一回戦 一日目①
──
──魔術師による生存競争。
──運命の車輪は回る。
──期せずして杯を手にした者よ、
──己が掴んだその手は、間違いではなかったと叫ぶために。
──目を開く。
まず、視界いっぱいに広がったのは天井だった。
どこか見覚えがある。
「確か、ここは……」
「保健室よ。──目が覚めたのね、マスター」
答えが返ってくるとは思っていなかったのでギョッとして、次に今の状況をある程度理解して、声が聞こえてきた方を向いてもう一度ギョッとした。
今、自分が寝ているのは、おそらく保健室のものと思われるベッドの上。そして、声が横から聞こえてきたのでそちらに視線を向けると、目の前にアルターエゴと名乗った少女の顔があった。
「な、な、な…………」
「あら、どうかしたの?」
きょとんと首をかしげる少女は、自分が今していたことへの自覚もないらしい。
そうと理解してしまえば話は簡単だ。
自分が、頑張って彼女の言動に慣れればいい。
「いや、なんでもないよ」
「そう? それならいいんだけど……」
そう言って、彼女は立ち上がる。
「まあ、聖杯戦争本戦が始まる前には目が覚めてよかったわ」
「……聖杯戦争?」
なんだろう、それは。知っているはずだ。
聞いたこともない単語だ。間桐の蔵書を読んだだろう。
目の前の少女に尋ねてみよう。記憶の引き継ぎが終わっていないのか?
──よし、知識だけは送ることに成功した。
「知らないの? それなら教えるけど……って大丈夫!?」
「……うん、大丈夫だよ」
瞬間、頭に激痛が走り手で押さえる。アルターエゴがそれに気がついて心配そうな顔をしているが、その痛みはすぐに収まったので、それ以上話が広がることはない。
「なら、聖杯戦争の説明に戻りましょう。わからないところがあったら聞いてね」
「いや、大丈夫だよ」
「え……?」
さっきの頭痛の後から、「聖杯戦争」というものが何かについては頭の中に知識として戻ってきている。
聖杯戦争。
万能の杯、”聖杯”を求める
七人の魔術師たちはそれぞれ歴史上の存在である英霊が七つのクラスのどれかに割り当てられた存在──サーヴァントを使役して、最後の一人になるまで戦う、というもの。
だが──
「そう、マスターさんの言った聖杯戦争とこの聖杯戦争は違うの」
そうだ。なぜなら彼女は『本戦』と言った。本来なら、聖杯戦争に予選も本戦もありはしない。せいぜい令呪が発現するかどうかの篩に掛けられる程度だ。
その差異を知らなければならない。
「以前の──地上で行われていた聖杯戦争はそれであっているけれど、このムーンセルで行われる聖杯戦争は、魔術師は七人程度に収まりきらない。七つのクラスに割り当てられた英霊、ということに違いはないけれど、トーナメント形式を行えるほどの人数が同時に参加していて、同じクラスのサーヴァントが重複することなんて普通のこと。そうして行われるトーナメントを勝ち抜いた最後の一組が、聖杯を手にすることができる。これは、そんな戦いよ」
だが、そうなると聖杯戦争のルールに関してはともかく、一つだけ疑問が残る。
眼前の少女のこと。彼女がサーヴァントであるからこそ、彼女が名乗ったそのクラスに疑問は生まれた。
サーヴァントを押し込める七つの
剣の英霊、
弓の英霊、
槍の英霊、
騎の英霊、
術の英霊、
殺の英霊、
狂の英霊、
の七つ。
ここに、彼女が名乗った
「私のクラス? エクストラクラスって呼ばれる、基本7クラスには当てはまらない存在よ」
「アルターエゴっていうのが?」
「ええ、他にもわかりやすいところでいうなら、
「うん、そっか。なら、もう一つ。……君の真名は?」
サーヴァントの真名。それはクラスではなく、英雄としての真の名前。敵に知られることは「弱点が露呈する」ことと等号で繋がれるようなもの。隠し、相手に誤認させる戦略を立てることも、重要なことだ。
「私の真名? ……ごめんね、もう少し内緒にさせて」
絶対命令権たる令呪があるので、それを用いて吐かせることも可能だろうとは思ったが、それをして信頼関係を築く前、土台から崩壊させるリスクと、彼女自身が内緒にすることを申し訳なさそうにしていることが、それを躊躇させた。
「この
「あー、うん。ちゃんとした理由があるならそれでいいけど……魔力量が少ない?」
それはありえないはずだ。それはありえないはずだ。
あれ、なんでありえないんだっけ? 先生が言っていたじゃないか
自分の魔力量なんて知らないはずなのに。俺の魔力量は一流の魔術師程度はあるって。
「マスターさん?」
「ん? あ、ああ……どうかした?」
「今、何か考え込んでたような気がしたから。何考えてたの?」
「えっと──」
何を、考えていたんだっけ?
いや、思い出せないなら大事なことじゃないんだろう。そう思ってアルターエゴになんでもないと首を振ると、彼女も少し心配そうな顔をしただけで話は終わり。
「それじゃ、私からもひとつ。あなたの名前を聞かせて?」
「へ? う、うん。それぐらいなら」
確かに、あの時自己紹介はしていない。これから先は
「
そう言ったが、アルターエゴは俺の名前を聞いて何か難しい顔で考え込んでいる。何か、俺の名前にまずいことでもあったのだろうか?
「リンに、雪の城、ね……なんの嫌がらせかしらこれ」
最後の部分だけ、冷たい声だった部分にだけ気がつけたのは、一体何故なのか。それだけ隠しきれない何かがあったのか。それは付き合いが短い自分にはわからない。
「うん、まあいいわ。よろしくね、マスターさん」
「よろしく」
名前を聞いたのにマスター呼びな件は謎だが、彼女にもそれなりの理由があるのだろう。なら、わざわざ聞き出すようなことでもない。
「それじゃ、私は霊体化してるねー」
ふっとアルターエゴの姿が消える。言葉の通り霊体化したのか、近くに存在することは感じ取れる。
今の今まで忘れていたが、ここは保健室。当たり前に考えてサーヴァントの真名を聞くような場所ではなかった。そういう意味ではこの場で教えてもらわなくて正解だったかもしれない。
そこまで考えたところで、保健室のドアが開いた音がした。
近寄ってくる気配もあるが何者かはわからない。開いたところでいきなり殺しにかかってくるかもしれないので、一応はアルターエゴに警戒を頼む。が──
「あ、輪さん。目を覚ましたんですね、よかったです」
保健室に入って来たのは、足元まで伸びた藤色の髪を持つ、幸薄そうな一人の少女。あの
「『SE.RA.PH』に入られた時に預からせていただいた記憶は返却させていただきましたのでご安心を。あなたも名前と過去を取り戻したので、確認をしておいてくださいね」
その言葉に違和感を抱く。
自分の中に名前はある。おそらくは地上で仕入れたであろう知識もある。けれど思い出は、
そのことを伝えてみたが
「え、記憶の返却に不備がある、ですか?……それは私にはなんとも。
そう言った彼女は記憶に関する話はこれで終わりだと、話を切り替えるようにして懐から何かを取り出す。これは、携帯端末だろうか?
「はい。聖杯戦争に関するアナウンスを受け取ったり、これまでに取得した対戦相手の情報をまとめたりするための一品です。無くしたりしないでくださいね」
その言葉とともに桜は沈黙する。どうやらこれでAIとしてのアナウンスは終了らしい。多分、話しかければ答えてくれるだろうし、そもそもムーンセルの力で作られた彼女にはある程度は自由意志もあるだろう。それを考えるとここで黙る必要はないだろうが、アナウンスの終了をわかりやすくするために黙ったのだろうか。
(さあ、行きましょうマスターさん。校舎内部のことを知っておくのも悪くはないわ)
そんなことを考えているとアルターエゴから校舎の把握をしようと提案された。
確かに。最低限図書室の場所などは確認しておきたい。情報を得るのに最適な場所だ。この校舎が予選から模様替えされていないとは限らない以上、使える場所と使えない場所の確認は必須事項。小さくうなずいて保健室を出た。
保健室が一階にあったので、そこから上に登りながら授業用の教室、特別教室を確認したあと、最後の一つ手前、屋上にまでたどり着いた。
開放的な空間では下を向けば
(あれって……いえ、サクラがいたんだもの。彼女がいてもおかしくないわよね)
しかし、そのどれもが一人の少女の前では霞んでいた。その少女の姿を認めて、アルターエゴはどこか驚いているようにも思える。
「あら、貴方……」
確か予選で見かけた覚えがある。遠坂凛、だっただろうか。彼女の名前は。
予選での友人枠である間桐シンジから話を聞かされた覚えはあるが、実際に会うのは初めてだ。つまり、声をかけられる理由はない……はず。
「まだキャラの方はチェックしてなかったわね。……ちょうどいいわ、ちょっとそこを動かないで。すぐに終わるからじっとしてなさい」
「え、ちょ……」
彼女は気がつけば近寄ってきていて、抵抗をするよりも先にペタペタと躊躇なく触れてきた。理由はわからない。けれどどれだけ痴女じみた行動だろうと、そこには理由は存在するはずで、その理由を探ろうとしても近くで見る遠坂は美人で、心臓が早鐘を打ち始めて考えがまとまらない。
故に、この状況を打破する者は第三者の存在に他ならない。
「けっこうリアルなのね………… ん、何を笑ってるのよ? NPCだってデータを調べておいた方が……え、彼もマスター? ウソ、だ、だって……マスターならもっと……」
彼女の言を信じるのであれば、どうやらNPCと勘違いしていたらしい。青褪める彼女だが、俺に触れている手を離してはいないので、どうやら我慢の限界を迎えたらしいアルターエゴが現界する。
「失礼ね。私のマスターは確かに無個性で、他の特徴的なやつらとは違うけど、それでも私のマスターよ」
「サーヴァント!? ってことは本当にマスター……いや、それじゃあ調査という名目で体をペタペタ触っていた私って一体……」
やはり、NPCと勘違いしていたようだ。アルターエゴの登場とともにマスターだということを理解して、自分の行動を思い返して一歩後ずさっている。
「痴女でしょ」
「う、うるさいっ! 私だって失敗するわよ! あんた達、揃いも揃って痴女とか言うな!」
あんた”達”? 今、言葉にしていたのはアルターエゴだけのはずだが。……霊体化している彼女のサーヴァントも同じ言葉を発した、と言うところだろうか。
ギャーギャーと「人間味がないのが悪い」などとこちらに責任転嫁しようとしてくる遠坂だが、その言葉が虚空に響くたびにアルターエゴの機嫌が悪くなっている気がする。確かに一般生徒と見間違うほど人間味がない……つまり自己が薄いというのは、自分を構成するエピソードが欠如していることが原因で発生している事実ではあるが、それを彼女に対して説明する必要はない。今はその辺りの事情の説明よりも、今にも殺しかねないアルターエゴをどうにかする方が先だろう。
女性同士の喧嘩は男が思っているよりも激しいと、何も覚えていないはずの心が訴えかけてきて、それを実感して溜息を吐きながら、アルターエゴに抑えるように指示をした。
(〜〜♪)
なぜか楽しそうなアルターエゴとは対照的に、先ほどの仲裁の疲労による疲れから溜息を吐きながら、なぜそんな楽しそうなのかを聞いてみた。
(え、機嫌がいい理由? そんなの、あの子と知り合いになったこと以外にあると思う?)
……そう、なのだろうか。さっきまでなかなかいい感じに喧嘩をしていたとは思うが。
(そりゃ、マスターを馬鹿にされたら怒るわよ。サーヴァントだもの。でも、機嫌が良く見えるのは……そうね。あの子が私の知り合いにすごく似てたってことが理由。それじゃダメかしら?)
ダメではない。ダメではないが、あの喧嘩は見ているこっちがハラハラする。
霊体化した彼女と話をしながら降りていくと、二階にたどり着いた時点でこちらを見つめる神父服姿の何者かの姿を発見した。
「おや、本戦出場おめでとう。
黒服の偉丈夫は監督役を名乗るが、彼という存在から感じる不快感にも似た感覚は、NPCの
とはいえ、こちらの嫌悪など彼にとっては関係ない。相手を不快にするという事実を気にする機能がついていないのか、それとも気づいていて無視しているのかはわからないが、
戦いは対戦相手が発表されてから七日目。それまでの六日間は
そして、その六日の間にトリガーと呼ばれるものを集めなければ、決戦場に上がる資格すら得られずに死んでしまう、ということも忘れてはいけないのだと。
「君の対戦相手に関してはすでに掲示板で発表されているはずだ」
「それともう一つ、これも渡しておこう」
言峰の言葉の直後、ポケットに入れた携帯端末から無機質な電子音が鳴る。タイミングからして言峰の言う「渡すもの」とやらだろうが、一応は言峰に確認を取り、その後に端末を取り出す。
「今、君の端末に届いたものは、本戦参加者全員に与えられる個室に入るための鍵だ。戦士にも時には休息も必要、と言う運営からの計らいだな。あとで確認しておくといい」
そこに表示される謎の暗号が承認コードらしい。確かに休息ができる場所がある、ということはありがたいことだ。……情報の整理など、重要なことはこれからはそこで行うとしよう。
「説明はこれで済んだかな。すでにトリガーが配置されている空間──アリーナの鍵は開放されている。対戦相手を確かめた後に向かうといいだろう」
その言葉とともに言峰は去っていく。
つまり、今からする対戦相手の確認。その儀式を以て、俺の聖杯戦争は本当の意味で始まるということか。
掲示板の前にたどり着く。
如何なる仕組みか、何も記されていなかった掲示板には、俺が目の前に立った瞬間に、文字を映し出した。
──マスター:間桐慎二
──決戦場:一の月想海
偽りの日常における親友の名を。
主人公:記憶なし、知識あり