「お前は……!!」
「……むぅ……!! ツキカゲ、ですか……?」
ツキカゲの現トップエージェントである半蔵門雪と、桃源最強の傭兵である四霊・鳳凰。
両者のファーストコンタクトは、互いの得物の激突であった。
刀とヴァイオリンの弓が、打ち合って火花が見えた。
雪と鳳凰は、申し合わせたように背後へと飛んで間合いを開けた。
たった一合であったが、それだけで二人は対手が並々ならぬ使い手である事を完全に把握した。
雪は脇構えを取って、刀身を隠して間合いを悟らせないようにする。一方で鳳凰は体を斜に構えて、雪の攻撃範囲を小さくした。その状態で、牽制するように弓を前に突き出す。
数秒の膠着状態。どちらも先手を打てずに動きが止まる。
それを破ったのは、この状況での鳳凰とツキカゲの差だった。
鳳凰はこのエモ・パチーノのアジトへは自分とテレジアの二人で潜入してきており、そのテレジアも先に脱出させている。対してツキカゲ側は、構成エージェント全員でこのアジトへと襲撃を掛けてきている。
「師匠!!」
雪が蹴破って出てきたドアから、モモが走り出てきた。
「……百地!!」
「!!」
ほんの一瞬だけ、雪と鳳凰、二人の注意が眼前敵からモモへと移った。
そのモモの目に入ったのは、師匠である雪と明らかに戦闘状態で対峙している人物。
反射的に、専用スマートフォンを変形させた銃に睡眠用の麻酔弾を装填、鳳凰へと照準して発射。狙いは小さくて動きも激しく狙い辛い頭部ではなく、的が大きく外しても体のどこかには当たるであろう胴体部。
バシュ、バシュ、パシュ。
消音効果による空気が抜けるような音が鳴った。
当たった。
まだ新入りとは言えそれでも十分な訓練を積んできているモモは、着弾を確認するまでもなくそう確信した。訓練で、上手く行った時と同じ感覚が手に走ったのだ。
だが、正確な狙いで発射された麻酔弾は一発も当たらなかった。
鳳凰が、弓の握りの部分に付けられたトリガーを引く。
すると弓毛が振動するような音を立てて、赤熱化した。
そのまま、鳳凰は空間に赤い残像が残るほどのスピードで弓を振るう。
飛来した麻酔弾は、鳳凰に一発も命中しないどころか全て真っ二つに両断されて6つの破片が床に転がった。弾丸の切断面は、高熱に晒され融けて赤くなっていた。
「なっ……!!」
『出来る……!!』
雪は、この一連の流れで眼前敵への脅威評価を更に上方向に修正した。そして現在明らかになっている情報を、脳内で整理する。
鳳凰の武器は、ヴァイオリンの弓。棹(スティック)部分の材質は金属製で、刀とも打ち合える強度がある。弓毛の部分もワイヤーで作られている。恐らくは通電させる事で加熱して、電気を流した銅線が電熱で発泡スチロールを抵抗感無く融解して切断してしまうように、物体を融断させる機能がある。電気を使うという性質上、出力を調整すればスタンガンのような用途も可能かも知れない。金属である刀は、打ち合った瞬間に電気を流されて腕を痺れさせられる危険がある。鍔迫り合いは危険。
そして武器の性能もさる事ながら、彼女自身の技量こそ脅威。
目が見えていない事から、モモの視線や銃口の角度から射線を推測したり発射のタイミングを見計らう事など出来ない筈だ。
にも関わらず、飛来する睡眠弾を全て見切って弓で切断し、叩き落とした。
晴眼者であろうと、中途半端な訓練ではそんな芸当は絶対不可能。たとえ彼女が盲目である事を考慮に入れても、手加減出来る相手ではない。
『純粋な技量の勝負では、勝てないわね』
そう、彼我の戦力差を分析する。
刀とヒートカッターの違いはあるが、殺傷能力の高い近接戦闘用の武器の使い手同士である。鳳凰の技量は自分よりも上であろうと雪は分析した。
しかし、ツキカゲにはその差を覆し得るものがある。
「キメる」
取り出したソラサキシナモンの樹皮を口にくわえる雪。
これがツキカゲ独自の技術であるスパイスだった。
特殊な品種改良によって作られたこのスパイスは人間の脳に働きかけてリミッターを外し、常人を超えた能力を引き出す。
視界がクリアになって、今迄は目には入っていても背景としてしか認識していなかったものまでが克明に捉えられるようになって、流れ込む膨大な情報を頭脳は適切に処理していく。
体は羽根のように軽くなり、この時だけは世界がスローモーションになってその中を自分だけが通常の時の流れと同じ感覚で動いているような錯覚すら感じる。
繰り出す斬撃。
ただし、急所は外している。
まだ鳳凰の立ち位置が明確ではないからだ。モウリョウに雇われているなら明確に敵対関係だが、もしそうだとすると先程までの意識喪失が彼女の仕業であるとして、無防備状態であった自分達を攻撃しなかったのは不自然だ。
故に致命打にならない程度にダメージを与えて無力化した後に拘束し、事情を聞き出そうという考えだった。
だが。
「ふっ!!」
袈裟懸け、右切り上げ、唐竹。
三種の軌道から打ち込んだ連続攻撃。しかし鳳凰はその全てに完璧に反応して、金属製のスティック部分で全て捌き切った。
「!!」
「スパイスを決めた師匠の攻撃を……!!」
雪とモモ、二人とも程度の違いはあれど、それぞれ驚愕に目を見張った。
「……?」
だが、比較的距離を置いて見ているモモと、至近距離で対峙している雪には差があった。
この時の雪は、具体的に言語化は出来ないが一つの違和感を覚えていた。しかしそれを考察するよりも、眼前の鳳凰への対処の方が現在は優先される。
スパイスを決めても、鳳凰には決定打を与えられない。
しかしそれは、一対一で試合形式で戦った場合の話だ。
何でもアリのスパイの世界ではフェアプレーに固執する必要は無い。寧ろそれは悪徳とさえ言える。打てる手があるのに、それを使っていない。ベストを尽くしていないと言えるからだ。
「師匠!!」
「百地、脇から援護しなさい。直接打ち合うのは、私がやる」
「は、はい!! 師匠」
構えと視線で鳳凰を牽制したまま、雪は弟子に指示を出す。
一対一で勝てないなら、数の利を活かす。この状況では当然の判断だった。モモは銃を鳳凰の胸に照準したまま、回り込むように動いて牽制の動きを取る。
「……」
この時点で、鳳凰は事態が自分には不利に働いている事を悟った。
スパイスをキメた雪の攻撃を防ぎ切る事は確かに出来たが、反撃に転じるまでは出来なかった。確かに一対一ならこの状況では自分は眼前のツキカゲには勝てるだろう。だが実力に差があるとは言えそれは微差。彼女の弟子が援護に加わると五分か、分が悪くなる。
そして状況は、鳳凰にとっては更に悪い方向へと転がる。
「半蔵、百地!! 大丈夫!?」
大広間から、モモには僅かに遅れて初芽、命、楓、五恵の4人が飛び出してきたのだ。
これで1対2から1対6になった。
「……」
カチッ。
鳳凰が、弓のトリガーを引く。赤熱化していた弓毛から赤色が引いていく。
この動きを、モモは観念して投降するつもりだと捉えたらしい。銃を下ろしはしないものの、僅かにだが張り詰めていた気が緩む。
「百地、気を……」
抜くなと、そう言い掛けた時だった。
鳳凰が、予想外の行動に出た。
左手に持ったヴァイオリンを顎で支えると、弦に弓毛を触れさせたのである。
演奏の構えだ。
「「「……?」」」
何故、この状況でいきなりヴァイオリンを弾こうとするのか?
意図が読み取れず、ツキカゲ達は戸惑った表情になる。
だが、次には更に予想外の事が起こった。
「音が……鳴らない?」
鳳凰のヴァイオリンからは、何の音も出なかったのだ。素人ならば、上手く音を奏でられない事など当たり前だが……しかし、弓を動かす腕の動きや全身の立ち姿は素人目にも、特に富裕層でそうした方面に造詣の深い初芽の目から見ても熟練のマエストロのような堂に入っているものだった。それが音を出せないなど、どう考えても妙だ。
「みんな、気を付けてください。何か……」
初芽が警告しようとした、その時だった。
いきなり、6人全員、目の前が真っ暗になった。
「!? 暗い?」
「な、何が……」
最初は電気が消えたのかと思ったが、すぐに冷静さを取り戻す。
外の廊下は、まだ電気が落ちている。
思い出す。自分達が視界を確保して行動出来ていたのは、何故だったか。
「みんな、眼鏡を外して!!」
雪の指示を待たず、全員が掛けていた眼鏡をもぎ取る勢いで外していた。
初芽が開発した、暗視機能を持たせた一品だった。しかし、故障するにしても6つ同時など、そんな事偶然では起こり得ない。
ならば……!!
「……!!」
確信する。この故障は、鳳凰によって引き起こされたものなのだと。
「ちっ!! みんな、固まって」
「分かった!!」
「は、はい!!」
自分が鳳凰の立場なら、暗闇に紛れて攻撃を仕掛ける。離れていては各個撃破される危険が高い。
雪の指示に従ってひとかたまりになるツキカゲ達だったが……
「……いない?」
ようやく、暗闇に僅かながら目が慣れてきた時には、鳳凰の姿はどこにも無かった。
暗視眼鏡が故障して、いやさせられてツキカゲ側が視力を失っていて攻撃力・防御力が大きく低下したその時間を、彼女は攻撃の為ではなく確実に逃走する為に使ったのだ。
「……逃げられた……?」
「いや」
刀を鞘に納める雪は、厳しい表情を保っていた。
「寧ろ、見逃してくれたと言うべきかも」
「あれが、桃源最強の実力か……確かに……とんでもないねぇ」
命が、そう言った。
しかし軽いのは口調だけで、今の彼女は滝のような汗を流していた。
以前にも桃源の傭兵と戦った事はあったが、しかし肌で感じた鳳凰の実力は全く違うものだった。ここで言う「違う」とは、天と地ほどに実力差が隔絶しているという意味ではない。メートルとヘクタールがまるで違うものを表す単位であるように、そもそも強さの性質それ自体が単純な戦闘力とは完全に別物であるという事だった。
発動のタイミングを全く悟らせずに、ツキカゲ全員の意識を奪った得体の知れない技。そして暗視眼鏡をクラッシュさせた技。
今回の接触で垣間見る事が出来たのは二つだけだが、その二つの技からして、そんなのを使う敵とは未だかつて戦った事が無い。雪も初芽も、それは同じだった。
前に白虎が言っていた、自分達とでは立っている土俵が違うという言葉。それに五恵が百人居ても勝てないという言葉も。その意味が実感出来た。確かにあんな技を使えるなら、白兵戦の実力も人数も関係無いだろう。
「それに……」
「どうしたの、半蔵?」
「さっき彼女と打ち合った時に、何か……いつもとは違う違和感を感じたの。彼女には、今回私達に見せたもの以外にも何か……隠された能力があるわ」
「な……!!」
五恵が、ごくりと唾を呑んだ。
身を以て味わった二つの技だけでも、どういうトリックなのか原理は不明ながら恐ろしい絶技であると言うのに、まだ隠し球があるとは。
底知れぬ実力に、背筋が寒くなる思いだ。しかしそんな弟子を安心させるように、初芽の手が肩に置かれた。
「大丈夫、分かったのは悪い事ばかりではないですよ」
「え、それはどういう……」
そこからは、雪が言葉を引き継いだ。
「彼女は、私達と積極的に戦おうとはしていなかった。つまり、私達を倒しに来た訳ではない」
最初に意識を飛ばされた時と、そして今、視界を奪われた時。最低でも二度、自分達を仕留めるチャンスが鳳凰にはあった。つまり、もし彼女にその気があったのなら、自分達は二回も殺されていた事になる。
忸怩たる思いがこみ上げてくるが……しかし、それほどのチャンスがあったのに攻撃してこなかったという事は、鳳凰は少なくとも今の時点ではツキカゲと戦うつもりが無いという事だ。さっきのはこのアジトに、何らかの目的があって潜入してきていた自分達と偶然かち合ってしまった結果の遭遇戦だった。
つまり、鳳凰はモウリョウに雇われた訳ではない。彼女が空崎に来ているのはプライベートか、もしくはモウリョウ以外のクライアントからの依頼のどちらかという事だ。
「ならば、戦わずとも対話・交渉する事で事態を解決する事が、出来るかも知れない」