The Boss in Ikebukuro   作:難民180301

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The Boss in Ikebukuro

 某国 紛争地域 後方キャンプ

 

 簡素な布切れとアルミの骨組みを組み合わせた粗末なテントが無数に並んでいる。硝煙混じりの砂風が天幕を激しく揺らし、テントの中からむせ返るように濃い血と腐肉の匂いが漏れ出た。

 

 前線から離れた後方キャンプの中でも、ここは特に回復の見込みがない傷病者が放り込まれる一画だ。テント内部のベッドの上には顔が半分吹き飛んだ者や、全身黒焦げでかろうじて呼吸だけしている者、四肢を失いながらも強い殺意のこもった目で天井を睨みつける者、麻酔の過剰投与で幻覚を見ているのか虚空に向かって爆笑している者など、心身ともにボロボロな人間が寝かされている。建前上手の空いた衛生兵が後で来ることになってはいるが、衛生兵が助かる見込みのない傷病者に構うほどヒマになることはありえないため、実質死体置き場と変わらない。

 

 そんな死臭漂う場所でひときわ異彩を放つ男がいた。

 

「ボス、君はもう十分戦った」

 

 ブロンドの髪をなでつけ、くたびれたスーツを着込んだ英国人の男。両脇を護衛の兵士に固められた彼は、こういった戦地よりもオフィスを戦場とする方がしっくりくる雰囲気をまとっている。

 

「私は不安だった。君の戦いぶりを見ていると、敵の銃弾ではなく過労に倒れるんじゃないかとね」

 

 彼が声をかけているのは、敵味方問わずボスと呼ばれる女兵士だった。頭に巻かれた包帯には血が滲んでいるものの、死体に等しい周囲の兵士たちとは違い、すさまじい眼力で英国人の男に視線を送っている。

 

「何が言いたいの、ゼロ」

 

「休暇をとれ、と言っている」

 

 身のすくむような眼光に怯まず、英国人の男、ゼロは淡々と告げた。

 

「君にはサイファーの立ち上げから今までずっと世話になってきた。君がいなければ、凡百のPMCと同様、適当な捨て駒にされて消えていただろう。分かるか、ボス? 君には恩がある。今回のようなくだらない偶然で君に死んでほしくないんだ」

 

 零細企業だと侮って明らかに無茶な依頼も数え切れないほどあった。敵対組織の首領の拉致、敵根拠地の完全破壊、大国の軍の駐屯地への潜入工作――そういった無茶苦茶な依頼をたった一人で完遂し、サイファーの名声を高めてきたのがボスだ。伝説の傭兵に惹かれ入社志願者は激増、またたく間に規模を拡大したサイファーは、無数の武装勢力や正規軍に出る杭理論で狙われた。全額前金の依頼を受けて現地に赴けば依頼人に銃口を向けられることもザラだった。あらゆる窮地をボスのカリスマと武力、諜報力を侍みに乗り越えてきたのだ。

 

 だからこそ、ゼロはボスに休んでほしかった。

 

「ものは言い様ね。組織のイコンとしての価値を、犬死で下げたくないだけでしょう」

 

「……かもしれないな」

 

 ゼロは自嘲気味に笑った。大手PMCの代表としての立場と、友人を思う気持ちとの区別は、彼自身にも曖昧になりはじめていた。ボスが榴弾の破片で頭部を負傷したと聞いたとき、即座に後方へ送って情報統制をしいたことも、友人を心配する気持ちより英雄の名声を下げたくなかったからかもしれない。

 

 気まずい雰囲気が漂う中、沈黙を破ったのはボスだった。

 

「私は生まれたときから衝動に従って生きてきた。戦わなければならないという衝動に」

 

「ボス?」

 

「自衛隊に入隊し、除隊後に家族との縁を切って戦地に飛び、お前と共に戦った。衝動の源は分からないままだった。だが――」

 

 ボスは両手で顔を覆い、声音が数段弱くなる。ゼロも精鋭の護衛二人も見たことがないほど弱々しいボスの姿に絶句する。

 

「ようやく思い出した。私は世界を一つにしたかったのだ。すでに世界は一つになって、それでもなお争いは続いているというのに……」

 

「ボス、一体君は――」

 

「教えてくれゼロ。私は何のために戦ってきた? 何のために戦えばいい? 何のために生を受けた?」

 

 何のために、何のためにと繰り返すボスを前に言葉を失っていたゼロは、やがて口を真一文字に結び、無表情で口を開いた。

 

「君はクビだ」

 

 かくして、争いあるところに必ず現れると言われた伝説の傭兵、ザ・ボスは戦場から姿を消した。一説には包囲された仲間を救うため我が身を犠牲にして劇的に果てたとも、潜入任務中に捕虜となり拷問死したとも言われる。中には明らかにウケ狙いの突飛な噂もあったが、奇天烈な真実に近い噂は一つとしてなかった。

 

 現地民兵の訓練中に起きた榴弾の爆発事故に巻き込まれ、そのショックで前世の記憶を思い出し、戦う理由を見失って弱ったところを見た社長が同情して直々に解雇を言い渡した――そんな真実にたどり着ける者は誰一人いなかったのである。

 

 

 

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 日本 東京 池袋某所

 

 池袋の繁華街にはあらゆる人間が集う。スーツ姿で汗水垂らして営業に回る会社員、制服姿で青春を謳歌する中高生、私服で遊び回る大学生。変わり種では、米国のカラーギャングを真似ているらしい青い帽子を一様にかぶった若者たちや、青と白で彩られた割烹着姿の黒人もいる。種々雑多な人々が街の雑踏を形成し、風景として溶け込んでいる。

 

 その中にあってなお強烈な異彩を放つ女性がいた。

 

 後ろでくくったブロンドの短髪に、広い肩幅と長身。堀の深い顔立ちには彫刻めいた美しさがある。これだけなら外国人観光客としてさほど目立つことはなかっただろうが、周囲と違うのは目つきだった。

 

 猛禽類のような目つきから鋭い眼光がまっすぐ前に発されている。青い瞳はどこまでも澄んでいて大海のような深みがある。視線の先にある雑踏は無意識のうちに彼女を避けて割れていた。特に理由があるわけではなく、熱いものに触れたとき手を引っ込めるのと同じ反射的な行動だった。

 

 彼女はただまっすぐに歩いているだけだったが、なんとなく住む世界が違うと全員が察していたのだ。感覚的には、ミステリー小説にアメコミヒーローが乱入したような違和感に近い。

 

 割烹着姿の黒人だけは一瞬、呼び込みの言葉を止めて無言で彼女を一瞥したが、考えこむように視線を伏せた後「ヘーイ、シャチョサーン、スシ、スシクイネェー」と呼び込みを再開した。

 

 そうして一身に注目を浴びる彼女――伝説の傭兵、ザ・ボスは眉をひそめる。

 

(ゼロ、日本は外国人に寛容ではなかったの?)

 

 脳裏に過るのは遠い戦地にいる友人、ゼロだ。ゼロはボスを解雇すると、すぐにボスが平和な環境で落ち着けるよう手配した。ボスの生まれ故郷である日本の友人に連絡をとり、都心の一等地に物件を確保。更にもう何人かの友人に頼み込んでボスの戸籍を用意した。元々のボスの戸籍は生死不明後に死亡認定されていたので、新しく用意した方が都合が良かった。後は退職金をたんまり持たせて飛行機に乗せ、ボスは言われるがままに空港から電車を乗り継ぎ都心に近い高級マンションに向かっているというわけだ。

 

 ゼロには日本の平和と多文化性について散々宣伝を受けた。一応日本出身のボスには釈迦に説法だったが、ボスが日本を離れている間に情勢が変わったのかもしれない。飛行機内でも電車でも、外国人の見た目だからかずっと注目されっぱなしだ。

 

 潜入任務の経験もあるボスは、カモフラージュ率が下がっている気がして落ち着かない。道行く人々の頭上に赤色のビックリマークさえ見えてきた。

 

 ボスは辟易し、細い路地に入る。後ろからまだ視線を感じるが、少なくとも前には誰もいない。ようやくアラート状態のような緊張から解放され、ほっと息をつく。

 

 池袋は一本通りを変えると違う世界のように雰囲気をガラリと変えることがある。ボスが入った路地はその好例で、街灯はまばらで人通りもほとんどない。薄暗い夜の闇と物寂しい空気が沈殿している。

 

 ボスは静かな夜道を、考えをまとめるためにゆっくりと歩き出す。自分の戦う意味、もう一度生を受けた意味とは――

 

(……まったく。日本は一体どうなってしまったの)

 

 しばらく静かに歩を進めていたボスは、深いため息をついて足を止めた。

 

 後方の物陰に一人潜んでいる。尾行が始まったのは路地に入ってからだ。動きからしてプロではない。しかし害意だけは人一倍だ。

 

 ボスは戦地で行方不明扱いになっていて、日本にいる情報はゼロが徹底的に隠蔽している。伝説の傭兵に差し向けられた刺客とは考えにくいが、万が一情報が漏れることはあり得る。念の為対応しておくのが堅実だろう。

 

 ボスがそう考えをまとめたタイミングで、物陰から飛び出した人影が、勢いよくボスの背中に迫る――。

 

 

 

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 チンピラは不満だった。

 

 高校を中退後、親の金でパチンコと違法カジノをハシゴしているうちに愛想をつかされ、家を追い出された。ひったくりと万引きでどうにか食いつないでいると、違法カジノで知り合った暴力団関係者に声をかけられ、池袋に無数にある任侠系暴力団、小波会に入る。

 

 形としてはヘッドハンティングされたチンピラは、自分にその道で食っていく才能があると強く思い込んだ。すぐに出世してテレビで見るような舎弟を持ち、アゴでこき使えるようになる。ゆくゆくは組長に気に入られてボスの座を継ぐのだと。

 

 しかしチンピラを待っていたのは出世街道とは程遠い下っ端生活だった。闇金の取り立てに向かっても、債務者の家の扉を蹴り立てて怒鳴り声をあげるのは兄貴分の連中だ。チンピラはただ兄貴分がタバコを出したらすかさず火をつけるだけの役目だった。少しでも遅いと殴られる。不満を表に出すと殴られるし、無言で耐えても「なんだその目は」と殴られる。鬱屈した不満は爆発寸前だった。

 

 そんな彼にとって、今回の仕事は降って湧いた幸運だ。地方から家出してきた少年少女、不法滞在の外国人を拉致する仕事。拉致した人間は系列の店で働かせたり、どこぞの製薬会社に売り払うらしいが、チンピラは知ったことじゃない。重要なのは暴力が振るえる点であった。

 

 拉致ということは多少暴力的にならざるを得ない。その拍子に自分の不満と有り余った力を解消できる。一も二もなくその仕事に飛びつき、違法改造されたスタンガンとある情報屋制作のリストを渡された。リストに載っている人間は攫っても騒ぎになりにくいものらしい。

 

「見つかんねーよ畜生!」

 

 チンピラはリストを地面にたたきつけた。彼は無能な上運も悪かった。リストにはそれぞれの人物の生活区域、時間帯まで親切に記されていたが、どの人物も見つけることができなかった。

 

 このまま事務所に帰ればこんな簡単な仕事もできないのかと殴られるのは目に見えている。殴られるのは嫌だし、何より自分の無能をつつかれるのは最悪だ。どうにかしなければ――

 

 そうして池袋の大通りで頭を抱えていたとき、見つけたのがボスの後ろ姿だった。

 

 追い詰められた彼は気づけない。危険な猛獣を避けるように、雑踏が彼女を中心に割れていることを。怒らせてはいけない人物として名高い巨大な黒人男性、サイモンさえもが彼女を見て警戒の色を見せていたことに。

 

 どこまでも自分勝手で、都合のいいことしか見えないチンピラは、ボスが路地に入ったのを見るや否や、嬉々として後を追いかけた。頭の中ではすでに、自分がスタンガンと暴力で無力な外国人を一方的にいたぶる姿を幻視している。

 

 路地の中でもまったく人気のない箇所でボスが立ち止まった瞬間、チンピラは弾かれるように飛びかかっていった。

 

 

 

---

 

 

 

 ボスの動きは迅速だった。

 

 向かって左側から迫るスタンガン。それを保持するチンピラの右手を左手で絡め取りながら、空いた右手で打撃を二つ。一つは喉に、もう一つは顎に。

 

 脳の揺れたチンピラは力なく崩れ落ちるが、ボスはすかさず追撃の膝蹴りで鳩尾を突き上げ、とどめとしてチンピラの左手を軸に投げ飛ばした。喉と鳩尾を打撃され呼吸すらままならないチンピラは、悲鳴の一つもあげられない。

 

 ボスは奪い取ったスタンガンをチンピラの眼前に突きつける。

 

「何者だ? なぜ私を狙った?」

 

「あ……が……」

 

 念の為尋問しておく。自分の危惧するような事態ではないとボスも分かっているが、万が一平和な日本にどこぞの傭兵や殺し屋がやってきたとなると洒落にならない。チンピラの返答次第では指の一、二本は折ってでも情報を聞き出す覚悟だった。

 

 が、チンピラの様子がおかしい。

 

 かすれたような声を出すのはまだいい。しかし口から泡状の血を吐き出しているのはどういうことか。

 

 ボスが訝しんでいるうちに、チンピラは白目をむいて気絶してしまった。全身がピクピクと痙攣している。

 

「まさか……!?」

 

 ボスは慌てて携帯を取り出し119番通報。全力疾走でその場を後にした。

 

 

 

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 ザ・ボスの修める近接格闘術、CQCにおいて、打撃は牽制の意味合いが強い。人体の硬い部位を柔らかい部位へ的確にめりこませることで相手の動きを止め、その隙に関節技や投げ技をかけて無力化する。

 

 しかしいかに牽制技といっても、前世と今生あわせて七十年近く研鑽を積み、戦場で磨き上げた彼女の技術は殺人的なレベルに昇華されている。今や打撃一つとっても強固なプロテクターや防弾チョッキを通して衝撃が内部に伝わる威力を誇り、投げ技は敵の骨格にもっともダメージの見込める角度で落とせるようになった。

 

 ボスが今まで戦ってきたのは一日中重い装備をかついで戦場を駆け回る頑強な戦士だったため、威力の変化に気づけなかった。彼らは自前の装備や筋肉でダメージを軽減していたが――大した運動もしていない一般チンピラが技を受けるとどうなるか。

 

「下顎複雑骨折、右肩関節複雑骨折、尾てい骨粉砕骨折、内蔵破裂複数。面倒なことになっちまった」

 

 チンピラの所属する小波会事務所。その一室で男たちがため息混じりに天を仰いだ。チンピラの診断書を投げやりに放り出す。

 

「見舞いに行ったのは誰だった?」

 

「俺っす。ミイラみたいになってましたよ」

 

「そのままガチでミイラになってくれりゃあな」

 

 リーダー格の冗談に、男たちはゲラゲラと笑う。チンピラへの同情や心配はかけらも見られない。

 

 彼らはチンピラの兄貴分たちだった。チンピラとは違って先の仕事をつつがなく済ませ、軽い打ち上げをしていたところにチンピラの負傷の報が入った。仕事を失敗したヤキを入れてやると息巻いたものの、追い打ちを入れると即死するような重体だったので、おとなしく医者から診断書をもらってきたところだ。

 

「あいつは誰にやられたって?」

 

「目つきの鋭い金髪の外国人らしいっす」

 

「んだそりゃ。ったく面倒くせぇ……」

 

 心底面倒臭そうにリーダー格が腰をあげると、取り巻きたちもけだるげに立ち上がる。組織の中では彼らも下っ端に過ぎず、その舎弟であるチンピラはいくらでも替えのきく消耗品に過ぎない。それでも組員にここまで分かりやすく手を出され、しかも上にこの件がすでに知られている以上、報復に動かないわけにはいかない。

 

「現場はブクロだったな? とりあえずそこらへんの金髪外人片っ端から袋にすんぞ」

 

「大丈夫っすか? あそこじゃサイモンっつーでかい黒人が」

 

「だーから、目立つ前にぱぱっとやって撤収すんだよ。舐めたヤツをキチンと締めてきましたって上に伝わりゃそれでいい」

 

「なるほど!」

 

 どこまでも自分勝手で体面しか頭にない発言だったが、彼らにとってはこれで筋が通っているようだ。

 

「やっこさんが多少喧嘩に覚えがあっても、この人数で囲めば関係ねえ。こっちには得物もあるしな。それでも敵わねえヤツは平和島静雄かサイモンくれーだ。いいかテメーら、さっさと済ませるぞ」

 

 池袋の危険人物ニ大巨塔の名を出して発破をかけると、舎弟たちはへーいと気のない返事。

 

 こうして、極めて勝手な動機による通り魔的リンチ集団が、池袋の街へと繰り出し――数時間後、全員が瀕死の状態で病院に搬送されたのだった。

 

 

 

---

 

 

 

 池袋某所 立体駐車場

 

(一体ここはどこの途上国なの)

 

 深夜、ボスは薄暗い立体駐車場の最上階で車止めの縁石に腰掛け、疲れた表情でため息をついた。

 

 日本にやってきて一ヶ月の間、ボスが落ち着ける暇はなかった。初日のチンピラを皮切りに、明らかに堅気ではない人相の集団に連日襲われた。集団の得物はスタンガン、特殊警棒に匕首などは序の口で、最近は拳銃や日本刀まで見かける。はて、確か日本では銃刀法があったはずだが気のせいだったか。

 

 住処にまでやってこられてはいよいよ平穏な生活が不可能になるので、ゼロが手配した川越街道沿いの高級マンションには一度も行けていない。ゼロの友人らしい元衛生兵の闇医者は出張が長引いていて頼れない。ゼロ本人もボスが残してきた娘たち――コブラ部隊がボスの行方を聞こうとうるさく、対応に追われていて連絡がつかない。

 

 結局今のボスにできることは、池袋の異国じみた治安の悪さにため息をつきつつ、寝床を転々としながら火の粉を払うことだけだった。

 

「……来たか」

 

 縁石の上で仮眠をとっていたボスは、ごく小さな足音を聞きつけ瞬時に覚醒した。

 

 音のした方を見ると、異様な人影が目に入る。

 

 その人影はまさに影としか言いようのない黒だった。首元からつま先まで混じりっ気のない黒のライダースーツに包まれ、電灯の光を照り返す部分がかろうじて立体感を出している。傍らのこれまた真っ黒なバイクに乗ってきたようだが、おかしい。ボスの聴覚にはエンジン音など微塵も聞こえなかった。

 

 今までの連中とは何かが違う。

 

 最大限の警戒と戦意をにじませ、黒いライダーを睨みつける。

 

「用向きは?」

 

 沈黙。ライダーは黙ったまま。表情をうかがおうにも黒いフェイスカバーが一切の感情を覆い隠している。

 

 陽動か、時間稼ぎか。異様な外見のライダーで注意を引き、別働隊が不意打ちの機を窺っている。もしくは爆破やガスの散布など、大規模な破壊工作を進めている。一介の暴力団がそこまで組織的な行動を起こすことはほとんどありえないのだが、ボスは一度拳銃を向けられたことで完全に戦士としてのスイッチが入っていた。

 

 敵の行動を予測したボスは、眼前のライダーに大きく一歩を踏み出す。

 

『っままま待て! 借りた金は返せ!』

 

 が、ライダーの突き出した携帯情報端末――PDAの液晶に表示された不可解な文章を前に、ピタリと動きを止めた。

 

 

 

---

 

 

 

 世界観がおかしい。画風が違う。

 

 それが黒いライダー――セルティがボスをひと目見て抱いた印象だった。例えるならホラー映画にインフレバトル漫画の主人公が乱入したような違和感。そういったちぐはぐな感覚が服を着て歩いている。

 

 もっともセルティだって人のことは言えない。彼女はアイルランド出身のデュラハンと呼ばれる妖精だ。フルフェイスヘルメットの下には首がないし、真っ黒なバイクは愛馬であるコシュタ・バワーをバイクに憑依させた姿だ。変わり者の多い池袋の街でも飛び抜けて変わった住人であると言わざるを得ない。

 

 ある高級マンションに人間の男性と二人で暮らすセルティは、紛失した自分の首を探すかたわら、運び屋の仕事を請け負っている。今回受けた依頼は闇金の重債務者である女性が池袋中を逃げ回ってなかなか捕まらないので、捕まえて事務所に連れてきてほしいというものだった。

 

 人さらいじみた依頼に難色を示したセルティだったが、報酬額はとても魅力的だった。それに、闇金相手に借金を重ねた挙げ句逃げ回るような人間に同情の余地はない。非合法なブツを運んだこともあるし、依頼人の素性が真っ黒なのも今更だ。いざとなれば力づくで引っ捕らえることも視野に入れ、その人間の居場所に出向いたのだが――

 

(ヤバい。なんだこの人間、ていうか本当に人間か?)

 

 縁石に座る彼女と視線を合わせた瞬間(セルティに目はないが、感覚的に)、セルティは全身が硬直して動かなくなった。

 

 どこまでもまっすぐで力強い瞳。猛禽類を思わせる鋭い視線はどれほど遠くまで見通しているのだろう。両の瞳の奥に燃えたぎる情動は歪みなく、爆発寸前の爆薬のような不安定さと力に満ちている。

 

 ヤクザから逃げ回っている時点で相当にタフな人間だろうと見当はついていた。しかし彼女のまとう雰囲気はセルティの想像の範疇をはるかに超えている。

 

 セルティには同じ妖精などの異形を感じ取れる力があるが、そういった異形の気配が一切感じ取れないことが逆に恐ろしい。目の前の彼女が実は太古の昔から生きる強大な吸血鬼だった、と判明した方がはるかに安心できる。それほどまでに、人間としての彼女はすさまじかった。

 

「用向きは?」

 

(待て待て、住む世界が違うだろどこのハリウッド映画から抜け出してきたんだこの女!? むしろマーベルか!?)

 

 自分のことを棚に上げながら混乱するデュラハンはボスの質問を聞き逃す。

 

 我に返ったのはボスが攻撃の意思を固め一歩を踏み出したときだった。すばやくPDAに文字を打ち込む。顔がないためしゃべれないのだ。

 

『ままま待て! 借りた金は返せ!』

 

 ボスが動きを止めたのを認め、ここぞとばかりに長文をたたみかける。

 

『あんたが何者かは知らないが、借りた金は返すのが常識だ! 借金を賭博で溶かしてまた借金して、挙げ句ヤクザに追われ逆ギレして逃げ回るって、人として恥ずかしくないのか!?』

 

「……どういうこと? 元よりあなたたちの始めたことでしょう?」

 

 たしかに違法賭博も闇金も依頼人が始めたことだけど。と、セルティはボスの言葉を曲解してしまう。

 

『それでも金を借りて賭け事をしようと決めたのはあんただ! 大人なら自分の行動に責任をとるべきだろ。だから一緒に来い! 私も口利きしてやるから!』

 

「……」

 

 ボスは一度目を閉じ、大きく深呼吸した。わずか数秒のことがセルティには数時間のように感じられる。首がなくてよかった、もしあったら冷や汗でヘルメットの中が酷いことになっていただろう。

 

 現実逃避するように関係ないことを考えていると、ボスがぽつりとつぶやく。

 

「なるほど。不名誉を被るのは慣れているけれど、気持ちのいいものではないわね」

 

 遠い目で暗闇を見つめるボスはもう一度目を閉じ、開く。底冷えするような殺気が周囲に充満した。

 

「あなたの申し出は拒否するわ。今すぐ帰りなさい。さもないと――」

 

 ――交渉決裂か!

 

 彼女が言い切るよりも早く、セルティは腕を掲げた。手先を中心に影が滲み出し、一つの得物を形成していく。三メートル超の大鎌。セルティの黒中心の見た目や鎌の形状からして、死神の大鎌を連想させる代物だ。

 

(――は?)

 

 が、影で鎌を形成するほんの瞬きほどの隙に、彼女はセルティの懐に入り込んでいた。鎌を持った左手を絡め取りつつ、鳩尾に裏拳。怯んだところを投げ飛ばす。奪い取った大鎌は彼女の手に握られたとたん、粒子状になって消え去った。

 

 セルティの痛覚はかなり鈍い。一連の攻撃で痛みもダメージもなかったが、精神的なショックは大きかった。いつの間にか大鎌が消失し、自分は地面に仰向けになっていた。人よりもはるかに長い生の中で初めての経験だった。

 

「ちっ!」

 

 呆然としていたセルティを現実に引き戻したのは、愛馬の獰猛ないななきだ。

 

 弾かれたように起き上がって声の方を見ると、彼女がバイクにまたがっている。普通のバイクならこのまま盗まれていただろうが、正体はバイクの形をとった首無し馬だ。主であるセルティに仇なす敵を振り落とそうと、前後左右へ無茶苦茶なウィリーを繰り出している。

 

 しばらくは馬をなだめるように粘っていた彼女だが、セルティが立ち上がったのを見るや舌打ちしてバイクから降りた。

 

「いい馬ね」

 

(ああ。私にはもったいないくらいいい馬だよ……!)

 

 セルティの体から猛烈な勢いで影が噴き出す。火山の噴火のごとき影の奔流が示す通り、セルティは激怒していた。

 

 愛馬、コシュタ・バワーとセルティの付き合いは長い。セルティにとっては首と一緒に記憶を失くしてからもずっとそばに寄り添ってくれた大切な半身だ。いくらフィクションの世界から飛び出てきたような化物じみた人間が相手でも、手を出されて怒らないはずがない。

 

 噴き出した影はセルティの怒りに従い、凶暴な形を成していく。暗がりから浮かび上がるは無数の黒い槍。それらが標的を定め、生き物のように飛び出していった。

 

(マトリックスっ!?)

 

 セルティは絶句する。

 

 影の槍の弾幕はかわされた。彼女は前のめりに跳んだかと思うと、槍の隙間を縫うように体を踊らせ、弾幕を通り抜けた。

 

 映画ならスロー演出は確定な体さばきで、彼女は再びセルティに迫る。接近する勢いをのせた、ヘルメットごと意識を刈り取る威力の上段蹴り。

 

 驚きで反応の遅れたセルティは回避が間に合わず――ヘルメットが吹き飛ばされた。

 

 

 

---

 

 

 

 謎のライダーとの戦いから数分後、ボスは池袋の裏路地を隠れるように駆けていた。

 

(いい加減、驚くのが馬鹿らしくなってきたわ)

 

 首のないヘルメットの下を晒しながらお構いなしに動き回るライダーの姿を思い出す。

 

 打撃や投げの手応えから何か奇妙だとは思っていたが、まさか頭部なしで生存できる怪物とは。まっとうな手段での無力化は不可能と判断し、隙をついて逃げるしかなかった。まっとうでない手段――たとえば爆薬を体内に埋め込んで木っ端微塵にするなどの方法はあるだろうが、法治国家でそんなことができるわけもない。

 

(どうなっているの、この池袋という街は――いえ、この世界は)

 

 ボスの前世の世界と比べ、この世界は明らかにおかしい。

 

 思えば戦場にも妙な人間がいた。特殊なパラサイトセラピーの力もなく素で光合成ができる少女、スズメバチを操るフェロモンを生まれつき持っている少女、戦士の霊を憑依させて戦う自称霊媒師。非現実的な動きで次々に味方を殺害した元サーカス団の男も記憶に新しい。

 

 それに加えて先の首無しライダーだ。科学的な現実を基礎としつつ、幻想的な非現実が内包され、現実と共存している世界。前世の記憶を取り戻したボスはこの世界に対し、そんな印象を抱いた。

 

 しかし今は幻想がどうこうと言っている場合ではない。

 

 どうやら闇金の多重債務者という汚名を被せられて、その汚名にゴロツキたちが吸い寄せられているようだ。この誤解を解かなければ、ゴロツキだけでなく先程の首無しライダーのような、フリーのプロフェッショナルと事を構えることになる。海外からさらに厄介な連中が呼び寄せられれば、池袋は混沌と化すだろう。

 

 そうなる前に決着をつける。

 

 ゴロツキたちがジャパニーズマフィア、小波会に所属していることは分かっている。撃退した幾人かから事務所の場所も聞き出してある。それでも何もしなかったのは、対話による平和的解決の道を探っていたからだった。

 

 だがゴロツキたちは場所も構わず出会い頭に仕掛けてくる。周辺被害を出さないためにも迅速に無力化するしかなく、話し合いの端緒すらつかめない状況が続いていた。

 

 頭を悩ませていたところにあの首無しライダーが現れた。もはや悠長に構えてはいられない。

 

 伝説の傭兵は、本部事務所へのカチコミを決意した。

 

 

 

---

 

 

 

 川越街道沿い某所 高級マンション

 

『理不尽にも程があるだろ! ギャンブル依存症の多重債務者って、もっとこう、分かりやすくチンピラっぽいヤツが出てくるのがスジじゃないか!? あんな出演作品を間違えたような強キャラが出てきていい場面じゃない! まったく、シューターに手を出されるし、頭はふっとばされるしで散々だ!』

 

 セルティは精一杯の愚痴を書き込んだPDAを同居人の男性、新羅につきつけると、彼が文章を読み終わらないうちにソファに寝転がってふて寝を開始した。

 

 新羅は同居人の珍しい態度に目を丸くすると、気まずげに切り出す。

 

「あー、セルティ? 精励恰勤と働いてきたところ、大変言いにくいんだけど……今回の依頼、受けるべきじゃなかったよ。ごめん」

 

『どういうことだ?』

 

「ターゲットの女性、調べてみたけど多重債務どころか一つの借金もしてない。そりゃそうだよね、一ヶ月前に上京してきたばかりの一般人なんだから」

 

『は?』

 

「まあまあ、依頼人には苦情を入れて、依頼料の七割をふんだくってきたから」

 

『……寝る』

 

「ああっ、機嫌直してよセルティー!」

 

 むくれたセルティは、寝室で一人影で作った繭に引きこもり、翌朝まで出てこなかった。


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