魔法少女まどか☆マギカ[新説]~ヴァルプルギスナハト~ 作:マンボウ次郎
「那月、ごめんね。嘘つきはあたしだ」
柚葉の手からグリーフシードがこぼれ落ちた。
瞬間――激しい旋風が舞い、那月とローブの魔法少女は大きく吹き飛ばされた。黒い稲妻が走り、グリーフシードに亀裂が入る。
パーン!
とガラスが弾けるような音と共にグリーフシードの外面が割れ、その中には魔女の魂となる嘆きの種が姿を現した。
柚葉の身体が宙に浮き、漆黒の影が包み込む。
顔を上げた那月の前に現れたのは、赤と白のまだら模様に死肉のような色彩と質感、甘い香りの巨大な毒花。
そして花の中心部分には
「柚葉!」
およそ人とは思えない、黒く濁った上半身を覗かせる柚葉の姿があった。毒花の中に下半身を埋め、気を失っているようにグッタリとしている。
「遂に姿を現しました。これが、夢現(ゆめうつつ)の魔女です」
那月のすぐ横でローブの魔法少女が言う。
「これが、魔女……? 夢現の魔女?」
魔女――と言われても、中心部分の少女は柚葉だ。
「柚葉が魔女になっちゃったの?」
「いえ、魔女自体は個体として生命を持っているので、柚葉さんと魔女は別です。ただ……」
毒花の中心から『咲く』柚葉が、ゆっくりと身体を起こした。
「あの魔女は柚葉さんの『負の感情』で成長し、実体化しました。つまり、柚葉さんの魂を取り込んで生きているのです」
「柚葉の魂を……取り込んでいる?」
負の感情に満ちた穢れに染まる、柚葉の身体。黒い揺らめきが体内に彩り、それが透けて見えるような上半身。
青白い目が輝き、その身体に魔力がみなぎる。
「私たち魔法少女と同じ、魂をグリーフシードに宿しているのです」
「それじゃ、あの魔女を殺したら……」
毒花が高く立ち上がる。
その身体は人の形のようで、しかし足はなく、死肉のような色彩と質感が一体化したような魔女――夢現の魔女。
「柚葉!」
毒花の側面から、まるでムチのようにしなる何かが繰り出された。人間の腕よりも太い、深い緑色に発光する触手のようなものが、風切り音を立ててふたりを襲う。
那月はまだ『魔法少女』になっていない。
「危ない!」
ローブの魔法少女は那月を庇うように前に出ると、見るからに重量のありそうな大鎌を軽々と振るい、触手を斬り落とした。
切断された面から青黒い液体が噴き出す。
「キィィアアアアアァァァ!!」
痛みに耐えるような、少女の金切り声が響く。
「やめて!」
那月はローブの魔法少女に手をかけた。
「あれは柚葉なんでしょ? 身体を傷つけられて柚葉の声が聞こえるよ! 痛い、痛いって叫んでるよ!」
「しかし、魔女を倒さなければ私たちが殺されます」
「そんなこと言っても……」
一本の触手を斬り落としたのも束の間、今度は毒花の四方八方から何本もの触手が伸びた。
「那月、一緒に戦ってください。あれだけの攻撃が来たら、あなたを庇っている余裕なんて……」
何十本もの触手がゆらゆらと、那月たちを狙っている。一本一本が意思を持つように、不規則に揺れながら宙を泳いでいる。
「できない……私にはできないよ! 柚葉をこれ以上傷つけるなんて、私にはできないよ!」
「心配しないでください。あの魔女を倒しても柚葉さんは死にません」
「どうしてそんなことが言えるの? あの魔女は柚葉の魂を宿しているんでしょ? 私たちのソウルジェムが壊れたら死ぬように、魔女を殺したら柚葉の魂を殺すことになるんでしょ?」
魂とは、生命そのもの。魂を狩ることは、生命を狩るのと同じ、だ。
しかし
「いえ、私には見えています。柚葉さんが生きている未来が見えています」
「そんな……私に見えないものをどうやって信じろっていうのよ!」
那月はヒステリックに叫んだ。親友の変わり果てた姿を目の前にし、それを救う手立てが『那月には見えていない』
と、宙を漂う触手が一斉に襲いかかった。正面から、斜め上から、横から、すべての触手がふたりに向かって伸びる。
それを見たローブの魔法少女は、那月の制止を振り切って前に突っ込んだ。大鎌を振り回し、触手をバッサバサと刈り取っていく。
深緋(こきあけ)色の刃が舞い、何本もの触手が散っていった。斬り落とされた断面から、まるで血の雨のように青黒い液体が飛び散る。
「や、やめて!」
その姿を見ていた那月は懇願するように叫んだ。触手の一本一本が落ちる度に、柚葉の痛みの声が聞こえてくるようだった。
「那月、私を信じてください!」
激しく動き回りながら触手を斬り落とすローブの魔法少女。
が、相手の手数が多すぎる。夢現の魔女が伸ばす触手は、斬られても斬られても新たな触手が生えてくる。
「私の能力は未来を見る力。そしてこの大鎌には……」
そう言った瞬間、深緋(こきあけ)の刃をすり抜けた触手が一本、那月の背後に回った。触手は素早く那月の身体にグルリと絡まり、強く締めつける。
「うぐっ!」
そのまま、身動きの取れなくなった那月を高く持ち上げた。
「いけない!」
ローブの魔法少女は大鎌をひるがえし、慌てて那月を助けに入る。ザバッと触手を切断し、那月の束縛が解けたところに新手の触手が襲い掛かった。
那月は草花が茂る地面に落下したが、今度はローブの魔法少女が触手の餌食となってしまった。
何本もの触手が、ローブの魔法少女を拘束する。
腹部に巻き付き、大鎌を持つ右手に巻き付き、両足に巻き付き、さらには細い首にも巻き付いた。
辛うじて左手だけは自由が残されたが、触手の強い締めつけをはがすことはできず、まるで空中ではりつけにされたような恰好になってしまった。
「が…………は…………っ!」
ギチギチと締めつける触手は、容赦なく手足や首を引き千切ろうとしている。やがて力の抜けた右手から大鎌がスルリと落ち、深緋(こきあけ)の刃が那月の横に突き刺さった。
那月の頭上には、苦痛に顔を歪めるローブの魔法少女。フードがめくれ、長い髪の毛を振り乱している。
「やめて……」
那月は夢現の魔女に向き直ると、悲痛な声を漏らした。
「お願い……柚葉!」
那月は夢現の魔女に呼びかけた。もはや人とは呼べない姿になり果てた宝条柚葉に呼びかけた。
「もうやめて! 私は遠いところになんか行かないから……いつも傍にいるんだから……!」
毒花の中心に咲く柚葉に呼びかけた。
「無駄です、魔女に声は届かない」
上空からかすれた声が落ちてきたが、那月は構わず続ける。
「だから戻ってきてよ、柚葉。いつもの場所に、いつもの柚葉に戻ってきてよ」
黒く穢れた柚葉は、まっすぐに那月を向いているようだった。ただ何も言わず、表情(かお)もないまま那月を見ているようだった。
「那月、お願いです……剣を取ってください。魔女を倒しても柚葉さんは死にません……私を信じて……」
首に巻き付く触手が喉を強く締めあげ、苦し気な声はそれ以上の声にならなかった。
「私にはできないよ……柚葉に剣を向けるなんてできないよ」
その時、柚葉の目から白く光るものが流れた。ふたつの眼から黒い頬をつたい、一直線に流れる涙が見えた。
「柚葉……」
それは柚葉の心が映す感情の現れなのか。那月の声を聞き、それに反応しているのか。
しかしその涙の後には、ひしゃげるような音と割れんばかりの悲鳴が聞こえてきた。
「ああああっ!」
グチャっという生々しい血肉の音と共に、触手に縛られていた肉体が引き裂かれた。
「え?」
それは空中ではりつけにされたまま、片腕と片足、そして胴体を『もがれた』ローブの魔法少女。
服は破け、骨も肉も無理やりに引き千切られた無残な身体が、那月の前に放り投げられた。
「――――っ!」
ドサっと無機質に横たわった肉片から、鮮血が止めどなく溢れている。被っていたフードがめくれて見えた顔は
「弥生……ちゃん?」
立花弥生、その人だった。
いや、小学五年生の弥生ではない。二十歳を過ぎた大人の女性――弥生がそのまま大人になったような、しかしはっきりと面影のある美しい顔。
「はい……弥生です」
弥生はゴボっと血を吐き、苦しそうに答えた。
「でもどうして……その姿は……」
「……私は願いを告げて、十三年の時を経ました。それが私の能力……十三年後までを知るのが、私の『未来を見る力』です」
魔力による肉体修復が始まり、身体から噴き出す血液は血煙のように立ち上がっている。
「ですから……ゴホッ! 柚葉さんを救ってください……それができるのは、あなた……だけ……です」
弥生は途切れ途切れの声を漏らすと、そこで目を閉じた。
「弥生ちゃん!」
「私は大丈夫です。願いの特性で、十三年間は死ぬことがありませんから」
と、精神感応(テレパシー)が那月の頭の中に聞こえた。意識を深く沈め、肉体の治癒に専念しているのだろう。
ボロボロの身体はゆっくりと、しかし確実に癒えている。
「那月、魔女は魔女です。柚葉さんの姿をしていますが、柚葉さんではありません。楽園のようなこの世界も、柚葉さんの身体も、見えないものが見えている――魔女が見せるまぼろしです」
那月は振り返って、夢現の魔女を見た。
涙に濡れる宝条柚葉を見た。
「そうか。魔女に剣を向けることは、柚葉を傷つけることじゃないんだ」
そう呟くと、ソウルジェムを横一線に薙ぎ、さらにそれを高く掲げた。青紫色のジェムがまたたき、身体をまばゆいラベンダーカラーの光が包む。
白と青紫、ふたつの色をあしらった衣装。それは夜空に真っ白な月が映えるようなコントラスト。膝丈まであるスカートと、肩当から揺れる柔らかいフリル。命の宝珠であるソウルジェムは、右手首に付ける炎を象ったブレスレットに収まっている。
「今、柚葉を助けられるのは私だけ」
つま先からゆっくりと着地した紺碧の魔法少女。右手には炎の細剣、フランベルジュ。
「弥生ちゃんの言葉どおりなら、魔女を殺しても、柚葉は死なない」
炎の魔力を込めると、刀身を白銀に輝かせた。
「だったら私が……私が魔女と戦う!」
ダッと飛び上がり、夢現の魔女に振りかぶった。
毒花の外側から長い触手が伸びる。不規則に揺れながら那月を取り囲むように繰り出されるが
「ごめんね柚葉」
フランベルジュが弧を描くと、那月を囲んでいた触手が一瞬で焼け落ちた。
「キィヒャアアアアァァァ!!」
痛みに悶えるような奇声と共に、切り刻まれた触手の断片がボトボトと落ちる。
大きく開く腐肉の花びらに着地した那月は、中心に咲く柚葉の姿を捉えた。
「柚葉がこんな目に遭うのも、私のせいなんだよね」
フランベルジュに炎がたぎる。摂氏数千度の炎を纏い、周囲の空間が蜃気楼のように揺れる。
そこへ夢現の魔女が再び触手を伸ばし、今度は尖った先端を突き立てて閃突を向けた。
が
那月は左手で観念動力(テレキネシス)を繰り出す。太く強靭な触手は、まるで真空の刃のような渦に切り刻まれ、あっという間に掻き消えた。
「でも、いま助けてあげるから!」
腐肉のような花びらも大きく削れ、柚葉の身体が剥き出しになっている。
あと一歩踏み込めば炎撃の間合い。
「未来は決して絶望ではありません。それは那月、あなたが切り拓くからです」
「私が……切り拓く……」
那月はフランベルジュをゆっくりと振り上げ
「みんなの幸せな未来を、どうか叶えてください」
「私たちの幸せな未来を、叶える――!」
魔女の本体。毒花の中心に咲く柚葉に、振り下ろした。
波打つ刀身の斬撃で、闇に染まった柚葉が真っ二つに裂ける。紅蓮の炎が魔女の身体を包んだ瞬間――周囲の音が消え、柚葉の顔が少しだけ笑ったような気がした。
そこから、轟! という音を立てて爆風が広がり、断末魔の叫び声と共に夢現の魔女は焼き尽くされた。
魔女の消滅で結界が消えていく。
澄み切った青空、パステルカラーの平原、どこまでも続く楽園のような世界、そして甘い香り……。
やがて視界が白く染まり、異空間からの転移が始まると
ドサッ!
と、那月の前に赤いドレスを着た少女が落ちてきた。
まるで血のような赤色を着た少女には、左肩から右の脇腹にかけて一直線に切り裂かれた跡がある。
噴き出した鮮血が真っ白なワンピースを朱に染め、蒼白な顔には飛び散った血の跡。
足元に広がっていく血だまり。
「柚葉……?」
那月は膝をついてその身体に触れた。
両目は閉じられ、ぬくもりが徐々に消えていくのが感じられる。
「柚葉!?」
足元の血だまりが、まるで腐肉の華が咲くように広がっていく。
「どうして? 私は魔女を斬ったんだよ? どうして柚葉が血を流しているの?」
――魔女を倒しても柚葉さんは死にません
「弥生ちゃんもそう言ってたんだよ?」
――私には、柚葉さんが生きている未来が見えています
「弥生ちゃんは見えていたんだよ?」
生命の鼓動はやがて絶え、那月の手に静かな死が伝わった。
ウソ…………
私が殺したの?
私が柚葉を殺したの?
私が…………
ふたりだけがポツンと残された世界に、誰にも聞こえない悲鳴が響いた。
続く