フォフォイのフォイ   作:Dacla

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足元の不思議・1

 俺は壁に向かって声を掛けた。

「おはようございます、お祖父様がた、お祖母様がた」

「おやルシウス。箒など持って、どこかに行くのかい」

 年配者の言葉に軽く苦笑する。「いやだなあ。ぼくはドラコですよ。ルシウスは父上です」

「そうだったかね。子供の頃のルシウスにそっくりだよ」

「年を取ると記憶がいい加減になるのだ。許せよ、我らの子」

「気にしておりません。皆様がお亡くなりになった後に生まれた子孫ですからね、ぼくは」

 会話の相手は壁に掛かった肖像画だ。

 

 この屋敷のホールには、先祖代々の肖像画がずらりと飾られている。仏間の鴨居に並んだ写真のようなものだ。マルフォイ家は歴史が長いので、全員を飾るには人数が多すぎる。そのため時代が近い人物の他は、多大な功績のあった当主などに絞られていた。

 そしてこの肖像画は、原作のホグワーツ校長室にあったものと同じく、描かれた人物の擬似人格と喋ることができた。日頃接する人間が限られている俺にとっては、二次元の年寄りでも貴重な話し相手だ。

 なお、彼らのことは全て「祖父ちゃん・祖母ちゃん」と呼んでいる。曾祖父だの高祖母だのと呼び分けるのが面倒だし、個人名はよく知らない。先方だってドラコの名前は碌に覚えていない。

 

「それより我らの子よ。箒に乗るなら庭に出よ。ここで飛び回ってはならん」

「分かっています。これから友人と遠乗りに行くので、皆様にご挨拶をと思いまして」

 俺が家の外に出たがっているのを察して、イースが近場のツーリングに誘ってくれた。軍人めいた態度と正論を駆使してドラコの両親を説得してくれた彼には、本当に感謝だ。両親も、息子が魔法を使えるようになった恩を感じている。彼が一緒ならばと外出を許してくれた。

 

 肖像画の貴婦人が横に向かって呼びかけた。「アブラクサス、小さな冒険に出る我らの子に支度金を」

 それに応える老紳士は、ドラコの祖父に当たる人物だ。「それはこの子の親から与えましょう。ドラコや、父上を呼んできなさい」

「小遣いはもう頂きました。お気遣いありがとうございます」

 

 今朝、朝食後に母上から小遣いを貰った時には驚いた。金額もさることながら、渡された紙幣にエリザベス女王の肖像が印刷されていたからだ。

 イギリス魔法界では、非魔法界とは異なる独自通貨がある。ガリオン金貨、シックル銀貨、クヌート銅貨。ところが渡された貨幣は、ポンドとペンスだった。魔法界の住人にとっては外貨も同然のそれを、母上は嫌そうに指先だけでつまんで寄越した。

『マグルの世界ではガリオン金貨は使えないそうですからね。社会勉強のためにもマグルの金銭を知っておくべきだと、父上から預かりました』

 さすが父上、話が分かる。と思ったものの、何かが釈然としなかった。

 

 ホールでご先祖たちと喋っていると、母上がやってきた。

「ドラコ。あの靴下は履いていますか」

「ええ、言われた通りに」

 そう答えているのに、服の裾をまくって確かめられた。

 それは一見ただの靴下だが、ポートキーの魔法が掛かっている。決められた時刻にこの靴下が肌に触れていれば、どこにいようと、履いている人間はこの屋敷に召還される。門限厳守と誘拐防止のお守りだった。

「母上は心配しすぎです。近場に遊びに行くだけなのに」

「そうは言っても、何かあってからでは遅いのですよ」

 

 まもなくイースが迎えに来た。

 今日のために買ってもらったゴーグルを掛け、天狗の隠れ蓑、もとい透明マントを羽織る。これは原作でハリーが使っていた一品物とは違う。量産された、機能の劣る市販品だ。防護用の魔法はまだ習得していないので、母上に掛けてもらった。

 俺たちは社会勉強に出発した。ドラコにとっては「空からイギリスを見てみよう」とでも題すべき遠出だ。

 

          ◇

 

 快晴。かなり肌寒い。

 屋敷の周囲に広がる森の向こうは田園地帯だ。

「ここから先はマグル除けの魔法は掛かっていないそうだ。森を抜けたら気を付けなよ」

 声だけが耳に届く。

 前を飛ぶイースも透明マントで光学ステルス中のため、その姿は目視できない。しかしはぐれる心配は無い。引力と斥力を魔法で操作して、互いの箒の間隔を一定距離で保つようにしてある。

 

 空の青に全身を浸して飛んでいく。

 足元に広がるコッツウォルズ地方は、秋の黄金色に輝いていた。

 黄色く色づいた木立と、緑の丘が連なる丘陵地帯。その緑の丘で牧草を食む羊たち。敷地を区切る石垣の間のフットパス(小径)を歩く観光客の赤いデイパック。小川に反射した青空と日差しの欠片。

 集落に入ると川沿いに石造りの道が現れる。小橋も石造りだ。黒ずんだ茅葺き屋根を次々に飛び越える。足元の国道では、フェデックスの運送トラックが観光バスを追い抜いていった。

 

「右手向こうに真っ直ぐな道があるだろ」と声が入ってきた。「あれはマグルの使う高速道路。ロンドンまで行くやつだ」

「ロンドンまで行くのか。聞いてないぞ」

 驚いて問うと、笑い声交じりに返ってきた。

「行かないよ。今日は近くを流すだけって約束したからね、きみのご両親と」

 

 やがて俺たちは、こじんまりとした村に下り立った。早めの昼だ。

 パブに入ると、店内の客の視線が訝しげに俺たちに集まった。

 ごく普通の服装のはずなのに、と俺たちは互いの格好をもう一度確認した。うん。ただのジャージにサンダルのおにいさんと、ジャージにスニーカーのお子さまだ。服はイースが事前に買ってきてくれた物で、俺から見ても違和感はない。揉め事の原因になりかねないサッカーチーム関連の品も身に付けていない。透明マントは外したし、服の上に着ていたローブはバッグにしまった。

 

 とチェックしたところで、右手の箒に気が付いた。さすがに掃除道具を持ってパブに入る奴はいない。イースも同じ点に思い至ったらしく、周囲に聞こえるように大声を上げた。

「いくらチャリティウォーク中でも、休憩の時は箒を置いて大丈夫だぞ」

 何だそれと思ったが、話を合わせる。

「だって下手な場所に置いて片付けられたら困りますよ。コーチだって持ったままじゃないですか」

 周囲の人はそれで納得してくれたらしい。俺たちへの注目は静かに解けていった。

 

 俺はコーラを頼んだ。上空の秋風に晒されて体は冷えていたが、ビールを飲みたい気分だった。せっかく本場のパブに来たのに、酒が飲めない子供の体が恨めしい。

「お茶じゃないんだ、坊ちゃん」

と、イースにはからかわれた。

「外でくらい別の物を飲ませてくれ。もっと強い物でもいい」

 ぼやきながら向かいのビールにてくてく二本指を歩かせていくと、「あげないよ」とジョッキが遠ざけられた。

「きみに酒を飲ませたなんて知られたら、俺、首になっちゃう」

 監督者の慌てた様子に俺は笑い、話題を変えた。

 

「ところでチャリティウォークって何だ」

「ああ、マグルが寄付金を募る時にやるパフォーマンスだよ。目標距離を歩ききったら、スポンサーになってもらった人から約束の金額を受け取れる。子供がやることが多いかな」

「へえ。イースは非魔法界のことにも明るいんだな」

「マグルと魔法使いが混在する町で育ったし、放浪中に色んな人と出会ったからね。俺から見たら、イギリスの魔法界は閉鎖的すぎるよ」

 

 ちなみに、「魔法界」という言葉が示す地域は存在しない。マルフォイ邸の敷地のように「マグル除け」の魔法が掛かっている場所はあっても、それが即ち魔法界ということにはならない。特定の場所ではなく、各地に隠れ住む魔法使いのネットワークやコミュニティを指す言葉だ。だから意味合いとして近いのは「業界」だ。

 部外者を拒む、閉鎖的な業界。

 そう捉えれば、色々と歪んだ常識が罷り通っていた原作の魔法界も、特別なものではない。そんなムラ社会で育つドラコとしては堪ったものではないが。

 

「イースの言う閉鎖的って、たとえば純血主義のことか」

「俺なんかの考えを聞いてどうするの、ドラコくん」

 俺は肩を竦めた。

「ぼくの周りの大人は純血ばかりだし、きっと考え方も似通っているだろう。だから逆にそれ以外の考え方をドラコ・マルフォイは知らない。それを閉鎖的とか、世界が狭いと言うんじゃないか。世界を見てきたイースの目には、イギリスの純血主義はどう映っているんだ。べつに親に言うつもりなんか無いから、教えてくれないか」

 そこまで言えば、彼も警戒を緩めた。腕を組み、少し考えてから喋りだす。

 

「……あれが目指すところは要するに、ピラミッド型の階級社会だよな。長く続いている古い純血の血統が頂点に立ち、その次に普通の純血が来て、マグルから生まれた新しい多くの魔法使いが土台を支える。そんな感じ。反体制的なマグル生まれじゃなければ、多かれ少なかれ、皆持ってる感覚だと思うよ。昔あった、マグル生まれは悉く排除すべし、みたいな過激なのは論外だけどさ。初代がマグル生まれでも、魔法使いとして代を重ねれば自動的に純血になっていくわけだし、いくら代替わりしても階級が変わらないマグル社会のイギリスよりは柔軟かもな」

「なるほど」

 言うまでもなく、「純血」とは魔法使いの男女の間に生まれた魔法使いのことであり、「マグル生まれ」とは非魔法使いの両親から生まれた、原作のハーマイオニーのような魔法使いのことだ。

 原作では陋習として扱われていた純血主義だが、こうして聞くと意外に穏やかだった。

 

「俺の言う閉鎖的っていうのは、もっとこう、魔法界そのものが殻に閉じこもってるっていうか、そういう意味ね。十年くらい前までは、紛争で仕方ないかなと思える事情があったけど、今でも全然変わらねえもん」

「紛争って、『例の人』が起こしたやつか」

「そうそう。俺がダームストラングに行かされたのだって、避難の意味合いが強いんだよね。ドラコくんは覚えてないだろうけど、一昔前は血みどろの抗争を繰り広げててさ。あれ、もしかしてその頃まだ生まれてない?」

「いや、『例の人』が消えた時は一歳だった」

「それじゃハリー・ポッターと同い年だね」

 俺は頷いた。

 

 かつて、過激な純血至上主義を掲げ、イギリス魔法界に破壊と殺戮の嵐を呼び込んだ魔法使いがいた。ヴォルデモートと名乗っていたその魔法使いは、原作同様に、この夢の中でも名を呼ぶのを憚られている。九年前にポッター家を襲撃した際に、自らが放った死の呪文を返されて自滅したということになっているのも同じだ。

 その際に生き残った男児が、ヴォルデモートを打ち倒した象徴的存在として偶像視されていることも。

 

「でもあの子も、今どこでどうしてるか分からないもんねえ。家を襲撃されて、報道通りに一人だけ無傷で済んだとも思えないし、結局死んじゃったかも知れない」

「生きてるさ、きっと」と俺は呟いた。

「まあ元気に育ってるといいね。マグルの親戚に引き取られたって聞くけど、それ以上は分からないからさ。彼のことだけじゃなく、マグル側の情報を集めようとしても、中々難しいじゃない? 俺が言ってる閉鎖的っていうのはそういうところ。マグルから入る情報をわざと遮断して、魔法界の伝統とやらを守ろうとしてる」

 話が戻ってきた。

 

「食べ物や着る物だって、いつまで経っても古臭い。たとえばこれだって、魔法界ではパブの手作りメニューの塩味しか見たことがない」

 彼は、カウンターで飲み物と一緒に買ってきた緑色のパッケージを、バリッと開けた。

「ドラコくんはパブとか来ないだろうから、食べたことないかな。クリスプス。スナックの定番だよ」

 それがポテトチップスであることは、見れば分かる。「ソルトアンドビネガー味?」

「そう。美味いよ」

「あ、本当だ」

 スナックは体感時間で数ヶ月ぶりだ。初めて食べるフレーバーだが美味かった。酢の酸味がすっぱムーチョに似ている。ああ、この尖った塩味。脂ぎった揚がり。ポテチうめえ。

 

「いくつか買って帰ろうかな」

 財布を掴んで立ち上がった俺を、「待て待て」とイースが引き留めた。

「スーパーマーケットという所で、マグルの食品を売ってる。そこでならもっと色々選べるよ。味もメーカーも」

 おお、と俺は唸った。地元のスーパーで買い物体験。正に社会勉強だ。

 

 午後の予定を喋っている間に、フィッシュアンドチップスとバーガーアンドチップスが来た。そちらも美味かったが、ポテチの感動には負けた。

 

 昼食後はロングリートの屋敷へ。サファリパークと巨大迷路を併設した、有名なマナーハウスだ。

 さすがにここでは箒が邪魔なので、小型化して荷物にしまった。

 子供騙しだと舐めていたサファリパークは、期待以上だった。入園料の元手はここだけで取れる。庭園に作られた迷路は、『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』に出てくる迷路の雰囲気を味わえる。だが俺個人の感想としてはサファリのほうがいい。なお、マナーハウスの見学は見送った。よその屋敷をわざわざ見なくても、似たようなマルフォイ邸に住んでいる。

 その後ウェイトローズという高級スーパーに寄って家への土産を買い、帰途に就いた。

 

 イギリスは日本より緯度が高いので、秋冬の日没が早い。

 足元に並ぶオレンジ色の街灯を視界の端に見下ろせば、滑走路を離陸した飛行機の気分だ。街灯がないと方角が分からない不安を除けば、夜間飛行も楽しい。

 

 俺は見えないインカムに声を落とした。

「今日はありがとう、イース。着替えまで用意してもらって。この服、貰ってもいいかな、買い取るから」

 耳元に声が響いた。

「もちろんあげるよ。きみのお父上に頼まれていた物だし。実は昼食代込みの特別手当てで、結構貰ってるんだよね。友達をツーリングに連れて行くだけで稼げるなんて、良いバイトだよ、本当」

「ぼくは金づるか」

「冗談だよ、半分。とにかくそのマグルの服はきみの物だ。今度またツーリングする時に着ればいいよ。今度はロンドンかな」

「そうだな」

 俺は頷いた。


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