奏でられる

 

 空崎市の、とあるビルの屋上。

 

 そこでは、ツキカゲの戦闘服に着替えた雪とモモが緊張した表情で双眼鏡を覗いている。

 

 数十分前、事前に渡されていた携帯電話に鳳凰から会談場所を指定する連絡が入った。

 

 鳳凰と直接接触して話をするツキカゲは2名までと決まっている。

 

 その役目は、既に鳳凰と接触している命とその弟子である楓の二人に任されていた。

 

 雪とモモの師弟は、鳳凰が指定した500メートル以遠ギリギリの位置から監視を行なうのが役目だった。テレジアと接触する予定となっている初芽と、ここからは離れた位置の会談場所候補を張っていた五恵は別行動である。

 

 現在、モモが覗いている双眼鏡には私服姿で油断無く周囲を見回している命と楓の姿が見えている。今は指定された時間の5分前。二人は自分達に鳳凰が何処から近付いてくるのかを、警戒しているのだろう。

 

「ん!!」

 

 すると、双眼鏡越しの二人の動きに変化があった。

 

 ほぼ同時に、一つの方向へと視線を向ける。

 

「現れたかしら?」

 

 すぐ横の雪からも、同じものが見えているらしい。

 

 モモは、双眼鏡を動かして二人の視線を追う。

 

「あれ?」

 

 気の抜けたような声が出た。

 

 てっきり以前にWasabiで見た鳳凰が、弟子を伴ってやってくるとばかり思っていた。

 

 が、違っていた。

 

 小学生ぐらいに見える女の子が二人に近付いてくると、何かを渡した。どうやら紙片らしいが……

 

 渡された紙片を見ていた二人は、頷き合うと急ぎ足で歩き始めた。

 

 もうすぐ鳳凰から指定された時間なのに、見ず知らずの女の子から渡された紙片(恐らくはメモ)を見てそこから離れるという事は……

 

「師匠、これは……」

 

 すぐ隣の雪も同じ結論に達していたらしい。頷きを一つ弟子へと返す。

 

「ええ、鳳凰は用心深いようね。場所を変えたのよ……行くわよ」

 

 二人とも、命と楓を追跡すべく移動を開始した。

 

 10分ばかり移動して、命と楓の動きがとあるビルの前で止まった。

 

 雪とモモは、先程と同じく二人やその周囲の様子が見渡せるビルの屋上に陣取った。

 

 モモは持参していたバッグから初芽特製の指向性マイクを取り出した。これは500メートル離れていても会話の音声を拾えるスグレモノである。

 

 二人の方向へと、マイクをかざすモモ。

 

「う、うん?」

 

 だがモモの秀でた視力は、肉眼でも二人に妙な動きがあったことを捉えた。

 

 同時に、かざしっぱなしの指向性マイクが電話の着信音を拾った。

 

 だが携帯電話のものではない。

 

 命と楓が立っているすぐ近くの電話ボックスの公衆電話が、いきなり鳴り出したのだ。

 

 一方的にこちら側から掛けるだけというイメージが強いが、実際には公衆電話にも(悪用防止の為に公開されていないが)電話番号は存在していて、その番号に掛ける事で呼び出す事が出来る。

 

 命と楓はそれぞれ顔を見合わせるが、楓が怪しい者の接近が無いかを確認するように電話ボックスの傍に立つと、命がボックスに入って受話器を取った。

 

 十数秒ほど、命は話をしていたが……やがて受話器を置いて電話ボックスから出る。二人は二言三言話し合うと、また移動し始めた。

 

「師匠……またですよ」

 

「ええ、当然鳳凰も自分が会うのとは別のツキカゲが監視している事は想定しているだろうけど……それにしてもここまで慎重を期すとは」

 

 雪の声にはどこか畏敬や感嘆の響きがあった。

 

 野生の猛獣などがそうだが、強い者ほど相手の実力を測る為に慎重だという。桃源最強の武力は当然の事、この細心さも鳳凰が最高の傭兵たる所以なのかも知れない。

 

「どうしますか、師匠?」

 

「……これ以上、ぴったりと追跡していては、逆に鳳凰の方に私達の存在を発見されてしまう危険があるわね。やや間を置いて、二人を追いましょう」

 

 裏でこんな一幕を挟みつつ、命と楓は指定された場所へとやって来た。今度は町中の公園である。

 

 ベンチの前に立つ二人は、油断無く視線を配る。今の所、視界の中に鳳凰の姿は無い。

 

「待ち伏せていると思ったけど、まだ来てないみたいだね? それとも少し距離を取って様子を見ているのかな?」

 

「どっちにしても、こんなに人を振り回すなんて、馬鹿にした話です!!」

 

 いい加減焦れた様子の楓がむすっと頬をふくらませてぼやく。

 

 その時だった。

 

「それは申し訳なかったですね。でも、私もこういう時は一応、相手を疑ってかかる事にしているのでね」

 

「「!!」」

 

 声が掛かった。

 

 反射的に二人が振り返ると、すぐ傍の木陰から、鳳凰とテレジアが姿を現した。

 

「あなた達は……」

 

「良く来てくれましたね。命さんと……もう一人……」

 

「あ……鳳凰さん。それにそっちは……」

 

「ああ、こちらは私の弟子兼秘書で……」

 

「テレジア・レイです。初めまして」

 

「「……」」

 

 一礼して自己紹介するテレジアだったが、ツキカゲの二人は心中穏やかではない。

 

 いくつかの推理材料からテレジアはモウリョウの関係者だと考えていたが、実際には鳳凰に付いてきていたのだ。ツキカゲ側の予想は今回は外れた事になる。

 

「……さて、それじゃあ白虎ちゃんの引き渡しの条件について話し合いを……」

 

 命はそうした内心の動揺が表情に出る事を完全に抑えるのに成功すると、話を切り出そうとした。この辺りは師匠格になるまでのスパイとしての経験と訓練の賜物である。

 

「……その事なのですがね、命さん」

 

「うん?」

 

 鳳凰が、盲目故に閉ざされたままだが視線を命から少し外して、申し訳なさそうに言った。

 

「折角来て下さって申し訳ないのですが……どうやらそれどころではなくなったようですよ」

 

「?」

 

「それはどういう……」

 

 二人は、まだ気付いていないらしい。すぐ傍らのテレジアも同じだ。

 

 これは盲目であるが故に他の四感覚、とりわけ聴覚が発達している鳳凰であるからこそ状況をいち早く把握出来たものがあるのだ。

 

「何やら、大変な事が起こっていますよ。町中でね」

 

 

 

 

 

 

 

 鳳凰の言葉は当たっていた。

 

 空崎市の風下に当たる一角で、尋常ならざる事態が発生していた。

 

「ワシ等は愛しあっとるんじゃ!!」

 

「聞いてくれ!!」

 

 男二人が半裸で抱き合っていたり。

 

「いーち、にーい、さーん」

 

 駅でいきなり電車待ちの学生達が腹筋運動を始めたり。

 

 トラックが暴走して店に突っ込んだり。

 

 バットや鉄パイプを持った暴漢が銀行に押し入ったり。

 

 とても偶然の一致とは思えない事件が、一斉に起こったのである。

 

 

 

 

 

 

 

「……一体何が起こっている……?」

 

 カトリーナと初芽から同じ連絡を受け、雪は視線を眼下へと移した。

 

 高所から見ていると良く分かる。

 

 ここからやや離れた町の一角で、明らかな異常事態が頻発している。

 

<五恵ちゃんとも連絡が取れないし……この騒ぎに巻き込まれた可能性が……>

 

<こちらでも情報を集めておくから、そちらは町の暴徒への対応を……>

 

「半蔵、了解。オーバー」

 

 雪は通信を切ると、弟子へと向き直った。

 

「師匠……」

 

「百地、鳳凰の監視任務は一時中止。私達は混乱の収拾に当たるわ。着いてきなさい」

 

「はい、師匠!!」

 

 

 

 

 

 

 

「……はい、はい。千代女、了解」

 

 数分のラグを置いて、命にも同じ連絡が入っていた。

 

「……師匠、これは……」

 

 判断に迷った様子の楓に頷きを一つして返すと、命は鳳凰に向き直った。

 

「ファン……いえ、鳳凰さん。折角来てもらって申し訳ないけど非常事態が起こっているみたいだし……命達ツキカゲは町を守る為に動かなくちゃなんだ。話し合いは、また機会を改めて……」

 

「……命さん、その件ですが私もお手伝いしましょう」

 

「……えっ?」

 

「いいの?」

 

 ポカンとした表情になった二人のツキカゲに鳳凰は穏やかに微笑し、頷く。

 

「ええ……これはツキカゲや桃源の利益・関係云々の前に人道問題ですからね。協力させていただきますよ」

 

 

 

 

 

 

 

「世紀末……」

 

「だ、大事件だよ~……」

 

 学校からの帰り道だった畠山結愛と北斗凪は、ほんの数分前まではサスペンスドラマや映画の中でしか見た事のなかったような光景が現実に自分達の眼前で繰り広げられているのを目の当たりにして、顔を真っ青にして身を寄せ合っていた。

 

 道行く人々が、手に手に鉄パイプやバット、ゴルフクラブなどを持って目に付くものを手当たり次第に破壊し始めたのだ。

 

 仕事や家事のストレス解消にしてはちと派手すぎる……などと、馬鹿な感想が結愛の脳裏によぎった。

 

 と、すぐ近くで鉄パイプをガードレールに叩き付けていた男性と目が合った。

 

「……ひっ……」

 

 間近で見て分かったが、男の目には全く意志の光とか正気とでも形容すべきものが見られなかった。焦点が合っておらず、瞳孔が開いている。凪は何年か前に、ゾンビ映画を見て夜に一人でトイレに行けなくなった事を思い出した。

 

 震え上がって動けない二人の前に、風船のように恰幅の良い人影が立ちはだかった。

 

 空崎高校OBで、商店街の肉屋「肉のモロボシ」の店主である諸星明である。

 

 手には、中華包丁を持っている。

 

「お、俺の店の肉には、指一本触れさせねぇ!!」

 

 声を上擦らせて身構えるが、やはりゾンビ映画さながらの相手は怖い。

 

 男が鉄パイプを振りかぶった。

 

「ひえっ……」

 

 明は思わず両手で体を庇う。

 

「……」

 

 だが、いつまで経っても何も起きなかった。

 

「……?」

 

 恐る恐る目を向けてみると、眼前の男は長物を振りかぶって、今にも振り下ろそうと……しているその姿勢のまま、固まってしまっていた。

 

「……あ、あれ?」

 

 まるで、一流のパントマイマーの如しである。

 

 用心深く近付いた結愛が、さっさっと男の視線を横切るように手を動かしてみるが、目線には何の動きも無かった。それどころか瞬きすらもしていない。この男の時間だけが止まってしまっているようにも思えた。

 

「固まっちゃってるよ……?」

 

 3人が周囲を見渡すと、固まっているのは眼前の男だけではなかった。

 

 一帯の暴徒が、ある者はゴルフクラブを叩き付けた体勢のまま。またある者は勢いを付けようと片足を上げてテイクバックをした姿勢のままで、ぴったりと止まってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

「こりゃすごいねぇ……」

 

「以前に時間が飛んだように思ったのは、こういう事だったのね……」

 

 結愛や凪、明がいきなり石像のように硬直してしまった暴徒達をつっついたりくすぐったりしているのを睥睨出来るビルの屋上で、命と楓は感心する他は無いという顔で双眼鏡を覗き込んでいた。

 

 前にエモ・パチーノのアジトを襲撃した時、いきなり時間が5分間も飛んだように感じた事があったが、それは違っていた。

 

 実際にはツキカゲ全員が5分間も固まってしまっていたのだ。

 

 それを外から見てみると、今の暴徒達のように見えたのだろう。

 

 自分達も、敵地でまるで木偶の坊のようになってしまっていたに違いない。あの時、もしモウリョウの新手が現れたり鳳凰が敵対勢力だった場合は、ツキカゲは一網打尽にされて全滅させられていた事になる。そういう意味では紙一重、危機一髪だった。

 

 今更ながらに空恐ろしくなって、楓はほっと一息を吐いた。

 

「こんな技を使うなんて……」

 

 畏敬の念を込めて、命が呟いた。

 

「これが師匠の、サイレントララバイ」

 

 テレジアが、自分の事のように自慢げに言った。

 

 鳳凰はそのすぐ隣で、バイオリンを奏でている。いや、奏でているというのは語弊があるかも知れない。

 

 弓を動かしているが、そこからは何の音も出ていない。弦の擦れる音すら聞こえない。

 

「要するに、師匠のバイオリンから発せられる音を聞いた人間を催眠状態にして、意識を飛ばしてしまうのさ。バイオリンから出る音は人間の可聴域を超えていて、聞こえている事に気付かない。意識が戻っても、意識を失っていた事にも気付かない。更にはこうして私達が無事である事からも分かるように、位置が分かっていれば音に指向性を持たせて、任意の人間を対象から外す事も出来るのさ」

 

「……喋りすぎですよ、テレジア」

 

 やや早口に捲し立てる弟子を、少しだけ厳しい口調で鳳凰はたしなめた。

 

「す、すいません師匠……」

 

「……いや、それにしても凄いよ」

 

 と、命。

 

 聞こえている事にも気付かせずに意識を奪う催眠音波。射程は音の聞こえる範囲およそ半径数百メートル。

 

 眠気や頭痛など前兆が無いから、事前に察知する事は人間にはまず不可能。そして一度決まってしまえば、後は対象を煮て食おうが焼いて食おうが思いのまま、生殺与奪を手にしてしまえる。

 

 鳳凰に対して何の知識も無い人間が、初見で防ぐ事など出来ないだろう。生きるか死ぬか、殺すか殺されるかの実戦では同じ相手と二度戦うケースは極端に少ない事を考えると、事実上、無敵の技と言っても過言では無い。

 

 前に白虎が、ツキカゲ最強の五恵が何百人居ても鳳凰には勝てないと言っていたのはこういう事だったのだ。

 

「……さて、次はどこですか?」

 

「ああ、次は……」

 

 と、その時命のスマホが着信音を鳴らした。

 

「はい、こちら千代女……」

 

 数秒して、命は表情を引き攣らせる。

 

「えっ……五右衛門が……!?」

 


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