「北郷って姓は日本にいる」という部分です
「中華王国においては」という意味でしたので序文をほんの少し訂正しました
4年ほど前に初めて投稿したときには初心者ということで皆さん手加減してくださっていたんでしょうね
皆さんの感想、心よりお待ちしてます!
今回は魏√です
さて、まず私は『魏の警備隊隊長の世界』について考察しようと思う。北郷一刀が魏陣営に所属し、武将にも軍師にもなっていない世界である。この世界についての資料は、実はその多くが失われているようなのだ。
序文でも少し触れたことであるが、北郷一刀という人物は恐ろしく有能で、視野が広く、武に秀で、発想力に長けた大人物であったとされている。それほどの大人物を、有能な人材を重用し、愛した曹操が『たかが』警備隊の隊長などに留めるはずがない。警備隊隊長という地位に留めおく理由が存在するわけがないのだ。
そしてなにより大きな疑問がある。この世界においてのみ、彼の足跡に関する記録がほとんど残っていない。他のパターンでは非常に膨大な彼の偉業に関する記録が残っているにもかかわらずだ。この不自然な事実こそが『魏の警備隊隊長の世界』の存在すらも危うくしている。資料の少なさがそのまま、『北郷一刀は魏に属していなかった』という説すら生み出してしまっているのだ。
ここで、並行世界理論に則って、この世界で彼の行動に不自然がないように彼の足跡を簡易にではあるが、書き出してみようと思う。
北郷一刀、出身地など一切不明
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記録は残っていないが、おそらく曹操が陳留の刺史であったころに士官
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後に『北郷治安計画』と呼ばれる治安計画の前身『北郷警備計画』を立案。北郷警備隊、通称『北郷隊』初代隊長として計画の指揮を取る(後に李典、于禁、楽進の三名の武将を傘下に加える)
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劉備軍が曹操の居城に攻撃をかけた際、あくまで野戦での決着を主張する主君、曹操を殴って諌め、援軍到着まで籠城させた
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自身は重い病を患いながらも、荀彧、郭嘉、程昱などの名だたる軍師達が気付けなかった定軍山の諸葛亮の罠を看破。病床にて曹操に定軍山への主力の派遣を進言。夏侯淵、典韋らの窮地を救う
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赤壁の戦いにて、諸葛亮、鳳統、周瑜らの策を看破。対抗策を練り上げ、曹操軍を勝利に導く
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蜀の首都、成都の決戦において落命(戦死であったか病死であったかは不明)
さて、この略歴から十分、『魏の警備隊隊長の世界』の異質さがお分かりいただけるだろう。
まず、彼の出自がわかっていないことは全ての世界において共通のことであるので、これはまだいい。しかし北郷隊設立後、定軍山の戦いまで彼の動きがほとんどない。反董卓連合や官途の戦いなど、歴史的な戦いがあったにもかかわらず、彼の名前はそこに現れないのだ。これはあまりに奇妙過ぎる。
確かに、警備隊隊長という地位にだけ着目すれば、彼に関する記録がなくとも当然であるし、反董卓連合にしても官途の戦いにしても彼の出番はなく、むしろ平時と変わらず留守を守っていたとしても不自然さはない。だがそれが『北郷一刀』であるならば不自然だ。彼の能力の高さはいまさら語るまでもない、にもかかわらずこの二つの歴史的な戦いにおいて彼の名前は一切出てこない。定軍山までで彼の名前が出てくるのは、劉備侵攻時の話だが、これは逸話として語り継がれているものでしかなく、彼の能力に一切関係のないものだ。極論、忠臣であれば夏候惇や典韋がやっていたとしても、決しておかしくはない。
ではこの世界の場合のみ、彼の能力が低かったのではないか?その疑問を私は一瞬抱いたが、その刹那に私は疑問を抱いた私自身を全否定した。
ならなぜ定軍山の罠を、赤壁の策略を見抜けたのか?彼の能力を生かし切れない理由を、原因たり得るだけの仮説を考えてみた時、私は一つの仮説を立てるに至った。
この世界の北郷一刀は早い段階で重い病を患っていたのではないか?
定軍山の段階で彼が病床にあったことは間違いない。彼が患っていた病が何であったかまでは記録に残っていないものの、この推測が正しければ、反董卓連合や官途の戦いの際、参戦できなかったと考えることもできる。
この仮説でいくと、定軍山では病床にいながらも曹操に進言することができるまでに回復していたと考えることも、逆に病状が悪化し、死期を悟って彼が立ち上がったと考えることもできるのだ。
しかしいずれにせよ、彼が病を患っていたとすれば『魏の警備隊隊長の世界』に一定の説明をつけられる。赤壁の戦いにおいて、類い稀なるその才能を示しながらも、『魏の警備隊隊長の世界』において彼が一切武功を上げていないことも、この仮説を後押ししている。
この仮説通りだと、彼の成都での死はただの病死である可能性が非常に高い。なぜなら戦死しうるほど前線に病人を配置せねばならないほど曹操軍は人手不足ではなかったからだ。
ではここで、ある疑問に取り掛かるとしよう。
なぜ曹操は北郷一刀を警備隊隊長という地位に留めたのか?これは病だけでは説明できない『ある事実』が存在するのだ。
『北郷一刀は警備隊隊長という地位で曹操に多くの治安計画を提出している』
警備隊隊長が主君である曹操に治安計画を意見するなどあり得ない。警備隊隊長という地位から意見することがどういう意味を持つのか?現代日本で例えるなら、警視総監が国政に意見し、防衛庁長官を差し置いて戦略に意見を出している状態である。そんなことあり得るわけがない。現代日本は三権分立などにより、違った意味で意見の通り難さはあるが、当時は身分という、もっととてつもなく高い壁があったのだ。そう考えると彼我の距離はもっと恐ろしいものだったはずだ。いかにその相手が有為な人材を愛する曹操であったとしても、斬首すらあり得る所業だ。
本当は警備隊隊長などではなかったのではないか?否である。それだけはありえないのだ。北郷警備計画は曹操のかつての本拠地である陳留から始まったものだ。それを裏付ける資料は多く、逆に否定する資料は皆無と言っていい。計画だけ打ち立てて、あとはすべて他人に任せてしまったのか?それではあの完成度が説明できない。
ここで一度、疑問をわきに置いて、視点を変えてみよう。
北郷一刀が北郷警備隊隊長という役職に就いていた証拠がある。去年奇跡的に発見された、北郷一刀亡き後、北郷警備隊改め北郷治安維持部隊総隊長に就任した楽進の手記である。
『隊長がいなくなってからというもの、街に活気がない。さすがにもう泣く者はいない。しかし、心から笑っている者もまた、いないように感じてならないのだ。どうすればよかったのかなど、何度問うたかわからない。我らの道は正しかったはずだ。大陸は平和になった。枯れ果てるほどの涙が流れることも、乾くことすら許さぬほどの血が大地を覆うことももうない。なのになぜ、今ここに貴方がいないのか。一刀様、貴方のいない大陸は、なぜこうも虚しいのか。』
北郷一刀は魏に属していなかったと主張する歴史家達に、この手記を見ろと言いたいものだ。この文字を見るがいい。溢れんばかりの悲しみで手が震えながら、それでもなお亡き先人の打ち立てた偉業を必死に支える想いが、1800年もの時を越えてなお滲み出ているではないか。この掠れた文字は、果たして本当に経年劣化によるものなのか。私が初めてこの手記を目にしたとき、言い知れない感情を抱いたものだ。
少し感情的になりすぎたようだ、話を戻そう。『一刀様』とは北郷一刀のことで間違いない。今は失われてしまったがこの時代、親しいものしか名前を呼んではならないという風習があったらしい。現在の学説では、名にあたるものではないかと考えられている。即ち、楽進の『進』であり、北郷一刀の『一刀』である。これは北郷一刀に親しかったとされる者達の記録から見出される北郷一刀の呼び名が『一刀』あるいは『一刀様』であり、それ以外は『ご主人様』、あるいは『大都督』などの敬称や役職であったためである。
この手記から、楽進と北郷一刀が決して浅い関係でなかったことが窺い知れる。そして同時に、多くの記録の通りに北郷一刀が北郷警備隊隊長という役職についていた証拠になる。
ではなぜ、反董卓連合や官途の戦いに彼の名が現れないのか?ここで私は一つの閃きを得た。天啓とでも言うべきだろう。
「警備隊隊長が歴史の表舞台に出てくるわけがないだろう」
もしも、もしもそう、この言葉を言ったのが、歴史家でも、北郷一刀自身でもなく、もしも北郷一刀の主君である曹操が言ったとしたら、それは全く違う意味に聞こえないだろうか?そうまるで、北郷一刀を歴史から隠したいかのように聞こえないだろうか?
北郷一刀は表向きの役職として警備隊隊長を務めながら、裏では表に出せない『何かしらの役割』を持っていたのではないか?たとえば諜報部、たとえば兵器開発、たとえば我々後の時代の人間にさえ知られたくない何かしらの『特殊な役割』を持っていたという風に考えれば、納得がいくのだ。そしてこれにも裏付けとなる資料がある。赤壁の戦いに関する資料だ。
赤壁の戦いにおいて偽装投降してきた黄蓋に対して、北郷一刀を『警備隊隊長』ではなく『客将』と紹介したのだ。その記録は確かに残っている。
北郷一刀の公的な身分を、曹操自身が隠したのだ。覇王として正々堂々としていたはずの、あの曹操が『なぜか』隠したのだ。なぜだ?決まっている、知られたくなかったのだ。北郷一刀にどんな役割があるのか。でなければおかしい。そもそも警備隊隊長を赤壁の戦いに従軍させる理由が、曹操には全くと言っていいほどないのだ。総兵力百万ともいわれた曹操軍だ、人手が足りないなどとはとても考えられない。どれほど有為な人材であれ、警備隊隊長を赤壁の戦いに連れて行く理由はない。また、定軍山の戦いからそれほど時も経っていなかったことから、北郷一刀は本調子でなかった可能性が高い。それでも連れて行く理由とは何か?兵器開発はもういいはずだ。諜報は確かにこれからも必要だが、病人を働かせるほどではなかったはずだ。暗殺など、戦力差的にほぼ不必要だ。軍師としても荀彧や郭嘉、程昱といった錚々たる面子がそろっている。武将としても確かに有能なはずだが、百万の兵力の前に有能な病人が必要になるとは考えにくい。
北郷一刀が何をやっていたのか、どのような役割を持っていたのか。どれだけ推測を重ねようとも見えてこないが、そこまでして隠したかった役割があったのではなかろうか?
仮説が正しかった場合の彼の足跡を辿ってみよう。
北郷一刀は『魏の警備隊隊長の世界』で表向きは警備隊隊長として動き、裏では何かしらの役割をこなしながら、反董卓連合、官途の戦いの裏で名を隠して暗躍。いつからか病に倒れ、病床で定軍山の罠を見抜き、曹操に主力の派遣を進言。赤壁の戦いで周瑜らの策を看破、策を逆手に取り魏を勝利に導き、成都にておそらく病死したと考えられる。
凄まじいほど壮絶な人生だ。だがむしろ、北郷一刀の生涯としてはこのぐらいの方が逆に信憑性が高いのだ。推測がいささか多すぎることは認めざるを得ないものの、一つの仮説としては一考の余地がある内容ではなかろうか?
大陸の平和を一心に願っていた一人の英雄、北郷一刀。彼は自分の眼で平和になった大陸の姿を見ることなくこの世を去った。後の時代の人間にすら知られたくない役割を、おそらくは完遂して。彼の役割は誰にも知られることなく、しかし間違いなく後の時代の礎としての重要な役割をこなした。病に倒れてなお成し遂げた形も見えぬ偉業を、私はただ称えよう。そこまでして隠したかった偉業が、いつの日か解き明かされる日を祈りながら。
あとがき
4年前の自分の作品って、拙いところがたくさん見つかりますね^^;
修正かけつつ書いてます
序文と同じく、そのうち修正が必要になるかもくらいに留めて、今回は終了します
感想お待ちしてます!
次は呉√予定です!ではではまたの時に!