第二回戦 一日目
──目的のない旅。
──海図を忘れた航海。
──君の漂流の果てにあるのは
──迷った末の無残な餓死だ。
──……だが。
──生に執着し、魚を口にし、
──星の巡りを覚え、
──名も知らぬ陸地を目指すのならば、あるいは。
──誰しもは、初めは未熟な航海者にすぎない。
──骨子のない思想では、聖杯には届かない。
──
──君の願いは、一体……
──新しい、朝が来た。
二回戦の始まりとなる、新たなる七日間の始まりの朝が。
横にはアルターエゴが床に就いている姿。やはり、昨日の戦いの疲れが残っているのだろう。どうしてか、眠る彼女を起こそうという気になれない。己が彼女に触れてもいいのだと、そう思うことができない。
だからこそ、彼女の眠りを妨げたのは俺ではなく。無機質なムーンセルからの連絡だった。
──二階掲示板にて、
──次の対戦者を発表する。
「ああ、もうそんな時間なのね……おはよう、マスター」
「おはよう、アルターエゴ」
眠たげな目をこすりながら、アルターエゴはこちらに微笑みかけてくる。その姿は絵画の世界から飛び出してきたと言われても納得できるような美しさで、心奪われてしまう。けれど、そうして時間を無為に費やしてしまうわけにもいかない。
「行こうか」
「ええ、次の対戦相手を確認するために」
目指す地点は、最後の勝者のみがたどり着くその場所──”熾天の座”。たとえいかなる地獄を歩むことになろうと、最後にはそれらを踏破する。そんな決意を固めて、マイルームから躍り出た。
掲示板の前にたどり着くと、そこには二つの名前が記されている。片方は己の名前。そしてもう一つは、俺が殺す相手の名前。
──マスター:ダン・ブラックモア
──決戦場:二の月想海
「君か、次の相手の雪城輪、というのは」
名前を確認した直後、後ろからそんな声が聞こえる。老人であることを理解させる、綺麗に撫で付けられた白髪と豊かな髭。そしてその年齢にそぐわないほど鍛えられている、ということが見ただけでわかってしまうほどの肉体の持ち主。
「ええ、そういうってことは、貴方がダン・ブラックモアさんですか」
「いかにも」
そして、彼はこちらを見つめる。男色……と誤魔化すにはあまりにも真摯な、けれど敵対する相手に対する殺意も侮りもない、軍人として完成されたかのような瞳だった。
「若いな。実戦の経験値もないに等しい。だが、相手の風貌に臆さない、というのはあるいは、一端の軍人になれたかもしれぬ」
「それがどうしたっていうんです。経験値なんて関係ないですよ。経験がものを言うのであれば新兵なんて育つはずがない」
最初の実戦は誰しも存在し、経験がものを言うのなら、一度でも戦場に出た者と相対すればその新兵は死ぬ。けれど実際にはそんなことはなく、ならば経験は確かに重要なファクターではあれど、それが全てではないと言うこと。
「俺に願いは未だ無い。けれど、だからこそ、生存への本能だけは人一倍強いと信じています」
ご老公、とでも言うべき相手だから、どうしても敬語になってしまう。それでも、その言葉には何か意味があったようだ。
「ふむ、そうか……いや、すまない。たとえ見た目がどのような相手であろうと、君も一回戦を勝ち残ったことに変わりはない。それを忘れ、見くびるなど、許されないことだったな」
そう言って、ダン・ブラックモアは去っていく。サーヴァントについては今から情報を集める必要があるだろうが、マスターとサーヴァントはどこか似通ったところがある組み合わせになるらしいので、まずはダン・ブラックモアについての情報を集めてみるのもいいだろう。
校内を回ってみたが、結局得られた情報は「ダン・ブラックモアは歴戦の軍人である」ということ程度。あと、話を聞けるであろう相手は……
「それで、私のところに来たってわけ?」
頷く。最後に聞きに来るなんて……とか呟いているが、遠坂に聞く、というのも正直どうかと思ったのだ。もう、貸し借りはないようだし。それならいずれ殺しあう相手と仲良くするのは、という思いが。
「まあ、いいわ。あんたがあいつを潰してくれるなら、私にとっても有益なわけだし」
有益? アバターがカスタマイズされていることを考えれば一定以上の実力があるハッカーだろうから、確かに倒せば有益……なのだろうか? しかしそれも聞いてみれば分かること。遠坂の話を聞く姿勢になると、気分を良くしたのか、いいかしら、と前置きをしてから
「彼は、もう現役じゃないけど名のある軍人よ。西欧財閥の一角を担う、ある王国の狙撃手ね」
「なるほど」
遠坂は確か西欧財閥の支配を拒むレジスタンスの一員だったはずだ。それなら西欧財閥に属する軍人を他者が倒してくれるのは彼女にとって有益なことだろう。
「匍匐前進で1キロ以上進んで、敵の司令官を狙撃するなんて日常茶飯事。ま、並の精神力じゃないのは確かね。一回戦の相手とは何もかもが違うわ。……こうして口にすればするほど貴方の勝ちの目が見えないわね。貴方のサーヴァントの宝具がどれだけ強力なものかは知らないけど、さっきも言った通り彼は狙撃兵。それを解放させずに殺すなんて、当然の手段として持ち合わせているでしょうね」
ま、せいぜい幸運を祈っておいてあげるわ、なんて締める遠坂に。彼がどういう軍人なのか、というだけでも情報があれば十分だと感謝を告げる。気をつけるべき事項が一つわかっただけではあるが、その一つが決戦の日まで命を繋ぐことだってあるのだから。
「うん、ありがとう」
そう口にして、屋上から出ていく。……無策のままアリーナに向かうのはよくない、と言いたいところだが、今の俺たちでできる対策なんて存在しない。一度、アリーナに行ってみるべきだろう。そう考えたところで、また端末がなった。
──
──第一層にて取得されたし
ちょうどいい。元から向かう予定だったのだ。
アリーナ入り口前まで来たところで、曲がり角で息を潜めて待つことになった。それは──
「二回戦の相手を確認した。まだ若く、殺しの経験など数える程しかないであろうマスターではあるが、一回戦を勝ち残ったことには違いない。油断はするな」
話している片方は、対戦相手のダン・ブラックモア。そしてもう一方は、おそらく彼のサーヴァント。
「へいへい。わかってますって。どんな相手だろうと手加減なし。かつシンプルに殺しますよ」
後ろ姿しか見えない現状、手に入れられる情報は茶髪で緑衣の外套を羽織っているという程度。何か、情報を漏らしてくれるとありがたいのだが。
「ま、ともあれ。向こうも一人殺してるわけですし。一回戦で戦った連中より、幾分マシなんじゃないっすかね。いや、精神的に」
「それを油断というのだがな。……ともあれ、この戦いは連携が肝要だ。私の指示に従え。一回戦のような独断はするな」
仲は良くない、ように見える。あれが、自分たちに気がついていてそう演じることができる、というような集団ではないことを信じるならば。
二人がアリーナに入っていく姿が見えた。……このまま、追いかけてもいいのだろうか。
追いかけるな。追いかけろ。
正面戦闘など愚策だぞ。罠を仕掛ける時間を与えるな。
軍人相手に正面からなんて。軍人相手に軍略で挑むなんて。
──俺は……
結局、彼らを追いかけることにした。下手に時間をかけてしまうと、それこそ彼らの思う壺だ。軍人に、戦いやすいフィールドを整える時間を与えるわけにはいかない。そうしてアリーナに入った瞬間、肌にまとわりつくいつもとは違う空気が、脳に危険を告げる。
──立ち止まるo$n#d%k@
意識が──落ち──
「なに、が……」
「毒よ」
俺の疑問に、簡潔に答えをもたらしてくれるアルターエゴ。ただ、毒となると……
「まさかマスターがあそこまで毒に弱いなんて」
「自分でもびっくりだ」
もう一度、毒の種類を調べるために死に戻るべきだろうか? ……いや、だけど、もう死にたくない。今自力で用意できる耐毒礼装を、動きを阻害しない程度に用意するべきだろう。
そう考えたところで、無機質な電子音が鳴り響く。一日目の朝である以上は、今からもう一度ダン・ブラックモアという男が対戦相手だと、そう告げられるのだろう。
──今度は、遠坂に話を聞いた分の時間を、耐毒の用意に費やそうか。
結局、死までの時間をわずかに伸ばしただけだった。けどこれで──
「あの毒の成分は、ある程度把握できたね」
アリーナを満たす毒が、何でできているのかの把握に、その時間を費やすことができた。だが──
「マスター?」
その代償は、大きかったように思う。正直、毒で体を内側から溶かされていく感覚が、今も体を蝕んでいるようで恐ろしい。体を斬り裂かれる感覚とも、アルターエゴの敗北による電脳死の感覚とも違う、体をじわじわと溶かしていく毒は、体に違和感を残していた。わずかな時間とはいえ耐えられた、という事実が、体を少しずつ蝕まれる感覚を残すに至ったのだから、世の中そんなに旨い話はない、ということなのだろう。
そうして、体が震えていることに気がついたアルターエゴが俺を抱きしめ、背中をポンポンと叩いて、言の葉を紡いでいた。
「大丈夫。これ以上、マスターが死ぬことはないわ」
実際は、そんなことなどあり得ないとわかっているだろうに。彼女自身信じていない言葉であるはずなのに、アルターエゴが口にしたという事実だけで、どうしてか信じられる気になる。そして、その結果、彼女が断言したことで俺の心に巣食っていた恐怖が解けていく。
「うん……もう大丈夫。用意して、行こうか」
また、戦いの相手を知らせる電子音が鳴る。
──さあ、戦場に向かおうか。
──立ち止まるな
両の足を縫い止める感覚は、己の内から溢れ出る生存への本能と、恐怖のせめぎ合い。立ち止まる時間が増える度に、比例して命の刻限を縮めてしまう、と。そんなことはわかっている。何度経験しても、いいや、死ぬことがどういうことなのか味わってしまったからこそ、生への執着はより強く──
「マスター!」
そんな泥沼に嵌りかけた時に、アルターエゴの声が無理矢理に己を引き摺り出す。
「こんなアリーナ全体に毒の結界なんてスキル程度じゃ不可能よ。そして、宝具なら絶対に、どこかに結界の基点はあるわ」
それを探しましょう、と。二度目の今日の時は冷静でいられず、言葉が届かなかった俺に、この状況を打破するための金言をくれる。……ここで語ったのは、マイルームでは俺を落ち着かせることを念頭に置いていたからだろうか。それなら、悪いことをした。
「よし、行こう」
毒で消耗させるには、一回戦より入り組んだこのアリーナは確かに有用だろう。だが、それでも。彼らは俺がこの毒に対する防御礼装を持つことなど知らず、そしてその情報の隠匿はアドバンテージとなる。今度の防御礼装はアルターエゴが魔術に関する造詣が深かったこともあり、毒を99%カットしてくれる程度には優秀で、そしてそれは、俺が基点を発見するのに十分な時間をくれた。
だが──
「これはどういうことだ?」
そんな声が通路の奥から聞こえてきた。一旦身を潜めて、彼らの情報を得るとしよう。こういった細かいところも重要になるはずだ。
「へ? どうもこうも、旦那を勝たせるために結界を張ったんですが」
どうやら、あの二人はそこまで仲が良くないらしい。……いや、方針で揉めている、というところだろうか。
「決戦まで待ってるとか正気じゃねーし? 奴らが勝手におっ死ぬんなら、オレらも楽できて万々歳でしょ」
「……誰が、そのような真似をしろと命じた」
そこからの会話はよく覚えていない。カットしきれない1%の毒が、俺の体を蝕んでいるらしい。けれど一つだけ、覚えている。
『イチイの毒』
彼が使用したという毒の種類。その名称。構成物質はわかっても名称がわからないので情報に繋がるとは言えなかったが、ダンが漏らしてくれた言葉のおかげで種類は把握できた。二人が去った後、意識が朦朧とするにも関わらず探索に戻り、基点らしき樹をアルターエゴが切り落として結界を解除した。
「どうするの、マスター?」
「……今のうちに暗号鍵を探してしまおう。明日になったら、今度はどんな罠が仕掛けられてるのかわかったもんじゃない」
多少の体調不良なら休めばどうとでもなるだろうし、どうにもならないようなら保健室に行くのもいい。だから今のうちに、多少の無茶をしてでも必要なものを手にしておく方がいいだろう。
「……わかったわ。でも、もう無理だと判断したら無理矢理にでも眠らせて、校舎に戻るから」
「うん、その時はお願いするよ」
──探索は続く。
……二回戦、ほとんど原作と変わらないから端折っていきます