魔法少女まどか☆マギカ[新説]~ヴァルプルギスナハト~   作:マンボウ次郎

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第十七話 夢現(ゆめうつつ)

 那月はもう一度、ソウルジェムの光を辿って魔力の波動を追った。

 

 朧に揺れるジェムの光は、またしても左へ、左へと逸れていく。

 

 十字路を左に曲がり、また次の十字路を左へ。

 

「さっきと同じ。なんかこういうのって、どんなに走っても辿り着けない、ぼやけた夢を見ているみたい」

 

 みっつ目の十字路を左に曲がると、街灯が照らす場所に戻ってきた。

 

 するとまたも羊の使い魔がいて、その後ろから深緋(こきあけ)色の刃が伸び、音もなく使い魔を狩り、また塀の中に消えていく。

 

 ここまでは予想どおり。

 

 問題は、街灯脇の塀に書いた『☆』マークだ。

 

 那月は急いで駆け寄り、街灯の支柱を抱くようにして塀を覗き込むと

 

「ない……」

 

 そこにマークはなかった。書いた痕跡も、傷跡も、何もない。

 

 那月は異様な緊張感に襲われた。

 

 使い魔がいて、魔法少女が狩って、それを見ていた自分。

 

 グルリと回って戻ってくると、同じことがそっくりそのまま繰り返される。

 

 同じことを繰り返しているのは、使い魔と深緋の刃なのか。

 

 それとも自分なのか。

 

 これは夢なのか、現実なのか。

 

「まさか、もう魔女の結界に引き込まれてるの?」

 

 辺りに人影はなく、ムシムシした弱い風に「ジーーーー」と虫の鳴き声が乗ってくる。魔女の結界独特のおどろおどろしさというか、魔女の心象を投影したようなコラージュ風景は見られない。

 

 そこはいつもの北夜見市の、見慣れた柚葉の家の前だった。

 

 那月は深呼吸をひとつすると、ソウルジェムを強く握った。

 

 同じことを繰り返しているのに、塀に付けたマークが消えている……ということは『同じ時間を繰り返している』のか。それにしては『時間が過ぎている感覚』はある。

 

 何か、おかしい。

 

 その時、どこからか声が聞こえた。

 

「落ち着いてください」

 

「――――!」

 

 しっとりとした、大人の女性の声。

 

「ここはすでに魔女のテリトリーです。見た目は現実世界そのものですが、起きていることは夢現(ゆめうつつ)。ぼんやりと、ぼやけた感覚があるでしょう?」

 

 これは……

 

「声じゃない! テレパシーだ!」

 

 那月の頭の中に直接聞こえてくるのは、魔力を介して伝わってくる精神感応(テレパシー)だった。

 

「これは夢であり、現実でもあります。見えないものが見え、見えるものが見えない魔女の結界」

 

 この声はどこかで聞いたことがある。が、誰かに似ているようで誰にも似ていない、思い出せそうで思い出せない声だった。

 

 那月は声の主を探して辺りを見回す。道の先、向かいの家、街灯の陰。しかし右にも左にも、見上げた先にも、人の姿はなかった。

 

 声の主は続ける。

 

「もうすぐ、あの人を宿主としてグリーフシードが孵化します。魔女が、産まれようとしています」

 

「宿主? あの人? 誰のことを言っているの!?」

 

「この家に住む、宝条柚葉さんです」

 

 声、がした。テレパシーではなく、大人の女性の肉声。

 

 ハッと振り返ると、街灯の下に赤黒いローブを着た女性が立っていた。

 

「宝条柚葉……彼女はグリーフシードを長く持ち過ぎました。あの時拾ったものを持ち帰っていたのです」

 

「柚葉が? あの時? どういうことよ!?」

 

 ローブを着た女性はスラっと背が高く、しかしフードで顔を隠していた。中世ゴシックのような真っ黒いローブには、ところどころに偃月の刃と同じ色のラインが入っている。ふくよかな胸、腰のくびれは引き締まり、凹凸のある身体の曲線美が浮き出ていた。

 

 そしてその手には、背丈と同じくらい大きな鎌――深緋色の刃が不気味に伸びる、まるで死神が持つ大鎌のようなものを持っていた。

 

「グリーフシードは負の感情を吸い上げ、再び魔女へと成長しました。あと一日早ければ孵化を止められたのですが……」

 

 大きなフードで目を隠し、口元だけを見せて静かに語る女性……いや、魔法少女か。

 

 少女と呼ぶにはあまりに大人びているが、胸元のネックレスに光る逆五角形のソウルジェムがその証だった。

 

 見たこともない女性。この人がキュゥべえが新たに契約したと言う魔法少女――?

 

 しかしその姿は、那月には見覚えがなかった。

 

「ちょっとアンタ、さっきから言ってることがよく分からないわ。あの時って何? 柚葉がグリーフシードを持っているってどういうこと?」

 

「詳しい説明は歩きながらにしましょう。急がないと間に合わなくなります」

 

 ローブの魔法少女は、那月を誘う(いざなう)ように歩き出した。

 

 高く連なる塀に沿って、これまで那月が何度も辿った道を進んでいく。那月は半信半疑のまま付き従った。

 

 宝条家の塀が折れ曲がる十字路を左へ――曲がるとすぐに、ローブの魔法少女が静かに語り出した。

 

「この魔女は孵化していないので、私たちに危害を加えることはありません。弱い使い魔を産み出しているだけです。……今は、まだ」

 

「アンタさっき、柚葉がグリーフシードを持っているって言ったわよね。あの時、拾ったって……」

 

「ええ。あなたの気付かないところで手に入れてしまいました。それがとても恐ろしいものだとも知らずに」

 

「いつ? どこで?」

 

「二日前の、見滝原市です」

 

「それって……見滝原マジカルラグーンのこと!? もしかして、帰り道に現れた魔女喰い……!」

 

 語気を強める那月の前で、ローブの魔法少女は淡々と答える。

 

「あの時、蒼ユリが退治したのは魔女喰いでした。魔女喰いは複数の魔女の集合体ですから、いくつかのグリーフシードを宿しています」

 

「でもあれは、アイツがトドメを刺して……グリーフシードも粉々になったはずじゃ……」

 

「ひとつは『魔女殺しの槍』によって砕かれました。が、もうひとつの行方にあなたは気付いていなかったのです」

 

「もうひとつ……?」

 

「宝条柚葉はそれを拾い、持ち帰ってしまいました。グリーフシードは彼女の『負の感情』を吸い上げ、魔女へと成長した。つまりこれから私たちが退治するのは、柚葉さんが産み出した魔女なのです」

 

「柚葉が魔女を……産み出した?」

 

 ローブの魔法少女はふたつ目の十字路で立ち止まった。それからゆっくりと周囲を見渡し、また左へ曲がって歩き出す。

 

「いま私たちがいる魔女の結界は、夢と現実の区別が曖昧な場所。見えないものが見え、見えるものが見えない、夢現(ゆめうつつ)の世界」

 

 すべてを知る語り部のように、ローブの魔法少女は続けた。

 

「昨夜、あなたが見ていたのは本当の私の姿です。が、先程あなたが見ていたのは私の姿ではありません」

 

 ついさっき那月が見た『羊の使い魔を狩る大鎌』は、見えないものが見えていたのだ――と言う。

 

「あなたが描いた『☆』マーク。あれは消えてしまったのではなく、時間が逆行しているのでもありません」

 

 街灯の脇に残したマークが消えていたのは、見えるはずのものが見えていないのだ――と言う。

 

 そして、まるで現実世界のようなこの場所は……

 

「私たちには、この魔女の結界も見えていません」

 

 魔女を産み出した宝条柚葉が、夢と現実が曖昧な『魔女の結界』を構築してしまったのだ――と言った。

 

 みっつ目の十字路に差し掛かり、ふたりはまた左へと足を向けた。少し先にはあの街灯が灯っているのが見える。

 

 と、ローブの魔法少女がここで足を止めた。

 

「このまま魔女が孵化すれば、柚葉さんは魂を取り込まれてしまうでしょう」

 

「なっ……何でそれを早く言わないのよ!」

 

 キッと目を吊り上げた那月が、街灯の方へと走り出そうとした瞬間

 

「これが魔女のいる内層への入り口です」

 

 宝条家を囲う高い塀、その向かい側に……

 

「どうして!? 柚葉の家がもうひとつ……!?」

 

 道を境に宝条家の向かい側に、もうひとつの宝条家。まるで鏡に映ったように左右対称で、しかし紛れもない宝条家の佇まいがそこにあった。

 

「本来ならば見えないはずのものが見えました。気を付けてください。あの街灯から出てくる羊の使い魔を見たら、また夢現(ゆめうつつ)の世界に戻されてしまいます」

 

 羊を数えて夢に堕つ――夢現(ゆめうつつ)の世界を見せていたのはあの使い魔だった。

 

「さあ、行きましょう」

 

 ローブの魔法少女は静かに歩き出した。足音もなく、まるでこの魔法少女も夢なのかと思わせるほど儚い足取りで。

 

 那月は目を伏せ、街灯の方を見ないように進む。

 

「使い魔の足音が聞こえる……!」

 

「ええ、すぐそこにいます」

 

 街灯に背を向け、ふたりが立ち止まる。後ろでは羊の使い魔がヒョコヒョコを動いている気配が感じられた。

 

「大丈夫です。あの使い魔は襲っては来ません」

 

「どうして分かるのよ」

 

「これが……私が得た魔法少女としての能力ですから」

 

 ローブの魔法少女はそう言うと、街灯のちょうど真後ろにある塀に埋もれていた黒いシンボルに手をかざした。

 

 魔女の結界が口を開き、ふたりを異空間へと導く。

 

「アンタの能力?」

 

「私はキュゥべえに願いを告げ、その祈りによって未来を見る力を得ました」

 

 渦を巻くように空間が揺らめき、ふたりの視界がぼやけた。

 

「未来を……見る? アンタ一体、何を願ったの?」

 

「……みんなの幸せな未来が見たい、と」

 

「え? ちょっと、それって!」

 

 

 

 視界が開けた先は、魔女の結界。

 

 ここは柚葉の心象が投影された、夢現(ゆめうつつ)の世界。

 

 仄暗い空間にいくつもの階段が伸びていて、何匹もの羊の使い魔が駆け上がっていく。

 

 青白くぼんやりと光る、不思議な階段。そこは、まるで夢の中にいるような幻想的な空間だった。

 

「柚葉は? 柚葉はどこ?」

 

「ここは結界の内層部分です。柚葉さんはこのさらに奥、最深部で意識を眠らせています」

 

「夢を……見ているの?」

 

「夢と現(うつつ)の狭間で、あなたを待っているのです」

 

 結界の中にいくつも伸びている階段――ローブの魔法少女はそのひとつに足を乗せた。他の階段には目もくれず、まるでこの先に柚葉がいるのを確信しているかのように上り始めた。

 

「ねえアンタ、さっき魔法少女への願いは『みんなの幸せな未来が見たい』って言ってたわよね」

 

 那月はローブの魔法少女に続いて階段を上る。まぼろしのようにぼんやりと光る階段は意外としっかりとした造りだが、足音の響かない不思議な感触だった。

 

「ええ」

 

 階段の途中で、羊の使い魔を追い越した。モコモコとした毛をフワフワさせている、小さな羊。赤い頭からペロンと舌を出し、愛くるしい顔で那月たちを見ている。

 

 那月は視線を逸らし、羊の使い魔をやり過ごしてから言った。

 

「私の知っている子も、同じことを言っていたわ」

 

「きっとその子も、大好きな人の幸せを願いたかったんでしょう」

 

「アンタ、その子のこと知ってるの?」

 

「……ええ、知っています」

 

 長い階段は右へ、左へグルリと回り、時には上へ、下へとうねっていく。しかしどんなに身体が逆さまになっても、那月たちは落ちることはなかった。

 

 やがてまばゆい光とともに長い階段は終わりを告げる。

 

 視界が真っ白になり、あまりの眩しさに那月たちは目を閉じた。そして再び目を開けると……

 

「ここは……どこなの」

 

 地平線の彼方まで、色鮮やかな花畑が続く世界。

 

「ここが結界の最深部。柚葉さんの心の中、と言っていいかもしれません」

 

 澄み切った青空を草花のパステルカラーが彩る、広大な平原。まるでこの世の楽園のような美しい場所に那月は目を奪われた。

 

 淡い花びらが風に揺れ、甘い香りが漂う。

 

「この香り、どこかで――――――――!」

 

 那月が香りのする方へと振り向くと、真っ白なワンピースを着て長い髪をなびかせる

 

「柚葉!」

 

 宝条柚葉が立っていた。

 

 花のような甘い香りは、柚葉の部屋に香る、あの匂いだった。

 

 柚葉はその呼びかけに振り向こうとせず、足元の青草を踏みしめていた。

 

「こんなところで一体何を……?」

 

 那月が急いで駆け寄ろうとすると、ローブの魔法少女がそれを制した。

 

「近づいてはいけません。まだ魔女は孵化していませんが、この様子では……」

 

 その時、風が止み柚葉の髪が背中に垂れた。

 

「ああ、なんだか気分がいいや」

 

「――柚葉?」

 

 背を向けたままの柚葉が清々しい声を出した。

 

「那月もさ、ここで一緒に暮らそうよ。魔法少女なんて危ないことはやめてさ」

 

「何を……言っているの?」

 

「ここはツラいことも悲しいこともない世界なんだよ。人を疑うこともない、傷つくこともない、夢みたいな世界」

 

 そう言って、すぅーっと深呼吸をしてみせる。

 

 それから両手で空を仰ぐようにして

 

「見てよ那月、キレイでしょ? こんな素敵な景色がずっと、ずっと続いているんだよ」

 

 まるで「この壮大な世界は私のもの」と言っているようだった。

 

 どこまでも広がる美しい花畑。淡いパステルの花びらから香る甘い匂い。夢のような世界はまさに楽園そのもの。

 

 しかし

 

「違うよ。ここは現実の世界じゃないし、夢の世界でもない。魔女が作り出したまやかしの世界なんだよ」

 

 那月は落ち着いて言った。

 

 柚葉は見せられているんだ。魔女の映す夢現(ゆめうつつ)のまぼろしに魅せられているんだ。

 

「……魔女?」

 

 柚葉は何か不吉な様子で腕をダラリと下げると

 

「魔女って、これのこと?」

 

 右手に黒いシンボルを取り出した。

 

 黒い稲妻がパチパチと光る、小さなシンボル。それは見るからに邪気をはらみ、負の感情の蓄積によって今にも孵化しそうな……

 

「グリーフシード!」

 

「へえ……これがグリーフシードっていうんだ」

 

「早く、それを離して! グリーフシードは魔女の卵、もう孵化しかかってる!」

 

「どうして? これはあたしの嫌な気持ちを吸い取ってくれたんだよ。恐ろしい気持ち、疑う気持ち、悲しい気持ちも――全部。だからさ、那月もここで一緒に暮らそうよ。遠いところに行かないでよ。あたしと一緒にいてよ。あたしの傍に……いてよ」

 

 そう言って振り向いた柚葉の目から、血のような赤い涙が垂れた。

 

 小さな雫が足元に落ちると、一輪の花が朱に染まる。すると甘く可憐な花は、死肉のような色彩と質感の毒々しい花に変わった。

 

 毒花の中心に大きく口を開ける、夢現(ゆめうつつ)の花。

 

 と、柚葉の手からグリーフシードが零れ落ちた。黒い嘆きの種が、スローモーションで落下する。

 

 那月は思わず手を伸ばし駆け寄ろうとすると、柚葉が小さく呟いた。

 

「那月、ごめんね。嘘つきはあたしだ」

 

 

 

続く

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