フォフォイのフォイ 作:Dacla
入学から数日経つと、新入生たちも集団生活というものが分かってきた。教室移動の最中に喋る余裕も出てくる。
「次のDADA(闇の魔術に対する防衛)って、どんな授業だろうな」
「さっき朝ご飯の時に先輩が教えてくれたけど、なんか臭いんだって」
「はあ? 臭いって何が」
俺たちの後ろで少年たちがあれこと予想している。初めて主任と付く教授の担当講義。皆、期待していた。
「ドラコ、なんだか顔色悪いけど、大丈夫? 保健室行く?」と隣を歩くパンジーが心配してくれる。
「平気さ。初回の授業から休みたくない」と俺は答えた。一人だけ欠席して、教授の注意を引きたくない。
この科目を担当するクィレル教授の姿は、食事時に大広間で何度か見掛けている。頭に紫色のターバンを巻いていた。おそらくその下、彼の後頭部には原作と同じくヴォルデモートのなれの果てが寄生しているのだろう。
後に肉体が復活してからの粘着質ないびり方からして、ヴォルデモートは自分を裏切ったルシウス・マルフォイに、相当な恨み辛みを抱いている。その息子に対して無関心・無頓着でいてくれる保証はない。俺は暴君の興味を惹かないよう、クィレルの前ではできるだけ存在感を消すつもりだった。
だが、それだけで大丈夫だろうか。
目的地に着いた。
うわあ、と誰かが呻いた。教室のドアを開ける前から、もうニンニクの匂いが漂っている。大抵のニンニク臭なら食欲を刺激されるクラッブとゴイルが鼻を覆ったくらいなので、相当な物だ。
先輩は、「はいここがDADAの教室だ諸君の健闘を祈る」と一息で言ったかと思うと、足早に去っていった。
「よし、息を止めるしかないね!」
「一分も保たないよう」
「だったらせめて鼻じゃなくて口で呼吸しなよ。何もしないよりはマシでしょ」
女子たちがそんな会話をしながら、ニンニク臭の巣窟に足を踏み入れていった。
俺は、覚悟を決めて閉心術を張った。杖も呪文も使わない、精神力に左右される魔法なので、何をしているかは一見しただけでは悟られないだろう。
入学するまでの間、本を頼りにこつこつ習得に励んできたつもりだ。しかし頭を覗かれても後腐れのない、ドライな知り合いがいなかったので(イースは頼んでも開心術を掛けてくれない)、習熟具合が判らない。開心術の侵入を防いだ実績があって、その時初めて閉心術というファイアウォールの機能はチェックできる。なのに俺はテストなしに、いきなりそれを本番に突っ込むわけで、怖い。『これで安心! 浮気がバレない閉心術』が、ヴォルデモート対策にも役立つ本であることを祈るばかりだ。
俺はゴイルの後ろの席に座って、机の下で両手を組んだ。
ベルが鳴り、クィレルが教室に入ってきた。気弱そうな雰囲気の男は、今日もターバンをぐるぐると頭に巻いている。
彼は教室を見回すこともなく、俯きがちのまま授業を始めた。生徒への関心がないことは明らかだった。スリザリンはひそひそと、しかし堂々と耳打ちし合った。
「この先生、色々と素晴らしくて涙が出そうじゃない?」
「その涙、ニンニク臭のせいだよ」
「うちの姉さんが言うには、別の科目の教授だった一昨年はもっと普通の感じだったって」
「去年は?」
「去年一年は休暇取ってたらしいけど」
「じゃあもう一年休職してれば良かったのに」
俺はひそひそ話には加わらずにじっとしていた。
クィレルが教卓から離れずに生徒のほうを向いている(見てはいない)タイプだったのは、ありがたい。彼の後頭部が、そこに取り憑いているヴォルデモートが、こちらを向く時間は短いほどいい。
と、一瞬クィレルが目を上げて教室内を見回した。俺は居眠り中のゴイルの背に身を隠した。
「み、皆さん、お、お、おし、お、お静かに」
教授が注意するとザビニがその吃音を真似し、女子生徒たちがくすくす笑った。
パンジーもその一人だったが、横の俺がにこりともせず身を固くしているのを見て、笑いを収めた。「本当に大丈夫?」と唇の動きだけで尋ねてくる。
俺は頷いた。効果があるかどうかも分からない閉心術を張り続けるのは、なかなかに集中を強いられる作業だった。
ベルが鳴る頃には、頭痛がし始めていた。
教室を出たスリザリン一年は、みんなで大きく深呼吸した。俺も大きく息を吐いた。
今日の段階では、クィレルはドラコの名前すら呼ばなかった。なんちゃって閉心術も気付かれなかったか、気付かれた上で見逃してもらえたのか、分からないままだ。勘付かれなかったと前向きに捉えて、次回の授業でも引き続き術を張ろうと思う。できれば一年間、目を付けられることなく終えたいものだ。
俺が閉心術を解いた(つもりになった)のは、階段を下りてDADAの教室から完全に死角になってからだった。
◇
お待ちかねの金曜日がやってきた。
犬猿の仲とされるスリザリンとグリフィンドールの合同授業で、スネイプ主任教授の魔法薬学だ。
早めに教室に来たスリザリン生は、寮監の授業に「初回くらいやる気を見せよう」と、示し合わせて前方に席を取った。俺は教科書とノートと筆箱代わりのペントレーを机にセッティングした。
「ちょっと男子!」と、ダフネが眉を吊り上げて教室後方に怒鳴った。「最初くらい協力しなさいよ」
「なんでだよ」と、一番後ろの席に陣取ったブレーズ・ザビニが冷笑する。「あんたは女王陛下か。従わないと首を刎ねるって?」
その隣に座っているオリザ・グレイバーも引きずられるように笑った。
ダフネはくるりとこちらを向いた。「マルフォイ」
「ふぉい」
「あの二人をどうにかして」
「いいじゃないか。好きな席に座る権利は彼らにもある」
ところがダフネだけでなく他の少女まで険しい顔を向けてきたので(女子集団の威圧感たるや)、俺は速やかに立ち上がった。
近づくと、ザビニは腕を組んでふんぞり返り、俺を睨んだ。
「マグル生まれだけじゃなく女子にもいい顔したいのか。カネでもばらまけよ」
いやあね。成金は発想が賤しくて。
「オリザ、ブレーズ。今日のところは前に来ないか。そこに座っているとグリフィンドールに囲まれて、先生にもグリフィンドール生と間違われるぞ」
「あ、それは嫌だ」と、グレイバーはそそくさと荷物をまとめて友人にも促した。「移ろう、ブレーズ」
ザビニは舌打ちして、嫌々席を立った。
「次回からは好きな所に座っても、女子も文句は言わないさ。ぼくもそうする。な、ブレーズ」
肩に手を掛けようとすると、腕ではね除けられた。
「馴れ馴れしく呼ぶな」
「それは失礼したね、ザビニ」
休み時間も終わる頃、ようやくグリフィンドール生が教室に到着し始めた。彼らに向けられるスリザリン生の視線は冷ややかだった。グリフィンドール生がこちらに向ける目もまた嫌悪を帯びていた。上級生が衝突しているのを散々間近で見ているうちに、いがみ合う習慣が身についてきたらしい。
やがてスネイプがベルの音と共にやって来た。教室のざわめきは、彼が口を開くとすぐに途絶えた。
「出欠を取る」
低く柔らかな声には、生徒を黙らせる力があった。
スネイプは淡々と出席を確認していったが、グリフィンドールの途中で、わざとらしく声を高めた。
「――ああ、ハリー・ポッターか。我らの新しい名士だな」
その言い方が、夏に父上がうんざりしていた時とそっくりだった。思い出して失笑したが、それが静かな教室にずいぶんと響いた。
あ、今の笑いは感じが悪い。
慌ててハリーのほうを盗み見ると、彼の隣のロンがこちらを睨んでいた。ごめんごめん、今のは完全に俺が悪かった。手刀を立てるように片手で詫びたが、日本式では通じないと気付いて、手を胸の上に置く。だがもう二人とも俺のほうを見ていなかった。
出欠確認の後、ハリーはスネイプの意地悪い質問攻めにあった。他の生徒も矛先を向けられないよう、必死に存在感を殺している。例外は回答したくて堪らないハーマイオニーだけだ。
原作であったシーンということしか覚えていない俺も、大人しくしていた。一応、教科書の索引を調べていると、後ろから指でつつかれた。
「なんとかの粉になんとかを煎じた物を入れると、って何になるんだ」と小声でクラッブ。
声を潜めて俺は答える。「アスフォデルの球根の粉末に、煎じたニガヨモギを加えた物になるに決まっているだろう」
「じゃあベアー石を探すなら?」と、その隣のゴイルも聞いてきた。
「ベゾアール石な。物が何なのか解らないと探しようがないから、とりあえず百科事典で探す」
「それじゃ最後のは? なんとかフードとなんとかべーンの違い」
「綴りが違う」
なるほど、とクラッブとゴイルは頷き、俺の横のノットには「おまえら馬鹿だろ」と呆れられた。そして俺たちは声を立てないようにして笑った。
弁解させてもらうと、スネイプの授業があまりに原作のままなので楽しくなっていた。案の定、ハリーはスネイプに難癖を付けられ減点された。
その後は、簡単だという魔法薬の調合実習。
教授は机の間を回って、嫌味をまぶした注意を分け隔てなく多くの者に与えた。ただ実習メインの授業にしては、生徒数が多すぎる。あまり監督の目が行き届かないだろうなと思った矢先、その事故は起きた。
教室の片隅で短い叫び声が上がった。悲鳴の後に、駆けつけたスネイプの「馬鹿者!」という怒鳴り声。クラッブ・ゴイル組の調合を見てやっていた俺は、ノットと顔を見合わせた。
「何?」
「さあ」
様子を見ていると、泣いているネビル・ロングボトムに同級生が付き添って教室を出ていった。
その後、「級友に注意喚起しなかった」という理由でハリーがとばっちりを受け、減点された。一方で、加点こそされなかったが、「ツノナメクジの茹で方が完璧だ」という些細なことで俺だけが誉められた。注意された生徒は多くても、誉められたのは俺だけだった。スネイプ教授はハリー・ポッターが嫌いで、ドラコ・マルフォイを贔屓している。教室にいた者は、クラッブやゴイルでさえそれを理解した。
授業の後、グリフィンドール生はあっという間に教室から姿を消した。スリザリン生も、予想より厳しい授業に疲れた様子で出ていった。
俺は実習の片付けをしているスネイプに近づいた。「教授、片付けを手伝いますので、数分お時間頂けますか」
彼は手を動かしながら「では余った材料をケースに戻してくれ」と言った。
ザビニが俺とすれ違いざま、「リンゴ磨き」と囁いていった。誰がゴマすり野郎だ。
調合で使わなかった分の生薬を揃えてケースに入れ、指示された棚に収める。スネイプは、実習の成果物という名の産廃をせっせと消し去っている。他に生徒がいなくなった頃合いに、先方から話しかけてきた。
「ドラコ、学校はどうだ」
「今のところ楽しいですよ。食事が口に合わないのが憂鬱でしたが、家への手紙に書いたら、来週には調味料を送ってもらえるのでどうにかなりそうです」
醤油が届くのが待ち遠しい。早く来い来いキッコーマン(ヤマサかな)。
その他は、寮内のシャワールームもトイレも清潔で、ストレスはない。風呂に入りたいと思うこともあるが、バスタブに湯を張れるのは、監督生専用のバスルームだけだという。思わず監督生を目指したくなる話だ。
「それはさておき、セブルス小父さん」
「学校ではスネイプ教授と呼べ、マルフォイ」
「では教授にお願いしたいことが二点あります。一点目は、ぼくも他の生徒と同じように扱って下さい。小父さんがぼくを贔屓するのは、父上との繋がりを強調するためだと分かっています。ですが勉強熱心な生徒を差し置いて、ナメクジの茹で方くらいしか誉めどころのない自分が持ち上げられるのは、どうもね」
スネイプはふんと笑った。
「少し違うな。私がきみに目を掛けるのは、きみのためだ。マルフォイ家の跡取り息子はマグル贔屓だと、一部の上級生に疑われているぞ」
「困りましたね」
肩を竦めてみせると、スネイプに叱られた。
「笑い事ではない。純血を尊ぶスリザリンで、純血主義を標榜しているマルフォイ家の後継者が、その純血主義を軽んじる。スリザリンの価値を純血に見出す者にとっては、アイデンティティを否定されたも同然の恐怖だ。その恐怖と怒りがきみに向いたら、どうなると思う」
「小父さんが助けてくれたのは分かりました」
依怙贔屓は、寮監お気に入りの生徒に手出ししにくくなることを狙ってのことだった。
「でもやっぱり特別扱いは気が引けるので、今後は勉強で頑張ります。どうせならもっとまともな事で褒められたいですよ」
「革のペントレーでも褒めてやろうか。あれはいいセンスだ」
「同意しますが、あれは、小父さんが誕生日に梟便で贈ってくれた品ですよ」
俺が笑うと、スネイプも「無論、知っている」と唇の端を引き上げた。
「お願いしたいもう一点は、実習の危険度についてです。子供が薬品を扱うには、このクラスは人数が多すぎます。合同授業ではなく逆に少人数制を敷くか、助手を付けることをご検討頂けませんか。あるいは、初回はもっと簡単なままごと程度の実習にすることはできないでしょうか。学生の分を出過ぎたお願いだとは分かっています。でも今日のようなことが度々起こると、ぼくたちも魔法薬学に対して苦手意識を持ちかねません」
「一年生から少人数制にしたいのは山々だが」と教授の顔が渋くなった。「カリキュラムは校長が承認している。校長か理事会に言ってくれ」
「分かりました。理事を通して訴えてみます」
ちょうど都合の良いことに、ドラコの父親は理事だ。俺の「パパに言いつけてやる」攻撃を受けてみろ、ホグワーツ。
Craft "Serpent Soul"