ゴブリンスレイヤー ―灰の剣士―   作:カズヨシ0509

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 ゴブリンスレイヤー劇場版が公開されました。
私はまだ視聴していないので、機会を見計らって見に行きたいものです。
それにしてもダクソは、多様な視点から考察出来る素晴らしい作品だと思っています。
中には、あっと驚くような視点から考察し核心を突く方々もいらっしゃるので、本当に奥が深いです。

今回は、2話分纏めて投稿致します。


第44話―鎧戦士と監視者、辿り着く灯の先―

 

 

 

 

ファランの大剣

 

 深淵の監視者たちが振るう大剣。

 独特の短刀と組み合わせた、特殊な双刀武器。

 

 短刀を楔とした独特な剣技が特徴であり

 左右二刀時の左攻撃にそれを見ることができる。

 ファランの不死隊の名を知らしめたその剣技は

 狼の狩りに似て、敵を大きく翻弄するだろう。

 

 戦技は「パリィ」。

 タイミングを合わせて攻撃を受け流し

 追撃で、致命の一撃を叩きこむ。

 短刀を用いた戦技。

 

 ロードランの神に仕えた、一人の騎士。

 その偉大な逸話は、彼等の拠り所であり信仰ですらあった。

 

 故に彼等も悟っていたのだろう。

 

 自らもまた、同じ結末を辿るのだと……。

 

 故に、忘れ去ってしまったのだろう……。

 

 人の宿す、可能性に……。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 無音の静寂の中、微かに息づく命の息吹。

 

灰の剣士を始めとする冒険者一行と、狼を思わせる騎士『深淵の監視者』が対峙する。

 

「キミ、コイツを知っている様だけど、……敵かい?」

 

「……敵かも知れない」

 

「では味方なのか?」

 

「……味方かも知れない」

 

 孤電の術士とゴブリンスレイヤーが灰に尋ねるが、返って来た答えは解を成してはいない。

 

”どっちなんだ?!”彼女は答えの明瞭を彼に求めんとするが、その前に別の言葉が返って来た。

 

「彼は『深淵の監視者』。深淵に呑まれた者、或いはその兆しが観られる者を監視し、必要とあらば一国ですら滅ぼす集団……『ファランの不死隊』に籍を置く、不死人にして薪の王達の一人」

 

 大まかにだが、灰は眼前の騎士について説明した。

 

「彼が此処に訪れたという事は、深淵の兆し在り……と言った処か」

 

 先程燃え尽きた『深みの主教』は疑いようもない、深淵に呑まれし者だ。

 

加えてダークレイスも使役していた、監視者に討たれて当然だろう。

 

それは、まだいい――。

 

問題は――。

 

「こいつが、此処に残っているのは用が済んでいないという事だ。……俺達に対して」

 

「……つまりは、そういう事かい?……不幸にして厄介この上ない!」

 

 ゴブリンスレイヤー、孤電の術士は、監視者に視線を向けながらも警戒を解く事が出来ずにいた。

 

「……我々の中に、いや、下手すれば我々全員が()()に入っている可能性もある」

 

 灰の言葉に監視者は彼に向く。

 

監視者自身は武器こそ構えていないが、瞬時に戦闘態勢に移れるだろう、油断は出来ない。

 

彼は敢えて武器を納め脚を一歩、監視者へと踏み出す。

 

「よもや、貴方まで復活しているとは思わなかった。此処に来た理由……、()()()()()なのか?」

 

 灰は監視者へと尋ねる。

 

暫し沈黙を保っていたが、やがて監視者は静かに首を縦に振りゆっくりと頷いた。

 

「……そうだ。貴公等には『深淵の兆し』が観られる……」

 

 監視者が言葉を発した。

 

――この男、喋れたのか!

 

その声音は低くも若々しい青年期前半位の年齢だろうか。

 

「……この時代で初めて耳にした。……深淵の監視者の声を」

 

 監視者が話せる事に驚き、対話の可能性を感じ取る。

 

意思の疎通が可能なら、何も()だけが解決策ではない。

 

お互い戦わずして、相互理解を図る事も決して皆無ではないのだ。

 

 

 

――その価値観を監視者も共有していればの話だが――

 

 

 

監視者は突如、特大剣を前に突き出し曰く。

 

「深みに呑まれ始めんとしている者……」

 

 その言葉に呼応し、三人も身構えた。

 

――深淵に縁深き者…、今更問うまでも無い。

 

火の無い灰が更に一歩前へと踏み出す。

 

「最早語るに値せず、…私だろう?」

 

 彼の時代、火が陰り死とおぞみが溢れかえった、あの世界。

 

その世界を亡者と成り果て消滅する迄、巡礼の旅を繰り返した『火の無い灰』。

 

彼を於いて深淵に縁のある人間は他に存在しないだろう。

 

少なくとも灰自身は、そう確信していた。

 

 

 

監視者は、剣を向ける。

 

 

 

      ――ゴブリンスレイヤーに――

 

 

 

「――……え……?」

 

 

 

 剣先の方角に灰は思わず二度見してしまう。

 

「おっ、おいっ?!待てっ?!どう言う事だ?!」

 

 余りに予想外の結果に、彼は監視者に詰め寄った。

 

「どうして彼なんだ?!俺以外にあり得ない筈だ!!」

 

 信じられないと言った具合に、灰は取り乱した。

 

自分ならまだ分かる。

 

火継ぎを周回し、ロンドールにも関わったのだ。

 

加えて『カーサスの地下墓』にも長期間篭り、剣術の習得に費やしたぐらいだ。

 

自分以外にあり得ない筈だ。

 

しかし監視者が導き出した結論は、()――。

 

 

 

ゴブリンスレイヤー。

 

 

 

剣先を彼に向けたまま、監視者は静かに語る。

 

「其処な鎧戦士……、小鬼の殺意と殺戮に身を委ね、快楽すら見出しつつある……。故に危険だ」

 

 だがしかし、監視者の論に異を唱えたのは、孤電の術士――。

 

「小鬼を殺す事が何故、悪なんだい?小鬼は村を襲い、略奪や殺戮を繰り返し、身近な人々の脅威となっているんだぞ!……コイツは、その脅威から人々を守ろうとさえしている、そこいらのボンクラな冒険者とは背負った覚悟も重みも違うんだよっ!。そんな志の高き勇者が悪と断定されるのは、不愉快千万なんだが?!――ええっ!!」

 

 普段人を揶揄うかのような彼女は、陽気な雰囲気は完全に消え失せ、怒りの表情を隠そうとさえしなかった。

 

「……残念だが、違う」

 

 監視者は静かに反論する。

 

「大局的に観れば、そう映るのだろう。実際集落は救われ、住人達は感謝と一時の安息を享受している。……だが結果論だ。そう遠くない未来、何れ狂気と快楽に呑まれその内…、生ける屍と化すだろう。……そうなれば、理性無き『生きた亡者』として小鬼と人との見境すら付けず延々と殺戮に走るであろうな。……例えその先、生死を問わずこの男は理性無き亡者と化す……、間違い無くっ!!」

 

 ”このままいけば、必ず!”監視者はそう指摘しているのだ。

 

更に監視者は言葉を畳み掛ける。

 

「貴公の終着点は、彷徨える亡者……さしずめ――」

 

 

 

      ――さまようよろい――だ!

 

 

 

監視者の言葉に一行は、暫く声も出ず動きすら出来なかった。

 

「……故に――」

 

 監視者は特大剣と短剣を構え直し、臨戦体制に移行する。

 

その様に一行は警戒感を一層高めた。

 

「貴公を討つ!」

 

 右の特大剣を前に突き出し、逆手に持つ左の短剣を右腕に添え、頭を軽く下げた。

 

それは、彼等にのみ伝わる礼儀作法……。

 

 

 

      ――不死隊の儀礼――

 

 

 

この儀礼は、実に多くの意味が込められているが、この場合は自らの使命を全うする覚悟の証なのだろう。

 

「……どうやらコイツ……、やる気満々みたいだぜ?」

「……戦いは……、避けられないか……」

 

 孤電の術士と灰が覚悟を決める中、鎧の戦士『ゴブリンスレイヤー』は淡々と呟く。

 

「俺には、どうでもいい事だ」

 

 そう呟いた彼は一人、監視者の真正面へと対峙する。

 

「お、おい…、キミっ?!」

「ゴブリンスレイヤー?」

 

 困惑する二人を余所に彼は言葉を続ける。

 

「深淵だか、亡者だか、快楽だか、知った事か!……俺はゴブリンを殺す!……それだけだ。……深淵の監視者とやら、お前が何を見定め何を狩り取ろうと、俺には何の興味もない。……ただ、一つだけ言えるのは……。……俺の小鬼殺しを邪魔するのであれば……」

 

 彼も静かに剣と短刀を構え、監視者を睨み付ける。

 

 

 

「――コロス!!」

 

 

 

 双瞳に暗い灯が爛々と宿る。

 

『……』

 

 塔内は静寂に包まれ、無音の中空気の流れる音と生命の呼吸だけが、張り詰めた空間を形成する。

 

……

………

 

「……全うする!」

 

 その言葉と同時に、監視者が一気に踏み込み、ゴブリンスレイヤーへと肉薄した。

 

踏み抜いた足跡から僅かな風が巻き起こり、踏み込み速度の凄まじさを物語っている。

 

狙いはあくまで、彼只一人――。

 

たとえ薪の王たる資格が監視者自身ではなく、自身に流れる狼血に在るとしても、彼自身も紛う事無き(英雄)に連なる一人。

 

その脚力は完全に人間離れしており、その動きは疾風の如し――。

 

幾多の小鬼退治で培ったとはいえ、一介の戦士であるゴブリンスレイヤーに反応出来るものではなかった。

 

瞬時に自分の間合いに持ち込んだ監視者は、手にした特大剣『ファランの大剣』を彼へと振り下ろす。

 

次の瞬間、袈裟懸けに振るわれた重厚な刀身は激しい金属音と火花を散らし、彼の頭上で止まった。

 

「……ぬぅ、貴公……」

 

「……残念だが、好きにはさせん!」

 

 監視者の振るわれた斬撃――。

 

重く且つ神速の剣筋は、反応出来なかった彼の頭部を断つ事無く灰のシミターによって遮断されていた。

 

「……灰よ……」

 

「――呆けるな!攻撃をっ!!」

 

 余りに唐突な監視者の攻撃に困惑していた彼だったが、灰の叱咤に我を取り戻し、眼前の監視者に突進――。

 

左右の剣と短刀で、各々反撃を見舞った。

 

しかし、その刃は監視者の短剣に阻まれ、裂傷を与える事は無かった。

 

監視者は透かさず特大剣を持ち上げ、遠心力を加えた回転切りをゴブリンスレイヤーに見舞う。

 

大振りの斬撃ではあったが、常識外れの剣速はゴブリンスレイヤーの反応速度を凌駕する。

 

幸いにも防御が間に合い、特大剣は小盾で防がれたが、余りの威力と衝撃に彼は大きく吹き飛ばされてしまう。

 

「――ぐぅぉおっ?!」

 

 そのまま地面に激突する(すんで)の所で、ローリングによる受け身に成功し、ダメージは最小限に抑える事が出来た。

 

彼は直ぐに立ち上がり追撃に備えようと構えるが、防御した腕が痺れ、感覚が麻痺しかかっていた。

 

「――くっ!何という威力だっ!」

 

 だが次の瞬間、彼の眼前には監視者の特大剣が迫り来る。

 

しかしその刃は、またしても灰の剣によって防がれ、彼の目の前で火花を散らしながら拮抗する。

 

「……貴公、邪魔をするな」

 

「……何故だ?彼より私の方が、深淵に縁が深い筈だ!」

 

 監視者の目的はあくまでゴブリンスレイヤーであり、火の無い灰にも孤電の術士にも意識を向けていなかった。

 

灰は尚も呼び掛ける。

 

”本当に狙われるべきは自分ではないのか?!”と。

 

両者は鍔迫り合いながら互いを睨む。

 

「確かに貴公は火継ぎを幾度と繰り返し、多くのおぞみと深みに関わり晒され続けてきた」

 

 監視の言葉と同時に、特大剣による左右の斬り返しが見舞われる。

 

その二連撃をシミターで受け流すが、桁外れの剣圧と質量に腕の骨が軋んだ。

 

「しかし貴公は深淵に呑まれ、狂気に溺れる事は終ぞ無かった」

 

 今度は特大剣を下段から振り上げ攻撃を繰り出す。

 

灰はその斬撃をシミターで受け流しながら身体を捻り、衝撃を逃がす。

 

灰は即座に踏み込み、外から内への横薙ぎ、左右二連の逆袈裟斬り、上段の振り下ろしを見舞った。

 

その横薙ぎを短剣で捌き、半身を逸らす事で逆二連の袈裟斬りを躱し、上段振り下ろしをスウェーで回避、間髪入れず特大剣での反撃を繰り出した。

 

「貴公は深淵を受け入れながらも、それを制御し克服しつつある。――故に、脅威の対象とはならぬ!」

 

「――どう致しましてっ!」

 

 監視者の反撃を小盾でパリィングし、その隙目掛けて右袈裟斬りからの回転シールドバッシュ、そのまま勢いを付けた回し蹴りで監視者を吹き飛ばす。

 

「――ぬっ?!」

 

 斬撃と打撃の三連撃を食らい、流石の監視者も短く呻き、数歩後退した。

 

「……監視者よ、時代は変わったのだ!……この四方世界の何処かで『二度目の火』が宿り、再び生命の営みを取り戻した!世界も人も絶えず変わり行く!!」

 

「……我等は、不死のままだがな」

 

「――っ……!」

 

 ”時代も世界も何もかもが変わった”灰が高らかに叫ぶも、監視者は”変わらぬモノもある”と返す。

 

「……確かに、火継ぎの使命からは解放された」

 

 一度、戦闘態勢を解いた監視者は剣を地面に突き立て、特徴的な長帽子の様な兜をゆっくりと外した。

 

そして露わとなる、『深淵の監視者』の素顔。

 

「……貴公が火を消し、この世界を構築する切っ掛けを築いてくれたお陰で、燻ぶり焼け爛れた我等の身体は人の容を取り戻す事が出来た。……それに関しては感謝の念を禁じ得ぬ」

 

 やや黒みがかった赤髪は項まで垂れ下がり、若々しくも整った顔立ちは不死の影響だろうか……、何処と無く憂いと影が滲む。

 

黄金の双瞳は、鋭くも悲壮に満ちていた。

 

彼の瞳に今の世界はどう映っているのだろうか。

 

「……同時に、変わらぬモノもある。……我等は不死……。そして、未だ在り続ける誓約……」

 

 彼の視線は何処へ向けられているのだろうか、焦点が定まっていないかのように虚空を泳いでいる様にも見える。

 

「変わらぬ誓約こそが、我ら不死隊唯一の寄る辺……古き狼……偉大な太古の騎士との(よすが)なのだろう。それ故に、使命こそが我等の存在意義……!」

 

 再び兜を被り直し、剣を手にする。

 

その視線は矢張り鎧の戦士『ゴブリンスレイヤー』に向けられている。

 

「貴方と同じく…、私もまた使命に殉じようとしている」

 

「…ほう」

 

 灰の言葉に監視者も反応を見せた。

 

「神々に命じられるでもなく、誰かに請われるでもない、自分で勝手に決めた事だがな。……別に義務なんてものは何処にも無い。況してや背負わなければならないという束縛とて存在しない。……にも拘らず、私は勝手に使命を定め背負った」

 

「……何が言いたい?」

 

「貴方の背負う使命……、それは自分の意志で背負ったモノなのか?……それは誓約という名を借りた強制ではないのか?」

 

「……黙れ」

 

「思考する事を放棄し、自動人形と化してはいまいか?貴方の背負う使命…、…自分の意志で信じ切る事が出来るのか?」

 

「キサマッ……黙れと言っているっ!」

 

 戦いながらも静かであった監視者に変化が訪れた。

 

今迄灰に一切向けられる事の無かった殺気が、突如として吹き荒れ、監視者の身体が小刻みに痙攣した。

 

そして『無形の位』のまま灰に突進――。

 

その速度は先程に比べ、層倍するモノだった。

 

大上段から繰り出される渾身の斬り下ろし、単純な型だが故に破壊力に優れた技だ。

 

「――っ疾い?!」

 

 辛うじて反応し、高速体術で躱す灰だったが、監視者の剣は地面を抉り破片が飛散した。

 

「――馬鹿な?!金属製の床だぞ!」

 

 遠巻きに見守っていた孤電の術士が、その威力に慄きを見せる。

 

「誓約こそが掟!」

 

 灰の高速体術にも比肩する敏捷性で、追撃を仕掛ける監視者。

 

一度背を向け、其処から身体に捻りを加えた回転袈裟斬りを灰に見舞う。

 

灰は透かさずシミターを両手に持ち替え、それを受け止めた。

 

「――ぐぁっ…!重いっ…!」

 

 余りの重い剣圧に、防御ごと仰け反った。

 

「掟こそ我が全て!」

 

 監視者の攻勢が止む事は無く、多方向からの重く速い重連撃が彼を襲う。

 

右からの横薙ぎ、そのまま勢い付いた回転切り、左下段からの逆袈裟斬り、上段からの振り下ろし、真下からの切り上げ、左右の二連斬り返し、最後に全身に捻りを加えた回転衝角(ブラッティスクライド)の如き突進突きを繰り出す、怒涛の八連撃。

 

監視者の剣技は一撃でも、金属を断裂させる程の威力だ。

 

一太刀でも浴びれば鎧の上からでも、確実に絶命するだろう。

 

しかし灰も幾度となく火継ぎを繰り返し、その度に監視者と戦ってきたのだ。

 

尋常ならざる連撃を全て剣で、受け流し、捌き、合わせ、往なす。

 

監視者の刃は灰に届く事は無く、悉くが空を奔った。

 

そして最後の捩じり突きを、真正面から両手を使った上段振り下ろしで刃の真芯を合わせ、全力を込めて()()()()()

 

打ち下ろされた監視者の特大剣は重厚さが仇となり、彼の手に重く圧し掛かり、大きく体幹を崩した。

 

「――今だ、ゴブリンスレイヤー!!」

 

 灰の叫びに呼応した、ゴブリンスレイヤーが監視者に全力で疾駆する。

 

「うぅぉおおおぁぁぁ!!」

 

 彼にしては珍しく雄叫びを上げ、隙を晒す監視者の手前で跳躍し、小盾を前面に突き出した『シールドダイブ』でぶち当たる。

 

「ぐぅお?!」

 

 彼のシールドダイブは、顔面を直撃し監視者の脳に揺さぶりを掛けた。

 

「これでは終わらんっ!」

 

 更に隙を突いた彼は、監視者の胴体部へと両手の武器で戦技『連続突き』を繰り出す。

 

彼の武器その物は決して高品質とは言い難いが、歴とした刃物。

 

監視者の鎧に阻まれながらも、刃は身体に到達し着実に痛痒を負わせていく。

 

「…ぐぅぅっ、この感情の猛り……、この男も薪の王と同じく、抗いし者か?!」

 

 尚も突きの連撃を繰り出す鎧戦士に、疑念と逡巡の混在した感情を抱き始めた監視者。

 

 

 

――これが、生者の…、生命在りし者達の可能性……。

 

 

 

 

 

 思い起こされる。

 

火継ぎの途絶えし時、あの鐘がロスリック中に響き渡り、冷たい石櫃から覚醒したファランの不死隊。

 

最早火は陰り、死と終わりを迎えようとしていた彼の時代。

 

生命の息吹は疾うに消え失せ、不死隊は自らの故郷「ファラン城塞」に辿り着く。

 

新たな火継ぎの犠牲者を生まぬ為、自らが再び薪となる決意を固めた監視者達。

 

議論と考察、そして闘技を繰り返し、(ふるい)を掛け、薪の資格者を選定する途中で異変は起きた。

 

同胞達の中から狂気に見舞われる者達が表れ、見境なく襲い掛かって来たのである。

 

その双瞳は深紅に染まり理性も記憶も喪失し、狂喜に支配されるがまま凶刃を振るい続けたのだ。

 

彼等は深淵に侵食されていた。

 

古の誓約に従い、深淵に抗し滅ぼし続ける事で、深淵に最も関わり続けた。

 

その挙句の果てが、自ら深淵の狂気に呑まれるという無残な結果であった。

 

深淵に捕らわれた者は滅ぼさねばならない。

 

たとえ、それが苦楽を共にした仲間であっても……。

 

そして彼等は互いに剣を向け、殺し合う事となる。

 

いつ終わるとも果ての無い、絶望の殺戮に。

 

延々と繰り返される殺戮は、一人の乱入者によって突如終止符を迎える。

 

『火の無い灰』と呼ばれる一人の不死人だ。

 

姿形は変わり果ててしまったが、今剣を交えているフードの剣士が()()だ。

 

ファランの霊廟で何度も打ち倒し、灰を退けてきた。

 

これ以上背負わせたくは無かったのだ。

 

火を継ぐという苦行の重責を――。

 

自分だけでいい……。

 

この過酷な使命を背負い、犠牲となるのは俺一人で事足りる。

 

 

 

お願いだ……!

 

このまま諦めて、立ち去ってくれ!

 

もう止めてくれ!

 

これ以上苦しむな!

 

 

 

そんな悲壮な想いを込め、全力で灰を肉塊へと変えた……、文字通り。

 

 

 

何時かは分かってくれるだろう。

 

その内我々に挑む事の無意味さを悟り、思い止まってくれるだろう。

 

 

 

淡い期待を抱き、挑み続ける灰を切り伏せ、叩き潰し、焼き尽くした。

 

その度に挑み来る、火の無い灰。

 

 

 

何故だ?!

 

何故分かってくれない?!

 

どうして諦めてくれないんだ?!

 

 

 

何度打ち倒そうとも灰は、手段を変え、戦術や道具を駆使し、我々に挑み来る。

 

そして遂に、監視者は敗北し膝を突く。

 

 

 

火の無い灰よ、貴公は分かっていない。

 

この世界は繰り返されているのだぞ!

 

火継ぎが何度も繰り返され、その度に神々に翻弄されし()が捧げられていくのだ。

 

お前に背負わせはせぬ……、……この絶望の連鎖を……!

 

 

 

目を見開いた監視者は、仲間たちの屍から『ソウル』と誓約により分け与えられし『狼血』をかき集め、自らの体内に吸収してゆく。

 

監視者の身体には炎が宿り、嘗ての薪の王としての力を振るい、再び灰と死闘を繰り広げた。

 

激しい攻防の末、勝負は灰に軍配が上がる。

 

 

 

矢張り諦めてはくれなかったか。

 

ああ、分かっているさ、本当は……。

 

何度目だろうな、この霊廟で倒されるのは……。

 

繰り返しているんだ、この時代は……。

 

いつ終わるとも知れず……。

 

良いのか、貴公?

 

これからもずっと繰り返すのか?

 

心無き亡者に成り果てる迄。

 

 

 

倒され朽ちゆく肉体――。

 

霧散するソウルで、監視者は灰に語り掛けた。

 

 

 

『俺ハ、あきラめヌ!自ら、ヒを消シ、火継ぎ、の、連鎖ヲ、おわラせルノ、だ!』

 

 

 

 火の無い灰は、ソウルではなく自身の言葉で監視者へと返した。

 

”どの道次が最後なら、自ら火を消し、新たな時代の到来と可能性に賭ける”と。

 

 

 

この灰が亡者化寸前なのはソウルの流れで分かっていた。

 

しかしその心は折れる兆しすら見せていない。

 

この男自身も深淵を孕みながらも、未来へ進もうとしているのだ。

 

()()()を信じて。

 

 

 

まるで……。

 

まるで――。

 

()()()()()()ではないか。

 

 

 

火の無い灰、その肉体は亡者と化し精神までも亡者に墜ちようとしている。

 

だが、その心は生者の様に命溢れていた。

 

生者という存在に出会わなくなり、久しく忘れていた感情。

 

 

 

 

 

      『可能性を信じる』

 

 

 

 

 

 途切れる事の無い痛覚に現実に引き戻された監視者は、手にした短剣でゴブリンスレイヤーを打ち払った。

 

「これだけ攻撃を加えても、効果が薄い……か」

 

 ゴブリンスレイヤーは、武器を構え直し油断なく向き合う。

 

彼の傍らには火の無い灰、監視者の後方には孤電の術士が控えている。

 

「貴方も随分変わった。そんなに饒舌だったとは思わなかったぞ」

 

「…貴公もな」

 

 灰が語り掛け監視者もにべも無く返す。

 

「そうだ!人は変わり移ろい行く。我々は無論、貴方もな!」

 

 ”変わってゆける”そんな言葉を付け加え、更に監視者へと呼び掛けた。

 

「なぁ、そこの騎士さん。もう少しゴブリンスレイヤーを信じてやってもいいんじゃないか?……何も直ぐに手を下すのは、些か早計に過ぎると思うんだ、私はね」

 

 孤電の術士も灰の言葉に続いた。

 

”早漏な男は、女にモテないぜ?ハンサムさん!”と言葉を付け足しながら。

 

 

 

――信じる。

 

 

 

監視者は静かに警戒を解き、立ち竦む。

 

彼の中に僅かな戸惑いと迷いが芽生え始めていたのだろうか。

 

「……この際だ、はっきりさせておく。俺は深淵とやらに興味はない。ましてや()()に支配される気も毛頭ない。だが、ゴブリンは脅威だ!ゴブリンは殺さねばならん!」

 

 ゴブリンスレイヤーが言葉を投げ掛けた。

 

「それに…、たかだか只人の俺に何故拘る?俺以上にに深淵や狂った輩は他にも居る筈だ!」

 

”俺などに構っている暇があるのか?”彼は言葉を更に投げ掛けた。

 

仮にゴブリンスレイヤーが小鬼殺しに従事し、其処に愉悦を見出したとしても、彼自身は一介の下級冒険者。

 

彼以上の脅威は他にも散在している。

 

魔神の眷属を始めとした、祈らぬ混沌の勢力。

 

「……案ずるな。既に他の同胞が動いている。魔神皇軍然り、黒教会然り……な」

 

 監視者は、他の勢力について言及した。

 

「成程、サリヴァーンやロンドールの動きが随分鈍いと思っていたが、貴方達が理由か」

 

 あの組織は火継ぎの時代でも強大な力を有していたのだ、本気で事を熾せば世界を崩壊させる事など実に容易い筈だ。

 

彼等が何時頃から存在し、動いているのかは定かではないが、それにしては動きが緩やかだと灰は感じていた。

 

ファランの不死隊が行動を起こし、抵抗しているのなら納得がいく。

 

「……単純に”敵”という言葉では締め括れんよ。この騎士さんは――」

 

 孤電の術士も敵意を向ける事を止め、臨戦態勢を解いた。

 

それと同時に、騒々しい足音が此方に近付きつつあった。

 

「…ちっ!また奴等か!」

 

「無限湧きは本当らしいな」

 

 孤電の術士は舌打ちし、ゴブリンスレイヤーも”影”の方角に向き直る。

 

「残念だが、貴方に構っている暇は無くなった。貴方に使命がある様に私達も重要な役割を背負っている」

 

 灰も監視者に背を向け、”影”の襲来に備えた。

 

「君は、今の内に謎を解け!少しでも時間が惜しい!」

 

「俺達も、何時まで持ち堪えられるか分からん!」

 

 殺到する”影”が小鬼だけなら、それ程脅威にはならなかっただろう。

 

しかしこの階層では、大柄な亡者兵に加えロスリックの騎士までも混ざっていた。

 

あの騎士も個体差こそあれど、上質の装備と卓越した戦闘力で、敵対者を容赦なく屠ってゆくのだ。

 

それが複数同時に襲い掛かって来る。

 

今の消耗した彼等では、正直生き残れるかさえ怪しい。

 

「……分かった!本来は私の冒険(シナリオ)だものな!……必ず…、必ず成功して目的を達成してやる。……だから死ぬなよ、二人共っ!!」

 

 彼女も意を決し、重厚な黒壇の扉の前に浮遊する、不定形な靄に向き合った。

 

程無くして”影”達が大挙して、この階層に押し寄せた。

 

「……やっぱりな!」

 

 毒づく灰を余所に”影”には案の定、ロスリックの騎士が複数存在し、堅牢な盾を構えながら最前列に陣取る。

 

ロスリック騎士を筆頭に少しずつゆっくりと前進し、距離を詰めてゆく影達。

 

「あの守りを崩さん事には、どうにもならん。……こんな事なら俺も『楔石』とやらで武器を強化しておくんだった」

 

 ゴブリンスレイヤーが珍しく武器の強化について言及した。

 

本来彼自身は対ゴブリンを想定している為、上質武器や魔法の武具を使う事は視野に入れていなかった。

 

また万が一自分が戦死し、装備がゴブリンに奪われる事も想定し、例え奪われても大した脅威とならぬように徹底して、極力数打ちの武器を使用していたのである。

 

しかし相手は、ゴブリンに加え亡者や屈強な騎士達。

 

自分の判断が裏目に出ていた。

 

「魔法の武器を所持しろとは言わない。せめて一振り…強化した愛用の武器を持っていても無駄にはならんさ。……あのダークゴブリン集団の様に、装備を忠実させたゴブリンが出ないとも限らない」

 

「……そうだな。生き残れたら、……考えてみよう」

 

 いよいよ影が迫り来る。

 

ロスリック騎士が盾を構え、大柄な亡者兵が斧槍を突き出し、弩を装備した亡者兵が陣形を組み、圧を以て此方を押し潰そうとしている。

 

加えて、小鬼と小鬼亡者の大群。

 

「さて……、どう攻めたものか……」

 

 フォースで吹き飛ばし陣形を崩すか、呪術の火で弱い所を狙い撃ちにするか、無理矢理騎士を飛び越え敵を翻弄するか。

 

どちらにせよ戦力も乏しく、空間の広さも限られている。

 

広い野外なら、まだ手は有ったのかも知れないが、正直不利に追い込まれていた。

 

「――来るぞ!」

 

 影達が突撃体制に移り、彼等も覚悟を決めた――その時!

 

一陣の風が疾風の如く彼等を間を縫い、呆気に取られる彼等を余所に”影”の居た場所には、物言わぬ亡骸だけが散乱していた。

 

「……監視者?」

 

 どよめくゴブリンスレイヤーの眼前には、自分を狙っていた『深淵の監視者』が佇んでいた。

 

瞬時に影達は粉砕され、第一陣は呆気なく監視者によって駆逐されていた。

 

「……」

 

 灰達と監視者の間に緊張が走る。

 

「……思い違いをするな。今暫く貴公の可能性……、見極めさせて貰う!」

 

 監視者は彼等の傍らに位置取り、二人に或る物を投げて寄越した。

 

「……これは……?」

 

「緑花草……、しかも花付きの――」

 

「使うと良い。疲労も多少は緩和されるだろう」

 

 監視者が寄越したのは『花付き緑花草』。

 

緑化草は、使用者のスタミナ回復力を助長させ、花付きは効果が更に拡大された貴重品でもある。

 

ファランの不死隊は、緑花草を常備し使用する事によって、特大剣を狼の如く振るい、万夫不当の勇を誇っていたのである。

 

既に第二波と思わしき足音が此方に殺到しつつある。

 

あまり猶予はなさそうだ。

 

二人は直ぐにでも花付き緑花草を口へと丸ごと放り込み、鼻の突く様な苦みと辛みに耐えながら噛み砕き、水筒の水で胃へと流し込んだ。

 

「相変わらずの苦さだが、逆に気付けにもなる」

 

「……確かに、疲労が薄れつつある」

 

 程無くして緑花草の成分が身体全体に行き渡り、疲労がみるみる間に和らいでいく。

 

そうこうしている間に影の第二波が到着し、彼等は再び敵襲来に備えた。

 

「ロスリックの騎士は私が担当しよう。薪の王は亡者兵を、鎧戦士は小鬼全般を任せたい、是非や如何に?」

 

「それこそ是非も無い、役割を果たす!」

 

「お陰で問題なくなった、任せろ!」

 

 三人は其々の敵を担当し、臨戦態勢に移った。

 

最初に複数のロスリック騎士達が彼等に突撃を仕掛けるが、監視者は短剣を地面に突き刺しそれを楔としながら特大剣の回転切りで、ロスリック騎士達を断ち切る。

 

「――何だ、今の技は?!」

 

 監視者が見せた独特の剣技、狼が獲物を狩るが如き動きで瞬時に騎士達を殲滅させた剣技に、ゴブリンスレイヤーは驚きの声を上げた。

 

「我ら不死隊に伝わりし技『古狼の剣技』」

 

 何故か律義に説明する監視者。

 

――今の技……、覚えておくか。

 

先程の型を記憶に焼き付けておくゴブリンスレイヤーだった。

 

斬り込みの要となるロスリック騎士を駆逐し、防御に穴が出来た。

 

その隙を見計らい、灰とゴブリンスレイヤーは、敵陣へと突撃を敢行し激闘の火蓋は切って落とされた。

 

限られた空間に四人と影達が、入り乱れながら戦線を展開してゆく。

 

 

 

 

 

「くそぉ……、何なんだ、これは……!」

 

 孤電の術士が歯を噛み締め、悔しそうに表情を歪ませる。

 

不定形に浮かぶ靄の影が、彼女を一層焦らせる。

 

「これは百二十どころじゃあない、……これは、六百だ!」

 

 彼女は聡明だ。

 

卓越した彼女の知性は、それを理解も想像も出来る。

 

しかし……。

 

「時間が掛かり過ぎる……!……正六百多胞体、こんなん有りかよっ!」

 

 わかる、理解出来る、想像も出来る、しかし時間が足りない。

 

計算するのにどれ程の時間を費やせばいい。

 

「くそぉっ、あの不死人め!これを半日掛かりとは言え、解きやがったのか!」

 

 自分達が此処を訪れる前に、あの薄気味悪い不死人がこの謎を解き明かし、この扉を開けていた。

 

奴が途轍もなく優秀なのか、自分自身が思っていたよりも愚鈍なのか。

 

「時間が……、時間が足りないっ……!」

 

視界が歪む、感情が高ぶる、目尻を拭う時間も惜しみ、彼女は想像を絶する上位の領域に挑み続ける。

 

故に、彼等は時間を稼がねばならない。

 

一分でも、一秒でも。

 

「ぬぅおぉっ……!!」

 

 深淵の監視者に、ロスリック騎士の剣が突き立てられる。

 

彼は古狼の剣技を駆使し、殺到する騎士達を薙ぎ倒していたが、次第に騎士達も学習しその技に対応し始めていた。

 

遠心力を生かした大質量と速度の伴った彼の特大剣は、盾を両手持ちに切り替えた騎士達の防御特化の構えで食い止められ、生じた隙目掛けて複数の騎士達が彼に殺到し、執拗な攻撃を加えたのである。

 

幾ら卓越した技の持ち主でも、隙を突かれ四方八方からの攻撃には対応し切れず、遂に彼等の攻めに屈してしまった。

 

それでも尚短剣を懸命に振るい、騎士達の首を切り裂き仕留めてゆく。

 

加えて、背中から凄まじい衝撃が彼を襲う。

 

その衝撃に耐え切れず吹き飛ばされ、監視者は先程の方角を見やる。

 

「――?!」

 

 背中に一撃を加えた犯人は、グレートアクスを携えた大柄な亡者兵であった。

 

――?!…亡者兵は、薪の王が対応していた筈だが……?

 

彼は辺りを見回す。

 

其処には、体中至る所から血を流し尚も奮闘中の灰が、監視者の視界に映る。

 

多勢に無勢の状況にも屈する事なく、懸命に剣を振るい続け、亡者達を切り伏せていくが、数の暴力に対応が追い付かなくなっていたのだ。

 

戦技、体術、魔法、全てを駆使し亡者に抗するが、次第に被弾が増し負傷による動きの鈍化を加速させてゆく。

 

このままでは、そう長く持たないだろう。

 

――あの鎧戦士は?

 

監視者は本来の標的であるゴブリンスレイヤーを探し、視界を縦横無尽に動かす。

 

「……これで……、何体目だったか……?」

 

 短刀で小鬼亡者の首を刎ね仕留めるも、討伐数を数える事も億劫となり、正確な討伐数は分からない。

 

足元を縺れさせながらも、次の標的に狙いを定め、小鬼の頭部を刺し貫く。

 

「GWOOV!」

 

 今度は全うなゴブリンなのだろう、絶叫を上げ息絶えたゴブリンを前蹴りで突き飛ばし、前方の集団にぶつけた。

 

背中に取り付いたゴブリンが、手にした棍棒で彼を殴り付ける。

 

「……ぅ鬱陶しい奴めぇっ……!」

 

 彼『ゴブリンスレイヤー』は忌々し気に呻き、背中に手を回し取り付いた小鬼を掴み、引き摺り出す。

 

そのまま床に叩き付け、小鬼の頭部を踏み潰した。

 

「ふぅぅ…、はぁぁ…、ゴ、ブリ、ン……、共ぉ……!」

 

 彼自身も消耗が激しく、間も無く限界を迎えるだろう。

 

薄汚れた革鎧は、影共の返り血なのか彼自身の血なのか、最早区別も付かない。

 

幾ら花付き緑花草の効果があるとはいえ、無限というモノは基本的に存在しない。

 

少なくとも、この世界では。

 

監視者は、唸る。

 

「……このままでは、何れ影の波に押し潰される。……あの女、まだか……?」

 

 ちらりと後方の彼女に視線をやる。

 

監視者自身も当然学士ではなかったが、彼女が悪戦苦闘しているのだけは伝わってきた。

 

彼女は目尻に涙を浮かべ、泣きながらも神々の定め給うた上位の次元に挑んでいたのだ。

 

言葉を紡ぐべきかどうか、彼女は惑いながら呼吸を荒く二度三度、繰り返す。

 

そして、彼女は言った。

 

「すまない!私の冒険(シナリオ)なのに、キミ達を巻き込んでしまって……、偉そうにほざき振り回した挙句が……、これだっ……!本当に、すまないっ!」

 

 彼女は両手を地に突き、項垂れ心底悔し気に歯を噛み締めた。

 

「……何を寝ぼけた事を言っている、お前は!」

 

 ゴブリンスレイヤーから声が返って来た。

 

フラフラになりながらも、彼は懸命に武器を振るい影達に抗っている。

 

「ゴブリンスレイヤー……」

 

 思わず彼の渾名を口にし、呆気に取られた。

 

そして――。

 

「あの主教の男は、半日掛けて()()を解いたのだ!まだまだ余裕じゃないか!……今、何分経ったかは知らないがな……!」

 

 灰の剣士も彼に続き、彼女を叱咤する。

 

亡者兵のクロスボウが射出され、ボルトが彼の腹部に突き刺さる。

 

しかし、それも御構い無しに作業用ダガーを投擲し、亡者兵の顔面に直撃させた。

 

彼の全身から、多量の出血が見て取れる。

 

そう遠くない未来、彼は失血死するだろう。

 

「剣士君……、キミも……」

 

 最早戦線は絶望的、退路は完全に断たれ脱出もままならない状況だ。

 

にも拘らず、灰の剣士は御構い無しに、亡者達へと躍り懸かる。

 

「一時間と経っていない、三十分だ……、精々な!」

 

 不意に監視者からも声が掛かる。

 

影達の中では最も強敵であろうロスリック騎士に、殺到されながらも懸命に特大剣と短剣を振るい、騎士達に応戦していた。

 

「時間は私達で稼ぐ!一分一秒でもな!……君は決意したのだろう?!盤外へ到達すると!!」

 

 灰は彼女に激励を贈る。

 

「お前は依頼人だ!俺達はお前の目的を達成させる!……それが俺達の役割……使命だっ!!」

 

 ゴブリンスレイヤーの後に続き彼女に言葉を贈る、精一杯に最大限に――。

 

「我々がそうであるように、貴公もまた果たすべき使命がある!それを果たし、生き抜く!……お前達()()にしか成し得ない特権だ!…学士よっ!!」

 

 先程まで敵対していたとは思えない、深淵の監視者までもが彼女に言葉を贈った。

 

三人とも既に満身創痍だというのに、彼女がそれを放棄するとは微塵にも疑ってはいない。

 

 

 

「「「()()()」」」

 

 

 

 奇しくも三人同時に同じ言葉が彼女に届いた。

 

 

 

「…全く、好い男に限って馬鹿ばかりが集まりやがる!……本当に男運が無いね、私はぁ……!」

 

 彼女がクックと静かに笑い、手で目を覆う。

 

そして静かに立ち上がり、再び不定形の靄に立ち向かった。

 

「……だがな……、真の馬鹿は……」

 

 徐に呟いた彼女は、鋭い目付きで靄を見据えた。

 

 

 

「――このアタシだぁぁっ!!」

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()――

 

 

 

どうしてそんな単純な発想に至らなかったのだろう。

 

本当の愚鈍はこの自分だ。

 

これじゃあゴブリン以下じゃないか。

 

 

 

彼女は力強く、金属の床を蹴った。

 

溢れ出す赤い稲妻の奔流に身を任せ、彼女は自身で編纂(へんさん)した魔術書、札の束へと手をかける。

 

「稲妻よ、我が後に続け――!!」

 

 魔力で宙を舞う札の束から一枚を取り出し、声高らかに叫ぶ。

 

彼女の周りから赤い稲妻の奔流が、彼女の意志を祝福するかのように煌めいた。

 

そして彼女は行使する。

 

 

 

促進(エクスぺダイト)!!』

 

 

 

 孤電の術士は加速する。

 

世界を置き去りにして。

 

頭脳を、肉体を、意識を――。

 

彼女を構成する全ての細胞が彼女の魔力に応え、時間を加速させた。

 

彼女の手には、()が煌めき揺らめいている。

 

「さぁ行くぞっ!神々よ――!!」

 

 彼女自身の()()の戦いが始まった。

 

 

 

 

 

――俺のポケットの中に、何がある?――

 

ふと頭に過る先生の声。

 

彼の修業時代、師から問われた謎々。

 

当時の幼い彼には当然解ろう筈も無く、彼は立ち尽くし、師の攻撃を真面に食らい倒れ伏した。

 

薄れ行く意識の中で師の嘲る笑い声をききながら、それを手放す迄考えていた。

 

――ポケットの中には何が在る。

 

「俺のポケットには、何が入っている?」

 

 生者、亡者も問わず、小鬼達を倒しながら嘗ての師に想いを馳せるゴブリンスレイヤー。

 

師の謎掛け、答えは終ぞ分からなかった。

 

中には何が入っていたのだろう。

 

指輪?

武器?

道具?

それとも、形の無い何か?

闘志?

精神?

復讐心?

俺の(ポケット)に何が在る?

殺意?

狂気?

愉悦?

あの監視者の言う様に在るのは――。

 

――深淵――

 

……

 

「違う。()()()()は違う!はっきりと断定出来る!!」

 

 なぜなら、俺のポケットには――。

 

彼は自分の雑嚢から或る物を掴み取り、意識をはっきりとさせた。

 

孤電の術士が行使した呪文は、彼にも影響を与えたのだろうか。

 

今の彼は意識が冴え渡っていた。

 

――やれるかどうかではない!今やるのだっ!!

 

彼は声を張り上げ叫んだ。

 

「――監視者よ!奴等を薙ぎ払え!」

「灰よ!『フォース』で奴等を吹き飛ばせ!」

「後は、――俺がやる!!」

 

 ゴブリンスレイヤ―が彼等に指示を飛ばし、自身は踏み込みの態勢に入る。

 

火の無い灰も監視者も、無言で彼の意志を汲み取り、動き出す。

 

「――狼の剣技!とくと照覧あれっ!」

 

 監視者が影に突撃し、短剣を床に突き刺しながら身体ごと回転を加え、特大剣で影達に牽制を仕掛けた。

 

陣形の崩れた影の群れに灰が高速体術で飛び込み、腰のタリスマンを握り締め奇跡を行使する。

 

「――これが最大出力のっ…!『フォース』!!」

 

 群れの手前で奇跡を発動させ、生じた衝撃波が影達を吹き飛ばし、敵陣に大きな隙を形成する。

 

その隙目掛けて、ゴブリンスレイヤーが灰の肩を踏み台とし、高く跳躍。

 

「――これでも、くらえ(テイク・ザット・ユー・フィーンド)!!」

 

 次の瞬間、彼の紐解いた巻物《スクロール》が封印から解放され、白く爆発した。

 

白く爆発した様に見えたそれは、怒涛の水飛沫を上げ、むせかえる様な潮の臭いが辺りに充満する。

 

それが、海の香りだと彼は知識で知っていた。

 

潮の水が激しい津波となり、影の群れを跡形も無く押し流してゆく。

 

激流に呑まれる影達から悲鳴の様な絶叫が発せられるが、激流の音に掻き消され彼等の耳に届く事は無かった。

 

幾ら屈強なロスリックの騎士と言えども、抵抗は無意味。

 

大自然から生み出された力、謂わばこれこそが真の神の摂理と言えよう。

 

激流は影達を引き裂きながら押し流し、塔の下まで到達するだろう。

 

 

 

『おも、しろ、い、わね』

 

 ギルドの魔女から『転移の巻物』について聞かされ、思い浮かんだ策。

 

孤電の術士から報酬として受け取った巻物は転移の術が封印されていたが、それは何処にも繋がっていない白紙に近い状態だった。

 

彼女の言葉通りギルドの魔女に依頼し、転移先を書き換えて貰う事にした。

 

そして彼の思い浮かんだ策を彼女は”おもしろいと”評したのだった。

 

「……たしかに、()()()()()()

 

 燃え尽き燻ぶり続ける残り火が付着した巻物は、もう用済みだった。

 

彼は、惜しげも無くあっさりと投げ捨て、敵を一掃したのであった。

 

 

 

 

 

「全くキミという男は、面白くもあり、無茶もしてくれるものだよ!……塔が崩れたらどうするんだい?!それこそコトだろうに!」

 

「初めて試した。……巻物の使用は二度目だがな」

 

 彼女のお叱りに彼は言い訳がましく答えた。

 

巻物を使用したのは、鉱山での戦い。

 

あの、ダークゴブリンに対して使用したのが初だった。

 

「洞窟で使う時は注意し給えよ!生き埋めになったら大変だっ!」

 

「そうだな、多用は出来ん」

 

「そうとも、不確定の切り札に命を賭けるのは頂けないね!今後は多用を控える事っ、いいね!!」

 

 彼女がビシッと指を向けられ、彼は頷く。

 

「そうだな」

 

「分かれば宜しい!」

 

 彼女は胸を張り、満足げに頷く。

 

まるで教師が教え子を諭す様に、まるで姉が弟を嗜める様に――。

 

そんな二人のやり取りを遠巻きに見つめていた、深淵の監視者と灰の剣士。

 

「人の持つ、可能性……」

 

「然り。誰にでも宿す、無限の拡がり」

 

 ゴブリンスレイヤーの見せた想定外の切り札。

 

その様に、監視者は彼へ新たな可能性を認めつつあった。

 

「生者のみが持つ可能性か。……私の様な不死には、持ち得ぬ」

 

「――断じて違うっ!!」

 

 監視者の言葉に、灰は即座に反論した。

 

「今言ったろ?誰にでも宿す可能性だと。私にも…、彼等にも…、貴方にも…、そしてこの世界で生きる全ての生命に宿っているのだ!……そこに生者、亡者、不死は関係ない!その、証拠に貴方も変わっていた!あの霊廟での貴方とは似ても似つかぬ程にっ――!」

 

「薪の王……」

 

「使命を放棄しろなどとは言わない。私もまた、使命に縛られそれを果たさんとする者の端くれ。……只の傲慢(エゴ)だがな。だが今しばらく……、彼を信じてやってくれないか?深淵の監視者よ」

 

 人は変わり行く、時代も、世界も、その心も、世界は円を描く様でいて螺旋を描き、刻々と変化しながら歩んで行く。

 

その終局が訪れるまで。

 

 

 

――不思議なソウルを感じる……、あの鎧戦士。

 

 

 

薄汚れた鎧兜の男を見つめ、監視者は彼の有すソウルを感じ取っていた。

 

そのソウルは黒壇の扉に浮遊する、あの靄に似ていた。

 

今は、正六百多胞体の体を成している。

 

不定形でいて、何にでも変ずる、推し量る事の出来ない不可思議なソウル。

 

自分には無論、過去に対峙してきた誰とも異なる、不可思議なソウル。

 

王達のソウルにも、あんなソウルは御目に掛った事が無い。

 

いや似ているとすれば、この薪の王もそうだろうか?

 

今は太陽に似た木漏れ日の様なソウル。

 

しかし、巨大な闇を孕みながらもそれを受け入れ、見事に形を保っている。

 

恐らく変質させようと思えば、何時でも変質させられるのだろう。

 

本人が自覚しているのかどうかは、定かではないが。

 

――確かに、今判断を下すのは、少しばかり早計だったやも知れん。

 

そんな想いが過る監視者だった。

 

「そっちのお話は済んだかい?お二人さん?」

 

 孤電の術士とゴブリンスレイヤーが、此方に来ていた。

 

灰と監視者は無言だったが、静かに頷く。

 

監視者とゴブリンスレイヤーの目が合い、二人は黙って対峙し合う。

 

「……」

 

「……」

 

「お、おい?!キミ達、この期に及んで――」

 

 二人の緊張感に充てられ、彼女は焦り出す。

 

「……思い違いをするな。まだ貴公を認めた訳ではない」

 

「……俺もだ。まだ貴様を味方と認めた訳でもない」

 

 緊張を保ったまま、両者は警戒を解く事は無かった。

 

しかし、投げ掛けられる言葉で、それは一瞬で瓦解する。

 

「似た者同士だな、二人とも。……何処と無くだが」

 

 火の無い灰が言葉を発した。

 

「……冗句は止せ、灰よ。こんな奴と一緒にされては、甚だ迷惑だ!」

 

 ゴブリンスレイヤーが瞬時に反応し、否定する。

 

「……私もだ。この様な男と同類であろう筈も無い。甚だ心外の極みだ!」

 

 監視者も揃って反応する。

 

「……そう言う所が、似ているのさ」

「プッククク、アハハハハ……!」

 

 二人の様子を灰に言及され、孤電の術士も釣られるように笑い出した。

 

「チッ…!」

「フンッ…!」

 

 ゴブリンスレイヤーと監視者は互いに舌打ちし、そっぽを向く。

 

塔内では彼女の笑い声が響き渡っていた。

 

 

 

 

 

いつ果てるとも知れない、そんな螺旋階段を四人は歩いていた。

 

いや、正確には三人と言った方が正しいだろうか、この場合。

 

謎を解き明かした孤電の術士は、完全に消耗し切ってしまい、歩く事もままならない状態だった。

 

現在彼女は、火の無い灰に抱かかえられている。

 

所謂『お姫様抱っこ』と云うやつである。

 

「いやぁ、快適快適!キコウ、しっかり運び給えよ!」

 

「……顔が近くないかね?貴公……」

 

 すっかりご満悦な彼女と複雑な気分の灰。

 

何故か彼女は、頬をスリスリさせる。

 

尤も、フード越しのアイアンヘルムのお陰で、ゴツゴツと言った感触ばかりが彼女に伝わるのだが。

 

その後に続くのはゴブリンスレイヤーと深淵の監視者。

 

同じくゴブリンスレイヤーも度重なる連戦で、足腰が覚束なくる程に体力を消失していた。

 

どういう風の吹き回しだろう。

 

そんな彼を、監視者が肩を貸し支えてくれているのである。

 

此方の二人は、終止言葉を発する事は無かった。

 

光は刺し込まず音の無い、黒い壁面の空間を一行は只管歩んで行く。

 

一体今が何時で、この塔は本当に上に登っているのかさえ、感覚が麻痺しつつあった。

 

そして遂に辿り着く、螺旋階段の終着点。

 

踊り場に辿り着いた一行を待っていたのは、やはり黒壇の扉。

 

扉には相も変わらず継ぎ目も鍵穴も無く、そして不定形の靄すら無い。

 

「……降ろしてくれるかい」

 

 名残惜しそうに彼女は灰の顔を撫で身体を離す。

 

その後、黒壇の扉に手をかけた。

 

「いいかい、開けるよ!」

 

 女の力で開くものだろうか?

 

そんな賢しい疑問はさて置き、この扉は謎を解き明かした彼女にしか開く事が出来ない。

 

ギギギっと重い金属の擦れ合う音が鳴り、扉はゆっくりと開かれる。

 

継ぎ目の無い黒壇の隙間から、眩いばかりの光が刺し込み、ざっと風が吹き込んだ。

 

空だ。

 

暗い藍から、赤く、白く、透き通っていく夜明けの空だ。

 

薄衣のような雲が流れ、、風に延びる巻雲が何処までも続く。

 

「何と壮大な……そして美しい……」

 

 思わず感嘆の声を漏らすは、深淵の監視者。

 

人生の大半を薄暗い霊廟とあの終わりゆく時代で過ごし、深淵との戦いに全てを費やしてきた。

 

いつ以来だろうか、この優美で壮大な大自然を目の当たりにしたのは。

 

「満足か」

 

 監視者の肩から身体を外し、ゴブリンスレイヤーが彼女に問う。

 

「いいや、まだだね。此処からなんだ……、私の()()()は」

 

 彼女は彼に振り替える事無く答える。

 

今にも泣き出しそうな笑顔を虚空の彼方に向けながら。

 

「そうか」

 

 何時もの通り短く返す彼。

 

「貴公は成し遂げたのだな、己が使命を」

 

 監視者も珍しく声を掛けた。

 

「ああ、有難う。短い付き合いだったが、世話になったね。騎士さん!」

 

「貴公の可能性……、見せて貰った」

 

 監視者も短く頷き返す。

 

そして、彼女は彼に向き直る……。

 

火の無い灰に向かって――。

 

「……」

「……」

 

互いに言葉を交わす事も無く、二人は見つめ合う。

 

徐に彼はフードを外し、アイアンヘルムに手をかけた。

 

「……?!」

 

 その様子に孤電の術士は当惑した。

 

「君が何を求め、何を成し遂げようとしているのか我々には分からない。神々の摂理を打ち破り、何が得られるというのかも……。だからこそ、我々には君を引き止められないし、そんな権利も無い。行くがいい。そして君が成した事が何を産むのか、その答えを見つけ出してほしい。悲願の成就を、心から願う」

 

 兜を外した彼の素顔が晒され、艶のある黒髪が風に吹かれ揺れる。

 

 彼女は以前から思っていた。

 

 ああ、彼は『東国』の生まれなのだなと。

 

「……そのつもりだ!それが私の果たすべき役割!」

 

 彼女は笑顔で虚空に手を伸ばし、指先で灯の指輪に触れた。

 

指輪から灯が黄金色に輝き、辺りを眩いばかりに照らす。

 

それはまさしくスパークだった。

 

「じゃぁ、行って来る!」

 

 彼女が三人に振り向き、笑顔で意思を伝えた。

 

そして指輪を彼に渡す。

 

「依頼の報酬として受け取ってくれ。キミには必要になるかも知れないからね。後、私の小屋は、全てキミ達に託すよ。好きに使ってくれていい!」

 

 灯を失った指輪を受け取り、ゴブリンスレイヤーはやはり”そうか”と頷く。

 

灯を失った指輪は「呼気(ブリージング)の指輪」と化した。

 

水中の影響を打ち消し、何処でも呼吸が出来るのだと言う。

 

「そっちの騎士さんは何が良いかい?……残念だが私の身体はあげられないんだ」

 

 悪戯っぽく監視者に向き直る孤電の術士。

 

敵対していたとはいえ、彼にも助けて貰った。

 

何も礼をしないのは、流石に人として(はばか)られる。

 

「……無用だ。私は貴公等を見届けに来ただけだ」

 

 静かに首を振り、礼を拒む。

 

「そっか……。じゃあ、有難う。狼の騎士さん!」

 

 彼女は代わりに最大限の感謝を述べる事にし、監視者も今度は一礼で返した。

 

「さてと、後はキミにだな剣士君!」

 

「……礼などいい」

 

「そうはいかんよ!流石に私は依頼人で、キミは冒険者だ。報酬は受け取って貰うぞ!」

 

 監視者と同じく礼は不要と灰も返したが、これには彼女も速攻で拒否した。

 

「だから、これを――」

 

 彼女は愛用していた杖を彼に渡す。

 

そして使い方を大まかに説明した。

 

「この杖ならキミにでも十分使えると思うんだ!」

 

「良いのか?君にとって必要な物では……?」

 

「キミだから、いいんだ」

 

 遠慮がちな灰に対して彼女は強く推す。

 

そして彼女は、或る望みを彼に頼み込む。

 

「だから……最後に見せて欲しいんだ。……純粋なソウルの魔術ってやつをさ!」

 

 高次元の謎を解き明かした彼女だったが、小屋に置いてあるあの『ソウルの魔術書』だけは、終ぞ解読する事が出来なかった。

 

実はずっと彼女の何処かで引っ掛かり、心残りでもあったのだ。

 

「不死人が見せたあんな薄気味悪い闇の術じゃなく、本当のソウルの魔術を見せてくれないか?」

 

 それが、別れ行く彼女の最後の願いだった。

 

「いいとも!とびっきりのソウルの矢を御披露しよう!!」

 

「ああ、頼む!」

 

 彼は快諾し、彼女も胸を膨らませた。

 

灰が虚空に杖を翳し、魔力を集中させる。

 

この四方世界に来て、初めて行使するソウルの魔術。

 

今のソウルレベルでは、大して高位の魔術は扱えないだろう。

 

だがそれでも、彼の心は晴れ渡っていた。

 

この世界で初めて行使する魔術。

 

それが敵を討つ為ではなく、人の心を満たす為に行使出来るとは――。

 

彼は全魔力を集中させ、有りっ丈の集中力を込めて、夜明けの空に向けて放った。

 

 

 

「ソウルの矢!!」

 

 

 

 杖先から決して大きくは無く小さいながらも、青白く輝くソウルの矢が天空に向けて放たれた。

 

彼自身の集中力が尽きるまで、何発も何発も――。

 

彼女を含めた他の二人も、灰の放ったソウルの矢を見つめていた。

 

「ああ……綺麗な魔術だ……。これがソウルの魔術……」

 

 彼女の表情は穏やかで、その瞳は何処か優しげだった。

 

まるで純真な少女が、まだ見ぬ絶景に目を細める様に似ているだろうか。

 

それを見届けた彼女は、いよいよ虚空に漂う灯の霧に身を躍らせる。

 

「じゃぁね、みんな!」

 

 振り向き、そんな言葉を最後に彼女の姿は虚空に消え去った。

 

その直後、灯の霧は綺麗さっぱり消え失せ、其処には夜明けの空がいよいよ黄金の輝きを増そうとしている。

 

辺りには彼女特有の、林檎の残り香が漂っていたが、吹き付ける風が直ぐにそれを掻き消す。

 

誰が信じられるだろうか。

 

此処が()()()()()の渦巻く、ロスリックに位置する事などに……。

 

もう彼女の姿を此処で見る事は叶わない。

 

ふと指輪を見やるゴブリンスレイヤー。

 

その指輪の輝きは消え失せ、見た目は只の指輪と化していた。

 

――灯ならぬ呼気の指輪か。……いいだろう、必ず役立ててやる。

 

秘かにそんな決意を固めるのだった。

 

そして未だ虚空を見つめる火の無い灰。

 

「さらば……とは言わぬ。また会おう、孤電の術士よ!何時か、何処かで……、……生きて――」

 

 彼女から受け取った杖『孤電の杖』を虚空に翳し、最後にソウルの矢を放った。

 

 

 

………

 

 

 

そして二人は、一人の騎士。

 

 

 

『深淵の監視者』と向き合う。

 

 

 

 これで何度目だろうか。

 

言葉も無く沈黙を保ったまま、三人は視線を交差した。

 

しかし監視者は掌から、或る小道具をゴブリンスレイヤーと灰に渡し、監視者は踵を返す。

 

そして、何も言わず『帰還の骨片』を使い姿を消した。

 

「……行ったか、彼も」

 

「これは……、一体何だ?」

 

 ゴブリンスレイヤーは受け取ったそれが何なんのか理解できず、灰に訊ねる。

 

「これは、『狼血の剣草』。ファラン不死隊の証でもあり、連絡手段として用いる事もある」

 

「……。……不死隊に入隊した覚えは無いし、俺は生者の筈だが……」

 

 灰はともかく、彼にとっては些かの抵抗を感じている様だ。

 

灰は曰く。

 

”もしかしたら我々は試され、認められたのかも知れない。……背負う覚悟を”――と。

 

乾いた血の付いた、鋭く尖った硬質の葉を見つめ、ゴブリンスレイヤーは呟く。

 

「……一方的な奴だ。少なくとも俺にとっては、傍迷惑な話だ」

 

 そんな皮肉を口走りながらも、狼血の剣草を仕舞い込む。

 

「また、相対するかも知れない。……彼とは……」

 

「……深淵も、亡者も、俺にはクソ食らえだ!」

 

 ”深淵などに沈む気など、さらさら無い”そんな覚悟と決意を新たに秘めたゴブリンスレイヤー。

 

塔の最上階では風が強く吹きすさび、間も無く日の出を迎えようとしていた。

 

「……帰るか」

 

「そうだな…」

 

 彼女の悲願達成を最後まで見届けた二人は、塔を下り帰路へと就いた。

 

塔の第六階層では、転移の巻物を使用した後が色濃く残っている。

 

地上へと続く通路が海水で満たされており、徐々に水が引きつつあるものの、これでは下りる事も叶わない。

 

孤電の術士から受け取った、灯が消えた『呼気の指輪』を持つ彼ならば、何の問題も無く水中を通る事も可能だろう。

 

しかし、もう一人の男、灰の剣士はそうはいかない。

 

人間である以上、肺呼吸で酸素を供給する生き物だ。

 

水の中で生息出来るような呼吸器官は有していない。

 

結局水が完全に引く迄、その階層で丸一日を過ごす事を余儀なくされた。

 

丸一日が経過し、水が完全に引いた塔を後にした二人。

 

途中、小鬼亡者と亡者兵の襲撃を受けるものの、難無く殲滅しロスリックを脱出した。

 

西方辺境のギルドまでは、かなりの距離がある。

 

二人はロスリックのギルドに立ち寄り、其処で馬車を借り帰路へと就いた。

 

出発してからギルドに帰還した時は、既に数日が経過していた。

 

ギルドに帰還した二人は、事のあらましを談話室にて受付嬢に説明する。

 

本来ならロスリックへ無許可で侵入した事を問われるのだが、孤電の術士本人が二人に直々に依頼したものである為、規約には直接触れる事ではなかった。

 

それ故に、必要以上に責められる事は無かった。

 

その後二人は別れ、ゴブリンスレイヤーは牧場へと帰り、灰の剣士は宿へと戻る。

 

そして灰は、昼間にも拘らず酒場で珍しく酒を飲む事にした。

 

孤電の術士が愛飲していた、林檎酒だ。

 

彼女と過ごした時間を思い返しながら、彼はゆっくりと味わいながら林檎酒を口に含む。

 

――不思議な人だったな。……彼女。

 

そんな事を思いながら林檎酒を飲み干した彼は、宿へと戻り早めの就寝に就く。

 

ロスリックから暗黒の塔での度重なる連戦で、彼の身体は疲労し切っていたのだろう。

 

そう時間を置く事も無く、彼は深い眠りへと就いた。

 

……

………

 

眠りに就いた筈の彼の頭の中に、歌が聞こえて来る。

 

それは昔から伝わる、他愛のない戯れ歌。

 

 

 

神さま 神さま

サイコロふって遊びましょ

一が出たなら なぐさめたげる

二が出たなら 笑ってあげる

三が出たなら 褒めてあげる

四が出たなら お菓子をあげる

五が出たなら 踊ってあげる

六が出たなら キスしてあげる

 

七が出たなら――……

 

 

 

――七が出たなら……、どうなる……?

 

 

 

 

 

      ――孤電の術士に召喚されました。貴方は盤外へと侵入します――

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

孤電の杖

 

 西方辺境に住む、高名な賢者にして魔術師が所持していた触媒。

 先端の紅玉は、非常に手間暇かけた特殊な製法で制作され、魔力の変換効率に優れる。

 また石突きの部分は鋭く突起状で、地面に突き刺す事も可能。

 

 この杖は多くの潜在性を秘め、戦技は明らかになっていない。

 

 界渡りを果たし、他の領域へと旅立った彼女から一人の剣士へと受け継がれた。

 

 現在は、その剣士が持ち主となっている。

 

 

 

 

 

 




 孤電の術士編、漸くひと段落つきました。
 (早速、彼女から召喚されてますが……)
原作ならこの後後日談を得て、イヤーワン編は一応の完結なのですが、もう少しだけ続きます。
孤電の術士さんも、あと少し出番があります。

暗黒の塔での冒険、途中で何書いてるのか分からなくなった事もありましたが、何とか決着をつける事が出来ました。
ゴブスレさんが深淵の監視者に目を付けられたのは、この際置いておくとして……。
♪~( ̄ε ̄;)

如何だったでしょうか?
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

ゴブリンスレイヤー第2期やってくれないだろうか?
そんな事を望みながら――。

デハマタ( ゚∀゚)/




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