フォフォイのフォイ 作:Dacla
書斎の扉は細く開いていた。
部屋に近づくと、中から「さて」と父上の大きな声が聞こえた。
「ドラコが来る前に、きみの秘密の話を聞こうか」
俺は仕方なく扉の脇に立ち止まった。
「うちの息子に関わることで、何か気になる点でもあるのか」
傲慢そうな物言いが鼻につく父上の声。それに応えるスネイプの声は、低く柔らかい。
「ドラコが親しくしているという、飛行の家庭教師のことです。マルフォイ家の跡継ぎにマグル製品を買わせるというのは、些か配慮に欠けているようなので」
俺は新聞を脇に挟んで腕を組んだ。ドラコの中身が怪しいという話ではないのか?
「以前のナルシッサなら、マグルの物など手も触れなかったでしょう。それを承知しているはずのドラコが、わざわざマグル製品を買ってくるというのも奇妙です。二人はよほど家庭教師を信頼しているようですな。ルシウスはどう考えますか、その人物について」
「指導の場には立ち会っていないから、教えかたについては何とも言えん。教わっている本人に不満はないようだな。それに私もナルシッサも、彼には感謝している。彼が来てくれたお陰で、ドラコは悩み事の一つから解放された。それを考えれば恩人と呼んでもいいくらいだ。マグルの店で買い物をさせたくらいで、目くじらを立てる気にはなれん」
父上自身が、非魔法界を知れと推奨しているくらいだ。表向きはともかく、問題視すべきことはない。ルシウス・マルフォイをマグル嫌いだと思っている者からすれば、俺の、ドラコ・マルフォイの行動は無神経に映るだろうが。
やや間を置いてから、スネイプの声は遠慮がちに切り出した。
「マグル文化への傾倒。家と親への反抗心。いずれも思春期にはつきものです。ただドラコの立場を考えると、どこかで止めてやるべきでしょうな。子供が新しい世界に夢中になるのは当然ですが、そこにつけ込まれて思想的な誘導をされる恐れがあります」
「菓子を買ってきたくらいで大袈裟な」
「先ほどのプレゼントの件だけではありません。今年はクリスマスカードがドラコ個人から送られてきました。親離れの一環でしょうが、誰かの影響を受けたせい、という可能性もあるわけです」
父上が鼻で笑った。
「心配してくれるのはありがたいが、牽強付会が過ぎないか」
「根拠がまるで無いわけでもありません。私の学生時代の知り合いに、魔法界の歴史を背負う旧家に生まれながら、それを足蹴にした男がいましてね。マグルの格好をして、マグルの乗り物を乗り回して。今思えば、親に反抗するためにわざとそう振る舞っていた部分もあるでしょう。
奴は今、アズカバン刑務所にいます。奴が死ねば喜ぶ人間が大勢いるという点で、これから一つ善行を積むことが確定しているのは羨ましい限りですな」
スネイプの言っているのが誰なのか、何となく分かった。
「その男は、何をして捕まったのかな」
「仲間のろくでなし連中を裏切りました。親友と呼んでいた男とその伴侶を敵に売って死なせた揚げ句、追ってきた別の仲間と近くにいた大勢の人間を爆殺しました」
「控え目に言って極悪人だな。妻の親戚のことを悪く言いたくはないが」
名前こそ出ないが、やはりシリウス・ブラックのことだ。原作知識がなくても、ドラコ本人でも察しただろう。なにしろシリウスは母の従弟だ。
「ドラコなら奴のように道を誤ることはないでしょうが、気には掛けておいて下さい」
「善処しよう」
父上が少し声のトーンを変えた。
「それで話を戻すが、ドラコのお気に入りの家庭教師をいきなり遠ざけるわけにもいかん。今のところ、その家庭教師が何か示唆したという証拠はない」
スネイプの声が、ゆっくりと、考えながら応えた。
「では、とりあえず促すのはドラコ本人の自覚でしょうな。今のあの子の知り合いは身内ばかりです。よその人間と接触して、マルフォイ家が魔法界でどう見られているかを知るべきでしょう。知り合いが増えて友人が出来れば、それが子供にとっては新しい世界の入口となります。相対的に特定の人物への依存度も下がるはずです。結論としては、同年代の子供達と交流する機会を設けて下さい」
「同年代など、学校に行けばいくらでも交流できるだろう」
「それまでは知り合いも不要だと? たとえ寮が違っても、入学前からの友人がいれば心強いですよ」
「そうか。まあ、今のドラコの友人は、限られているからな」
父上の相槌を最後に、部屋からは声がしなくなった。
話は終わりか。その場を退こうとした時、ドアが大きく開いてスネイプがぬっと顔を出した。
「やあ、ドラコ」
「どうぞ。古新聞です」
「ありがとう」
彼はじっと俺を見下ろした。黒い、昏い目は、不思議と嫌な感じはしなかった。
「ドラコ。きみに親しい友人はいるか?」
俺は目の前の人物を指差してやった。すると彼は「私か?」と面食らった様子で声を上げた。
彼の後ろで父上が笑い出した。「そうか。セブルスが友人か。それはいい」
スネイプも仕方なく苦笑した。
◇
翌日、俺は真っ白な庭で雪だるま作りを始めた。
雪だるまの目鼻用にと、ドビーが人参や木の枝を持ってきてくれた。ボクシングデイだから仕事はしなくて良いと俺が言っても、笑って取り合わなかった。彼に言わせれば、「休みだから息をしなくていいと言われて、息を止めていられるか」ということだそうだ。
雪玉を大きくする作業も魔法で肩代わりしてくれようとしたが、それは断って屋敷に戻した。
それから少し経って、屋敷から来る人影が見えた。
白い景色から拒否されたような黒い痩身。原作で「育ちすぎた蝙蝠」と称された、スネイプだった。雪面に触れているローブの裾が、濡れもせずに軽やかに翻っている。防水呪文を使っているのだろう。その薄着ぶりに、長靴とコートで防寒している俺のほうが馬鹿らしくなった。
「ナルシッサから伝言だ。お茶にするから適当なところで戻ってこいと」
「お客を伝言係に使うとは、母上も酷いですね」
「なに。私も人の家でやることがなくてね」
「でもこれがね」俺は傍らの雪玉をぽんと撫でた。転がしている最中の雪玉は、まだまだ小さい。
「分かった。手伝ってやるから早く仕上げろ」
「魔法は使わないで下さいよ」
俺が言うと、彼はにやりと唇の端を引き上げた。
さすがに大人の力を借りると作業の進みが早い。まもなく雪だるまが――日本の二段重ねではなく欧米の三段スノーマンが――できあがった。
「さあ戻るぞ。あまり遅いとナルシッサに文句を言われる」
地面に放り出してあったマフラーと帽子が、雪を払ってから差し出された。
「セブルス小父さん。小父さんから見て、ぼくは変なことをやっているように見えますか」
クリスプスの詰め合わせは迂闊だったと、昨夜から反省している。
「奇矯とまでは断言できない。ただ私は普段きみより少し年上の子供を大勢見ているから、些細なことでも色々と考えてしまう。心配性だと人には笑われるがね。去年会った時と比べると、きみの様子が随分と違うから、何かあったのかと思ったんだ」
俺は少し考えて告げた。
「父上も母上も小父さんに話していないと思いますが、今年の誕生日に、母上の杖を貰いました。なのにいくら教えられても魔法が使えなくて、数ヶ月それで悩んでいました。スクイブだったら一人でどう生きていこう、非魔法使いの学校に転入させてもらおうかと、あれこれ考えました。その間にぼくの考え方も、ぼくを見る親の目も変わったのだと思います。
飛行術の先生は、魔法を使えるようになったきっかけを下さった方です。ぼくも両親も先生にはとても感謝していますし、先生を警戒する理由はありません。小父さんも心配しないで下さい」
「そうか。それならいい」スネイプは屋敷のほうに目を向けた。「お父上もお母上も、私にとっては大事な友人だ。もちろんきみも。友人が悲しんだり困ったりするようなことになってほしくないと思ったが、出過ぎたことだったな」
だが一つだけ、と彼は付け加えた。
「ドラコもこれから色々な種類の人間と出会うだろうが、全員が善人とは限らない。ルシウス・マルフォイの息子であることを少し意識したほうがいいだろう。今はご両親が守ってくれるだろうし、ホグワーツでは私もできる限り気を付けておくが、それでもだ」
そう言うと、彼は屋敷に向かって歩き出した。
俺はまたしても考え違いをしていたようだ。
原作で、スネイプはこれ見よがしにドラコを贔屓してみせる。ドラコというよりその背後のルシウスとの関係を良く見せようとするのは、血筋を重視するスリザリンの学生への睨みを利かせるため。ルシウスがスネイプの校内での立場を強化しようと動くのも、ダンブルドアの力を削いで、自身の影響力を増すため。そうした打算に基づく友情だと思っていた。
だから原作後半で、ナルシッサに懇願されてドラコを助けるとスネイプが誓ったシーンは意外だった。その時点ではルシウスは発言力を失っていて、スネイプがマルフォイ家に手を貸すメリットはなかった。後々の展開を観て、その誓いが「いずれスネイプがやらなければならない汚れ仕事」と矛盾していないから平気だったのだろうな、と結論づけたものだ。
しかし、この夢で彼らの関係はもっと温かいもののようだった。
仕事上がりにそのまま屋敷に来たというスネイプは、昨夜は居間のソファで爆睡していた(後で自分で起きて客室に上がっていった)。今朝、父上と母上が交わした会話を彼は知らないだろう。
『セブルスはかなり疲れているみたいね。ホグワーツのクリスマス休暇っていつまでかしら。遠慮しないでもう何泊かしていってもらいましょう』
『きみからそう言ってくれるのはありがたいが、それはそれで、あいつも気疲れするだろう。普段は人に囲まれている分、たまには独りでゆっくりしたいと思うぞ。まあ、誘ってはみる』
『そうしてちょうだい。寮監のお仕事って忙しいんでしょうね。前に会った時より痩せた気がするわ』
『ああ。よく続いているものだ。辞めたいなら一言そう言ってくれれば、良い勤め先を用意してやるのにな。本人に辞める気がないから、ささやかな支援しかできない。しかしセブルスが痩せたとしたら、きみが以前、年齢の割に貫禄が付いたと言ったからじゃないのか』
『いやだわ。太ったという意味ではないのに』
彼らが打算抜きの友人であるなら、スネイプにも、俺のことは知られたくない。友人夫婦の息子の中身が赤の他人だと知ったら、普通は悩むだろう。悩んだ揚げ句、マルフォイ夫婦にドラコの真実を打ち明けられては困る。かと言って、二人に打ち明ける前によそに相談されるのは、もっと困る。
さくさくと雪を踏む黒い背中に呼びかけた。
「セブルス小父さん」
「ん」
「ダンブルドアは二十世紀で最も偉大な魔法使いだったと聞きますが、今でもそうですか」
「ああ。現役では最強と言ってもいいだろう。お父上には言うなよ。ルシウスはダンブルドアをとても尊敬しているから」
「政敵としてね」
スネイプはやはりダンブルドアに近い。父上の感情などどうでもいいが、俺にとってダンブルドアは警戒すべき相手だった。
原作のダンブルドアは、対象者の意識の中の光景を垣間見る魔法、開心術を得意としていた。きっとこの夢の中でもそうだろう。もし俺に開心術を掛けたら、そこで『ハリー・ポッター』シリーズのワンシーンを視る可能性は十分にある。たとえ光景の中の登場人物が映画の配役のままでも、状況から「未来の出来事を知っている」「当事者しか知らない秘密を握っている」と解釈するかも知れない。それができるだけの知恵を与えられた人物だ。
彼はハリーでさえ、ヴォルデモート打倒のための道具と割り切っていた。マルフォイ家の小倅に「未来」の記憶があると分かれば、遠慮無くそれを活用するだろう。しかもドラコはハリーと同学年で、デスイーター関係者。絶好の飛び道具だ。俺のことを知られたら最後、スネイプに続くダブルスパイとして使われかねない。
一方、ヴォルデモートも開心術の強力な使い手だった。疑り深く、部下相手にも容赦なく開心術を使う。復活した後にドラコと接触する機会も多い。俺の心が読まれたら、本当なら知り得ない情報を握っている危険人物として始末されるのは間違いない。
だから俺は、絶対にダンブルドアとヴォルデモートに疑われてはいけない。二人の腹心を同時に務めるスネイプにもだ。俺の相手は作中最強格の三人というわけだ。
「きついな」
思わず漏らした独り言にスネイプが振り返った。
「何か言ったか?」
「いいえ。何も」
両親の愛に護られたこの箱庭世界は、ドラコに優しい。しかし一歩でも外へ踏み出せば、そこには厳しい社会が待っている。自分でどうにかしなくては。
Trivium "Silence in the Snow"