──七日目:昇降機内部
結局、覚悟などできることもなく、未だイリヤスフィールを殺すことへの忌避も消えることなく、けれど時間は
今回に限っては、言峰と会話をする余裕もない。ただ暗号鍵を押し付けるようにして決戦場に向かう昇降機に乗っていた。
「ちゃんと来れたんだね、お兄ちゃん。ふふ、えらいえらい」
暗く、己とサーヴァントのことしか認識できない空間を抜けた先で、最初に空間を震わせたのはやはり、未だ覚悟が決まらぬ俺ではなく、この戦いを心底楽しみにしていた少女だった。
「……イリヤスフィール」
けれど、俺も聞かないといけないことがある。だからこそ、眼前の少女の名を呼んだ。けれど──
「つーん」
そんな言葉を口にして、少女はそっぽを向く。まるで、俺からの質問には答えないというように。
「イリヤって呼んで。じゃないと、なーんにも答えてあげない!」
「なら、イリヤ」
「なあに?」
一つ、これだけは聞いておかないといけない。
「イリヤは、どうして俺のことを兄って呼ぶんだ」
彼女の生前の兄であれば、初日に遠坂が言っていた『アインツベルンは十年前に滅んだ』という言葉を信じるなら、それはつまり俺は死んでいるということで。そしてそうでないなら、なぜ俺のことを兄と呼ぶのか、そのことを知らないといけない。……結局、これから先に起きることに変わりがないとしても。
「うん? そんなの簡単だよ。だって、お兄ちゃん。イリヤと同じじゃない」
「同じ?」
……今おうむ返しに聞き返したことで、なんとなくわかってしまったような気がする。けれど外れていてほしい予想だ。そんな思いを、イリヤは知らず。言葉を、己の正体が何者なのかを告げる、決定的な言葉を告げる。
「お兄ちゃん、イリヤと同じで
そんな、俺もサイバーゴーストなのだと。信じたくなかった、ただ年上で見た目が似ているから兄と呼んでいるのだと、そういう否定する意見を全てぶった切る、真実を告げるのだった。
沈黙が、昇降機の内部を支配する。誰かに否定してほしい。……いや、だけど、リンクがないだけなら俺の体とのリンクが切れているだけの可能性もある。そうだ、そうに決まっている。だってそうでもなければ聖杯戦争の知識を持っていた理由がない。……あれ? 今、何を考えていた? 確かに何か、肉体が存在する証明を……
「マスター」
「……アルターエゴ」
その思考を、いつものようにアルターエゴが断ち切ってくれる。もう、こういうことも慣れて来た。……いや、慣れたらいけないやつなんだろうけど。
「別にマスターが何者でも問題ないわ。だって、マスターが『私のマスター』であることだけは真実でしょ?」
「………………ああ、うん、そうだな。君のマスターは、今ここにいる俺だ。現実の俺がどうなってるのか、存在しないのか、どっちにせよ今の俺を指し示すのなら君のマスター以上の価値も、言葉も存在しない、よね」
「ええ、そうよ。だから、マスターは何者か聞かれた時には『アルターエゴのマスターだ』って、そう名乗ればそれだけで、今ここにいる貴方は他の誰でもない『貴方』でいられるの」
アルターエゴの言葉に落ち着く。いつも、どんな時でも、俺の思考の悪循環を断ち切ってくれる彼女のマスターに慣れたことが、記憶のない俺にとって唯一の幸福なことかもしれない。
「……麗しきは主従愛、と言ったところか」
そして、アルターエゴの言葉が終わると同時、この空間の中で沈黙を保っていた唯一が、イリヤの従者として、騎士としてそこにあったセイバーが言葉を発した。
「ええ、そうね。私、結構マスターのことが好きだもの」
それに応ずるように、小悪魔のように、悪戯好きの妖精のように、アルターエゴは笑う。
その言葉を聞いてしまったことで思考がまとまらない。友愛? 親愛? 恋愛? 好きと言ってもlikeとloveのどっち? いや、でもこの状況下だったら相手に軽口を返しているだけで、本当は信用しているだけ? わからない。わからない。アルターエゴがどういう意図で言ったのか全くわからない。
けれど、この会話に俺は参加していないのだから、俺以外の存在が各々の意図を以て語るのだから、その会話が止まることはない。
「貴女がどれくらいお兄ちゃんのことを好きなのか知らないけど、イリヤの方が好きだもん!」
「あら、それはどうして?」
「え? だってお兄ちゃんはイリヤのお兄ちゃんで……」
「あら、それならマスターは私のマスターよ」
なんとなく、子供っぽい争いになっている、気がする。会話の内容は聞こえるけれど理解できない。思考がぐちゃぐちゃでそちらに向けるほどの余裕はない。
「それに、『イリヤスフィール・フォン・アインツベルンが
「どういう意味?」
「……そうね、そろそろマスターにも教えてあげないといけないものね。いいわ、私というサーヴァントについて少しだけ教えてあげる」
けれど、アルターエゴのその言葉に、少しだけ外部の言葉を取り入れることが可能になる。聞かないといけない。自分のサーヴァントについて。
「私はアルターエゴ。
そんなもの、わかるわけがない。真名に繋がる情報ではあるのだろうが……いや、待て。確かアルターエゴはフレイヤの持つブリージンガメンを宝具として持っていた。なら、フレイヤと習合した何某かが、『フレイヤの側面』という形で出てきたのか?
「……まあ、答えから言ってしまえば、私は三柱の女神が一つの肉体に収まった存在。それぞれの女神がこの肉体の精神性に呼応する部分があり、そしてその中でもっとも表層に現れている存在が私の真名」
「それって、まさか、貴女の依代って……」
そこまで聞いて、イリヤは驚いている。確かにアルターエゴが三柱の女神の力を持っているというのは驚きでしかないが、それでも幾ら何でも驚きすぎな気がする。けれどその理由も、彼女が気がついたことをアルターエゴが口にしたことで、把握した。
「気づいた? 私の依代は”イリヤスフィール・フォン・アインツベルン”。どこか別の世界で別の聖杯戦争に参加した貴女よ」
なるほど。……いやでも待て。確かアルターエゴは三回戦初日に──
──イリヤの名前を見て驚いていた。
──サーヴァントの存在を見てこれまでにないほど殺意を滲ませていた。
ああ、そうか。サーヴァントについては聞いたけど、マスターとは何かしらの関係性があるのだろうとは思っても聞いてなかった。彼女は嘘をついていなかったわけだ。おそらく、あのサーヴァントが、というよりも『イリヤスフィールのサーヴァントが”かつて自分と契約していたサーヴァント”ではないと許せなかった』のだろうか。俺も、アルターエゴ以外と契約している己を考えただけで殺したくなる。
「……いいわ、別に。貴女が平行世界の私だろうと、それこそ関係ないもの。せいぜいが
驚きはしていたが、イリヤもすぐに先ほどまでと同じように冷静に、これまでも見せていたマスターとしての、俺のことを
そして、昇降機がついに俺たちを、生きて出られるのはたった一人。他者の命を生贄として退出への扉を開く死合舞台へと届け終えた。
「じゃあ、殺すね。──やっちゃえ、セイバー」
決戦は、昇降機内部での会話の始まりと同じように、けれど純然たる殺意を乗せたイリヤの一言によって幕を開けた。
「ッ! 頼んだ、アルターエゴ!」
巌の巨人と白銀の妖精は、互いのマスターの言葉によってほぼ同時に飛び出す。
──ウルスラグナの情報が、敵の
先手はやはり、輪がこれまで見てきたようにアルターエゴ──ではなく、魅了は入ることなく、アルターエゴはそれに驚きながらも、神性を持つのだから当然かと納得を得て、セイバーの剣と打ち合うことなく屈んで躱し、アッパーのために拳を突き出し飛び上がる。
「効かん」
けれど鍛え上げられたその鋼の肉体は、少女の柔な拳程度で突き破れる代物ではなく、常人が鋼を殴ったのと同じような感覚を得てアルターエゴは下がる。薄氷の上を渡るような回避。黄金の剣を振るったことにより生まれる暴風からも逃れ得たが──
「無駄だ。
業、と焔がその暴風の中に現れ、風と混じり合って爆発的に広がっていく。
魔力放出(炎)とはまた違う。いいや、同じものではあるが、その発現方法が己の魔力が炎となるのではなく、『
月の決戦場すら融かす太陽の炎が世界を覆い尽くす中、サーヴァントの力によって傷つくことのない空間にいる輪とイリヤは、「サーヴァントの性能差を見せる」と言ったイリヤによる妨害から始まる形で、輪がサーヴァントの救援に迎えないようになっていた。
「行かせるわけないでしょう? サーヴァントはサーヴァント同士、マスターはマスター同士で踊りましょう、お兄ちゃん!」
「悪いけど、俺のダンスパートナーはアルターエゴだけなんだ……!」
マスター同士の性能差、サーヴァント同士の性能差、どちらを見てもイリヤスフィール主従の方が上である。だが、だからこそ。勝利を掴むサーヴァントはともかくとして、童女でしかないイリヤは「こっちが負けるはずがない」と慢心している。……それは事実なのだから、慢心とは言えないかもしれないが。少なくとも「一日目に本気を出していないとはいえマスター同士の戦いで殺されかけた」ことを忘れている。
「killer()」
「無駄よ」
淡々と、本気を出したイリヤに、以前彼女を殺害することに成功したはずだった一撃が無数に殺到する。されどその全てが、彼女の展開した魔力弾に、障壁に、防がれ、相殺され、一発すら届くことがない。
今回、輪とアルターエゴが建てた作戦は三段階。
まず、アルターエゴが、どうにかして『イリヤが魔術を使って支援しないといけない状況』を作る。
次に、イリヤがそちらに気を取られた隙に『イリヤを殺傷し得ると判断できる魔術』を放つ。
最後に、一日目の殺害未遂があるために反応するであろうセイバーをアルターエゴのスキルで倒す。
『勝利の軍神を敗北必至の状況に追い込む』こと。そして殺す覚悟もない輪に、殺そうとしたことがトラウマとなりかけている輪に、イリヤを殺せるだけの魔術を放たせること。そして何より、アルターエゴが再習得したスキルが確実に倒せるとは限らないこと。
不安要素は、あげようと思えばいくつもあげられる。けれど、そんな作戦に縋るしかないほどに二人は追い詰められていて、アルターエゴはこの作戦をなんでもないかのように言ってあの時己がマスターを安心させたのだ。
月の深海が太陽の炎獄へと変貌する中、二組の死の舞踏は続いていく。
紅蓮の炎が追い打ちとして生まれる攻撃を無限に繰り出していくセイバー。そしてそれに対応するのは氷結の魔力を絞り出し、それを時として剣に、そして時として盾へと変えながら一合なりとも打ち合わないように、斬撃に変貌する前に体の一部をほんの一瞬しか保たないとはいえ凍らせて、攻撃の起点を潰しながら立ち回るアルターエゴ。
このアルターエゴに、人間同士の戦争で逸話を残している英霊の相手は厳しい。なぜなら彼女は「怪物を倒して英雄となった少女」であり、その扱う剣術も弓術も全て「怪物相手に戦う」ことを前提としたものである。だから、苦手な相手の極地とも言える英雄神相手にここまで戦えること自体が普通ならありえない。
「ははは、アルターエゴ。貴様、
「さあ、どうかしらね!」
大嵐。そうとしか表現することができないセイバーの動き。その動きを、依代となった英霊の武芸を、彼女は生前から知っていた。
大英雄ヘラクレス。
その存在は、彼女が生前の聖杯戦争にてサーヴァントとして従えたもの。だから、そちら由来の動きであれば、ある程度は見覚えがある。あとは、サーヴァントとしての肉体がそれについてくるのかどうか。それだけが、問題となる。そしてその部分はスキルを取り戻すまでの改竄によって追いついてきた。
「ならば──」
──これはどうだ?
直後、動きが変わった。ヘラクレス由来のそれから、ウルスラグナとしてのそれへと。そしてそれについていけなかったアルターエゴは、黄金の剣によってその肉体を両断された。