―――俺は無実だッ!! お天道様に顔向けできないことはやってないっ!
全世界に向けて叫んでも許されるだろう絶叫を、心の中だけにとどめ、俺はさっさと逃げ出した。
背後の気配や、ヒソヒソ話に怖気づいたわけじゃない。誓ってもいい。本当だ。気にしてなんかない。無実だけどな!
俺はただ、気づいただけだ。
お嬢さんもあいつらも、六年以上も会ってなかった相手が、
少なくとも俺だったら思う。誰の言であるかにもよるが、普通はそう思って当たり前だ。
なぜ知っているのかと問われて、うまく誤魔化せる自信もない。
誰に聞いたか、何を論拠とするのか、簡単に言っちまえば出所をばらさないと話した事実のすべてを疑われるだろう。実際に見てきてるんだから、偽りは何一つ無いとしても。
かといって、すべてを話して信じてもらえるのか。俺だって、最初は自分の記憶と正気を疑ったんだ。実際のところ、まだ多少は疑ってる。何が起こったのか自分ですら分からないってのに、説明なんかできるか。できねえし、無理に説明したところで疑わしいだけだ。
だいたい、あいつらはまだ自分達が血を分けた兄弟だということも知らない。自分達が何のために、誰のために聖闘士になったのかということもだ。
こんな状況で、どこまで話していいのか分からない。そもそも話していいかどうかも分からない。
俺は一体どうすればいい―――ああ、頭が痛いぜくっそ。
俺はぐるぐると考え込みながら闇雲に道路を走った。城戸邸をあまり離れないように気をつけながら城戸邸の周辺を大雑把に周回する。
言うまでもなく普通の人間程度のスピードに抑えるのは忘れちゃいない。
「きゃっ! 何アレ!」
「どうしたよ? 露出狂でもいたか」
「もっと悪い! 今、人がこの車の横を走ってったの!」
「はん、50kmは出してるんだ。錯覚だろ」
「本当よ! さっき、この車を追い抜いていったんだから!」
「……マジ?」
「大マジ。この目を見て」
「見れるか! ……ここの道路、出るって話……あったか?」
「分かんない分かんない分かんない、どうしよう……」
「あー、どっかで休憩するか」
「うん……そうしたほうがよさそうね」
途中、ちょっと考えに集中しちまったが、悲鳴が聞こえたのはきっと気のせいだ。気のせいに決まっている。
そこはかとなく冷汗をかきながら、俺は低くうなった。
とにかく、このまま見過ごすわけにもいかない。少なくとも俺のいうことが真実であるとだけは信じてもらわなければ。
このまんまじゃ全滅だ。それだけははっきりしている。今のあいつらの実力では犬死する未来しかない。
なんだか俺のせいな気もするが、それこそ気のせいだ。もし俺のせいだとしても、いきなりこんな事態に放り込まれて先を考えながら行動なんかできるか。俺はそこまで器用じゃない。
それでも、やっぱり、俺のせいも多少はあるかもしれないとは思うから、何とかしようとは思う。そのために動こうとは思ってるが。
絶対に死ぬとは限らない。奇跡は存在すると知っている。
それでも、起こるかどうか分からん奇跡にすがるなんて情けない真似はごめんだぜ。男なら自分の力で切り開くもんだろ。
それに、問題はもう一つある。
多分だが、ここにも聖域の目がどこかにあるってことだ。聖域の注意はなるべくならまだ引きたくない。だが、大勢に話せば話すほど、それは伝わりやすくなる。
ここに、聖域の目がないとしても……いや、必ずあるはずだ。そうでなければ、あんなにも正確に素早く白銀聖闘士達が来るはずがない。世界中にあるはずの聖域の目や耳が、ここにないはずもないしな。
派手に動けば絶対に気づかれる。前回はそれを逆手にとって悪の根をひきずりだそうとしたわけだが、同時にそれは相手に先手をうたせてやることでもある。
それどころか、大きく動けば、聖域のみならず、海界、冥界、誰に嗅ぎつけられるか分かったもんじゃない。それは困る。それだとどう転がるか分からんからな。
四方八方丸く収まればいいが、これまでの経験からして、世の中そう甘くない。実体験でもって、俺はその苦い味を噛み締めてきている。味わいすぎて、もう苦いんだかどうだかの判断が怪しいくらいだぜ。ちくしょう。
じゃ、どうすればいいかって?
つまり、最初の問題に戻る。真実を話さずに信じてもらうしかないってことだ。
難題だが、お嬢さんなら大丈夫じゃないかとも希望はある。少なくとも俺はお嬢さんが
「よっと!」
ある程度、考えがまとまったところで、軽い掛け声とともに塀を飛び越える。
監視カメラがないことは知っていた。一万ボルトの電流を流している塀にそんなものは必要ない。
昔はそんなにも俺達を逃がしたくないのかと思っていたが、今考えると、あれは俺達を守っていたのだろう。聖域の目やその他の敵から、未来の
決して善意じゃないが、俺達をとじこめる悪意をもってのものではなかった……と考えてやれなくもない。囚人や奴隷としてではないとしても、俺達の意志を無視した物扱いされて愉快な気分にはならないが。
電流くらい、今の俺なら大した問題じゃないが、わざわざ引っかかってやる必要もない。
地に降り立った俺に気づいて大型の犬が三匹ほど駆け寄ってきた。牧歌的に言ってみたが、実際のところは、歯茎と牙を剥きだし涎を流しながら唸っている。愛想の欠片もない。
見掛けも牧場より戦場のほうが似合う軍用犬であり、間違っても愛玩犬ではない。外敵を噛み殺すために訓練された牙と普通の人間ではかなわぬ戦闘能力を持っている番犬だ。
殺意のしたたる唸り声が地を這い、敵意とともによだれが落ちた。吠えようと口を開ける。
させるか。
「伏せッ!」
一睨みする。強く強く、意思をこめて睨む。空気を、この空間を支配しているのは誰か知らしめる。
それで、すべて済んだ。
見る間に首から背の毛が逆立つ。キャンッと小さく鳴き、哀れっぽく震えはじめる。短く切られた尻尾は最大限ちぢこめられ股の間だ。身体をなるべく小さくしようと地に這いつくばり、耳は頭と一体化せんばかりに後ろに倒れている。中には漏らしてる奴までいる。
人間より本能に支配されている分、もろに存在としての力の差を分かっちまったらしい。
圧倒的に強い俺という強者に、自分が絶対に叶わない弱者であると悟ったのだ。
「よしよし」
なるべく優しく話しかけてやる。怯えさせたかったわけではないのだ。今のはお前らが無用なことをしようとしたから怒っただけだと声と動作で示してやる。
吠えたり噛み付いたりしてこなかった褒美に、近場にいた奴を撫でてやった。小さく尻尾を振ったので、ちょっと嬉しくなって顔がほころぶ。首の下をくすぐり胸元まであやしてやった。
「いい子だ。そのまま大人しくしてろ。騒がれるのは困るんだよ」
その場にいた三匹をよくよく撫でてやり、控えめながらも擦り寄って尻尾を振るまでに慣れたところで芝生を横切って屋敷へと向かう。
真っ暗な二階のテラスにジャンプして、一通り窓をがちゃがちゃと触ってみるが、どこも鍵がかかっている。当たり前か。
どこも開いてなけりゃ壊すしかないが……この家は、どこもかしこも、それこそ窓ガラスにまで細かな装飾格子があって……一言で言えばお高そうなのだ。なるべくなら触りたくねえっ!
ううむ、どっか開いてないのかよ開いてるとこから入りたいんだけどな、と考えながら一度飛び降りる。地上階の窓をがちゃがちゃやりながら反対側まで歩くとサンルームがあった。
屋敷から半分ほどせり出しているこの部屋は、支える柱はあるものの壁が全面ガラスになっている。ここは装飾格子が入ってない。壊すならここか。
いやでも装飾格子がないからって、金がかかってないってことにはならない。掛かっているカーテンもどっしりとお高そうだしな。ええい、どうしてくれよう。
悩みながら、腕を組み、半歩下がって屋敷の全貌を視界に入れる。下はサンルーム。重たげなたっぷりとしたカーテンが中を俺の目から隠している。その上は二階だ。白亜の壁には美麗な装飾が隙なく施され、採光のためか窓がある。鎧戸を閉めてたら意味ないんじゃないかと思うが……って、ありゃ、半開きだ。そうだよな。毎回鎧戸まで閉めるのは手間の無駄だよな。
よっし! 誰か知らないがずさんな、もとい、合理的なメイドがいて助かったぜ。ありがたい!
軽くジャンプし、ひさしの下のぎざぎざした部分に手をかけ、窓を開いて一気に入り込む。
ふと考えると……これ、不法侵入か?
……非常事態だからいいよな。仕方ない。俺だって不本意だ。
「さて、お嬢さんはどこかな」
さて、この広い屋敷の中、沙織さんの寝室なんぞ分かるはずもなく、また探し歩く余裕もない。何せ不法侵入の身だ。
沙織さんの女神としての小宇宙は、さっぱり感じ取れない。無意識か、自覚して意識的にかは知らないが、聖域に見つからぬよう秘匿されてるんだろう。
そっちの方面を俺が苦手としているってだけかもしれないが。
さて、どうしたもんか。柱時計の鐘が遠く時刻を告げるのを聞きながら、足音を立てぬように歩き回る。
……うん?
この小宇宙は、まさか……?
屋敷内から伝わってくる僅かな小宇宙に覚えを感じ、抑えていた気配を少しだけ開放する。
が、何の反応もない。
この程度じゃ無理か。
力加減に苦心しながら、改めて気配を開放し、同時に小宇宙を少しだけ燃やして挑発する。
半瞬遅れ、荒々しい小宇宙が燃え上がった。
おそらく、俺よりも早く聖衣を手に入れ日本に戻った聖闘士の一人で、沙織さんの警護でもしているのだろう。
誰であるか見当はつくが、確信はない。
話の通じる奴であればいいんだがと念じつつ、俺は城戸邸を、その小宇宙のほうへ歩きはじめた。
■■■■■■
「何者だ!」
邪武!?
あー、そういや、あいつは沙織さんにべったりだったな。ちょうどいいか。
こいつがいるってことは、お嬢さんもこの近くにいるだろう。
「よう、邪武。久しぶりだな」
「あ? 星矢か? 貴様」
「ああ、ちょっとそこをどけ。お嬢さんに話があるんでな」
「無礼なっ! 今が何時だと思っている。出なおせ!」
常識的だ。実にごもっとも。
仮に邪武じゃなかったとしても、素直に吐いてくれるわけもない時刻だ。
「そうしたいところだけどな、時間が惜しい。実力で通るぜ」
「ハッ、できるものならやってみろ!」
もはや、言葉は無用とでも言いたげに、邪武が小宇宙を燃え上がらせる。
話が通じる奴であればいいと願ったとたんにこれだ。
俺は天を仰ぎたくなった。勘弁してくれよ。
「別にお嬢さんに危害を加える気はないぜ?」
「やかましいっ! 何の用か知らんが、こんな時間にお嬢様に会えるとでも思ってんのか!」
「俺にも事情ってもんがあんだよ。どけ邪武」
「お前の事情など知ったことか! どかせてみろ!」
気炎を吐く邪武。
だけどな、喧嘩は相手を見て売るもんだぜ。忠告は身体に刻んでやるから、しっかり覚えろよ。
俺は静かに一歩踏み出した。
「なるべく手加減はしてやるぜ。死ぬなよ」
「なっ、なんだと! ふざけるな! 来いっ!」
邪武の怒りが小宇宙となって激しく燃え上がる。
俺はゆっくりと片手を上げた。
邪武は膝を落とし、拳を作る。
俺の上げた手がゆるく握る形になる。
邪武が床を蹴る。天を駆けるユニコーンのように宙に躍り込み加速する。
「喰らえッ! ユニコーンギャロッ―――ぶぎゃぁっ!」
だが、のろい。のろすぎる。技が俺に届くまで待ってやれなかったぞ。
精一杯の手加減をした俺のでこピンは、邪武の身体を大きく廊下の果てまで吹き飛ばした。
二つ、三つ、廊下の電燈をぶち壊し、弾みながら絨毯を大きくずらして止まる。
そこで、ぴくっぴくっと
「何の騒ぎですか?」
顔を出したのは普段着の瞬。
他にもいくつか、覚醒しつつある小宇宙を感じる。
警護につとめているのが邪武だけって、どんだけ人望ないんだよ。お嬢さん。
不覚にも涙がにじんできそうだ。
俺も光政、ひいては城戸家を許す気はないから分かるんだが。
ついでに言えば、お前ら反応が遅すぎる。俺が敵だったらどうすんだよ。気配を感じたら即臨戦態勢で飛び出して来いよな。
しかし、集まられるとどうにも都合が悪い。
俺は少なくとも、今のところ、沙織さんにしか話す気はないんだから。
「畜生ッ! 星矢ァ!」
もうまともに喋れるようになったか。丈夫だな。邪武。
だが、もう遅い。邪武がいた部屋の奥扉がゆっくりと開いて、ほっそりとした手が扉を押し開いていく。
俺は、ただそれに見入った。
「騒々しいですよ。邪武。何事です」
寝ぼけた様子を一切見せない上品な声とともに沙織さんが出てくる。部屋着の上に白くて薄いショールのようなものを斜めに羽織り、心なしか不機嫌な様子だ。
おかしな言い方だが、ようやく帰ってきたと思った。高慢なお嬢さんの声が、姿が、涙が思わず浮かんできそうになるほど、懐かしくも慕わしい。かつての戦いのすべてがこのお嬢さんとともにあったのだ。このお嬢さんが地上に降り立った
少し意識が過去に飛んだ間に、沙織さんは完全に扉の外に姿を表した。
視線が俺を捉えたところでひざまずき、顔を伏せる。最初の関門だ。
「星矢、
どうにも、こんな話し方はむず痒くて仕方ない。歯がうずくのをこらえつつ顔を上げると、視界の隅にやたらと驚いている瞬達の姿が見えた。何だどうしたお前ら? 挙動不審だぞ?
不思議に思いながら、見えないように、
―――アテナ、と口だけで告げる。
なぜか悲しげにしていた沙織さんの表情が変わった。
呼ばれた名ゆえか、あるいは俺の表情の真剣さゆえか。
「お前ごときの話など、お嬢さんに聞かせるまでもないわっ!」
廊下の奥で立ち上がった邪武が叫ぶ。
人の話の最中に割り込むなよお前は。もう一発くらいいっとくか?
「そう。分かりました。……下がりなさい」
―――邪武。
呼ばれた名前に邪武が凍りつく。
「なっ、おお、お嬢様!?」
乗ってきた!
あとは説得するだけだ。これが一番の難業なんだけどなッ。
後、外野やっかましいぃっ! 内緒話は聞こえないようにやれ! らしくないってのは分かってんだよっ。
「……星矢、か?」
「外見は星矢みたいだが……」
「激、那智、失礼だよ」
「お前は何とも思わないのか。瞬」
「市、そりゃ僕だって違和感を感じないわけじゃないけれど……きっと、辛いことがあったんだよ。星矢も」
「そんな目で言うとかえって星矢が哀れだぞ。瞬」
「……気をつけるよ」
メタいIF与太話偽予告。
城戸家の近くのとある道路に幽霊が出るらしい。
少年の幽霊は、何か大きなものをかつぎ、走っている車の隣をぶつぶつ言いながら走りぬけて行く。そのスピード足るや時速百キロにも達すると云う。
その荷物の中を覗いてはならない。その言葉に答えてはならない。
覗いてしまえばその時は―――……。
答えてしまえばその時は―――……。
「という噂が、最近この近くで流れているらしいぞ」
「ふーん。で、なんでそれを俺に言うんだよ」
「星矢に心当たりが無いんだったら、別にいいんだがな」
胡乱げな目になる星矢。退かぬヒドラの市。
二人の会話は、雌雄を決するため戦わざるを得ぬ漢同士の対決の物語の序章だった。
丁々発止と果てしなく展開してゆく口論。まくしたてあう二人には、和解の二文字は存在さえも無視されている。
如何なる争乱も、すべては些細な行違い、日常のボタンの掛け違いから始まるものなのかもしれない。
―――それもまた哀しき人の歴史。
「大体、お前、銀河戦争んときは語尾にザンスなんてくっつけてなかっただろうがッ!」
「物語初期でキャラの立てかたを心得てなかっただけざんすッ!」
「ぶっちゃけるなよ! 正直すぎだろ!」
「他に何を言えと言うざんすか!」
「女にトラウマができたとか、何かに感化されたとか、いくらでもあるだろうが! 大体ホントに何があってそうなった!?」
「フッ、所詮しょせん、星矢には分からないざんすよ。どんなに地味で黄金聖闘士にかすんでても、一年近く雑誌に登場しなくても、出るたびに大怪我して死にそうになるとしても、締めには絶対に必要なんざんすから」
市の言葉の主成分は哀愁である。言っている事も真っ当である。鼻で笑っても、どこかしら切なさが漂う。
悪意を感じる形容ではあるが、市は星矢を羨んでいるのだ。
だが、素直に肯んじられぬ星矢であった。当然である。誰が好き好んで死にかけたいものか。
そもそも銀河戦争の後に修行のやり直しに行っただけで、どうしてそうなるというのか。何の修行をしてきたのだ。
疑問は深まるばかりである。
「お前、ここで俺が優遇されていると思うのかよっ!」
「女聖闘士の仮面を二枚も引っ剥いできたくせに何を言ってるざんすかっ!」
「わざとじゃない! と言うか、あれを優遇と言う気か!?」
「どう斜め読みしても、贔屓されてるざんす!」
こうして、二人の対立は激化していく。
この物語の結末にはいかな終止符が打たれるのだろう。
……悲劇には悲劇に相応しい終わり方しかない―――