魔法少女まどか☆マギカ[新説]~ヴァルプルギスナハト~ 作:マンボウ次郎
私がまだ小さかった頃、それこそ小学校に上がる前の話。ひとりっ子の私はお母さんが大好きだった。いつも甘えて遊んでもらって、一緒にお風呂に入って、お母さんの布団で寝る。お誕生日を祝ってもらって、プレゼントを貰って、お礼に『おてつだいけん』と拙い文字で書いたお助けカードを手渡す。
お母さんと一緒にいる、お母さんのお手伝いをする、お母さんの優しい笑顔を毎日眺める。そんな暮らしがずっと続くと思っていた。
でも私に物心がついてから、お母さんと幸せに過ごす日々は長くなかった。
私が五歳になった次の月、お母さんは事故で帰らぬ人となった。
幼い私には、お母さんに何が起きたのか理解できなかった。『事故』に遭った原因は分からない、と聞かされた。『事故』なのか『自殺』なのかもはっきりしない、とも聞かされた。目撃者はいない、理由も分からない、と。
そう言われても、私には受け止めることができなかった。
「事故って何?」
「お母さんはどこにいったの?」
「お母さんはいつ帰ってくるの?」
「お母さんは……」
すぐに冷たい身体で帰ってきた。
白い肌でいつも綺麗だったお母さんは、透き通るように美しかった。青みがかった黒い髪の毛は漆のように艶やかで、指先はしなやかに、しかし細い身体は氷のように冷たかった。
お父さんは目にいっぱいの涙を浮かべて、それでも涙をこぼすまいと顔を上に向けて、私を抱きしめてくれた。
私はそこで初めて
「お母さんは死んだ」
とわかった。
最期にお母さんを見たその日、首筋に丸いアザのようなものがあったのを憶えていた。
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「あれはきっと、『魔女の口づけ』だったんだ」
那月はズブ濡れのままソウルジェムを見ていた。碧い光がゆっくりとまたたき、魔力の波動を映し出す。
――近くにいる。
ソウルジェムの魔力探知で分かるのは、魔女がすぐ近くにいる、ということだけ。嘆きの種(グリーフシード)から産まれ、結界を抜け出た憎き魔女が、どこからか那月を見ている気がした。
「お母さんを殺したのは誰だ」
薄墨色(はいいろ)の雨が降り続く中、辺りを見渡すが特に変わったところはない。ざんざんと落ちてくる雨の音だけが那月の耳に響いていた。
「なんで私のお母さんを殺したんだ」
ソウルジェムの光が徐々に強くなる。
「お母さんは何も悪くないのに。……あんなに優しかったのに……あんなに大好きだったのに」
大きな雨粒で路面の泥水が跳ねた。
「お母さんを殺したのは……」
その時、那月の背後で濁った泥水がドロドロと盛り上がっていった。それは那月の膝丈を超え、背丈を超え、高く大きく立ち上がっていく。半透明だった泥水が魔力によって実体化する。巨大なイチョウの葉のように一本の足で身体を支え、ナメクジのようにネットリとした身体に、透き通るような黒い斑点が散りばめられている。泥色というか、土気色というか、とにかく気味の悪い色と見た目。
グリーフシードより産まれし異形の化け物が那月の後ろを覆いつくしたとき
「お前かーーーー!!」
那月は振り向きざまに魔法少女へと姿を変えると右腕をしならせ、揺らめく炎の剣『フランベルジュ』を振るった。が、実体化した魔女は泥水で形成されていて、液体を切り裂いた那月の剣に手応えはなかった。横一文字に裂けた泥水は上下真っ二つに割れたが、ダメージを与えた感触はない。魔女は魔力による肉体形勢を解かれたようにドロリと路面に溶けた。
「ちっ!」
泥水の流れを目で追うが、路面の雨水と一体化してしまって捕捉できない。那月は舌打ちしてから周りを見渡してみるも、そこら中が水浸しで雨水も泥水も一緒くただった。
雨はいよいよ強さを増し、那月の視界を薄墨色(はいいろ)に染めている。
路面の大きな水たまりが揺れた。あそこか?
いや、あれは雨水で跳ねているだけだ。じゃあ道脇の排水路にザブザブと流れ込んでいるところ。あそこか?
見渡す限り、すべての水という水が揺れ、波打ち、しぶきを上げている。
「那月、そこはもう魔女の結界だ。君は魔女のテリトリーに入り込んでいる」
頭の中にキュゥべえの声が聞こえる。そういえば今日は学校まで来ていたんだ。
すでに那月の周りは、夕雨の街ではなくなっていた。重苦しい空から降り注ぐ大粒の雨と一緒に、赤や青や黒色の傘がくるくると舞っている。着られていない緑色のレインコートが、その傘をキャッチして踊る。襲ってくる気配はないが、あれは使い魔だろうか。
その向こうに見えるのは『くの字』に折れ曲がった家屋や電柱や道路標識。それらを這い上がる、目玉のような渦巻きを持った大きなカタツムリ。
気味の悪い、いびつな空間。現実世界を逸脱した配色とオブジェ。独特の世界観。
「…………」
那月は右手に強く力を込めてフランベルジュを構えていた。キッと睨むように鋭い視線を移しながら、見えない魔女の姿を探す。
「君のフランベルジュは炎の魔力だ。この魔女を相手にするのは分(ぶ)が悪いよ」
「……さい」
濡れた前髪の隙間から、那月の碧眼が揺れる。
「うるさいっ!!」
轟轟と響く雨音をかき消すほどに、那月は叫んだ。
「魔女は私が狩る。アンタは黙って見てなさい!」
声を荒げてキュゥべえの精神感応(テレパシー)を断ち切ると、那月は真上に飛んだ。瞬間、路面から再び泥水の魔女がその姿を現す。魔女は足元から仕掛けてきた。
が、那月は刹那に反応したのか、その気配を察していたのか、一瞬で魔女の上をとった。フランベルジュに魔力を込めると、波打つ刀身は炎の光を帯びる。
「斬れないなら、その身体ごと燃やしてやる!」
炎の刀身を一気に振り下ろし、魔女の身体を一刀両断にした。刃物で斬るというよりは、炎の熱で焼き切るといった感じだった。液体が沸点を超えて蒸発する……のは裂けた『面』だけで、残りの身体はまたしても路面に溶けた。
実体がない……というわけではないが、剣で斬れないうえに中途半端な熱では蒸発しない身体を持った魔女だった。雨水に紛れれば液体のよう。実体化すれば、粘着質な身体を形成する。
「厄介な魔女だね。これじゃあキリがない」
戦いを手助けすることのないキュゥべえはどこかで見ているのだろう。だが、キュゥべえにも魔女の実体は見えていない。それは那月も同じだ。雨水と同化してそこら中を動き回り、見えない死角から襲ってくる。
那月はもう一度、辺りを見回した。
雨は止む気配がないし、雨水は溜まる一方だった。行き場のなくなった水は路面に充満している。この水自体がすべて魔女の身体になりえるとしたら……
「那月! また足元だ!」
那月の足にドロドロとした粘液が絡みつく。それは一気に膝から腰、胸から頭の先までを包み、全身を覆いつくした。まるで魔女の身体に沈むように、那月は魔女の中で溺れてしまった。
魔女の不気味な姿態が、その姿を現した。
半透明な身体に浮かび上がる黒い斑点は、すべてが目玉。一本足で立っているように見えるのは、軟体のように伸びた身体の一部。背丈はゆうに那月の倍以上はあった。
「ゴボゴボ……っ」
魔女の身体に取り込まれた那月は息ができない。そのうえ、液体なのか粘液なのかわからない中で身体の自由を奪われ、身動きが取れなくなっている。
「コイツは……無楯(たてなし)の魔女だ」
キュゥべえは魔女の全姿を見て言った。
無楯とは、アメフラシの別名。身を守るために盾を必要とせず、刃で切り裂いても実体化を解くことで身体に損傷を負わない特異な魔女。雨を降らし、その水に打たれた人間に自らの呪い『魔女の口づけ』を与える。
「本来は海辺の地域にしか現れないはずの魔女が、なぜこの街に」
北夜見市は海に面していない都市だった。
「それにしても……」
炎の魔力を宿した那月の剣は、液状化した魔女の中に取り込まれてその威力が発揮できない。液体の中では炎を生み出すほどの魔力を練れないし、何より呼吸のできない那月は攻撃よりも生命維持に魔力を使わざるを得なかった。魔法少女は息ができなくても『死ぬ』ことはないが、酸欠による脳機能の低下は免れないからだ。
「魔法少女にも、意外な弱点があったようだね」
キュゥべえは呑気なことを言っていたが、那月は必死だった。たしかに息ができないからといって『死ぬ』ことはない。魔力で肉体の生命活動を維持することはできる。が、身動きの取れない中では反撃も脱出もできない。手足を動かそうにも、魔女の身体が粘液のようにまとわりついて指先を動かすのが精一杯だった。
このままでは、どちらかの魔力が尽きるまでの根気比べか? いや、そんな生易しいものではなかった。
那月の目の前で、何かが開いた。細いトゲをウヨウヨと動かす口が開いた。魔女が身体の外側で口を開けたのか……
――そうじゃない!
トゲのような歯が那月の頬をなぞった。これは……身体の内側に口が開いている! どういう構造なのか、無楯の魔女は那月を丸呑みにできそうな口を開けていた。那月は手足を動かせない。反撃もできない、脱出もできない。
那月は目を見開いた。こんなところで殺されるのか。こんなヤツに喰われるのか。魔法少女は身体を傷付けられても『死ぬ』ことはないが、あの口で右腕のソウルジェムを喰われたら『死ぬ』。無楯の魔女が狙ってるのは那月の身体ではなく、那月の魂。魂を喰らって魔法少女を殺す。
魔女は身体の内部にうごめく不気味な口をゆっくりと移動させた。まるで那月の魂から香る生命の匂いを嗅ぎつけるように、ゆっくりとゆっくりとソウルジェムの方に。
そうして、右腕の前でピタリと動きが止まった。
「喰われる……っ!」
もう生命維持に魔力を割いている場合ではない。呼吸はいらない。延命もいらない。今は魔力を研ぎ澄まし、すべての力を右腕に込める!
「ぬぐぐぐぐぐっ!」
ソウルジェムを激しく輝かせ
「こんなヤツに負けてたまる……かっ!」
右手を前へ!
剣を前へ!
魔力(ちから)を前へ!!
魔女は……
「私が狩るんだ!」
渾身の力で剣を押し出したところに、無楯の魔女がトゲの歯を突き立てて喰らいつく。波打つフランベルジュの刃でそれを受け止めようとした瞬間、何かが魔女の身体を貫いた。細くて青黒い何かが、魔女の身体を一瞬で突き抜けていった。矢のように魔女の身体を射貫いたそれは路面に突き刺さって、しなるように揺れた。
肉体構成を破られた魔女は、再び液体となって崩れる。魔女の体内で溺れていた那月は路面に放り出された。
まさに九死に一生。魔女の餌食となる寸前で救われた那月は、膝をついてぜえぜえと息を整えていた。息ができる。身体も動く。右腕のソウルジェムも無事だ。
しかし、あの細くて青黒い物は……
那月はその発射元へと目を向けた。道路の反対側にある電柱の上を見つめ、キッと睨む。こんな横槍を入れるヤツは、ひとりしかいない。
が、
「那月、魔女はまだ生きてる。戦う相手を間違えちゃダメだ」
キュゥべえの声で我に返り魔女を探すが、またしてもその姿は雨水に溶け込んでしまっていた。もう一度あんな醜態を晒したら、次はない。
「ふぅ……ソウルジェムが汚れるから、あんまりやりたくないけど……」
那月はスッと立ち上がると、
「また同じ目に遭うのは嫌だし、それこそ次は横取りされるでしょうね」
右手に握るフランベルジュに強い魔力を込めた。剣に炎が舞い、それは勢いよく立ち上がる。薄墨色(はいいろ)の雨を溶かしながら、
「中途半端な魔力じゃ足りない。全力で消滅させてやる」
轟轟とした炎を噴かせる剣を横手に構えた。
雨水に溶け込んだ魔女は、どこにいるのか分からない。また足元から襲ってくるかもしれないし、背後を取られるかもしれない。いや、あの魔女はその気になれば、降り注ぐ雨のひと粒ひと粒からも姿を現すかもしれない。水という水すべてが、魔女の身体だと考えてもいい。
しかし那月は、そのすべてを捉えようとしていた。
右手に剣を握り、左手を上にかざす。瞬間、空間が歪み、魔力がうねる。
「はぁぁぁっあ!」
裂ぱくの気合で振りかざした左手が放つのは那月の異質な魔力、観念動力(テレキネシス)。意思の力で物体を動かす能力だが、その対象は『個』ではなく『全』に向けられた。結界を埋め尽くす雨水『すべて』を持ち上げてみせた。
「な、なんて魔力の使い方をするんだ。空間内の液体をすべて念動させるなんて……!」
キュゥべえの驚きは当然だった。物体を動かす観念動力の域をはるかに超える強大な魔力。魔女の結界内に『溜まりに溜まっていた水』すべてを持ち上げ、空中の一点に大きな水の球体を作り上げた。どこかに潜んでいる無楯の魔女も、あの中に押し込められているに違いない。
「どこにいるかわからないなら、いる場所を限定させればいいんでしょ? そして……」
那月はギリっと空を見上げ、今度はフランベルジュを握る右手に魔力を集中させる。
「刃で斬れない、炎で焼けないなら、丸ごと蒸発させてしまえばいい」
フランベルジュが燃えたぎる。剣に炎が集約され、刃は白い輝きを放った。摂氏数千度にもなるであろう熱を帯びた細剣が、那月の手に握られていた。あまりの高熱で、周りの空気が歪んで見える。
那月は高く飛び上がると、雨水の球体に向けて白熱の刃を振るった。超超高熱の一振りで液体は沸点を超え、気化した水蒸気すらも跡形なく消し去る。くぐもった断末魔の叫びが響き、そこで戦いは決着した。
魔女の消滅で、結界が解かれる。ゆらゆらと、ふわふわと、まぼろしが消えていくように、辺りは降り止まぬ土砂降りの街へと戻っていった。これであの女の子も、魔女の口づけから解放されるはずだ。
那月は足元に転がった嘆きの種(グリーフシード)を拾い上げると
「無楯の魔女……コイツも違った」
と呟いた。そして路面に突き刺さった青黒い槍を抜く。先端の丸い円から十字が伸びる、細くて寒々とした槍。その冷えびえとした感触が身体を駆け抜けると、ゾクっとした悪寒に襲われた。
「またあのキテレツ女……」
その悪寒を払いのけるように那月は槍をビュッと投げた。尖った穂先が空気を切り裂き突き進む。矢のように飛ばした先には
「最後のは見事だったわ」
それを片手で受け止めて、衝撃を吸収するようにクルクルと槍を回した魔法少女。
「でも、力の使い方が下手ね。あなた魔力は強いけど、そんな戦い方をしているとすぐに『堕ちる』わよ」
蒼ユリ。相変わらず高慢なヤツだ。
「アンタの指図は受けないわ。今回はちょっぴり助かったけど、余計な手出しはいらないって言ったでしょ!」
「那月!」
蒼ユリの高飛車な態度にイラついている那月は、キュゥべえの静止を振り切って続けた。
「だいたい、アンタはどうして私に付きまとうのよ。アンタは見滝原の魔法少女でしょ? 自分の街で遊んでいなさいよ。それとも人助けが趣味かしら?」
「威勢がいいのね。私はあなたに興味があるのよ。あなたの力に興味があるの」
「ハッ! 私はアンタに興味はないわ。これ以上付きまとうっていうんなら、アンタも狩ってあげましょうか?」
「あら、本気で言ってるの? どうせ儚いその生命、ここで絶ってあげてもいいのよ?」
蒼ユリが、薄ら笑いを浮かべて那月を見下ろす。那月は地に立っていて、蒼ユリは道端に立つ電柱の上にいるので、見下ろされているのは間違いなかった。しかし那月が感じていたのは、もっと高いところから見られているような、自分が遥か高いところを見上げているような、そんな感覚だった。
手が、震える。
膝が、震える。
那月は本能で察していた。コイツは強い。いや、強いなんてレベルじゃない。魔力の桁が違う。次元が違う。世界が違う。
たしかに那月の炎の魔力は強い。観念動力も強い。おそらく、魔法少女の中でも突出した才能と能力を秘めている。が、蒼ユリの魔力は何かが違う。見えない力に圧倒される。見つめられるだけで、恐ろしさのあまりひざまずきそうになる。
魔法少女としてのスペックを比べたときに、自分の力を百としたら、蒼ユリは千か万か。それくらいのイメージだった。
あの薄ら笑みを浮かべる眼は、蟻を見下ろす巨象だ。兎を追い詰める獅子だ。那月がいくら全力で抗ったところで、窮鼠が牙を剥くことはできても、一匹のネズミは象を噛み殺すことなどできない。あっという間にその巨体に踏み潰されて、屍となるのがオチだ。
那月はそれを本能で悟ったが、感情で抗った。
震える身体をグッとこらえ、右腕に魔力を込める。手には炎のフランベルジュ。無楯の魔女を倒した全力の炎で、この高慢な女(ヤツ)に一矢報いてやる。
「ネズミだって、象に傷を負わせるくらいできる!」
「ダメだ那月、君には敵いっこない」
――蒼ユリには、手を出さない方がいい。
とキュゥべえは言っていた。那月も本能では「勝てないかもしれない」と感じている。でも「勝てない」としても「負けたくない」感情が突き動く。なぜだろう……コイツは敵ではないが、同じ魔法少女なのに相容れない。あの高慢な態度も、高飛車な物言いも、氷のように凍てつく瞳も、何もかもがシャクに障る。
「見てなさい、その余裕たっぷりな顔に吠え面かかせてあげるから」
那月はダッと地面を蹴り、一瞬で蒼ユリの懐に斬り込んだ。
続く