The Boss in Ikebukuro 作:難民180301
――はい、私です。ああ、これはこれは、お世話になっております。
――ええ、あのメールはすべて真実ですよ。世界中の紛争地域で語られる伝説の傭兵、ザ・ボスは姿を消しました。そして偶然にも池袋にザ・ボスそっくりの女性が現れた。どう解釈しようと、あなたがたの自由です。
――ですが仮にザ・ボスと彼女が同一人物だとすると、事は池袋にとどまりません。彼女には私の友人を筆頭に、個性的な戦友が多い。彼女が不名誉を被り、あなたがたのご同業に不毛な争いを強いられていると知れば、海の向こうから誰がやってくるか知れない。――脅しじゃありません。ただの事実です。
――ほう、あなたがたのシマで発砲事件? ――なるほど、無用な忠告だったようですね。彼ら、小波会には同情しますが。
――いやいや、本当ですよ。けが人が増えるのは医者として喜ばしい限りですが、死人はなんのありがたみもありませんからね。
――はい、はい。ではメールの件も合わせ、よろしくお願いしますね。
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池袋 繁華街
繁華街を満たす人々の雑踏が割れる。人の海が割れた中心で堂々と歩を進めているのは金髪、長身の女性――かつて二度にわたり伝説と呼ばれた兵士、ザ・ボスその人である。
しかし今はザ・ボスの名を捨て、友人の用意した戸籍では「井上」の名字を冠するハーフの日本人女性だ。
『よう、イノウエ・サン。スシ食ってかねえか?』
『こんにちは、サイモン。ええ、いただいていくわ』
「ヘーイ、一名様ゴアンナーイ」
日本に移住して早二ヶ月。ボスは池袋の街に馴染み始めていた。出演作品を間違えたような、歴戦の戦士じみた風格で人の海を割るのも、一種の名物として街の風景に溶け込みつつある。二メートルを超す巨漢の黒人、サイモンが彼女の迫力に構わず声をかけ、店に呼び込むまでがセットだ。ロシア語と日本語混じりの奇怪な会話ももはや目立たない。
店に入ると厨房で作業中の白人店主と目が合い、軽いアイコンタクトで挨拶。「上握りセット一つ」と注文し、カウンターに座る。
(やっと生活が落ち着いたわね……)
おしぼりで手を拭き、熱いお茶をちびちび飲みながらボスはほっと息をついた。
ボスがカチコミをかけた小波会の本部事務所はもぬけの殻だった。事務所には血痕や弾痕、大きな刀傷など争いの痕跡が多数見られ、どこか他の組との抗争があったと思われた。実際ボスの予想は正しく、小波会がボスに対して初めて拳銃を使った場所が他の組のシマだっただけでなく、ボスとの戦いで多くの組のシマが侵されたらしい。複数の組の怒りを買った小波会は、彼らなりのやり方で「ケジメ」をつけられた、らしい。
らしい、というのはボスも伝聞の形でしか真実を知らないからである。
ゼロの友人の闇医者――ヴェノムと名乗る男に事件の収束を知らされ、それきりパッタリと襲撃を受けなくなった。
なぜ争いの当事者であるボスはなんのケジメも迫られないのか、そもそも小波会との抗争はどこから始まったのか――ヴェノムの話では解せない部分も多かったが、ゼロの友人という立場を考えて信用した。平和な日本でまで争いと腹の探り合いをしたくなかったのもあるが。
「四八五人っすよ!」
座敷から声が聞こえた。横目で見ると、畳敷きと高級大理石という奇妙な座敷で、若い男女三人が話に花を咲かせている。
「確認戦果だけで四八五人も殺してるっす! これに潜入とか工作任務とかの未確認の戦果を入れたら、絶対四桁いくっすよ。あ、ちなみに確認戦果っていうのは、死体とか体の一部とか、殺害の傍証がある戦果のことっす」
「知るか。ネットでちょっと調べた程度の知識ひけらかしてんじゃねぇ」
「ゆまっちが三次元の女性にそこまでお熱なのは珍しいよねー。まあ分かるよ。ザ・ボスかっこいいもんね」
ゆまっちのトークに目つきの鋭い男は顔をしかめているが、若い女性がうんうんと頷いて同意を示した。
「圧倒的なカリスマで敵味方問わずボスと慕われ恐れられ、ボスといえばその人って意味で定冠詞がついて、ザ・ボス。本人のチートっぷりも相まって設定がラスボスみたい。日本人はどうしてもコーヒーのブランド連想しちゃうけど」
「さすが狩沢さん話が分かる! 今ネット上だと、ヘイヘとルーデルとボスで三つ巴させたら誰が勝つかっていう強さ議論が熱くて――」
熱く語りだすゆまっち。爬虫類のように細い瞳の奥で、強いものに憧れる男の子特有の輝きが揺れている。男性の方は消極的だが、女性の方は非現実的なザ・ボスの逸話に食いつき、ゆまっちの熱い語りに張り合っていた。
「黙らせるか?」
「大丈夫よ。ありがとう」
無表情で包丁を彼らの座敷に向ける店主。やんわりと断ったボスは、湯呑の中のお茶に映る自分の像を見つめながら、小さくため息をついた。
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そうして平穏な日常を謳歌していた反動だろうか。
(一人、素人、女性。念には念を入れましょうか)
スシを満喫した後、同じマンションの隣人さんに引っ越しの挨拶をしていないことを思い出し、握りセットを一つお持ち帰り用に注文。上機嫌で帰路についたとたん、何者かの尾行を察知する。
数も素性もこちらに伝わるような稚拙な動きからして絶対にプロではない。ザ・ボスに恨みの有る兵士崩れや殺し屋の類でなければ大した脅威ではないが、一般人を巻き込まないようボスは郊外へ足を向けた。
しばらく歩いていると人気のない廃工場を見つけ、割れた窓から中へ入る。尾行者はもう隠れるのをやめ、堂々と入ってきた。
「会いたかったわ。ボス……」
「どこでその名を――いえ、今はネットがあったわね」
尾行の犯人は、主婦然としたごく普通の女性だった。年は二十代後半から三十代前半。髪はきれいな黒髪だが手入れを怠っているのか、無造作に前髪が伸びている。
普通と大きく違う点があるとすると――右手に握られた大ぶりの日本刀と、血のような赤色に染まった両の瞳だろう。
「私はあなたを愛してる。愛してるわ、ボス」
「愛してると言いながら刀を人に向けないで」
「それはできない。私は斬ることであなたを愛せる。あなたは斬られることで私の愛を受けられる。だから仕方ないの。一つになりましょう、ボス?」
「話にならないわ」
ボスは懐に手を入れる。ゆっくりと見せつけるように取り出したそれを見て、女性の目が大きく見開かれた。
「もうボスったら、この国は銃を持っちゃいけないのよ?」
「人のことを言えないでしょう」
黒光りするそれは銃だった。拳銃よりも一回り大きな口径の銃に、ボスは百連装のサドル型マガジンを装填し、遊底を引いて女性に向けた。
「警告よ。今すぐ家に帰りなさい。あなたにも家族がいるでしょう」
「家族……私は家族よりも、あなたを愛したいわ」
地面を蹴り、爆発的な加速でボスに迫る女性。それに対しボスは、なんのためらいもなく引き金を引いた。
銃声もマズルフラッシュもない。薬莢も落ちない。亜音速のケースレス弾薬が静かに女性の足元に着弾し、いくつかは女性の足へ直撃するかと思われた。
しかし女性の手元がブレたかと思うと、火花とともに弾丸が弾かれる。高速のひと振りで弾を切り裂き弾き飛ばしたのだ。
素人とは思えない神業にボスは眉をひそめるものの、構わず引き金を引き続ける。女性の方は狂気的な笑みを顔に張り付けたまま、危険なコースの弾丸だけを見切って弾き飛ばしている。
弾幕を張るボスと、防御に徹する女性――膠着状態が数分は続いただろうか。ついに均衡がくずれた。疲労のためか女性の手元がわずかに狂い、女性の利き足と右腕を五.五六ミリ弾がえぐる。刀を取り落とし、足が後ろへ反れた反動で前のめりに倒れる女性。
「おか、しいわね。その銃、何発入ってるのかしら?」
どんな銃であろうと弾数には限りがある。弾幕をしのぎ、リロードの隙をついて接近するのが女性の思惑だったのだろう。しかしボスに対する戦術としては愚策と言わざるを得ない。
「この銃は絶対に弾切れしない。なぜなら――マガジン内部の給弾機構が無限大の形になっているからよ」
弾数無制限。五.五六ミリ弾を無限にバラ撒ける。それこそがボスの愛銃、サプレッサー内蔵型ソードオフ自動小銃、エグザイルの真骨頂だ。この特性に比べれば、ハンドガンの携行性とアサルトライフルの火力、威力と隠密性を両立させた内蔵型サプレッサーもおまけに過ぎない。
日本での暮らしには必要ないと考えサイファー本社に置いてきたのだが、小波会とのいざこざを知ったゼロが護身用のためと言い張って送りつけてきた。ヴェノムの帰りが遅れたのはこの銃の受領に手間取ったかららしい。
日常で持ち歩くには少し物騒だが、小波会といい今回の日本刀女性といい、池袋で暮らすにはちょうどいいような気もしてきた。それに、CQCと違って銃の威力は常に一定なので、加減の難しい素手よりも一般人の鎮圧には向いているだろう。
「そん……な……」
ボスの謎理論を聞かされた女性は徐々に目の輝きを失い、パタリと昏倒した。脈を確認するとまだ息がある。ボスはすばやく携帯を取り出した。
「ヴェノム、すぐに来てちょうだい」
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川越街道沿い 高級マンション
愛馬であるシューターを車庫に入れ、セルティはエレベーターに乗る。顔がないため表情はわからないが、雰囲気からして安堵しているようだった。
一ヶ月前は散々だった。依頼人に騙され、化物よりも化物らしいインチキ人間と戦わされ、直接依頼人に苦情を入れようにも事務所ごと姿を消していて不満の矛先もなくなった。おかげで運び屋の依頼を受けるたびに警戒する癖がついてしまったし、現場に行くとあの人間がいやしないかと周囲をうかがうようになってしまった。
とはいえ、もう一ヶ月。あれほど目立つ人間を見ないとなると、もうどこかに去ったと考えていいだろう。つまりそろそろ安心しても大丈夫なはずだ。
セルティは知らないことだったが、同居人の新羅はセルティの恐怖心を見抜き、気を使って池袋ではなく新宿方面の仕事を中心に回していた。そのため池袋で有名になりつつあるボスに気づけなかったのだ。
そして不幸な勘違いとすれ違いは、セルティのさらなる恐怖体験という形で結実することとなる。
(さて、明日は休日だし、録りだめしてた世界ふしぎ発見と、志村動物園とめちゃいけと――あ、あとあのアニメも見て――)
エレベーターの中で、目的の階が近づくにつれウキウキしだすセルティ。
目的の最上階に着くやいなや、弾むような足取りでエレベーターを飛び出し――
「あら。こんばんは」
(!!??!?)
非常階段からぬっと現れた化物人間、ザ・ボスに挨拶され、頭が真っ白になった。もちろん物理的に頭はないし、むしろ色は黒い。
体から触手のように飛び出した影が合鍵を引き出し、自室の扉を解錠。すぐさま扉を開けると、ゴムのようにしなる影にすがりついて弾丸のように自宅へ飛び込んだ。
当然、中にいた同居人の岸谷新羅は目を白黒させて狼狽する。
「ちょ、セルティ!? ダイナミック帰宅をかますのはいいけど、どうせなら僕の胸に飛び込んでぐべぁ」
『ふざけてる場合じゃないぞ新羅! 外に化物がいる!』
新羅の戯言を腹パンでふっとばし、顔があれば涙目必至な心情でPDAを突きつける。
「ば、化物って、君が言うとジョークにしかならないよ」
『ジョークならどれほど良かったことか……!』
「ていうか君が化物って呼ぶレベルの存在とか、もうどうにもならないんじゃない? 万事休す、明鏡止水の精神で輪廻転生でも祈るほうが生産的だよ」
『だからふざけてる場合じゃ――』
インターホンが鳴ると同時にセルティは奥の部屋へ飛び込み、影の繭に引きこもって動かなくなった。同居人の珍しい一面を見て顔をニヤけさせながら、新羅は平然と玄関へ向かう。
「はーい。ああ、井上さん。こんばんは」
「こんばんは、岸谷さん。少し遅くなったけれど、これ、引っ越しの挨拶に」
「露西亜寿司ですか! わざわざありがとうございます。美味しいとは聞いてるんですが、仕事柄なかなか行けなくてどうしようかと思ってたんですよ」
「それは良かった。ところで、同居人さんを酷く怖がらせてしまったようね。ごめんなさい」
「いいんですよ。お互い不幸な行き違いがあったってだけです。これからは仲良く、よろしくお願いします」
「こちらこそ。あの子にもよろしく伝えておいて」
にこやかに隣人の井上さんと挨拶を交わした新羅は、スキップに近い足取りで奥の部屋へ向かった。スシをリビングのテーブルに置いてから、セルティの引きこもる影の繭へダイブする。
「怖がりモードの君も素敵だよセルティ! 悪い夢を見ないように今日は僕が添い寝してあげようねぇぐべら」
影の中から突き出したセルティの足が新羅の顔面を直撃。新羅はニヤけ顔のままノックアウトされた。
耳のないセルティは影を通して世界を見る。玄関先での会話は伸ばした影でまるっと盗み聞きしており、ボスが井上さんの名前で同じマンションに住んでいることも、敵意はないことも理解できた。
(嘘だろぉおおぉ……)
といっても、初対面時に植え付けられた苦手意識はそうそう忘れられず。現実を受け入れたのは、影の繭に一晩中引きこもった後になるのだった。