──アリーナ:一の月想海・第一層
掲示板にて対戦相手の名前を確認した後、アリーナに足を踏み入れると、まず感じたのはどこかひんやりとした空気だった。
海の底、というイメージがなぜか頭の中に思い浮かぶ。そしてそのイメージを補強するように、迷宮外部を気泡らしき何かが空に向かって浮かんで行く姿が視界に入った。
「さ、それじゃあ今日は肩慣らしといきましょう? うん、あの辺りまで行くとしましょうか。数体程度エネミーを倒せば、私も感覚を取り戻せるでしょうし」
横には霊体化を解除したアルターエゴが立っている。少女然とした先ほどまでの姿とは違い、今は戦闘者としての、冷たい視線を奥に向けている。自分には何も視界に映らないが、彼女の目はすでに何かを捉えているのだろうか。
悲しいことに、今の自分はどうしようもなくマスターとしては不適格な存在なのだ。マスターとしての仕事すらまともにこなせない。
やはり、ある程度慣れるまではアルターエゴに自由に戦ってもらう方がいいだろう。
「へえ、私の自由に戦っていいの?」
歩きながらそのことを伝えると、好戦的な笑みを浮かべるアルターエゴ。
「うん、まだまともな指示を出せないと思うし」
「それじゃあ、まずはあいつを相手に、私の力を見せるとしましょうか。……さあ、行くわよ、マスターさん!」
アルターエゴが走り出した先にいるのは、宙に浮いているブロック形状の
「グルゥァァァアアアアアアッ!!」
しかし、それもシロウ相手に意味を為さない。単純に、膂力が違う。そして、その膂力を、巨大な体躯かつ勢いがついた突進によって発揮する熊。助走距離は長く、たかが弱小エネミー程度に受けきれる一撃では断じてない。押し潰されたエネミーは、態勢を立て直すよりも先に振るわれる獣の豪腕によって、その躯体を0と1のデータへと溶かしたのだった。
そして視界に映し出された事象が、ただ騙すための偽の映像ではないことが流れ込んできた
この聖杯戦争においてエネミーという存在は色々な価値を持つ。
例えば、戦闘経験を積み互いの戦闘能力を把握すること。新しい連携などを試すことができるので、ぶっつけ本番で使わざるを得ない、などという事態は試合当日に思いついたりしない限りは避けることは可能だ。……アリーナである以上、相手とかち合って見られてしまう可能性が0とは言わないが。
そして、もう一つが今確認に使われた資源と魔力の流入である。購買で使用するための資金や、サーヴァントの強化に使用される魔力が、倒した時に倒したサーヴァントと、そのマスターに流れ込む。それを利用することも、『決戦の準備を整える』ということの一部だ。まるでRPGのようだが、それも電脳であるこの世界だからこそ。これがなければ、他の参加者を相手にした時におそらく自分たちに勝ち目はないだろう。
「ちょっとシロウ! ここは私に華を持たせる場面でしょ!」
「ガウ……」
となると、当然面白くないのは、自信満々に実力を見せようとしていたアルターエゴである。少女に怒られしょんぼりとしている熊という絵面は地上では目撃し得ないだろう光景で、クスリと笑いが漏れた。
「マスターさん! 何笑ってるの!」
「いや、ごめん……」
ここで機嫌を損ねてもいいことはないので、怒りを見せるアルターエゴに対して謝るしかなく、そこで無駄な時間を使うことにはなったが、これも交流の一環だろう。これまでに見せた冷静な表情とは違う一面を見ることができたことに喜びを得た自分はどうかと思うが、それでも少し、こうした表情を見せる程度には信頼されたと思って嬉しくなった。
「もう……!」
「すいませんでした……」
誠心誠意謝ること5分。どうにか許してもらえたところでシロウが姿を隠す。次の戦いはアルターエゴの力を見せるということでシロウは霊体化しているらしい。少し離れたところに次の獲物を見つけて、今度はそちらに向かう。
「さあ、始めましょう……!」
エネミーに接近したアルターエゴは、自分の動体視力では視認することすらギリギリの速度で動く。腕が消えたように錯覚するも、腰元にあった剣が消えていたので、それを抜いて切り裂きにかかったのだろう。蜂のようなエネミーは蜂が持つ尻の針で応戦しようとしていた。
それを認識した次の瞬間に自分を虚脱感が襲った。多分、アルターエゴが何かしらの魔術を使用したから魔力が抜けたのだろう。実際、少し目を離した隙に針が凍りついている。
「えーい!」
少し気が抜ける掛け声とともに、懐に潜り込んだアルターエゴがアッパーを繰り出す。英霊の筋力は、たとえ見た目が少女であったとしても人間とは比べるまでもない。凍りついた針ごと、その肉体は砕かれた。
「それじゃ、先に進みましょうか」
こちらを振り向いた少女の楽しそうな笑顔に頷いて、彼女が目標とした地点に向けて歩き出した。
「マスターさん」
しかしその途中で、真剣な声でアルターエゴは語りかけてくる。
「私、本気を出し切れないみたい」
「それって、やっぱり俺のせいで……?」
単純に考えれば、未熟なマスターが魔力を供給できないせいで力を発揮できない、というのが基本。そして、彼女もそれを隠すことはしない。
「ええ。貴方がもっと成長すれば私の本気も見せられると思うわ」
「そっか」
それなら、目標としてはまずは彼女の本気を引き出せるようになることだ。
話をしながらも歩みを止めず、中途にいるエネミーたちから魔力を収集していく。その度にアルターエゴの能力がわずかに上昇するが、それも誤差の範囲内。今のままでは一流のマスターが揃う聖杯戦争では勝ち抜けないだろう。
「ふぅ……これで今日のところはおしまいね」
「ここが、さっき言ってた場所?」
「ええ、今の状態でできることはある程度わかったし」
焦っても仕方ないので、アルターエゴの語る地点にまでたどり着き、そのエネミーを打ち滅ぼしたところで出された終了の合図に従う。
幸い、自分の目で追うことができるレベルでしか彼女は動けず、そしてそれに慣れてきたあたりでわずかに速度が上昇するおかげで、自分の目も彼女の動きについていける。この調子であれば、決戦の時に相手サーヴァントの動きを完全に見失うことはないだろう。
「それじゃ、帰りましょ──」
言葉は、最後まで口にされることはなかった。
声が届くよりも先に、己の腹に熱を感じた。思うように動かない体だが、異物感と熱を感じる腹に視線を向けると、そこには刃が生えていた。
「なっ、サーヴァ──」
「遅いの」
アルターエゴが反応し、動き始めるもすでに相手サーヴァントの言う通り遅い。そのまま横薙ぎにされた鋼の刃は、自分の体を真っ二つに両断した。
最後に視界に映ったのは、特徴的なハゲ頭を持つ老人の姿をしたサーヴァントと、その後ろにいる目に光のないシンジの姿だった。
──そして、その日を繰り返す。
もう一度、保健室のベッドで目を覚ました。今朝と同じように、横にはアルターエゴの姿がある。アルターエゴは何が起きたのか理解できない、と言うような顔で周囲を見渡している。
「どうして……?」
あの時マスターさんは殺されたのに、と口の中でだけ呟くアルターエゴに驚いて、つい詰め寄ってしまう。
「もしかして、アルターエゴも記憶があるのか!?」
「え……その言い方だと、マスターさんはこの状況に慣れてるの?」
「ああ……でも、
少し不満そうな顔をしているが、それでも人がいるところでは話せないことである、と認識してくれたおかげで話は円滑に進みそうだ。そうして話がまとまった直後、保健室の扉が開く。入ってきたのは間桐桜。彼女の話を聞き流し、保健室を出た。
アルターエゴのためにも
「それで、どういうことなの?」
部屋に入ると、直後アルターエゴが詰め寄ってくる。もちろん答えるつもりなのだが、さすがに立ったままというのも話をするには不適切。そこら辺にあった椅子に座るように促し、互いに座った状態で話を始める。
「説明って言っても、俺も詳しくわかってるわけじゃないよ」
そう前置きをしてから、今自分の身に起きていることでわかっていることの説明を開始した。
「まず、今の俺たちは聖杯戦争一回戦の初日に戻っている。これが起きる条件はおそらく”俺の死亡”」
「さっき、相手のサーヴァントっぽいのにお腹刺されてたもんね」
「後ついでに言うなら、予選の時もあの人形を砕かれて一回予選最終日の始まりに戻ったし、学校から出ようとして最終日の始まりに戻ったこともある。だから……多分戻る場合は”死んだ日の始まり”まで戻るんだと思う。……今わかってるのはそれぐらい。なんでこんなことが起きるか、回数に制限があるのか。そう言う重要なところは何もわかってないよ」
「なら、それに頼るわけにはいかないわね。情報を集めるために死んで戻るって手段は取れないっと」
「それに、一周目のサイクルでトリガーを集めずに情報だけ集めるって言うのも、当日の朝に戻るんだったらできないかな。七日目がスタートした時点でトリガーが集まってないとダメだから」
これで、今の自分が持っている死に戻りの情報は共有された。
次にまとめるべきは──
「さっきのことでわかった相手サーヴァントの情報をまとめるのね?」
自分の思考を読み取ったかのように、アルターエゴは口に出す。それに頷いて先の周における相手サーヴァントの行動を思い出す。正直に言って、自分は後ろから刺されたのでほとんどわかっていない。でも──
「
「多分、な」
相手の宝具の効果で呼び出された可能性などもあるだろうが、一回戦でそんな相手と遭遇する可能性……合計128のサーヴァントが呼び出されるという過去最大規模の聖杯戦争だからと言って、それでも星の数ほどいる英霊の中からピンポイントでそんな宝具持ちを呼び出して戦闘になる、なんて確率としては低い。アルターエゴなんていう特殊クラスを召喚した実績が自分にはあるので、『相手がそんな宝具持ちを召喚しているはずがない』と断定するつもりもないが。
そして、あのサーヴァントの姿。あの特徴的すぎるハゲ頭を見てしまえば一発でわかってしまう。基本、英霊の姿なんて見たことのない自分でもあれはさすがにわかる。有名すぎる相手だ。
「あれって、ぬらりひょん、だよな……」
「ぬらりひょん?」
アルターエゴは知らないのだろうか? いや、見た目を考えれば日本の英霊ではなさそうだし、そもそも自分すらもあれが人理に刻まれた英霊であるとは信じがたい。
「日本にいる妖怪の一種だよ。勝手に人の家に上がり込んで、その家の者であるかのように振る舞うっていう」
要するに『自分の存在を相手に気づかれない、気づかれても敵と思われずその家の存在と思われる』という妖怪だ。そんな妖怪がサーヴァントなら『サーヴァントに気づかれずにマスターを殺害する』ことを本分とするアサシンのクラスである、というのは何もおかしくはない。
「もしも本当にぬらりひょんなら厳しい、よな……」
相手が害意を持って近づいてきても味方と勘違いして気づけない可能性が高いのだ。そういう妖怪だから。
「大丈夫よ」
殺されるまで気づけない可能性が高く、その事実が俺の精神を苛みそうになったところでアルターエゴの涼やかな声が届く。その声は大きくはなく、けれど心の奥にまで届く声で、俺の心を落ち着けてくれた。
「その辺りはどうにかなるわ」
何も根拠を示していないはずなのに、なぜか信じることができる。いや、彼女の中では何かしらの根拠があるのだろう。ただ、それを俺に示すほど信用できているわけではない、というだけで。
「うん、わかった。それならそこはアルターエゴに任せるよ」
「ええ、任せてちょうだい」
その言葉を最後に、マイルームを出る。帰ってきたら散乱してる椅子と机の配置をもう少し考えるか、なんて話をしながら。
アリーナ内部を突き進む。
すでにあの地点までは構造を覚えているので、問題なく進むことができる。
アルターエゴの能力値が初期値にまで戻ったから、先ほどの周の最後の時のまま動こうとするとわずかに差異が出てぎこちなくなる、という事態はあったが、それも先の最期の地点にたどり着いた時には修正されていた。
「それじゃ、帰りましょ──」
ここまでは先ほどと何も変わらない。アリーナに入ってからはできる限り先ほどと同じ行動をとってきた。だからこのままなら──
「ちょいと邪魔す──」
「ええ、本当に邪魔ね」
後ろに寸前まで気配を感じさせなかったサーヴァントが出現した途端、俺とそのサーヴァントの間に白熊の巨躯が出現し、刃を爪で弾いた。
「なんじゃと!?」
返す刀で振るわれた剛爪は後退することで躱すサーヴァント。それだけの隙があれば十二分にこちらも態勢は立て直せる。アルターエゴが俺を守るように前に立ち、剣を構えた。
「シンジ……!」
相手のサーヴァントの後ろには、先の周と同じく目に光のないシンジの姿がある。これで、シンジの状態が俺の見間違いということはなくなった。
「……殺せ、サーヴァント」
「ほっほっほ、正面戦闘は苦手なんじゃがのう」
そう言いながらも構えるアサシン(仮)から滲み出る殺意に、一瞬心臓が止まったような気すらした。
「マスターさん!」
「あ、ああ……」
しかし、アルターエゴの呼び声で肉体が今一度自分の意思で動き始める。できることなど何もないが、俺も構えて────
そんな警告が脳裏に響きながらも、初のサーヴァント戦は開始された。
1ターン15秒。一手につき2.5秒である。