フォフォイのフォイ   作:Dacla

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番外篇:日本人の生活規範・2

 ぞくりとするような色気を含んだ刀が、闇に浮かび上がっている。

 

「刀や弓は、邪気を断つ神聖なものとして、神事でも使われるんですよ。日本刀の場合はそれ自体がご神体として祀られることもあります。武器として使うよりも、身を護る物、己を映して心を研ぎ澄ませる物として扱われてきました」

 ガイドの言葉に、イギリスから来た魔法使いは呟いた。

「……美しいな」

「ええ。観光客向けの土産物ではない、本物の刀剣です。イギリスにお持ち帰りされるなら、手続きは請け負いますよ」

「ふむ」

 父上は顎を撫でた。日本土産を買うならぜひ爪切りや鋏のような刃物を、と勧められて鼻で笑った父上。それが今は、刀剣を扱う店に連れてこられて唸っている。俺は日本刀の美しさよりも、そこに付いた高級車並の値札に圧倒されていた。買うならサトウさんに最初に勧められた爪切りにしておこうや。いい爪切りは一生物だよ。

 

「そこの一振りと、向こうのをもらおうか」

 こともなげに父上が言いだした。マルフォイ氏は、バブル経済の名残に真っ向勝負をしても平気な資産家だった。

 

 そんな「ちょっとした」買い物の後は鰻屋に入る。

 タレの匂いに、若い胃袋がすかさず反応して鳴った。がっつり掻き込みたいので、親の金で遠慮無く特上を注文した。

 

「先ほどの話だが、刀を崇拝の対象にするというのは、どういう意味だね。人が作った物を人が拝むというのは、なかなかに興味深い光景だが」

「正確には、刀に宿ったものを崇拝します。日本の古くからの考え方では、あらゆるものに霊が宿り、その霊は神格化する可能性があります。たとえばこのテーブルにも、あそこの招き猫も、私やあなたにも」

「冗談だろう」と父上は冷笑した。

「嘘ではないですよ。神社は日本全国津々浦々にありますが、色々なものが祀られています。山や滝、巨石や巨木のような自然物に、雷のような自然現象、古い鏡や刀。そのもの自体を祀りつつ、そこから感じるものを通して自分と向き合うといいますか」

 

 説明が難しいんですよ、とサトウ氏は茶を一口飲んだ。つられて俺も飲む。濃いめのほうじ茶だ。

 

「動物がご神体となっているところもありますよ。とくに多いのが蛇で、大神神社や諏訪神社のご祭神はそのものですし、出雲も龍蛇神と縁が深い。古い信仰です」

 ほう、と父上は声を上げた。

「欧米では蛇信仰はグノーシスだけに残ったが、東洋では違うらしいな。本当だったか」

「ええ。脱皮して成長していくのは死と再生の象徴です。湿った場所に棲むために水神ともみられますし、稲作の盛んな地域では鼠害から稲を護る田神としても崇められました。あとは生命と繁殖の関係で、これに御利益があるとかですね」

 サトウ氏は片腕を低い位置に置いたまま拳を突き上げた。女性が同席していないのだから、遠慮せずはっきり言えばいいものを。

 

 まずは白焼きが来た。二人にも割り箸を渡してから、自分の分を食べ始めた。ああ、美味い。この時代はまだそんなに高い金を出さずにしっかり食べることができたんだ。鰻が貴重食材になったのは地球温暖化のせいもあるが、乱獲の影響が大きい。マグロもそうだが、和食の美味さを世界に広めず日本人だけで独り占めできたら良かったのに。ガイジンは肉でも食ってろ。

 ……もしかしてこれが、魔法を独占したがる魔法使いの気持ちか。

 

「ルシウスさん、その割れてるほうを両手で持って、左右に引き裂く感じで……そうそう。その持ち方で食べて下さい。ご祭神でなくても、日本の信仰の深い部分に蛇信仰が関わっています。注連縄という、神道で結界を示す螺旋状のロープは蛇の交尾を表したものですから、日本全国が蛇信仰の影響下にあると言ってもいいくらいです。もっと気軽に言えば蛇の抜け殻は金運アップですし、あ、これは弁財天からの連想か。インドでも中国でも、蛇身の女神がいますね」

「ふむ。私も妻も学校では蛇をシンボルとする寮にいたから、今も蛇神信仰が残っているというのは親しみが湧くな。ところでドラコ、随分と慣れた様子だが、箸の使い方はどこで覚えた」

「あちらの客の様子を真似しただけです」

 他の客に責任を擦り付けて、俺は来たばかりの蒲焼きを堪能した。

 

 美味い。泣きそう。

 タレの沁みた白飯も美味い。マルフォイ邸の食事ではパンばかりだから、俺にとっては久しぶりの銀シャリだった。箸に苦戦していた父上も、れんげを貰って食事を楽しむことができた。

 

 あ、そうだ。

「ところで母上は大丈夫でしょうか」

「大丈夫だろう。ミセスサトウが付いている」

「あの、ご機嫌のほうです」

 俺が遠慮がちに言うと、サトウ氏も父上のほうを見た。

 

 前夜、ホテルに着いた時に、疲れを理由に母上は翌日の観光をキャンセルしようとした。サトウ夫人が念のために付き添うことになったが、その後で母上は「魔法使いの誇りのないガイドと、マグルに紛れての日本旅行なんて無理!」と癇癪を起こした。

 俺も父上もその後の説得に失敗した。そして今日はコネクティングルームの片側に籠もった母上をホテルに残して、男だけで東京観光することになった、というわけだ。後で恨まれるかも知れないが、母上自身が「二人で行ってきてちょうだい」と言ったのだから仕方ない。

 

「ナルシッサにはブラックの誇りがある。それを傷付けられたと思ったからヒステリーを起こしただけだ。日本で受けたサービスや日本人に、含むところがあるわけではないだろう」

「それなら奥様のことは、妻に任せておいて大丈夫だと思いますよ。ヒトミは海外の魔法使いをおもてなしする場所や体験を、色々と知っていますから」

 

 サトウ氏の発言は嘘ではなかった。

 都内観光をしてきた俺たちより遅く、母上は上機嫌でホテルに戻ってきた。

「あら、二人とも早かったのね。私はヒトミと買い物をしてきたの。カワイイ物が多くて、本当に困ったわ。ああ、愛らしい柄や精巧な小物、そういう物を愛でたい気持ちを日本語でカワイイと言うそうよ。もう本当にカワイイ物が沢山あって、道路も綺麗で、店員のサービスも行き届いていて。街並みの不格好さに目を瞑れば、日本も悪くない所ね」

 

 朝、ホテルに置いてきた時の仏頂面からはえらい変わりようだ。俺と父上は思わず顔を見合わせた。

「ナルシッサ、随分と機嫌が良いようだが、何を買ったんだ」

「色々よ。扇子と、江戸切り子のグラスと、漆塗りのボンボニエールと、蒔絵のボックスと、インド産とは違ういい匂いのお香をカワイイ香炉と一緒に買って。ブローチは七宝焼きにしたわ。キモノ屋に行ったら水仙柄の友禅があって、生きている国の宝物? と言うらしいのを思わず買ってしまったわ。あと千代紙と……」

 延々と続くお買い上げリストを聞かなくても、部屋のテーブルに置かれた品々を見れば、母上がジャポニズムに嵌ったのはよく分かる。ふと、伝統工芸品の桐箱に混じって置かれたぬいぐるみと目が合った。外国のセレブ女性にも人気だと言うから、もしかしたら母上も興味を持つかとは思っていた。

「ドラコもそれ、カワイイと思うでしょう。子猫ちゃん」

「はあ」

 キティちゃんのぬいぐるみを抱えて少女のようにはしゃぐ妻を、父上がなんとも言えない目で見ている。とりあえず落ち着きたいのでお茶を淹れることにした。

「どうせなら緑茶にしてちょうだい、ドラコ。美味しい和三盆を買ってきたから」

 

 本当に一体どうしたんだろう。

 父上と一緒に母上を囲んで話を聞いてみた。

 

 朝、母上はサトウ夫人に説得されて、時間を潰すために美術館に寄ったそうだ。「マグルの美術もどき」を眺めて建物を出た頃には日差しが強く、日傘が欲しくなった。そこで有楽町で気に入った日傘を買い、ついでにカフェに入ったり服を見たりしているうちに、財布をどこかに落としてしまった。

『ナルシッサさん、交番に届けましょう。きっと見つかりますから』

『マグルの警察ごときに何ができるの。財布が見つかるわけないじゃない。多少はお金が入っているのよ』

 人目のないホテルに戻ってから求めの魔法を使っても、手許に戻ってくるのは財布だけだろう。イギリスの感覚で母上はそう思い、中身は諦めた。

 ところがサトウ夫人に慰められながらホテルに戻ると、フロントで「お客様のお忘れ物を預かっていると警察からお電話がありました」と伝言があった。急いで警察署に行けば、中身ごとそっくりそのまま、財布は母上の手許に戻ってきた。

 

 普通のことだと俺は思ったが、母上にとってはそうではなかった。

「ここは今まで行ったどの国よりも安全なの。道端のベンチにバッグを置いたまま席を外しても、全く置き引きに遭わないのよ」

「ナルシッサ、さすがにそれは油断しすぎだ」

 傘と自転車を盗られたことのある俺も同感。

「分かっているわ。けれど試しに電車に乗っても皆静かに行儀良くしていて、時刻通りに運行されて、ちっともストレスがなかったの。どこに行っても騒がしくなくて、人混みを歩いても相手のほうがするっと避けてくれて、とても落ち着いていられたの。トイレもそう。探すのに苦労しない程度にあちこちにあって、どこも無料できれいなの。トイレに関してはロンドンより圧倒的に東京のほうが上だわ」

 潔癖症の気のある母上にとっては、観光先でのトイレ事情は重要なことだった。ちなみにイギリスの公衆トイレは、数十ペンスを払う有料のものが多い。

 

「私、マグルはどこの国でも野蛮で低俗だと思っていたけれど、日本のマグルは何かが違う気がするの」

 そしてその日本人が作り出す物にも関心が湧いた結果が、部屋に溢れる日本土産というわけだった。

「何かが……何が違うのかしら」 

 母上はマグルを見下す言動を控えるようになった。

 

 

 翌日の新幹線でも、父上は運行の正確さに、母上は出発前の清掃のスピードに感心していた。俺は久しぶりの駅弁を堪能していた。

 

 京都の二日目は、少し家族だけで過ごしたいと父上が希望した。それに応えて、サトウ夫妻は英語の通じる店をいくつか教えてくれた。

 JR東海のCMのような春景色の中を、のんびりと歩いていく。周囲の一般観光客は風変わりな格好の俺たち三人を一瞥はするものの、基本的に無関心だった。

 

 桜を望める喫茶店に入ると、父上はふと言った。

「ナルシッサは、日本の魔法使いの在りかたについてどう思う」

 

 母上は水を少し口にしてから答えた。

「魔法界がなかったり、マグルと同じ社会に生きていることには今でも違和感がありますわ。でも、魔法を使わなくても十分に快適に過ごせるから、この国の魔法使いは魔法界に拘らないのでしょう。人と人でないものを繋ぐのが彼らの務めだというのは、何となく分かった気がします。ハジメがあなたに居酒屋での楽しみ方を教えたり、ヒトミが私に箸の使い方を教えてくれたり。距離感さえ間違わなければ、互いに不愉快になることもない。そのためのガイド」

「距離感か。そうだな」

 

 抹茶が来た。ドラコの子供舌には苦すぎた。ただのあんみつではなくてクリームあんみつにして正解だった。

 

「ヒトミが話してくれたのだけれど、古くからの日本人は、自然を征服するのではなく共存することで、自然災害の多い国土と付き合ってきたんですって。きっとその感覚が、魔法使いとマグルの距離感にも反映されているの。彼らは魔法界を作らず、マグルに混じって生きていく道を選んだ。そうしてマグルに迫害されず、呑み込まれず、今まで魔法使いとしての血脈を保ち続けて来れた。日本でも古い血というのは尊ばれるんですって。日本の魔法使いは術を使う時に祖霊の力も借りるから、それと繋がるためにも血と名前は大事なんだそうよ。伝統を蔑ろにしているわけではないのね」

 

「ナルシッサ。私の話も聞いてくれるか」

 父上は、マルフォイ家の富が、非魔法使いに対するコンサルティング業と非魔法界での不動産投資で生み出されることを、母上に打ち明けた。

 母上は、正直全てを理解してはいないようだったが、怒ったり泣き喚いたりするようなことはなかった。

「ルシウスが今からそのビジネスを始めようということなら、私は反対したでしょう。でも何世代も前から続いている家業だというなら、他家から嫁いだ私がとやかく言うことではありません」

「……ありがとう」

 

 母上は窓の外に目をやった。

 暗めの店内から見ると、ただの竹林が額縁の中の絵画のようだった。

 

「マグルは下等な生き物で、マグル生まれも純血より劣る存在。私は実家でそう教わりました。けれど、もしかしたら、そんな風に見下すほどマグルは下等でないかも知れない。この国の穏やかさや清潔さを見て、そう感じることがあります。確信できるだけの時間が足りなかったのが、残念だけれど」

 今回の日本旅行は五日間の行程だった。もう二日しか残っていない。器の中には、あんこと溶けたバニラアイスの混ざり合った液体しか残っていない。

 

「もう少し過ごしたかったか?」

「ええ、そうね」

「では滞在日数を延ばそう」

「あら」母上は瞬きした後、ゆっくりと笑った。「この国に来て、一番素敵な提案だわ」

 

 母上の、そしてマルフォイ一家の旅が、ようやく始まろうとしていた。

 

 

 ……この初訪日では東京と京都を中心にしたオーソドックスな観光地を巡ったが、名所よりも父上と母上を喜ばせたのは、ごく普通の田舎の風景だった。

「今度来る時は、ガイドは付けずにカントリーサイドでのんびり過ごしてみようか」

「素敵ね。できれば温泉があるところが嬉しいですわ」

 そして年に一回のペースで日本を訪れることになった後に、思いも掛けない同行者を連れてくることになるのだが、それはまた別の話。




Darkthrone "Kathaarian Life Code"

日本旅行を書けと言われたから書いたものの、真面目に書いていくと旅行編だけで長編になるので、設定をばらまくだけで番外篇は終わり。
次回から一年生編。

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