シャカは消えた。続きをするか?
言葉に加えて、これ見よがしに拳を固めて、首をかしげてやる。
一輝は苦笑いして首を振った。どこか獰猛に尖っていた雰囲気がゆるむ。
かつて、城戸家にいたころを思い出させる気安げな空気があたりにただよった。それを隠すような渋い口調からもいつのまにか垣根が取り払われている。
「言ったろう。まだ手が届かん、とな。だが、一つ訊くぞ」
言葉を切った一輝が、表情を改め手を伸ばしてきた。腕一杯に伸びきった手でそのまま肩を掴まれる。
「星矢、お前、本当に本気だったか?」
思わず笑みがこぼれた。
それだけで答えを悟ったらしい一輝が本気で嫌そうな顔になる。だが、寸時のためらいもなく次の言葉を発した。
「どういうことだ?」
「本気でやりあってたら、この島は地図から消えてるぜ」
互いに本気じゃないと分かっていたからこそ、俺だって攻撃を受けるというバカな選択をできたんだ。
聖闘士の技は基本的に、一撃必殺。二手はない。防御より攻撃重視の戦闘教義だ。
相手より自分の攻撃が、より速くより強ければ防御などせずとも勝つ、そんな部分がある。しかも、実力が高ければ高いほどその傾向が強い。
手っ取り早く言えば、攻撃に対して攻撃で応じる、それが聖闘士の基本戦術なのだ。防御を得手とする聖闘士は少数派に属する。
俺の知っている限り、黄金聖闘士の中ではムウだけ、か?
そのムウにしたって、防御を得手としているというより、戦いを好まぬ性質上、防御を得手としているように見えるだけだろう。
つまり、最強とも謳われる黄金聖闘士に対して反撃もせずに受けるだけってのは死を受け入れるに等しい。シャカも同じだ。俺が本気なら肉片も残さず吹き飛んでいる。最低限この島の半分は道連れにな。
あんまり派手に吹っ飛んでくれたもんだから思わず心配したが、黄金聖闘士をあの程度で殺せるはずがない。冷静になった今だから言えることだけどな。
それを踏まえれば話は簡単だ。
「単なる小手調べで本気を出すほどシャカも血迷ってなかったんだろ」
「小手調べ、か。つまり、すべては牽制に過ぎなかったと?」
「ああ。俺を聖域の敵だと本当に断じれば別だが、退いたってことは迷ったんだろうな。言葉どおり」
結界も敷かれてない場所で、それも本来の任務から外れている戦闘を、矜持を傷つけられた程度でやるほど、我を忘れていたわけじゃなかったってことだ。
探りあいの結果、蟻と分かった相手を踏みつぶす。その程度のことなら顔色も変えずやってのけるだろうが、矜持を傷つけられただなんて私事だけで、こんな戦いに本気を出すような真似をできるはずがない。甚大な被害が出ると分かりきっている。
要するに茶番だな。
シャカにはシャカの考えがあるのかもしれんが、常人の俺に追いきれるわけがないから考えない!
最後の攻撃は意趣返しか挨拶がわりか。
それにしちゃ妙に殺気を感じたのは、きっと試す意図があったからに違いないと信じておく。でも、覚えてろよコノヤロー。
あれで、完璧に敵だと見なされてたら、本格的な戦闘に突入したであろうことには目をつぶるぜ。なるようになるッ!
「牽制、であれか。お前もシャカも人間とは思いがたいな」
「今度会ったら直接言えよ。多分、喜ぶぜ。だいたいな、んなこと言ってられんのか?」
「なにが言いたい?」
じろりと睨まれる。笑ってやった。
「届くんだろ?」
「当然だ。超えてくれる」
一輝はえぐられた地面と砕かれた岩に目線を移し、深く息を吐いた。大きく感情のすべてを押し流すような息を吐き、掴んでいた手をゆるりと外す。
熱と重みが離れていくのを、何となく目で追う。伸びる影がふと目に付いた。
地面に落ちる俺達の影は随分と短く濃いものになっていた。
俺がこの島に着いてから、思ったよりも時間が経っていたらしい。いつの間にか太陽は中央を過ぎる高みにあり、無慈悲なまでの熱が降りそそいでいる。先ほど感じた気温の上昇はまんざら勘違いでもなかったようだ。
気づいてしまえば、赤道直下の強烈な陽射しは、容赦なく人を照り焼きにしようとする無情さを発揮してくれた。
くそ、本気で死ぬほど暑い。息をするのも辛い熱気にとめどなく流れる汗。このまんまじゃ日干しか焼肉になっちまう。冗談じゃねえ。食う方以外はお断りだ!
暑さだけじゃない。非常に根本的な問題が、暑さとは別に発生していた。生きているなら誰もが必ず直面する重要な問題だ。
「ああ、腹が減った」
「緊張感のない奴だな」
うめいた俺に、一輝は何をいきなりと呆れた顔になる。
何とでも言え。昨夜から何も食ってないんだ。俺の体感時間からすると、せいぜい朝食を逃した程度のもんだが、それにしたってこの島までは慣れぬテレポーテーション、島に着いてからは滅多に使わない頭をフル回転。
腹が減る理由には充分すぎる。
「逆だ。緊張してたから腹が減ったんだよ。俺は今から日本に行く。お前はどうする?」
「あのくだらん
さえぎる。
「俺は聖闘士だ。
これから、何が起きるかを知っている。
同志達の悲しき決意と慟哭を知っている。
地上を蹂躪する
恐怖と絶望の苦鳴を上げる力なき人々を知っている。
聖域にある救いのない悲劇と犠牲を知っている。
それで充分だ。
ならば戦う。ともに重荷を背負う。俺が聖闘士である限り、どこまでも、だ。
「言っとくけど、
「そうか。ならば」
「なあ一輝、まだ話すことがあるんだったら場所変えようぜ」
俺の提案に、一輝は怪訝そうな顔になり、ついで納得したと言いたげに視線を俺の首筋に投げた。
慣れてない俺に、この暑さは本当に結構きつい。
こめかみから流れる汗は顎にしたたり、首を光らせる汗が鎖骨のくぼみに溜まっているのが分かる。ぬるい風が首を吹き抜けて、ひんやりとする感触を残しても、その涼しさは瞬間でしかない。
もうちょっと涼しい場所、は無理だろうが、せめて日陰に行きたい。この息苦しい熱から逃れられるならどこでもいいぜ。
一輝はちょっとだけ笑った。
「腹が減ったなら食い物くらいは出してやれるが」
この島に来て、はじめてお目にかかった表情だった。
一瞬だけ、暑さが吹き飛ぶ。どこかぎこちなく引きつって、それでも、本当に笑ったのだ。
「あ、ああ、世話になるぜ」
「大した物はないがな。このファイヤーマウンテンの火口側よりはよほどマシだろう」
■■■■■■
案内されたのは石作りの小屋だった。
半地下形式で、廃墟のような見掛けに反して案外広い。さらに地下への階段をのぞくと、白骨が積み重なっていた。……見なかったことにするか。
「このあたりは、見てのとおり、岩だらけの地面に晴れぬ噴煙と植物には厳しい。建物は基本的に石造りだ。そこらから切り出してこれるからな」
きょろきょろしていた俺に、一輝が説明を加える。
言葉どおり、雑な石組みの建物に、木造の影はない。
一輝が、小屋の影にあった水瓶から、水を汲み差し出す。
「茶なんて贅沢なものはないがな」
「聖域にだってなかったさ。いらん気を使うなよ」
茶なんて嗜好品は、弟子や雑兵レベルではかなりの高級品だ。俺だって聖域で口にしたことはない。
ごくごくと喉を鳴らして水を飲む。どれほど乾いていたのか、水を口にして実感した。飲み終わってからようやく気づく。この島で、水は貴重品じゃないのか。
俺の修行地では、基本的に客人に対してワインを出したが、水とワインは同じ値段で、同価値だ。水があり余る場所など、世界の中でも限られている。デスクィーン島の水事情はどうなんだろ。
遠慮もせず飲んで良かったのか?、と手にした空の器を見つめた。すすめてきたのは一輝だが、俺もちょっとくらい遠慮してみせるべきだったかもしれない。器の底をちょっと見つめ、覚悟を決めた俺は、そろっと一輝を見上げる。
ええい、男は度胸だ!
悪かったよ、という気持ちをこめて見上げたのに、なぜか、一輝は目をそらした。さらに背まで向けられる。
「ちょっと待ってろ」
「ん、ああ」
何をするかと思えば、帰りがけに捕らえたトカゲを切り分けて串のようなものに刺していた。
全体的に茶色で、黒の斑点が散っていて、背には背びれのようなトゲが生えている。大きさは一メートルほどばかり。素早く岩陰に入り込もうとしたところを一輝が手慣れた手つきで捕らえ持ってきたのだ。
「火をおこすか?」
「頼む。そっちに炭がある」
「これか?」
「いや、その右の壷だ」
「えーっと、これか。分かった」
串に刺したトカゲ肉を火にかける。
肉を返して
肉を口に入れて噛みちぎる。もっと小さいサイズなら、聖域でもそれなりに世話になったが、サイズが違っても味は大して変わらない。鶏肉に近い、くさみの少ない肉だ。切り分けた部位が太くなればなるほど硬い歯応えが返ってくる。
美味かった。
食い終わるまでは、無言の合間に他愛ない話がぽつりと落ちるだけだった。ほとんどが昔話だ。
多分、一輝は懐かしんでいるわけじゃない。何をどうやっても、かつて何の真実も知らず素朴に正義を信じていた幼子になど戻れない。それくらい分かっている。俺も一輝も。
壊れたものは二度と元に戻らない。
だが、俺にはもはやこっちの一輝のほうが馴染み深い。
壊れるとはどういうことだろう。だって、俺には、すでにこの一輝が一輝なのだ。幼かった一輝―――正義をつらぬく義侠心と弟を庇いとおす優しさを持っていた―――がそのまま成長したような男ではない。
実の父親を憎悪し、数多の兄弟達を唾棄し、復讐の焔に心を焼き焦がして、まとう聖衣そのままに蘇ったこの男が俺にとっての一輝だ。俺の記憶に馴染み深い一輝だ。
壊れるとはどういうことだろう。在るべき一輝とはどんな存在だったんだろう。ここに在るべき俺は―――。
考え込んでいる間も口は動いていたらしい。気づけば肉はなくなっていた。本能のなせる技だな。生きてる以上は食わなくっちゃいけない。その他がどうあれ、二の次だ。
一輝は黙々と火の後始末をしている。
斜めに差し込んでくる太陽光線にまだ衰えは見えないが、確実に光の色は変わり始めている。西日と言うほどでもない。だが、斜めになりつつある角度の光が、何気なく横を向けば目を刺した。暑い。
振り返った一輝が、まぶしげに目を細め俺を見た。
「なあ星矢、墓を作ろうと思う。手伝ってくれるか?」
誰の墓か、とは訊ける雰囲気じゃなかった。
「ああ」
「こっちだ」
そこから歩いて少し。小高い丘の影。そこにあったのは少女の遺体だった。
穏やかに微笑んで眠るように横たわっている。
―――なるほど。だから、一輝は壊れたのか。
瞬によく似た少女から目をそらす。
この暑さの中、一切の腐敗をまぬがれている遺体を一輝の小宇宙が包んでいるのを感じる。時の移ろいからさえ守られた死者。
一輝自身が殺したか、一輝の目の前で殺されたか。死後硬直すらもまだ始まっていない。
無言で抱き上げた一輝には表情がない。泣きわめくより悲痛だった。感情が死んでいた。
簡素な墓を島の最西端に作る。棺などはない。深く掘った穴の中、まだ柔らかな身体を丁寧に胎児の形にして納める。土を掛けるより先にまず花で埋めた。
この過酷な環境の中でも懸命に咲き誇る花々で、少女の顔が見えなくなってようやく土をかけて盛り上げ、木切れと木切れを組み合わせて作った十字架に花輪を掛けて、祈りを捧げる。
「エスメラルダ……」
この少女が一輝の最後の砦だったのだろうか。
何があったか知らない。どんな六年間だったか知らない。一輝は語らない。前回、漏れ聞いたことしか俺は知らない。この島で何をよりどころにしていたかなど知らない。
最も神聖で、誰にも立ち入らせぬ不可侵の場所にある名を呼べばこんな声になるのかもしれないと思わせる、聞いたことを後悔させる声だった。
いつ死んだのかは分からないが、もう少し早ければ間に合っただろうか。もう少しだけ早ければ、一輝が壊れる前に俺は―――……考えたってどうしようもない。俺は口を引き結んで地上に目を落とした。
壊れたものは二度と元には戻らない。
過ぎた日は決して返らない。―――返らない、はずなんだ。
かちりと、地を踏んで、石のぶつかる密かな音が聞こえた。
何だ?
らしくもなく考え込んだせいで妙な奴らが近づいてくる気配に気づくのが遅れたらしい。
墓に対して遠い目線を投げる一輝に注意をうながすべく声をかけようと首を上げる。
ちっ、囲まれてるな。
舌打ちした俺を制し、分かっているとばかりに、一輝の目線が動いた。
静かな
「お前ら、何の真似だ。ジャンゴの仇討ちか。それとも