The Boss in Ikebukuro   作:難民180301

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第3話

 池袋の街には様々な存在が集う。首無しライダー、情報屋、喧嘩人形、俳優、殺し屋、妖刀――日常と非日常、現実と非現実の垣根なくあらゆる存在を受け入れ、街の雑踏として溶け込ませる。主張の強い色が渾然としているものの、混沌とした灰色ではない独特の雰囲気を形成していた。

 

 そんな池袋で一層強い輝きを放つ女性――一般には井上さんとして知られているボスは、悠然と繁華街を練り歩く。人々は彼女を本能的に避け、人の波が割れる。現実味のない光景だが、いつものことなのかボスも人々もまったく動じていない。

 

「死にくされクソ野郎がァア!」

 

「腐ってるのは君の頭じゃない? それ普通に器物損壊だよ、シズちゃん?」

 

 バーテン服のグラサン男がコンビニのゴミ箱を片手で掴み上げ、黒いコートの男にぶん投げる。黒コートは人を食ったような笑みを浮かべつつ、ゴミ箱をかいくぐってバーテン服に接近。折りたたみナイフを太ももに突き立てた。

 

「んなもんで刺されたらケガするだろうがァ!」

 

「いやケガしてくれよ。筋肉と骨の隙間狙ったのになんでナイフの方がイカレてるのさ」

 

「持ち主に似たんだろうなァクソイカレ野郎ォォ!」

 

 ひしゃげたナイフを仕舞い、黒コートはバーテン服に背を向けて逃走開始。怒り狂うバーテン服は路上の道路標識を片手で引っこ抜き、バットのように振り回しながら追いかける。犬猿の仲として名高い二人の日常風景だ。喧嘩がエスカレートすると二メートルを超すたくましい黒人、サイモンが力づくで仲裁に入る。この街では大して珍しくもなく、遠巻きに見物していた野次馬はめいめい解散して散っていった。

 

 足を止めて遠目に眺めていたボスも興味を失い、目的のない散歩を再開する。

 

 ボスが池袋にやってきて三年がたったある日の一幕だった。

 

 

 

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 日本刀女性の襲撃以降、ボスの日常は穏やかに過ぎていった。池袋の騒がしい風景を楽しみながら散歩して回り、気分によっては露西亜寿司に顔を出して寿司を味わう。時折青い帽子や黄色い布を身に着けた少年少女たちに因縁をつけられることはあったが、直接的な暴力を振るわれる場合を除き、微笑ましい青春として受け流した。変わり者の隣人二人との関係は良好で、マンションの通路でばったり出くわすたび動きが固くなっていたセルティは、ボスの挨拶に軽く会釈を返す程度の余裕を取り戻している。

 

 一つ気がかりだったのは、例の日本刀女性の家族が強盗に殺された一件だ。銃創の治療を請け負ったヴェノム伝手に聞いた話によると、幼い一人娘を残して夫婦が殺害されたらしい。犯人は捕まっていない。

 

 あれほどの技量を持つ女性を殺害できるとなると間違いなくプロの犯行だろう。それともあの女性自身が――ボスはそこで考えを止めた。

 

 そうした緩やかな平穏の中ボスはゆっくりと思索にふけり、前世の無念と今生の生き方について、すっかり考えがまとまったのだった。

 

 池袋西口公園。東京芸術劇場に隣接し、中央に設置された噴水と開放的な広場が特徴的な公園でボスは足を止め、植え込みの境の手すりに体を預ける。広い空間のためあからさまにボスを中心に人垣が割れるようなことはない。

 

「こんにちは、ボス」

 

「ええ、こんにちは。あなたは――」

 

 声をかけられ振り返ってみると、先程バーテン服に追い回されていた黒コートの男性がにこやかな笑みを浮かべていた。

 

「僕は折原臨也といいます。隣、いいですか?」

 

「もちろんよ」

 

 臨也はいかにも気分が良さそうにボスの隣に移動する。彼が何かいうよりも早く、ボスの方から口を開いた。

 

「いつも楽しませてもらっているわ。バーテン服の彼とはもう仲直りしたの?」

 

「……いやぁ、伝説の傭兵さんに楽しんでもらえるなんて光栄だなぁ。でもシズちゃんとは仲直りとかどうとか、そんな関係じゃないので」

 

「そう。奥深いのね、青春って」

 

 臨也の笑みがわずかに歪む。額に浮かんだ青筋はあえて見なかったことにした。

 

「僕なんかのことはいいんです。それより大丈夫ですか? こっちでは井上で通っているんでしょう、ボス?」

 

「伝説の傭兵にそっくりの一般人、井上としての建前が法的に生きている以上、問題はない。真実が露見しても害はない」

 

 カマをかけても揺さぶっても柳に風。やりにくい相手だ、と臨也は内心で顔をしかめる。

 

 新宿を拠点に情報屋を営む臨也の耳にボスの噂はもちろん入っていた。明らかに堅気ではない強そうな外国人、井上さん。五年前の小波会との抗争の当事者としても噂され、ネット上のミリオタたちのアイドル『ザ・ボス』とうり二つな外見を持っていることでも知られている。

 

 臨也の情報網は都心を中心に狭く深く張り巡らされているので、海外で活動するザ・ボスと井上の関係の裏は取れないままだったが、仮に同一人物であれば――この街にどれだけの波乱を巻き起こしてくれるのか、楽しみでならなかった。

 

 ザ・ボスは近現代でもっとも多くの人命を奪った個人とも言われている。それだけの存在が動けば、街のあらゆる勢力を総動員した馬鹿騒ぎに発展することもあり得るかもしれない。その争いの中で人々はどう動き、どのように自分を楽しませてくれるのか。

 

 期待に胸を膨らませた臨也はあくまで傍観者として、井上に扮するボスを放置して様子見に徹した。相手次第では臨也自身が出向いて状況を引っかき回すのだが、今回は相手を選んだかたちとなる。馬鹿騒ぎの火の手があがるのを今か今かと待ち続け、胸焦がれる思いを抱いて三年――臨也の期待は満たされないままだった。

 

 そうしてついに痺れを切らし直接真意を聞きに来たのが現状である。カラーギャングの少年少女に絡まれた際の反応からして好戦的でないことは分かっており、危険はないと判断した。

 

「害はない、ですか。あなたが殺した兵士の遺族や、名声を狙ったゴロツキが街に殺到することもないと?」

 

「リスクリターンの問題よ。私を殺すことのリターンは、一時の満足と名声に過ぎない。それだけのためにリスクを犯す愚か者は、戦場で勝手に淘汰されて死んでいる」

 

「なるほど、抑止論ですか。大した自信だ」

 

 ザ・ボスを個人的な理由で付け狙うリスクは三つ。一つはサイファーの工作員だ。戦場でならまだしも、組織のイコンであるボスの平穏が不当に脅かされたと判明すれば、業界最大手のPMCを敵に回すことになる。もう一つはボス直属の親衛隊、コブラ部隊の存在がある。コブラ部隊はサイファーの利権ではなくボス個人のためだけに動く。ボスに危機が迫れば何を置いても駆けつけ、排除にかかるだろう。

 

 最後の一つはボス自身の戦力だ。最強の兵士として名高いボスの戦力は、後ろ暗いところで生きる連中のほとんどが知っている。ボスに挑むことが手のこんだ自殺であることも周知の事実だ。

 

 つまり、池袋で平穏を謳歌するボスに手を出すプロはいない。敵国への核攻撃が実質自国への核攻撃を意味する抑止論のように、ボスは報復の鎧をまとっている状態なのだ。

 

「いやぁ恐れ入りました。さすが現役最強の傭兵――あなたほどの力があれば、この池袋でどんなことでもできるでしょうね」

 

 心底感心したような臨也の言い方にボスは眉をひそめ、一拍置いて苦笑した。

 

「私が何らかの陰謀を企んでいると?」

 

「そう考えている人もいるようですよ。たとえば池袋を拠点に現地で兵士を募り、第二のコブラ部隊に育て上げクーデター、国家転覆を図っている、とかね」

 

「その人に映画の見過ぎだと伝えておいて」

 

 ボスはわずかに口元を緩ませ、天を仰ぐ。春先の青空に雲はなく、カラリと晴れ渡っていた。

 

「戦うことに疲れたのよ」

 

 臨也は口を閉じ、値踏みするようにボスの独白を傾聴する。

 

「私は平和を夢見ていた。人種も思想も宗教も関係なく、一つになった世界で人々が手を取り合い、互いの違いを尊重して共存できる世界。それを実現するために戦っていたはずだった。だが――」

 

 憎々しげに拳を握りしめるボス。

 

「所詮は理想に過ぎなかった! 二分された世界が一つになろうと、人々は争い続ける! ならば平和とは何だ? 人々の思惑が関与しない、絶対的な平和とは?」

 

「……いや、ないでしょ。そんなの」

 

「そうだ。人の本質は競争と多様性にある。そんな種族が平和を説いたところで真の平和は訪れない。――だがそれでいい」

 

 再び空を見上げるボスの瞳は、空よりも清々しい青を湛え、澄み渡っていた。

 

「存在しない幻想を追い求めて人は生きる。その過程で人は平和のミームを遺す。遺されたミームは予想もつかない進化を遂げ、何世代も先の未来で花を咲かせるのだ」

 

「……呆れた。結局は問題の先送りじゃないか」

 

「当然だ。問題に答えがない以上過程を追求するしかないだろう」

 

 ああ、コイツはダメだ。当たりは当たり、多分この先一生ないレベルの大当たり。でもある意味最悪の大ハズレだ。臨也はボスの独白を聞いた上でそう評価した。

 

 折原臨也は人間が好きだ。だからこそ人間のことを知りたがる。時に口八丁手八丁で他人を追い詰め、虫の足を一本ずつ引きちぎる幼子のように、純粋な好奇心で残酷な選択を強いることもある。面白みのある人間に情報を与え、行動を誘導してコマのように弄ぶこともある。そうした冷酷な実験のような工程を経て人間を深く知り、人間への愛を深くする。それが臨也のライフワークだ。

 

 伝説の傭兵もまた、ライフワークに利用できないかと期待した臨也だったが、結果は大ハズレ。

 

(悟りでも開いてんのこの人? 完成されたキャラクターほど、物語に絡ませにくいものはないよねぇ)

 

 ザ・ボスは人間として完成されていた。体はもちろん、心もだ。自身の強い部分も弱い部分もすべてあるがままに受け入れ、それでいて山のように安定している。臨也がどれほど言葉と策を弄しても揺れ動くことはないだろう。臨也はなんの動きもない山よりも、砂場の砂山程度の心をぶち壊すことに楽しみを感じるタイプだった。

 

 コマとしての利用価値はあるものの、利用のリスクが高すぎる。ヤブをつついてコブラが出て来れば洒落にならない。

 

 端的に言えばボスは、臨也にとって初めてのケース――弄り甲斐はないが人間という種族の一つの到達点であり、コストが高すぎて触れないコマ――だった。

 

 空を眺めていたボスはハッと我に返ったように臨也に向き直る。

 

「一人で長々と、悪かったわね」

 

「いえいえ、貴重なお話でした。たいへん興味深い話でしたね」

 

「ありがとう。話を聞いてくれて嬉しかったわ。お礼にジュースを奢りましょう」

 

「は、はぁ?」

 

 止める暇もなくボスは近場の自販機で缶コーヒーを買ってきて、臨也に手渡す。かつてないほどペースを握られていることを自覚した臨也は引きつった作り笑いを浮かべ、当たり障りのない雑談をしてからその場を後にした。

 

 

 

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 池袋六ツ又歩道橋

 

 山手線の上で首都高と複雑に絡み合う歩道橋。夕日に照らされるそこで、ボスは欄干によりかかっていた。右手には缶コーヒー、ブランドはもちろんBOSS。露西亜寿司で話を聞いた翌日、試しに飲んでみると見事にはまった。それ以来、一日一本を限度に毎日飲んでいる。コーヒーを泥水と呼んで憚らない紅茶党のゼロに知られればサイファーの内部分裂は必至だ。

 

(聞き上手な子だった)

 

 臨也はとても話しやすい子だった。戦場でメンタルケアを担当していたカウンセラーと同じような感覚だった。自分なりの答えを明確に言葉としたことでより考えがはっきりした。ぜひともまた会いたいものだ。ボスはすっかり臨也を気に入っていた。

 

 歩道橋が臨む池袋の町並みは夕日で赤く染まり、建物の影にあたる細い路地にはひと足早く夜の帳が降りていた。学生や社会人、チンピラ風の若者、ごつい外国人にカラーギャングの少年少女など、雑多な人種が入り乱れ、池袋独特の雰囲気を強調している。きっと今日もどこかで彼ら彼女らが入り乱れ、三年前にボスが巻き込まれたような馬鹿騒ぎが起こるのだろう。それぞれの陰謀と思惑が交錯し、けが人どころか死人さえ出るかもしれない。しかし池袋は人の生死もひっくるめて風景として許容する。

 

 ボスはそんな池袋の多様性に世界の縮図を見ていた。

 

 街から缶コーヒーに視線を落とす。

 

(この街は、いえ、この世界は残酷で歪んでいる)

 

 残った中身を一気に飲み干し、欄干に置いた。カン、と小気味よい音が鳴る。

 

(ただ、残酷な世界に暮らす人々の生き様は――)

 

「美しい……」

 

 切ないほどに、美しかった。


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