??? 第一節
マイルームに、戻る。
今日の決戦は肉体的にも、精神的にも、これまでにないほどの疲労を感じた。
肉体的には魔術戦を繰り広げたことにより魔力を大量に消費したことによる疲労。
精神的には、やはりイリヤを殺すのだ、と
……ああ、そうだ。無駄なんだ。相手を殺す覚悟なんて。だって、最終的に殺すのは俺ではない。敵のマスターの生死を決めるのは俺ではなく、敵のサーヴァントがその絶対の死を覆せるかどうか。
つまり、召喚時点で生きて帰れるかどうかはほぼ勝手に決まっているようなものだ。
イリヤの命が助かったことが悪いことだと言うつもりはないが、それでもセイバーがしたことは、俺にそういうことを教えてくれた。
イリヤ。そう、イリヤだ。彼女の命が助かった後、その場に置いていくことはできず、校舎にまで連れて帰ったところ
「お兄ちゃん、ちゃんと私をエスコートしてよね」
今、俺の
何やらアルターエゴが決戦で使った「バーサーカーのサーヴァントを呼び出す」宝具が、月の聖杯戦争のルールである「一人のマスターに一騎のサーヴァント」というルールを崩し、二騎のサーヴァントを使役できてしまう、ということで禁止にされ、別の世界に存在する「クラスカード」というものを元にした、アルターエゴにバーサーカーの力を上乗せする、というレベルにまで落とされたのだ。
けれど、その召喚宝具を持って召喚された時点で、ムーンセルが一度はその宝具の使用を「良し」と認めたに他ならないとして、勝手な都合で弱体化させる分の補填、として、すでに死んでいるはずのイリヤスフィールをその補填として再利用する形になったのだ。
「マイルームまでエスコートってなんだかなぁ……」
「あら、今の私はお兄ちゃんのものだけど、別に従う必要なんてないんだから。お兄ちゃんのサポーターとしてある今の方が不自然なんだし、それで消されたら消されたよ。……助けてくれたセイバーには申し訳ないけど」
今のイリヤはマスターだった頃に比べてかなり立ち位置が変化している。そもそもすでに敗退したマスターでしかなく、今の役割は補佐である以上、表立ってアリーナに行って戦うわけにはいかず、俺のサポーターである以上、俺の死と同時に消滅する。
「ま、いいさ。ちょっと”妹”の我儘をきいていれば、これからの戦いが楽になるんだ。多少の我儘なら聞くよ」
こんなことを言っているけど、正直に言って俺に彼女の我儘を聞かないという選択肢はない。ただ、彼女に「聞く我儘には限度がある」と思わせるために言っているだけだ。
だって、俺が彼女を殺すことになった時に、最初にためらった理由は「アルターエゴに似ている」からだ。
敵だったから「殺さないといけない」ことに苦悩して、今は味方だから「死なせないようにする」ことになる。そしてそれは、俺とアルターエゴが勝利し続ければ達成できる。
「勝利して殺すか、敗北して死ぬか」から「勝利してイリヤとアルターエゴの命を守るか、敵対している相手の命を奪うか」になった。しかも、死の理由は俺が殺したからではなく、相手のサーヴァントがマスターを助けられないからだ。こんなに簡単なことはない。
「それじゃ、行こうかイリヤ」
「うん」
決戦の開始時刻には差異があるのか、今は校舎の中には誰もいない。きっと、終わる時間もほとんど重なることはないのだろう。だから、二人で出てきたことを驚くような相手もおらず、お喋りを邪魔されることもなく、イリヤの手を取って静かな廊下を歩き始めると──
「なっ……!?」
直後、平和なはずの廊下に、大量のマスターが倒れ伏していることに気がついた。
「下がれ、イリヤ!」
「う、うん」
全員、血の気が引いている。もはやあれはただの遺体だ。多分、戦いが終わった連中が、ここを通って帰ろうとしたタイミングで殺されたのだろう。そこまで理解できて、俺にはサーヴァントがいるが、イリヤにはもういないことにも気がついた。だから彼女を下がらせ庇うようにたってからアルターエゴを呼ぼうとして──
「──!」
圧倒的な力に引っ張られ、気がつくと、三回戦の決戦場に立っていた。ここが再現された空間でないなら、おそらくは転移させられたもの。しかも、決戦場、ということは間違いなく
そして決戦場である以上、間違いなくそこには決戦を行うべき敵がいる──!?
そして気がつくと、目の前に燃えるような赤い衣装を着た男性が濃密な殺意の刃を俺に向けて立っている。
死を体現している、としか形容ができない男。まさしく
「脆弱にもほどがある。魔術師とはいえ、ここまで非力では木偶にも劣ろう。前回の時には、お前たちよりも骨のある者がいたぞ」
転移したにも関わらず、死体は大量に転がっている。それらすべてを無価値なものと侮蔑するように睥睨し、男性は俺たちに、正確には未だマスターである俺に向けた。
「鵜を縊り殺すのも飽きた。多少の手応えが欲しいところだが……」
男性が構える。独特な構えはおそらく中国武術のそれに近いのではないだろうか。実際に見たことはないので断言はしきれないのだが。
「小僧、お主はどうかな?」
男性の足が一瞬力んで、けれどそれを認識したのは、男性の姿が目前から掻き消えてからだった。アルターエゴは霊体化を解こうとするが、それももう遅い。
おそらく攻撃。そんなことを理解するよりも先に体は勝手に生き残ろうと動き、イリヤを連れて跳ぼうとして、けれどありえぬほどに力が抜け、転げるようにして躱す。
「まさか躱されるなどとは思わんかったぞ──!」
風を切るようにして放たれた拳は、されど俺の方へと二撃目が飛んできて。
「もう好きにはさせないわ」
それを、剣で叩き落とすアルターエゴがいた。
「ほう、少しは気骨のある者が、この戦いにもおったか。ただの一合、それも偶然。けれどよくぞ躱したな」
そしてアルターエゴの姿を認め、こちらに感心した視線を向けながら構えを解く男性。
「時間切れとは興醒めだが、殺しきれぬのならしょうがない。舞台裏ではこれが限度よ」
そして闘志を燃やした邪悪な笑みを浮かべ、少しずつこの空間が遠くなる中で一言。
「お主とは、またいずれ
気がつくと、そこは先ほどまでの廊下でも、赤いアサシンに襲われた空間でもなく、いつもの、見覚えのある空間だった。
「マイルーム……?」
そう、そのベッドの配置などを見るに、そこは間違いなくマイルーム。
「ここがお兄ちゃんの? なんか殺風景なところね」
イリヤが、マイルーム内部を見ている。すでにマスターではないのだから、マスターに与えられるマイルームはもう使えず、俺の
「そりゃ、そんなの整える時間はなかったからね」
そうだ。最初から今の今まで、そんなものを整える時間はなかった。それに、整えなくても十分に休息は取れたのだ。だからこのままでも問題ない。
「まあ、いいわ。その辺りは今後の課題ね」
……これから先も、ここが変化するとは思えないが。まあ、下手に怒らせてしまってもいいことはない。なんとなくそれっぽく、模様替えの仕方を教えてくれるように頼んでみて。頼られたことが嬉しいのか少し興奮しているイリヤも含めて、今日の疲れを取るために、明日から始まる新体制のために眠りにつくことにした。
「おっ兄ちゃーん!」
「うん? どうかした……グェ!」
ベッドに横になったところに飛び乗ってくるイリヤ。それによりカエルが潰れたような声を出しながらも、受け止め、いきなりこんなことをした理由を聞く。
「え? だって私、急に来ることになったからベッドの用意なんてできてないでしょ。だからお兄ちゃんと一緒に寝ようと思っただけだよ」
「なら、飛び乗る必要なんてないだろ」
「そうよ。それに、マスターと一緒に寝るなんて許可できるわけないでしょ」
飛び乗ったイリヤの首根っこを、アルターエゴが掴んで自分のベッドの方に連れて行く。しかしイリヤは堪えていないようで
「もしかして、羨ましいの? 同じ『イリヤ』だって言っても、
何か言い合っている。けれどもう疲れが本当にひどくて、その会話を聞くのも億劫で、体から出される『とっとと寝ろ』という指令に従って瞼を下ろすと──
もはや、校舎そのものが崩壊しているのではないかと思うような地震が発生し、俺はベッドになっている机と椅子から転げ落ち、そしてその椅子たちもそのまま崩れ落ちる。アルターエゴも掴んでいたイリヤを離さないようにするのに精一杯で、こちらの助けに簡単にこれそうにない。
というか、この揺れ。今決戦をやっているマスターたちはどうなるのだろう。もはやこの地震にどうするべきなのか、自然災害に対応策など今この瞬間にパッと思いつくはずもなく、思考の一部が能天気にそんなことすら考えていた。
そしてそこに、セラフからの通達が。けれどその言葉は信じがたいもの。この地震の……いや、これまでに発生していた地震の正体は、その侵入者とそれに対するムーンセルからの迎撃のぶつかり合いの余波だったのだろうか。それならあるいは、あれほどの地震を起こせるような相手なら。侵入できてもおかしくはないのかもしれない。
けれどさすがに、そのレベルとは思いもよらなかった。そう思ったところで、意識が落ち始める。視界が強制的にシャットダウンされていく。すでに消滅していく最中に見えるマイルームの正体は視界に走るノイズが見せている幻覚なのか、あるいはまだ転移の実行を終えていないにも関わらず校舎のリソースを回さないといけないレベルに、その作業を二つ同時に行って一刻も早く校舎分の魔力を防衛に回さないといけないレベルまで追い込まれているのか。
そのどちらなのかを、たかが一介のマスターが知ることなど、不可能で、俺の視界はすぐに何も映さぬ暗黒に包まれるのだった。