一輝の
何で聖衣「らしき」ものかと言えば、この聖衣が青銅、白銀、黄金のどの階級にも属していない色彩を持っているからだ。正式な聖闘士ではないと一目で知れる漆黒の具足。
聖闘士でありながら聖闘士でない、暗黒聖闘士と呼ばれる奴らだ。
「フッ、実は……」
代表らしい長髪の男が、一歩進み出る。一輝を見据え、にやりと表情をゆがめた。
どっかで見たような顔だな。
「我ら暗黒聖闘士一同、これより、一輝様を首領とあおぐことにいたしました! 一輝様こそ我らの首領に相応しいお方。我らが命、一輝様にお預けいたします!」
「くだらん」
一輝は一顧だにもせず、切り捨てる。二の句を告げず、男は焦った顔になった。
目をくれてやろうともせず無視するさまは、すがすがしいまでにキッパリしている。
「俺にはもはや憎しみすら意味がない」
「じゃ、これからどうすんだよ?」
暗黒聖闘士の首領になって、野望を果たす気がないんだったら、これから何する気なんだ? 何を望む?
好奇心に近い、素朴な疑問だった。
俺は、かつての一輝の望みをまだ覚えている。黄金聖衣を奪取し、世界に君臨する野望の影に隠れた真の望み―――城戸光政の匂いのする一切の消滅。己も含めて。
あの男への憎しみだけを生きる糧にしていた一輝を、俺は忘れちゃいない。
その憎しみに意味がない、と言うのなら、今のお前に意味あるものって何だ?
口を差し挟むのは無粋かとも思いつつ、心に浮かんだ言葉を口にする。
そんな俺の疑問に答えずに、一輝は逆に尋ねてきた。
「お前は何をする気だ?」
「俺? さっきも言ったが日本へ行く」
「何のためにだ」
「ちんたらしてられねーんだよ。黄金聖闘士の実力を、お前はさっき見たよな? 聖域を取り戻すってことは、あんなのを複数相手にするってことだ。今のあいつらじゃ死んじまう」
前に生き残れた理由、つまり実力の向上につながった一輝ら暗黒聖闘士との抗争の根はここで断っちまったからな。補わねぇと、洒落じゃすまん事態になっちまう。
姉さんも探したいけど、戦いが終わるまでは見つからないほうが安全だ、と思う。
俺は顔をしかめた。会いたい、とどうしようもない焦燥に、
……きっと、今はまだ、見つけないほうがいい。すべての戦いが終わったら迎えに行くから、待っててくれ。星華姉さん。今回は生き残ってみせるから。
「あいつら?」
「俺とお前以外にも生き残っている奴はいるんだぜ。城戸家から聞いてないわけじゃないだろ? 百人中十人だ。……瞬も生き残ってるぞ」
はっと一輝が表情を変えた。まず驚き。そして、恐怖の表情にも似た後ろめたさが顔をよぎる。
弟をかばってこの島へ来た一輝に、何を後ろめたく感じるものがあるんだ? かばわれた瞬が一輝に対して後ろめたく感じるんならともかく。
俺はどっちもそんなモン感じる必要はねえと思うけど。
一輝のせいじゃない。
瞬のせいじゃない。
俺達のせいじゃない。
―――仕方がなかった。
この運命を、仕方ないだろう、と俺達以外の誰かに言われ片付けられたら猛烈に腹が立つだろうが、互いにかけられる納得できる言葉としてはこれしかない。俺達の誰のせいでもないんだ、と俺は思う。
だから、目の前の一輝の反応がピンとこない。
なあ、どうして、そんな顔になるんだよ?
分からん、という俺の表情に気づかず、一輝は地に視線を落とした。
「瞬……いや、俺には合わせる顔がない」
「何でだ?」
「俺は、俺は……瞬にはどんな試練も乗り越えろなどと言っておいて、俺自身はここで負けたのだ。ありとあらゆるものを恨み憎んだ己自身に負けた」
呪詛を吐き出すような言葉には己への怒りがあった。握りしめられた拳は高ぶるままに震えている。
初めて見る一輝の姿に、目をしばたいて言葉を飲み込んだ。
前回、富士の樹海で生き別れ、その次に会った時には立ち直っていた。一人で苦しみ、一人で乗り越え、一人で昇華し、前回
だから今、おそらく、兄弟の誰も知らなかっただろう姿を、見ている。
一輝は何もかもをたった一人で乗り越えることのできる男だったから。
誰の手も借りず、立ちあがれる男だったから。
だけど、今ここに俺がいる。兄弟にも、
俺は言葉を飲み込んだまま、西日を受けて影の濃い一輝との距離を一歩つめた。それ以上踏み出せば、一輝にぶつかるか、一輝を通り過ぎてしまうぎりぎりの距離だ。
手を伸ばすまでもなく、触れているに等しい間隔。
何を、言えば、今の一輝に届くのだろう。
一輝は、俺に、何を求めているのだろう。
慰めか、励ましか、同情か、いたわりか、理解か、共感か、叱咤か。
うーん……うーん……知るかンなこと!
ここは思うところを、一発怒鳴っておこう。
「だから会えないってのかよ! この弱虫やろう!」
「きさまっ!」
「お前はまだ生きてるだろっ」
力をこめて口に出す。一輝は生きている。生きていなければ墓を作ることだってできない。悼むことも悲しむことも何もかも。
生きているからできるのだ。
たとえすべてのものを失くしたとしても、どこまでも限りなく傷ついたとしても、それさえあれば、人間は無限の力を発揮し、神をも超えることがかなうと知っている。地獄の果ての楽園で、
一輝の―――生命。
正面から一輝の肩に腕を回して、体温を分けるように小宇宙を伝えた。生きている限り、俺達の小宇宙は燃焼し続けている、その脈動を感じられるように回した腕に力をこめ、ついでに首筋から背中にかけて柔らかくたたいて抱きしめた。
生きてるなら。生きてさえいるのなら。
人生、死ぬまでは勝負はついてないんだぜ。
「生きてるならまだ終わってないぜ。俺と来いよ。一輝」
「!?」
「俺と来い。お前は
「……」
肩の上に頭を預け、洗脳せんばかりに言葉を吹き込む。一輝は微動だにしない。それをいいことにさらに力をこめ抱き寄せた。
俺は一輝が立ち直れると知っている。
いや、前回の記憶なんか関係ない。だが知っている。ただ信じている。
こんなところで終わる漢なんかじゃない、と。
「まさか、負けっぱなしでいる気じゃないだろ?」
腕をほどいて身体を離し、トン、と一輝の胸を拳で軽く打つ。真っ直ぐ顔を見上げて笑いかけた。
俺を見下ろした一輝は、無言で視線を俺の顔に固定し、じっと見つめてくる。魂の底まで見通そうとするかのように鋭く、何かを渇望する眼差しだった。
ひたと、見据えられる視線の迫力に浮かべた笑顔がひきつる。
……何だよ!?
あまりの居心地の悪さに俺が文句を言う前に、黙り込んでいた一輝が口を開いた。
「それは城戸のお嬢さんのためか?」
「
なんだろう。間違っちゃいないが、そう言われると否定したくなるのは。
もちろん、あのお嬢さんに一人で戦わせるなんて男らしくない真似は論外だが、邪武じゃあるまいし、お嬢さんのためなら命も惜しくないなんてこと、太陽が西から登っても、俺には言えないぜ。
だいたい、来るのか来ないのかどっちだよ。人の質問を無視するのはよくないんだぞっ。
「
「そうだ。俺のことより、お前はどうする気だよ」
一輝のまとう
―――どうする?
不意に一輝の首が動く。さっきから話に置き去りにされて、唖然としている男のほうに顔の向きが変わった。
つられて、俺もそいつに目をやる。
ん? このツラは……、あ、どっかで見たようなツラだと思ったら、こいつ
白銀聖闘士達の手により、真の
生前の姿より、死に顔のほうが記憶にあるもんだから、ぱっと見は分からなかった。
そう分かってしまうと、まわりにいるのもちらほらと見た顔だ。
だが、分かってしまえば思い出す。
あの時、俺達の身代わりになった無残なその姿を。
砂浜に立てられた十字の木切れに誓った決意を。
その死を忘れない、俺達の生と引き換えになったその死を忘れない。必ず仇は討ってやると胸に刻み込んだ。
白銀聖闘士との戦いはどうせ避けられなかったからな。降り掛かる火の粉を払うついでに、身代わりとなったお前達の無念をも晴らしてやると、確かに誓った。その誓いには、生きている姿より死んだ姿のほうが記憶に濃い。
ああ、こいつらこんな顔してるんだったな、どこか懐かしくその顔ぶれを眺める。
隣の一輝を見ると、もう少し厳しい顔をしていた。敵を見る眼とまでは言わないが、何かを見定めようとするような、真剣な目だ。
何だ?
いぶかしむ俺に重い声が落とされる。厳然と芯をもった、何を譲るつもりもなさそうな断固たる声。
何を言う気だ。待ち構えた俺の喉がごくりと鳴る。
「これからの戦いは黄金聖闘士相手だと言ったな」
「ああ、彼らが素直に
まあ多分、大丈夫だと思うんだがなっ。
彼らの忠義は、本来
少なくとも、俺は魔鈴さんから「聖闘士とは
その拳は空を引き裂き、その蹴りは大地を打ち割る。だが、それらの強大な力は、すべて
聖闘士のほとんどは、無条件にそう身体に刷り込まれているはずだ。すべてを知って、それでも教皇につく奴のほうが異端だと思うんだけどな。
まあ、証拠は必要だろうが、お嬢さんの小宇宙を感じ、それでもまだ疑うようならそいつは聖闘士をやめたほうがいい。
俺達は正しく「
「なら、強い兵が要るな?」
「ああ、当然だ」
何が言いたいのかよく分らん。これは一緒に来てくれるってことか?
ちょっとした期待に意気込んで一輝の口元を見つめてしまう。
「星矢。俺は今しばらくこの島に残る」
「へっ?」
「お前の言った通りだ。確かに俺はまだ生きている。この心の小宇宙がまだ燃え続ける限り、俺の戦いは終わらん」
「……っ! なら!」
「
一輝は、暗黒聖闘士をあごで指した。
赤く丸い日はいつの間にか全貌を海に沈ませ、夕闇があたりを覆おうとしている。
薄い闇が一輝の表情を曖昧にする。その中でも一輝の目がぎらりと殺人狂が満月にふりかざした刃物のようにきらめいたのが分かった。
おいおい、もしかして、それって……。
「俺自身も修行をやり直す。お前に届くためにな」
「俺と来るなら、毎日でも相手するけどな?」
「それは断る。お前に強くしてもらうのでは意味がないのさ。意地くらい張らせろ」
微苦笑を唇の端に浮かべた一輝の眼の光はやっぱりぎらぎらしている。
お兄ちゃんの意地ってやつか?
なあ、瞬、お前なら説得できるかな。
いや、あいつは「それが兄さんの決めたことなら」なんて言って放置しそうだ。お前ら互いに甘いんだよ!
「そもそも、お前の味方になると決めたわけではない。勘違いするなよ」
「へいへい、そうかよ」
一輝はやっぱり一輝だった。簡潔な答を、分かりやすくどうもありがとよ。溜息が出るぜ。
嘆息をつきつつ見上げた空の東には、星が輝きはじめている。
相談も何もできなかった。
シャカに俺の存在を知られた。
一輝も味方になったわけじゃないらしい。
……俺は一体何をしにここに来たんだろう。
噴煙が邪魔で、星は薄ぼんやりと存在が分かる程度だ。まだ宵の口だというのもあるのかもしれない。
それでも、俺はその星に願いでもかけたい気分でいっぱいだった。
まだ時間はある。確かにある。
あと一年足らずのうちに聖戦を二回も経験し、神と対峙して生き残るだけの実力を身につけるには余裕……なわけがあるかっ!
ああ、やっぱり人生なんては思うがままにはならないもんなのかよ。全身から力が抜ける。身体的なものじゃない。精神的なものだ。
「じゃあな。俺はそろそろ行くぜ」
俺は脱力した足取りでよたよたと海岸に足を向けた。
世の中には、どんなに力が抜けても、忘れてはならないものだってあるのだ。
「どこに行く気だ?」
「海岸だ」
「船でも待たせているのか?」
「いや、聖衣を置きっぱなしにしてるんだ」
「……お前……、何やっているんだ」
数瞬の間をおき、心底呆れた声を一輝が出した。だが、それは俺のほうこそ訊きたい。本当に。
脱力のあまり、船も何も、俺はテレポートしてきたので、そういった交通手段はないと返すことも面倒だ。口を開いてなんかやるもんか。
俺は我ながらゆるい足取りで海岸へと向かった。
どこに置いてきたっけな。
目線を飛ばす。目よりも先に聖闘士としての感覚が聖衣をとらえた。そういや岩場の上に干してきたんだっけ。
無事、見つかった聖衣はすっかり乾いていた。半日以上、干していたから当たり前と言えば当たり前だ。
元通りに聖櫃に収め、かつぐ。
さて、行くか。
目を閉じ、精神を集中する。
いざ、日本へと!
浮遊感。
ん? と首をかしげる余裕もなく、全身に衝撃が走る。とっさに、開きかけた目を閉じなおし、息を止める。
何が起こったかはすぐに分かった。海面に身体がたたきつけられたのだ。この衝撃から察するに、かなり高い水柱がたったことだろう。口の中のしぶきが塩辛い。
そうだった。そうだったぜ。俺はテレポーテーションが下手なんだった。またもや海に落ちてから思い出しても意味がないんだけどなっ! くそうっ。
真っ暗ということは、少なくとも日本よりは東だろう。
すぐさまデスクィーン島から日本に飛べたんなら、今頃は夕方のはずだからな。ちゃんと乾かした聖櫃の中にまたもや海水が侵入するのを重くなる背で感じとる。
喉もとのぬるい海水は、足先の深みに至ればひどく冷たく、どれだけ伸ばしても足がつかない。どこだよ、ここは。
初っ端からこれじゃ、城戸家につくまでに、あとどれくらいだろう。
そもそもデスクィーン島にそれなりの時間でつけたのは、ある程度の距離まで近づけば一輝の小宇宙を感じ取れたからだ。それでもすんなりとは飛べたわけじゃなかったが、目標があればそれなりに飛びやすい。一輝の小宇宙は青銅とは思いがたいほどに強いしな。単に戦闘的で分かりやすいってのもあるんだろうけど。
比べて、日本には目印がない。加えて近距離というのは案外加減が難しいものらしい。
こんなものを日常的に使いこなすムウ達にはまったく恐れ入る。魔鈴さんが教えてくれなかったのも納得だ。実はお前すごかったんだな。貴鬼。
ざばざばと立ち泳ぎをしながら、そんな埒もないことを考える。水中で光ってるのは、ありゃ何かの眼か。どうやら段々と近づいてきてるっぽいけど……あ、口ひらい、た。
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結局、城戸家につくまで、随分とかかった。
日本へは、二時間ほどでついたのだが、テレポーテーションを多用すると、かえって目測を誤って飛びかねないということを俺は学習した。
夕刻どころか、まだ真昼間の地域に飛んじまったからな。またも海の中に落っこちたのは、人目と言う点で実に幸いだった。
学習した俺は、うまいこと東京にほど近い場所に飛べたのを皮切りに超能力を使うのをやめ、歩いて城戸邸まで行ったのだ。普通の人間っぽく。いやいや言うまでもなく、誰と比べても俺は普通なんだが。
だが、びしょぬれのまま、どこに落ちたかも分からず東京ってどっち? と通りがかりに尋ねた俺に、人は冷たい眼を向けた。
東京では、でかい荷物を背負って、城戸邸ってどっち? と尋ねた俺に、人は不審な目を向けた。
やめろっ! 俺をそんな目で見るなっ!
なんだか、どうも普通だと見なされてない気がして、俺はちょっぴり遠い目になった。本当に俺は普通なのに。どちらかと言えば、ではあるが。
そして、ようやく俺は城戸邸の前にいる。
見上げるほどの堂々たる門構えをふり仰ぎ、俺は大きく息を吸い込んだ。
「あの人、何してるのかしら」
「大荷物ねえ。しかも、髪の毛濡れてない?」
「あんなお屋敷前にぼーっと突っ立っちゃって、怪しいわ」
「しっ! 目を合わせるなよ!」