フォフォイのフォイ 作:Dacla
ある所にドラコという男の子がいました。
ドラコは、名家の当主である父と、同じく名家出身の母の間に生まれました。
そのため父の薫陶を受けて選民意識と加虐嗜好に染まりつつあり、母の溺愛を受けて甘ったれた傲慢さと狡猾さを身に着けつつありました。とは言え、まだ深刻なものではなく、「意地悪で嫌な感じの子」という程度でしたが。
ドラコには魔法の素質がありました。
驚くことではありません。両親ともに先祖代々ずっと魔法使いでしたから、その息子も魔法を使えて当然だと思われていました。
十歳の誕生日に、ドラコは両親から杖を贈られました。杖は魔法使いの意思を具現化するための大切な媒体、相棒です。
杖を使った魔法を学ぶのは、学校に入ってから。そしてドラコが学校へ入学するのは二夏も先でしたが、両親は魔法に親しむ機会を早めに与えたのでした。マグルの家庭でも、就学前の子供に文字の書きかたや数の数えかたを覚えさせるのと同じです。ちなみにマグルとは、魔法を使えない、その知識のない者のことです。
『お誕生日おめでとう、ドラコ。今までお母様が使ってきた杖を譲りましょう。大切に使いなさい』
母の横で、父も穏やかな顔で息子を眺めています。
手渡された箱の中には、一本の杖がつやつやと輝いていました。杖を振るって魔法を使う両親を見てきたドラコには、それが未来へ続く扉の鍵に見えました。
『これがぼくの物になるのですか?』
息子の確認を不満と取ったのか、父がやや不機嫌に言いました。
『学校に入学する時におまえに合った物を選んでやる。それまでその杖で練習しろ』
『父上、母上、ありがとうございます』
ドラコは父の機嫌をそれ以上損ねないように、急いで杖を箱から取り出しました。ところが杖を握りしめた途端、あっと叫んで気を失ってしまいました。
――そして翌日目を覚ました時には、中身が俺に成り代わっていましたとさ。
「ちゃんちゃん」
俺の呟きを、近くにいた母親が耳聡く拾った。
「何か言いましたか、ドラコ」
「いいえ、母上。何も」
ドラコ・マルフォイになった夢は、夢の中で一晩経ってもまだ続いていた。
喋ったり体を動かそうとする意識は俺のものだが、少年の肉体に蓄積された「経験」が自動的なフィルターとなって、ドラコらしい振る舞いには苦労しない。とくに口から出るのが上流階級のイギリス英語なのはありがたい。俺自身のカタカナ発音のアメリカ英語だったらやばかった。ご都合主義万歳。
ちなみに俺自身のものと同等にはっきり掘り起こせる「知識」に比べると、「ドラコの記憶」はやけに淡かった。それこそ起きた途端に忘れてしまう夢のようだ。もっとも「記憶」に頼らなくても、取り繕うことは余裕だろう。原作知識と、四半世紀分を超えた人生経験と、「衝撃を受けて一日意識不明だったことによる記憶の混乱」という言い訳がある。
俺の前には、ドラコが母から譲り受けた魔法使いの杖が置かれている。手を伸ばして触ろうとしたら、母親に遠ざけられてしまった。
「いけませんよ。カンフォラ先生がいらっしゃるまで待ちなさい」
一人掛けのソファに座る父親が、ステッキを模した自分の杖の杖頭を撫でながら言う。
「そうだぞ、母上の言う通りにしろ。今度は倒れるだけでは済まないかも知れんぞ」
「ドラコを怖がらせるのは止して下さいな」
やがてカンフォラ氏が到着した。
前日にドラコ少年を診察したこの男性は、『ハリー・ポッター』原作で「癒者」と訳されるところのヒーラーである。マルフォイ家のホームヒーラーだそうで、つまりはこの家のかかりつけ医だ。
カンフォラは改めてドラコの体を診察して、少年の両親に(主に父親に向けて)説明した。前の晩にナルシッサが要約して夫に伝えたことと同じだ。
曰く、ドラコが倒れたのは、杖から受けた魔力の反動に、刺激に慣れない体が過敏反応してしまったため。一度も杖を握ったことのない子供が、初めて杖を握った時に稀に起こす反応である。魔力の豊富な子供や、魔法の感受性が強い子供に見られる反応で、杖との相性とは直接関係ない。新品の杖を軽く振っただけで魔力の反応が溢れ出す現象と、原理は同じと考えられている。
そういう話だった。
「丸一日も眠り続けた症例は珍しいですが、後遺症は認められません。まずはドラコくんの肉体が魔力に慣れたか、一昨日と同じ杖で確認したいのですがよろしいですか」
両親はヒーラーの提案を了承した。
件の杖の元々の持ち主だった母親が、杖の調子を確かめてからこちらに差し出してきた。
受け取っても異変は感じない。
三人の大人が固唾を飲んで見守る中、杖を軽く振ってみる。
やはり杖は、見た目通りのただの木の棒だった。映画のように火花が華やかに散ったり、二日前のドラコが受けたという衝撃をもう一度味わったり、そうした劇的なことは起きなかった。
ステッキに似た父親の杖、シンプルな棒のヒーラーの杖も触ってみたが、何もない。
俺の左右で、両親が深く息を吐いた。
「良かった。ドラコも何ともないようですし、これで安心ね」
「確かに一過性の症状だったな。ドラコ、魔法を使ってみろ」
誰でも使える初歩の浮揚魔法とやらを、その場で教えられて試した。
何も起きなかった。
何度やっても、誰の杖で試しても同じだった。
USJで売られている「ワンド・マジック」が使えないほうの杖だな、という冗談は黙っておいた。とてもそんなことを口に出来る雰囲気ではない。
落胆する両親をカンフォラが慰めた。
「才能のある子でも最初から成功するとは限りません。ご子息がまた倒れなかったということで、とりあえずは良しとしましょう」
その言葉に頷いた二人だったが、彼が帰った後、血相を変えて俺に魔法を教え始めた。
「杖の構えかたはこう。それをこう動かす」
「呪文の唱えかたは合っています。恥ずかしがらずにはっきり発音しなさい」
二人の真剣さに飲まれて俺も本気で練習したが、それでも羽毛一つ浮かせられなかった。溜息で吹き飛ばしたほうが手っ取り早い。
虚しい努力を続ける俺の横で、父親と母親が言い合いを始めた。
「ひょっとして杖の相性が悪いのか」
「そんなはずありません。癖のない素直な杖ですよ。あなただって、ご自分の杖より私の杖のほうがドラコに使いやすいと仰ったでしょう」
「しかし私の息子がこんな初歩で躓くなどありえん。私が初めて杖を握った時には、難なく成功した魔法だぞ」
そうぼやくと、父親はこちらを見下ろした。
「おまえは本当に私の息子か」
その乾いた視線に身が竦んだ。投げかけられた言葉も辛うじて疑問形ではあったが、一切の温度がなかった。
ドラコ役を演じるのは簡単だと思っていたが、大間違いだった。父親は、息子の中にいる赤の他人に気付いている。単に確証がないからそう言わないだけだ。
愕然とする俺を抱き寄せ、母親が声を荒げた。
「聞き捨てなりませんわね。少し手間取ったくらいでその仰りようはあんまりです。この子は間違いなくあなたの子。誰が見たってそっくりな親子なのに、こんな時だけ他人扱いなんて卑怯です。ドラコだって可哀相に、こんな固まってしまって。それとも私のほうに責任があると仰りたいの? それなら結構です。ドラコは私一人の子として、ブラック家を継ぐ男子として育てていきます」
妻の剣幕にルシウスはたじたじとなった。
「そういうつもりでは無かったんだ。悪かった、ナルシッサ。……ドラコも」
夫からの謝罪に、まだ鼻息は荒いもののナルシッサは矛を収めた。それから腕の中にいる息子の髪を撫でた。
「大丈夫ですよ。あなたはお母様とお父様の子。魔法だってすぐに使えるようになりますからね」
どうだろうな。
俺は懐疑的だった。確かに原作のドラコは魔法を使えていたが、今ここにいるのは、中身が俺という別人だ。
◇
「まあ。駄目だったとは意外ですね」
俺が魔法を使えなかったことを報告すると、グラブラ夫人は目を丸くした。
ドラコ少年は小学校に通っていない。
そもそも魔法使いの子供のための小学校が存在しない。ホグワーツ魔法魔術学校は中等教育にあたり、その手前の初等教育は家庭で行うのが一般的らしい。
経済的に余裕がある家は家庭教師を雇い、そうでなければ親が教える。裕福なマルフォイ家は複数の家庭教師を雇っていた。グラブラ夫人は、その中で最もドラコと付き合いが長い。ちなみに教わっているのは、いわゆる「国語」の範囲だ。他の科目は別の教師がついている。
魔法の基礎だけは両親が教える方針だったようだが、俺のせいで初めの一歩から躓いてしまった。
「こつが掴めないだけで、スクイブではないでしょうが、ご両親もご心配でしょうね。ちょっと私の杖でも試してごらんなさい」
持たされた杖で魔法を試してみるが、やはり何も起きなかった。
夫人は「まあ入学まで一年もありますしね」と杖を取り上げて服にしまった。
「ミセス・グラブラ。世間的にはスクイブはどういう扱いを受けるのですか」
スクイブという言葉の意味は、原作知識として知っている。しかし登場するスクイブのキャラクターが少ないので、どういう目で見られるのかが、今一つ想像できない。そんな俺の質問に、夫人は困ったような微笑みを浮かべた。
「魔法界とは魔法使いの社会です。もちろん人魚や巨人など他の種族もいますが、基本的には魔法を使う者が中心となって作り上げてきた、魔法を前提としたコミュニティです。ところがスクイブは、魔法使いの両親の間に生まれた、先天的に魔法の素質がない者。喩えるなら、渡り鳥の群に生まれた、一羽だけ飛べない鳥です。呪具を駆使すれば魔法を使えないこともある程度はごまかせますが、生まれながらの落伍者ということは覆せません。ですから、魔法の存在を前提としていないマグル社会に移ったほうが、その人にとっては幸せかも知れませんね」
どうやら社会的弱者として見られているらしい。
「もし、ぼくがこのまま魔法を使えなかった場合、スクイブと判断されるのでしょうか」
「後天的に魔法を使えなくなる者もいるでしょうが、あなたがそうだと決まったわけではありません。さあ、授業を始めますよ」
その日の授業を終えた後、グラブラ夫人はドラコの母親と何かを相談していた。
スクイブかも知れない生徒などごめんだ、という話か。それとも、スクイブだった時のために地元の小学校に転入させてみろ、という話か。
二人の様子を廊下から窺っていると、書斎から父親が出てくるのが視界の端に入った。声を掛けられる前に走って部屋に逃げた。
彼の薄灰色の冷たい目で見下ろされると、居心地が悪くなる。こちらには、ドラコのふりをしていることを彼に勘付かれている引け目がある。できるだけ接触は避けていた。
◇
ある夜、部屋で勉強していると母親がやってきた。
「ドラコ、少しいいかしら」
「どうぞ」
母親はベッドに腰掛け、隣を軽く叩いた。中一人分ほど空けて俺も座ると、小さく笑われた。
「ドラコは最近急に変わりましたね。大人びて、我が侭も言わなくなって。杖を手にする前と後では別人だわ。一人前になろうとしているのだったら良いけれど、違うのでしょうね。ハウスエルフへの態度さえ変わったもの。私の息子は、杖を持って倒れた時に何を見たのかしら」
母親にも疑われていた。
誰だよ、余裕でごまかせるとか調子こいた奴は。
家に仕えるハウスエルフに普通に接したのがいけなかったか。
原作同様、この夢でもマルフォイ親子はハウスエルフのドビーをいたぶっていた。いつかドビーに刺されるか、それとも折檻の末にドビーが衰弱死するか鬱で自殺するのが早いか、という扱いだった。
しかし俺は自分の家のために働いてくれる人(正確には人間ではないが)を虐待したくなかった。なのでその点だけはドラコらしく振る舞うことを放棄し、「使用人にも気さくな坊ちゃん」となることにした。
それで疑念を招くことは想定内だ。俺は反論に掛かった。
「倒れた時のことは、正直まったく覚えておりません。ですが、その後で魔法を使えないと分かってから色々と考えました。ぼくがスクイブだと確定して、母上たちに疎まれたらどうしようか。出来損ないは要らないと、家から追い出されたらどうするか。生きていくために働きたくとも、学歴のないスクイブを雇ってくれるところはあるのか」
母親は口元にそっと手を当てた。俺は言い訳を続ける。
「それを考えれば、ハウスエルフへの接しかたも変わります。もしかしたら彼らの下で働くことになるかも知れませんから。家を追い出されずに済んでも、魔法学校には行けません。魔法を諦めて地元のマグルと同じ学校に行くなら、これまでの勉強では不十分です。だからこの先どうなるかは分かりませんが、勉強だけはしておきたいのです。ぼくが変わったとしたら、そういうことでしょうね」
半分は方便だ。勉強と称して部屋に引きこもっているのは、父親と顔を合わせる時間を減らすためだ。
「ドラコ……。一人でそんなことを悩んでいたの」
母親は息子に寄り添い、肩を抱いて引き寄せた。
「あなたはちゃんと魔法を使えます。覚えていないでしょうね。三歳になる前は、杖無しで魔法を使っていたのよ。子供部屋の家具を宙に浮かせてきゃっきゃと笑っていました。すぐに自制を覚えさせたけれど、確かにあなたの身に魔力は宿っています。今はまだ魔法が成功しなくても、それは杖を与えた私たち親の責任。ドラコが気に病む必要はありません」
そう言うと彼女は息子の額にキスを落とした。この様子なら俺への疑いは晴れたか、少なくとも保留になっただろう。
「ですが、父上がぼくをお疑いでしょう」
探りを入れてみる。母親は目を見開いた後、眉を顰めて息を吐いた。
「やはり気にしていたのね。本当に自分の息子か、とお父様が言ったことが。あれはお父様の本心ではありませんよ。むしろあなたに期待しているからこそです」
「そうでしょうか」
俺を見るルシウスの薄灰色の目は、いつも冷たい。氷もドライアイスも通り越して、いっそ液体窒素の温度だ。
「そうですよ。お父様も言い過ぎたと悔やんでおいでです。だからお父様を避けないであげて、一度じっくりお話ししなさい」
それは気が進まない。じっくり話したら最後、おまえは誰だと問い詰められる気がする。
母親は黙り込んだ息子をあやすように囁いてきた。
「たとえお父様が何を言おうと、ドラコはお母様が守ります。大丈夫、大丈夫ですよ。今度のホリデーで綺麗な景色を見て、のんびり過ごしましょう。きっと気分も晴れますよ」
毎夏、避暑を兼ねてマルフォイ家は旅行に出かける。今年は知人に招かれ、湖水地方で過ごすという話だった。