The Boss in Ikebukuro   作:難民180301

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第4話

 夜、川越街道。街灯の光に照らされた歩道の上を一人の女性が歩いている。広い肩幅、一八〇センチに迫る長身、彫りの深い顔立ちと鋭い目つき。道行く車のヘッドライトで時折彼女の常人離れした眼光が露わとなり、通行人が思わず目を向けるが、彼女の顔を見るなり興味を失ったように視線を戻した。中には顔見知りもいるのか、「こんばんは井上さん」と挨拶をする者さえいる。井上さん――もとい伝説の傭兵と歌われた女兵士、ザ・ボスは微笑とともに「こんばんは」と挨拶を返す。三年の間にすっかり日本に馴染んだボスの帰宅風景だった。

 

 ボスは三年間を前世の無念と今生の生き方についての思索に費やした。しかし二四時間三六五日の三倍を丸々使ったわけではない。長年を肉体労働の極致とも呼べる職場で過ごしてきたことと生来の仕事中毒の気質も相まって、すぐに体を動かしたい衝動に駆られ、簡単なアルバイトを探し始めた。

 

 ただ、現代日本に伝説の兵士を受け入れる職場は多くない。空白期間として偽装された傭兵時代のせいか書類選考の段階で落とされ、どうにか面接に進んでも面接官がすっかり萎縮してしまって会話にならない。奇跡的に採用されたコンビニバイトでは、客が入店してボスの顔を見るや回れ右して逃走するトラブルが相次ぎ、初日で解雇となった。

 

 そういった就職活動の苦労はボスにとって初めての経験で、BOSSを片手に新鮮な気持ちを味わうこと半年――ボスの動きを聞きつけたヴェノムから仕事の打診があった。

 

 仕事の内容は警備員。新宿や池袋を中心に警備員を派遣する企業がスタッフを探しているらしく、その企業とコネのあるヴェノムが気を利かせてくれたらしい。就業規則に「勤務中は顔を隠すこと」、「依頼内容を詮索しないこと」とあるあたりあからさまにきな臭いが、傭兵時代の汚れ仕事に比べればなんのその。他に当てもないボスは話を受け、定職が決まった。

 

 実際の仕事は後ろ暗い連中の用心棒のような内容が大半だったものの、大したトラブルもなくほとんどの現場は平和だった。唯一不満だったのは支給された備品の不備で、同僚との連携に使う無線機の質があまりにも悪く、秋葉原でいくつか自腹を切って購入する羽目になった。その際掴まされた粗悪品は自宅の空き部屋に転がっている。

 

 今日も今日とてグレーな臭いのする依頼をこなし、現場から直帰している最中だ。

 

「あら。こんばんは」

 

「……! 『こんばんは』」

 

 自宅のマンションに入ると、エレベーターホールで隣人と出くわした。夜の闇に墨汁を溶かしたような黒いライダースーツ、黄色を基調としたヘルメット。池袋では都市伝説になりつつある異形の首無しライダー、セルティである。

 

 セルティはびくりと肩を震わせた後、『こんばんは』と打ち込まれたPDAを取り出す。二人は数秒間無言でエレベーターを待つ。扉が開くと同時に乗り込んだ。

 

『そういえば』

 

「何?」

 

『今日は昼から仕事だったんだが、出ていくとき、井上さんの部屋から怒鳴り声がしたぞ』

 

「怒鳴り声? 珍しいわね……」

 

『余計なお世話かもしれないが、彼女たちも事情が事情だ。一応伝えておこうと思ってな』

 

「そう。わざわざありがとう、セルティ。確かに聞いたわ」

 

 セルティが頷くタイミングでエレベーターは目的階に到着。先に出たセルティが自宅に入っていき、姿を消す。ボスもボスの自宅へ入っていった。

 

 玄関で靴を脱ぎ、広々としたリビングへ。

 

「おかえり、ボス」

 

 入ったとたん五人の少女たちが笑顔でボスの帰りを歓迎し、ボスはどこか照れくさそうに「ただいま」と返すのだった。

 

 

 

---

 

 

 

 彼女たちこそ、ボスの親衛隊として知られる特殊な兵士の集団、コブラ部隊――ではなく、それぞれ家に帰りづらい事情を持つ中学生の少女たちである。もちろん全員が純粋な日本人であり、経歴にはどこにも後ろ暗い部分はない。

 

「あなたたち、いいかげんボスと呼ぶのはやめなさい」

 

「えー、でもボスってこの部屋の主だし、井上さんって呼ぶよりしっくりくるよ。ねえ蛇野?」

 

「そうだな。私もボスのことはボスと呼びたい。三ヶ島の言う通り、しっくりくる」

 

「コーヒーもBOSS派だしな」

 

「……フン」

 

「……ンーンンー」

 

 いたずらっぽく笑う三ヶ島、男勝りな蛇野、軽薄な雰囲気の数原が反論する。そのやりとりに猫田がニヒルな笑みを浮かべ、静原は天井を見上げたまま我関せずとばかり独特な鼻歌を歌う。

 

 相も変わらず騒がしい五人の様子にボスは苦笑し、部屋着に着替えるため寝室へ向かった――彼女たち五人は現代日本の孤児だ。

 

 ボスが長年身を置いてきた途上国や紛争国で子どもたちを孤児にした原因は、戦争と貧困がほとんどのケースだった。しかし三ケ島たち五人の少女を孤児にしたのはそのどちらでもなく、両親からの虐待だった。直接的な暴力、誹謗中傷、兄弟姉妹間の悪質な差別、ネグレクト――家に帰っても歓迎されず、それどころか有形無形の暴力が待ち受けている。彼女たちは学校が終わっても帰るに帰れず、池袋の街を深夜までぶらついていた。

 

 当然、中学生の少女が深夜の街を歩いていれば目立つ。五人のうちの一人、三ヶ島に警察よりも早く目をつけたのは、深夜の路地に生息する悪漢、いわゆるチンピラ集団だった。

 

 そこに通りかかった仕事帰りのボスは、埃を払うようにチンピラ集団を追い払い、三ヶ島を諭した。

 

『子供がこんな時間に何をしている? ――帰りたくない? ――家が嫌い? ならウチに来なさい』

 

 ボスの眼光に怯える三ヶ島は途切れ途切れに事情を話す。するとボスはまたたく間にタクシーを手配し、三ヶ島が文句を言う暇もなくこのマンションへ連れ込んだ。見た目と口調はともかく、基本的に優しいボスに三ヶ島は懐き、ことあるごとにボスの自宅をたまり場にするようになる。蛇野たち四人はいつの間にか三ヶ島が連れ込んでいた。

 

 ともすれば罪に問われかねない行為であることはボスも理解しているが、血のつながった子供に愛を与えない親などボスにとってはそこらのチンピラと同じようなもので、物理的にも法的にも一切の脅威を感じない。むしろ警察沙汰でもなんでも受けて立つ覚悟だった。といっても、三ヶ島たちが長くて一週間、二週間とボスの家に屯していてもなんの騒ぎにもならず、ボスの覚悟に対抗する者は一向に現れない。その事実が余計ボスの神経を逆なでした。

 

 部屋着に着替えたボスがリビングに戻ると、ダイニングテーブルに五人が行儀よく腰掛けている。テーブルの上には色とりどりの料理。

 

「先に食べていても良かったのよ?」

 

家主(ボス)を置いて食べるほど、私達は子供じゃないよ?」

 

 代表して答えた三ヶ島にボスは再び苦笑し、六人そろって夕飯にありつく。

 

「蛇野、誰もとらないからよく噛んで食べなさい」

 

「ウマすぎるっ!」

 

「やかましい」

 

 リーダー格の三ヶ島に次いで個性の強い蛇野をたしなめつつ、ボスは懐かしさに目を細める。名字で呼び合う程度に関係が薄い少女たちと食卓を囲うのは、初めての経験ではなかった。

 

 三年前、日本刀の女性に襲われた事件から一ヶ月ほどたったころ、三ヶ島たちと同じように池袋の街を一人でうろついていた女子小学生を保護した。虐待の痕跡と思しき体中の生傷を手当し、十分な食事を与えて自宅に送り届けた。結局あの日以来とんと見かけなくなったが、元気でやっているのだろうか――

 

「むぐっ!?」

 

「もう蛇野ったらー、お願い静原」

 

「……」

 

 意識を現在に戻す。喉をつまらせた蛇野に三ヶ島が呆れ、静原が無言で水を差し出す。ボスはその様子を前に微笑みながら、何気なく切り出した。

 

「あなたたち、昼間ケンカしていたそうね?」

 

 空気が凍った。

 

 全員が箸を止め、蛇野はコップを傾けた姿勢で固まっている。

 

「別に怒ろうってわけじゃないわ。言いたくなければ言わなくていい。今のあなたたちの様子からして、心配なさそうだしね」

 

「……う、うん。心配ないよ。もーびっくりしたなぁ、なんで知ってるの?」

 

「お隣さんから聞いたのよ」

 

 目の泳いでいる三ヶ島を見るに隠し事をしているのは明白だ。だがこれ以上追及する気はなかった。ボスは彼女たちの親ではないし、彼女たちだって隠し事の一つや二つはおかしくない年頃だ。

 

「この部屋の防音がしっかりしているとはいえ、カラオケには及ばないわ。一応、近所迷惑には注意しなさい」

 

「わ、分かったよ」

 

「そ、それよりボスにはまだ話してなかったな。三ヶ島にコレができたんだ」

 

 わざとらしく小指を一本たてる蛇野。ボスは「ほう」と感心したような声をあげる。

 

「それはよかったわね。いつから? 馴れ初めは?」

 

「二ヶ月ほど前だ。私たちが逆ナンしたのがきっかけで――」

 

「逆ナンって?」

 

「おいおいボス、冗談キツイぜ」

 

 数原が茶化すように言うが、ボスには本当に覚えのない単語だった。ちなみに逆ナンとは男が女に声をかけるナンパの逆バージョンのことで、女が男に声をかけることを指す。

 

 キョトンとするボスに対し、三ヶ島たちはかわいそうなものを見たとでも言うように目を伏せた。

 

「そっか……ボス、ナンパするのもされるのも無縁そうだもんね……」

 

「ああ……よしんばナンパされたとしても、目が合った途端降伏するだろう」

 

「そうだな……俺なら手を後ろに組んで腹ばいになるところだ」

 

「……フッ」

 

「ンーンンー」

 

「あなたたちどういうことなの? 特に猫田、今鼻で笑ったでしょう。それと静原、悲しいメロディーを流すのはやめなさい。なぜか心に来るわ」

 

 伝説の傭兵、ザ・ボス。三十X歳、独身、派遣スタッフ。今生の彼女に男っ気は絶無であった。少なくとも、年端もいかない女子中学生が憐憫を覚える程度には。

 

 気まずい空気を払拭するように三ヶ島は努めて明るく、

 

「え、えーっとねー、その人、紀田正臣くんっていうんだけど、すごいんだよ? 最近池袋で幅をきかせてる黄巾賊のリーダーなんだ! ボスは黄巾賊って知ってる?」

 

「あの黄色い布の子たちね。あそこには礼儀正しい子が多い。きっとその紀田くんも素敵な子なんでしょう」

 

「えへへー、まあね」

 

 照れ笑いを浮かべる三ヶ島。ボスは、仕事中に細い路地でばったり出くわすたびに敬礼してくる黄色い布の少年少女を思い出す。これはボスも三ヶ島も知らないことだったが、この態度の原因は、黄巾賊を裏で動かすとある情報屋が「目つきの悪い金髪の女には絶対に手を出さないように。下手したら死ぬよ?」と警告していることだった。

 

 ボスはお節介とは知りつつも、念のために釘を差しておく。

 

「最近そこの子たちが青い帽子の、たしかブルースクウェアの子たちとケンカしているのをよく見かけるわ。子供のケンカとはいえ、組織のトップの関係者として一応気をつけておきなさい」

 

「……うん、分かってるよ!」

 

 三ヶ島は張り付けたような笑みで首肯する。さらに蛇野たち四人の表情がわずかに曇った。

 

 その様子からボスは確信に近い予感を覚え、眉間にシワを寄せつつわずかに瞑目する。しかし次に目を開けたときには全員いつもの調子に戻っており、結局この時点でボスができることは少女たちの健やかな成長を祈ることだけであった。

 

 

 

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 池袋で活動するカラーギャング、黄巾賊とブルースクウェア。黄巾賊は主に中学生の少年少女で構成され、創始者である紀田正臣がさほど好戦的でないこともあってチンピラじみた行為に及ぶことは少ない。一方、ブルースクウェアは小中高、もしくはそれ以上の幅広い年齢層から成り立ち、好戦的な者も多くいかにも不良といったメンバーも多い。

 

 そういった似て非なる組織が活動場所を同じくすれば、対立するのは当然の流れだった。

 

 小さな諍いから山火事のように抗争の規模は大きくなり、次第に手段を選ばないブルースクウェアが優勢となっていく。黄巾賊はとある情報屋を参謀として頼り、徐々に巻き返す。

 

 やがて黄巾賊の勝利が見えてきたある日――その抗争は最悪の形で決着を迎えようとしていた。

 

 

 

---

 

 

 

 黄巾賊の創始者、紀田正臣の自室。正臣は学習机に行儀悪く足を駆け、ぼうっと天井を見上げていた。考えているのは黄巾賊とブルースクウェアの抗争についてだ。

 

 あと少しで勝てる。あの折原臨也とかいう情報屋の言いなりになっていることだけは気に入らないが、ようやく勝利が見えてきた。彼女も、三ヶ島沙樹もきっと喜んでくれるはずだ。

 

 果たしてこの争いが本当に正しいものか、何か間違えているようなモヤモヤした感覚は何なのか。正臣はそれらの疑念から目をそらし、目前の勝利に意識を集中させようと試みる。

 

 その時、不意に携帯が鳴った。画面を見ると、黄巾賊幹部の雉村という男からだ。

 

『紀ー田ー正ー臣ーくぅーん?』

 

「……誰だお前? 雉村じゃないよな?」

 

『はーじめましてぇ。ブルースクウェアのトップの泉井くんでぇす。今日はクイズ大会でぇす』

 

 粘つくような間延びした声に絶句する正臣。泉井は動揺する正臣とは裏腹に、余裕たっぷりに『クイズ大会』を進行していく。正臣のとても大切な人が、特別ゲストとして泉井のもとにいること、その人が今どんな格好をしているのか、そして――

 

『ま、その答えは後のオ・タ・ノ・シ・ミ。第三問はチャンス問題でぇす。……ぶぐふぉっ!?』

 

『あっ、やば、つい反射的に……ご、ごめん』

 

「その声、沙樹!? そこにいるのか、沙樹!?」

 

 正臣が思い浮かべた通りの大切な人、恋人である三ヶ島沙樹の声が聞こえる。何かが潰れるような音と泉井の悲鳴はこの際どうでもいい。沙樹の無事だけが正臣の頭を占めていた。

 

『ちっくしょうがぁ、なんちゅう危険なアマだ! おい、この暴力女すまきにして転がしとけ! 後でフクロにしてやる』

 

「てめえ! 沙樹に、沙樹に何しやがった!?」

 

『うるせえ! ……くそっ、興が冷めちまった。おい、今から指定する場所に一人で来い。警察なんかに言やぁ、てめえの女の初体験は不特定多数になっちまうぜぇ?』

 

 一方的に場所を告げられ電話を切られた正臣は、しばらく動くことができなかった。電話が切れた瞬間に動き出せなかった自分を責めながら、正臣は歩き出し、情報屋に連絡をとる。黄巾賊を勝利目前まで導いた、折原臨也に縋ったのだ。

 

 しかしいくらかけても留守電の機械音声が流れるばかり。しばらく連絡を入れ続けた正臣だったが、やがてがくりと膝をつき、力なくうなだれた。

 

 薄暗く、路肩に停められたワゴン車を除けば人気のパッタリ途絶えた細い路地。正臣は地面についた手を固く握りしめ、動くことができない。

 

 そんな正臣の耳に、か細い少女の声が届いた。

 

「こちらクワイエット。目標の沈黙を確認。オーバー」

 

『こちらCP了解。各員、プランBへ移行。繰り返す、プランBへ移行。アウト』

 

「お前はたしか……沙樹と一緒にいる……」

 

 建物の影からにじみ出るように姿を現した少女は、沙樹といつも一緒にいる四人の少女たちの一人だった。異様に無口で常に鼻歌を口ずさむ彼女の名は、静原。おしゃべりな正臣とは対極にいるような少女で、あまり話したことはない。

 

 大型の無線機を手にした静原は静かに正臣との距離を詰め、決然として口を開く。

 

「日本には、忠を尽くすという言葉がある。意味分かる?」

 

 

 

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 同時刻 池袋某所 立体駐車場

 

 バンダナを巻いた少女、蛇野は正面から駐車場に侵入する。柱の陰で身を縮めて耳をすませば若者たちの騒がしい声が聞こえ、音の具合からして作戦目標――三ヶ島沙樹が捕まっている車両が一階にあるであろうことが分かった。

 

 イヤホンを接続した無線機に小声でつぶやく。

 

「こちら蛇……スネーク。敵施設に潜入した。目標は一階にいるようだ、オーバー」

 

『こちらCP了解。――もう一度確認しておくが、私たちは当作戦の間コードネームで呼び合う。万が一ブルースクウェアの連中に顔と名前を覚えられれば、私たちだけじゃなくボスにも累が及ぶからな。頼むぞ』

 

「こちらスネーク、了解」

 

『オセロット、了解』

 

『クワイエット了解』

 

 数原もといCPの釘差しに返答。一拍置いて更に通信が入る。

 

『三ヶ島の尊厳と貞操を守る貞淑(バーチャス)な作戦だ。各員心してかかれ』

 

「スネーク、了解。今から、バーチャスオペレーションを開始する」

 

 柱の陰で蛇野、もといスネークが身を起こし、作戦行動を開始した。脳裏に過るボスの声に従い、身を低くして駐車場を奥へ進んでいく。

 

 本来の歴史にはありえない名無しの少女たちによる救出作戦が、ここに幕を開けた。

 

 

 

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 ボスは三ヶ島を助けた際、簡単な投げ技を使用した。敵の殺傷および無力化を念頭に置いたCQCではなく、その基礎となる合気の投げ技だった。

 

 ボスにとっては呼吸よりも簡単な技だったが、家庭での虐待や学校でのいじめなどで無力感を募らせていた三ヶ島の目にはとても眩しく、頼もしい力に映った。三ヶ島からその話を聞いた蛇野たちもそろって教えを乞い、CQCの基礎の基礎の部分を習得することとなる。身につけた力は彼女たちに自信を与え、人格を成長させた。習得の度合いは蛇野についで沙樹が高く、電話口で泉井に足を折られそうになったとき、反射的に反撃して泉井の鼻を折ったほどである。

 

 しかしボスが彼女たちに教えたのは護身術だけではない。ボスも、彼女たち自身も気づいていない大きな影響――それは思想(ミーム)だった。

 

「忠を、尽くす? なんだよ、こんな時に謎掛けかよ、やっぱ不思議ちゃんだなお前」

 

 池袋某所、路上。人気の少ない深夜の通りで相対するクワイエットと正臣。

 

 絶望していた正臣は突然の質問に対し、諦念混じりの笑いを浮かべた。

 

「知るかよ。誰かの言いなりになるってことじゃねえの?」

 

「それも一つだ。忠誠、恩義、自分への誓い、誰かへの愛情――どんな形であれ、譲れない個人の信条を忠と呼ぶ。お前はどうだ? お前に忠はあるか?」

 

「俺は――」

 

 正臣は言いよどむ。静原の理屈で言えば、正臣自身の忠は沙樹への愛であるはずだった。しかし敵に囚われた沙樹を助けに行く途上で膝を折った現状は、正臣の忠と矛盾している。

 

 自分は沙樹を見捨てた。こんな臆病者に忠なんて大層なものは――

 

「お前は、どうなんだよ? いつも沙樹に金魚のフンみたくくっついてるお前に、忠なんてあんのかよ?」

 

「私の、私たちの忠はただ一つ。三ヶ島への恩義だ」

 

「はっ、じゃあなんで――」

 

『こちら蛇……スネーク。敵施設に潜入した。目標は一階にいるようだ』

 

 それならなぜ沙樹を助けに行かず、こうして正臣と言葉遊びをしているのか。そう皮肉を返そうとした正臣は、静原の無線機から響く声に言葉を飲み込む。

 

 今のは沙樹と一緒にいる、蛇野という少女の声だ。敵施設とは何だ? 

 

 眉をひそめる正臣だったが、通信を聞いているうちに一つの予想に至る。

 

『三ヶ島の尊厳と貞操を守る貞淑(バーチャス)な作戦だ。各員心してかかれ』

 

『スネーク、了解。今から、バーチャスオペレーションを開始する』

 

「お、お前らまさか……!?」

 

 沙樹への恩義、尊厳と貞操――点と点が連想の糸でつながり、正臣は愕然とした。まさか自分が諦めたことを、この少女たちが今やっているというのか。果たして正臣の想像はまったくその通りだった。

 

「私たちは三ヶ島の救出のため動いている。なぜか? ……彼女は私たち四人に声をかけてくれた。どこにも居場所がなく、ただつるんで街を徘徊するだけだった私たちに声をかけ、あの方――ボスに会わせてくれた。まああの折原とかいう情報屋は気に入らないが」

 

 最後の部分だけ吐き捨てるように言うと、静原は決然と言葉を結ぶ。

 

「三ヶ島がいなければ私たちはボスに会えなかった。だから私たちはその恩に報いる。それが私たちの尽くすべき忠だ」

 

「……ははっ」

 

 ――敵わない。

 

 燃えるような覚悟を静原の瞳に認め、正臣は再び絶望に襲われた。自分と同じ年の少女たちがここまで腹をくくっているというのに、この体たらく。男として情けないことこの上ない。

 

「忠に動いているのは私たちだけではない。三ヶ島もそうだ」

 

「……え?」

 

 満身創痍、諦めの境地に沈んでいた正臣は続く言葉に顔を上げる。

 

 静原は沈痛な表情で視線を落とし、信じられないことを口にした。

 

「彼女は……ブルースクウェアに拉致されることを知っていた。折原臨也の指示だったんだ」

 

 

 

---

 

 

 

 数日前 ザ・ボス自宅

 

『沙樹ちゃんさ、ちょっとブルースクウェアに拉致られてくれない?』

 

「……え?」

 

『敵に囚われたお姫様を正臣くんが助けに行くかどうか、見てみたくってさ。ちょっと乱暴されるかもしれないけど、正臣くんならきっと助けに行くから大丈夫。沙樹ちゃんだって正臣くんのことを信じてるだろう? なんたって君の愛しい恋人なんだから』

 

「はい、もちろんです」

 

『じゃ、よろしくね。こんな悲しい抗争はこれで全部終わるよ。日時と場所は追ってメールするから』

 

 通話はブツリと切られた。スピーカーモードで通話を聞いていた蛇野たちの顔には怒りが浮かんでいる。

 

「ふざけた男だ。人をなんだと思っている!」

 

 蛇野の言葉はその場の全員の気持ちを――沙樹以外の人物の気持ちを代弁していた。こんなふざけた指示を聞く意味はない。沙樹も了承したフリをしただけで心中では同じ思いのはずだ。

 

 しかし沙樹は、学校の授業で教師に指名されたときのような困り顔で、蛇野たちを絶句させた。

 

「痛いのは嫌だけど、頑張るしかないかー」

 

「なっ!?」

 

 蛇野はテーブルに身を乗り出す。拳が天板を叩き轟音が響いた。

 

「何を考えている!? ブルースクウェアの手口は知っているだろう! 紀田正臣の恋人であるお前に、奴らが容赦するワケ――」

 

「分かってるよっ!」

 

 蛇野の怒鳴り声よりもさらに大きい三ヶ島の大音声。初めて聞いた親友の声に蛇野たちは言葉を飲み、数瞬遅れてその声が震えていることに気がついた。

 

 いや、声だけではない。三ヶ島は自身の体を抱きしめるように腕を回し、体を震えさせていた。

 

「自分が何されるのか、よく分かってる。臨也さんが無茶苦茶なこと言ってるのも分かってる。でも臨也さんには従うよ。ううん、従わなきゃダメなの」

 

 臨也への狂信的な信仰心。今の三ヶ島を支配しているのはそんな感情だと蛇野たちは推測する――が、直後に間違いだと知ることになる。

 

「それが私の忠だから。意味もなく街をうろついてた私を拾ってくれて、正臣に会わせてくれた。臨也さんがいなかったら、蛇野たちにも、ボスにも会えなかったよ。だから――私は私の忠を尽くす」

 

 その言葉を言い終える頃には、三ヶ島の震えは止まっていた。

 

 家族からの虐待によって植え付けられた三ヶ島の信仰心は臨也へとシフトし、ボスの思想に触れたことで報恩という名の忠に転化していた。どこまでもまっすぐな三ヶ島の決意に蛇野たちは何も言えず、さりとて親友が傷つくことに賛成もできない。

 

 しばらく言葉をつまらせた蛇野は、拗ねたように言い捨てる。

 

「いいだろう。そこまで言うなら勝手にしろ」

 

「……うん」

 

「その代わり、私たちは私たちの忠を尽くす。こっちも勝手にやらせてもらうぞ」

 

 なお、セルティがボス宅の前を通りかかったのはこのやり取りの最中であった。

 

 

 

---

 

 

 

 そうして臨也の指示どおり沙樹はブルースクウェアに拉致され、蛇野たちは蛇野たちの忠を尽くすために救出作戦を立案。作戦に先立って、ボスが秋葉原で掴まされた粗悪品の無線機を拝借し、実行しているのが今の状況だ。

 

 すべてを聞かされた正臣は情報を受け止めきれず、ただただ呆然とするだけだ。

 

「なんだよ、それ……」

 

「三ヶ島がそうまでして折原臨也に報いたい恩は何だ? 居場所を与えられたことか? 私たちやボスと出会えたことか? それともお前と――紀田正臣と出会えたことか?」

 

「……」

 

『こちらスネーク! 目標を確保したが敵に見つかった! 増援を頼む、オーバー!』

 

 無線機から音割れした少女の声と、男たちの怒号が響く。

 

 うなだれたまま何も答えない正臣に痺れを切らし、クワイエットは正臣へ手を差し伸べた。

 

「知りたければ共に来い。そしてお前の忠を尽くせ。お前の忠は何だ、紀田正臣!」

 

「……ヘヘッ、あんた、意外とおしゃべりなんだな、静原さん」

 

 正臣は気の抜けた声で軽口を返し、そして――

 

 

 

---

 

 

 

 遡ること数分前。

 

 スネークは柱の陰や駐車した車に身を隠しながら、声の聞こえる方へ徐々に近づいていく。特に持ち場を与えられていないブルースクウェアのメンバーを数名見かけたが、物陰に息を潜めてやり過ごした。

 

 スネークの役割は敵地への単独潜入および目標の救出だ。いくらボスに護身術を習ったといっても、複数人の年上の男性相手に女子中学生四人が勝てる見込みはない。そこで、もっとも運動神経に優れ、護身術の覚えもいいスネークが単独で潜入、救出するのが効率的な判断だった。

 

 作戦立案にあたり、黄巾賊のメンバーに助力を請う案も出たが、すぐに却下された。黄巾賊は折原臨也の助言で規模を拡大してきたため、折原臨也を盲信するメンバーが無数にいる。そのメンバーから臨也に情報が漏れるとどうなるか分からない。

 

 警察は提案すらされなかった。蛇野たちは家族からの虐待を幾度も交番に訴えたが、取り合ってくれた試しはない。そんな経験から公権力に何も期待していないのだ。

 

(あれか。見張りが三人、武装は鉄パイプ、金属バット……折りたたみナイフ)

 

 考えながら進んでいくと、目標と思しき黒塗りのバンが見えてきた。車両を囲うように青い帽子の若者たちが三人たむろしており、近づくことは難しい。

 

(この感覚は……? いや、今は作戦に集中しろ)

 

 見張りの一人が大きめのダンボールを椅子に使っているのを見て奇妙な既視感を覚えるが、頭を振って雑念を振り払った。

 

 スネークは目標車両にもっとも近い車の陰に隠れ、そこへ事前に持ち込んだトラップを設置。車の扉をノックした。

 

「何の音だ?」

 

「あの車の後ろからだ」

 

「ちょっと見てくる」

 

 見張りの一人が近づいてくる。スネークは車と隣接する柱の陰に移動し、推移を見守る。

 

「おほぉっ! これは、いいものを見つけた!」

 

 スネークが設置したのはコンビニで購入した青年漫画雑誌だった。これみよがしに巻頭グラビアを開かれたその雑誌に、見張りは釘付けとなる。

 

 完全に注意が集中したタイミングを逃さず、物陰から躍り出たスネークは見張りの首に腕を回す。CQC――ではなく、普通の裸じめだ。極まれば普通は抜け出せない。

 

(まずは一人)

 

 見張りが完全に落ちたのを確認すると、音をたてないようゆっくりとその男を柱の陰に隠す。一連の行動は車の陰で行われており、他の見張りからは見えない。

 

「あいつ遅いな。何やってんだ?」

 

「ちょっと見てくる――おほぉっ! いいものを見つけた!」

 

 後は流れ作業だった。全員を同じ手順で無力化し、ホームセンターで購入した結束バンドで親指と足首をくくり、口には粘着テープ。

 

 見張りのいなくなった目標車両に、隠れながらも慎重に近づいていくスネーク。最終的には、車両の右後ろに位置する柱の陰に到着した。じれったい気持ちを抑え、待つこと数分。ようやく待ち望んだ展開が訪れる。

 

「あれぇ? あいつらどこいった?」

 

「連れションじゃね?」

 

「見張りが全員で連れションとかバカかあいつら! おいてめぇら、今すぐあいつら引きずってでも連れてこい! ぶん殴ってやる!」

 

「へいへい」

 

 車両の扉が開き、三人の男たちが出てきた。車両の中には声を荒げるリーダー格の男と――黄色と黒のトラロープでぐるぐる巻にされた三ヶ島の姿が見えた。

 

 逸る体を抑え、三人の男が遠ざかっていくのを待つ。彼らの足音が完全に聞こえなくなるまでの数十秒間がやけに長い。

 

 そしてついにスネークが動く。

 

「ああ? なんだあ?」

 

 車両の側面をノック。リーダー格の男――事前調査によると泉井というらしい――が訝しむ声が聞こえる。

 

 気のせいだと思ったのか、泉井はそれ以上のアクションを起こさない。スネークはもう一度、強くノックする。

 

「くそっ、なんだってんだ!? ぐあっ!?」

 

「くっ!?」

 

 苛立たしげに扉が開かれた瞬間、スネークはすかさず泉井につかみかかる。が、ここで想定外が発生した。

 

 本来の予定では泉井の喉を殴って声を封じた後、車外へ引きずり出して裸じめで絞め落とすことになっていた。しかし、泉井は沙樹の反撃により鼻の骨を負傷しており、鼻のあたりを手で強く抑えていた。

 

 つまり、首元が腕でガードされていたのだ。

 

 スネークの渾身の喉突きは泉井をよろめかせるだけに留まる。

 

(落ち着け……私の任務は敵の無力化じゃない。三ヶ島の救出だ)

 

 即座に意識を切り替えたスネークは、泉井が復活するよりも速く縛られた沙樹を抱え、車外へ飛び出す。

 

「ぐ、お、重い……!?」

 

「くそがぁ! てめえ何もんだ! おい! 誰かいねえのか! すぐに集まれ!」

 

 沙樹は顔にアザをこさえぐったりしている。意識のない人間を抱えて走るのは、一般的女子中学生であるスネークには非常な重労働だった。もたついている間に泉井は復活し、被発見(アラート)状態に移行してしまう。

 

 泉井の声は立体駐車場に反響し、散開していたブルースクウェアのメンバーがぞろぞろと集まってきた。沙樹を抱えたまま包囲網を突破するのは極めて難しくなった。

 

「こちらスネーク! 目標を確保したが敵に発見された! 増援を頼む、オーバー!」

 

『こちらオセロット了解。すぐに行く。なんとか持ちこたえろ、アウト!』

 

 発見された場合に備え待機させていた猫田、もといオセロットに増援を要請し、スネークは走る。四方八方から近づいてくる青い帽子の包囲網のうち、一番薄い部分を目指してひた走る。沙樹を抱える腕から徐々に感覚が失われ、酸素を求めて心肺が悲鳴を上げている。

 

 だが人一人を抱えた女子中学生と、高校生以上の男性では基礎的な運動能力が違う。すぐに壁際へ追い詰められ、半円状の包囲網に捕まる。

 

「ヘッ、たしかその女といつもつるんでるガキか。お仲間を助けに来たかぁ?」

 

「……」

 

『こちらクワイエット、プランB続行。繰り返す、プランB続行』

 

 イヤホンからの通信に、作戦が次の段階へ移行したことを知る。ただ、絶体絶命の状況をすぐに覆す情報ではなかった。

 

「このクソアマが、どこまでも舐めくさりやがって……てめえら二人ともボコボコにしてから全員でマワしてやらぁ! やっちまえ!」

 

 包囲網がじりじりと迫る。スネークの呼吸はなおも荒い。沙樹を地面に横たえてボスの構えを真似するが、気休めだ。この状況を打破できるような技術は身につけていない。

 

 スネークの気迫に警戒していたブルースクウェアのメンバーだったが、ついに意を決して飛びかかるその瞬間――かわいた破裂音が鳴り響く。

 

「いてっ!」

 

 同時によろめく泉井。ブルースクウェアの面々が警戒の面持ちで音の方向を見ると、そこには怪人、山猫が立っていた。

 

 平凡なTシャツとジーパン。ごく普通の少女の部屋着を思わせる服装だが、リアルな山猫がプリントされた安っぽい紙のお面と、どこで買ってきたのか時代遅れな拍車つきのブーツが異様な雰囲気を漂わせる。

 

 そして極めつけは両手のリボルバー拳銃。余裕綽々で華麗なガンプレイを披露しつつ、拍車を鳴らして歩を進める様にはすさまじい迫力がある。ブルースクウェアのメンバーはごくりと生唾を飲み、闖入者の動向を注視する。

 

「……遅かったじゃないか、オセロット」

 

「待たせたな、スネーク」

 

 天井で頼りなく光る蛍光灯が、まるでスポットライトのように二人を照らす。雰囲気に呑まれたブルースクウェアは思考が止まるが、泉井が声を荒げて我に返った。

 

「馬鹿野郎ただのエアガンだ! まとめてぶっ殺せ!」

 

 ハッとしたメンバーたちはニヤニヤと余裕の笑みを取り戻し、山猫怪人――オセロットに標的を定める。

 

 最初に撃たれた泉井が看破した通り、オセロットのリボルバー拳銃はただのエアガンだ。それも対象年齢一〇歳程度の安物。たとえ直接肌を撃たれても少し痛い以外に害はない。なんのツテもコネもない子供が用意できる最大限の武器だった。

 

 状況は依然、絶体絶命。むしろ被害に遭う女子が増えた分悪化したとも言える。

 

 とはいえ、オセロットの役割は敵勢力の撃滅にあるのではなかった。彼女の目的はとうに果たされているのだ。

 

 にやっと口元を歪めるオセロット。

 

「一分二十二秒」

 

「ああ?」

 

「私がこの場に現れ、お前がおもちゃの銃を大げさに痛がり、お前たちが私のガンプレイに見蕩れていた時間だ。――ああ、こうしているうちに一分三十八秒になった」

 

 両手を広げ、舞台役者のように振る舞うオセロットの役割は、陽動と足止め、時間稼ぎ。数の暴力に酔いしれていた泉井がやっと理解したその瞬間、立体駐車場に乱暴なエンジン音とスキール音が響き渡り、何のための時間を稼いでいたのか嫌でも理解させられた。

 

 全員が音のした方を向くと、扉の開いたワゴン車が爆走状態でこちらに向かっている。開いた扉から身を乗り出しているのは――

 

「沙樹ぃぃいいぃ!!」

 

 一度は心折れた黄巾賊のトップ、紀田正臣その人であった。

 

 

 

---

 

 

 

 その後はあっという間だった。

 

 ワゴン車で駆けつけた正臣と、目つきの鋭い大柄な男の二人が中心となってブルースクウェアの面々を圧倒。元々正臣のケンカの強さに惹かれて黄巾賊が結成されたこともあり、正臣一人の戦力はすさまじかった。

 

 ブルースクウェアの混乱が頂点に達したところで、ワゴンの中から現れたCPとクワイエット――数原と静村が撤退を提案し、仲間を全員回収してから駐車場を飛び出した。

 

 そして気絶した沙樹を病院に連れて行くため、夜の国道を走行しているのが現在の状況だ。

 

「で、誰だあんたら?」

 

 スネークは警戒の目つきで車内のメンバーを睨みつける。

 

「今回の作戦にあんたらみたいのが絡むとは聞いていない。何者だ?」

 

 今回の作戦――バーチャスオペレーションにはプランABCの三プランが想定されていた。プランA、正臣が恐怖に屈せず単身でブルースクウェアのアジトに乗り込み、スネークたちは彼を全力で補佐する。プランB、恐怖に屈した正臣を説得し、それと並行してスネークが沙樹を救出して逃走、正臣は説得が済み次第増援として働いてもらう。正臣のケンカの強さはスネークたちも知っており、戦力になることは分かっていた。しかし沙樹の救出に来るかどうかは未知数だったため、ケースごとにプランを決めておいたのだ。

 

 スネークの睨みを受けたワゴンのメンバーは顔を見合わせ、快活に笑った。

 

「中学生の心意気に感動した通りすがりっすよ! あ、僕は遊馬崎っす!」

 

「そうそう! 私は狩沢で、そっちの人はドタチン、運転してんのは渡草っちね!で、クワイエットちゃんだっけ? クワちゃん? その子が紀田くんを説得してるのを見かけてさ、もういても立ってもいられなくって!」

 

「……つまり、善意の協力者か。ありがとう、助かった」

 

 スネークに倣い他のメンバーも頭を下げると、ドタチンと呼ばれた男がやめろとばかりに手を振った。

 

「もう脱退したとはいえ、俺たちも元ブルースクウェアだ。うちのバカどもが迷惑をかけた。すまなかったな」

 

 沙樹を攫ったという知らせを受けドタチンたちはすぐにブルースクウェアを脱退し、件の立体駐車場近くの路上で沙樹を助け出す手はずを話し合っていた。そこに正臣とクワイエットが現れ、二人の問答を通してスネークたちの作戦を知ったのだ。すぐにクワイエットと正臣、司令塔役の数原を回収し、大急ぎで駆けつけたというわけだ。

 

 律儀に頭を下げるドタチンにはまっすぐな誠意と謝意しかなく、スネークたちは頭を上げてもらう。

 

「ところで、一つ気になったんだが……プランCは何だったんだ?」

 

「紀田くんの説得に失敗し、私たちだけで三ヶ島を助け出すプランだ。紀田くんの戦力がない以上、玉砕と変わらん。来てくれて助かったぞ、紀田くん」

 

「いや……クワイエット、静原さんの言葉がなければ、俺はきっとあそこで折れてたと思う。沙樹を助けに行かなかった罪悪感をずっと背負ってたはずだ。本当に、ありがとう……!」

 

 ひとしきりしんみりした空気が漂った後、ドタチンは心底呆れたようにつぶやく。

 

「近頃の中坊ってのはみんなこんなもんなのか……?」

 

「いやいや、この子らが異常なだけっすよ門田さん。特にスネークちゃん? 君、実は前世が伝説の兵士か何かで、TS転生とかしてない? 敵の本拠地に単独潜入とか無鉄砲ってレベルじゃないっすよ」

 

「TS転生?」

 

「あー、ネットの二次創作でよく見るやつかー。あれって何が面白いの? よしんば転生して作品の世界に入り込むにしたって、性転換の意味なくない?」

 

「意味あるに決まってるじゃないっすか狩沢さん! 男だった前世と女である今生とのギャップをどう受け入れていくのか、その過程の心情描写だけで十分面白いですし、何より読者の投影対象である主人公を性転換させることで女になりたい願望を持つ読者の需要を――」

 

「たしかにオリジナル主人公の場合はそういうのもありだけどさ、元ネタがあるキャラクターを性転換させるのって無粋じゃない? 好きなことができるのは二次創作のいいとこだけど、それは原作への愛が前提であって、考えなしな性転換は二次創作としての品性が――」

 

「また始まった……すまねえな嬢ちゃん方。適当に聞き流しておいてくれ」

 

「ああ。まったく、転生などバカらしい。一度死んだ人間が別の世界に転生するなど、非科学的にすぎる」

 

 ましてや遊馬崎たちが論争するように、別の作品の世界に転生するなんてあるはずがない。同意を求めるようにスネーク改め蛇野が数原、猫田、静原に目をやると、その通りだとばかり、全員が深く頷いたのだった。

 

 

 

---

 

 

 

 嵐の過ぎ去った後のように、しんと静まり返った立体駐車場。大規模な暴力事件の当事者としてブルースクウェアを補導するパトカーのサイレンが、遠く響いている。

 

 そこに放置されたダンボール箱が不意に動く。ダンボールの下から箱を持ち上げ、放り投げて現れた人影の正体は――

 

「どうやら本当に心配はいらなかったようね」

 

 池袋の有名人、井上さんことザ・ボスである。

 

 あの日の沙樹たちのリアクションから、彼女たちが深刻な事態に陥っていることを察するのは難しくなかった。とはいえ子どもたちが自力解決を試みているところに大人が割って入るのは野暮と判断し、本当に危険な状態になるまでは身を潜めながら子どもたちを見守っていたのだ。

 

 そもそもなぜ駐車場の真ん中に大きなダンボールがあったのか? それはブルースクウェアの車両が駐車すると同時に、ダンボールをかぶったボスがメンバー全員の死角を縫って車両に横付けしたからだ。ブルースクウェアのメンバーはダンボールの存在に違和感を覚えたものの、それ以上に座り心地の良さそうな箱だったので、椅子として利用していた。

 

「……」

 

 ボスは駐車場内の自販機に立ち寄ってから、非常階段で屋上階へ上る。

 

 屋上の手すりに肘をつき、購入した缶コーヒーを開封。銘柄はもちろんBOSS。一口口にすると、絶妙に調和したコクとキレが口内に広がり、ほろ苦い旨味が舌の上を転がる。よく冷えた液体が爽快なのどごしとともに胃へ落ちていき、ボスはふうと息をつく。

 

 彼女たちは最後までボスに助けを求めなかった。想定外の事態に陥ったときも、敵に囲まれたときでさえ、状況を打破する一手を考え続けていた。一般的な女子中学生であるはずの彼女たちにそこまでの勇気を与えたのは、ひとえに友情という名の忠だろう。

 

 この世界は残酷だ。戦争や貧困が蔓延し、子どもたちの未来が脅かされる。たとえそういった脅威が少ない先進国であろうと、虐待などの新しい形となって子どもたちに襲いかかる。どこまでも残酷で、救われない。

 

 ただ、残酷な世界で紡がれる子どもたちの絆は――

 

「輝かしい……」

 

 目を灼くほどに、輝かしい。


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