ゴブリンスレイヤー ―灰の剣士―   作:カズヨシ0509

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 ごく最近になって、急激に気温が上がってまいりました。
先日は、夏並みの暑さで、日中半袖で過ごせるほどでした。

例のウイルスが猛威を振るい外出自粛が続いておりますが、めげずに投稿致します。


第51話―水の都、剣の乙女―

 

 

 

 

 

 

破裂石弾

 

 破裂(ガンビット)の呪文が付与された石ころ。

 一見唯の石ころだが、砕いた魂石の粉末と粘土を混ぜ、高温で素焼きにした代物で

 魔力を封じ込める特性を持つ。

 

 唯の石ころでは、破裂の呪文を付与しても約十分程度の効果時間しかないが

 この石弾を用いれば、数日の持続効果が期待できる。

 

 衝撃を与えれば爆発を起こし、破裂石弾単体でも一撃でゴブリンを破砕出来るだろう。

 

 しかし強い衝撃で反応するという事は、激しい戦闘中に

 爆発事故を引き起こす危険性をも孕んでいる。

 

 そしてこの道具は試作段階の意味合いが強く、万が一事故を引き起こしても文句は言わぬ事だ。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 現場へ到着した頃には日は傾き始め、夕闇に向かおうとしていた時間帯。

 

濃密に生い茂った森林は、その陽光すら遮り既に宵闇の抱擁に支配されていた。

 

深緑の外套(フード)に覆われた『灰の剣士』は、薄暗い山中で長剣(ロングソード)を振るう。

 

細腕に反しその筋繊維は凝縮され、常人を遥かに上回る膂力にて振るわれた剣は、いとも容易く混沌の産物を断ち切った。

 

「GYOUruuoaaa!」

 

 2メートルを越える大型の獣は、絶叫を上げ鮮血を撒き散らしながら絶命した。

 

唯でさえ赤黒い鈍色の血が土を染め上げ、更に黒く彩る。

 

暗闇が支配する山奥と鈍色の血を目にした彼は、自然とあの時代を思い出す。

 

「……どうした、こんなものか?!」

 

「guoov!」

 

 両眼を灯らせ、生き残った混沌の産物へと歩み寄る剣士。

 

その周囲には、長剣で切り伏せられてあろう屍が其処彼処に散乱していた。

 

フードに隠れた顔半分が、不敵な笑いを浮かべ長剣を手に迫る。

 

その剣士に恐怖を覚え、後退る混沌の異形共。

 

「gov、gov、guoov!!」

 

 何故だ?!

 

何故こうなった?

 

何故俺が、追い詰められてんだ?!

 

普通、逆だろ?!

 

俺が只人を追い詰め、命乞いを嘲りながら嬲り殺し、物資を奪い近隣の村を征圧する筈なのに……。

 

何故だぁっ!!

 

剣士に倒された大型の怪物を操る小鬼『ゴブリンサモナー』は、追い詰められ思考に混乱が生じていた。

 

 

 

―― ゴブリンサモナー ――

 

 

 

召喚と使役に長けた小鬼の派生型で上位種である。

 

召喚の術式で、混沌勢の怪物を呼び出し使役する事で己が戦力とする。

 

尤もこの上位種は自然発生で誕生する事は非常に稀で、この個体は混沌勢の教導の末誕生した結果だ。

 

またこの小鬼は、まだ未熟な部類で高位の怪物を召喚ないし使役する事は不可能であった。

(成長の可能性が無い訳ではない)

 

「guoov!」

 

 追い詰められた小鬼召喚士(ゴブリンサモナー)は、脇目も振らず喚き散らし残存の部下に命令を飛ばす。

 

”俺様を死守しろ!”と――。

 

無論そんな自分本位の命令に従う様な、混沌勢ではない。

 

しかしサモナーは使役の呪文で強制的に従わせ、目前に迫る剣士へと差し向けた。

 

辛うじて残っていた小鬼6体と小悪魔4体、そして大型の獣『悪魔犬』1体が剣士に殺到するも――。

 

「……愚かなり!」

 

 剣士は動じる事無く、脚力に優れた悪魔犬に備える。

 

2メートル越える体躯に応じて筋肉も発達し、その瞬発力は狼すら上回る。

 

ロスリックに陣取る、亡者犬と同等だろうか。

 

いや、大柄な体躯でこの俊敏性だ。

 

総合的な戦闘力では運動エネルギーの法則上、悪魔犬の方が上かも知れない。

 

もし集団且つ四方八方から連携で攻められれば、並みの冒険者一党ではひとたまりも無いだろう。

 

―― 並の一党であれば ――

 

しかし悪魔犬は一体に加え、真正面からの単純な突撃戦法。

 

初見では迎撃し損なったが、一度や二度攻撃を体験すれば、学習は容易であった。

 

剣士の喉笛を狙う悪魔犬の牙を、上体を後ろに反らす事で回避。

 

そして生じた隙だらけの腹部に対し、軸足のバネを生かした上段前蹴りで宙高く真上に蹴り上げる。

 

すぐさま間髪入れずにカーサスの高速体術で敵集団に肉薄、幅広い薙ぎ払いを3連続繰り出し、小鬼と小悪魔を一気に殲滅する。

 

剣士は、すぐさま姿勢を反転し、元の位置へと疾走する。

 

その間、空中を舞っていた悪魔犬が地表へと落下する前に、体重を乗せた突進突きで頭部を貫いた。

 

時間にして僅か3秒弱――。

 

僅かな生き残りも、生涯に幕を降ろす。

 

「gyoeeaaa?!」

 

 唯一生き残ったゴブリンサモナーは、半狂乱になりながら全力で逃走した。

 

それを見逃す灰の剣士ではないが……。

 

 

 

息を切らせ、或る地に辿り着いたサモナーは辺りを見回す。

 

此処で間違いない筈だ。

 

あの偉そうなアイツは何処にいる?!

 

クソがっ!早く俺様を助けやがれっ!

 

周囲に視線を巡らせるが、人の気配はまるで無かった。

 

いや、背後から人が近付いて来る。

 

あの剣士だ!

 

自慢の駒を悉く屠りやがった、あの忌々しい冒険者。

 

「誰も居ない、この地で立ち止まる……」

 

 焦燥する小鬼を余所に、剣士が現れた。

 

その剣士に怯え後退るも、助けが来る気配は全くない。

 

「どうやら、此処が合流地点らしいが、怪しいソウルは感じぬ。察するに……」

 

 剣士はゆっくりと小鬼に歩み寄り、追い詰めていく。

 

「見捨てられたな…貴公……!」

 

 人語を解す事が出来る程に、この小鬼は賢しかった。

 

薄々感じていた懸念を眼前の剣士に見抜かれ、恐怖心よりも怒りが勝った。

 

ゴブリンサマナーは憤怒に我を忘れ、なけなしの呪文で攻撃しようと詠唱を始めるが、それは剣士にとって格好の的だ。

 

詠唱が終わる前に小鬼の頭部は長剣で貫かれ、呆気無く絶命する。

 

「……ふむ、私の投射技術も実用に足る水準に達したか。……()程ではないが」

 

 投擲にて止めを刺したゴブリンサモナーから剣を引き抜き、血脂を拭き取り鞘に納める剣士。

 

「これにて敵を殲滅、残敵も無し、後はコイツを調べるのみか」

 

 物言わぬ屍となった小鬼を丹念に検分する灰の剣士。

 

「それにしても変わった奴だ。召喚を行使する小鬼とは、珍しい。これとこれは持ち帰るか」

 

 小鬼の所持している木製の杖と、衣服に縫い付けられた紋章らしき部分を切り取り、その場を後にした。

 

残りの倒した敵の身体を切り取り証拠品として持ち帰る為、灰の剣士は作業に勤しんだ。

 

最後に敵の亡骸を一か所に集め焼却処分にする。

 

闇の力が働き、亡者化を防ぐ為だ。

 

これまで幾多の怪物を屠って来たが、その一部が亡者と化し徘徊するという事例が幾つかあった。

 

幸いにも、それ等の亡者はロスリックの亡者に比べ大きく質に劣り、他の冒険者達が処理してくれた為、事無きを得ていたが不必要に亡者を増やす要因は避けたかった。

 

集めた亡骸に枯草と木材を重ね、火を点ける。

 

今夜はこの火を焚火とし、野営する事にした。

 

混沌勢の亡骸を焼却し、村の依頼人へと報告すれば任務は完了だ。

 

燃え上がる亡骸を見つめ、火を絶やさぬ様に見張る。

 

「……些か大掛かりな焚火となってしまったな。余計な者まで引き寄せねばいいが」

 

 小鬼や小悪魔に加え、複数の大型悪魔犬を焼いているのだ。

 

焚火にしてはかなりの高さまで炎が舞い上がり、山中と言えども火の影が外へと漏れる程に大規模な焚火であった。

 

数時間後、怪物の遺体は殆どが燃え尽き火も落ち着いた頃、此方に近付く不穏なソウルを感知した。

 

――小さくとも混沌の流れを持つソウルが一つ……此方に来る。

 

灰の剣士は、ジェスチャー『古竜への道』で意識を集中させた。

 

この体勢は『イルシールの地下牢』奥深くで『古竜の頂き』へと通ずる為の儀式だ。

 

しかし彼のとっては、最も意識を集中する為の姿勢として使用していた。

 

ゆっくりと此方へ這い寄るソウル。

 

――弱々しくとも混沌側の流れを持つソウル、此方を油断させる為の擬態か?……敵対するなら容赦はせん!

 

最早『古竜への道』を保つ必要もない。

 

彼は立ち上がり剣を抜く。

 

ガサガサッと草木を掻き分け、荒い息遣いの音が聞こえて来る。

 

――いよいよかっ!

 

草木を掻き分け、ソウルの正体が彼の視界に飛び込んだ!

 

――彼は咄嗟の迎撃態勢に――

 

 

 

移れなかった。

 

 

 

「……!?」

 

 目の前に現れたのは、痩せ細り虚ろな視線を漂わせる弱々しい幼子だった。

 

もし灰の剣士でなければ、眼前の幼子が哀れな只人の遭難者に見えただろう。

 

しかし、彼はソウルの感知が出来る。

 

憔悴し切っているが、この幼子らしき幼女は紛う事無き混沌側の住人だ。

 

よく見ると背部に蝙蝠に似た羽が生え、尾骶骨付近には細い尾が生えている。

 

明らかに只人でも森人ではない。

 

彼は記憶を探ってみる。

 

過去に書物で目にした事がある女系の魔神、『夢魔』の類である事を思い出していた。

 

――こんな山奥に、幼い夢魔が何故?

 

疑問に思い夢魔の特徴を可能な限り、記憶から引き出した。

 

通常夢魔は女の武器を利用し、男の夢に干渉し堕落させる魔神の眷属だ。

 

高い精神感応力と魔力を有し、時には現実世界でも男と交わる種族。

 

一応黙認されているが街や都市の繁華街にも生息し、人間社会と共生共存を営む個人も存在している。

 

そこまでいくと最早混沌勢の住民とは呼べず、人族として認知されてしまうのだが。

 

仮にこの痩せ細った幼女が()()()()側だったとしても、こんな山奥で一人彷徨っているのは不自然極まりない。

 

況してこの痩せ方は、明らかに水分や栄養の欠如から来るものだ。

 

干乾びた亡者なら、此方に懇願するような目を向けて来ない。

 

「…お……ねが…い、た…す、…け……て……」

 

 かなり消耗しているのが分かる。

 

既に声は途切れ途切れで殆ど掠れ、聞き取る事も困難だ。

 

加えて、殆ど体を成していない下着同然な衣服はずり落ちている。

 

明らかに身体が縮み、栄養失調の影響だと見て取れた。

 

更に身体中至る所に裂傷や擦り傷が有る。

 

随分長く、この山中を彷徨ったのだろう。

 

「……」

 

 決して情が沸いた訳ではない。

 

彼は静かに剣を納め警戒を継続しながら、幼子の治療に当たった。

 

碌に歩く力も残っていないのだろう。

 

幼女を抱きかかえ敷いた茣蓙《ござ》の上に寝かせ、先ずは裂傷だらけの彼女に奇跡『回復』を行使する。

 

そして小鍋に果汁水を淹れ、少量の飲料水で薄めた物を温め(ぬるめ)に熱す。

 

先ずはこれを飲ませ、水分と若干の栄養補給を促す狙いだ。

 

飢餓状態の荒れ果てた胃袋に、刺激の強い物を与えては却って身体が拒絶し受け付けない恐れがあるからだ。

 

尤も、夢魔の彼女に人間の理屈が通用するかどうかは定かではないが。

 

「…さ、ゆっくりと飲むんだ」

 

 やや温まった果汁水を簡易コップに注ぎ、それを彼女に与えた。

 

最初は恐る恐る口を付けていたが、一度喉を通ると貪るように飲み干した。

 

目を見開き、勢いよく喉を鳴らす。

 

呑み終わった彼女は咳き込み、呼吸を荒く乱していた。

 

「……」

 

 彼は無言で残りの果汁水を注いでやり、彼女も無言でそれを飲み干す。

 

そんなやり取りを数度繰り返し、彼女の胃袋が少し慣れ始めた頃を見計らい、彼は簡単な糧秣で調理を開始した。

 

一度小鍋を洗い残りの飲料水を注いだ後、乾燥豆と刻んだ干し肉そして切った芋に塩を少々混ぜ、じっくりと煮込んだ。

 

ダシそのものは、煮ている内に豆と干し肉から染み出る。

 

調味料は最小限でも充分味は出るだろう。

 

混沌の眷属の口に合うかは分からないが……。

 

夢魔の幼女は、そんな彼の作業をジィっと無言で見つめていた。

 

この間に彼女の素性を聞き出しても良かったのだが、先ずは彼女がある程度回復し落ち着いてからでも遅くはない。

 

若しくは回復した途端此方に襲い掛かるか逃走する可能性も考慮したが、その時はソウルの流れである程度感知できる。

 

一定の距離を保てば何ら問題は無い。

 

焚火の火力は予想以上に強力だ。

 

直ぐに煮炊き物は出来上がり、彼女にそれを与えた。

 

「ゆっくりと食せばいい、少し薄味だがな」

 

 しかし彼女はそんな言葉も無視し、一心不乱に貪った。

 

彼女のそんな様子も咎める事無く、彼はありったけの煮炊き物を彼女に振舞い、自分は僅かな干し肉と水で腹を満たすのみだった。

 

一通り食事を済ませ、最後に薬草茶を彼女に与えた。

 

干した茶葉を数種混ぜ合わせた物だ。

 

心を落ち着かせる作用がある。

 

彼女はそれを啜っている内に、痩せ細っていた身体は見る見るうちに元の体形に戻りつつあった。

 

――これは驚いた!やはり人間とは生態系が違うのかも知れんな。

 

内心驚愕しながらも、彼女の変化を具に見ていた。

 

――そろそろ頃合いだろうか?切り出してみるか。

 

灰は彼女の素性をそれとなく聞き出しを試みた。

 

何故この様な山中で彷徨っていたのか?

 

すると、彼女から驚きの結果を得る事が出来た。

 

 

 

―― 黒い小鬼から逃げ出して来た ――

 

 

 

黒い小鬼……、彼にとってそんな小鬼は一人しか知らない。

 

彼は更に訪ねてみる。

 

”その小鬼は『ダークゴブリン』と呼ばれていなかったか?”と。

 

彼女は少し無言でいた後、俯き加減に頷く。

 

「……そうか……」

 

 彼はゆっくりと息を吐き静かに”そうか”返すのみだった。

 

――やはり生きていたか。いや、まだ決め付けるのは早い。この子が奴から逃げ出した時期も聞き出さねば。

 

尚も彼は訪ねてみた。

 

彼女がダークゴブリンから逃げ出した時期。

 

その時期が、ダークゴブリン討伐の報と食い違っていれば、奴の生存説は極めて濃厚となる。

 

彼女が逃げ出した時期。

 

それは約半年と数か月前に遡った。

 

以外にも、彼女は正確に時期を把握していたのだ。

 

これも混沌側の成せる業なのだろうか。

 

女系の魔神軍の一角である魔神将の一人『上夢魔』が、ダークゴブリンを自らの傘下に収める為、住処へと乗り込んだ。

 

そして敵の策に嵌り、逆に虜囚となる。

 

彼女達は最後の力を振り絞り、この幼夢魔へと全魔力を送り込み、逃がす事に成功。

 

しかし、なけなしの魔力は直ぐに底を尽き、彼女は飛行能力を喪失し、この地域の脱出もままならず今日まで彷徨っていたのである。

 

朝露で渇きを癒し、木の実などで飢えを凌いでいたが、限界が訪れていたのだ。

 

今宵『灰の剣士』が熾した大掛かりな焚火に吸い寄せられる様に、彼女は思考を放棄して此処まで辿り着いた。

 

それは火の無い灰が『残り火』に惹かれる(さま)と何が違おうか。

 

結果的に彼女が逃げ出した時期は、ダークゴブリン討伐の報とは食い違いが生じていた。

 

これでダークゴブリン生存は極めて濃厚となった。

 

後は直接この目で確認するか、『水の都』まで赴き『黒い小鬼の首』を検分するか。

 

そのどちらか一方でも実現すれば、奴が今も生きている事が確定する。

 

図らずも欲していた情報を入手した灰は、秘かに口元を吊り上げたが、それと裏腹に幼夢魔の彼女からは目に涙を浮かべていた。

 

「お姉さまにも会えないし、お家に帰っても怖い人達に叩かれるだろうし……あたし……」

 

「……」

 

 幾ら混沌の眷属と言えども彼女はやはり幼子だ。

 

ほくそ笑んだ事を彼は恥じ、少し話題を変える事にした。

 

「ダークゴブリンの住処は、どんな感じか分かるか?」

 

 少しでも奴の情報が知りたかった。

 

詳しい情報が手に入らずとも、方角や特徴が大まかにでも分かれば今後の役に立つ。

 

彼女は逃げて来た方角を指差し、住処の特徴を語った。

 

矢張り記憶力に優れているのか、意外にも事の詳細は鮮明だ。

 

彼は地図を広げ、現在地と方角を照らし合わせた。

 

今居る山中から彼女が逃げて来た方角に線を引く。

 

その線の延長線上には、故郷の流れ着く地『ロスリック』に辿り着いた。

 

――まさか、奴等はロスリックに?

 

だがそれは、考え難い。

 

ダークゴブリンの住処の特徴も彼女から聞き出していた。

 

その情報によれば、廃坑となった集落を改造し、其処を住処にしているとの事だった。

 

流石にロスリックを住処にしていれば、この様な情報は出てこない。

 

生憎彼には『嘘発見(センス・ライ)』の奇跡は行使出来ないが、彼女が嘘を言っているようには思えなかった。

 

疑い出せばそれこそキリが無い。

 

一先ず、この情報を信じる事にしよう。

 

情報の精度は『水の都』に向かい、黒い小鬼の首を確かめる必要があるだろう。

 

残るは、この幼夢魔の処遇だ。

 

正直に言ってしまえば、最早彼女に用はない。

 

このまま放逐すれば彼は明日、水の都に向かい事の正否を確認する。

 

それでこの幼夢魔との関係も断ち切る事が出来る。

 

仮にも彼女は混沌の眷属。

 

此方を攻撃する意思が無いのは、先程の会話でよく分かった。

 

しかし、過剰な深入りは避けた方がいいだろう。

 

まだ全快ではないが、彼女はかなり回復している。

 

だが、このまま放逐するのは少々考えものかも知れない。

 

まだ幼く、善悪の分別すら付いていないであろう、この幼夢魔。

 

まだ生きる術に乏しいのは、今迄の状況を鑑みて言わずもがな。

 

仮に運良く成長出来たとしても、新たな混沌に属する可能性が高い。

 

とは言え、このまま彼女を連れ歩き辺境の街に余計な混乱の種を蒔くのも、憚られる。

 

普通に考えれば、この夢魔を春を売る店に引き渡せば、それなりの報酬を得る事が出来よう。

 

其処なら彼女は娼婦として、生きていく事が出来る。

 

だがしかし、彼女の意思を無視して其処に連れ出すのもどうか?

 

念の為、彼女の意志を確かめる事にした。

 

そもそも彼女は、男女の関係を理解しているのか?

 

先ず、そこからだ。

 

もし幼いながらに知識ないし経験が有り尚且つ彼女が望むのなら、繁華街に引き渡せばそれで良し。

 

しかし、そう云った概念に無知であれば、流石にその様な場所へ引き渡すのは鬼畜の所業というもの。

 

結論から言って。

 

彼女は、後者だった。

 

この幼夢魔は、そう言った行為の意味も知識も全く皆無であった。

 

訊ねられても首を傾げ、本当に分からないと言った様相だ。

 

一応、先達に当たる夢魔達の行為を見てはいたものの”裸で身体を擦り合わせている”程度にしか認識していなかった。

 

つまり夜の行為については、全く無知である事が分かった。

 

これで、彼女を繁華街に引き渡す選択肢は除外される。

 

残るは、彼女を心有る施設に保護して貰うしか手はない。

 

若しくは自分が彼女を引き取り養育する選択肢もあったが今の自分は家も無く、下手に地母神の神殿に預ければ余計な混乱を生むだけだ。

 

……となれば、残るは『水の都』の至高神の神殿に絞られる。

 

あの場所は、西方辺境の要所であり都市でもある。

 

至高神が主導となって納めている事もあり、法整備が整っている事も大きい。

 

唯一の懸念は、混沌勢である彼女を直ぐに討伐してしまわないかが、どうしても引っかかる。

 

――ダークゴブリンの情報を交渉材料にすれば、何とか助命が叶うかも知れん。

 

因みに彼女に放逐する選択肢も与えてみたが、彼女は灰に擦り寄り懇願する目で見つめ、幼くも女の特徴が芽生え始めた身体を密着させた。

 

――全く、神殿のあの子と言い、孤電の術士と言い、この夢魔と言い、なぜこうも体を密着させて来るのか理解出来ぬ。

 

少々戸惑いながらも彼女に視線を送り、当の本人は何とも満たされた表情で彼の体温を感じていた。

 

鎧越しではあったが……。

 

どうやら混沌側に帰順する意思は無いらしい、今のところは――。

 

「分かった。明日は一度村に立ち寄り、その後水の都の神殿に向かう。その上で貴公の処遇を決める、それでいいか?」

 

 彼は予定していた方針を彼女に伝えた。

 

彼女は完全に納得していない様だが、一応従ってくれた。

 

彼女の本心は理解出来る。

 

恐らく今後も、灰と行動を共にしたいのだろう。

 

幼い彼女にとって、彼は守ってくれる存在だと認識してしまっている。

 

しかし彼女を連れ歩き冒険者稼業を続けるには、障害が数多く発生するのは明らか。

 

彼が、銀や金等級なら事情は変わっていたかも知れないが、現状で共生するのは困難だ。

 

等級が低いというのは、時に不便が生じる。

 

よもやこんな形で、等級の低さが裏目に出るとは――。

 

本来なら、冒険者である彼が幼夢魔を躊躇なく討伐するのが、本来の筋というもの。

 

だが、彼には()()()出来なかった。

 

その正統性が理解出来ていたにも拘らずにだ。

 

――こうまで甘い男だったのだな、私は……。

 

不死人時代の彼なら、迷い無く切り伏せていただろう。

 

そんな考えを振り切り、彼女に毛布を手渡し寝る事を促す。

 

彼は混沌勢の遺体を燃え尽きる事を確認した後、眠りに就く予定だ。

 

幸い怪しいソウルは近くには存在しない。

 

見張りの必要は無いだろう。

 

彼女が寝たのを確認し暫く経過してから、彼も遅めの就寝に就いた。

 

程無くして彼も眠りに落ち、荒々しかった焚火が次第に落ち着きつつあった。

 

焚火の燃える音と虫の騒めきが、山中を支配する。

 

 

……

 

………

 

……痛い……。

 

……苦しい……。

 

……臭い……。

 

……熱い……。

 

そんな苦悶に満ちた感情が、身体を駆け巡る。

 

耳障りな音…いや、鳴き声か?

 

聞き覚えの有る、飽きるほどに聞いた鳴き声。

 

その耳障りな鳴き声と共に、背中から生暖かいネットリとした液体が滴り落ちる。

 

荒々しい息遣い。

 

腰部は強く掴まれ、尖った爪が皮膚に食い込む。

 

爪の鋭さに皮膚は耐え切れず、其処から血が滲み痛みを伴う。

 

だが、そんな痛みなど些細なもの――。

 

今、受け続けている苦痛に比べれば……。

 

下腹部に熱い異物が突き入れられる。

 

それを何度も往復させ、その度に焼けた棒が腹の中を搔き回されている感覚だ。

 

何度も何度も……。

 

いつ終わるとも知れぬ()()を何度も抜き差し、やがて小刻みに痙攣したかと思うと先端部から熱い液体を放出させた。

 

その液体が腹に染み渡る度に、呻き声を漏らし僅かに残った涙が頬を伝う。

 

そして、助けと許しを求め懇願するのだ。

 

「い…嫌……、も…許し…て…下さ…い……いや…なの……ひぐ、えぐ……」

 

 か弱き少女の声だ――。

 

声の主は――。

 

暗い洞窟の中で組み伏せられ、背後から襲い来る異物感――。

 

暗い洞窟であっても、視界は辛うじて確保できる。

 

焚火が熾されていたからだ。

 

僅かに確保できる視界に、見慣れた醜悪な異形が舌なめずりをして此方を見ている。

 

全身が緑色に染まり、小柄な体躯で周囲を取り囲む異形。

 

私はこいつ等をよく知っている。

 

嫌と言う程に切り伏せて来た。

 

悪辣で救い難い異形。

 

 

 

『ゴブリンめっ!!』

 

 

 

 そう叫ぼうとしたが声が出ない。

 

どういう事だ?!

 

声だけではない。

 

身体が動かないのだ。

 

確かに私の身体は奴等に組み伏せられ、うつ伏せに転がされ腰だけが高く持ち上がっていた。

 

しかしゴブリンの膂力など、たかが知れている。

 

子供程度の力なら、私の力量でいとも容易く解く事が出来る筈だ。

 

それが全く叶わないとは……。

 

何故だ……何故?

 

そう思うと同時に下腹部から何かが突き入れられる。

 

まただ!…何だ、この痛みは……熱さは?!

 

痛みの発生源は直ぐに理解出来た。

 

股だ!

 

股間部から何かを突き入れているのだ!

 

馬鹿な……!

 

あり得ない……!

 

ある訳が無い……!

 

否、あってはならない事だ!

 

私は……。

 

 

 

 

 

――男だぞっ!!――

 

 

 

 

 

ゴブリン共がまさか……、男である私を……?

 

その瞬間私の思考は混濁した。

 

まさかゴブリンが男の私に対して……?

 

いや待て、それはおかしい。

 

こいつ等が突き入れているモノは、間違い無く雄性生殖器(ゆうせいせいしょくき)だろう。

 

しかし男の私に雌性生殖器(しせいせいしょくき)などは、当然ながら備わってはいない。

 

私は生物学上、歴とした()だ。

 

無論、両性具有者でもない。

 

どういう事なのだ?!

 

混乱する私だったが、この異形共は調子づいて尚も腰を振る。

 

その度の経験した事も無い痛みが、体中に奔るのだ。

 

だが、そのお陰で今の疑念が確信へと変わった。

 

「ひぐぅ、あぅっ…、いやぁ……もう…やだぁ……」

 

 少女の声だ。

 

そう言えば先程から少女の声で私は喋っている。

 

いや、正確に言えば、私自身の意志で声を発する事は出来ない。

 

今の私に出来る事は思考する事だけだ。

 

ふとした拍子に金色の髪が私の視界を遮る。

 

随分と長い髪だ。

 

私の髪ではない。

 

私は黒髪で、此処まで長くはない。

 

しかしこの位置から察するに、髪の正体は間違い無く私自身の頭から生えている。

 

私の意志で身体は動かす事は疎か、喋る事も視線の移動もままならない。

 

唯、受け入れる事しか出来ないのだ。

 

これだけ状況が把握出来れば、何が起こっているのかは理解出来る。

 

この少女は、ゴブリンに蹂躙されているのだ。

 

冒険者なのか村娘なのかは定かではないが、兎に角ゴブリンに連れ去られこの巣穴で歓迎されているのだろう。

 

今はその真っ只中という訳だ。

 

そしてどう言う訳か、私はこの憐れな少女と感覚を共有している。

 

そう仮定すれば、この状況にも説明が付く。

 

何故共有しているのかと言う、()()な部分は分からず仕舞いだが……。

 

それにしても……。

 

本当に悪趣味な連中だ。

 

ゴブリン共は代わる代わる少女に欲を吐き出し、いつ終わるとも知れぬ宴を享受している。

 

最早この少女は、思考すら停止し息を乱すだけだった。

 

時折うわ言の様に何かを呟いているが、上手く聞き取れない。

 

何時まで()()()るつもりだ!

 

早く済ませろ!

 

正直気持ち悪い。

 

不快な事この上ない。

 

更に、痛い。

 

嫌悪感が込み上げて来る。

 

最悪だ!

 

クソッタレ!

 

……。

 

どの位経ったのだろうか、漸くゴブリン共は私から離れ一通りの行為が終わったようだ。

 

そして動けぬ私…いや少女を蹴飛ばし仰向けに転がす。

 

まだ、か弱き少女だ、もっと丁寧に扱えよ!クソども!

 

視界にゴブリン共の顔が映る。

 

|私()()は、この異形共を睨み付けるが奴等は嘲るままだ。

 

私は抵抗する意思も打開する意思も微塵も消え失せてはいないが、この宿主である少女はそうではないのだろう。

 

恐らく懇願し絶望に染まった目で、この異形を()見ているに過ぎない筈だ。

 

でなくば、奴等がこんな表情をする訳がない。

 

少女は虚ろな顔で荒く呼吸を繰り返すのみだ。

 

戦う意思などは、欠片ほども存在していないだろう。

 

それでは困るのだ、このままでは奴等に死ぬまで嬲られるのみだというのに……。

 

不味いな、完全に心が折れている。

 

もしも火継ぎの時代なら十中八九、亡者と成り果てていただろう。

 

先程視界に映った限りでは、ゴブリン共は精々10匹も居るかどうかの数だ。

 

まだ間に合う!

 

力を――。

 

全身全霊を賭け、命を繋げ!

 

頼む――!

 

動くのだっ!

 

私は目一杯、この少女に語り掛ける。

 

何度も――。

 

何度も――。

 

……。

 

今日まで生きてきたが、真に望みが叶った日など今の今迄あっただろうか?

 

結局この少女は息を乱すのみで、動く気配を見せなかった。

 

若しかしたら此処に連れ込まれ、かなり経過しているのやも知れん。

 

それなら消耗し、真面に立つ事もままならぬのも理解できる。

 

私に戦う意思が在ろうとも、彼女にそれを押し付けるのは些か酷なのだろうか?

 

そんな私の思考とは裏腹に、ゴブリン共は焚火から一本の松明取り出した。

 

クソッ!矢張り()()()()事なのか!

 

あの時の遺跡と同じ事をする気だ。

 

現在は冒険者として復帰した彼女達にした、あの仕打ち――。

 

焼けた棒を押し当て、その反応を愉しむという趣向。

 

私には分かる。

 

そもそもコイツ等は夜目が利く。

 

灯を必要としない。

 

そんなゴブリン共が態々火を使うなど、用途は安易に想像出来る。

 

「い……いやぁ…、な…に、す…るの…?」

 

 ゴブリンは少女の髪を掴み上げ、松明をゆっくりと顔面に近付けてゆく。

 

やめろっ!

 

この子の顔面を焼く気かっ!

 

視界に真っ赤な光と熱が迫り来る。

 

「や、やめ…て…!」

 

 頼む抵抗してくれ!

 

このままでは本当にお前は……!

 

クソッ……熱い!

 

「やだ…やだ…やだやだ…やだぁっ…!!」

 

 やめろっ、止めろぉっ!!

 

矢張りこの世界は残酷で生命に溢れている。

 

ゴブリンの松明が少女と私の目を焼いた。

 

 

 

 

 

「『ぎぃやああぁぁぁぁぁ……っ!!!』」

 

 

 

 

 

これが人の声なのかと見紛う程の断末魔が薄暗い洞窟に木霊し、ゴブリンの下卑た嘲り声が鳴り響いた。

 

 

 

 

……

 

………

 

 

 

「……Kて……!」

 

身体が揺さぶられる。

 

「ぉき……て……」

 

何度も何度も……。

 

「――起きてっ!おにいさまっ!!」

 

「――っ?!!」

 

 彼は瞬時に跳ね起きた。

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!…ゆ…め…夢……か……!」

 

 全身から汗が噴き出し、意識は完全に覚醒していた。

 

「……!」

 

 そして警戒しながら周囲を見回す。

 

そんな彼を心配そうな面持ちで、此方の身を案じる幼女が視界に入る。

 

「……君……か……」

 

 息を整え、水筒から水を呷った。

 

「……くそ……」

 

――まだ、あの感触が残っている……!忌々しい!

 

夢から覚醒し現実世界に引き戻されるも、ゴブリンから受けた暴虐の感触が下腹部に残っている気がした。

 

服の上から変調が無いかを確かめてみるが、別段出血等の変化は見られない。

 

夢の出来事とは言え、彼は疑似的に()の苦しみを味わってしまった。

 

――あんな苦痛を背負わされ、奴等の子を孕まされる訳か……確かに耐え難い責め苦だ……!

 

ゴブリンに抗う術と精神性を持つ彼でさえ、慄くほどの苦痛であったのだ。

 

夢の少女の素性は定かではないが、あんなか弱き少女にゴブリンの責め苦に耐えられる筈がない。

 

――今迄出会った被害者は皆、押し並べてあんな苦しみを背負って生きていかねばならんのか。これでは立ち直り再起する方が難しいのも頷ける。

 

図らずも女の苦しみを疑似体験し、夢の少女が何者なのかを思い返してみるが、まるで心当たりはなかった。

 

実在する人物なのか、自分の深層意識が作用した架空の人物なのか。

 

もし現実に存在しているのなら、最早あの少女は助かる見込みは極めて低いと言わざるを得ないだろう。

 

気の毒だがゴブリンに飽きるまで嬲られ続け、挙句死ぬまで弄ばれたに違いない。

 

灰は悪態を付き、次第に落ち着きを取り戻す。

 

「大丈夫……ですか?」

 

「……大丈夫だ……」

 

 幼夢魔が心配そうに此方を見るが、彼は”問題ない”と返す。

 

相変わらず山中は薄暗かったが、既に地平線から登り夜が明けていた。

 

焚火は完全に消え、僅かな残り火が燻ぶっているのみだ。

 

彼は出立の準備に移る。

 

先ず濡らした布で彼女の顔を拭てやり、簡易的な洗面を済ます。

 

その後、乾パンや干し肉などの簡単な朝食を与え、焚火の後始末を終える。

 

そして下山する際、彼女に布で作った外套を羽織らせ、まだ小さいが羽根と尾を隠す様に促した。

 

少々窮屈なのだろう、彼女は不満気な顔をするが、これも必要な処置だ。

 

人里で、混沌勢の羽根や尾を晒す訳にはいかない。

 

不必要な軋轢を引き起こすだけだ。

 

此処から依頼主の村はそう遠くない。

 

一時間足らずで到着出来るだろう。

 

その道中彼は、ダークゴブリン以外の事を訊ねてみた。

 

「貴公の主は、その……、魔神王様とやらか?」

 

 一応この幼夢魔の出自も把握しておきたかった。

 

もしも有益な情報を得れば、彼女の助命に有利な交渉材料にもなる。

 

「うん。そうですよ。アタシのご主人様は、女系の魔神王様なんです」

 

 彼女等は、女系の魔神軍。

 

女性の異形のみで構成された軍で、その頂点に立つのが強大な力を有した女系の魔神王だ。

 

「でもね、ご主人様の上にはもっと偉い人が居て、何かすごく…怯えてたみたいだった」

 

 そんな魔神王をも怯えさせる存在が居る。

 

彼はその物の名を聞いてみた。

 

「……え~、ン~と……さ…サリ……なんとか様だっけ…でしたか……」

 

 舌足らずな言葉遣いと敬語が入り混じった独特の口調で、彼女は思い出そうとするがあまり成果は見込めそうになかった。

 

しかし、名前の一部だけでも聞き出す事が出来た。

 

「サリヴァーンと、名乗っていなかったか?」

 

「ン~~……、そんな感じだったような……う~ん、ごめんなさい」

 

「いや、構わぬ。そいつの住んでいる場所の特徴は分かるか?どんな些細な事でもいい」

 

 一応サリヴァーンの住処も聞いてみる事にした。

 

そもそも彼女は、ロスリックの方角から此処まで逃げて来たのだ。

 

サリヴァーン率いる魔神軍の本拠地は、イルシールではない。

 

大まかにでもいい。

 

本拠地の方角だけでも分かれば、此方にとって大いに有益となる。

 

「え…と、アッチだった…かも…です」

 

 幼夢魔が指さす方角を参考に、地図と照らし合わせる。

 

方角としては王都より、北方に位置する様だ。

 

正確な距離や座標までは分からなかったが、方角だけでも大きな判断基準となる。

 

後は此方で、情報収集に努めればいい。

 

そんな情報のやり取りをしている間に目的の村へと到着した。

 

彼は依頼人に事の成果を報告し、脅威を排除出来た事を伝えた。

 

念の為、村の住人達に混沌勢に対する防護策を伝授する。

 

防護策の強化法や、長い木の槍を使った戦闘法をだ。

 

小規模のゴブリンに対してなら、多少の効果は見込めるだろう。

 

聞けば水の都に籍を置く冒険者は、西方辺境以上にゴブリン退治を敬遠する傾向がある。

 

ならば尚の事、ゴブリンや異形の対応策は必須となり、無駄にはならない筈だ。

 

依頼人は報告する為、馬車で辺境に向かう準備を始めた。

 

当然灰の剣士に対しても送って行く旨を提案されたが、彼はやんわりとそれを断った。

 

これから、水の都に用があるからだ。

 

だが都合の良い事にもう一人の村人が買い出しの為、水の都に向かう様で其方の馬車に乗せて貰う事にした。

 

此処からでも水の都の輪郭が見えるが、徒歩で向かうには少々距離がある。

 

馬車なら移動時間を大幅に短縮でき、消耗も抑える事が出来る。

 

彼一人ならいざ知らず、幼夢魔を連れているとなれば徒歩での移動は、彼女に負担を強いる事になる。

 

因みに彼女は飛行能力を有しているが、こんな所で飛ばれては流石に困る。

 

彼等は水の都行きの馬車に乗せて貰い、再出発した。

 

依頼人には、自分達の事も含めてギルドに報告して貰う事を伝える。

 

 

 

 

 

水の都に近付くにつれ、凹凸だらけだった街道は次第になだらかとなり、揺れまくる馬車は静かに走り続ける。

 

「……ふわぁぁ、すっごい大きな街です。おにいさま」

 

 幼夢魔が近付きつつある都に驚きの声を上げる。

 

山々から流れ落ちる支流を束ねた巨大な湖畔。

 

その上に佇む白亜の城塞。

 

神代の時代から存在すると言われる砦を基盤に築かれたこの都市には、多くの人々と物資が行き交う。

 

船が、馬車が、商人が、旅人が、其々の思惑を胸にこの都市を訪れるのである。

 

「見事な都市だ」

 

 湖と絢爛な都市を目にし、灰の剣士も唸った。

 

絢爛さでは、ロスリックも負けず劣らずだが、この美しい情景を目にしたのは生者となって初めてではないだろうか。

 

大都市の美麗さに幼夢魔もはしゃぎっ放しで、事ある毎に灰を”おにいさま”と呼ぶ。

 

当然、彼女を妹にもった覚えはないのだが、彼はそれを咎める事もせず好きに呼ばせてあげる事にした。

 

――短い付き合いだ。今の間だけ、この子の好きにさせてやればいい。

 

やがて馬車が巨大な正門の前で停車し、彼等は村人に礼を述べ下車した。

 

彼等は巨大な正門を潜り、街並みに圧倒された。

 

普段見慣れた辺境の街とは、規模も賑わいも何もかもが桁違いであったのだ。

 

幼夢魔は言うに及ばず、灰の剣士迄もがその光景に圧倒されキョロキョロと首を動かした。

 

禄に前を向かずに歩くものだから、当然何度も人とぶつかりそうになる。

 

「何という賑わいか、これが噂に名高い『水の都』……」

 

「ね…ね、あの建物は何だろう?あれは何?なんか甘い匂いもする……」

 

 幼夢魔も街の賑わいに好奇心を抑え切れず、何度も寄り道しそうになる。

 

だが彼等の目的は、至高神の神殿に向かう事だ。

 

寄り道などしている暇はない。

 

しかし、この幼女の楽しそうな顔は心の底から来るものだろう。

 

とても混沌側の住人とは思えない程に純粋な笑顔だ。

 

少し位楽しませても、誰も咎める者は居ない筈だ。

 

そもそもこの行動指針も、彼自身が勝手に決めた事だ。

 

多少の寄り道は許されよう。

 

そんな想いが彼の心を過り、少し本道から外れ露店へと足を運ぶ。

 

「はいっ、いらっしゃい!」

 

 露店から漂う甘い香りと色取り取りの品に、幼夢魔は何度も視線を忙しなく動かす。

 

「何かお勧めの品は有るだろうか?」

 

 彼女に選ばせれば、時間ばかりが過ぎ去るのは目に見えていた。

 

彼は店員にお勧めを選んでもらい、クレープを二つ購入する事にした。

 

卵と小麦に牛乳を加えて練った生地に、カットフルーツとクリームでトッピングされた菓子だ。

 

幼夢魔の彼女は無論、彼も初めてお目に掛る洋菓子だった。

 

一口かじっただけで、甘みと果実の酸味が口に広がり、未知の味が彼等を愉しませた。

 

この様な品は、辺境では手に入らないだろう。

 

彼が半分も食さぬ内に幼夢魔は直ぐに平らげてしまい、彼の方にジィっと視線を向ける。

 

これには彼も苦笑いを隠せず、残り半分を彼女にあげる事にした。

 

短く(ささ)やかな時間であったが二人は街を楽しみ、いよいよ神殿へと歩を進めた。

 

街の中央に位置する一際大きな神殿。

 

迷う事も無い、その建物に向かって真っ直ぐ進めば良いだけの話だ。

 

白亜の大理石は丹念に磨き上げられ、それを何柱にも築き上げた壮麗な社。

 

信仰に疎いものでも分かる、正しく神の神殿。

 

天秤と剣を組み合わせた意匠が掲げられた、法と秩序を司る神殿。

 

至高神、『法の神殿』だ。

 

「うわわわ……ふわぁぁ……」

 

 その壮麗な社に只管圧倒される幼夢魔。

 

口をポカンと開け、只々呆けていた。

 

彼女自身もサリヴァーンの居城に住んでいたのだが、精々が割り当てられた区域に限定されていた。

 

所謂、城下街に相当する区間の屋敷に住んでいたのだ。

 

当然サリヴァーンの城そのものには足を踏み入れた事も無く、城の外観を見るに留まっていただけに、この神殿には圧倒されっ放しだった。

 

――成程、西方の要所を納めるだけの事はある。

 

彼女程ではないが、灰も壮麗な神殿に目を奪われている。

 

その神殿の様は『深み聖堂』を思わせた。

 

しかし醸し出す雰囲気は全くと言っていいほどに対極的だ。

 

深みの聖堂が闇に見舞われているのに対し、至高神の法の神殿は光に覆われている様に思える。

 

否、深みの聖堂も嘗ては白教の施設だった。

 

本来ならこの神殿の様に、光に満ち溢れていた時期もあったに違いない。

 

過去に想いを馳せるが、このまま此処に留まっていても埒が明かない。

 

彼等は入り口を潜り、神殿へと入る。

 

意外にも神殿内部は多くの人々が行列を形成していた。

 

この神殿は法を司り、司法機関の役目も兼ねている。

 

連日大勢が法と秩序の恩恵を賜り、至高神の庇護を受けるのである。

 

しかし今日に限って人は多く、待合室は溢れ返っていた。

 

人々の混乱を(きた)さぬよう、所々に武装した聖職者達が配置されていた。

 

灰と幼夢魔は一人の聖職者に声を掛けられた。

 

「其処のお二方。この神殿に何用かは知らぬが、予約は取られているのかな?」

 

 一際上質の武具に身を包み、その上に聖衣を纏った聖職者が此方に近付いて来た。

 

長い茶髪を中央で分け、精巧で厳格な顔付きで顎髭を蓄えた、壮年の大柄な偉丈夫だ。

 

二人は無論の事、この神殿には初めて来訪した。

 

予約など取れよう筈も無く、その事を聖職者に伝える。

 

「今日は何時にも増して来訪者が多い。予約が無ければ、今日中に大司教様にお会いするのは厳しいやも知れぬ。後日に改めるか、今此処で予約を取り付ける事をお勧めするが?」

 

 その聖職者は案を提示するが、出来る事なら長居は避けたかった。

 

聖職者は小声で、彼等に語り掛ける。

 

「フフフ…『混沌勢』を引き連れては、長居したくないのも理解出来るが、此方も規則故な」

 

「――?!」

 

 完全に見抜かれていた。

 

「甘く見て貰っては困るな。私も信徒の端くれ、そのくらい看破出来ぬ様では『神官戦士長』は務まらぬよ」

 

「――神官戦士長?!」

 

 確かに目の前の聖職者は、佇まいや装備品が他の者に比べ一線を画していた。

 

彼の迫力に気圧され、幼夢魔は委縮し灰の背に隠れてしまった。

 

「……場所を移そう」

 

 神官戦士長が二人を或る場所へと案内する。

 

行列とは反対方向の廊下を進み、待合室とは別の一室へと案内された。

 

一行はその部屋へと入り、戦士長は扉を閉め鍵を掛ける。

 

その様子に灰は、若干の警戒を見せる。

 

「そう警戒するな、取って食いはせん。大司教様程ではないが、小生も()()()()の権限を行使出来る立場だ。話を聞こう、まぁ楽にせよ」

 

 戦士長の取り計らいに幾分落ち着きを取り戻し、灰の剣士は向かいのソファに腰を降ろし、此処に至る経緯を説明した。

 

……。

 

「ふむ……、『ダークゴブリン』の件か」

 

 此処の管轄で討ち取ったダークゴブリンは偽物の可能性が高く、灰の剣士が語るダークゴブリンは戦士長が認識している個体とは大きく隔たりがあった。

 

「其方で討ち取られた()()()()()()()()()()首がまだ保管されているのなら、是非ともこの(わたくし)めに検分させて頂きたいのです」

 

 灰の要求に戦士長は顎髭に手をやり、暫し思案に耽る。

 

「……確かに、貴君の言が真実であれば放置出来ぬ案件よ。其処な幼女の保護は小生の権限でも融通が利くが、ダークゴブリンの件は流石に大司教様に御判断を仰ぐほかあるまい」

 

どうやら幼夢魔に助命に関しては、比較的容易に事が運ぶようだ。

 

しかし肝心なダークゴブリンに関しては、予想以上に重い案件らしい。

 

この神殿ないし、この西方一帯を治める要所『水の都』の実質的最高位の立場である『大司教』までも関わるとは、ダークゴブリンの(もたら)した被害は相当な規模だった事が示唆される。 

 

――随分派手に暴れている様だな、ダークゴブリン!

 

「緊急を要す事柄である事はよく理解出来るが、この神殿の威光を必要としている住民達を差し置く訳にはいかん。残念だがお目通りが叶うのは、早くても当夜遅くか翌日になるだろう」

 

 ダークゴブリンの件は非常に重要だが、この神殿を頼った者達を蔑ろにする訳にはいかない。

 

況してや、法と秩序を司る至高神の神殿。

 

規則を重んじるのも教義の一つ。

 

戦士長は、彼等にこの部屋を使わせる事にし、面会が叶う目途が立てば迎えを寄越す旨を伝えた。

 

「貴君らには悪いのだが、監視役を部屋の前に待機させて貰う。お嬢ちゃんとは言え混沌勢を野放しには出来んのでな」

 

 戦士長の言葉に、灰は部屋の外に意識を集中させた。

 

扉の向こうには、二つのソウルが感知できる。

 

戦士長が言うには既に結界が反応し、精鋭達に察知されているとの事。

 

この事から察するに『大司教』も、ある程度は認知しているだろう。

 

しかし、こればかりは仕方がない。

 

秩序の神殿に混沌の住人が、侵入しているのだ。

 

寧ろ幼夢魔の彼女が、結界に何の苦痛も感じていないのが不思議なくらいだ。

 

恐らくは彼女がまだ、混沌側に染まり切っておらず純粋な状態を維持しているのが原因か。

 

「食事などは定期的に運ばせる。何か必要な物があれば,遠慮なく呼び鈴を使うと良い。少々窮屈な思いをさせるが、許せ」

 

 そう言い残した戦士長は、部屋から去った。

 

「ふわぁぁ……、あのおじさん、ちょっと怖かった……です」

 

 幼夢魔は大きく息を吐き、完全に脱力した。

 

「それは、もう取って良い。……暑かったろう」

 

「うん…、結構モコモコしてました」

 

 彼女は纏っていた布を取り払い、漸く訪れた解放感に身を委ねる。

 

曲がりなりにも夢魔の眷属だ。

 

彼女の身体は幼いながらも、女性として丸みを帯びつつあり、胸はそこそこ膨らみ始めていた。

 

更に下着同然の衣服は扇情的な出で立ちに拍車をかけ、見る者に劣情を抱かせるにも充分な要素を満たしている。

 

――此方に連れて来て正解だったな。

 

一旦、繁華街や野に解き放てば彼女は忽ち、心無い輩に弄ばれていただろう。

 

その結果、歪んだ欲の捌け口とされ挙句、邪悪な存在に成り果てているだろう事は明白だった。

 

正直に言ってしまえば、今の自分でさえ幾許かの劣情を覚えてしまう程だ。

 

街を出る前に、処理をしたお陰で平静を保っているが、篝火の道具を切らして久しい。

 

生者となった彼には、歴とした性欲が存在しているのだ。

 

「おにいさまは、ソレ…取らないの?」

 

「……私はいい」

 

 幼夢魔が不思議そうに尋ねて来るが、彼はなるべくフードを深めに被り彼女を視界から外した。

 

あまり彼女を視界に入れるには、少々目の毒であったのだ。

 

ゴブリンスレイヤー程ではないが、彼も素顔を隠す部類に入るだろう。

 

――地下牢にでも放り込まれるかと思っていたが、随分と慈悲深い処置だったな。

 

密かに高まりつつある劣情を鎮める為、今の処置について思考を切り替えた。

 

確かに普通に考えれば、混沌勢を引き連れている時点で身柄を拘束され、処罰の対象となったとしても何ら不思議ではない。

 

監視付きとは言え、この様な豪勢な一室を与えられるのは破格の待遇と言えよう。

 

それは至高神の教義か、将又(はたまた)神官戦士長の慈悲深い精神故か――。

 

「折角だ、(くつろ)がせて貰おう」

 

 今更ジタバタしても始まらない。

 

この神殿へ赴いたのは、間違いなく自分の意思なのだ。

 

灰と幼夢魔は時が来る迄、ゆっくりと過ごす事にした。

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 

 

「大司教様、今の方で今日の執務は全て終了いたしました。真にお疲れ様です」

 

 神官衣を纏った、侍女が今日最後の勤めを終えた事を告げる。

 

「あら、もう終わったのですか?普段より早い気がしますね」

 

 至高神を祀る『法の神殿』の大司教、通称『剣の乙女』は意外そうな顔で、侍女に向き直る。

 

「何を仰います?普段以上に多いお努めを、今日は苦も無く成しておられました。……何か良き事でもありましたか?心なしか、いつも以上に顔色も良う御座いますよ」

 

 侍女に言われ、剣の乙女は少し微笑んでみせた。

 

「ええ、少しだけ…良い事が……」

 

 眼帯で覆われた目元では周囲には分からない。

 

しかし、彼女は嬉しそうに何かに想いを馳せている様にも見える。

 

「……とは言え、疲労とは知らずの内に蓄積するもの。今日は充分でしょう。そろそろお休み下さいませ」

 

「いえ、それには及びません。確か……、もう一件…此処に訊ねて来られた方が――」

 

 執務中にも拘らず、秘かに感じ取っていた結界の僅かな歪み――。

 

その後、通達された一つの報――。

 

「左様で御座います、大司教様。矢張り規定に則り、後日にて伺わせましょうか?」

 

 傍らに居た神官戦士長の報に、彼女は静かに首を振る。

 

「いえ、問題ありません。私個人も少々気になっておりました故、件の彼等を此処へ――」

 

「はっ!」

 

 戦士長は直ぐに踵を返し、礼拝堂を出た。

 

「……本当に宜しかったのですか?混沌勢を引き連れこの法の神殿に訪れる冒険者……、『例』の剣士…(わたくし)めも存じております」

 

 侍女は幾許かの警戒感を露にする。

 

幼夢魔を引き連れ、彼女の保護とダークゴブリンの情報を携え訪れた一人の冒険者『灰の剣士』

 

彼の情報については、西方辺境の地母神神殿から寄せられていた。

 

この四方世界が誕生する以前の古き時代『火継ぎの時代』――。

 

その剣士は、火継ぎの時代から流れ着いた『太古の人間』であるという事を――。

 

「……遅かれ早かれ、件の剣士には此処に来訪して頂く予定でした。それに気になります、彼の知るダークゴブリンというのも……。先ずは彼の事情を聞いてみる事に致しましょう」

 

――先程から感じるソウル。とても柔らかく心地良い……、一体何者なのでしょう?『火の無い灰』と言うお方は……。昨夜見たあの夢と言い、今日は変わった事が頻繁に起こりますね。

 

彼女は感じるソウルに身を寄せ、昨晩見た夢を思い返していた。

 

 

 

……

 

 

 

 一体此処は何処なのかしら。

 

何時も見る、あの薄暗い洞窟じゃない。

 

血と腐臭に満ち、濡れ、溢れ返っている、冒涜的な小鬼の住処ではなかった。

 

目に映るのは、柔らかな日差しの下に花が咲き乱れ、微風が肌を撫でる何とも甘味な世界。

 

眼前に広がる一面の花畑に、不思議な篝火が在った。

 

その篝火の傍らに腰を降ろす一人の女性――。

 

誰かしら……、私の知らない人……。

 

不思議と引き寄せられる様に、私は篝火に近付いて行く。

 

黒いローブを身に纏い長い銀色の髪を風になびかせ、素顔の上半分を金細工のサークレットで覆った若い女性。

 

何処と無く、今の私に似ている不思議な人。

 

私に気付いたのか、その人は手招きで座れと誘った。

 

なんて気品と慈愛に満ちた笑顔だろう。

 

目元は覆われたサークレットで分からないが、顔の造りや輪郭から美しい容姿をしている事は容易に想像が付いた。

 

私は誘われるがままに腰を降ろし、篝火の温もりに身を委ねた。

 

とても美しく優しい世界。

 

そして不思議な女性と篝火を囲み、何やら談笑に花を咲かせていた。

 

何を話していたかまでは、よく思い出せない。

 

唯一つだけ言えるのは、本当に楽しかったという事。

 

心が安らぎ、あの悍ましい小鬼の事など綺麗サッパリ忘れ去っていたという事。

 

それ程までにあの夢は、甘く魅惑的な世界だった。

 

何時しか夢から覚め、私の身体は何時にも増して軽やかだった。

 

夢から覚めたのが惜しまれる位に――。

 

もっと見ていたい。

 

もっと居座っていたい。

 

もっとあの女の人と過ごしていたい。

 

いっその事あの夢の中で永遠に留まっていたい。

 

……。

 

それにしても、あの人は一体誰だったのかしら。

 

あんな人に出会った覚えはないし、交流も当然ない。

 

もう一度見れるかしら、()()()を――。

 

何時か会えるのかしら……、あの女の人に……。

 

あんな夢が見れるのなら、寝る事すら楽しみに変わっていきそう。

 

私はあの夢に想いを馳せていた。

 

そうこうしている内に、不思議なソウルが此方へ近づいて来る。

 

とても柔らかく暖かなソウル――。

 

まるであの夢そのものが、此処に歩み寄る感覚にさえ陥る。

 

よく見れば外套を被った一人の冒険者と、尾と羽根を生やした可愛らしい女の子だ。

 

よく見える……。

 

……。

 

……え?

 

見える?!

 

そんな事が……っ?!

 

私は一瞬、眼帯をずらし肉眼で彼等を視界に捕らえる。

 

本当に見える……、特にあの冒険者の姿はクッキリと……、そんな…どうして……?!

 

私の目は、()()()()()()()()()()()()――。

 

『大司教様、件の者を連れて参りました』

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 

 

神官戦士長が灰と幼夢魔を引き連れ、礼拝堂に現れた。

 

「……ご苦労様です、戦士長。後は私に任せて、貴方も休まれると良いでしょう」

 

 彼女は戦士長を労い、休むように促す。

 

「はッ……、しかし護衛も付けずに……?」

 

 矢張り心中穏やかではないのだろう。

 

素性の知れぬ混沌勢を引き連れた冒険者。

 

六英雄の一人と謳われた『剣の乙女』と言えども、一人の若き女性である事に変わりはない。

 

如何なる理由であれ、彼女を敵対勢力から守り抜くのが神官戦士足る者の務めだ。

 

「御心配なさらず。私は冒険者…、彼も冒険者…、此処から先は冒険者の領分ですわ」

 

「……そう言う事でしたら……。しかし、立場上遠間から監視は付けさせて頂きますぞ!」

 

 承諾した戦士長は一礼の後、礼拝堂から立ち去った。

 

礼拝堂の入り口では、数人の神官戦士が彼に詰め寄る。

 

「本当に大丈夫なのですか、兄上?!」

 

 戦士長を兄上と呼ぶ、一人の若い女性の神官戦士。

 

「……兄上は止せ、任務中ぞ副長!」

 

 彼女は戦士長とは兄妹の間柄だ。

 

非常に年が離れており、妹の方はまだ十代半ばから後半と言った処だ。

 

「問題ないとは思うが念の為、第一班のみ監視を兼ね護衛に着く、良いな!」

 

「――了解!」

 

 戦士長を含めた神官戦士達はこの入り口で、礼拝堂を見張る事にする。

 

……

 

「矢張り、……私の事は既に伝わっておいででしたか」

 

「ええ。地母神の神殿からこの神殿を通じて、王都の国王陛下にまで通達されておりますわ。ロスリックから逃走した怪物『冷たい谷のボルド』を討伐した事も含めて」

 

 火の無い灰についての素性――。

 

西方辺境に収まり切るものではなく、王都にまで伝わっていた様だ。

 

しかし、彼の身柄を今直ぐどうこうするという動きはない。

 

彼が秩序側に属している事、何より混沌勢の動きが活発化しつつあるというのも大きな要因だろう。

 

「『ボルド』に関しては皆の助力あればこその結果に過ぎず、私めの単独によるものではありません」

 

 頭を深く垂れたまま灰は跪き、鉱山での戦いを端的に語った。

 

「面を上げて下さい灰の方。貴方は冒険者、私の同胞ですわ」

 

「有り難きお言葉!」

 

 彼女の言葉に灰は立ち上がる。

 

「そんなに緊張しなくても大丈夫よ、誰も貴方を傷付けたりしないから楽になさい」

 

 剣の乙女は幼夢魔にも柔らかく語り掛ける。

 

緊張と不安に苛まれていた幼夢魔だったが、彼女の優しき語り掛けに硬さが和らいだ。

 

「それでは本題に入りましょう、灰の方」

 

「はっ。私が此処に訪れた理由……」

 

 こうして灰の剣士と剣の乙女の邂逅が成った。

 

……

 

「……つまりダークゴブリンは生きていると」

 

「ええ。私は奴と直接剣を交えました」

 

 過去に二度ダークゴブリンと直接対決を経験している。

 

しかし結果は実質敗北を喫していた。

 

灰は自らの知るダークゴブリンの情報を惜しみなく提供した。

 

黒い体表。

 

凝縮された筋肉。

 

成人男性程の体格。

 

豊かな金髪。

 

深紅の瞳。

 

流暢な言語能力。

 

高い知性と戦闘力。

 

集団を巧みに操る統率力。

 

全てがこれまでのゴブリンとは一線を画していた。

 

「……それが本当だとすれば、大きな脅威になりますね。しかし、私が依頼した銀等級率いる一党も実力者揃いでしたわ」

 

「……此方が対峙した戦力は、銅等級率いる五十名を越える戦力でした」

 

「――っ?!五十名っ?!」

 

 それだけの戦力を以てしてもダークゴブリンに大敗し、多大な犠牲者が続出した。

 

銀等級率いる冒険者が相当優秀だという事は理解できた。

 

しかし当時、鉱山で陣頭指揮に当たっていた銅等級冒険者も、総合力では屈指の水準を誇っていた筈だ。

 

戦闘力のみならず、政治力、人脈、資金力、それを上手く使い分ける知能。

 

あれらを身に付けるには、並々ならぬ労力と時間を要するだろう。

 

数名の一党で討ち果たせる程度の小鬼であれば、あれだけの被害など最初から発生しなかった。

 

ボルドとの連戦で消耗していた事も原因ではあったが――。

 

「大司教様、厚かましい申し出で心苦しく存じますが、是非とも私めに検分の許可を――。その一党が討ったとされるダークゴブリンの検分を不詳この私めに……お願い致します!!」

 

 灰は深く頭を下げ、再び跪いた。

 

「……。……分かりました、暫しお待ちなさい」

 

「広き御配慮、感謝に絶えませぬ!」

 

 待つこと暫く、ダークゴブリンらしき首が台座に乗せられ運ばれて来た。

 

それを目にしたとたん、剣の乙女は何故か数歩、距離を開ける。

 

――…ん?彼女のソウルが僅かに揺らいだな。

 

灰は僅かなソウル乱れを感知し、彼女に疑念を抱く。

 

その首は既に月日が経ち、半ば白骨化していたが小鬼の特徴は残っている。

 

「……成程、確かに黒い……」

 

 灰はその首を見つめ呟くが――。

 

「――ちがう、()()()じゃない…です!」

 

 沈黙を保っていた幼夢魔が突如、声を荒げた。

 

些か驚いた表情で幼夢魔に振り向く剣の乙女だったが、灰は直ぐに検分を開始した。

 

尤も幼夢魔が言葉を発した時点で、偽物だと確定している様なものだったが……。

 

「……!これは…、炭……か」

 

 調べ上げた首から指に付着した粉上の木炭。

 

「そうです。その小鬼は炭で黒く染め上げる事で、味方を鼓舞していたのでしょう」

 

「……偽物だと、宣言させて頂きますっ!!」

 

 何時にも無く強い口調で灰は、偽物だと宣言した。

 

その声は、広く静寂な礼拝堂によく響き渡る。

 

偽物という根拠を剣の乙女から指摘される前に、彼は説明を続けた。

 

鉱山での戦いは、雨天であった。

 

激しく降りしきる雨の中で、灰の剣士とダークゴブリンは激戦を繰り広げていた。

 

もし、あの小鬼が炭で黒く染めていたのなら、部分的にでも剥がれ落ちていた筈だ。

 

しかし、現実には全くそれは無く、黒いままだったのだ。

 

そしてこの白骨化した首には、毛髪が無く骨格も彼の知るそれとはかなり違っていた。

 

これで確信が持てた。

 

このダークゴブリンは偽物である事が確定した。

 

もしくはこれが、ダークゴブリンの亜種という可能性もあるが、灰の知るダークゴブリンでない事だけは確実だ。

 

「……お手数をお掛けしました大司教様。これで奴は生きている事に確信が持てました」

 

「あたしも、そう思います!こんな奴じゃなかったもん!」

 

 灰と幼夢魔が二人して偽物だと宣言してしまった。

 

彼一人なら疑う余地は多分にあっただろうが、彼女まで強く宣言してしまっては信憑性は遥かに増す。

 

これでは信じざるを得ないだろう。

 

彼女を混沌勢の住人である事を理由に否定する事は容易い。

 

しかし、その様な些細な理由で彼女の訴えを退ける程、剣の乙女も狭量な人物ではない。

 

剣の乙女は、彼等の主張を受け入れ認める事にした。

 

「貴方の言が事実であっても、直ぐに動く事は叶いません」

 

 問題はこれからの対応策である。

 

灰の主張が正しければ、ダークゴブリンは更なる力を蓄え勢力を拡大しているだろう。

 

幼夢魔の証言では、当時は60前後の数であったが、今はかなり時期が経過している。

 

少なくとも、倍以上は見積もった方が良いだろう。

 

更に彼女はこう伝えた。

 

本来ダークゴブリンは魔神皇と同盟関係を結んだが、それを良しとしない女系の魔神軍が独断で動いた。

 

そして彼等を傘下へと取り込む為に、集落へと部隊を差し向けたのだった。

 

魔神将の一人でもある『上夢魔』を筆頭に――。

 

しかし、作戦は失敗し逆に囚われの身となり、自分はこうして逃げ延びたのだ。

 

「……魔神将すら凌ぐ程の小鬼……前代未聞ですね……」

 

 この報に剣の乙女も慄き、冷や汗を流す。

 

現にこの幼夢魔が、間近でそれを体感し見てきたのだ――、疑う余地はない。

 

「……だとすれば、一党や二党の生半可な戦力では歯が立ちません。灰の方、申し訳ありませんが、戦力を整えるとなると相当数人員と物資を準備しなければなりません。かなりの時間を要し、直ぐの対応は不可能です……。それでも宜しいですか?」

 

 彼女は灰に、かなりの時間を要す事を伝えた。

 

「構いませぬ!奴を放置すれば、力無き人々から被害に晒されるのは明白――。機が熟した際には、是非ともこの()()も戦力にお加え下さいっ!」

 

 灰は再び跪き、決意を露にする。

 

「その返事、頼もしい限りです。貴方様のお力、当てにさせて貰います、灰の方」

 

 彼女も微笑み灰に期待を寄せた。

 

……

 

結果として幼夢魔の助命は、アッサリと叶った。

 

条件として彼女は神殿の預かりの身として、これから神殿に身を寄せる事となる。

 

そして灰自身には、実力を推し量る為に地下水脈のゴブリン退治を依頼された。

 

幼夢魔は侍女に付き添われ、風呂場へと連れられ一足先に礼拝堂を去る。

 

長期間山々を彷徨った為、身体中から異臭がしていたからだ。

 

現在は或る一室で、灰と剣の乙女が二人対峙して座っていた。

 

彼女が二人きりで話をしたいと申し出てきたのである。

 

本来ならあの一件で話は着き、彼はこのまま神殿を去る積りでいた。

 

しかし、此処までの道中を話した事で、彼女は更に態度を軟化させ現在に至る。

 

彼が今日まで積極的にゴブリン退治を引き受けてきた事も含め、彼女に話していたのであった。

 

装飾の施された優美な客室で、彼等は語り合っている。

 

「まぁ。辺境ではそんなに小鬼の被害が?!」

 

「間違いない。連日連夜、近隣の住民達は小鬼の被害に怯え慄きながら、今を必死に生きている」

 

 灰の口調は普段通りに戻っていた。

 

最初は敬語で彼女に対峙していたのだが、冒険者同士という理由で普通に話して良いと求められた所為である。

 

「小鬼退治で得た知識や技術を村人達に伝え、何とか凌いでいる状態だ。一時期それ等が功を成し小鬼の被害が沈静化していたが、最近になり再び活性化し始めている」

 

 彼は語った。

 

最近では、魔神の眷属や混沌勢との混成部隊を多く見かける様になったと――。

 

「此処では、比較的小康状態ですが、王都付近では魔神の眷属が精力的に活動し始めています。その事も含め、決して無関係ではないでしょう」

 

 それ等も手伝い、冒険者の大半は小鬼退治など目も暮れず、魔神討伐やそれに準じた依頼を引き受けてしまう状態が続いていた。

 

水の都では、小鬼退治に関する依頼が目に見えて残り、辺境に依頼する事も止むを得なかった。

 

「せめて……、せめてあと数党が小鬼退治に目を向けてくれれば……っ!」

 

 歯軋りし拳を強く握り締め、灰は今迄を振り返った。

 

過去に幾多の小鬼の巣を叩き潰し、虜囚となった数多の女性達を救助してきた。

 

しかし大半は心を壊し、絶望に支配されたままだった。

 

彼女達の命を救う事は出来ても、心を救う事は出来なかったのだ。

 

精々神殿に身を寄せた極一部が、辛うじて新たな人生を歩んでいる位だ。

 

そして昨晩見たあの悪夢――。

 

小鬼に嬲られるか弱き少女と一体化し、女性の苦しみを疑似体験してしまう羽目になる。

 

あの様な責め苦は、常人に到底耐えられるものではない。

 

心が壊れるのも納得がいった。

 

彼は自らを責める――。

 

自分は余りに弱く、矮小な存在であると――。

 

実際不死人時代に比べソウルレベルは無論、戦いに対する精神性まで脆弱に陥った気がする。

 

「自分をそんなに責めないで……」

 

 気が付けば自分の拳に、彼女の手が添えられていた。

 

「貴方様は充分に戦ってきましたわ。太古の時代から現在に至る迄……」

 

 ふと顔を上げれば、剣の乙女の顔が直ぐ近くに迄迫っていた。

 

眼帯に包まれ表情は伺い知れないが、かなり心配している事は悟れる。

 

互いの息が届く程の至近距離で、灰はハッとなり慌てて背を仰け反らせた。

 

「――済まぬ……!余計な事で貴公にまで要らぬ負担を掛けた……申し訳ない」

 

 灰は謝罪するが、彼女は寧ろクスリと笑い再び口を開く。

 

古人(いにしえびと)の英雄『薪の王様』は、とても心優しい御方なのですね」

 

「古人……?」

 

 どうやら火の時代の人間を彼女達の間では『古人(いにしえびと)』と呼ばれているらしい。

 

「私はもう薪の王ではないし、英雄たる資格も無い。あんなものは只の方便に過ぎんよ……」

 

 あの時代……、結局訳も分からず只管に使命に邁進した挙句、火を消し世界を終わらせたのだ。

 

この四方世界で吟遊詩人に謳われる英雄像とは、似ても似つかぬ程遠い存在であった。

 

剣の乙女も多少は火の時代に関する知識は有していたが、まだ目が健常だった頃に文献を多少目に通した程度だ。

 

その時代について話を聞きたがったが、非常に長くなるに加え暗くなる話ばかりだ。

 

彼は話す事をやんわりと断った。

 

彼女は若干残念がっていた為、彼は別の話題を振る事にした。

 

……

 

「まぁ。貴方様は、我々とは違う系統の奇跡や魔術を行使出来るのですか?」

 

 灰が修得している奇跡や魔法の数々に、剣の乙女も興味を示す。

 

ソウルの魔術や火の呪術、そして白教を始めとする奇跡――。

 

取り分け馴染みの深い、白教について少々説明した。

 

主神ロイドを崇め、不死を邪悪と見なし滅ぼす事を教義とする白教。

 

しかし、カリムの聖職者達は挙ってこう言い放った。

 

主神ロイドは傍系にすぎず、主神を僭称したのだと――。

 

最初の火から王のソウルを見出し古龍達に勝利した『大王グウィン』は、火の時代を築いた。

 

即ち最初の神にして主神は『グウィン』であり、ロイドという神は架空の存在ではないかという考察もあった。

 

結局真相は有耶無耶となり、真実は分からずじまいであったが、あの時代の奇跡には一つ一つ神々の物語りが存在する。

 

それ等の物語りを紐解けば、真実の一端が垣間見る事も叶うかも知れない。

 

「とても興味深いお話ですわ、奇跡の一つ一つに物語が存在するとは」

 

 彼女も聖職者の一人。

 

そう云った話に興味を持つのは、ごく自然な事と言える。

 

近い将来、地母神の神殿から聖書が資料として送られて来る事を、秘かに伝えておく。

 

「ふふ、楽しみにしておきましょう」

 

 暫くそう言った話に花を咲かせている間に、彼女に仕える侍女から就寝の時刻を告げられた。

 

「んもぅ……、折角楽しい時間を過ごしていたのに……」

 

「ほほほ、余り時間を置いては明日に障りますよ。湯浴みの準備は出来ております故、ごゆるりと疲れを癒して下さいまし」

 

 そう告げられ剣の乙女は頬をプゥッと膨らませながら、渋々と席を立ち上がる。

 

「灰の方、明日の小鬼退治……奮起して下さいませ。微力ながら応援させて頂きますわ」

 

 灰に振り向き、微笑んだ彼女はそのまま湯浴み場へと去って行った。

 

「さぁ、剣士様も明日に備えお休み下さいませ。清拭になってしまいますが、湯を張らせて頂きました。活用なさって下さい」

 

 侍女から告げられ、先程使用していた部屋へ向かう途中で足を止め、幼夢魔について尋ねた。

 

「あの子なら心配いりませんよ。湯浴みを終えた後ぐっすり眠りに疲れました。……余程、消耗していたのでしょう」

 

「かたじけない」

 

「おや?もしやあの子と、湯浴みを共にしたかったとか?」

 

「――まさか。近況を知りたかっただけです」

 

 彼女は幼い容姿ではあったが、身体の方は成熟しつつあった。

 

あの地母神神殿の少女と比べ、身体の凹凸が目立っていたのである。

 

もし湯浴みを共にしようものなら、今の彼では劣情を抑え切る保証は出来かねた。

 

かなりの確率で()()に及んでいた可能性も、否定し切れない。

 

――エストも残り少ない。出来るだけ早く『篝火』の燃料を手に入れなければな。

 

「……お手数をお掛けしました。私めもこれにて失礼致します」

 

 灰は深く一礼で応え、先程の部屋へと向かう。

 

――あの『剣の乙女』という人、何処と無く彼女(火防女)に似ていたな。

 

嘗てロスリックにて自分を支え続けてくれた火防女を『剣の乙女』に重ね、彼は清拭を終える。

 

そして装備品を入念に確認した後、寝台に身を潜らせた。

 

その部屋自体が高級な造りで家具もそれに準じている。

 

上質の寝台は、彼にとってある意味寝心地が悪かった。

 

……

 

「あの方……、不思議なソウルをお持ちでしたわ」

 

 一方湯浴み場では剣の乙女が身を清めていた。

 

白亜の上質な石造りの広間には、巨大な浴槽に湯が張られ、女神を模した彫像からは清浄な湯が絶えず流れ続けている。

 

一般の庶民は無論、王侯貴族でさえ実現するのは難しい程の贅沢な湯浴み場だ。

 

浴槽の他には、蒸気風呂方式を採用した空間も存在する。

 

目を覆っていた眼帯を外し、周囲に目を向けるも矢張り酷くぼやけ、(こま)やかなモノは殆ど見えない。

 

「何故あの方だけは鮮明に見えたのかしら?あの不思議なソウルの影響かしら……」

 

 思案に耽りながら、先程談笑に興じていた灰の剣士に想いを馳せる。

 

「そう言えば『太陽の騎士(ソラール)』殿が仰っていた『木漏れ日の様なソウル』……、彼がそうなのでしょうか……」

 

”木漏れ日の様なソウルの持ち主が、きっと貴方様を助けて下さる”――。

 

過去に太陽の騎士から告げられた言葉を思い出していた。

 

――彼の様にゴブリンに対し、積極的に挑んでくれる冒険者がもう少し居てくれれば、私も……別の人生を……。

 

「灰の…剣士…様」

 

 蒸気に身を任せ、剣の乙女は一人湯浴みを嗜んでいた。

 

 

……

 

………

 

翌日、神殿の裏側に在る小さな井戸に彼等は集まっていた。

 

この古井戸から地下水路に侵入し、其処に蔓延るゴブリン達を討伐してほしいと言う内容だ。

 

「殲滅の必要はない。頃合いを見計らい、帰還してくれれば良い」

 

 神官戦士長が地下水路の概要を説明する。

 

この地下水路は嘗て神代の遺跡であり、その遺跡を土台としてこの都市は成り立っていた。

 

未だ地下水路の全容は解明されておらず、その広大さ故に深入りし過ぎれば、二度と日を拝む事は叶わぬだろう。

 

「ゴブリンの規模も不明だ。深入りは避け、生還を優先して頂ければ良い」

 

 副長の神官戦士の言葉通り、ゴブリンの規模は不明のままで今回の依頼は、灰の実力を測ると同時に調査も兼ねていた。

 

「承知しました。後は私にお任せ下さい」

 

 灰は古井戸に近付き、侵入体勢に移る。

 

そこへ剣の乙女が声を掛けて来た。

 

「……大丈夫ですか?顔色が優れない様ですが……」

 

――そう言えば、彼女もソウルの感知が出来るのだったな。

 

彼女が視覚ではなく、ソウルの感知によって自分の体調を感じ取ったのだろうと彼は踏んだ。

 

彼女の言う通り、今の彼は些かの疲労を残していた。

 

あの後眠りに就いたが、またもや山中での悪夢を見てしまったのである。

 

一人の少女がゴブリンに嬲られ泣き叫ぶ、あの夢。

 

彼はその少女と感覚を共有し、共に苦痛を分かち合っていた。

 

そして最後は、その眼を焼かれ、悪夢が終わるのだ。

 

目が覚めた時は全身に汗が噴出し、まるで寝たという感覚が皆無であった。

 

そんな状態では疲労など完全に消え去ろう筈も無く、肉体よりも精神に負担が掛かっていた。

 

「……戦闘等に支障はありません。大司教様直々の依頼、見事果たしてみせましょう」

 

 灰は問題ないとの見解を示し、井戸に乗りかかる。

 

一方剣の乙女は非常に快調で顔色も良く、表には出さないものの気分が高揚していた。

 

彼女も()()()を再び見る事が叶ったからだ。

 

花が咲き乱れる楽園で、篝火を囲み自分によく似た女性との談笑――。

 

今の灰とは真逆の夢に、浸る事が出来たのである。

 

「気を付けて、おにいさま!」

 

 当然、幼夢魔も見送りに来ている。

 

「ああ。……では、行って来る!」

 

 灰は古井戸へと身を投げ、そのまま自由落下へと身を任せた。

 

神官戦士長が水晶を取り出し、持ち込んだ机に置く。

 

「大司教様の使い魔を通し、この水晶に映像が投影されます。あの剣士の実力、とくと拝見いたしましょうか」

 

 皆が水晶を覗き込み固唾を飲んだ。

 

剣の乙女は意識を集中させ、地下水路に放った使い魔と感覚を同調させた。

 

――お早い御帰りを、灰の剣士様。

 

彼の無事を祈りつつ、自らの役割を果たそうとする剣の乙女。

 

灰の剣士にとって、水の都での初の小鬼退治が始まった。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

ゴブリンサモナー

 

 小鬼が進化した上位種。

 

 シャーマンとは似て非なる進化系統を持つが、自然発生する事は稀であり

 大抵は教導により誕生する事が殆どだ。

 

 攻撃呪文の行使力はシャーマンやマジシャンに劣るが

 特殊な召喚術を用いて使役する能力に長ける。

 

 個体差はあるが、更に進化を果たした個体は中級魔人程度なら単独で召喚し

 己が戦力に加える事も可能だ。

 

 しかし真に恐るべきは、この召喚士が徒党を組み集団で召喚術を行使する時だ。

 

 そうなれば、上級魔神やドラゴンの召喚すら可能となり、人族の脅威となる。

 

 シャーマンの派生型と思われるが、この種が出現したのは最近であり情報が少ない。

 

 故に、この種を知らない冒険者達は、意表を突かれ敗北する事例が相次ぎ

 詳細な情報が待たれる。

 

 

 

 

 

 




 今回は少々長くなってしまいました。
小分けしても良かったのですが、区切る部分が見出せず一括で書いてしまいました。

如何だったでしょうか?
自粛が続く中、少しでも暇潰しになれば幸いです。

ウィルスになぞ負けるな!

デハマタ( ゚∀゚)/


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