フォフォイのフォイ   作:Dacla

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青に騒ぐ・1

 魔法界という狭い業界の中には、「聖二十八氏」という括りがある。非魔法使いの血を入れず、純血の魔法使いのみで血脈を保ち続けているという旧家を認定したものだ。数十年前に提唱された呼び方だが、概念自体はそれ以前からあった。魔法界の伝統や歴史に価値を置く者にとっては、意味のある区分だ。

 ちなみにマルフォイ家は、現存する聖二十八氏の中で最も裕福な家の一つ、ということになっている。本当は魔法使いでない先祖もかなりいるが、表向きはうやむやにされている。

 

 さて、そこの一人息子が同年代と交流するために、ウィルトシャーの屋敷に「ドラコのお友達に相応しい」子供たちが集まった。

 

 ――額から広がる衝撃。

 鼻面めがけて俺が勢いよく頭を突き出すと、クラッブ少年はよろめいた。反撃される前に相手の腰にタックルを仕掛けた。重い体をどうにか押し倒して馬乗りになる。そして拳を握って、……知り合いの顔を殴るのは躊躇われたから平手で頬を叩いた。悲鳴が上がった。

 二発目を当てる前に横から体当たりされた。艶やかな緑。光る青。交互に視界を支配する。頬骨の辺りに衝撃。真上に巨体。芝生のちくちくとした刺激。今日は快晴だ。

 

 伸びてきた腕に顔横の地面を殴らせ、前腕に噛みつく。腕が怯んだ。その隙に尻を上げ、腹の上の巨体ごと体を捩る。相手の体がころりと転がる。ゴイル少年だった。俺は相手の腕を掴んだままマウントを取り返す。

 彼の胸倉を掴み、太い顎めがけて思いきり頭を突き出した。肉のクッションがあるせいか衝撃が小さい。もう一回。

 そこでドラコの軽い体は突き飛ばされた。草が口に入った。

 

 身を起こそうとすると、後ろから羽交い締めにされた。太い息が耳元に掛かる。

 その息の隙間から、「やれ、グレッグ」と、クラッブが低く言った。ゴイルが口を押さえながら立ち上がった。

 脇の下から両腕を固定されているので、正面から殴られることになっても避けようがない。後ろに頭突きしたくても相手は警戒していてチャンスがない。ゴイルがでたらめに振り下ろしてくる拳は遠慮がなく、何発かは骨に沁みた。

 

 俺は顔の両脇にあるクラッブの太い手をしっかり掴んだ。地面を蹴った。逆上がりの補助板の要領で、正面のゴイルの体を蹴り付ける。腹。胸。最後に顎を蹴り上げて、勢い余って頭から芝生に落ちた。首が痛い。

 起き上がろうと体を捻ると、足元に転がっているゴイルがいた。顎下から入った蹴りが効いたのか、立ち上がる気配がない。泣いていた。

 クラッブはまだ呆然としている。

「おい」

 俺が呼びかけると、はっと我に返り怯えながらも殴りかかってきた。避けて、脛を思いきり蹴った。少年はその場にしゃがみ込み、泣き出した。こちらも貧弱な脛を使ったからやっぱり痛い。というか全身痛い。

 

「何か言うことは?」

 尋ねてもクラッブとゴイルは鼻水を垂らして泣き喚いているだけだ。俺も垂れていた洟を服の袖で拭い、それが鼻水ではなく鼻血だったことに気付いた。

 

 断っておくが、ドラコの友人を拳で決める必要はない。母上が聖二十八氏の家の夫人を中心に招いた、和やかな茶会になるはずだった。

 

 ――始まりは確かに穏やかだった。

「こんにちは、ミセス・マルフォイ。本日はお招きありがとうございます」

「お待ちしていたのよ、ミセス・パーキンソン。それにパンジーちゃん。可愛いドレスね。ねえ、ドラコ」

「そうですね」

 茶会に招かれた名家の夫人とその子供が屋敷にやってくるのを、母上と俺でにこやかに出迎える。

 

「初めまして。ドラコです。今日は来てくれてありがとう、ミス・パーキンソン」

「パンジーでいいよ。あなたホグワーツに行くんでしょう? そうしたら同級生だもの。仲良くしましょ」

「そうだね。よろしく」

 パンジー・パーキンソンは、黒髪おかっぱの、なかなか勝ち気そうな子だった。容姿が犬のパグに似ていると原作では評されていたが、やや目が離れ気味なだけだ。

 

 まもなくブルストロード家の母娘も来て、親たちも娘たちもその場でそれぞれお喋りを始めた。

「そういえばナルシッサさん。今日は息子さんと同年代の子をお持ちの方にお声掛けされたそうですけど、ザビニさんもご招待されたの? あの方の今の名字はちょっと忘れてしまいましたけど、確か一人息子がいらっしゃいましたよね」

 客が声を潜めて尋ねるのに対し、母上は鷹揚に答えた。

「いいえ。皆様とはお話が合わないと思って、お呼びしておりません。裕福でいらっしゃっても、育ちが違いますもの」

「色々とお忙しいでしょうしね。ご主人がもう体調を崩されたと、風の噂で聞きましたよ」

「六人目ともなると要領がいいこと。こちらもお花を贈る準備をしておこうかしら」

 花と言っても病人への見舞いではなく、イギリスの葬式で香典代わりとなる献花の話だ。娘たちは自分たちの会話に夢中で聞いていないが、密やかであけすけな噂話にはらはらした。かといって、客への挨拶の場から逃げ出すこともできない。居心地の悪い場所で、俺はひたすら気配を薄くしていた。

 

 そこへ新たな客が到着した。

 よく似た二人の夫人が、これまたよく似た固太りの少年をそれぞれ伴っている。

「こんにちは、ミセス・マルフォイ。ドラコくんがヴィンセントとまた遊んでくれて嬉しいわ」

「お招きありがとうございます、ナルシッサさん、ドラコくん。ほら、お久しぶりですってご挨拶なさい、グレゴリー」

 母親に促されて、少年二人はのろのろと、または渋々と挨拶した。

「二人とも久しぶり。元気だったかい」

 俺が話しかけても、目も合わせないで菓子のある場所に行ってしまった。これが、原作ではドラコの取り巻きだった、ヴィンセント・クラッブとグレゴリー・ゴイルだ。

 

 この夢の世界でも幼い頃からドラコとは交流があり、俺も去年に一度、顔を合わせたことがある。その時はあれこれ喋りかけても反応が薄く、主体性のない無気力さが目に付いた。

 彼らの父親は、ドラコの父親の学生時代からの取り巻きで、デスイーターとしても行動を共にしていた。それが息子たちにも影響していた。二人は、マルフォイの息子の取り巻きになることを期待されていた。だからドラコと一緒にいても少しも楽しそうに見えなかった。

 原作のドラコなら、気にせずガキ大将になったつもりで二人を引き回しただろう。しかし俺は「遊びたい気分でないなら無理しなくていいよ」と、二人と会うのを止めた。それなのに今更また呼びつけたことに不満を持たれたのかも知れない。

 

「嫌な感じの子たち」とパンジーが呟いた。

「まあそう言わないでくれ。親の付き合いもあるから」

 

 その後まもなく客が揃い、母親たちは茶会、子供たちは広間で放し飼いになった。

 

 集団生活の経験が無いわりに、どの子もそこそこ社交的だった。しかしそんな中、クラッブとゴイルはゲームにも参加せず、ひたすら菓子や軽食を食べ続けていた。声を掛けても聞こえないふり。

「ちょっと、ドラコが話しかけてるのに何で無視してるの。さっきから感じ悪くない?」

と見かねたパンジーが声を荒げても、無視。

 

 そのうち庭に出て遊ぼうという話になった。クラッブとゴイルはそれも無視しようとしたが、俺が「いいから皆で行こう。二人だけ残っていたら変に思われるぞ」と宥めすかして連れて行った。庭でも、孔雀に群がる子供たちをよそに、二人だけは離れた所で立ち尽くしている。何が何でもこの家では楽しまないと決めているようだ。

 

「なあきみたち。べつにぼくと仲良くしてくれとは言わないから、他の子と遊んだらどうだ」

 そう話しかけると、二人は小さい目で睨んできた。

「楽しいか。新しい取り巻き候補を見せつけるのは」

「俺たちは取り巻きにはならない。おまえみたいな奴、家の力がなければ何も出来ないくせに」

「ぼくみたいな奴とは?」彼らの言いたいことは分かっているが、先を促した。

 

「細くて青白くて弱そうなくせに、女に囲まれて偉そうで。おまえ自身はちっとも偉くないんだからな。黒髪女がべったりしてるのだって、おまえの家に取り入るためだろ」

と、ゴイルが意外に早口に捲し立てた。

「偉そうに振る舞っているつもりはなかったが、気に障ったのなら謝ろう。でもだからって、関係のない人を悪く言うのは良くないな」

「へえ、庇うんだ」

「おっぱいでも見せてもらったんじゃないか」

 

 クラッブが笑いながら突き出した拳が、俺の鳩尾を直撃した。軽く背を丸めた俺を見て、ゴイルも嘲笑った。

「ほら、弱い」

 ドラコがもやしっ子であることは否定しない。代わりに言う。「彼女に謝ってくれ」

「は? なんで?」

とクラッブが耳に手を添えてみせ、ゴイルも言った。

「おっぱいじゃなくて、もっと凄い物見せてくれたって?」

 二人はくぐもった声で笑った。

 

「……いい加減にしろ、坊やたち」

 より近い場所にいたクラッブの襟首を掴んで、思いきり頭突きした。

 

 彼の上げた悲鳴に、孔雀の周りにいた何人かが振り返った。パンジーの驚いた顔もそこにあった。

 

          ◇

 

 体格だけは立派な二人は、最終的には涙と鼻水で顔を汚して降参した。

 

 やりすぎたかな、と冷静になった頭で反省した。体感時間でもう十ヶ月以上も「お行儀のいいお坊ちゃん」を演じてきて、ストレスが溜まっていたようだ。まさか自分から子供に喧嘩を売るとは思わなかった。

 まあいいよね。こちらも同じ子供だし。ドラコの非力さでは殴っても大したことないし(頭突きについては棚上げで)。むしろ一番痛手を負っているのは俺だし。

 

 頭の中で色々と言い訳した後、周りを見た。

 クラッブとゴイルを除く子供たちは、俺たち三人を遠巻きに眺めている。思わぬ乱闘に戸惑った様子だった。マクミラン家の少年だけは、にやりと口角を上げて俺に親指を立ててみせた。少し離れた所では小さな女の子が、姉と思しき少女に抱き付いて泣きじゃくっていた。

 

 俺は姉妹の前まで歩いていって、妹の後頭部に謝った。

「ごめんね怖がらせて。もう終わったよ」

「こっち来ないで」と姉が手で追い払う仕草をした。「妹はあなたの血を見て、痛そうだって怖がっているんだから」

「鼻血ならもう止まったよ」

「うわもう本当こっち来ないで。おでこ拭いて」

と、姉には追い払われた。

 

 姉が嫌そうに差し出したハンカチで額を拭うと、血でべったりと汚れた。頭突きの時に歯に当たって切れたのか。

「もうこれは返せないな」

「純血の血なんだから、きちんと処分して」

「了解」それなら新しい代わりのハンカチを買って返そう。「ところで失礼だけど、きみの名前をもう一度聞いてもいいかい」

 三組も四組もまとめて挨拶したので、恥ずかしながら確信が持てない。すると少女は露骨に顔をしかめた。

「呆れた。客の顔と名前も一致してないわけ? こんな野蛮人が聖二十八氏の家の子だなんて。信じられない」

「面目ない」

「べつにいいよ。私の名前なんて覚える価値もないでしょうよ、ええ。そのまま忘れて」

「ダフネ」と妹が泣きべそ顔を上げた。小学校低学年くらいだ。「お姉様はダフネっていうの」

 ダフネというと、グリーングラス家だ。「そうか。それではきみはアストリアだね。教えてくれてありがとう」

「だから汚い手で触らないでってば」

 

 その時、屋敷から大勢の人が出てきた。

「小母様、こっち! 早く! ドラコが怪我しちゃう!」

と慌てるパンジーに先導されてきた母上は、俺を見て悲鳴を上げた。

 

「ああ、ドラコ、ドラコ。血が出ているじゃない。目もぶつけたの? 霞んでいない? 他に痛い所は? 全部お母様に見せなさい。ああ可哀相に。それにしても酷い格好だこと。すぐにお父様にも帰ってきて頂きましょうね。あの子たちにやられたのでしょう?」

 振り返ると、クラッブとゴイルも自分の母親に詰め寄られていた。

「マルフォイさんの息子さんに何やったの。あんたは力が強い割にぼーっとしているんだから、気を付けなきゃ駄目だといつも言っているでしょう」

「今すぐドラコくんに謝りなさい。いいから。え、歯を折られた? これは前から抜けかかっていた子供の歯でしょうが。ごまかさないの!」

「ドラコ、よそ見をしない。何があったのか説明できる? どうしてあの子たちはあなたに乱暴したの」

 

 三人の女性が各自の息子を叱り、息子たちのうち二人は泣きじゃくり、泣いていない一人も血だらけ。現場はなかなかの阿鼻叫喚ぶりだ。

 

 ――これは、思ったよりもやっちまったかな? 魔法使いの子供は取っ組み合いの喧嘩はしないのかな。いやいや、するだろう。俺たち三人の、正確にはその親の関係性がややこしくしているだけだ。その証拠に、他の客は心配そうな表情の下に好奇心を隠して、高みの見物を決め込んでいる。

 

 俺は母上に放してもらい、大勢に向き直った。

「皆様、お騒がせして申し訳ありません。ぼくが普段あまりよその子と遊ぶ機会がないもので、ついつい熱中しすぎました。付き合ってくれたヴィンセントくんとグレゴリーくんに怪我をさせてしまったことは、本当に申し訳なく思っています。二人の怪我の責任は全てぼくにあります。これから二人の手当てをしなければなりませんので、しばらく席を外します。皆様はどうぞご歓談をお続け下さい。ヴィンセントくん、グレゴリーくん、一緒に来てくれるかい」

 二人は立ち上がり、しっかり自分の脚で歩き始めた。良かった、大した怪我はしていない。

 

「待ちなさいドラコ。あなただけでは」

「大丈夫です母上。屋敷にはドビーたちがいますから。ああそうだ。パンジー、人を呼びに行ってくれてありがとう」

 屋敷に戻る前にそれだけ伝えると、パンジーは顔を歪めて泣きそうになりながら、何度も頷いた。


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