フォフォイのフォイ   作:Dacla

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掘り起こしたもの・2

 ある日、書斎から出てきたところを母上に捕まった。

「ドラコ、少し来なさい」

 連れて行かれた先は母上の部屋だった。

 

 ベージュと渋めの青をメインの色調とした、落ち着いた部屋だ。壁際には、大女優が使っていそうなドレッサーが、どんと構えている。そのドレッサーの前の椅子に座らされた。母上は向かいのベッドに腰を下ろした。

 

「ここ最近、お父様の書斎で何をコソコソやっているのです」

 母上は背を伸ばし、真顔でこちらを見据えている。返答次第では説教コースだ。叱られるようなことはしていないので、こちらも堂々と答える。

「コソコソとは心外です。父上のお許しを得て、父上のいる時にお邪魔しているだけですよ」

「そう? それで何をしているの」

「将来のために、書斎にある書類を見せてもらっています」

 

 父上が集めたデスイーターの資料は、なかなか読み応えがあった。対象人数が多いので、公になっている裁判記録だけでも相当な量がある。どうやって手に入れたのか、魔法省の捜査資料まであった。それに加えてヴォルデモートの時代を総括する新聞や雑誌の記事。それらを総合すれば、大体の事情は見えてくる。

 

 ――かつて、ヴォルデモートと名乗る魔法使いが彗星の如く現れた。彼の掲げた極端な選民思想は、それまでの魔法界に閉塞感を抱いていた人々を惹きつけた。

 しかし社会を変えるほどの力はなく、彼とその支持者は、次第に過激な実力行使に訴えるようになっていった。その暴力に晒される立場の者や、治安を維持する者たちは、当然それに抵抗した。魔法界は二つに割れた。血生臭い抗争は、イギリス魔法界に嵐の時代をもたらした。

 嵐を呼び込んだヴォルデモートを人々は恐れた。その名を口に出すことも憚られ、いつしか彼は「例の人」「件の男」、支持者からも「闇の帝王」と呼ばれるようになった。

 

 その状況に終止符が打たれたのは、ハリー・ポッター一歳の時。ポッター家を自ら襲撃したヴォルデモートは、突然消息を絶った。それ以後、彼はいかなる活動も表明もしていない。魔法省は彼の死を公式に宣言した。

 ヴォルデモートの「死」後、信奉者たちの反応は三つに分かれた。徹底抗戦を叫んで過激な破壊活動に突き進んだ者。急激な情勢の変化を嗅ぎとり、それまでの仲間を売ってでも保身を図った者。状況についていけず、従うべき頭を失い、右往左往しているうちに逮捕されてしまった者。信奉者の中心グループ、デスイーターでさえそうだった。旗印を喪ったヴォルデモート派は、あっという間に瓦解した。確信犯の過激派と、要領の悪い有象無象は、今も一部が刑務所で服役中だ。

 

 一部。当局に検挙された者のほとんどが釈放された。というのも末端の活動員まで有罪にすると、魔法界が機能不全に陥ってしまう恐れがあったのだ。「友人の友人はデスイーター」と言えるほど、大勢の者がヴォルデモート派に関わっていた。

 その影響で、本物のデスイーターだったルシウスも嫌疑不十分で釈放された。決して表舞台に上がらなかったのが功を奏したと言える。彼の担当は裏工作と資金調達だった。まして「助言」や「援助」だけで、責任を取らずに甘い汁を吸い続けてきたマルフォイ家の人間だ。裏工作に証拠を残すことはなかった。

 

 こうして「限りなく黒に近い灰色」だったルシウスは、今も堂々と日の下を歩いている――。

 

 というわけで、この夢の中の「過去の事実」は、概ね原作の設定を踏襲していると思われる。

 

「将来の……。学校に行く前に、家のことを勉強し始めたということかしら」

 母上は小首を傾げた。

 捜査記録によれば、ナルシッサは実姉や夫と違い、デスイーターにはならなかった。抗争にも積極的には関わらなかった。当時の捜査資料の、「彼女は自分のささやかな世界の平和にしか関心がない」という指摘は、おそらく正しい。だから父上も俺に資料を見せる件を、母上に伝えていないのだろう。

「それもありますが、魔法界の人の情報を仕入れています」

「ああ、紳士録ね。あまり書斎に長居して、お父様の邪魔をしてはいけませんよ」

「はーい」

 

 母上はほっとした様子で俺の傍に寄り添った。

「そんなに急いで大人になろうとしなくていいのに。ドラコはまだ怖いのですか」

「怖い?」

「お母様はいつでもあなたの味方ですからね。たとえスクイブでも見捨てないと言ったでしょう。あなたが頑張るからお母様もついつい次の魔法を教えたくなりますが、それが追い詰めているのなら、もう無理強いはしないわ。立派な紳士になってくれたら、それは嬉しいけれど、無理して大人のふりをする必要はありませんよ」

 

 大人のふり、か。

 

「無理をしているつもりは無いのですが」

「そうかしら。杖が使えなかった時期に、お友達とも『気が合わなくなった』と遊ばなくなったでしょう。魔法使いでないことを知られたくないからだと思っていました。けれど杖が使えるようになっても会わないまま。同じくらいの歳の子と遊ぶのに興味を無くしたみたい」

「テオとはまた遊んでいますよ」

「あの子は大人びていますからね」

「では、ぼくも大人びてきたということで」

 

 すると横から母上に抱き締められた。

「そうならなければいけない理由があるの? お母様と一緒の時くらいは子供のままでいなさいな」

 ああ、と俺は両手で顔を覆った。「……申し訳ありません」

 上から髪を撫でる優しさに、しばらく顔向けできなかった。

 

          ◇

 

 家庭教師の授業がない時間に、庭に出た。

 

 マルフォイ邸の敷地は、整備された庭園部分と、鬱蒼とした森林部分に分けられる。

 夏に虫取りで歩き回ったのをきっかけに、俺は森にもよく足を運ぶようになった。クワガタが山ほど取れるが、カブトムシもセミも見つからない森だ。今、木々はすっかり葉を落とし、幹や枝を露わにしている。

 

 木立の奥で何かが動いているのを見掛けた。敷地の周囲には侵入者除けの魔法を巡らせてあるから、迷い込むとしたら動物だ。しかしそこにいたのは獣ではなかった。

「やあ、ドビー」

 原作にも登場するハウスエルフは、びくりと肩を竦ませてから振り返った。

 

 何をしているのかと尋ねると、手にしていた袋を広げて見せてくれた。麻袋の中には、蔓やら枝やら木の実やら。

「ごみ拾いか?」

「ドビーは、輪飾りの材料を集めていたのでございます」

と、彼は独特の言葉遣いで答えた。

「ああ、クリスマスリースか。おまえが作るのか」

「ドビーだけでなくアビーも作るのでございます。アビーが材料にあれこれ注文を付けるので、ドビーは色々沢山集めなければなりません」

「ふーん。手伝おうか」

「いいえ! いいえ! 坊ちゃまのお手を煩わせてはドビーが奥様にお叱りを受けます! 坊ちゃまはご覧になるだけで、ええ、決して手が足りないということはございませんから、全てドビーめにお任せを!」

「あっそう。邪魔するつもりはないから、作業に戻っていいぞ」

 ドビーは木の実拾いに戻った。

 

 彼と普通に会話できるようになったのは、つい最近だ。以前は酷かった。すぐに自傷行為に走り、話しかけても怯えてばかりで、まともな会話が成り立たなかった。原作でドビーがハリーの部屋に初めて現れた時の状態。それが常に続いていた感じだ。

 それはドラコのせいだった。

 この夢の、俺の意識が乗る前のドラコは、原作同様にドビーたちハウスエルフを虐めていた。両親はそれを止めるどころか、むしろ推奨する節さえあった。ハウスエルフを使い捨ての道具と見る家で育った母上と、自分が身内だと認めた者以外には冷淡で残酷な父上。そんな両親がハウスエルフを奴婢同然に扱うのを見てドラコは育った。お陰でハウスエルフには何をしても良いと勘違いした。

 

 だが俺に同じ事は出来ない。悪感情を抱いていない使用人をいびって楽しむ趣味はない。彼らは仕事の手を抜くことも、何かを盗むことも、主人の陰口を叩くことも、待遇に不満を言うこともない。ひたすら熱心に家の仕事に勤しむだけだ。

 原作通りのドラコを演じるなら、彼らを虐めるべきかも知れない。でも無理だった。俺自身も労働者だ。パワハラ反対。

 

「坊ちゃまはいつまでここにいらっしゃいますか」

「邪魔だから向こうに行けって?」

「そ、そんなことは申していないのでございます。お時間がおありなら、またドビーがハリー・ポッターの話をして差し上げるのでございます」

 

 彼はハリーを英雄視している。主人のルシウスに遠慮して、ヴォルデモートを斃したハリーに憧れていることは隠していたが、俺が吐かせた。それからはたまに彼から「英雄ハリー・ポッター」の話を聞くことにしていた。弾丸トークに付き合うのは疲れるが、その甲斐あって俺への怯えも徐々に薄れてきた。と、思いたい。

 

「もしハリー・ポッターの身に危険が迫ったら、きっとおまえは我が家の仕事を放り出して駆けつけるんだろうな」

 ハウスエルフは飛び上がった。「ハリー・ポッターが危ないのでございますか!」

「もしもの話さ。それくらい好きなんだろうと言ったんだ」

 

 小さな手が麻袋の口をぎゅっと締めた。

「ドビーは、マルフォイ家に仕えるハウスエルフでございます。お許しもご命令もなく、他家へ飛ぶことはできないのでございます」

 俺は笑った。原作では主人に背いて、無断でハリーの所に押しかけたじゃないか。

「おまえの忠誠心がこの家に無いことは分かっている。そうさせたのはぼくだな。おまえには本当に悪いことをした。母上も父上も相当酷いが、一番酷かったのは息子だ」

「そんな。お詫びの言葉は以前にも頂戴しました。だからそのことはもう、坊ちゃま」

 狼狽する相手に、謝るだけでは駄目かと、別のやり方を考える。

「そうだ。もしおまえがハリー・ポッターの所へ行きたくなったら、一度だけ、それをぼくの命令に従ったことにしていいぞ。ぼくが服を与える訳にはいかないから、完全な自由にはしてやれないが」

 

 ハウスエルフに服を与える。つまり永の暇を与えることが出来るのは、正式な主人である父上か、女主人の母上だ。

 原作では、ハリーの小細工により、ルシウスが捨てた物をドビーが拾うという形で、マルフォイ家とドビーの契約は終了した。それまでは主家への隷属とハリーへの思いに板挟みになって、ドビーの行動は支離滅裂だった。映画を観た時は、かなり鬱陶しく感じたものだ。その時の悪印象が尾を引いて、後々までもドビーというキャラクターには好意を持てなかった。

 しかしこの夢の中では、ドビーは俺の世話をしてくれる、ありがたい存在だ。虐待を受けて萎縮していた彼には、俺のせいではないが申し訳なく思う。

 

「坊ちゃまはドビーめを追い払いたいと、そうお考えでございますか」

「そうじゃない。ドビーもコビーもアビーもいてくれないと困る。おまえたちがいないと、この屋敷は回らないだろう」一人くらい欠けても問題ないとは思うが。

 

 ドビーは一度俯いてから顔を上げ、何かを言おうとした。

 

 その時、「坊ちゃま!」と別の方角からハウスエルフの金切り声が飛んできた。アビーが宙を滑るように走ってきた。

「ドラコ坊ちゃまは、今すぐお屋敷にお戻りにならなければなりません。家庭教師がお見えでございます」

「ああ、もうそんな時間か」

「お急ぎになるのでございます。なぜドビーが坊ちゃまのご予定に気を配らなかったのか、アビーには不思議でなりません。弛んでおります。折檻されるべきでございます」

「返す言葉もございません」同僚の怒りに、ドビーは身を縮めている。

「怒らないでやってくれ、アビー。時間管理できないぼくが悪いんだから」

 

 屋敷の方角に歩き出そうとしたら、ドビーに腕を掴まれた。

「せめてお部屋までお連れするのでございます」

 彼は俺を連れていきなり「跳躍」した。

 

 お陰で教師を待たせずに屋敷に戻ることはできた。だが跳躍酔いが治まるまで、授業の開始は遅れてしまったので意味はなかった。ドビーは自分で自分に折檻していた。


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