冥界の大地が鳴動していた。
耳をつんざくような荒れた大気の音が、崩壊の序曲を轟音ともども崩れゆく大地と奏でている。
此度の聖戦も、
死と言えど、神の意思が消滅するわけではない。
力を失い、封印されるだけのことである。
戦いによる余波と、強大な力が消えることによる反動。創世主たる
壮麗な神殿が、たちまち見る影もなく崩れ落ちていく。
磐石のはずの大地は苦しみもがくかのようにのたうち、空間までも引き裂かんばかりの地割れが、
「みんな……、帰りましょう。光あるところへ」
「
「沙織さん……」
しっかりと星矢の頭を抱え込んだまま、
多くの犠牲を悼み哀しみ、それでも生への希望をたたえた眼差しだった。
すべての戦いが、今終わったのだ、とその場にいた誰もが思ったに違いない。
戦いにおいて考慮すべき、起こりうる非常の予想を欠いたのは事実だ。
だが、一体、誰がこのような事態が起こると想定できようか。
――――大気の狂乱。
――――大地の慟哭。
風は殺意そのもののように鋭く牙を剥き、悲鳴すらもかき消す怒号を上げながら大地に襲いかかる。
大地は、もはや悲鳴すら上げず、鞭打たれる皮膚のように容易く裂かれ、敗北した。
人ほどの大きさもある瓦礫が、軽々と空中に撒きあげられ、狂笑するように荒れ狂う。
そして、冥界の空間が凶暴なまでに振動し、歪にたわみねじれていく。
「こ、これは!」
「くっ! 立っていられない!」
「まさか、
「な、沙織さん、これはいったい!?」
消耗した小宇宙を燃やし世界の暴挙に抗いつつ、聖闘士達が驚きと疑問を口に乗せる。
「おそらく、私と
その足元が大きく崩れる。
「
同時に、天が割れた。
さらに激しく風が吹き荒れ、空間が歪む。
何もかもを押さえつける激しい圧力とすべてを吸い込もうとする強烈な引力。逆巻く大気のねじれ。異質なまでの不均衡。
歪みより生みだされる無慈悲な力に耐えようと、
それを責めることは何人たりともできまい。
故に、星矢の身体から注意がそれたことも不可抗力であった。
あえて言うなれば、それは
空間の歪みに吸い込まれていく星矢に最初に気がついたのは
整った容貌から血の気が一気に引く。
「えっ!? 星矢っ! いけないっ!」
凄まじいまでに吹き荒れる嵐と圧力の中、気がつくとはさすが女神と言うべきだろう。
だが、聖闘士の誰にもそれに驚嘆する余裕など与えられはしなかった。
「な、星矢っ!」
「くそっ、動け! 俺の足よ!!」
「チェーンよ、星矢の元に! お願い届いてっ!」
いかなる努力も報われなかった。
彼らの足は、彼ら自身を支える以上の余力を持たず、翼は容赦なく吹き荒れる嵐の中ではかえって邪魔としかならない。
アンドロメダのチェーンですら、瓦礫が踊り狂う凶風にコントロールを奪われて。
そして、
歪みから星矢を取り戻すことと、残った彼らを守り続けることは。
――――両立できない。
そう、判断してしまった。
どれほど耐えたか、各自が星矢を失った衝撃も冷めやらぬまま、ただ無我夢中で狂嵐をしのぐ。
歪みの消滅は唐突だった。
吹き荒れる風も、鳴動する大地も、もはや歪みの影響下にあるわけではない。
脱出すべき状態であることに変わりはないものの、聖衣をまとった
――――だが、もうそこに星矢はいない。
最初に動いたのは
荒れる暗い天を睨み、
どこか、切実な色が込められている声音。
「そこに、いますね?」
瞳の色は厳しい。
口に出すまでもない問いが、呼びかけにはこめられていた。
崩れゆく冥界をつらぬいて響く、問いかけ。
もはや意思のみとなり、眠りにつきつつある
(――――此度の決着はすでについた。余がこのような暴挙に及ぶ理由があろうか)
再び、
同じ呼びかけでも意味合いが違う。
正しく、冥界の神はその意図を汲んだ。
(――――さて、余も知らぬ。だが、貴女にあの歪みを理解できなかった筈もない。呑みこまれれば二度と戻れはせぬ……なれば、何処へ通じようとも、貴女にも余にもあずかり知れぬこと)
「そんなっ、そんな筈がない!」
「星矢はきっと戻ってくる!」
こらえきれぬように、氷河と紫龍が叫ぶ。
その言葉にかぶせるように、淡々と冥府の王は言葉を連ねる。
(あれは我々が存在する3次元より高次の次元をも含んだ時空の歪み。超次元ならば、最悪でも宇宙と時の彼方に飛び散るに過ぎぬ。この世界より弾き出されるわけではない。……この意味が分かるか。
「まさか、星矢はこの世界の外に、時の外に弾き出されたとでも言うのか!」
一輝は瞠目した。
握りしめた拳から、新たな血の筋が流れる。
そんなまさか、と誰かがつぶやいた言葉が雑音のように遠い。
視界が急速にせばまる感覚は、崩れゆく冥界の大地のせいだろうか。
世界の誕生と共に神々が生まれ、神が世界のすべてを創造したとするならば、その外側は、世界の生まれる以前。すなわち原初の
確かに、
(……愛などではどうにもならぬ。
薄れていく
――――その意味。
「沙織さん! 星矢は――――?」
その先を口に出すのが恐ろしいのだろう。
すがるようにチェーンを握りこむ瞬の双眸は、痛切に
チェーンのかすかな震えは、主の懸念そのものを表していた。
瞬は、信じたくないのだ。
「帰りましょう。……地上へ」
「っ!?」
「地上で待ちましょう。星矢はきっと帰ってきてくれます」
すべてを包み隠す深海のごとく静かな瞳に決意を写して、
「命あふれる地上に」
多くの犠牲を出して。
聖戦は終結し、地上は太陽を取り戻した。
――――だが、もうそこに星矢はいない。