フォフォイのフォイ   作:Dacla

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入学前
死日和


 彼女は睨んでいた。青空に刺さる煉瓦の煙突を。

 指揮棒のような「魔法使いの杖」を握る手にも力が籠もる。すでに二度、彼女はその「魔法」に失敗している。もし三度目も失敗したら、すぐにその場を立ち退かされてしまう。

 煙突に向けて杖を振り、彼女は叫んだ。

「インセンディオ!」

 煙突の先から勢いよく炎が吹き出した。

 

「おめでとうございます! 素晴らしいです」

と、脇にいるアトラクションのスタッフが声を上げた。

 三度目の正直で「魔法」を成功させた彼女が、得意げに振り返った。俺はその笑顔をスマホの画面に納めた。

「撮ってくれた?」と彼女。

 もちろん、とスマホを見せつつ、次の順番を待っていた小学生に場所を譲る。

 

 大阪、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン。映画『ハリー・ポッター』の世界を模したエリアは、この日も盛況だった。

 連休を利用しての大阪旅行でUSJを訪れたのは、彼女たっての希望だった。大阪城と新世界くらいしか観光先を思いつかなかった俺も、異論は無かった。紳士のテーマパークこと飛田新地に行きたいとは、さすがに交際相手の女性には言えない。

 

「見てるだけじゃつまらないでしょ。次のポイントは代わりにやってもいいよ」

 はい、と杖を差し出された。屋外型アトラクション「ワンド・マジック」専用の杖は、お値段四九〇〇円。高い。

「いいよ、俺は」

 往来で棒を振って魔法ごっこをするのは、三十も間近の男には気恥ずかしい。

「だったら何か乗りたいの、ある?」と今度は園内マップが広げられた。

「フライング・ダイナソー乗りたい」

「ハリポタエリアで、何か乗りたいの、ある?」

「……何でもいいよ」

 

 彼女は『ハリー・ポッター』シリーズの熱烈なファンだった。俺が映画第一作でリタイアしたと知るや、旅行前の予習と称して、原作小説と映画ブルーレイの全巻をまとめて押しつけてきた。

 不遇な環境で育った少年ハリー・ポッターが、魔法使いのための学校、ホグワーツに入学してから経験する、ダークでシニカルでスリリングな青春物語。

 世界的にも人気な物語だが、俺には今一つ主人公に感情移入できなかった。予習も、旅行出発日の前に早送りと流し読みで消化しただけだ。お陰で寝不足だ。

 

 日中いっぱいをUSJで過ごし、夜にはのぞみで東京に戻った。アパートに荷物を置いて、友人宅にバイクで駆けつける。

 旅行帰りに慌ただしいことだが、仕方ない。友人からただならぬ様子の連絡を受けていた。なんでも、妻子が実家に帰っている間に相談に乗ってほしいということだった。

 しかし直に話を聞いてみると、「妻が不倫しているのを知ってしまった。どうしよう」という相談だった。

 知るか。俺は独身だ。

 

 気の利いたアドバイスが出来ない分も愚痴を聞き、友人宅を引き上げた頃には日付が変わっていた。

 思ったよりも消耗したのか、バイクを転がしながら意識が途切れそうになった。一瞬眠りかけたと気付いた時には遅かった。

 目の前に黄色い光。衝撃。

 見えない巨人に体を吊り上げられ、振り回され、叩きつけられた。

 痛みを感じる前に何もかも消えた。

 

          ◇

 

 目を開けると、柔らかな光が見えた。

 レースのカーテン越しに差し込む日光が、白い天井を照らしている。肌に当たる布の感触が心地よい。

 どうやら俺はバイク事故を起こして、病院に運び込まれたらしかった。最後に見たものから想像するに、交差点出口に設置されているライトか、その手前のクッションドラムに衝突したのだろう。

 

 誰も巻き込んでいませんように。

 バイクはどうなった。

 保険の書類はどこだ。

 職場に連絡、は、状況を聞いてからにしよう。

 ――というか、今は何日の何時だ。

 

 身を起こしてナースコールのボタンを探した。

 そこは病室というより、老舗ホテルの客室に近い雰囲気の部屋だった。ベッド横のサイドテーブルには水差しとグラス。磨き上げられた木の床の上の分厚い絨毯。木目まで黒光りした壁際のワードローブや書き物机。アンティークな柄の壁紙に掛かった、立派な額縁の洋画。

 

 肝心のナースコールは見つからず、裸足のままベッドを下りて扉に向かった。痛みは無かった。事故でアスファルトに叩きつけられたはずなのに、怪我一つ無かったとは奇跡だ。ただし、感覚と動作のずれに違和感がある。

 その時、扉が向こうから開いた。

 

 ドアノブよりも背の低い、二足歩行の生き物がそこにいた。

 大きな目と視線が合った。見開かれた目は顔の半分を占めるほど。無毛の頭から飛び出した耳が尖っているのもあいまって、チワワを連想した。人間だとしたら大変申し訳ないが、人間ではない醜い生き物に見えた。ヨーダかゴラムか。目が大きいからゴラムだな。

 

 俺が一歩踏み出すと、相手は荷物を放り出して廊下に飛び退った。

「奥様、坊ちゃまがお目覚めになりましたよ。奥様!」

 甲高い声を上げて、その生き物は一瞬で姿を消してしまった。

 

 開いたままの扉から、俺も外に顔を出してみた。

 長い廊下。やはり大きな建物のようだった。そこかしこに俺のいる部屋と同じ木の扉が付いているから、ホテルじみた印象は変わらない。しかし非常口を示す緑色の表示や、非常ベルの赤いランプといった、公共施設にあるべきものは見当たらなかった。

 

 俺は足元に落ちている服を拾った。せっかくアイロンが掛かっていたのに、ゴラムもどきが放り投げたせいで乱れてしまった。畳み直して、いつも服をしまってあるワードローブの中の棚に収める。

「ん?」

 他に収納家具は無いから、ワードローブに片付けるのはおかしくない。それでもなぜ俺は、そこが「服をしまう場所」だと確信できたのだろう。

 

 自分を取り巻く環境に不審を覚えて頭を振ると、横に誰かがいた。

「うおっ」

 気配もなく隣に立たれたことに驚くと、相手も同時に身じろいだ。よく見ればそれはワードローブの扉の裏に取り付けられた鏡だった。つまり隣にいると思ったのは、鏡に映った俺自身だ。そのはずだが、鏡の中にいたのは見知らぬ白人の少年だった。

 

 小学校中学年くらいだろう。淡い色の金髪に、薄い灰色の瞳。不細工ではないが、癇の強そうな、憎たらしい顔をしている。アラブ人の着る服のようなゆったりした白い寝間着を着ていて、肌の生白いもやしっ子ぶりが際立つ。

 髭の感触がない自分の顎を撫でると、鏡の中の少年も尖りぎみの顎を触った。

 

 俺の両親は日本人だ。祖父母も曾祖父母も、それ以前の代も、ずっと百姓をやってきたような日本人だ。当然俺も黒い髪に黒い目のモンゴロイドなわけで、コーカソイドでございと主張するような外見ではない。そもそも子供に若返るわけがない。

 しかし俺は、鏡に映る姿が今の自分だと理解することで、逆に落ち着いた。要するにこれは他人になった夢だ。現実の俺はきっと、バイク事故からまだ目を覚まさずに昏睡している。

 夢の中で夢を見ていると自覚する状態を、明晰夢という。これまで何度か体験したことはある。夢の状況をコントロールできたことはないが、状況を楽しむことはできる。

 

 ――よし、夢だ。

 

 まもなくして、一人の女性がガウンの裾を翻して部屋に飛び込んできた。やや険があって神経質そうだが、まず美人と言える金髪の白人女性だった。

 女性は、俺を見るなり上から覆い被さるように抱きついてきた。

「ああ、目が覚めたのですね。良かった。あなたは丸一日ずっと眠っていたのですよ」

「何があったんですか」

 俺は「母親」に尋ねた。その女性が少年の母親であるという認識(夢の中の設定というべきか)は、なんとなく浮かんでくる。たとえそれが無くても、女性が少年の額や頬に触れる時の仕草で分かる。

 

「覚えていないのね。あなたは昨日、杖を握った途端に卒倒したの。どこか痛いところはない? 気分はどう? お母様に教えて」

「大丈夫です。苦しいので放して下さい」

 少年の母は、息子を解放する代わりにベッドへ押しやった。

「顔色は良いようだけど、先生が診て下さるまでまだ寝ていなさい。アビー!」

「はい、奥様」

 女性の呼びかけに応じて、先ほどのゴラムもどきが現れた。

 

「すぐにカンフォラ先生をお呼びして。それからスープか何か、消化の良い物を持ってきてちょうだい。ああ、まずは紅茶かしらね」

「かしこまりました」

 恭しく一礼した後、アビーは戸口近くの床を見回した。

「服ならしまったよ」

 

 俺が告げるなり、アビーはワードローブに飛びついた。そして中の棚を見て叫んだ。

「何ということを! 坊ちゃま、なんということをなさるのです。アビーの仕事を奪われるなんて!」

 その剣幕に思わず「ごめん」と謝ってしまう。相手の金切り声はますます甲高く耳障りになった。

「ハウスエルフに謝られた! 奥様、坊ちゃまはご病気でいらっしゃいます!」

「アビー。命じられたことを早くなさい。罰を受けたいの?」

 女主人の冷ややかな声に、アビーは落ち着きを取り戻した。改めて一礼すると姿を消す。

 

 女性は溜息を吐き、俺に目を向けた。

「主人たるもの、ハウスエルフの仕事を奪ってはいけませんよ。自分で服を片付けてしまったのは、彼らの存在意義を否定したに等しい行為です。あなたも理解していると思ったけれど」

「気を付けます」

 女性や俺の意識が乗っている少年は主人で、アビーは使用人。階級や身分差という、現代日本では意識する機会のないものが、ここでは絶対だった。昔のヨーロッパの貴族みたいだな、と思った時に気付いた。

 俺たちは最初から英語で会話していた。

 

          ◇

 

 夕食には、俺の意識が乗った少年とその両親の、家族三人が揃った。

 

 この建物は富裕層向けの病院でもなければ、老舗のホテルでもない。少年の生家だった。日本のテレビに登場する「豪邸」などお呼びでないほどの屋敷であることは、食事前に探険して確認した。

 例えるなら『ゴスフォード・パーク』や『日の名残り』の世界、『キングスマン』の本部。日が落ちてからの雰囲気は『ロッキー・ホラー・ショー』じみたところもある。要するに貴族の住むような邸宅だった。

 

 そこの主人である男性も貴族的な雰囲気があった。

 綺麗に撫でつけたプラチナブロンドの髪と、灰色の薄情そうな目。鏡の中に見つけた少年とよく似た顔立ちで、親子であることは明らかだった。

 その冷たい目がこちらを――彼の息子をじっと見据えている。食事がしづらい。

 

「それでカンフォラは何と?」

 尋ねた父親に、母親が医者の見立てを伝える。

「体は健康そのもの。倒れたのは、初めて持った杖から魔力の反動を受けたことに対する過敏反応で、間違いないそうですわ」

 

 そう、魔力だ。

 日中に往診に来た中年男性は、指示棒のような物(この夢では「杖」と呼ばれるらしい)で少年の体を撫でた。体調を調べるにあたり、「杖で魔力の流れを探る」ためだそうだ。その後の問診で、てんかんや脳出血の可能性も疑っていたので、男性が単なるスピリチュアル系ペテン師だったとは言い切れない。付き添っていた少年の母親が平然としていたので、この夢ではそれが常識なのだろう。

 

 だいたいこの家庭からして奇妙だった。

 人間ではない生き物を使用人として使っているのもそうだし、屋敷には電化製品やコンセントが見当たらなかった。服装にしても、どこがどう変とは指摘できないが、女性も男性も(そして寝間着から着替えさせられた俺も)時代錯誤な印象を受けた。それがこの屋敷では当たり前だということは、少年の「記憶」から読み取れた。

 それなら時代劇の夢を見ているのかと、居間に置いてあった新聞(当然ながら英文だった)を見たら、日付は一九九〇年の六月。九〇年といったら、東西ドイツが統一した年とか、ソ連でゴルバチョフが大統領になった年とか、現代史的にはその辺りだったはず。日本ではバブル経済が崩壊する寸前だ。

 なのに手元の新聞に掲載された男性の写真は、人物部分が身動きしているように見えた。その動きは滑らかで、シート状の液晶で動画をループ再生しているとしか思えなかった。

 年代設定と技術水準がちぐはぐすぎる。

 だが夢には夢の理屈がある。今のところ、無理にその理屈に逆らう気はない。夕食に出された鴨のコンフィが旨いので、逆らう理由もない。

 

「その過敏反応というのは一生続くのか」

「一過性の反応だそうで、杖に慣れてしまえば問題ないというお話でした。カンフォラ先生も、次に杖を持たせる時だけは立ち会いたいそうです。そこで何もなければ、普通に魔法を使わせても大丈夫だと」

「魔法が使えないわけではないのだな」

 父親はワインを口に運んで、深く息を吐いた。

「ならば良い。来年には学校に上がるというのに、マルフォイ家とブラック家の血を引く男児がスクイブだった、では洒落にならん」

 

 聞き覚えのある単語に、俺は噎せそうになった。

 日中から何度も呼ばれていた少年の「ドゥレイコゥ」という響きの名前を、「ドレイク」だとばかり思い込んでいた。しかしそれがマルフォイという家名と結びつくなら話は別だ。カタカナ表記では「ドラコ」が正解だったのだ。

 ドラコ・マルフォイ。すなわち『ハリー・ポッター』シリーズの登場人物。主人公ハリーの同期生で、何かとハリーに突っかかる小物の悪役。それが、この夢の中で俺に与えられた役割だった。映画を吹き替えで見たせいで、正しい発音を知らなかったのが勘違いの元だったな。

 俺の意識が乗っている少年がドラコだとしたら、男性はその父親のルシウス・マルフォイ、女性は母親のナルシッサ・マルフォイということになる。

 

 どうでもいいことだが、この屋敷に電化製品が存在しない理由も判明した。『ハリー・ポッター』における魔法使いの暮らしが、そういうものだからだ。時代錯誤だと感じた服装は、いわゆる魔法使いの伝統的な服装、ローブだった。

 もちろん屋敷の外に出れば、そこには普通に九〇年代のイギリスの社会が広がっているだろう。多くの人々に隠されているだけで、現代社会にも魔法や怪物は存在する。それが『ハリー・ポッター』の基本設定の一つだ。

 

「大丈夫か、ドラコ」

 先ほどより和らいでいる男性の目を見返し、俺は慎重に質問を選んだ。

「父上、学校というのは、もしかしてホグワーツですか」

「そうだ。だがホグワーツが嫌なら他校でも構わん。ダームストラングはどうだ。少し遠いが、良い学校だぞ」

「私は反対です」

 いきなり女性が会話に割り込んできた。

 

「ダームストラング校は海外です。遠すぎます。言葉も違いますし、食事が合わなかったり苛められたりしたらどうするのですか」

「心配性だな、ナルシッサ。あそこの校長は知り合いだ。ドラコに目をかけてくれるように頼めばいい」

「毎年クリスマスカードをくれるカルカロフさんね。けれどホグワーツにだってセブルスがいるわ。私たちも卒業生だから学校の勝手は知っているし、何かあればすぐに駆けつけることもできます。安心ですよ」

「ホグワーツの校長はダンブルドアだ」と、男性は忌々しそうにナイフを動かした。「あの老いぼれが校長である限り、良い教育環境とは言えん」

 夫の反論を、妻は笑い飛ばした。

「それならあなたが理事か監査役になって、ドラコのために環境を整えて下さいな。今でさえクィディッチチームの面倒を見ていらっしゃるのだから、不可能ではないでしょう。それとも、OBとして後輩の面倒を見る時間はあっても、息子のために使う時間はお持ちでないのかしら」

「チームの後援は卒業生としての援助範囲だ。学校運営まで関わりたくない」

「ですが国内の魔法使いのほとんどは、ホグワーツ出身ですよ。将来のことを考えたら、ドラコには国内の学校に行かせるべきです」

 

 男性は不意に俺のほうを向いた。「ドラコ。おまえはどうしたい」

 俺は口の中の物を飲みこむ間に考えた。

 

 二人の会話に登場した固有名詞からしても、この夢が『ハリー・ポッター』の物語を下敷きにしていることは間違いない。

 物語の大部分は、主人公が在学するホグワーツの校内で展開する。身の安全や心の平穏を求めるなら、物語の舞台から遠ざかるのも手だろう。

 

 ただし、それは俺の役回りがドラコ・マルフォイではない場合の話。

 

 原作では、父親のルシウスが主人公の宿敵ヴォルデモートの部下だったため、物語後半ではドラコも悪の手先として散々にこき使われる。

 部下の面倒見が良いタイプのボスだったら、まだ良かった。だがヴォルデモートは、恐怖と暴力で支配するタイプの暴君だ。下手を打てば殺される、不興を買えば殺されるという危機感で従っていた部下が大半だった。もっとも、従わずに抵抗しても殺されるのだが。

 そんな中、マルフォイ家の三人が最後まで五体満足に生き残れたのは、他のキャラクターと比較しても奇跡だった。かつて裏切った主との縁を切ることができずに、パワハラを受けて萎縮していく父親。自分と家族の命を握られ、父親の代わりにヴォルデモートに顎で使われる息子。家族のためにヴォルデモートを欺き、結果的に主人公の逆転勝利のチャンスを作り出した母親。三人とも、いつ死んでもおかしくないポジションにいた。

 

 おっと。物語の結末に思いを馳せるのは気が早いな。

 とにかく、ドラコというキャラクターが物語と無縁でいることはできない。父のルシウスがボスと距離を置いたところで、母ナルシッサに、ヴォルデモートに心酔している姉がいるからだ。二人の息子である以上、どこにいてもヴォルデモートの影響を受ける。

 

 それなら与えられた椅子を蹴っても仕方ない。この役どころを選んだのは、無意識とはいえ俺自身だ。だからこう答えた。

「ぼくもホグワーツがいいです」

 どうせ夢なら、舞台上の特等席から楽しんでやろう。

 




Bathory "A Fine Day to Die"

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