フォフォイのフォイ   作:Dacla

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投稿予約を入れるのを忘れていました。今後もしばらくは私事多忙のため、10日、20日、30日のゼロの付く日だけの投稿にします。ご了承下さい。


番外篇:日本人の生活規範・1

 ガラスの自動ドアが左右に開くのももどかしく、俺はロビーに足を踏み出した。

 磨かれた石の床にはゴミ一つ落ちていない、オフィスビルのような機能的なロビー。ガラス壁の向こうに見える駐車場と、遠くのなだらかな山並み。天井から吊られた大型パネルには、「ようこそ日本へ」と次々に言語を切り替えて表示されている。

 

 ああ、日本!

 俺は帰ってきたぞ。

 

「ドラコ、一人でそんな遠くに行かないで。危ないですよ」

 後ろから母上に呼び止められて、振り返る。

「日本は安全だと聞きますから、大丈夫ですよ」

「そうだとしても走るな。見苦しい」

と、トランクを載せたカートを引き連れている(押しているのでも、引いているのでもない)父上が冷たく言った。

 

 春。

 ドラコ・マルフォイになった夢で、俺は少年の両親と一緒に家族旅行で日本を訪れた。

 

 まず到着したのは、世界各地の魔法使いや魔術師が入出国手続きするための「港」と呼ばれる専用施設だ。イギリス本国から租借地の香港までは、公式ルートとして整備されている「煙突ネットワーク」で移動、そこから日本国内の「港」へは、運び屋と呼ばれる現地業者の術で飛んだ。運び屋というといかがわしい感じがするが、香港=成田間をキャセイパシフィックで飛ぶ程度の感覚だ。現地当局の許可無く「姿眩まし」などの術で国境を越えることは国際法で禁止されているので、こうした業者に一切の手続きを任せるのが普通だった。

 なお、「港」を管理するのは現地一帯の魔法使いを代表する行政組織だ。イギリスであれば魔法省、日本であれば神祇庁ということになる。

 

「今はサクラが見頃ですよ。良い旅を。イッテラッシャイ」

と、日本の入国審査官はにこやかにパスポートを返してくれた。もちろん、ライオンとユニコーンが王冠を守っている表紙の、正式なイギリスのパスポートだ。

 

 入国手続きを終えた者と出国手続きを控える者が入り混じるはずのロビーは、意外に空いていた。

 平成も終わる頃には訪日観光客も珍しくなくなるが、まだ九〇年代初めのこの時期は、その数はそう多くない。まして魔術的な方法での入国に厳しいと言われる日本へ、敢えて非魔法使いと異なる手段で入国する者は少なかった。

 マルフォイ家は、母上が「マグルと一緒に鉄の棺桶に詰め込まれて空を飛ぶなんて!」と飛行機を嫌がったので、少数派となった。

 

 ロビーの隅で「MALFOY」と書かれたボードを掲げる一組の男女がいた。俺たちが近づくと、二人して軽く会釈した。

「ミスターサトウか」

 父上が話しかけると、男性のほうが嬉しそうに右手を差し出した。

「そうです。ルシウス様、ナルシッサ様、ドラコ様ですね。初めまして。皆様の旅のお手伝いを務めます、ハジメ・サトウです。こちらは妻のヒトミ」

「こんにちは。日本へようこそ」

と、女性も慣れた様子で会釈した。

 

 ハジメ氏はビジネススーツ、ヒトミ夫人はニットとスカート。魔法使い向けの個人旅行専門の通訳兼ガイドということだったが、どこにも魔法使いらしい要素が見当たらない。杖を隠し持っている様子もなかった。

 

 握手の後、サトウ氏は、

「両替はお済みですか。ガリオンから日本円への両替は都内でも難しいので、あのカウンターで済まされたほうがいいですよ」

とロビーを振り返った。父上は素っ気なく返した。

「多少は用意してきた。カードもある」

 イギリス魔法界を遠く離れた旅行先でまで、保守派の純血主義者として振る舞う必要はないと判断したようだ。だから首を傾げたのはクレジットカードを知らない母上だけで、サトウ夫妻もあっさり聞き流した。

 

「それならお手持ちは大丈夫ですね。服はどうされますか。日本では、ただでさえ外国人の存在は目立ちますが、ヨーロッパの魔法使いの格好は特に目を引きます。お忍びでしたら着替えをお勧めしますよ」

「キモノを着るの?」と母上が声を上げた。

「いえいえ。私たちの着ているような、魔法使いではない人たちと同じ格好です。日本では魔法使いも普段は洋服で、装束は祭事か戦でしか纏いませんよ」

「マグルと同じ格好なんて」母上は眉を顰め、その後に殆ど聞こえない声量で「低俗だわ」と呟いた。

 そもそもマルフォイ家の旅行準備に、「非魔法使いの服装一式」というのは入っていなかったから、着替えるにしてもどこかの店で買わなければならない。

 

「まあここで決めなくても、しばらく様子を見てからでも遅くありません。それより時間も限られていますので、手短に幾つか注意を」

 サトウ氏は咳払いした。

「まず、日本でも機密保持法は遵守して、人前での魔法の行使は控えて下さい。もし魔法を目撃されても、すぐに相手の記憶を改竄したりせずに、にっこり笑ってイッツアマジックと言ってみて下さい。大抵の日本人はそれで引き下がります」

 

「日本では魔法の存在が公にされているのかね」

「この場合のマジックは、魔法ではなく手品のほうです。ほとんどの日本人は英語に苦手意識があるので、外国人に英語で話しかけてまで確かめる勇気は無いんです」

「私たちの魔法を、マグルの真似事に貶めるというの?」

 母上の声が尖った。まあまあ、と宥めるようにサトウ夫人が両手を動かした。

「魔法を使わなければいいだけのことです。我々も大衆の前で力を使うことはありませんし、魔法使いが実在すると公言できる日本人はごく少数でしょう。暮らしぶりも非魔法使いと変わりませんしね」

 

 父上は、「それできみたちも魔法使いと呼べるのかね」と尋ねた。

 サトウ夫妻は慣れた様子で苦笑した。

「それはイエスともノーとも答えにくいですね。ウィザードやウィッチかと問われても、実は欧米の概念をそのまま日本に転用できるわけではありませんから。ですが世間の大多数の人間が認識できない力を認識し、干渉できるという意味では、魔法使いと捉えてもらって構いませんよ」

 その他の細々とした注意事項は、普通の外国人観光客に向けたものと同じようなことばかりだった。

 

「ではそろそろ移動しましょうか。東京まで二時間ほど掛かりますので、先にお手洗いに行ってきて下さい。途中でコンビニにも寄れますが、ここのほうが広いですから」

「二時間も掛かるの?」と母上が神経質に聞き咎めた。「どういう移動手段なのか、聞いてもよろしいかしら」

「車です。自動車」

「マグルの乗り物じゃない!」

 母上は声を抑えながら叫ぶという器用さを発揮した。

「奥様は車がお嫌いですか。この後も国内の移動は主に自動車と電車を利用する予定ですが、大丈夫ですか」

 サトウ夫人が旅程表を見せようとしたが、それに目を通す前に母上は言う。

「他の移動手段に変えて。うちの息子は酔いやすい体質だから、マグルの乗り物なんて乗ったらきっと戻してしまうわ。日本には移動のための魔法はないの」

「でもせっかくの日本旅行ですから、日本でのやり方を体験して頂ければ――」

「ルシウス、帰りましょう」と、母上は父上の腕に縋った。「せめて香港に戻りましょう。ごちゃごちゃして汚い所でしたが、英語が通じるだけ我慢できます。私は、マグルと同じ暮らしぶりなんて体験は、自分も遠慮したいしドラコにも経験させるつもりはありません」

「しかし旅行というのは不便さも楽しむものだろう」

「私に不自由させないと結婚する時に仰ったのは、嘘だったのですか」

「そこまで大袈裟な話ではないだろう」

「私にはブラック家最後の女としての誇りがあります。マグルに溶け込む気はありませんから」

 

 俺は母上と父上の間に割り込んだ。

「母上、お気持ちは判りますが、なにも今後の生活をマグル風にしろと言われたわけではありませんよ。ただの旅行です。第一ぼくらが使う乗り物は、馬車も列車もバスも、元はマグルが発明したものだと聞いています。ぼくが跳躍酔いで酷いことになったのも、一年も前です。もしかしたら日本にはイギリスにない面白い乗り物があって、それを紹介してもらえる機会だったらどうしますか。ぼくは乗りたいです。それにマグルの暮らしと言っても、イギリスと違って日本はまだ景気が良いですから、意外に快適かも知れません。母上がいつも気になさる清潔さでは、日本は世界でもトップレベルだそうですよ。お願いです母上、日本旅行を続けさせて下さい」

「ドラコ……」母上は眉を下げて、息子の髪を撫でた。「あなたは極東ならどこでもいいのではなくて、日本がいいのね?」

「はい」

 本場の寿司とラーメンと鰻ととんかつと天ぷらと焼き肉としゃぶしゃぶを食べるまでは、この国を離れてなるものか。

 俺が頷くと、母上は降参したという風に肩を竦め、父上を振り返った。父上も頷いた。母上は、客のやり取りを見守っていたアテンドの二人に向き直った。

「見苦しい所を見せましたね、ミスターサトウ、ミセスサトウ。旅を続けましょう」

 

 俺たちはようやく待合ロビーを出た。

「リムジンを回してきますね」と先に出ていったサトウ夫人が、ミニバンを建物前に着けた。運転席と乗車席が分かれていたら、リムジンと呼んでも確かに間違いではない。

 そう思いながら乗り込むと、中はミニバンどころかマイクロバスほども奥行きのある空間が広がっていた。進行方向を向くゆったりとした二人分の座席が後方に構え、中央部には四、五人が並んで掛けられそうな横向きのシートまである。全てのシートは重厚感のある革張りで、ミニバーとモニタも横に付いていた。シャンパンクーラーにはボトルも冷えていた。内装は完全にキャデラックのリムジンだ。

 バブルだなあ。

 

 父上と母上が後ろの席に並んで座り、俺は横向きのシートを独り占めした。母上は「あまり趣味ではないわ」とまだ駄々をこねているが、眉間の皺は消えた。

 父上が「日本ではマグルもこのような乗り物を使っているのかね」と前に尋ねた。

 全ての荷物を積み込んで助手席に乗り込んだサトウ氏が答えた。

「さすがに空間拡張の術を掛けています。日本では小回りの利く車のほうが便利ですが、お客様にはお寛ぎ頂きたいので。セルフサービスになりますが、飲み物もどうぞご自由に」

 

 父上はシャンパンをクーラーから引き上げた。

「ナルシッサ、乾杯しよう」

「何に?」

「我が麗しの貴婦人が微笑みを取り戻してくれたことに」

「あら、私はまだ機嫌を直したつもりは無いのよ。あなたがもっと私をときめかせてくれたら、話は別ですけれど」

「それなら自信がある。何度だってきみを落としてみせよう」

「ふふ。乾杯」

 

 勝手にやってろ。

 俺は後ろのマルフォイ夫妻を放っておいて、車窓を眺めた。

 とりたてて特徴のない、ごく普通の関東地方の風景だ。ヤマザキに「春のパンまつり」のポスターが貼られていたのを見て、春だなあと感じる。

「JA共済」「マルフク」「この先道路工事につき迂回」「フロアレディ募集 スナック帆恵夢」「お食事処 わらべ」……

 見掛ける看板はどれも日本語だ。俺の日本語の読解能力が消えていないことが分かって一安心。

 

 イギリス人であるドラコ・マルフォイの経験を引き継いでいるお陰で、今の俺は英語話者として苦労していない。逆に言えば、夢の中では母語でなくなった日本語に自信がなかった。ドビーを相手に日本語のスピーチとライティングを披露した時に、「さすが坊ちゃま、ラテン語がお上手でございますね!」と言われてからは、ますます自信がない。

 しかし日本と接点のないドラコがいきなり日本語を喋り出しては不審がられる。それを恐れて他では日本語能力を試すことができずにいた。この旅行でその辺りを確かめることができるし、今後うっかり日本人じみたところが出ても、「旅行で覚えた」と白を切れる。

 

 シャンパングラスを手に、母上は少しリラックスした様子で前に尋ねた。

「香港から来る時に、私たちは東洋式の魔法で送ってもらったの。あなたがたはそういった魔法は使えないの? 先ほども尋ねたけれど、自動車の他に移動手段は無いのかしら」

「えーと、ざっくり東洋式と言われても色々ありますね。どういった道具を使っていましたか」

「白と黒の魔法陣の上に立たされたわ。担当者は袖の広い前開きのローブを着ていて、黄色い紙に蝋燭の火を移したの」

 

 香港の「港」の出国室で、その転移は行われた。木の床に墨痕鮮やかに記されていたのは、太極と八卦を示す風水図。線香を捧げた祭壇の前で、道士の格好をした担当者が黄色いお札と、剣を一振り持っていた。

 

「ああ。タオイズムの術式ですね、それ」

 タオイズム、つまり道教。せいぜい『霊元道士』と『ダブルビジョン』の映画ネタでしか知らない俺も、そうだろうと思っていた。

「道教は、今は台湾が本場の中華系の系統です。日本で主流の、シントー(神道)やイーサテリックブッディズム(密教)をベースにした系統とは異なりますね。もちろん日本にも誰かを招く、送る、という術はありますよ。肉体ごと転移させることは少ないですが」

 

 俺は尋ねた。

「東洋の魔法には、いくつもの派閥があるということですか。欧米の魔法はほぼ一本化されていますが」

「そうですね、統一されていません。元々、東洋という言葉で括られている範囲自体がいい加減ですからね。とりあえず中国では道教系と仏教系と回教系があって、その他に民族ごとの系統が文革後も健在だそうですし、韓国では土着の呪術が根強いらしいですね。そして日本では、神道と密教・修験道が融合したものが主流ですが、純粋な古神道を維持しているものや、まったく独立した系統も健在です。有名どころでは沖縄のユタやノロ、津軽のイタコやゴミソですかね。イヌガミツキの家系もあれば、山岳信仰を基本に発展した流派もあります。日本は魔法使いのカオスですよ」

 

 ちょうどその時、学校の校庭と校舎の横を通り過ぎた。走り幅跳びをしている授業風景が見えた。

「そうすると日本には、規格化された共通の魔法を教える学校というのは無いんですか」

「ドラコは今年、ホグワーツ魔法魔術学校に入学するの」

と、後ろから母上が付け加えた。

 

「それは凄い。イギリスのホグワーツと言えば、世界的な名門校じゃないですか。日本にも魔法使いの学校はあるんですが、私塾に毛が生えたような小さいところですよ」

 そこは通学制の学校だそうだが、在校生は少ないという。日本に魔法使いが少ないのではない。素質のある子供でも、学業自体は一般人と同じ小中高に通わせる親が多いからだそうだ。

「さっき言った通り、系統によって術式も思想も違うので、統一された教育システムで魔法を学ぶというのが、なかなか難しいのですよ。現に学校で教えていることは広く浅く。一人前になるなら結局は師について修行する必要がありますしね」

「そういういくつもの流派があるのに、皆が魔法使いを名乗っているんですか?」

 

 サトウ氏は助手席からにやりと振り返った。

「鋭いですね。ウィッチ、ウィザードという英語に当て嵌まるマホウツカイという日本語は、あまり我々の実態を表しているとは言えません。流派によってはキトウシ、カンヌシ、オガミヤと、様々あります。対外呼称として一番使うのは、フシュクやフゲキですかね」

 耳で聞いただけでは分からなかったが、それらが漢字で「巫祝」「巫覡」と表されることは後で知った。

「要するにシャーマンです。あなたがたヨーロッパの魔法使いもケルトのドルイドと縁が深いでしょう」

 

「ではマホウツカイというのは何ですか」

「マホウ、魔法のことですが、それを使う者という意味です」

「でも魔法という言葉もまた、私たちの使う術や道を言い表してはいない」

と、運転席からサトウ夫人が言った。

 

「そう。私たちの本分は、只人と違う力を揮うことではなく、この世界とイカイを繋ぐことですから」

「イカイ?」

「我々の暮らすこの世界を俗界と呼び、神々や霊といった、人ならざる者たちの世界のことを異界と呼びます。私たち巫祝はその二つの世界の接する境目に立ち、二つの世界の架け橋となることに意味があります」

「イカイは魔法界ではないんですね」

「違いますね。英語で魔法界と呼ぶのは、魔法使いの社会のことでしょう。日本ではその集団にあまり重きを置いていません。だから正確には、日本に魔法界はないんです。もちろん同じ系統に属していれば、その中でのヒエラルキーというのは存在しますよ。他系統との連絡会もあります」

 ですが、とガイドは個人的感情を抑えた声で続けた。

「魔法使いでない人間から離れて、全く異なる独自のコミュニティの中だけで暮らすというのは、川の両岸に掛かることを止めた橋のようなものです。あくまで私の考えですがね」

 

 父上が「ほう」と気怠く聞こえる相槌を打った。二つの世界を繋ぐことに価値を見出す点で、マルフォイ家の生業は巫祝と似ているかも知れない。しかしその隣の母上は、はっきりと嫌悪の表情を浮かべていた。俺を見て、唇だけで訴えてきた。

「日本の魔法使いとは仲良くなれそうにありませんわ」と。




時代考証のご指摘、ありがとうございます。デイリーヤマザキをヤマザキに訂正しました。

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