「美味い。凄いな。初芽はこんな美味いもの作れるのか!!」
Wasabi店内にあるエレベーターから通じる場所には、それが地下のものとは到底信じられないような、ひとつの町を思わせるような大きく明るい空間が広がっている。
空崎市を拠点とする私設情報機関ツキカゲの秘密基地である。
その広間では、昼間にファンが命に見せた写真に写っていた少女が、ケーキとリンゴジュースを前に目を輝かせていた。
「うふふっ」
感想を受けて、青葉初芽は顔を綻ばせる。
「って、違う。私はこんな事してる場合じゃないんだ!! もう私の体の検査も終わっただろ。桃源に帰るぞ」
と、言いつつパクリとケーキを口に運ぶ。
「帰る場所は無いわ」
「むっ」
引き戸が開いて、少女達が入ってくる。
半蔵門雪、八千代命、石川五恵、相模楓、源モモ。
これに初芽を加えた6名が、現在のツキカゲのメンバー総員だった。
「帰る場所が無いとはどういう事だ?」
「あなたの故郷の村でお触れが出された。白虎……本名・ファン・イェンイェン、任務に失敗した者は不要であると」
それを聞いた白虎の表情が、受け入れがたい恐怖の色に染まった。
「そんな……嘘を吐くな!!」
「……」
すっ、と雪がスマートフォンの画面を見せる。そこには中国語で文章が表示されていた。
「あっ……これは桃源の連絡網……」
そこに書かれていた内容は雪の証言と一致していた。
ファン・イェンイェンは任務遂行能力不足と見なし、四聖獣の称号を剥奪、桃源から永久追放とする。
そう書かれていた。
白虎は、がっくりと膝を落とす。
「そんな……私、捨てられたのか……」
「自分の立場を知っておいた方が良い。自分自身の為にも。桃源は任務を遂行出来ない者に容赦が無い。だからこその、任務遂行能力の高さなのよ」
「私達が一緒に居ます」
うずくまってしまった白虎の背を、初芽は優しくさすってやった。
「それでさ、聞きたい事があるんだけど……」
ここで、命が前に出た。
「この人に、見覚えはない?」
「?」
白虎に写真を差し出す。そこには昼間、Wasabi店内に仕込まれたカメラで撮影されたファンの姿が移っていた。
その姿を認めた瞬間、白虎の目の色が変わった。
「こ、これは鳳凰様!! なんで鳳凰様がここに……い、いや鳳凰様なら私を助けてくれる!!」
「……鳳凰? あの人は凰(ファン)って名乗ってたけど……どんな人なの?」
五恵が尋ねる。
「……む」
白虎はしばらく躊躇っていたが、やがて観念したように大きく息を吐いた。
「まぁいいか、教えてやる。桃源は村人全員が戦士である天下無敵の傭兵集団。その中でも強い者には、特別なコードネームが与えられるんだ。私みたいにな」
「……そうね、私達は以前にも四聖獣の一人、青竜と交戦した事があるわ。部下も含めて、全員が相当な使い手だった」
雪が、左目を細めて語る。
「そんな事が……」
「まだ五恵ちゃんや楓ちゃんがツキカゲに入る前の話ですよ」
「続けるぞ? 桃源村で使われているコードネームは四聖獣の他にもいくつかあるが……その中でも、応龍・麒麟・鳳凰・霊亀の4つ、『四霊』は最上位の称号。相応しい実力を持った者にしか与えられない。だから四霊の座には何十年も誰も就いていなくて、十年ぐらい前に鳳凰様が当時の朱雀から昇格してからも、他の三席は空位のままなんだ」
『……まるで五恵っちが来るまで空位が続いていた、ツキカゲの横綱ランクみたいだねぇ』
これは命の心中である。どこの組織にも、同じような状態は存在するらしい。
「そして四霊には、いくつかの特権が認められてるんだ」
「特権って言うと、具体的には?」
「まず、村を通さずに個人で依頼を受けて良い権利。それに村の上層部からの命令に対する拒否権。それと上層部の決定を自分の意志一つで撤回させる権限もあった筈だぞ」
「な、何それ……いくら実力があるからって、よくそんな滅茶苦茶な権利を与えるわね……」
呆れたように、楓が肩を竦める。しかし彼女の反応も尤もである。
組織を通さずに個人で依頼を受けるという事は、当然ながらその依頼による利益は組織に還元されない。
そして命令の拒否権と、組織の決定を個人の一存で撤回させられるなど、そんな人間が一般の会社に居ればその会社は滅茶苦茶になってしまうだろう。
だがこれで先程の白虎の反応も理解出来る。白虎は鳳凰が、その権限を使って里からの追放処分を取り消しにして自分を迎えに来てくれたと思っているのだ。
一方で、雪の感想は楓とは違っていた。
「それは、逆ね?」
「……逆、ですか?」
「師匠、逆って言うと……?」
「確かに、それらの権利を一個人に与えるなど滅茶苦茶……けど、裏を返せば桃源の上層部はそこまでの自由・特権を許してでも、彼女……鳳凰を敵に回したくないと思っているという事よ」
「……な、成る程……」
感心したように、モモが息を呑んだ。
「後は確か……鳳凰様は他の村の者とは違って、自分で会社を経営していた筈だが……」
白虎のその呟きに、雪は頷くと持っていたタブレットを机に置いて全員に見えるようにした。そこには、中国語のホームページである会社の紹介記事が書かれていた。
モモには中国語は読めないが、辛うじて社名は読み取れた。
「……凰警護?」
「桃源の関係者、そして凰(ファン)という名前から調べてみたのよ。十年程前に設立されたPMSCs(民間軍事警備会社)で彼女、ファン……本名・凰愛音(ファン・アイイン)はそこの社長となっているわ」
「PMSCs……って言うと……師匠……」
五恵の問いには、初芽が答える。
「以前にはPMCとも呼ばれていましたね。五恵ちゃん、傭兵というと、どういうのを想像しますか?」
「……それは、特定の国家や組織には属さずに、お金で仕事を受けて戦う人……ですよね?」
「ええ、それが傭兵ですね。基本的に実際に戦闘するのが専門です。それに対してPMCやPMSCsが担当するのは軍事に関係する事全般。つまり実戦は勿論、要人・施設の警護や兵站システムの構築、軍隊の訓練をしたりもするんです」
「実際に、この凰警護の活動内容には政治家の護衛や重要施設の警備、大統領から名指しの依頼による新興国の軍隊の訓練などが挙げられているわ。他にも、武装解除や動員解除、それに少年兵の社会復帰のサポートを主な業務にしているわね」
「だ、大統領から指名されるって……」
「あれ……いい人なんじゃ……」
話の内容を聞いていた楓とモモが、それぞれ感想を漏らした。
「ん……鳳凰様は、麻薬とか人身売買とか、そういうのは任務に関係無く物凄く嫌われるぞ。よく、その手の組織をぶっ潰しては捕まっていた孤児を連れ帰ってきていた」
「……まさか、そうやって連れ帰ってきた子供を桃源の戦士として育てるとか……?」
命が恐る恐る口にしたその言葉には白虎が首を横に振った。
「いや、そうやって連れ帰ってきた子供はみんな、学校に送られていたな」
そう言って「あ」と思い出したような顔になった。
「一人だけ、確か鳳凰様が四霊になったばかりの頃に連れ帰ってきた子供だけは違っていたっけ。私もあまり話した事はないけど、そいつだけは弟子兼秘書として、今でも傍に置いている筈だ」
「ふむ……」
「しかし、彼女の目的が白虎を桃源に連れ帰る事だとすると、事態は容易ではないわね」
「「!!」」
雪の言葉を受け、全員の視線が彼女に集まった。
「どういう事ですか、師匠」
「いくら彼女に上層部の決定を撤回させる特権があろうと、それだって無制限ではない筈。それなりの落とし前と言うか見返りは、組織に提示する必要がある」
これは道理である。特権とは先程雪が言った通り、それを与えるデメリットをその人間が組織に還元するメリットが上回っているから与えられるのだ。特権を行使するには、それに見合った利益を組織にもたらさねばならない。
「この場合、最も分かり易いのは……白虎ちゃんが果たせなかった任務、ツキカゲの抹殺を彼女、鳳凰が引き継ぐという事ですか」
「「「!!」」」
全員の顔に緊張が走った。
「じゃあ、あのファンさんは命達を倒す為にやって来たって事?」
「可能性の問題よ。でも、備えは必要だと思う」
「止めておけ」
と、今迄見た事も無いほどに神妙な表情で白虎が言った。
「あの人は伊達に何十年も空位だった四霊の称号を持っている訳じゃない。この中で一番強いのは……」
白虎の視線が6人の間を移動して、そして五恵に止まった。
「お前だな」
「え、えぇまぁ……」
照れたように、五恵が頷く。
「だが仮にお前が百人居て束になった所で、鳳凰様には絶対に勝てない。あの人と私達では、そもそも立っている土俵が違うんだ」
その日の夜、空崎市沿岸部の工場地帯。
立ち並ぶコンテナによって迷路のような様相を呈したその場所は、今は静謐であるべき夜の空気には似つかわしくない物々しさが取って代わっていた。
コンテナ内に隠されていた百体近いロボット、軍事人形がずらりと起動状態で並んでいて、それらに内蔵されているあるいは手持ちの重火器は、全てが包囲網の中心に立つたった一人の人間へと向けられている。
このコンテナを所有している会社はモウリョウの末端に位置しており、軍事人形の輸出入を行う幾つかのルートの一つであった。
「さて……白虎の情報が手に入ると良いのですが……」
一発でも当たれば体が消し飛ぶであろう火力に囲まれながらも、包囲されているその人物、鳳凰は泰然とした態度を変えない。
圧倒的な戦力で包囲して、絶対の勝利を確信しているであろうこの会社の社長は、怯える様子も無ければ命乞いもしない、その余裕が気に障ったようだった。
「撃てっ、撃てっ!!」
ヒステリックに唾を飛ばしながら、命令を下す。
軍事人形達が装備する銃口が全て鳳凰に向いて……
「ふ」
鳳凰の口の端が、不敵に歪んだ。