──蹂躙。
セイバーが語った通り、その言葉が最も今の状況を指し示すのにあっている。
「殺すっ!」
「その程度ではな……」
振るわれるアルターエゴの紫剣を、呆れた様子のセイバーがただ無造作に凪いだ黄金の剣が弾き飛ばす。軌跡として残った黄金の神威の残滓が、アルターエゴが剣を振るうたびに増え、それらが逆巻き、連なり、空間を満たしていく。
けれど、そちらにばかり視線を向けてはいられない。
「これ、は……」
「
イリヤスフィールの周囲を飛び回る鳥型の使い魔。銀細工かと思ったが、姿が解け、こちらに襲いかかったことでそれが針金だと理解できた。
「Shock(64)!」
飛ぶ魔力弾は、けれど一本の針金として蛇のように動き回るそれらにはひょいと躱される。一度でも巻きつかれれば、その時点であらゆる動きを封じられると理解して、針金を避けるように走り回る。どうしても、『アルターエゴに似た少女』を攻撃することを躊躇してしまい、すでに彼女の周囲には
背後ではセイバーとアルターエゴが打ち合う、鋼がぶつかり合う時特有の音。さらには途中でシロウの雄叫びと、その拳がアリーナを揺らしたことによる振動が、時折この身を襲う。
たった45秒。それだけの時間が、とても長い。イリヤスフィールが先ほどまでと全く変わらぬ、見た目相応の笑みがどこか恐ろしく、そして無邪気に勝利を信じている……いや、敗北を想定すらしていない、サーヴァントへの信頼がとても羨ましい。
「あーあ」
しかし、突如イリヤスフィールはつまらないというように唇を開く。その動作すら可憐で、愛らしく、きっと誰もが彼女を悦ばせようとするのではないかと思ってしまうほどに、本人すら自覚していないであろう罪深い妖精。
「もうおしまいかー」
おしまい……?
その言葉の意味を計りかねる。時間はまだ残っている。まだ終わりには早いはずだし、背後で起きているサーヴァント同士の戦闘も終わっていないことは、体から抜ける魔力と戦闘音からもわかる。ちらりと見ると、アルターエゴも未だ健在。なのになぜ……?
「でも仕方ないよね? こっちは挨拶だけのつもりだったのに、そっちが
「拝領した」
咄嗟に背後に視線を向ける。今の所はアルターエゴは無傷。それなのに、『おしまい』?
「彼の者は、この身と『闘争』を繰り広げた」
まずい。何がまずいかと言われると全くわからないが、これをそのままにすれば全てが致命的なまでに進んでいくことだけは理解できた。故に、魔力弾を放とうとして──
「させるわけないでしょ?」
そのまま、指差すことで指向性を持たせる普段のそれを扱うよりも先に、腕を先の針金に縛られ暴発する。ダメージを与えるのではなく、ショックを与えてスタンさせることを目的とする魔術だったことが功を奏した。痺れはあれど、それだけだ。
けれど、それは本当に『いいこと』だったのか。
「故にこそ、我が名が示すのは勝利なれば」
────あ。
この瞬間、次に起きることがわかった。いや、正確に起きることを把握できたわけではない。だが、今の彼の言葉から、それが起きた結果どうなるのか理解した。
「ここに、この戦いの勝者を告げる」
「え……あ……」
そして、その光が収まると俺たちの立ち位置は最初の戦う前の状態へと戻っていた。見た目には最初と何も変わらない。けれど闘争が起きたという事実が、勝者はイリヤスフィールという事実が、『闘争における敗者に与えられるのは死のみ』という事実が、俺たちの中からあらゆる力を奪い去っていく。
手が震える。力が入らない。体の中から魔力が抜けて、それによってアルターエゴが消滅する。それが終われば今度は命が。視界が薄ぼんやりとしてきた。もう、体が全く動かない。なんだかどんどん寒くなってきた。イリヤスフィールが何か言っているようだが、もう聴覚も働いていないようだ。全く聞こえない。そして、立っていられなくなる。崩れ落ちたはずなのにそれに自信も持てず、そして痛みも感じない。触覚も消えたようだ。自分の中のあらゆる生命活動が急速に停止に向かっていき──
ああだめだ。思考ももう纏まらない。なんだかこれまでよりも死ぬのがこわい。なんでだろう。こたえをおしえてくれるひとはいないし。あるたーえごならおしえてくれたのだろうか。やっぱりかのじょがおれにとって──
──目を、覚ます。
「…………はぁっ! ……はぁ……はぁ……」
最初に、己が本当に生きているのか。それが信じられなくて、己の体を抱きしめる。過呼吸になりそうなほど呼吸を行い、己の肉体は生きるための行動をとれるのだと、そのことを確かめる。
──生きている? 本当に?
そう考えたところで、己の生存を何よりも保証してくれると信じられる相手を、目が勝手に探していた。
アルターエゴ。彼女がいなければたとえ生きていようと聖杯戦争に参加している現状では死んでしまうので意味がない。それに何より、己の存在を、『彼女のマスター』という役職以外、己が何者かを示す拠り所を持たないが故に、俺が俺であることを信じたくて彼女の姿を探す。
だが──
「大丈夫、マスター!?」
俺が彼女を見つけるよりも先に、起きて俺の様子がおかしいことに気がついたアルターエゴに、俺の体は抱きしめられていた。
「アル、ター……エゴ?」
「ええ、ここにいるわ」
強く、強く、痛いほどに抱きしめられているが、彼女が本気なら俺の体はぐしゃりと潰れているだろうから、やはり俺のことを気遣ってくれているのだろう。その痛みが、少し落ち着けてくれる。
「俺……俺……さっき死んで……」
なぜだろう。いつもと同じ死に戻りでしかないはずなのに。それなのに、ちゃんと言葉を繋げて喋ることができないのは。言いたいことはわかっているはずなのに。先の『死への恐怖』が、俺の言葉を確と理解できるものにしてくれない。
「これまでも、死んでたのに……! なんで……今更になって……」
──こんなに、死ぬことが怖いんだ。
そうだ。死ぬことが、これまで特になんとも思っていなかったはずの死が怖い。『痛いのはいやだ』程度で、『いつ死に戻りが終わるかわからない』からだけで死に戻りを避けていた。それが、どれだけ異常なことなのか、今ようやく理解した。
普通の人間なら、何度もあの恐怖を味わうことになる死に戻りなんて、耐えきれるはずがない。
「マスターは」
震え、アルターエゴに抱きしめられ、アルターエゴを抱き締めていないともはや自我も保てないかもしれない己に、彼女はけれど文句を言うことなく。ポツリと、彼女の私見を語る。
「きっと、これまでは”人間”じゃなくて。これまでの、たった
「人間に……?」
何を、言っているのだろう。彼女の言葉を理解できない。
「『友人を殺すことはいけないことだ』って知っていても、友人を殺すことに特に何も覚えなかったのはそれを知っているだけだったから。死への恐怖も、殺すことの恐怖も。きっとそれを理解していなかったから、何も感じずにいられたの」
でも、と彼女は続ける。
「この二週間、貴方は確かに人間になっていったの。これまでの
ああ、うん。きっとそうだ。
──『アルターエゴを己の手で殺す』と言う”もしも”を。
そんなことはありえない。ありえてはいけない。彼女を殺すなんてできるはずがない。彼女の死が己にとっては己の死より重たい。それは間違いなく、己にとっての事実だ。けれど彼女の死が自分の死より重たいからと言って、自分の死が軽くなるわけではない。己が死ねばアルターエゴを悲しませてしまうのではないか。そんな思いによってではあるが、間接的に己が死ぬことが怖くなった。
何よりも、己を最初に構成したのが彼女であるからこそ。やはり普通の人間らしい感情を手にするのも彼女を通して、ということなのだろうか。
「マスターは死ぬことが怖くなった。それはきっと、大きな成長よ」
そして、戦いの邪魔にしかならないであろうその感情を、その恐怖を、彼女は肯定してくれる。恐怖を持てるようになったのはとても良いことだと。
「もう少し……抱きしめててもいい?」
「ええ、いいわよ。マスターが満足いくまで」
そんな彼女を、もう少し抱きしめていたい。自分は、『死にたくない』と、今ようやく心の底から思えた。『彼女を失うなど耐えられない』と、そんな気持ちも湧き出ている。だから、イリヤスフィールを殺す。その決意もある。
けれど、せめて今は。イリヤスフィールを、アルターエゴによく似た少女を殺さなければならないという現実を理解して、その上で。
そう思って、力をさらに込めた。
──なんだか、恥ずかしい姿を見せた気がする。
「もう一回抱きしめてあげましょうか?」
「……いや、別にいいよ」
けれど、そんなことを言いながらもアルターエゴを膝の上に乗せて、背後から抱きしめている。正直言ってこの体勢も恥ずかしいが、今の顔を見られるよりはマシだと思う。断言できる。今の顔は真っ赤だと。
本当に、自分は彼女のことが好きなんだと思う。自分が死ぬのも十分怖いし、今も死んだことを思い出しただけで震えそうになるが、それよりも、アルターエゴが死ぬことを考えただけで発作すら起きそうになる。
「マスター。そんなことは考えなくていいのよ」
発作が起きるよりも先に、彼女のお腹に回されている手を握られる。落ち着く。それでもう一度彼女への好意を実感して、それでようやく本題に入れる。
「さっき、何が起きたのか理解できた?」
ある程度の予想はつくが、それでもアルターエゴの意見も聞きたい。
「多分、宝具よね」
「うん、俺もそう思う。あんな、その時の状況を無視して勝利を確定させるような代物が、ただの魔術だったりしたら勝ち目なんてあるはずない」
「でも、突破口はちゃんとあるはずよ」
アルターエゴの言葉に、あの時何が起きていたのかを思い出す。いや、起きていたことに関しては、俺はわからない。けれど、イリヤスフィールの発言を思い出すことはできる。
「イリヤスフィールは、『もうおしまいか』って言ってた。あの、勝利を確定させる技を使用するのに何も枷がないなら『もう』なんて言わないはずだ」
有り得るとしたら、時間経過か。けれどそうだとすると、45秒以内に発動してしまうそれを発動させないように速攻で倒すしかない。……無茶すぎる。けれどそこに、アルターエゴからの補足が入る。
「あのサーヴァントと戦ってた時、私と打ち合った後、それも、セイバーから攻撃をしてきた後にだけ、最後に彼の体に集まった黄金の軌跡は生まれていたわ」
「ってことは、『一定回数攻撃する』ってことが条件なのかな?」
「多分、それが一番近いでしょうね」
今、あのサーヴァントについて集まっている情報はそれぐらいだ。あとは、もう一度戦って情報を集めるしかない。けれど、本当に大丈夫なのだろうか……? また、彼女が殺されてしまうのではないだろうか? そう考えたところで──
「大丈夫。もう落ち着いたもの。さっきみたいに向こう見ずに突っ込んでいくことはしないわ」
ああ、そうだ。そういえばそのこともあった。さっきまでは死の恐怖に怯えていたせいで完全に忘れていたが、そのことについても話し合わないといけない。
「あのサーヴァントのこと。何か知ってるの?」
そうだ。どう考えてもアルターエゴはあの時、尋常な状態とは思えなかった。それはあのサーヴァントを見てからのことであり、となればやはり、あのサーヴァントは生前からの知り合いだという可能性が高い。……うん、別に何も思ってはいない。ただ、好きな相手には知り合う前から男がいたというだけのことだ。うん……大丈夫。
「知らないわ」
だから、素っ気なく、けれど嘘ではないことを示すように真摯に告げられた言葉に、一瞬言葉を失った。変な邪推をしたことが恥ずかしくなるくらいに、その言葉は真実しか告げていないと理解できた。
「……そっか。それならいいんだけど」
今も、ようやく死ぬのは怖いと思えたところ。まだ未熟な心ではあるが、それでも『死にたくない』という願いを果たすには、前に進むしかない。
「行こう、アルターエゴ」
「ええ」
──聖杯戦争。
それが始まったのはもう二週間も前で、シンジを殺すときにも「聖杯戦争の始まり」と言った覚えもあるが、それでもようやく。『人間:雪城輪』としての戦いが始まったように感じた。
殺しちゃだめと言いながら殺害したイリヤちゃん