フォフォイのフォイ   作:Dacla

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空の蟻・2

 強張った俺の顔を見て、軍曹はにやりと笑った。

「なーんてね。びっくりした? 俺がこれで殴っちゃうと思った? そんなわけないじゃん。俺、ひ弱だからね。きみを殴ったりしたら俺のほうが骨折しちゃうから。それよりこれ脱いでもいいかな。いいよね。さっきから暑くてさ。ほらこれウールだよ、ウール。冬物の。何考えてんの、俺」

 

 ぺらぺらと喋りながら彼はローブを脱いだ。それまでの厳つい態度と雰囲気が嘘のようだった。今はただのガタイのいい陽気な兄ちゃんだった。

 

「マルフォイさんに雇われたいなら真面目にしたほうがいいって、ここを紹介してくれた人に言われてさあ。べつにいつも俺が不真面目なわけじゃないのよ。ないんだけど、ドラコくんが俺を怖がってるみたいだから、早めに素を出したほうがいいかなと思ったんだ。どうよ、さっきの俺の態度」

「……あ。えっと、適切だったと思います」

「イエー」と、タービネイトは拳を俺のほうに突き出してきた。

 いきなりのカジュアルな挨拶に面食らったが、こちらも拳の指の甲をガツンと当てた。相手は少し目を見張ってから、にかりと笑った。

 

 俺たちは早々に打ち解けた。タービネイト氏からは、愛称のイースで呼んでもいいと言われた。

 彼の教えかたは要領が良かった。箒の扱いかた、正しい姿勢、やってはいけない事。子供にも理解できるように分かりやすく実演してくれた。

 

 基本レクチャーの後、「それじゃちょっと飛んでみようか」と、イースは箒を持ち直した。

「待ってください。ぼくの箒がありません」屋敷に置いてきたままだ。

「なるほど。箒さえあれば、ドラコくんはすぐにでも飛べると」

 杖があっても魔法を使えない今の俺には、答えられない問いだ。

 

 イースは「ここに乗りな」と、箒の穂を叩いた。「いきなり一人で飛ばせるわけないって。タンデムしよう」

 バイクの後ろに人を乗せたことは何度かあるが、箒の後ろに乗るのは初めてだ。箒を跨ぐ前に、幾つかの魔法を掛けられた。

 

 まずは、高所から落下した時のために衝撃緩和の魔法は必須だという。次いで、風や埃から目を保護するために、盾の魔法を眼前に展開(プロテゴってこういう使いかただっけ)。強風や騒音の中でも会話が出来る魔法は、ツーリングの時にあると便利なインカム代わりだ。

「このへんはご両親から教わって。魔法は時機を見て親から教えるって、マルフォイさんから言われてる」

 他人から魔法を教わったところで、スクイブだと思われるだけだからな。

 

 改めてイースが箒に跨った。前のほうに詰めてくれたので、パッセンジャー(タンデマー)の俺は穂の根本に位置取りすることができた。スカスカの穂先では体重に耐えられないのではと心配していたので良かった。

 ベルトやバーのような掴まる所がないので、仕方なくイースの腰に手を回す。片手首をがっしりと握られたので、途中で落ちる可能性は低くなった。

 

 困ったのは足の置き場だった。

 穂の根本近くから伸びるステップはライダー用なので、俺が横取りするわけにはいかない。かと言って箒の両脇に足を投げ出していては、ライダーの腰を膝でグリップすることができずに安定性が悪い。

 

 どうしようか考えていたら、イースがステップを蹴って角度を変えた。「地面から浮いたらここに足を置いて」と譲られた。

「イースはどうするんですか。これが無いと踏ん張りが利かないでしょう」

「平気平気。そんなスピード出さないし、昔の人は使ってなかった補助器具だから、無くても何とかなる」

 ありがたく使わせてもらおう。

 

 位置が決まると、飛行術のコーチは「それじゃしっかり掴まって」と言うなり地面を蹴った。

 箒が浮いた。

 

 それと同時に体重を感じなくなった。空に引きずり上げられるようで、慌ててライダーの胴体にしがみつく。

 それからしばらくは、地上二メートルほどの高さを、飛行というより空中散歩ののんびりさで飛んだ。

 

 俺が慣れたのを確かめて、箒は高度と速度を上げた。

 空に突っ込む。

 風が耳元でバリバリと叫ぶ。

 バイクで馴染みのある感覚に近い。体幹の使いかたも同じだ。

「どう?」と怒鳴る声が耳元で聞こえた。前からも千切れ飛んできた。

「最高です!」と怒鳴り返した。

 

 イースはしばらくマルフォイ邸の敷地の上を流してくれた。高度が下がり始めた時には、思わず文句を言うくらいには楽しかった。

「もう少し飛びましょうよ」

「駄目! 寒い! 俺もう限界!」

と叫ぶのを聞いた時には、ローブを脱いだからだと一瞬だけ呆れた。しかし彼はパッセンジャーの俺に、掴む所と視界を提供してくれたのだった。

 

 地面に降り立つと同時に重力が戻ってきた。草を踏んだ足に、ずん、と体重がのし掛かる。

 

 ローブを急いで纏うと、イースは飛行前に掛けた魔法を全て解除した。飛行中は杖を使わないのが彼のポリシーだという。

「時間的に今日のレッスンはここまでだね。どうだった」

「楽しかったです。本当に」

「そりゃ良かった。ドラコくん、体重移動が上手いね。センスあるよ。来週からはきみの箒を使って練習するよ。人に教えるのは初めてだから、分かりにくいところがあったらすぐに言ってな」

 こうして俺は飛行を教わり始めた。

 

 俺自身と年が近いこともあり、イースとは気楽な友人関係になった。ほぼ地の態度で接していたら、「十歳のくせにおっさんくさい」と言われたが、「周りが大人ばかりだから」という理由で納得してくれた。

 

 彼は学校卒業後、世界各地を放浪していたそうだ。イギリスに戻ってきて一年ほどぐうたら過ごし、いい加減働いてくれと母親に泣きつかれたのが今年のこと。母親の知人であるグラブラ夫人から、飛行の家庭教師を探している家があると紹介され、応募したそうだ。

 

「面接の時、俺がダームストラング卒だと知ったらマルフォイさんが俄然食いついてきたよ。ドラコくんも行くの?」

「いや、ホグワーツのつもりだ」

「だよねえ。俺からも母校を薦めてくれって言われたけど、そっちのほうがいいよ」

 

 息子をダームストラングに入れることを、父上はまだ諦めていなかった。しかし俺たちには全くその気がない。

 

「ちなみにどんなところなんだ、ダームストラングは。実践的に魔法を学ぶと聞いているが」

「うん。確かに、どんな魔法も体で覚えろって感じだったよ。あと女子が少ない。ブスばっか。でもどんなブスでもそれしかいないと可愛く見えてくるよ」

 やはりホグワーツに行こうと思った。

 

          ◇

 

 レッスンも五回目を数えた日。初めてイースの補助無しで一人で飛ぶことになった。

 まずは飛行用の各種魔法を掛けられた。

「これで箒から落ちても、きみが怪我をする確率は低くなった。あまり緊張しすぎないで、リラックスして。危ないと思ったら慣性と風には逆らわない。いいね」

「はい、コーチ」

 箒に跨り、深呼吸。

 

 上がれ、と念じると、上向きに落ちていく感覚と共に地面が離れていった。思ったより速い上昇。あっという間に芝生が遠ざかっていく。

 

 飛んだ。

 飛べた!

 

「イース、見ろ! 飛んでいるぞ」

「ああ浮いてるな。飛べたって言えるのは前進してからだから」

 家庭教師の冷静な指摘を受け、高度を保ったままゆっくりと前に進めた。

 

「どうだ。これなら飛べたと言っていいだろう」と地面で見守るイースに話しかけると、

「前を見ろ。バランスが崩れかけてる」と怒鳴られた。

 

 少しだけあった恐怖も消えてきたので、少し上空に上がることにした。

 芝生も、森も、屋敷の屋根も、青空も。秋の気配を帯びて色が柔らかい。

 敷地の外の田園風景が見えた。何か光る物が地上を猛スピードで移動していく。ハイウェイを走る車が陽光を反射しているのだった。

 このまま遠くまで行きたくなった。

「おい、ドラコくん。どこ行く。そっちはマグルに見つかるぞ」

 うるさいな。

 

 イースの視界から出るべく方向を変えた時、庭に出てくる人影が見えた。遠くて表情は見えなかったが、間違いなく俺のほうを見ていた。

 

 俺は逃亡する考えを捨てて、そちらへ飛んでいった。

 

 近づくにつれ、ドラコの両親の表情が見えてきた。二人とも驚いている。喜んでいる。

「ドラコ!」と、母上が両腕を差し出してきた。

 

 箒に乗ったままでは突っ込めない。手前でドリフト気味に取り回して着地しようとした。しかし摩擦が効かないせいか、地上付近の空気の上を滑りすぎた。着地は失敗した。

 

 地面に転がり落ちた俺のところに、両親が駆けつけてきた。

「ドラコ、一人で飛べたのね」

 母上は息子をぎゅうぎゅうと抱き締めた。父上は庭を歩いてきたイースに「ドラコが一人で飛んだ!」と、見たままを言葉にした。

 

 家庭教師は眉を僅かに上げて「ご子息に飛行を教えるのが私の仕事です」と、堅苦しい態度で応えた。

「それでも礼を言う」

 父上はイースの手を取った。素直に謝意を示すのは珍しい。いつも偉そうな態度で他人に接している父上の姿しか、ドラコの「記憶」には無かった。

 

 その日のレッスンはかなり早めに切り上げられ、イースは早々に帰った。「ご家族で存分に喜びを分かち合って下さい」と言っていたから、繰り返し礼を述べる両親の相手が面倒になったのだろう。

 

 レッスンが早く終わった分、思わぬ空き時間ができた。

 勉強も読書も手につかない。飛行の興奮がまだ醒めない。

 気分を落ち着かせようと、いつまで経っても結果の出ない魔法の練習をすることにした。箒を浮かび上がらせた力が、羽毛も宙に引き上げてくれればいいのに。

 

 杖を対象に向かって動かし、呪文を唱える。

 羽毛はあっさりと浮き上がった。

「え」

 

 何かの間違いではないかと、目に付いた他の物にも魔法を試してみる。いずれも成功した。

 室内が軽いポルターガイスト状態になったところで、俺は現状を認めた。初めて箒で飛べた日に、初めて魔法に成功した。これは偶然ではないだろう。

 魔法を成功させるには想像力――明確なイメージを描き出す力が必要だという。これまでの俺は、自分が魔法を使う姿が想像できなかった。子供のごっこ遊びをさせられているようで、夢の中だというのに白々しく感じていた。

 空を飛んだ爽快感の余韻が、それを忘れさせてくれた。部屋で色々な家具を浮かせて、魔法を使う感覚も理解できた。

 

 俺は杖を握ったまま、「父上! 母上!」と階段を駆け下りた。

 

 ドラコが魔法を使えるようになったと知った時の両親の喜びようは、飛行の比ではなかった。

 

 父上は息子の髪をわしわしと掻き乱してから、「今夜は祝杯だ!」と叫んでワインセラーに突撃していった。母上は「良かった、本当に良かった」と涙ぐんでいる。

「あなたがスクイブでも私たちの息子だという気持ちに嘘はありませんが、魔法を使えてくれたほうが、ずっとずっと嬉しいわ。魔法が使えないなんて不憫すぎるもの。この先あなたが世間に冷たい目で見られながら苦労すると思うと、気が気でなかったんですからね」

 

 大袈裟な、と笑い飛ばすことはできなかった。母上にとっては、息子が社会的弱者になるかどうかの瀬戸際だったのだ。無理に魔法を覚えようとしなくて良いと庇ってくれた父上も、内心では歯痒かっただろう。

 

「泣かないでください、母上。ご心配をお掛けしましたが、もう大丈夫です。きっと他の魔法もすぐに使えるようになります」

 俺がそう胸を張ると、母上は小さく笑った。

「期待していますよ。気分転換になればと思って飛行を習わせたけれど、予想以上の成果だわ」

 

 息子が魔法に苦戦していると分かった早い段階で、両親は飛行術を習わせることを検討したらしい。ろくに魔法を習得していなくても、魔力があれば専用の箒で空を飛べる。それは原作のハリーが証明した通りだ。魔法の素質がない者にはそれも無理だが、ドラコに魔力があることは幼い時に判明していた。そして俺が飛行に興味があると言い、母上に相談されていたグラブラ夫人が適当な人材を連れてきてくれたのだった。

 

「これで安心してドラコを魔法学校に預けられるわ。ねえ、ルシウス」

「そうだな」

 赤い目をして戻ってきた父上も頷いた。

 

 ああ、そうか。

 杖を介した魔法が使えるようになったので、ホグワーツ入学にあたっての心配は無くなったわけだ。

 

 つまりドラコという役割を与えられた俺が、『ハリー・ポッター』という物語に登場するための条件は満たされた。




Between The Buried And Me "Ants of the Sky"
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