フォフォイのフォイ 作:Dacla
見慣れない暗緑色の中で目が醒めた。
カーテンに囲まれたベッドの上。馴染みのない部屋の匂い。やっと、俺自身の体が病院で覚醒したのだと思った。
緑色のカーテンを開けて、それが間違いだったと悟る。
俺の分を含めて天蓋付きベッドが四台。ベッド脇にはそれぞれ小さなワードローブと、ライティングビューロー(書棚の蓋を手前に倒すと机の天板になる家具)。荷解き途中のトランクが床に散在していて、明かり取りの窓からの光がなければ躓きそうだ。微かに水音が聞こえるのは、外壁に波を寄せる湖のせいだろう。
そこはスリザリン寮の一室。俺はまだ夢の中にいた。
一つ溜息を吐いてベッドを下りた。起床時間にはまだ大分早い。寝ている三人を起こさないよう、静かに荷物を片付ける。ちなみにドラコと同室になったのは、クラッブ、ゴイル、ノットの三人。スリザリンは伝統的に他の三寮より人数が少なく、原作ハリーの五人部屋に比べると余裕がある部屋割りだ。
片付けの後にシャワーを浴びてもまだ時間があったので、談話室に下りてみた。
水中洞窟と錯覚した。
その印象は、削り痕も荒々しい石壁と、大きな窓から望む湖底の景色から受けるものだった。ホグワーツ城の土台部分にあるスリザリンの談話室は、城に面した湖の底に接している。今は、水を通り抜けてきた朝の光が、ゆらゆらと談話室に模様を描いていた。
「良い景色だろう、マルフォイ」
窓辺から振り返ると、夏合宿で屋敷に来たことのある上級生が微笑んでいた。
「おはようございます。えっと……」
「毎年会ってるのに、名前も覚えてもらえてないのか。ショックだな」
俺が「すみません」と恐縮すると、先方は「冗談だよ」と笑った。
「ほとんど接点もなかったし、印象薄くて当然だ。でももう同じ寮の仲間として覚えてくれよ。俺はテレンス・ヒッグス。七年生だ」
窓の外を、魚の群が腹を銀色に光らせ泳ぎ去っていった。
「ヒッグスさん、そこの窓ガラスの強度ってどれくらいなんでしょうか」
「ん? ああ、心配ないよ。何があっても割れないように魔法で強化してある。たまに夜もカーテンが開いたままになっていると、光に目が眩んだ大イカがぶつかってきたりするけどな」
「湖にイカですか?」
「そう。淡水でも生きてるイカちゃんだよ」
学校について色々と聞いているうちに、談話室に下りてくる生徒が増えてきた。そろそろ朝食の時間なので、クラッブとゴイルを起こしに戻った。
いくら怒鳴っても揺すっても起きなかったのに、「朝食が無くなっても知らないぞ」と脅すとすぐに飛び起きた。それから三人に身支度をさせて、ネクタイに苦戦しているクラッブを手伝い、スリッパで出ようとするゴイルに靴を履かせ、午前の授業の荷物を抱えて広間に向かった。
広間のテーブルから手を振り、「おはようドラコ! 隣空いてるよ!」とパンジーが呼んでくれた。朝から元気でよろしい。
朝食は、昨夜と同じくテーブルの大皿から各自で盛り付けるスタイル。味は夕食よりは良かった。パンが美味いので評価の星を一つ上げる。
不意に肩をつつかれたので振り返ると、前日に車中でウノに誘ってくれた少年が立っていた。彼と同じコンパートメントにいた六人の非魔法界出身者に、スリザリンに組み分けされた者はいなかった。
「詐欺にも人身売買にも遭わず、無事に入学できたようで何より」
俺が言うと、レイブンクロー生となった少年は笑った。
「まだ騙されてる気分だよ。帽子が歌ったり、ドアノッカーが問答を挑んできたり、ディズニーランドみたいだ。本当に魔法界って面白いね。ところでさ――」
「マグル生まれが話しかけてくるな」
近くの席にいたスリザリンの上級生が、話を遮った。
「まったく、その厚かましさには感心するよ。面白いだ? 物見遊山でホグワーツに来たなら、そのままマグルの世界に帰れ。こっちは背負ってるものが違うんだ」
「え、あの……」突然怒られて、少年は狼狽えた。「そんなつもりじゃ」
横からレイブンクローの上級生が口を挟んだ。
「いいよ、無視して。いつものスリザリンの純血主義だ。脳みその干からびた連中が誇れるのは、伝統しかないのさ」
「へえ。レイブンクローの誇る叡智ってのは大したもんだ。その伝統が育んだ魔法の恩恵に与っていることも忘れてる。マルフォイ、こんな頭の悪い連中の相手をするには人生は短いぞ」
レイブンクローのテーブルから別の声が上がった。「はい来た。スリザリン名物、新入生の囲い込みぃ。せいぜいお仲間だけで固まってろ、絶滅危惧種」
いつのまにか上級生同士の場外乱闘になっている。ウノの少年は巻き込まれる前にそそくさと逃げ出してしまったので、喋る機会を失ってしまった。
ひとしきりレイブンクローと嫌味の応酬をしたスリザリン生が、俺に笑いかけた。
「朝からマグル生まれに気安く話しかけられるなんて、不快な目に遭ったな、マルフォイ。同情するよ」
「はあ」
「おいおい、反マグル派急先鋒のマルフォイ家にしては、反応が鈍いぞ。もしかしてマグル贔屓か?」
「彼は列車の中で知り合った同期生なんです」
するとスリザリンのテーブルが白けた空気になった。
「……なるほど。マルフォイ家の坊ちゃんは、生まれにはこだわらないんだ。なるほどなるほど」
にこやかなまま、上級生は頷く。遠くで、他の上級生たちもひそひそ話しながら俺のほうを眺めている。パンジーも眉を顰めて囁いてきた。
「付き合う相手は選びなさいよ。聖二十八氏の名を下げるような行為は慎んでって、家で言われなかった?」
ドラコらしく言い繕うなら、どうしたらいいだろう。「生まれなんて関係ない、みんな仲良く!」などと主張したら浮いて目立つ。「幸いぼくは、ことさら純血を強調しなくてもいい家の生まれですから」と言うのは嫌味だ。とかく人の世は住みにくい。
そんなことを考えている間に、場の関心は他へ移っていった。まあいいか。
食後、スリザリンの一年生に集合が掛かった。
多くの学生は、朝食後に最初の授業に直行する。一方この日からの一週間、スリザリンの一年生は引率されて全員で教室に向かう。「迷子や遅刻は洗練されたスリザリンに相応しくない」という考えのもと、最初の一週間は上級生が次の教室に引率してくれるそうだ。
廊下を進むスリザリンの集団に、他寮の学生たちが非友好的な視線を向けてくる。
「あいつら徒党を組んで……」
と、通りがかりに聞こえてきた。徒党ではなく、親鳥の後を付いていくひよこの行列だ。大目に見てほしい。
横に付いている親鳥の一羽に、ダフネが尋ねた。
「教室まで案内して頂けるのはありがたいですが、皆さんが自分の授業に間に合わなくなりませんか。一週間も引率係をするのはご負担でしょう」
四年生だという女子学生は、ふふっと微笑んだ。
「心配してくれてありがとうね。引率はね、基本的に次のコマが空いているか、教室が近い人が引き受けるの。全員で話し合って調整したから、色々な学年が入れ替わりで担当するよ。だからそこまで負担じゃないの」
「じゃあ、来年は私たちも引率に回るんですか」
「そういうこと。順繰りにね」
さすが寮内の団結力を誇るだけのことはある。彼女たちの会話を耳にした後方の六年生が、ふうっと息を吐いた。
「良い習慣だと思うんだけど、他ではなぜかやってないんだよ。個人主義の鷲寮や放任主義の獅子寮はともかく、穴熊寮でも長続きしなかったみたいだ。その点スリザリンは、上の者が下の者を導くという規律が行き届いている。昨日ファーレイも言ってたけど、スリザリンは良い寮だよ」
目的の教室までひよこたちを送り届けると、上級生たちは手を振って去っていった。
さて、この夢でのホグワーツのカリキュラムは、原作とだいぶ様子が違っていた。
まず必修科目が大幅に増えている。英語(国語)、数学、理科(天文学分野を除く)、社会(魔法史分野を除く)の四科目と、学期に一コマだけの保健の授業。何の変哲もない普通科目だから、原作にあったところで記述は省略されていただろう。選択科目になるが、美術と音楽の芸術科目もある。
面白そうなのは、マグル生まれの学生は必修、半純血の者も選択できる「魔法界事情」という科目だ。純血のドラコに履修資格は無いのが残念だ。
「ホグワーツって、魔法を教えるところじゃない。今更それ以外の勉強なんて、要る?」
と、パンジーが苛立ちながら疑問を呈した。数学の小テストの後、彼女は機嫌が悪い。
基本的にどのクラスも寮を単位としているが、英語と数学だけは別だった。学年最初の小テストの結果で、レベル別の四クラスに再編されるそうだ。
魔法界の子供はホームエデュケーションで育つため、家庭環境によって習熟度合いは千差万別。非魔法界出身者も全員がプライマリースクール(小学校)出身ではないと、家庭教師に聞いた。幼い頃に無意識に発現させた魔法を精神疾患の症状と見なされ、病院や自宅での療育を余儀なくされた子供もいる。そうかと思えば、日常生活に何の支障もなく、名門校を目指してプレップスクール(進学準備校)で学んでいた子供もいる。それを全員まとめて教育しようというのだから、多少の考慮はあっていい。
「要るさ」と俺は答えた。「勉強できる時に勉強しておかないと、社会人になってから後悔するぞ。……って父上が」
俺とパンジーのやり取りに、ザビニが嘲笑った。組み分け後にスリザリン寮の入口が地下にあることに文句を付けた、黒人の少年だ。
「純血がみんなマルフォイの取り巻きレベルだと困るもんな」
反応を示さない二人の代わりに俺はザビニを睨んだ。
「そんなことを言うもんじゃない。こいつらだってやれば出来る子なんだ」
なのに当人たちは「え……」と反応が鈍かった。もっと奮起しろよ。あんまり無気力だとおじさん、修造対応しちゃうぞ。
ちなみに魔法関係の科目は、ほぼ原作通りだ。ただし教員数は原作での印象よりかなり多い。理由は単純で、一科目一人では四寮七学年分の授業を捌けないからだ。週に一度かつ一コマだけ(「闇の魔術に対する防衛」や「飛行術」)ならともかく、二時限連続の授業や、週に二回以上の授業があるだけで、教師一人では破綻する。
そこで原作には登場しない、その他大勢の教授たちも教鞭を執っていた。原作に登場する教授たち、言い換えると大広間でダンブルドアと同じ並びに席があるのは、各科目の主任教授という扱いだ。なんとなく味気ない気もする。しかしそこは、原作で過労死しそうだったスネイプやマクゴナガルの労働環境が改善されたと思って、我慢しよう。
◇
初日の授業が終わった。
「ドラコ、これからどうする?」
「とりあえずスリザリン入りを親に報告したいな。校章入りの便箋でもないか、売店で探してみる。きみたちも行くか」
「行く」とクラッブとゴイルが声を揃え、ノットも頷いた。
このホグワーツは校内に売店も備えていた。全寮制の学校なのに売店がなかったら、外出が制限されている者は困る。
売店の品揃えは意外にも豊富だった。雑誌や文房具、学用品の他にも、生活必需品、衣類、何かの工作材料、寮章入りの応援グッズなど。品揃えに比べて場所が足らず、混沌とした陳列になっていた。
店内の一角に、学生からの一言メッセージとそれに対する回答のカードが、壁を覆う蔦のように貼られていた。
「ひとこと:方眼紙タイプの羊皮紙が欲しい / スタッフより:秋から取り扱い開始します」
「ひとこと:単位下さい / スタッフより:売り物ではありません。担当教授にご相談下さい」
どこの学校でも学生生協はこんなものかと笑ってしまった。
しかし目当ての便箋はあっても、レジも店員も見当たらない。店内をうろうろしていたら、横から上級生に声を掛けられた。
「どうした少年」
「買いたい物があるのですが、支払い方法が分からなくて。よろしければ教えて頂けませんか」
「ああ。ここでは現金は使わないよ。品物を持ってこの売店から一歩でも出ると、それで購入したと見なされて、代金は毎月まとめて実家に請求される」
自動決済かよ。
店を出た後、礼を言おうと上級生に向き直った。すると相手は俺の胸元を見て、露骨に嫌な顔をした。
「なんだ。蛇寮の奴か。親切にして損した」
そう言って舌打ちまでした上級生のネクタイは、グリフィンドールの赤だった。
その後書き上げた手紙を出しに、梟小屋に向かった。生徒が使い魔として連れ込んだ鳥は、普段はホグワーツ城の外の梟小屋で世話されているという。
天井の高い小屋には、大小種類様々な猛禽類がいた。鳥臭い小屋の入口から中を覗いていると、背後から「手紙を出すんか」と轟く声が降ってきた。
驚いて振り向くと、目の前にあったのはベルトのバックル。仰ぎ見てようやく巨大な男の髭面が見えた。ホグワーツの森番、ハグリッドだった。間近で見ると、やはり大きい。
「どうした。梟便を出すんだろ」
「あ、はい。そうです。家から連れてきたフクロウがこちらで世話されていると聞いて」
彼は俺を押しのけて小屋に入ると、「ふんふん。所属と名前は?」と大きな声を響かせた。
「スリザリン一年、ドラコ・マルフォイです」
彼は無表情になった。昨夜配られた「蛇寮の心得」にも、「ハグリッドは親グリフィンドールで反スリザリンなので余計な接触はしないが吉。ついでに奴の前でダンブルドアの悪口を言うと怒る」と書いてあった。反ダンブルドア派のマルフォイに好印象を持っているはずがない。
それでも彼は俺のワシミミズクを連れてきてくれた。巨大なハグリッドが抱えていると、小型犬より大きい猛禽が、雀ほどの小ささに見えてくる。
「ほれ」
「ありがとう」
俺が受け取ると、ワシミミズクはやはり腕に持て余す大きさだった。足につけられたタグを確かめた。間違いなく列車内で書かされたドラコのタグだ。名を書いた時には白色だったのが、所属寮のシンボルカラーの緑色に変化していた。
「自分の飼っとる子の顔も覚えとらんのか」
嫌味は聞き流し、鳥の足に手紙を括り付ける。
「頼むぞ、梟三号」
宙に放り投げると、ワシミミズクは大きな翼を広げて南の空へ飛んでいった。やはり猛禽類は鳥小屋よりも空のほうが似合う。
「梟便を出す時以外は、フクロウを小屋から出しては駄目なんでしょうか」
「駄目ってこたあ無え」
「たまに運動させてやりたいんですが、どこか良い場所を知りませんか」
ハグリッドは、あまり校舎に近くない所、たとえば森の手前ならいいと言った。
「森……」
たしか原作で、ドラコがハリーたちと一緒に肝試しに行って、馬の生き肝を食らう敵と遭遇する場所だ。生き肝ではなく生き血だったか? どちらにしても遭いたくない。森にはあまり近寄りたくない。
「ほれ、ここからでも木のてっぺんが見えるだろ。森の中に入るのは危険だけども、手前をうろつくだけなら心配ねえ」
「分かりました。どうも」
会釈して小屋を去った。髭だらけの男は俺が小屋から離れるまで、しばらく見張っていた。
城に戻ってからも、周囲に「うわ、スリザリン生だよ」と嫌そうな反応をされることが何度かあった。陰口を叩かれるから仲間で固まるのか、徒党を組んで威圧感を与えているから陰口を叩かれるのか。どちらが先か分からないが、スリザリンは確かに他の三寮から孤立していた。
寮に戻ると、談話室の隅でクラッブとゴイルが菓子を貪っていた。
「それ、さっき売店で買ったやつだろう。もう食うのか。もうすぐ夕飯なんだから、程々にしておけよ」
「うん」
「甘い物は別腹」
食い物に執着する二人のいつもの姿に、なぜか安心してしまった。スリザリン生は、疲れる。