感覚を凝らす。
目には写らぬ、耳にも聞こえぬ生命の波動。それを嗅ぎとる感覚に集中する。
我知らずヒヤリとはしたが、多分、死んじゃいない。かすかに感じる小宇宙が俺の勘違いじゃなければな。
敵として戦った記憶を
だから、生きている、とは思うんだが……見えない。分からない。俺の察知能力では位置を特定できない。それほどに心もとない。
もとより、俺はあまり感知能力に自信はないのだ。いや、正直に言ってしまえば、攻撃なんか意識して察知しているというより本能にもとづく勘に近い。
感覚で戦うってのは、相手を察知し分析する能力が高いって意味じゃないんだな。この場合の感覚ってのは直感のことであって、いかに脊椎反射でその直感に従って動けるかってことなんだと思う。
って、ん? 何と言った?
「一輝、まさか、見えてたのか?」
そんなバカな。ありえない。思わず顔を向けて聞き返す。
青銅聖闘士や白銀聖闘士とは違い、黄金聖闘士は、全員が光速の動きを持つ。
その黄金聖闘士の中でも折り紙つきの強さを誇るシャカとやり合ったんだ。
当然、小手調べ程度の勝負とはいえコンマ何秒の世界。一ミリ秒と言ってもまだ遅い。一マイクロ秒でもまだ足りない。一ナノ秒ですら捕らえられてない。
まだ、一輝には見えるわけのない―――目の前を光が瞬いた程度にしか見えない世界のはず。
シャカがどうなったかどころか、俺達がやりあっていたことさえ、一輝には分かるはずがないというのに。
「どうにか見えただけだがな。お前が思い上がるなと言った意味がよく分かったぞ」
不愉快そうな口調には言い知れぬ悔しさがにじんでいる。だが、そんなことはどうでもいい。
見えるはずのない動きが、見えた? どういうことだ。
眼高手低か、あるいは―――。
ああくそ、考えるのは苦手だ。これはどうあってもシャカを味方へと引きこまねば!
少なくとも、俺よりは頭脳労働も得意だろう。
「俺では、まだ手が届かん。少なくとも、今は、な」
にやりと笑う一輝。
すぐに追いついてやるぞと言いたげな表情で挑むように口にする。少なくとも今は、か。
その心意気に満足して俺も笑い返した。
もちろん、届いてもらわないと困る。いや、これからの戦いに今の俺の実力程度で満足されては困る。さらに上を目指してもらう。俺だってまだ限界じゃないんだぜ。
そう、口に出しかけて。
眼の端でちらりと埃が舞った。
―――やばいッ!
そう認識できたのは、身体が動いた後だ。気を抜いていた自分に舌打ちする。
認識と同時に、大気を切り裂いてシャカの
背後か!
「定番だな!」
避けるには遅すぎた。やり返すにはさらに遅い。シャカを殺すつもりなら話も変わってくるってもんだが。
悔しまぎれに減らず口をたたきながら、体勢を整える。気の抜けていた俺には正面から受ける道しか残されていない。その道しかないところまで追い詰められた。
まったく嫌な感じだぜ。視認する
よくも気付かれずにここまでの攻撃的小宇宙を隠してたもんだ!
さすがは、黄金聖闘士中、最も神に近いと称される男、シャカ!
強大な力、もはや圧力そのものと化した小宇宙が怒涛の勢いで襲ってくる。両足に力をこめ、体重を丹田に落とし、全身に小宇宙を行き渡らせてなお十数メートル、そのまま追いやられた。
地面には、俺の足の残した二本の筋がくっきりと残っている。この程度で死ぬならいっそ死ね、と無言で語る容赦のない一撃だった。シャカの大人気なさの証明だな!
「ほう、倒れもせぬどころか無傷か。ただの鼠ではないな。今一度問う。何者だ」
今度は真正面から相対した。
眼を細め、こちらを見ているシャカに隙はない。余裕もない。
シャカの表情が、驚いたことに先ほどまでとはまったく違う。怒りはすでに失われ、こちらを見据える目付きには一筋の乱れもない。ただ冷静な意思のみが映されている。
「否、何者であろうとも」
何と言うか、今までが、自分に咬みついた蟻など死のうが足がもげようが知ったこっちゃないと容赦なく払おうとした怒りなら、こっちは人間を、それも敵を見る目つきだ。
怒りも侮りもなく、倒すべき者を見る眼。
「聖域に仇なす者ならば容赦せぬ」
カチンと来た。
「俺は
「私と違って、だと?」
シャカの眉が冷ややかにしかめられ、薄笑いの形に唇がゆがんだ。
分かりやすいが、どこまでも人の気を逆撫でする男だな!
「俺が知らんと思うなよ。教皇が偽者であることを。そして、お前がそれを知った上で仕えていることを」
「フッ、私が戦うのは正義のためであって教皇のためではない。教皇が悪ではないからあえて敵対せぬまでのこと。忠誠を誓うのは
プチンと来た。
「悪じゃない? 真の教皇を
自然、口調は熱くなる。
冷えかけていた頭がまたも沸騰してきた。脳内を這いまわる虫がうるさい。
「っ!? 何だと?」
シャカは笑みを消した。わずかに見開かれた眼。
うん? 知らなかったのか?
動揺を見せた口調と表情に、少しだけ気持ちが収まって、意識してまばたきをした。眼を離すことはまだできない。できないが、知っているのに、驚いてみせるようなあざとい真似をする男じゃなかったよな。シャカは。
心持ち息を吐いて、気持ちをわずかばかり立て直す。
そういや、ちゃんと知っているのはアフロディーテとシュラとデスマスクだけなんだっけか?
シャカは何を考えているのか窺い知れぬ表情となって、黙り込む。
だが、俺は止まらない。
「そんなものがお前の正義か! 黄金聖衣をまとう覚悟か!」
なら、偽教皇に反逆者の報告でも何でもしろよ、と語気荒く言い放ってやる。本気じゃないが。
シャカは傲岸不遜ではあるが裏切りを是とする漢ではなかった。知らなかったんだろうと納得すれば、再燃した怒りも静まっていく。
シャカは黙り込んだまま、表情を変えもしない。ただ言われるがまま。
なんか言えよ。
「聖域へ帰れよ。暗黒聖闘士なら一輝が倒した。もう用事はないだろ。そのうち
なんか言ってくれないと俺も止められないんだけどな。
そして、本当に教皇に報告されちまったら……どうしよう。まずい、俺、もしかして墓穴を掘ってやしないか。
冷汗が噴き出してきた。
今しがた想像した最悪の未来―――戦い育てあげた実力がまだ育っていない、紫龍や氷河、瞬はもちろん、邪武や激達まで一人残らず殺されたあげく、沙織さんまで亡くす未来が脳裡をかけめぐる。
ありえないとは断言できない。前回だってそうならなかったのが不思議なほどの状況だったしな。
ましてやこの時点で教皇側に俺達を知られるなんて、想像でもぞっとする。聖域が全力を持って俺達を叩きつぶす未来は、決してありえないわけじゃない。
むろんそんな真似を許す気はない。全力で反撃するが、それはそれで、黄金聖闘士全滅、および聖域は壊滅状態になるだろう阿鼻叫喚の未来想像図が眼に浮かぶ。じ、地獄絵図だ。
なあ、なんか言えって!
やきもきしている俺を知らぬ素振りで、シャカは吐息をついた。相変わらず何を考えているのかよく分からない表情で、ゆっくりと瞼が伏せられる。その口から発せられるのは先と同じ問い。
その声にもはや戦意は窺えなかった。伏せた目はそのまま閉じられて動かない。
三度目の問い。
一言一句同じ問い。
何を問われているのか、判断に迷う問いかけ。
「お前は、何者だ」
簡潔すぎて、あまりに広範囲すぎる質問の意図がつかめない。まあシャカだもんな。汲み取れというほうに無理があるんだ。
俺はあっさり努力を放棄した。決して誰にも否定させない事実のみを答えとする。
「
「この私に、迷いを植えつけるとはな。フッ、いや、
わけの分からんことを言いながら、つかのま微苦笑をもらし、シャカは髪をひるがえして背を向けた。地に落ちていたヘッドマスクが一瞬にしてその手の中に現れる。
それを小脇にかかえ、何かを思いだしたように振り返ったシャカは、なぜか満足げに口の端を吊り上げた。
「覚えておいてやろう。
その声と残像だけを残し、スッと姿が失せる。
登場時の派手さ、もとい、華々しさからは予想もつかないほどあっさりとした消え方だった。
味方に引きこめたわけじゃなさそうだが、一件落着、だといいな。
……本当に報告されたらどうしよう。もしかしたら、あれは捨て台詞ってやつか。だとしたら、普通、覚えるのはこっちじゃないのか。
俺は、もはや癖となりつつある遠い目で、シャカの消えた場所を見やる。
まあ、その時はその時だ! どうにかなる!
ヤケになってるわけじゃない。いつだって、どんな場合だってどうにかしてきたんだからな! という自信の表れだ。
正確に言えば、どうしようと言ってもどうしようもないだけなんだけどな。
こう考えると、俺もろくな人生を送ってない。後悔はない。と言うより後悔するほどの時間を生きられなかっただけか。あらためて考えると不遇な人生だ。いっそ感心するぜ。
地に伏せていた一輝が動いた。
「お前は、強いのだな。いや、俺が弱いのか」
一輝は噛み締めるようにつぶやいた。ろくなもんじゃないのは、俺達の誰も同じか。
だが、今の俺と一輝じゃ、経験が違う。知っていることが違う。そもそも前提が違う。だから、一輝の感想は当たっているとも言えるし的外れとも言える。
そして、この時になってようやく、俺は、一輝がかつての記憶、俺と同じ記憶を共有していないのだと受け入れる気になった。
知らない振りしているだけじゃないかと実はちょっぴり疑っていたのだ。
あるいは、思いだしてはくれないかと。俺だって、いきなり俺から俺へと変わっていたわけだしな。
そうであって欲しいという願望もあったかもしれない。
「フッ、お前とてこの六年間地獄を見たはず。いや、お前だけではない。兄弟全員、例外なく地獄を見たはずだ。俺が弱虫だっただけかもしれんな」
「……眼は覚めたかよ?」
「ああ、この俺の臓腑を流れる憎しみは、今やお前への飢えと化した。いずれ届いてくれよう」
へっ!?
思わず、耳を疑った俺を誰が責められるだろうか。聞き違いかと一輝の顔を凝視する。
今、何か、妙なことを言わなかったか!?
ぎらぎらとした両眼の光は静まるどころか、輝きを増して。
視線の先には俺。
おかしい。俺は一輝に元の正義感あふれる漢らしい男に戻ってほしかっただけのはずだ。ついでに、相談にも乗ってもらおうとは思ったが。
俺は一歩後ずさった。
おかしい。俺は俺以外の全員が皆殺しにされる心配や、一輝が記憶を持っていないという落胆で落ち込んでいるはずなのに。
空気を吸い込んで喉がひゅっと鳴った。
おかしい。俺は、今、非常に重大で深刻な問題を考え、どうすればいいかと悩んでいたはずなのに。別の意味で焦ってきたぞ。何かが間違ってる気がする。もちろん俺じゃなくて一輝がな!
先ほどとは違う意味で汗が出てくる。飢えた肉食獣を思わせる一輝の視線は、爛々と熱を帯び、ただでさえ暑いデスクィーン島の気温を間違いなく二度は上げているに違いない。
なのに、俺の額には冷たい汗が浮いてきている。
おかしい、おかしいだろッ。
「い、一輝?」
「俺にお前の強さがあれば、ここまで憎しみを持たずに済んだかもしれんと思っただけだ。いつ知ったか知らんが、お前は憎まなかったのだろう」
「そういうわけじゃないぜ。ただ―――、いや何でもない」
先に真実を知って、憎しみに身を焼いた男を見てしまったから、その道に進めなかっただけだとは飲み込んだ。
目の前の男に、お前がいたからだとはさすがに言えない。
それにしても、ああ良かった。力だけがすべてだとか、力こそが正義だとか、かつての一輝と同じような勘違いをさせてしまったのかと思ったぜ。
こっそり安心して、胸を撫で下ろし、声をかけた。
「それより、一輝、どうする?」