リリスパ PHOENIX   作:ファルメール

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第09話 鳳凰の教え

 

 青葉初芽とテレジア・レイの出会いはまだ二人がずっと幼かった頃の話だ。

 

 初芽が持っていたバッグを、既に盗みに手を染めていたテレジアはひったくった。

 

 白昼堂々の犯行。ファーストコンタクトとしては、最悪と言って差し支えないものであった。

 

 この時テレジアは初芽のボディーガードをしていた黒服に取り押さえられて、袋叩きの憂き目に遭うのかそれとも然るべき所に突き出されるのかと覚悟したのだが……しかし、どちらでもなかった。初芽はこう言ったのだ。

 

「放してあげてください。そのバッグは盗まれたんじゃありません、あげたんです。その子は私の友達です」

 

「友達だから名前を知らなきゃですね。私は青葉初芽。あなたは?」

 

 この時はほっとするより先に見下されているように感じて、テレジアは手にしたバッグを初芽に放り投げて、逃げ出した。

 

 手ぶらで家に帰ったテレジアは実父に体中痛みを感じていない所が無い程に痛めつけられた。

 

 父親にとって、テレジアは盗みも売春(ウリ)も出来ない穀潰し、役立たずでしかなかった。その役立たずの唯一の取り柄は、サンドバッグの代わりになって自分のストレスを発散させる事だったのだ。

 

 だがその後も、テレジアの行く先々に初芽はやって来た。

 

 どれだけテレジアがその手を振り払っても懲りずに、諦め悪く。

 

 結局、初芽が諦めるよりもテレジアが絆される方が早かった。

 

「なってやる。お前の友達に」

 

 その時、自分に向けてくれた初芽の笑顔を、テレジアは今も忘れない。

 

 だが蜜月の時は、長く続かなかった。

 

 人身売買を生業とする組織に、二人揃って誘拐されたのだ。

 

 監禁されていた二人の内、まず初芽が何処かへと連れて行かれた。

 

「テレちゃん、きっとまた会えます。離れても、ずっと友達だから」

 

 叫びながら、初芽は重くて冷たく、頑丈なドアの向こうへと消えていった。

 

 テレジアは必死に抵抗したが、子供故の無力さ。彼女の行動は自分の体に傷を増やすだけに終わった。

 

 固く閉ざされた扉越しに、自分に買い手が付いたと組織の人間が話していたのを、テレジアはぼんやりと聞いていた。

 

 その矢先に、鳳凰がやって来て自分を助けてくれた。

 

 自分を抱き上げる鳳凰に、テレジアは懇願した。

 

「お願い、もう一人助けて。友達なんだ」

 

 だがその時、鳳凰の口から出た言葉はテレジアに大きな衝撃を与える。

 

「……残っていたのは、あなた一人でした。多分、買われたのか身代金を払って解放されたのか……」

 

 結局、この時はテレジアの衰弱が著しいのでひとまずは治療が優先という判断で彼女は病院に担ぎ込まれるのだが……

 

 暫く後に、誘拐犯達が持っていた人質と金の流れが記されたリストに、初芽が金を払って解放されたと記録されていた事が分かった。

 

 それを聞かされた時のテレジアは、今迄感じていた友情や信頼の、全てが反転していくのを実感していた。

 

 結局、最初に感じた不快感は間違っていなかった。初芽は口では友達などと言いつつ、実際には自分の事をペットぐらいにしか思っていなかったのだ。

 

 金持ちが野良猫に餌をやって、自己満足に浸っていただけだ。

 

 だからあいつは私を捨てた。

 

 一人だけ金を払って助かった。

 

 詰まる所、一時でも他人に心を許した自分が愚かであったのだと、テレジアは思い知った。

 

 そして、現在。

 

 ホテル前で出会った初芽から、一緒に居た学校の友達だという五恵を合わせた3人で初芽の家へと招かれる。

 

 初芽はあの時の事を悔いているようだったが……

 

 だが、もう旧い友達の言葉を信じることは、テレジアには出来なかった。呼び止める声に背を向けて逃げ出すように初芽の家を後にすると、そのまま空崎グランドホテルの最上階、自分と鳳凰が宿泊しているスイートルームへと駆け込む。

 

「師匠、ただいま戻りました」

 

「ああ、お帰りなさいテレジア」

 

 広い部屋の真ん中に立つ鳳凰は、テレジアに背を向けたままで応じた。彼女の右手には絵筆、左手には何色かの絵の具が乗せられたパレットが持たれていて、キャンバスに向き合っている。

 

 ただし直立してはおらず、下半身は空気椅子のような姿勢で、その状態で微動だにせず筆を走らせていた。

 

「……何か、嫌な事でもありましたか?」

 

「……っ」

 

 唐突に切り出されて、しかし核心を突かれたテレジアは一瞬言葉に詰まった。

 

 その後ですぐに感情をニュートラルに戻すと、表情筋に走っていた力を抜いた。

 

「い、いえ別に」

 

「嘘は上手に吐くものですよ、私と何年付き合っていると思うのですか?」

 

 鳳凰はテレジアの言葉を一言で切って捨てた。

 

「心音が、何かあったと雄弁に語っています。それに今あなた、一度言葉に詰まった後で語気を強めにして返答しましたね? それは人が嘘を吐く時の、典型的なパターンです。私に嘘は通じませんよ」

 

 怒っている様子ではないが、少しだけ居心地の悪さを感じたテレジアはひとまず話を切り替えようとして、話題を探して視線を彷徨わせて……そして鳳凰が前にしているキャンパスに目をやった。

 

 そこに描かれているのはまだ完全に色が入っている訳ではないが、人物画であるのが分かった。

 

「そ、それより師匠……この絵は……」

 

「……もうすぐ、個展を開きますからね。この絵も出展する予定なのですよ」

 

「これは……私、ですか?」

 

 下書きに描かれている人物には、確かにテレジアの特徴があった。

 

 それにしても、誰が信じるだろう。これを描いたのが盲目の人間だなどと。目鼻立ちや体格など、写真に撮ったように正確である。

 

「私は目が見えないですが、見えていないから見えるものもあるのですよ。室内なら、こうして会話しているだけでも音や声の反響でどこに何があるかは勿論、物体の『像』を読み取って顔形が分かるのですよ」

 

「では、肌の色は……」

 

 絵に入っているテレジアの肌の色は、彼女のそれと全く同じだった。

 

「あなたの体に触れて、筋肉の付き方や皮膚の感触から人種や肌、髪の色は分かります。絵の具は匂いを嗅げば、色は分かります。例えばカーボンが多ければ黒といった感じにね。色を混ぜる時は、筆先に付着した絵の具の重さを感じ取って、適切な重さごとに混ぜ合わせる。緑を作る時は、黄色と青を同じ重さずつといった具合に……後は、記憶している位置に、筆を置いてやれば絵は完成します」

 

「はぁ……凄いですね、師匠」

 

「ふふっ」

 

 ちょっぴり謙遜気味に、鳳凰は笑った。

 

「あなたも知っての通り、私は少年兵の社会復帰を手助けする活動もしています。彼等に手に職付けさせる為には、それを教える私が出来ませんでは、尊敬されなくなってしまいますからね。私は絵や音楽の他にも、よろずごとを勉強しているのです。特に針灸師としてはそれなりのもので、私でなくてはというお客が、中国は勿論アメリカにも居るのですよ」

 

 そう言った所で、「さて」と一息吐いて空気椅子を中止すると、筆とパレットを置いた。

 

「テレジア、あなた話をはぐらかしましたね。何か話しづらい話題なのですか?」

 

「えっと、それは……」

 

「成る程、そうなのですね」

 

 心音を聞き取って、鳳凰は返事を聞くよりも早く答えを導き出した。テレジアは脱帽という顔になる。この師匠に隠し事は出来ない。

 

「実は……」

 

 観念して、全てを話す事にした。

 

 昔、離れ離れになった友達、初芽と再会したこと。

 

 しかし話をして、拒絶してしまったこと。

 

 鳳凰はテレジアが話し終わるまで沈黙を保っていたが……

 

 語り終わって、やや沈黙が下りた所で口を開いた。

 

「テレジア、あなたはそれで良かったのですか?」

 

「それで、って……」

 

「友達と、仲違いしたままで良いのかと聞いているのです」

 

 鳳凰の言葉は変わらず穏やかであるが、どこかテレジアは自分が責められているように錯覚した。

 

 気付いていてそれを吹っ切ろうとしてか、あるいは気付かないままか。

 

 いずれにせよ、彼女は次の言葉の語気を強くした。

 

「私には、友達なんて要らない。親なんて要らない」

 

 友達だと思っていたヤツは、自分を裏切り見捨てた。

 

 親にとって自分は苛立ちの捌け口でしかなく、自分にとって親とは憎しみの対象でしかない。

 

「私にとって親と呼べる相手が居るとしたら……それは師匠、あなたです。あなたさえ、あなただけ居れば、私はそれで良い」

 

 友達も親も、信じられない。

 

 信じられるのは唯一人。自分を救って、育ててくれた人。それが鳳凰だった。

 

「……テレジア」

 

 鳳凰は少しだけ、逡巡するように間を置いた。その後で、同じように穏やかな表情と言葉で話を続ける。

 

「こんな私を、親と思ってくれる事はとても嬉しく思います」

 

「じゃあ……」

 

「ですがテレジア、私を親と思うなら、親は子であるあなたよりも、先に死ぬものです」

 

「そんな、師匠……師匠が死ぬなんて」

 

「それが摂理であり、道理なのですよ。そうあるべきなのです。勿論、この世界では私は明日死んでも不思議ではありませんが」

 

 穏やかに、諭すように。だが強い口調で鳳凰はテレジアの言葉を切って捨てた。

 

「だからテレジア、親が居なくなった後に頼れるのは友達です。友達は、大切にしなさい」

 

「……師匠」

 

「第一テレジア、あなたは本当は、その初芽さんと仲直りしたいと思っているのではないですか?」

 

「そ、そんな事はありません、師匠……」

 

 弟子の答えを聞いた鳳凰は、呆れた顔になった。

 

「……何度でも言いますがテレジア、私に嘘は通用しません」

 

「う……」

 

 ぐうの音も出なくなったテレジアの様子を察すると鳳凰は彼女の前に近付いてきて、ぐっとその手を掴むと、空いた手でポケットから取りだした何かを握らせた。

 

 掌に固い感触を覚えて、渡された物を見るテレジア。

 

「これは……」

 

 渡されたのは、ピンク色をした小さな猫の人形だった。

 

 昔、テレジアが友情の証として初芽に贈った物だ。本当は青色の物との2つセットであったのだが、誘拐犯によって離れ離れにされた時に、初芽が落としてしまった片方だった。これは鳳凰によって回収されていたのだ。

 

 桃源に引き取られ、正式に鳳凰の弟子となった時にこれはテレジアに渡されていたのだが……

 

「私はこんなの、もう何とも……」

 

「本当に何とも思っていないのならば、捨てるなり壊すなりすれば良かったでしょう? 捨てる事も出来ず……いえ、それをせずに目に触れない所に保管しておくのが、あなたが友情を捨てられない事の、何よりの証拠ですよ」

 

「……師匠……はい」

 

 友情の証を、テレジアはぐっと握った。

 

「……私、もう一度、初芽と話してみます」

 


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