フォフォイのフォイ 作:Dacla
仮縫いのローブを俺に当てながら、店主は入口のほうを振り向いた。
「ホグワーツですか。ええ、全部ここで揃いますよ。では採寸しましょうね。ヴェロニカ、お願い」
若い店員に声を掛け、マルキンは再び俺のローブに取りかかった。
店員の誘導で、新たな客が隣の台に立った。作業の邪魔をしないように、なるべく動かないよう、目だけでそちらを見る。ぼろぼろのスニーカーに、裾をまくった太すぎるジーンズ。首元の伸びきったTシャツ。奔放な黒い髪に眼鏡。
ハリーだ。
ハリー・ポッターだろう、おまえ。こっち向け!
念じたのが伝わったのか、隣の少年がこちらを振り向いた。眼鏡の奥の緑の瞳は、怯えた小動物のように昏かった。
映画の中でハリー役を演じた子役よりも痩せていて存在感が薄いが、雰囲気はよく似ている。もしダニエル・ラドクリフ本人だったら、『スイス・アーミー・マン』の死体役は良かったと伝えたいところだが、子役時代の相手には通じないだろう。他の出演映画は観ていないので、何も言えない。
さて、たしか原作では、この後ドラコが魔法界のことを捲し立ててハリーの反感を買う流れだった。その反感がきっかけで、彼はドラコの推すスリザリン寮を忌避して、正反対の気質のグリフィンドール寮を希望するようになる。
要するに、ハリーの気持ちをグリフィンドールに傾けさせるのが、物語序盤のドラコの役割だ。もし俺がここでハリーに友好的な態度を取ったら、どうなるだろう。彼がグリフィンドールではなくスリザリンを受け入れたら。
――いや、駄目だ。
ハリーがこの先の困難を乗り越え、ヴォルデモートを倒すには、ロンとハーマイオニーという親友が必要不可欠だった。それに血の繋がらない家族となるべきウィーズリー一家も。彼らは皆グリフィンドール寮の仲間だ。俺にその代わりは出来ない。だいたい、必要以上にハリーに近づいてダンブルドアの視界に入りたくない。
いっそ無視するというのもありだが、それではこの少年が可哀相だ。俺は、なるべく緊張を悟られないように声を掛けた。
「やあ。きみもホグワーツかい」
「うん」小さな返事が返ってきた。
「見たところマグル生まれのようだけど、ホグワーツのことはどれくらい知っているんだい」
「あんまり知らないんだ。魔法使いの学校っていうことくらいしか」
申し訳なさそうに細い声で言うので、不憫に感じてしまう。
「ぼくも大したことは知らないけど、新入生はまず四つの寮に分けられるそうだよ。勇猛さを尊ぶグリフィンドール、誠実さで知られるハッフルパフ、知識を求めるレイブンクローに、結果重視のスリザリン。言い換えると、無鉄砲、地味、頭でっかち、狡っからい」
「ひどい寮ばっかりだね」眼鏡の少年は笑った。「どこに入るかは自分で決めるの?」
「学校側で適性を見て決めるが、本人の希望もある程度は聞いてくれるらしい。きみがマグル生まれなら、スリザリンは止めておいたほうがいいだろうな」
「あの、さっきも出てきたけど、マグル生まれって」
少年は首を捩ろうとして、店員に「動かないで」と頭を押さえられた。その時に前髪の隙間から額の傷が見えた。
「マグルというのはさすがに聞いたことがあるだろう。魔法を使えない、魔法界の存在を知らされていない人たちのことだ。マグルの両親の間に生まれた魔法使いの一代目を、マグル生まれと呼ぶ。魔法使いの両親の間に生まれた二代目以降の魔法使いが、純血。魔法使いとマグルの間に生まれた子供が魔法使いであれば、半純血。親が魔法使いでも子供が魔法を使えなければ、子供のほうはスクイブと呼ばれる。呑みこめたかい」
「だったらぼくは純血だ。そういう意味なら」
「それならスリザリンでも肩身の狭い思いはしないだろうが、もしきみがぼくの想像している人物だとしたら、グリフィンドールをお勧めするね」
採寸を終えた少年は、「どうして?」とこちらに体ごと向いた。
俺は自分の額をトントンと指で叩いた。「さっき、きみのここに古い傷が見えた気がする」
少年ははっと髪の上から前頭部を押さえた。
「その反応。やはり予想通りだったみたいだね。きみのご両親は二人ともグリフィンドールの卒業生だったと、うちの親の知り合いから聞いたことがある。とくにきみのお父上のほうは首席だったそうだ。凄いね」
少年の瞳が若葉色に煌めいた。「父さんが?」
「うちの親とは学年も寮も違うし、詳しくは知らない。でもきみもご両親と同じ寮に行けば、もっと色々な話が聞けるんじゃないか」
「そっか……。そうだね。ありがとう」少年は初めよりもだいぶ力強い声で言った。「ぼく、ハリー・ポッターっていうんだ」
「やはりそうか。ぼくはドラコ・マルフォイ」
彼がもじもじと指をいじって手を差し出すタイミングを計っているのには、気付かないふり。俺は入口のほうを振り返った。ショーウィンドウのガラスの向こうに、熊めいた巨漢が見える。
「見てみろよ。さっきから店内がチラチラ暗くなると思ったら、あいつが覗き込んでいたんだ」
ハリーが嬉しそうに言った。「ハグリッドだよ」
「きみの付き添いか。両手に持っているのはソフトクリームかな。きみと食べようと思って待っているんじゃないか。溶ける前に行ってやったほうがいい」
「う、うん」
注文書を書き終えたハリーは、またね、と俺に手を振って店を出ていった。一連のやり取りでグリフィンドールへ行く気になってくれたら、ありがたい。
それから間もなく、母上と父上が様子を見に来た。仕上がり時間がまだ先であることを確かめて、その間にダイアゴン横丁でランチを済ませることになった。
母上は潔癖なので、俺がイースと遊ぶ時に使うような小汚いパブには絶対に入らない。今回のランチに選んだ店もダイアゴン横丁では一番高級な、きちんとしたレストランだ。
料理を待っていると、窓の外を大きな人影が過ぎっていった。ハグリッドだと思った。彼に付き添われたハリーが横を歩いていたから。少年の手には、真っ白な梟を入れた鳥籠が提げられていた。
プレゼントを貰えて良かったな。
食事中に、そういえば、と父上が切り出した。
「ドラコにも伝えておいたほうがいいだろうな。私は九月にホグワーツの理事に選出されることになった。普通の親より学校の情報は入ってくるから、あまり馬鹿なことをするな」
「そうなんですか。おめでとうございます」
「何がめでたいものか。押しつけられただけだ」
面倒そうに吐き捨てる父上の横で、母上は「名誉なことですよ」と微笑んでいる。
「学校の理事って、何をするんですか」高校まで公立校だった人間には、学校の理事職と言えば、学園漫画の権力者というイメージしかない。
「学校運営全般の決定機関が理事会で、その構成員が理事だ。理事会では予算の承認や施設の運営、教育課程の決定などを行う。ホグワーツ内の人事権は校長が握っているが、校長の任命権は理事会にある。解任動議を可決できれば、ダンブルドアの肩書きを一つ整理してやれるわけだな」
ダンブルドアをホグワーツから追放することは、原作のルシウス・マルフォイが何度か試みている。この夢での父上もダンブルドアが嫌いだから、多分同じことを狙うだろう。
「父上が理事になるのは、ぼくが入学するからですか」
「そうだな。私は保護者枠だ」
ホグワーツの理事の定数は十二名。うち、在校生の保護者から選出されるのが四名。ある程度年齢のいった卒業生から選出されるのが四名。学外の有識者、近隣住民として最寄りのホグズミード村の代表者、魔法省の関係部署からの参加で計四名、という構成なのだそうだ。魔法使いでない者は、保護者であってもお呼びでないらしい。
任期は四年なので、ドラコが四年生まではルシウス・マルフォイは理事を続けることになる。ただし任期満了できればの話だが。二年足らずで解任された原作のルシウスは、ドジを踏んだとしか言えなかった。
「張り切りすぎて妙なことをなさらないで下さいよ」
すると母上が吹き出しかけて急いで口元をナプキンで隠し、父上は思いきり顔を顰めた。
「まったくおまえは……子供と話している気がせんな」
「失礼を申し上げました」
と俺が謝ると、父上はしかめ面のまま手を振った。
「構わん」
「お父様は、ドラコが対等な話し相手になってくれて嬉しいのですよ」
のほほんとした母上の解説に父上は渋々頷いた。
「本来は学校卒業後に伝えるべきことも、つい今のドラコになら理解できるだろうと油断して口が緩くなる。だがホグワーツでは、あまり勉学や課外活動以外で鋭いところを見せるな。我が家を敵視する連中の警戒を招く」
そうか、ドラコの中身が俺ではなくドラコ自身だったら、まだマルフォイ家の裏の事情を知らない時期だったのか。それで無邪気な我が侭坊ちゃんは、マルフォイ家が裏表のない純血主義だと信じてホグワーツに行くのか。
「ほどほどに周りに合わせますよ」
それがいい、と両親は頷いた。
◇
八月には、例年通りスリザリンのクィディッチチームが合宿に来た。
その最中に、クラッブとゴイルとノットも遊びに来た。三人は箒に乗って遊びたがったが、クィディッチの練習中に近くを飛ぶのは危険だ。宥めすかして、森のクワガタ捕りに誘った。三人とも初めは気乗りしなかったが、クワガタ相撲を教えると一気に熱中した。
最強の一匹を求めて旅に出たゴイルが戻ってくるまで、俺とノットは木の根元で喋っていた。クラッブも近くにいるが、掌のクワガタと見つめ合っている。
「ドラコは学校の準備はもう済んだのか」
「必要な物は一通り揃えたよ。テオはどうだ」
「使い魔の持ち込みを考え中。うちの犬を連れて行きたかったけど、そうしたら父さんが独りになるから、我慢する」
「それならフクロウはどうだい。うちは手紙のやり取り用に梟三号を連れて行くことになったよ」
「孔雀じゃないのか。だいたい何だ、梟三号って。孔雀が一号と二号だから、その次か」
「違うよ。梟一号と梟二号は家で使うから、三羽目がぼく用になったのさ」
「愛がないネーミングセンスだな」
俺は肩を竦めた。ピーコックワン、アウルスリー。偵察機みたいで格好良いと思うのだが。
こちらに背中を向けて座っているクラッブにも話しかけた。
「ヴィンセントはホグワーツに何か連れて行くのか」
彼はのっそりと振り返った。「使い魔? ……何も。俺もグレッグも、母さんたちに止めておきなさいって言われた」
それが正解だろう。下手したら、ペットどころか自分自身の世話さえまともに出来なさそうなお子様たちだ。
「ペットの世話は大変だからな」
と、ノットも同じ事を考えたらしい。
「でもこいつなら大丈夫そう」とクラッブはクワガタのつやつやした背を撫でた。
「そいつは下手すれば数ヶ月で寿命になるし、生きていても寒い所だと冬眠してしまう虫だぞ。ホグワーツはここよりずっと北で寒いんだ。すぐ死んでしまうよ」
「駄目か」
「駄目とは言ってない。ちゃんと最期まで世話をするならいいんじゃないか。親に相談してみろ」
飼いかたを教えるとクラッブは真剣な表情で聞いていた。夕方帰る時にもクワガタを掴んだままだったから、少なくともホグワーツに行く日までは飼うつもりだろう。ちなみにクワガタバトルはゴイルが優勝した。
学生たちの合宿最終日の前夜には、OBを交えたパーティになった。
珍しいことにその場にはスネイプも顔を出した。在校生にもOBにも歓迎された辺り、スリザリン生に受けのいい教授である点は原作通りだ。
そのまま彼は屋敷に泊まっていき、翌日学生たちが引き上げるのをマルフォイ家の三人と一緒に見送った。
「今年はどうしたんですか、小父さん。セブルス小父さんは強化合宿には顔を出さないと、前に学生さんから聞きましたよ」
「それは……言っても構いませんか」とスネイプは父上の確認を取ってから答えてくれた。「ドラコにはまだ想像しにくいだろうが、ホグワーツでは家の権威が通用しない場合も多い。かといって、マルフォイという家名はあまりに有名すぎる。中にはきみに悪意を向ける者もいるだろう。ただしそこで、教授である私がきみの後ろ盾だと思わせられれば、不要な揉め事は避けられる。少なくともスリザリン生は牽制できる」
「ああ。それで」
ドラコとスネイプは家ぐるみの親交がある。そうホグワーツの学生に知らしめるために、彼はマルフォイ邸に泊まったのだ。
「何というか、小父さんには色々とご配慮頂きまして」
と俺が頭を下げると、スネイプは鬱陶しそうな前髪を掻き上げつつ視線を外した。
「……今の話の後では言いにくいが、学校では、私のことはスネイプ教授と呼びなさい。私もきみをマルフォイと呼ぶ。それが立場だ」
「分かりました。弁えます」
彼の黒い瞳は向かいのソファに向けられた。
「まあ、きみのお父上に誘われたという理由もあったし、私も届ける物もあったから、ちょうど良かった」
届け物とは、父上が読んでいる書類のことか。
俺たちの視線に気付いて、父上は短く書類を掲げた。「理事会の議事録だ」
嫌がっていた割に真面目だな。
「今年は魔法界の有名人が入学する。低俗なマスコミが事あれかしと狙っているだろう」
「あなたもこれ幸いと、校長の足を引っ張るおつもりではないですかな」
「とんでもない。学校運営に協力するだけだ。その結果がダンブルドアの退職だとしても、不可抗力というものだよ」
父上とスネイプの会話に、俺も口を挟む。
「有名人というのはハリー・ポッターのことですか。この前、ぼくの誕生日会でも話題になりました」
そうだ、と父上は頷いた。
「彼は十年前からやって来た、新しい我らの英雄だからな」
その皮肉っぽい語調に、スネイプが小さな苦笑を浮かべていた。
「おまえもハリー・ポッターのように有名になりたいか」
父上の揶揄に俺は全力で首を振った。横に。
俺は主人公になりたいわけではない。ハリーの役割を奪おうとは全く考えていない。それどころかドラコ・マルフォイの立場も返上して、早くこの長い夢から覚めたい。しかしそれが叶わないのであれば、せめてドラコの生活が平穏無事であってほしい。それだけだった。
Emperor "Ye Entrancemperium"